煉獄家のすれ違いをどうにかして救いたいと考えた結果がこれなんだ。
これでよかったのだろうか……
「
――煉獄邸にて
鬼との長い戦いの歴史を持つ鬼殺隊。その中でも煉獄家は代々炎柱を輩出してきた名家だ。
そのため、名家らしく煉獄邸は立派な門構えをしたお屋敷である。
そんなお屋敷の門を潜り抜ける一匹の猿の姿があった。
『鬼殺』の文字が縫われた首巻をしているその猿の名前は「
我らが翻訳係が仲間にしたお供の一匹で、今日も主の
結構な量で、
「キキッ」
「ん? おお、闘勝丸か! いつもご苦労だな。今は見ての通り鍛錬の途中なのだ。少し待っていてもらえまいか」
彼の姿に気が付いたのは炎柱・煉獄
庭で炎の呼吸の型稽古の最中であった杏寿郎は途中でやめるわけにもいかないため、闘勝丸には少し待ってもらうように言う。
闘勝丸は人語を理解できる賢い猿であるので、荷物を縁側に置いておとなしく杏寿郎の稽古を見守っていた。
その目は真剣そのもので、次々繰り出される炎の呼吸の型を必死に目で追っている。
一の型から最後の型まで順番に行う型稽古を百ほど繰り返した杏寿郎は、手ぬぐいで汗をぬぐいながら闘勝丸に声をかけた。
「すまない、待たせてしまったな。結一郎にもまた礼を言っておいてくれ」
「キッ!」
ご苦労と言いながら闘勝丸から荷を受け取っていると、彼の視線が自分の持つ木刀に注がれていることに気が付く。
興味を持った杏寿郎は、闘勝丸に質問を投げかけた。
「おや。剣術に、いや、全集中の呼吸が気になるのかな?」
「ウッキー!」
尋ねてみれば正解であったようで、闘勝丸は首を縦に振って返事をしてきた。
そのやる気あふれる目に杏寿郎もつい興が乗ってきたせいか、思わずこんな言葉を口にしてしまう。
「やる気があるのは感心感心! 結構なことだ。では、少しばかり伝授してやろう!」
「ウキキィ!」
楽しげな様子で昔自分が使っていた子供用の短めの木刀を持ち出す杏寿郎。
持ち出してきたのは長さ二尺(約六十センチメートル)より少し短い小太刀くらいの木刀だ。身長が三尺(約九十センチメートル)程度の闘勝丸には少し大きいかもしれないが、そんなことは関係なしに嬉しそうに木刀を受け取っている。
こうして、柱と猿の奇妙な稽古が始まったのだった。
――二刻後(約四時間後)
そこにはお互いに木刀を持って打ち合う杏寿郎と闘勝丸の姿があった。
“炎の呼吸 伍ノ型 炎虎”
ゴォ! と燃えるような勢いを乗せた剣撃を杏寿郎が繰り出す。
対する闘勝丸も深く呼吸をして応対する。
「キィイイイ!」
“猿の呼吸 壱ノ型
猿の身軽さと柔軟性を活かして跳躍。回避とともに鋭く切りかかっていく。
お互いの一撃を躱し、交差した後に向かい合った一人と一匹は示し合わせたように木刀を下におろした。
「ふうう、よもやここまでとは。まさか、この短時間に独自の呼吸まで身に着けてしまうとは恐れ入った!」
「ウキ?」
自分のことを不思議そうに見上げる闘勝丸を見ながら杏寿郎は感嘆に大きく息を吐いた。
最初は息抜きのつもりで、お試しで指導を始めてみたのだが、闘勝丸の覚えが思った以上に良かったせいで気が付けば杏寿郎もノリノリで教えていた。
その結果が、独自の呼吸法を使い剣術を繰り出してくる鬼殺の猿の完成である。
どうしてこうなった?
「もはや下手な鬼殺の剣士よりも強いやもしれん……いっそのこと、俺の継子になるか?」
「ウキィ?」
愉快な気分になり、闘勝丸に継子になれと勧誘する杏寿郎。
もちろん、冗談なのだけれど。
ただ、間の悪いことにそれを見ていた人物がいたのだ。
「兄上……兄上が、猿を継子に!?」
物陰からそっと稽古の風景を見ていた煉獄家次男・
彼は兄・杏寿郎のその発言を聞いてひどくショックを受けていたのだ。
猿を継子にするなんて度量が広いにもほどがある!
などという、非常識なことに対するツッコミを入れたい気持ちももちろんあったのだが、それ以上に彼自身の事情が心を責め悩ませていた。
千寿郎に剣士の才はない。
鬼殺隊の名門である煉獄家に生まれながらもいくら鍛錬を積もうとも日輪刀の色が変わらないという事実に悩んでいた彼にとって、柱になった兄は憧れの存在であり兄から認められることをずっと望んでいたのだ。
本来ならば兄の下で継子として鍛錬を積まねばならないはずなのに、と、思い悩む日々を送っていた彼の目の前で兄が「猿を継子とする」と言い出した。
それは千寿郎にとっては耐え難い事実で……
「そっか。僕の剣の才能は猿以下なんだ……」
心が折れるほどの出来事であった。それはもう、ポッキリと。
悲しいことに、彼に『いやいや、あの猿が特別なだけだから!』と、ツッコんでくれる人がいないのだ。
とぼとぼと兄から背を向ける千寿郎。しかし、一人きりになるのは嫌だった。誰かに話を聞いてほしかった。
そうなると、この屋敷にいる別の人間の下へ自然と足が向かう。
普段は酒浸りであまり近づいていない父親のところへ。
「父上、僕は剣士になるのは諦めます」
「そうか……それについては何も言わん。しかし、何かあったのか?」
泣きそうな顔で告げる千寿郎に父の煉獄
千寿郎が鬼殺の剣士を諦めることについては、柱まで上り詰めながら自身の才能に絶望して引退を決めた自分が文句は言えないと考えて賛成も反対もしない。
むしろ、末の息子が命がけの戦いに身を置かずに済むことを喜ばしく思ってすらいる。
しかし、非才の身でありながらも兄に追いつこうと努力を重ねていた姿を知っているだけに、このようなことを言い出した理由が気になっていた。
酒浸りで悪い父親をしている自覚はあったものの、完全に父親としての気持ちを捨てきったわけでもないのだ。
気が付けば槇寿郎は息子にその理由を尋ねていた。
「兄上が、兄上の継子が……」
「杏寿郎の継子がどうかしたのか?」
千寿郎の返事は、やはり兄の杏寿郎が関わっていた。
柱である兄の控えとならねばと考えて努力を重ねていた千寿郎にとって、赤の他人が兄の継子になったというのは少なからず心に傷を負う出来事だったのだろう。
いや、それでも立派な剣士が継子であれば納得は出来るはずだ。
『よもやろくでもない奴が杏寿郎の継子になったか?』
槇寿郎の中で不安が膨らむが、口には出さずにじっと千寿郎の言葉を待つ。
そして、千寿郎の口から語られた杏寿郎の継子はとても衝撃的な内容で……
「兄上の、継子が、猿だったんです……」
「ん? そいつはそんなに猿顔なのか?」
「違うんです! 本当にお猿さんなんです!」
一瞬ふざけているのかと叱りつけようと思ったが、千寿郎の表情はとても嘘をついている顔ではなかった。
がしかし、とてもではないが信じられない内容に何と判断を下せばいいのか分からず困惑するしかない。
「今も庭で稽古をしておられるので、信じられないなら見てきてください」
「そうか、分かった。少し見てくる」
悩んでいると千寿郎から、庭に
百聞は一見に如かず。己の目で見て確かめてくるのが一番だ。
酒瓶を片手に杏寿郎がいる庭へ向かう。
その先で槇寿郎が見るものとは?
「そうだ! 集中して呼吸の精度を上げろ!」
「ウッキィー!」
庭で楽し気に鍛錬に励む一人と一匹。
その姿を物陰からこっそりと見ていた槇寿郎は、その光景の衝撃に打ち震えていた。
「杏寿郎、お前本当に……!?」
自慢の息子が猿に剣術の指導をしている姿に動揺が止まらない。
相手の猿が単に木刀を振り回しているだけなら、単に息抜きの遊びなのだと、ただの余興だと鼻で笑って済ませられた。
だが、その猿は槇寿郎の目の前で“全集中の呼吸”を使いこなし、見たこともない型を繰り出してたのだ。
その光景は槇寿郎に『杏寿郎の継子は猿である』という話が真実だと確信させるには充分なものであった。
『杏寿郎、どうして猿なんかを継子に? もしや、俺のせい、なのか? 俺が才能がなければ塵同然だと言い続けてきたせいで、才能があれば猿でも気にしなくなった。そういうことなのか!?』
槇寿郎の胸に深い後悔が押し寄せてくる。
自身が息子にぶつけた冷たい言葉の数々がこの結果をもたらしたのではないかと思い悩む。
ぶっちゃけ他人が聞けば、「この親父、とうとう酒の飲みすぎでおかしくなったか?」と思われること請け合いなのだが、久しく息子とまともに向き合っていなかった槇寿郎はそう信じ込んでしまったのだ。
『すまん、
今は亡き妻に心で謝罪する槇寿郎。
妻が亡くなってからの息子たちへの扱いを思い出せば、どうして彼女に顔向けできようか。
きっとあの世から自分を見てため息を吐いているに違いないと自責の念が絶えない。
今更になって巻き起こる良心の呵責に、手が酒瓶の蓋に伸びる。
だが、彼は寸前のところで思いとどまった。
『ええい! 酒など飲んどる場合か!』
酒瓶を地面に投げつけて叩き割る。
こんなものに頼りたくなる自分が情けない!
「父上、そんなところで何をしているのですか?」
「杏寿郎……」
陶器の割れる音で父の存在に気が付いた杏寿郎が声をかけてくる。
その姿をまっすぐ見つめ、槇寿郎は告げた。
「杏寿郎、あとで話がある。夜に俺の部屋に来い。いいな!」
「はい、わかりました! 父上」
告げるだけ告げて踵を返して立ち去っていく槇寿郎。
まだ酒の残った頭で息子に向き合えるわけないと、後から時間を作ることにしたのだった。
立ち去る父親を見送り、杏寿郎はいつになく嬉しそうな顔をする。
「久しぶりだな。あのような気迫のこもった父上の顔を見るのは」
さて、どんな用事だろうか。と、笑う杏寿郎。
そんな彼らを闘勝丸は心配そうに見ていたのだった。
だって、この親子まともに会話できそうにないんだもの……
夕食を終え、日も傾いてきたころ。
杏寿郎は父の部屋を訪れていた。
「父上、お話があるとのことでしたがどんな御用でしょうか?」
真正面に座る父・槇寿郎の顔はいつになく真剣な表情で、杏寿郎も背筋を伸ばして気合を入れて対面した。
先に口を開いたのは槇寿郎だ。
「話というのはだな、お前、継子を決めたそうだな」
「はい。ようやく決まりました」
父が継子を決めたことについて尋ねてきて、結一郎の顔を思い浮かべる杏寿郎。
以前までは個性的な柱たちの人間関係を取り持ってくれていた会話能力に敬意を持っていたものの、剣士としての能力も優れていたことが分かって是非、自分の継子にと願った人物だと思っている。
「なあ、お前はそいつを継子に選んで後悔はないのか?」
「はい! 後悔はありません!」
しかしながら、目の前の父は自分の継子に不満があるというのが伝わってきた。
『むぅ。何故だか父上は結一郎に対して不審があるようだ。どうにかして結一郎が良い男だと分かってもらわねば』
自分の継子を父親に認めてもらおうと、言葉を尽くして説得しようと決意する杏寿郎。
一方で、槇寿郎は杏寿郎の言葉を聞いて内心で頭を抱えていたりする。
『猿を継子にしたことを後悔してないだと!? こうもハッキリと断言するとは……ぐっ、どうやって杏寿郎の心を変えられる?』
息子が猿を弟子にしていると思い込んでいる槇寿郎は、何とか猿を継子にするのをやめさせようと言葉を紡ぎだそうと悩んでいる。
この親子、会話のしょっぱなからすれ違っていた。
「父上、俺の継子は才能のある優秀な剣士です。将来柱になることは確実だろうという実力があります」
「そうなのか!?」
自分の継子である結一郎を認めてもらおうと、普段から父が重視している才能を前面に押し出して猛プッシュする。
槇寿郎にとっては息子が猿を猛烈に推してくるようにしか感じられないのだが。
猿は継子じゃないんですよ、お父さん……
『あの猿にそこまでの実力が!? いや、実力があるだけで柱など認められるはずもない!』
はいそうですか、と、頷けない槇寿郎は杏寿郎に厳しい言葉を投げかけて反論する。
「才能だけあっても柱は務まらんぞ。柱というのは他の剣士たちの模範とならねばならん」
「いいえ、心配ありません。彼は人格も優れていて、俺の継子になる前から柱合会議に参加して柱たちの人間関係を円滑に進めるように配慮してくれるような男です!」
「な、なんだと!?」
猿相手なら人格面から攻めてみれば考え直すと思って見れば、何と、人格も優れていると返ってきて驚愕させられる。
しかも、聞いてみれば以前から柱合会議に参加して会議を円滑に進める役を持っていたというのだから信じられない。
というか、猿が会議を進めるってどんな風景なのか思い浮かばない。
いや、実際に円滑に会議進めてる奴は人間ですけどォ!?
槇寿郎が混乱しているところへ、たたみかけるように杏寿郎が言葉を重ねて自分の継子を推してくる。
「そういう男ですから、他の柱にも目を掛けられているのです。実は彼は俺一人の継子ではなく他の六人からも継子として指導を受けてます」
「他の柱たちもか!?」
猿が他の柱たちにも継子として認められているだと!?
と、さらに混乱が加速する槇寿郎。
息子だけでなく他の人もと言われればだんだん、自分の方がおかしいのではないかと不安になってくる。
『い、今の鬼殺隊はそうなっているのか? いや、そんなはずはない! 仮にそうだったとしても止めねばならんのだ!』
引退した身だとしても、猿が柱になるなど認められぬと義憤を燃やす槇寿郎。
誰か、誰か彼にそれが勘違いだと教えてやってくれ!
「お前の継子がたとえ、それだけ優秀だったとしても、あんな猿など認められるか!」
「む! 父上、あんな猿などと彼を侮辱する言い方は止していただきたい!」
「猿は猿だろうが!」
自分の弟子を猿扱いされたと、さすがに口調が荒くなる杏寿郎。
しかし、槇寿郎は相手は本当に猿だと思い込んでいるので、間違ったことは言っていないと激昂する。
会話のキャッチボールというが、お互い違う球を投げ合っているような状況では文字通り話にならない。
結局、全集中の呼吸を使った親子喧嘩にまで発展してしまうのだが、最終的には誤解がとけたのでこの話はめでたしめでたしで終わったのだった。
後日、育手として後進を育成しながら、自分が駄目にしてしまった“日の呼吸”についての文献の復元と研究に勤しむ槇寿郎の姿があったという。
また、それを手伝う千寿郎の姿もあったとか。
こうして、煉獄家にあった蟠りは解消されたのだった。一匹の猿によって……
オマケ「そのころの翻訳係」
――とある任務中にて
「はっ! 何か自分が仕事しなければならない状況が起きている気がします!」
何かを感じ取ったように顔を上げる結一郎。
横にいた佐藤隊士が不思議そうに首を傾げる。
「仕事をしなければって、仕事してるじゃないですか。さっきも鬼を狩ったばかりですよね?」
「いえ、そうなんですけれど。求められている仕事が違うというか、もっと、こう、自分が必要とされている場面に自分がいない感覚といいますか……」
モヤモヤした感じを覚えて落ち着かない結一郎。
そうなんだよ!
今まさに言葉が通じてるのに通じてない人がいるんだよ!
翻訳係が必要なのは
翻訳係ミニコソコソ話
この話を書く際のアイデアメモ「煉獄家救う方法 猿 継子 アンジャッシュ」
夜寝る前にパッと思いついてメモった内容を朝見て頭を抱えたのは良い思い出。
感想で結一郎がいつかオリジナルの呼吸を使うと予想されてる人がいたけれど、最初に登場したオリジナル呼吸の使い手が猿だとは誰も予想できまい。
てか、人間以外に全集中の呼吸使わせたのは初ではなかろうか?
ちなみに闘勝丸の名前の由来は孫悟空です。
炎柱・煉獄 杏寿郎の継子は?
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和 結一郎
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竈門 炭治郎
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煉獄 千寿郎
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甘露寺 蜜璃
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闘勝丸