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緊急の柱合会議が終わったその日の夕方。
「よう、結一郎。大丈夫か?」
「忙しくしているところすまないな。余計な心配だとは思うのだが一応様子を見に来た」
いろいろと積み上がっている書類を片付けていた結一郎の元に天元と行冥の二人が訪れた。
師匠二人の訪問を受けた結一郎は一旦手を止めて二人に向き直る。
「お気遣い頂きありがとうございます。仕事は問題なく始めてます!」
「ああ、そっちじゃなくてな」
仕事の進捗について述べる結一郎に対して天元は首を横に振り、「こっちは大丈夫か?」と頬を指しながら尋ねた。
結一郎の浮かべる笑みは、しかし左頬が腫れ上がっていてなんとも痛々しい姿になっていた。
「さほど問題はありません」
「そうか。だが無理はしないように気を付けるべきだ」
「ま、それだけ胡蝶の怒りが派手にデカかったってことだろ?」
大丈夫だと告げる結一郎に、それを気遣う行冥。
一方で天元はその負傷の原因となった出来事を思い出して呟く。
柱合会議のあとに結一郎がしのぶを怒らせて殴られた場面を脳裏に思い起こした天元は思わず苦笑した。
ほとんど弟子の自業自得なのだが、さすがにああも派手にぶっ飛ばされれば同情心も湧くというもの。
しかし同情はしながらも用件は用件として聞いておかねばならない。
「結一郎。お前、あのときわざと胡蝶を怒らせたのはなんでだ?」
相手の心理など文字を読むかのように把握できる結一郎があそこまでしのぶを怒らせるなどわざと以外にあり得ないのだ。
そう考えるのは行冥も同じのようで、結一郎の答えに意識を集中させているのが見て取れた。
二人の訪問の目的はこの答えを聞くためだろう。
結一郎はしのぶの怒りを煽ったことを認め、その理由について語り出した。
「自分も以前は復讐のために生きていました。だから仇が急にいなくなった時の気持ちはなんとなく分かるのです」
その気持ちは、生きる目的が無くなってしまったような喪失感だったと語る結一郎。
彼は復讐相手を不意に失ったときの自身の経験を踏まえて言う。
「もしかしたらしのぶさんは生きる気力を失ってしまうのではないか。そんな心配をしました。だから……」
「自分に怒りを向けることで、気力を湧かせようってか?」
「はい……」
天元の言葉に首肯する。
彼自身も仇を奪った義勇に怒りを向けていたことである意味救われていた時期があったのだから。
今回の件では怒りを向けられるその立場を自分がやろうと画策した結果だった。
「なるほどな。理由は派手に分かったぜ。やり方はあまり褒められたものじゃねえが」
「ああ。もっと自分のことは大切にしなさい」
行動の理由に納得はしながらも、やり方については苦言を呈する師匠二人。
結一郎としては素直に頷くしかなかった。
「はい。そこは反省してます。結果を見れば自分のしたことはほとんど意味がありませんでしたし」
「まあな! 結果だけ見ればお前、地味に殴られ損だからな!」
「楽しそうに言わないでくださいよ、天元師匠……」
がっくりと肩を落とす結一郎。
実際、天元の言葉を否定できないのだ。しのぶの怒りを自分に向けるという目的は未達成だったりするので。
そのもたらされた結果を思い出して結一郎は呟く。
「まさか、あんな形でしのぶさんが柱を辞めるなんて……」
――緊急柱合会議終了直後
あまねたち産屋敷一族が退室し、緊急柱合会議は終わりを迎えた。
結一郎の提案に加えて、隊士全体の実力の底上げを図って柱たちが直接指導を行う訓練――柱稽古が行われることが決定したのだった。
柱とは立場上同格である結一郎も指導側にまわることが決まっており、自身が発案者である強化計画の責任者になることもこの会議で決まっている。
つまり、簡単に言えば結一郎はこのあと滅茶苦茶忙しくなるということが決まったわけである。
わー、たいへんだなー。
「それでは自分は色々と準備がありますので、お先に失礼します!」
「待ってください。勝手に失礼しないで頂けます?」
多忙を理由に席を立とうとした結一郎だったが、しのぶに行く手を遮られてしまった。
逃亡が失敗したことを内心で焦りながらも、努めて冷静を装う結一郎。
「何かご用でしょうか?」
「ご用? ええ、ええ! 結一郎さん、私にお話しないといけないことがあるんじゃありませんか?」
笑みを浮かべて告げるしのぶだが、その笑みはひどく威圧的なものだった。
絶対に逃がさないという強い意志を感じる……
「さ、さて、自分には心当たりがありませんが?」
往生際悪くあくまでしらばっくれる結一郎。
その様子を見てしのぶは追及の手を強めた。
「あらあら、そうですか。では、私の方からオハナシがありますので、お時間を頂きますね」
お時間を“頂けますか?”ではなく“頂きますね”と言うあたり有無を言わせぬものを感じる。
「これから自分はやらなければならないことがあるので、ご遠慮いただきたいです!」
「いえいえ、それほどお時間は取りませんよ」
多忙なのはご存知でしょう? と、抵抗を試みる結一郎だったが、しのぶがその程度で諦めるはずもなく。
さらに残念なことに流れは結一郎に味方していなかった。
「あの、結一郎君。少しだけでいいからしのぶちゃんの話を聞いてあげたらどうかしら」
「甘露寺師匠?」
しのぶに助け船を出してきた蜜璃。
同じ女性で仲が良いというのもあるだろうが、心情的に結一郎に非があることを直感で感じ取ったのかもしれない。
「そうだぜ。少しくらいなら派手に時間は作れるだろ?」
「宇髄師匠まで……」
蜜璃に続いて天元までもがしのぶの味方をし始めた。
もっとも、彼の場合は感情的な理由というよりは、一部事情を知っているので合理的な理由での発言だ。
『いい加減、胡蝶の怒りを発散させておかねえと地味にめんどくせえからな!』
しのぶの放つギスギスした感情は周囲に悪影響をもたらすと考えての行動だった。
全体の利益のため、ある程度の個の犠牲を許容するという何とも元忍らしい考え方である。
けっして、彼自身がしのぶの怒りが怖かったからなどではない。いいね?
「はぁ……分かりました」
感情と合理で説得されて観念したようにため息を吐く結一郎。
ここまで来てはもはや覚悟を固めるしかなかった。
「では、オハナシをするためにあちらの部屋に――」
「いえ、時間もありませんのでこの場で済ませましょう!」
場所を変えようとするしのぶだったが、結一郎はそれを拒否した。
驚くしのぶに結一郎はさらに言葉を投げかける。
「ここで、ですか?」
「ええ。すぐ終わる話でしたら大した話ではないでしょう?」
「なっ!?」
それはしのぶの怒りを煽るような言葉であった。
その後も手短に話すように告げるなど、まるでどうでもよいというような態度を見せつけているようだった。
当然、そのような態度をとられれば怒りを覚えないはずもない。
『結一郎のやつ、どういうつもりだ?』
彼のその態度に天元は不信感を覚えて口を開こうとしたが、結一郎が視線でこちらに語り掛けてきた。
曰く、『黙っていろ』と……
「……そうですか! では話というのは上弦の弐の討伐作戦についてです」
必死に怒りを抑え、話題を切り出すしのぶ。
「そのような重要な作戦、私、いえ、柱たちに連絡もなかったのは何故ですか?」
上弦の弐の討伐が事前に何の知らせもなく行われたことについて問う。
同時期に行われた上弦の弐と陸の討伐。
確証があったわけではない不意の戦といなった上弦の陸と違い、あらかじめ調査を進め確証を得て行われた上弦の弐の討伐は用意周到なものであったと聞いている。
そこまで準備が進められていたのならば、実行段階になるまでにいくらでも伝えるタイミングがあったはずなのだ。
それがなかったことを責める言葉に、結一郎の返事は非常に事務的なもので――
「お館様から許可はもらっています。作戦の実行に無関係の柱に作戦の伝達義務はありません!」
「……ッ! 無関係!?」
姉の仇を討つ作戦に無関係だと断言され、怒りが喉元までこみあげるのを必死で抑えるしのぶ。
彼女の気持ちとは裏腹に彼の言葉には一定の支持があった。
「ああ、お館様がお認めになられたのならば何を我らが言うことがあろうか」
「うむ! お館様の許可を得て作戦は無事成功したのだ! むしろ、胡蝶は何が不満なのだ?」
『作戦遂行上、通達義務はない』という結一郎の意見に賛意を示すのは行冥と杏寿郎だ。
年長者と鬼殺隊の名家当主の二人からその不満を問われたしのぶは、とうとう自身の思いを口にし始めてしまう。
「たしかに上弦の弐を討つと知らせる義務はなかったでしょう! でも、結一郎さんには私にそれを伝える義理はあったはずです! 私の、姉の仇が、上弦の弐だと知っていた結一郎さんには!」
「え、しのぶちゃん、それってどういうこと?」
困惑した蜜璃に聞き返され、しのぶは事情を語り出した。
姉を殺した上弦の弐との因縁。
その因縁を結一郎に語ったこと。
家族を鬼に殺され、復讐を誓った心境に結一郎も理解を示していたこと。
それらを語った上でしのぶは改めて結一郎を責め立てる。
「私と仇の因縁を知っていたのに! 家族の仇を討つことに理解を示してくれたくせに! それでも私に伝える義理はなかったというんですか!」
「義理……ですか。それが何の役に立つんですか?」
「なっ!」
思わず息を呑む。
「作戦に参加しないあなたへ通達するのは無意味でしかありません。仇を前にして冷静でいられるかを考えればむしろ邪魔になる可能性もありました」
「無意味……邪魔……」
あくまでも作戦遂行上の要不要のみで語る結一郎。
その冷静を通り越して冷徹な物言いに反発を覚えてしまう。
「結一郎さん、それは酷いよ。家族の仇なんだよ?」
「そうだわ、そんな言い方はないと思うわ! もうちょっとしのぶちゃんの気持ちを考えてあげたらどうなの!」
「ああ。お前はいつからそんな人の気持ちが分からない人間になった」
しのぶの肩を持ったのは無一郎、蜜璃、小芭内の三人。
かつての記憶を取り戻し、同じく家族を、兄を鬼に殺された過去を思い出した無一郎はしのぶの気持ちに共感を覚え、慈愛の塊のような心を持つ蜜璃はしのぶの悲痛な訴えに同情を覚えたのだ。
小芭内? 彼はいつだって蜜璃の味方であるからして。
「気持ちは分かるがそれは私情だろう! 私情でもって結果を出した結一郎を責めるのは酷というものだ!」
「その通りだぜェ。鬼を殺す。それ以上に優先することなんざねェだろうが」
「……胡蝶。姉の仇を討ちたいというお前の気持ちはよく知っている。だが、優先すべきことを間違えてはいけない」
逆に結一郎の側に立ったのは杏寿郎、実弥、行冥だった。
情熱家でありながらも名家として義務を果たすことに対する責任を熟知する杏寿郎に、鬼を狩ることを何よりも優先する実弥。そして、年長者として冷静な判断をくだそうとする行冥。
彼ら三人もしのぶの気持ちに理解は示しながらも、すべき義務を果たしている結一郎を責めるべきではないと庇う姿勢を見せていた。
ちなみに、天元は状況を見極めるため中立。義勇は……無表情だが状況についていけなくて内心オロオロしている。
「作戦を成功させるためだったのは仕方ないけど、そのあと逃げ回っていたのは誠意を感じないわ!」
「うむ! それは同意するが、それはした方が良いことであってやらなければならない義務ではないからな! 大変な功績を成した後にそうした配慮まで求めるのはいかがなものか!」
「義理人情は大切だと思います!」
珍しく言い争う炎恋の元師弟コンビ。
お互い情が厚いところもだが、自分の考えを貫き通すところまで似ていたりする。
「兄弟を……家族を殺されることはとても辛いことなんだ。きっとその仇を討つ時は僕は知らせて欲しいと思う。たとえ何もできなかったとしても」
「ああ、その通りだ。しかしな、無一郎。物事は感情だけで決まるわけではないのだ」
少年らしい率直な自分の気持ちを述べる無一郎と世の中の柵を語る最年長の行冥。
対照的な二人は静かに意見を交わし合っていた。
「で? お前、甘露寺がそう言ったから同意しただけだよなァ?」
「フッ、愚問だ」
コソっと小声で聞いた実弥に小芭内は胸を張って言う。
ブレないな、この蛇柱……。
お互いの立場で意見を言い合う柱たち。
その隣で、当事者であるしのぶと結一郎が言葉を交わしていた。
「あくまで必要はなかったとおっしゃるんですね?」
「ええ。その通りです」
「なら! 私は復讐心を抱えたままどうしたらいいというのよ!」
胸に残り燻る復讐心のやり場が分からないと言うしのぶ。
「もう復讐する相手は死んだのですから、それで充分ではないですか?」
しのぶの訴える言葉に対する結一郎の返事は彼女を一瞬で激怒させる、決定的な一言だった。
「お、前ぇぇぇぇ! ふざけるな!!」
「グハ……ッ!!」
しのぶの激情を乗せた右拳が結一郎の頬にめり込んだ。
男女の体格差をものともせず、一瞬体を宙に浮かすほどの威力の殴打に地に倒れる結一郎。
「きゃあああ!? だ、駄目よ。しのぶちゃん!」
「落ち着け、胡蝶!」
「離してください! 許せない!」
蜜璃と杏寿郎に体を抑え込まれながらも怒りを向けるしのぶ。
物理的に怒りをぶつけることができないならば、言葉にするしかなかった。
「私は、姉さんの仇を討つために生きてきたんだ!
姉さんを殺した鬼の顔も見ていない! どんな奴なのかすらも知らないままで!
私がこの手で殺したかったのに! 私が姉さんの仇を討ちたかったのに!
それを、私から生きる目的を奪っておいて“満足しろ”? ふざけないで!」
普段の様子をかなぐり捨てて絶叫する。
鬼気迫る様子に周囲も何も言えず、しかし怒りをぶつけられているはずの結一郎は大の字で倒れた状態で静かなままだった。
なおも無言の結一郎にしのぶは憤怒を抑えきれなくなる。
「何とか言ったらどうなんです!」
「もうやめろ、胡蝶」
叫ぶしのぶを制止したのは中立を保っていた天元であった。
「邪魔をしないでください、宇髄さん」
「これ以上無駄なことはすんな」
お前も結一郎の味方をするのかと睨むしのぶに、天元は首を横に振って答えた。
「無駄ですって! 私の気持ちは――」
「いや、結一郎もう意識ねえから!?」
「どうでもいいんですか……え?」
しばし呆然となるしのぶ。
やけに静かだと思っていたら、とうの昔に意識はなかった結一郎。
彼も殴られる覚悟はしてただろうが、想像以上に威力があったようだ。
まぁ、鬼殺隊随一の突き技が得意な胡蝶しのぶの全力パンチである。この結果はさもありなんといったところ。
「は、ははは。まったく、最後までムカつく人ですね」
言葉とは裏腹に怒りのぶつけ先を失って一気に気が沈んだしのぶは、力なく座り込んでしまった。
「私には姉さんの復讐しかなかったのに……」
「しのぶちゃん……」
燃え上がっていた怒りの感情がなくなってみれば、しのぶのその姿は何とも力なく弱々しく見えた。
今にも消えてしまいそうなその様子に、誰もかける言葉が見つからない。
いつもなら元気づけようとする蜜璃も隣に寄り添うことしかできない。
そんなしのぶに今声をかけようとするのはよっぽど勇気があるか空気の読めない人間だけだろう。
「胡蝶……」
「なんですか……冨岡さん」
そう、この場で真っ先に口を開いたのは義勇だった。もちろん、持ち前の空気の読めなさであるがゆえに。
ついでに言うと、何とも言えない雰囲気になってしまったこの場を何とかしようというやる気に満ち溢れていたりする。
その気持ちは立派なのだが、どうしてこう、会話能力がない人に限って難しい場面にしゃしゃり出てくるんだろうか……
翻訳係に意識があったのならば絶対に止めているのだが、彼は残念なことにおねんねしている。
その結果、義勇はトンデモない爆弾を放り込むこととなった。
「復讐だけの人生なんて寂しいものだ。だからそんなことは言うものじゃない
いつまでも復讐にこだわっていないで自分が幸せになれる道を探した方が良いだろう。」お前の姉もそう望むはずだ」
「冨岡さん、あなた、何を言ってるのよ!」
義勇の言葉にキレるしのぶ。
彼が頑張って考えたしのぶを励ます言葉はいつもの言葉足らずによって怒りを再燃させる燃料となってしまっている。
生きる目的が復讐しかなかった相手に『復讐なんてもうどうでもよくない?』ととれるような発言をするのは完全に先ほどまでの結一郎と同じだ。
それもそのはず、実は結一郎の先ほどまでの発言は過去に家族の仇を義勇に奪われて文句を言いに行った際に言われた言葉をマネしていただけなのだから。
つまり、義勇は過去に同じような失言で相手を怒らせていたわけである。
何やってるんだよ、錆兎が草葉の陰で泣いているぞ!「ハァ……義勇、お前ってやつは」
「幸せですって? 鬼を殺すことだけを考えて生きてきた私みたいな女が、いまさら普通の女性として幸せになれるわけないじゃない!」
「しのぶちゃん、そんなこと言わないで……」
普通の幸せを諦めるような言葉に蜜璃は思わず反論をする。
素敵な恋をするために鬼殺隊に入った彼女にとってしのぶの言葉は認めがたいもので。しかしながら、彼女としのぶとの間には差があることも自覚していた。
「甘露寺さん、私はあなたのようにはなれませんよ。憎しみと悲しみで前には進めない私には……」
その言葉を聞いて、蜜璃が感じたのはストンと腑に落ちるようなある種の納得感だった。
過去に彼女はしのぶから『甘露寺さんの明るさや笑顔に救われている』と告げられたことがある。
それは裏を返せば自分が求めている“女性としての幸せ”をしのぶが諦めていたという証拠だったのではないかと蜜璃は思った。
「そんなはずないわ! 鬼を殺すだけがしのぶちゃんの人生なんて絶対おかしいもの!」
「……甘露寺さんはやっぱり優しいですね。でも、もう遅いんです」
なおも言い募る蜜璃にしのぶは酷い事実を告げる。
「私は仇の鬼を殺すために、藤の花の毒を体中に巡らせているんです」
「胡蝶! お前、よもや!」
しのぶの言葉に杏寿郎が思わずといった様子で声を上げた。
彼だけではない。その場の全員がしのぶの意図を察して息を呑んでいた。
死を覚悟するなどという生易しいものではない。
自身の死を前提とした一種の狂気じみた執念だった。
「藤の花の毒を体にため込んだ人間にどんな副作用があるのか誰もわかりません。子供を産めないどころかまともに生きていけるかも……そんな私が“普通の幸せ”なんて得られると思いますか?」
しのぶの視線を受けた蜜璃は何も言えなかった。
深い菫色の瞳は今は深い闇を思わせるようで、気圧されるのを感じる。
「胡蝶、お前は幸せになるつもりはないのか?」
そんなしのぶに問いを投げかけたのは義勇だった。
いつになく真剣な様子の彼とは対照的にしのぶは弱々しげに言葉を口にする。
「私には無理ですよ……」
諦観を滲ませたような呟き。それを義勇は黙って聞き逃すことができなかった。
「自らの幸せを自らで見限るようなことをするな!!」
普段の無感動な彼からは想像もできないような激情を露わに一喝する。
周囲が驚く中、自らの思いを口にするべく義勇は口を開く。
いまこそ貯められていた
「鬼を殺すこと以外、自分には何もないと惨めに嘆くのはもうやめろ! そんなお前の姿を見て誰が得をする! お前の姉か? お前の
笑止千万! とでも言うように怒りすら感じさせるような口調で告げる義勇。
しのぶもまた感情的になって言葉を返す。
「勝手なことを言わないで! あなたに私の何がわかるのよ!」
「俺の姉も鬼に殺されている。祝言をあげる前日に、俺を守って!」
姉を殺された気持ちが分かるはずがないと言い返せば、義勇からこともなげに彼も姉を失っているという事実を告げられて思わず言葉に詰まるしのぶ。
そんな彼女に義勇は己の心情を吐露していく。
「俺は自分のことがずっと認められなかった。幸せになるはずだった姉を身代わりにして生き残った自分が……姉だけじゃない。最終選別では親友が命を落としてまで俺を助けてくれた」
親しい者を身代わりに生き残ってしまった事実、そしてそんな自分への嫌悪を語る。
「誰かの犠牲なしでは生き残れなかった自分が惨めで、俺が代わりに死ぬべきだったと何度も思った」
親しい者の代わりに自分が死んでいればという言葉に、何人かの柱は思い当たる節があるのか表情を曇らせる。
彼らもまた誰かの犠牲のもとに命を長らえた経験があるのだろう。
そんな自己嫌悪の気持ちを義勇は否定する。
「だがな、どんなに恥と思っても、惨めでも、生きていく限りは幸せになろうとする義務があるはずだ!」
「幸せになろうとする……義務?」
思わずといった様子で問い返すしのぶに義勇は頷く。
「俺は、いや、俺たちは死んだ者たちから何かを託されてここにいる。託されたからには次の誰かに繋げるまで、命尽きる瞬間まで精一杯生き足掻くべきだと思う」
少なくとも、最初から生きるのを諦めてはいけないのだと義勇は語った。
生き残ってしまったことに思い悩んで苦しみながらも、自分を師と慕うものや兄弟子として接する者、共に戦う同僚・仲間たちとの交流を通じて思い至った彼の信条だった。
託された死者の想い。
そう聞いてしのぶが思い出したのは姉の最期の言葉だ。
『普通の女の子の幸せを手に入れて、お婆さんになるまで生きてほしいのよ』
鬼殺隊を辞めて普通の幸せを妹が手に入れることを願った姉の最期の言葉。
しのぶはその願いを鬼への激情にかられて否定したが、その仇がいなくなった今になって強く心に突き刺さるのを感じた。
もう十分だと告げた姉の言う通り、仇を討てなくなったのだから姉の願いに従うのも悪くないのではないか。もう十分なのではないかという気持ちが頭をもたげる。
しかし、元から諦めていた希望が急に目前に差し出されて不安は消えない。
「……私みたいな女が本当に幸せになれると思いますか?」
なかば縋るような目で、ここまで自分を叱咤してくれた義勇を見つめて聞く。
問われた義勇はしのぶを励ますように手を取って力強く答えた。
「幸せにしてみせる」んだ。なれるかどうかじゃなく自分の力で」
「えっ……?」
その答えに周囲は色めきだった。
普段めったに口を開かない男が熱く語り出したと思ったら、手を握りしめて「幸せにしてみせる」宣言だ。
これはもう柱たち立ち合いの公開
そんな熱い想いを秘めていたとは……と、その場の誰もが感心し、興奮していた。
だからだろう。義勇の変化を誰もが見逃していたのは。
そう、誰も気が付いていないのだ。もう既に義勇のコミュ力ブーストが切れてしまっていることを!
普段の言葉足らずな義勇に戻っていることを知らず、しのぶは言葉を交わしていく。
「この先、子供も産めるか分からない体ですよ?」
「俺は気にしない」男はいくらでもいると思う」
「そもそもまともに生きていけるか……迷惑をかけることになります」
「遠慮なく頼ればいい」皆お前を助けてくれるはずだ」
口にする不安を、真っ直ぐに見つめながら毅然と応えてくれる義勇の姿に心が揺れる。
本人の美貌ゆえに今まで街で声をかけられることはあったものの、熱く口説かれる経験など皆無のしのぶにはとても刺激的で。
未経験の出来事にあって少し混乱したのか、しのぶは義勇に変なことを聞いてしまう。
「と、冨岡さんは私にどうしてほしいんですか!?」
口にしておいて我ながら何を聞いているのかと思うしのぶだったが、義勇は真剣な表情を変えないままはっきりと告げた。
「俺が安心して帰ってこれる大事な場所を守ってほしい」
告げられた言葉に顔が熱くなるしのぶ。
帰る場所。それも大事な。つまりそれは家庭を守ってくれという意味だろうとしのぶは受け取った。
家族を失った自分たちが新しく家族になる。それも悪くないと思ってしまったしのぶは気が付けば三つ指をついていた。
「ふ、不束者ですがよろしくお願いします……」
しのぶの結婚を了承する言葉を聞いて何より喜んだのは本人たちよりも周りの柱たちだ。
「キャー! おめでとう、しのぶちゃん!」
「うむ! めでたいな! 実にめでたい!」
「あぁ、今日はなんと良き日だ」
しのぶに祝福を述べる蜜璃と杏寿郎に感涙する行冥。
結婚相手を探すために鬼殺隊に入った蜜璃からすれば、しのぶは自分の夢が実現できると証明してみせたわけで、それはもう自らの事のように喜んでいる。
そして、真っ直ぐな性格の杏寿郎は素直にしのぶを祝福していた。
また、何よりしのぶを幼いころから知っている行冥からしてみれば、ある種娘の結婚が決まったような気持になっていて感動が止まらない状態である。
一方、求婚した側の義勇はというと、これまた周りを囲まれて声をかけられていた。が、それは祝福というよりは脅しのようなものだった。
「冨岡さん、絶対幸せにしてあげなきゃだめだよ」
「そうだぜェ。あれだけ大口叩いたんだ。結婚して幸せになるまで死ぬことは許さねェからな!」
「俺たちの前でああ言ったのだから覚悟の上だろう? それとも先ほどまでの言葉はそんなつもりじゃなかったとでも言うまいな?」
「しのぶのことをよろしくね。冨岡君。不幸にしたら許さないわよ?」
無一郎、実弥、小芭内から『泣かせるようなことしたらただじゃおかねえ』と詰められる義勇。
『なんで!?』
滅茶苦茶圧が強くて三人以上からのプレッシャーを与えられているように感じる義勇は混乱していた。
何故こうも言われなければならないのか、ではなく、気が付けばしのぶと結婚することになっているこの状況にである。
義勇としては、
「俺が怪我をしても安心して帰ってこれる蝶屋敷という大事な場所を守ってくれ」
と、言ったつもりだったのだ。
しのぶの言葉を『何を支えに生きていけばいいのか』という問いだと捉えてそう返事したつもりだったのだ。
まったくもって言葉が足りていないし頓珍漢な答えになっているのだけれど、そこは冨岡クオリティである。
そういうわけで気が付けば結婚することになっていて、しかしここで『そういうつもりじゃなかった』などとは言い出せない雰囲気になって困惑しているのだった。
『どうすれば……こんなときどうすればいい? 教えてくれ、錆兎』
心の中で親友に助けを求める義勇。
親友の錆兎ならばどう考えるかと想像したとき、義勇は答えを導き出した。
『錆兎なら“男なら女の一人くらい幸せにする覚悟を持て”と叱ってきそうだな』
「いや、流れで求婚するとか意味不明だぞ、義勇!?」
心の中の親友の言葉に従い覚悟を決める。
義勇もまた、しのぶとの結婚を心に誓ったのだった。
「胡蝶。俺からもよろしく頼む」
「……はい」
「何が、あったんです?」
慶事に場が盛り上がる中、すべてが終わった後にようやく気絶から目を覚ました結一郎。
状況が分からず首を傾げる彼に、さりげなくずっと気絶していた彼を介抱していた天元が端的に状況を告げた。
「結一郎、お前が派手に気絶してたせいで冨岡と胡蝶が結婚することになったぞ」
「……なんですって?」
自分が気絶してたら師匠が結婚決めてたとか意味不明である。
翻訳係がいなくなったタイミングで師匠がやらかすとか予想できるわけないじゃないか!
まぁ、なんだかよい方向に転がっていったので結果的に問題ないのではなかろうか。うん。
その後、藤の花の毒の副作用の可能性からしのぶが戦闘を行うことを懸念する声が上がり、しのぶは柱を引退することになったのだった。
柱が寿退社は前代未聞であるが、満場一致で反対意見はなかったという。
しのぶは蝶屋敷で医療と薬の研究に専念することが決まったのであった。
ぎゆしの派ですが、なにか?
いや、ごめんなさい。ギャグでくっつけて本当すみません!
でも、大正時代の女性の幸せが結婚だったんで、しのぶさんを幸せにするにはそうするしかなかったんです!
次回から柱稽古編です。
結一郎によって育成ノウハウを得た柱たち。
つまり彼らは地獄を見ることになります。はい。
以下、投稿が遅くなった言い訳。読み飛ばして大丈夫です。
投稿がかなり遅くなりましたがいくつか理由があります。
一つが『登場人物が多い場面で話を作るのに時間がかかった』という点です。
今回は結一郎側につく柱としのぶ側につく柱で意見が分かれたわけなんですが、誰が何をどの立場で言わせるかかなり悩みました。
話を作っていて、『この人、こんなこと言うかな?』と書き直したこと数回。
キャラのイメージから離れないようにしつつセリフを考えるのが大変でした。
ついでに、キャラの発言が増えるせいで文字数も増えていくことになってしまったり……元はその29とその30は一つの話でまとめる予定だったのが長くなって二つに分けることに。
二つ目に『冨岡さんのセリフに苦戦した』です。
言葉足らずが理由で求婚したことになるというオチは結構最初から決めていたのですが、その過程となる彼のセリフが全然思いつかなくて悩みました。
原作第一話のセリフをベースに考えてみたり、炭治郎との会話を読み返してみたりしてそれっぽい感じになるようにできたつもりです。
途中までは冨岡さん喋らないから楽だったんですが、いざ喋らせるとなると難しくて困ったキャラですよ(笑)
三つ目に個人的な事情です。
7月の中旬に急病で入院したり、8月から転職活動を始めて執筆の余裕がなくなったりしてました。
最近になって転職先も決まって私生活も落ち着いたのでこうして投稿できた次第です。
今後はまた投稿ペースを上げていけると思います。
長くなりましたが、今後ともよろしくお願いいたします