南海諸島共和国物語   作:あさかぜ

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8話 太平洋戦争中の南海

 1941年12月8日、日本は米英蘭に対し宣戦布告して、ここに太平洋戦争が勃発した。これにより、太平洋と東南アジアが戦場になる事が確定した。これから約3年半の間、日本はアメリカとその他の連合国と血みどろの戦闘を繰り広げ、最終的に日米の手打ちという形の日本の敗戦で戦争は終了した(詳しい内容は「架空の財閥を歴史に落とし込んでみる」の『番外編:この世界の太平洋戦争①~⑨』参照)。

 

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 太平洋戦争中、南海は戦場にはならなかった。戦争開始から僅か半年で東南アジアの殆どを占領した事、連合国側の準備が整っていなかった事もあった。戦争後半も、1945年1月に米軍がフィリピンに侵攻したり、連合国のビルマ反攻で東南アジアにも大規模な戦火が押し寄せかけたが、前者は連合艦隊の奮戦で米軍が撤退し、後者は陸軍の決死の遅滞戦略によって連合国軍がビルマ中部で手間取っている間に終戦となった。

 そのおかげで、南海はマーシャル諸島やパラオの様な地上戦が起こる事は無かった。

 

 だが、戦争とは無関係では無かった。1940年に結んだ「日南攻守同盟条約」によって南海は日本との同盟国となり、開戦後の12月11日に英蘭の影響下にあるブルネイからイギリス軍の爆撃機が飛来し、遠南島と朱印島を爆撃している。これにより、数機の航空機と港湾施設の一部、8人の死者と十数名の負傷者という被害を出した。これが要因で、翌年の1月10日に南海は米英蘭に対する宣戦布告を行った。空襲後、ブルネイに日本軍が上陸して占領下に入り、1942年中頃までに全東南アジアが日本の占領下に入った事で、取り敢えず安全は確保された。

 その後は、東南アジア方面の通商路の拠点として活用された。開戦後に海上警備総隊が進出し、新設された第五護衛艦隊の司令部を朱印島の南江に置いた。これにより、海上警備総隊の艦艇や航空隊が大挙して進出し、南シナ海における通商護衛が行われた。南海が保有する海防艦「朱印」と「遠南」は第五護衛艦隊の指揮下に入り、南シナ海での通商護衛任務に就いた。護衛艦隊の配備によって敵潜水艦の活動は低調となり、ミッドウェー海戦やソロモン作戦、い号作戦(この世界のい号作戦は、ニューヘブリデス諸島及び豪州北部への大規模な攻勢防御作戦)、チッタゴン作戦など1943年前期までの大規模攻勢によって連合国軍の東南アジア方面での通商破壊は低調となった(ソロモン、太平洋方面ではそこそこ活動していた)。

 

 戦争中盤に日本軍の攻勢は終わり守勢に回った。だが、主要な戦闘では大敗する事は無く、連合国も攻めあぐねていた。それでも、連合国は物量にモノを言わせて反攻を続け、1944年までにパラオ諸島を占領し、フィリピンへの足掛かりと日本本土空襲の拠点が建設された。

 この頃になると連合国による通商破壊が激化し、今まで比較的安全だった南シナ海にも潜水艦の影がちらつく様になった。第五護衛艦隊の活躍で何とか潜水艦の活動は抑えているものの、被害の発生は避けられなかった。幸いな事に、「朱印」と「遠南」は被害を受ける事は無かった。

 日本にとって幸いだったのは、マリアナ沖とレイテ沖で勝利した事で、敵機動部隊が常に半壊している事である。機動部隊を再建する為に空母や護衛艦艇の整備に力を注がなければならず、そちらに力を入れている間は潜水艦の整備は後回しになる。潜水艦の整備が遅れれば、撃沈されたり損傷した潜水艦の補充は遅れ、その分通商破壊は低調となる。潜水艦の低調と機動部隊による南シナ海の通商破壊が無かった事で、南方航路は先細りとなりながらも終戦まで途絶える事無く存続した。

 

 海での被害は無かったが、地上と沿岸部の被害は少ないながらも存在した。成都にB-29が進出した1944年後半以降、何度か南海を空襲している。規模こそ10機に満たない数だが、国土が数百㎢の南海にとってはそれの数でも脅威だった。

 初めて空襲を受けたのが1944年9月で、朱印島に爆弾と機雷が投下された。これにより、南江の中心街の半分が焼失し、港湾も大きな被害を受けた。それに加え、機雷によって港湾が使用出来なくなり掃海に手を取られた事で、一時的に通商護衛にまで手が回らなくなり、その時に潜水艦による被害が相次いだ。

 その後も、終戦まで何度か空襲に遭い、終戦までに朱印島と遠南島の港湾設備や飛行場、その他施設にも被害が出た。爆弾の一部は居住区に落下し、軍民合わせて数百名の死者(日本軍関係は除く)、数千名の負傷者という人的損失もあった。

 

 それでも、太平洋戦争中の被害はこれだけであり、他の国と比較すると全く被害を受けていないと言える。その様な状況で1945年6月5日を迎え、日本はアメリカと停戦した(「連合国と停戦」では無い事に注意)。その後、7月2日に日本は連合国と終戦に関する文書を交し、正式に終戦を迎えた。同時に、南海も連合国との戦争が終わった。


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