「明日香、見て見てー!」
「あっ、明日香、ちょっとこっち来て!」
「明日香、これランダムスターって言うんだって! すっごいキラキラドキドキしてる!」
「今度のライブ、絶対来てね!」
「ねぇねぇ明日香、これどっちがいいと思う?」
─これはなんだろう。
春の日差しのような心地良い感覚を全身の感じながら、何処か夢見心地で現状を把握しようとする。
聞こえるのは、同じ人の、同じ声。輝かしくて、愛おしくて、好きで好きで堪らないのに、耳にしたくない声。
「ねぇ、明日香」
「何、おねーちゃん?」
聞こえてくるのは、貴女との最後の会話。
「次会ったら、天体観測にでも行こっか?」
星のステッカーをこれでもかとばかりに貼られたスーツケースに衣服や小物を詰めながら、貴女は私にそう言った。
「うん、良いよ」
特に拒否する理由のなかった私は、スマートフォンに目を落としながらそう答えた。
「じゃあ、5日に行こう」
貴女はスーツケースを鍵できちんと閉めて、次の用意をするべく立ち上がった。
「なんで5日? 帰ってきた次の日とかでいいんじゃない?」
言葉の意図がわからず、私は手元から目を離し、貴女を見た。
夜空のように輝く貴女の瞳からは、残念ながらその真意を汲み取ることは出来なかった。
「5日じゃないと嫌なの!」
そう言って、にこりと、真っ白な歯を惜しげもなく見せて笑った。片頬に出来たえくぼが妙に目についた。
「まぁ、いっか。じゃあ5日に行こ。何年後かは分からないけど」
「きっとすぐ帰ってくるから、待っててね。それともやっぱり寂しい?」
意地悪そうに、でも楽しそうに笑う貴女に、思わず緩む頰を自覚しながら、返事を返した。
「私よりも彼氏さんの心配をしてあげたら?」
「あの人なら大丈夫!」
「本当? 帰って来た時浮気してたらどうする?」
「全力で引っ叩く!」
鼻息を鳴らして、胸を張って彼女はそう言った。
「でも、その相手が明日香なら許すかな」
それを聞いて私は苦笑した。それに貴女もつられて笑う。
何気ない日常的。ずっと続くと思っていた日常。
やがて、貴女の姿がどんどん朧になっていく。
夜霞のように、彼女は消えていく。
─嫌。やめて。行かないで。
まだ、貴女の声を聞いていたい。この微睡みに浸っていたい。醒めない夢を見続けたい。貴女に溺れていたい。
足りない。何もかもが足りない。貴女と過ごした月日も。貴女を交わした言の葉の数も。心を揺さぶった歌声も。共に歩んだ大地の数も。
もっと一緒にいたい。一緒に笑いたい。泣きたい。苦しみたい。感情を分かち合いたい。なんでもいい。貴女の人生になりたい。
─お願い。お願いだから、いかないで。
目が覚めた。
デジタルの目覚し時計が、無機質に騒いでいる。
暑い太陽の光がカーテンの合間を縫って、部屋に灰と白のコントラストを与えている。
重たい頭で、アラームを止める。7月14日の午後1時だった。
耳には今もあの人の声が反芻している。耳を塞いで、ベッドから立ち上がる。枕とシーツがしわくちゃになって濡れていた。
首元が緩んだTシャツを少しだけ正して、気だるげに頭を掻く。
なんてことのない、いつもの朝だった。
私が覚えているよりは静かで、落ち着いた、虚しい朝だった。
寝ぼけ眼に、冷たい水を叩きつけ、無理矢理意識を覚醒させる。
部屋に戻り、部屋に戻ると、携帯が鳴った。
「もしもし、やっと起きた?」
手に取ると、男の人の声がした。
「ついさっき」
着替えを選びながら、ぶっきらぼうに私はそう答えた。
「今日、ご飯食べに行かない? もちろん、おごるよ?」
電話越しから、遠慮がちな声が聞こえた。そう言えば、姉は彼にはもっと自信を持って欲しいと愚痴をこぼしていたっけ。
何年たっても変わらない彼に呆れながらも、少し嬉しかった。
「ごめん。今日は予定があるんだ。今日はなんの日か、貴方なら知っているでしょう?」
彼を少し試す気持ちで、そう返した。
「うん? ああ、そうか。今日だったのか。ごめんね、一緒に行けなくて。お盆には必ず行くから」
一瞬思考を停止させてから、すぐに思い至ったらしく、申し訳なさげに彼は言った。
「仕方ないよ。貴方は海外にいるんだから。日付は忘れてなくても、日本とそっちじゃ時差があるからね。寧ろお盆に帰って来てもらえるだけでもありがたいよ」
それから少し軽口を交わしてから、電話を切った。
通話中にあらかた決めておいた服を着て、一階のリビングに行く。
リビングは他の部屋同様静かだった。朝日に照らされていくつもの埃が眠たげに漂っていた。
やけに響くテレビの声を聞き流しながら、イチゴジャムを塗りたくったトーストといくつか角砂糖を混ぜたコーヒーを飲む。
父と母はとうに出払っていた。姉はもういなかった。
テレビを消した。沈黙がうるさい部屋の中で、黙々と咀嚼を続けた。
食べ終わって、食器を片付けても、予定した時間までまだ少し時間があったので、適当に本棚から本を引っ張り出して読んだ
3冊目の半ばあたりに差し掛かった頃、すっかり日焼けした古臭い紙に夕陽が射し込んで来て、だいぶ時が過ぎていたことを理解した。
切りのいいところまで読んで、栞もささずに本棚に戻した。小さなカバンに必要なものだけを詰めて、家を出た。太陽は橙色に染まっていて、真上には早くも一等星が瞬いていた。
途中で商店街により、花を買った。相手をしてくれた店員は、私を見て今年も悲しそうだった。
そのまま、人気の無くなった道を街灯に沿ってゆっくりと進んでいく。不意に、鳥の羽ばたく音が聞こえた。空を見上げると、小さな影がまばらに光る星々に溶けていった。
─貴女を動物に例えるのなら、なんだろうか。
突拍子もなくそんなことを思った。
人懐っこかったから犬だろうか。特徴的な髪型をしていたから猫だろうか。澄んだ歌声をしていたからカナリアだろうか。色々な動物を貴女に重ねてみたが、どれもあまり腑に落ちなかった。
そのまま50メートルほど歩いただろうか。家で読んでいた本の世界から、一匹の動物が頭に飛び込んできた。
誰よりも優しく、綺麗な心を持ち、鷹のように大きな翼で、遠い遠い夜空を羽ばたき、星となったよだか。貴女はよだかのように不細工な顔をしていなかったけど、貴女ほど自分らしく生きた人間を私は知らないし、貴女の声も、よだかの声も、星の輝きのように時に力強く、時に儚げに、貴女らしく言うならば、キラキラドキドキした声をしていた。
思案に耽りながら歩いていると、目的の場所に辿り着いていた。街の中心から離れているせいか、夜空には先ほど見た時よりも多くの星が煌めいている。
暗くなった道を注意深く歩き、お目当てのところへ歩く。最初は半泣きで来ていたが、何度も来ているうちに慣れてしまった。
少し歩いた先にあるのは、私の家族のお墓。ここには、父でも母でもなく、姉である戸山香澄が眠っている。
姉は、高校を卒業した後も、Poppin’Partyとしての活動を続けていた。大学2年の夏あたりにレーベルと契約し、メジャーデビューを果たし、勢いそのままに全国ツアーを達成した。
そして、大学を卒業するとともに、無期限の活動停止を発表をした。決して仲違いなどではなく、それぞれがそれぞれの道を歩むためであった。そして、またお互いの道が重なり合った時、また共に
ドラムを担当した山吹沙綾さんは家業であるパン屋を継いだ。
キーボードを弾いていた市ヶ谷有咲さんも質屋を継ぎながら、バンド時代に稼いだお金で新しく自分で企業を立ち上げた。
ベースの牛込りみさんは姉を追うようにして海外へ渡った。
ギターの花園たえさんはフリーのギタリストとなって、あちこちのバンドのサポートをしている。でも、未だにバンドには所属していないらしい。彼女曰く、「私はPoppin’Partyのリードギターだから」らしい。
そして、私の姉で、Poppin’Partyのリーダーであり、リズムギターであった戸山香澄は、天文学を学ぶために海外へ留学すると言った。
「みんなと一緒にキラキラドキドキした日々は一生の宝物だよ。りみとも、おたえとも、沙綾とも、有咲ともずっと一緒にいたい。でも、それじゃダメなの。もっとキラキラいっぱいしたものを知りたいの。そのためには、今のままじゃいけなくて、色々な事にチャレンジしなきゃいけないと思うの」
活動停止を発表した日の晩、問い詰めると、貴女は朗らかに笑って夢を語ってくれた。
何も、もう永遠に彼女たちが集まらないわけじゃない。彼女たちがそう出会ったように、きっと、運命に導かれて、彼女らは再び最高の武器を手に持ち、彼女たちだけの
結果から言うと、Poppin’Partyが再び活動を開始することは永遠に無かった。
理由は、リーダーの死亡。海外へ渡るために乗った飛行機が事故を起こし、貴女を含む乗客は全員命を落としてしまった。
それを聞いて、最初は涙が出てこなかった。本当は全部嘘で、彼女は今も遠く離れた国で私たちと同じ空を見ているんだと思っていた。
奇跡的に残った遺骨を目にしても、瞬く間に執り行われた葬式もお通夜の時も、何処か上の空の気分で、心に穴が空いたような、そんな気持ちだった。
でも、事が落ち着いて、静まり返った家を眺めた時、もう、貴女は居ないんだって、もうあの慌ただしくて、騒がしくて、楽しそうなあの声を、もう聞くことが叶わないんだと肌で感じた時、空いた穴から言葉では表せない、どうしようもなく遣る瀬無い気持ちが、涙となって、声をなって溢れ出した。
それから、もう何年経っただろう。姉の面影を追い求めるように、彼女の想い人は私の想い人になっていて、貴女のいたバンドは伝説呼ばわりされていて。でも、あの時、最後に交わした約束はまだ果たせてなくて。
ゆっくりと、丁寧に水で暮石を拭き、線香を焚く。そして、道すがら買った花を添える。
イフェイオン。勉強はあまり得意ではないのに、この花の名前と花言葉だけは彼女はすぐ覚え、よく好んだ。
天ノ川のような群青の花びらを持つ花束をそっと置いて、供物として、星の髪留めを置く。大層なものではないが、貴女ならきっと喜んでくれるだろう。墓石の隣に腰を下ろし、空を見上げる。
デネブ、アルタイル、ベガ。夏の大三角が果てしない夜空に一際強い光を放っている。真上には天ノ川が流れていて、静寂に包まれた霊園に時間の流れを感じさせる。
北の空には、カシオペア座が浮かんでいる。あはそこでキラキラと輝いているのだろうか。
「誕生日おめでとう。おねーちゃん」
ぽつりと、それだけを夜空に零した。カシオペア座が呼応するように一際明るく煌めいた。
約束はまだ、果たされていない。私が適当な月の5日に来て、ここで天体観測をすれば良いんだろうけど、そうじゃないのだ。
おねーちゃんが帰って来てから次の5日。そうじゃないと、この約束は意味を成さない。
私は生きていく。静かな日々を。色褪せてしまった日常を。明日も、明後日も、来年も。約束を胸に、貴方が帰ってくる日を信じて。
─だから、いつかのいつかはまたいつか
イフェイオンの花言葉とか、数字の「5」の意味とか、調べてみると面白いかも。それがこの話とどういう繋がりを持つかは、貴方の御想像次第ということで。