斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。   作:蒼井夕日

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prologue 桜が散る季節に

 「あーやー、さっきからわたしの話聞いてるの~?」

 「聞いてる聞いてる。比企谷先輩が大好きでしょうがないって話でしょ?いろはの惚気話なんてもう聞き飽きたよ」

 「全然聞いてないじゃん!ちがうの!先輩がひどいって話だよー」

 

 間延びした声でゆさゆさと私の体を揺らしてくるいろは。何やら珍しく比企谷先輩と喧嘩してご機嫌ナナメな様子だけど、聞かされるこちらの身にもなってほしい。だって、そのほとんどが愚痴と見せかけた惚気話なんだもん。彼氏のいない私のライフポイントはもう残ってないよ……。こんな時は適当に聞き逃してやり過ごすんだけど、そんな私の態度が気に食わないみたいだ。

 酔っているせいもあって、呂律も回っていない。

 

 「それで、何がひどいって?」

 「一昨日わたし誕生日だったじゃん。四月十六日。一年に一回きりの記念日じゃん!?お祝いしてくれるのかなーとか、ご飯誘ってくれたりするのかなーとか、楽しみにするじゃん!なのにね!忘れてたのあの人!もうばーかばーか!先輩のばーかぁ!」

 「ちょ、声でかいし……」

 

 ビールジョッキ片手に叫び散らすいろはに、周りも苦笑いせざるを得ない。 

 そう。一昨日四月十六日はいろはの20歳の誕生日だった。私も靴下と香水をプレゼントしたんだけど、さっそく今日使ってくれてるみたいでちょっぴり嬉しかったり。

 そして、今日は人生初のお酒でさっそく酩酊なさってる様子。たった一杯飲んだだけでこれなんだから先が思いやられるよ。

 

 あ、自己紹介が遅れました。

 私は稲本綾香、19歳。いろはと同じ千葉の大学に通ってる2年生です。いろはとは一年のころからサークルが同じでそれからずっと友達。

 今日は新歓の飲み会でとあるお店に来ているんだけど、たまたまテニスサークルの新歓と被って同じ席で歓迎会が開かれています。テニスサークルの中でもガチ勢とエンジョイ勢の派閥で分かれているんだけれど、今同席しているのは後者の方で。

 こうやってお酒に酔う女の子を狙う人たちもいるわけで……。

 

 「へー、その先輩って人ちょっとひどいね。こんな可愛い子を蔑ろにするなんて。ねえ、どうかな?俺はこう見えて結構一途なんだけど」

 

 酔ってるいろはを狙ってたのか、違う席から引っ越してきたテニスサークルの部員。喋り方から想像できると思うけど、かなーりチャラめのやり手っぽいです。しかも、そこそこルックスがいいのが質悪いです。

 

 「……誰?」

 「誰って……はは、直球だな。そういうストレートなところもいいね。俺は三回生の吉田だよ」

 「そうだったんですねー!結構モテそうですし彼女さんとかいるんじゃないですかぁー?」

 

 はい、出ました。いろは得意の猫かぶり。

 比企谷先輩と付き合ってからこうやって猫かぶるのもやめたらしいけど、今日は酔ってる上に比企谷先輩と喧嘩中でやけになってるところもあるらしい。いろはの代わりに解説すると、男子は「モテそう」と言われると嬉しくなるし、「彼女いるんでしょ~?」と聞かれれば「もしかして俺のこと好きなんじゃね?」と勘違いするものらしい。高校時代はこうやって男を手玉に取っていたと聞いたときは、もし私が同じ高校通ってたら絶対良くは思ってなかったと思った。まあ今ではそういうとこも凄いと思ってしまうんだけど。

 

 「いやぁ、まあ実は俺も彼女とちょっと倦怠期?みたいな感じでさ。そろそろ別れ時かなーって」

 「へ~」

 

 あれ、さっきコイツ自分のこと「一途」とか言ってなかった?彼女いるくせに声かけるとか一途の意味知らないんじゃないの?みたいな相槌を打ついろはさん。しかし男の方は気づいていないみたい。

 

 「お互い彼氏彼女のことで悩んでる同士だし話聞くよ。その彼氏より良い男、知ってるから」

 

 さりげなく一歩分いろはと距離を詰めて、吐息多めの声でいろはに言う。その男の視線がさっきからいろはの胸元とか太ももを舐めまわすように見ているのは一目瞭然。友達としてさすがに止めなきゃなんて思っていると、いろはは持っていたビールジョッキをドンとテーブルに叩きつけた。

 

 「先輩よりカッコイイ人なんてこの世にいないからっ!!」

 

 あちゃー、完全にやっちまってるよこの人……。

 仕方ない。この様子だといろはは一人じゃ帰れなそうだし、そろそろ比企谷先輩に連絡しよう。

 

 「あー、もしもし、夜遅くにすみません。稲本です」

 『なに、どうしたの』

   

 スマホのスピーカーから、低くてぶっきらぼうな声が響く。一見塩対応にも思えるけど、この人の場合これが通常運転だから気にしない。

 

 「いろはが飲み会で潰れちゃって。大学のすぐ横の飲み屋さんなんですけど、今から迎えに来ていただくことって出来ますか?」

 『はぁ?いや、知らんし。ほっとけばいんじゃないの。自業自得でしょ』

 

 いろはの名前が出ると、今度こそあからさまにぶっきらぼうな声で言う。比企谷先輩は結構サバサバしてそうなのに、喧嘩のことはまだ根に持ってるのかも。

 でも、近くで散々見せつけられた私ならわかるのだ。

 

 「いろは、かなーり酔ってるんですよ。しかもこの見た目じゃないですか。今テニサーの人に無理やりお持ち帰りされかけてるんですよねー」

 『………………すぐ行く』

 

 私がありがとうございますと言うよりも早く、ぶつっと電話が切られる。

 ふふん。どうですか。これが私の誘導術ってもんですよ。比企谷先輩、なんだかんだでいろはのこと心配してるんです。まあいろはが他の男にホイホイついていくわけないんだけど、嘘は言ってないよね。うんうん。

 

 そして時間が経つこと10分。比企谷先輩が息を切らしてやってきた。

 こっちこっちと手を振ると、比企谷先輩は軽く会釈をして向かってくる。

 

 「おい、飲み過ぎだ。帰るぞ」

 「…………へ?せんぱい?」

 「稲本、わざわざすまんな。世話かけて」

 「いえいえ、全然いいですよー。慣れてるんで」

 「ほら、早く行くぞ」

 

 いろはの腕をぐいっと引っ張って行こうとする比企谷先輩に、いろはは何が何やらと困惑している。そんな二人を見てか、ついさっきまでいろはをナンパしてた吉田という男が比企谷先輩の腕をがしっと掴んだ。

 

 「待てよ、いろはちゃん困ってるだろ」

 「あ?」

 「あ、いや……なんでもないっす……はは……」

 

 しかし持ち前の目つきの悪さを活かしてナンパを一蹴。う~ん、知り合いじゃなかったら普通に私もビビってたところだよ。まあでもそういうとこにいろはも惹かれたんだろう。だって、今のいろは、王子様に連れ出されるお姫様みたいな瞳してるもん。

 

 「ちょ、ちょっと……」

 「…………」

 

 お店を出ていこうとするお二人さん。私もそろそろお暇したい頃だったのだ。乗るしかない。このビッグウェーブにッ!!

 

 「い、痛いですって先輩!」

 「ん、おお……すまん」

 「もう…………。…………………………はれ、なんで先輩がここにいるんですか?」

 「まだ酔ってんのかよ……」

 

 比企谷先輩はやれやれとため息をつくと、私のほうを見てくる。

 

 「稲本から電話来たんだよ。迎えに来いって」

 「そうだったんですかぁ。…………むっ!いつの間に二人そんな連絡を取り合う仲に!!むーっ!」

 

 千鳥足で私の顔を覗き込んでくるいろはに、比企谷先輩はごつんとチョップをした。

 

 「今回みたいなことになるかもしれないからあらかじめ交換してたんだよ。いや、その前に言うことあるでしょ。何?あの頭の悪そうな飲み会。別に飲み会くらいはいいけど、ああいう偏差値低そうなのはダメって言わなかった?案の定この有様じゃねえか」

 「ら、らってぇ…………」

 

 彼氏さんに説教をされて落ち込むいろはの図がこちらです。いや、偏差値低そうな飲み会て。言葉選びのセンスどうなってるのこの人。

 それに、いろはの舌ったらずなとこが酔っているせいなのかそれともわざとなのか、測りかねるところだ。とにかく可愛いから良し。

 

 「歩けるか?」

 「バカにしないでください。ぜーんぜんあるけまぁーす」

 「いや全然歩けてないから電柱ぶつかるから」

 

 あやうく電信柱に衝突しかけたいろはの首根っこを掴む比企谷先輩。もう完全に猫の親子だよこの二人。

 

 「ん」

 「……なんですかそれ」

 「何って、おんぶだけど。歩けないでしょ」

 「やです」

 「はぁ?」

 「一人で歩けますし」

 「ああ、そうですか」

 

 おんぶ体制から立ち上がろうとする比企谷先輩に、いろはは「むー!!」と頬を膨らます。きっと誕生日忘れられたことをまだ根に持ってるんだろうなぁ。と思ったけど、「諦めるの早すぎダーイブ!」とか叫びながら立ち上がりかけた比企谷先輩の背中にジャンピングダイブ。ていうかもうタックルだった。ラグビーみたことないけどラグビー選手かよとか思った。

 

 「いや、重っ。なに、なんなの。どっちなの」

 「…………」

 

 何も言い返さないいろはに、比企谷先輩は「女子むず……」と肩を落とす。まあ同じ女子としていろはの気持ちはよくわかる。比企谷先輩には一生わからないことだろう。

 

 「………………やば、今の反動で何かが込み上げて来た……」

 「おい、それこの状況で絶対込み上げちゃいけないものだから。絶対我慢して。お願い」

 「くっくっく……。この服がどうなってもいいのかい……」

 「こいつ酔うとめちゃくちゃめんどくせえな……」

 

 まあこんな感じでしっかりと会話からハブられる私。この光景が今日に限ったことじゃないんだから困る。あれ、私何分間喋ってないっけ?

 とか思ってると、しっかりといろはをおんぶした比企谷先輩は私に振り返った。

 

 「稲本、今日は助かった。帰り大丈夫か?心配なら送るぞ」

 「あ、私はすぐそこなので大丈夫です。帰り、気をつけてください」

 「そうか」

 

 う~ん、この状況でもしっかり私にも気を配れる辺り、意識はしてないんだろうけど中々やるなぁ。本人は学校内で孤高を貫いているらしいけど、女子の間で隠れファンとかいても不思議じゃないと思う。身長高いし、顔もそこそこ整ってるし、すらっとしてるし、気配りできるし。…………あれ、この人もしかしてかなりハイスペックなのでは……?

 まあ、わたしの好みとは違うんだけどね。でも、いい先輩ではある。と思う。

 

 「いろはをよろしくお願いします!」

 「おう。気を付けて帰れよ」

 「あや~、また明日~」

 

 起きてるのか寝てるのかわからない虚ろな目のいろはが、比企谷先輩の背中からひらひらと手を振ってくる。

 そんな二人が見えなくなるまで見送ってから、私は自分のアパートに足を向ける。

 二人とも、付き合ってもう4年になるらしいけど、4年目とは思えないほどのラブラブ具合で何よりだ。何度か倦怠期もあったみたいだけど、それも克服して、今ではもう良いおしどり夫婦って感じ。きっと誕生日の件だってすぐ仲直りするよね。

 

 あぁ、いいなぁ。羨ましいなぁ……。私も彼氏欲しいなぁ……。

 

 

    ▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 一色を担いで歩くこと少し。人通りが少なくなったころだ。

 背中に乗る一色がすぅすぅと小さな寝息を立て始めた。

 あれだけ飲んで騒いだらそりゃこうなる。しかも初めての飲酒でちょっとだけテンションが上がっていたらしく、立派な飲んだくれの完成である。将来は有望な海賊王になること間違いなしだな。なるとすればハスハスの実の能力者かな?何それ絶対卑猥っ!

 

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと一昨日のことを思い出した。

 俺が誕生日をすっぽかしたせいで、昨日一色と喧嘩をしてしまったのだ。いや、まあ俺も悪いとは思ってるけど、一昨日は遅くまでバイトがあったせいで疲労のあまり帰ってすぐに寝てしまったのだ。仕事だったんだから仕方ないでしょ。俺がそう言い返した所で、見事喧嘩の成立である。うーん、完全に俺が悪いですねぇ。

 

 ただ正直、誕生日を忘れたくらいでそんな怒るものかとも思ってしまう。しかし男と女で誕生日の重要度は違うのだろう。20歳の誕生日ならばなおさらだ。

 一度一色を背負いなおして、寝ているとはわかっていながらも口を開いた。

 

 「いつもありがとうな」

 「…………まあ起きてるんですけど」 

 「え、ちょっとまって、起きてたの?忘れてくださいお願いします」

 「ふふん、しっかり聞いちゃいました。こちらこそ、いつもありがとうございます」

 「…………」

 「………………なんか、改めて言うのはちょっと照れ臭いですね。良くこんな恥ずかしいこと言えましたね、先輩」

 「うるせぇ……」

 

 くっ……、とんだ失態だ。耳と顔が一気に熱くなる。こうしてまた黒歴史が一つ増えてしまった。あー、死にたい。

 

 「そんなことより、初飲み会はどうだったの」

 「ん~、なんかびみょーでしたねー。あやがいなかったらふつーに帰ってました」

 「ほーん……」

 「急にそんなこと聞いてきてどうしたんですか?」

 「別に、なんでもねえよ」

 「えぇー、なんか怒ってません?」

 「いや、怒ってないから」

 「いやいや、その感じ絶対怒ってますから」

 「俺の感情を勝手に決めつけるのやめてもらえる?」

 「…………はっはーん、もしかして先輩、妬いてるんですか~?」

 「……別にそういうんじゃねえよ。さっきも言ったけど、ああいう頭の悪そうな飲み会は頭の悪い奴しか集まらないからダメだ。見境なく手出す奴もいるからな」

 「やっぱ妬いてるじゃないですか。先輩かっわい~」

 「…………」

 「……ごめんなさい、冗談が過ぎました。ああいうのはもう行きません」

 「わかればよろしい」

 

 本日何度目かの説教に、一色は反省の色を見せるように謝罪する。

 別に嫉妬なんてものじゃない。

 自分の彼女が飲みの席に参加すれば誰だって心配になるし、言い寄られているとなれば腹も立つ。さっき一色に声をかけていたあの男の顔を想像するだけで横っ面ぶん殴りたくもなるし霊長類最強の女子を召喚したくもなるハイこれは完全に嫉妬です。

 

 「ていうかですよ」

 

 語気強めに、今度は逆に俺に説教をするような声音で一色は口を開いた。

 

 「わたしが先輩以外の男にホイホイとついていくとでも思ってるんですか?」

 「いや、そういうわけじゃなくてな……」

 「わたしがどれだけ先輩のことを愛しているか先輩は知るべきです!」

 「街中でなに言ってるの?普通に近所迷惑だようるさいよ?」

 「…………わたしをお持ち帰りしていいの、先輩だけなんですから」

 

 甘やかな猫撫で声が耳元をくすぐる。

 不覚にもドキりとしてしまったが、次の一色の言葉でそれは泡沫に消えた。

 

 「まあ今まさにお持ち帰りされてる最中なんですけど!なんちゃって!」

 「うわぁ……」

 

 酔っ払いクソめんどくせえ……。

 

 「んふふ~、せんぱぁい、せんぱぁ~い」

 「ちょ、頭揺らさないでくれる?髪の毛くすぐったいんですけど」

 「だってぇ、なんか嬉しくって~」

 「…………そういえば、大分伸びたな。高校の時はもっと短くなかったか?」

 「先輩が長い方が好みって言ってたからですよ?」

 「全然覚えてねえ……。別に自分の好きな髪形にすればいいだろ。髪型が変わったくらいで…………」 

 「くらいで…………?」

 「……なんでもない」

 「えぇ~!?最後まで言ってくださいよぉ!こんな中途半端にときめかせるとか半殺しもいいとこです」

 「……人は髪型が変わったくらいで中身まで変わらない。人の性格はそう簡単に変えられないからな」

 「ああそういうの今はいいんで」

 「あ、はい……」

 

 俺のありがたい啓蒙をばっさりと切り捨てる一色さん。

 ついさっきまで喧嘩中だったことがまるで嘘かのような空気になり始めたが、しっかりと俺が謝るべきだろう。今回に関しては俺が100パーセント悪いし。

 

 「……一昨日、すまなかった。また別の日に埋め合わせする。どうかそれで許してください」

 「仕方ないですね。わたしは寛容な彼女なので、許したげます」

 「そりゃどうも……。なんか欲しいものとかあるか?」

 「それは自分で考えてください。サプライズサプライズ~。女の子なんてサプライズしときゃなんでも喜ぶってもんですよ。まあもらったプレゼントが全然いらないものだったら普通に幻滅しますけど」

 「闇深すぎません?」

 「先輩にもらったものならなんだって嬉しいですから」

 「……そうですか」

 「ふふ、耳が赤くなってますよ~」

 

 どうやら一色さん、夜風に当たっているうちに少しずつ酔いが覚めて来たらしい。

 そんな話をしている間に自宅に到着。もちろん一緒に住んではないのだが、一色が去年の四月に俺の部屋の隣に引っ越してきやがったので、今では彼氏彼女ってより仲の良いお隣さんのような感じは否めない。

 

 「今日くらい先輩の部屋に泊めてくれてもいいじゃないですかぁ」

 「だめです。どっちにしろ毎朝こっち来てんだし変わらんでしょ」

 「むー」

 

 鍵を開けてもらって、部屋に入る。

 一色がうちに来ることは何度もあるが、俺が一色の部屋に入ることがほとんどないので少し緊張してしまう。実家暮らしの自室と変わらない、いかにも女子っぽい部屋だ。

 暗い部屋を慎重に歩いて、一色をベッドの上にそっとおろす。

 

 「寝る前に水飲んどけよ。あと歯磨きも」

 「いつもすまないねぇ」

 「それは言わない約束でしょ。んじゃ俺は自分の部屋いくから」

 「え、もう行っちゃうんですか?」

 「行くけど」

 「酔った女の子と部屋で二人きりですよ?先輩は何を考えてるんですか。襲うなら今がチャンスじゃないですか。常識的に考えてくださいよ」

 「そんな常識があってたまるもんですか。ていうか何とんでもないこと言っちゃってるの?」

 「わたしたち、付き合ってもう四年も経つじゃないですか」

 「……まあ、そうだな」

 「それなのにまだちゅーしかしてないじゃないですか」

 「はい?」

 「しかもそのちゅーですら最後にしたの三か月前ですよ!?」

 「あの、一色さん?酔ってらっしゃる?」

 「以上の理由から考慮して、そろそろ先に進んでもいいと思うのですが、比企谷さん的にはどうなんでしょうか?」

 

 ベッドにちょこんと座ったまま、目の前に立つ俺にエアーマイクを向ける一色。

 しかし、そんな質問に堂々と答えられるほど肝っ玉が据わってはいないわけでして。

 

 「先、とは……」

 「……………………うりゃぁっ!」

 「どわっ!?」

 

 お茶を濁そうとしたところで、一色が俺の腰に腕を回してベッドに引き寄せてきた。

 その勢いのままベッドに倒れこんでしまい、仰向けになる一色に覆いかぶさる体勢になってしまう。一色の長い髪の毛がベッドに乱雑に広がり、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。すぐ目の前の一色と目が合う。酔って顔が火照っているせいなのか、頬が赤らんで見えた。

 

 「な、ななななに、何なの」

 「ちゅーだって、付き合ってまだ十回しかしてないんですよ?」

 「なんで数えてんだよ怖えよ……」

 「ちょっと少なすぎると思います」

 「うん、それはまあ俺も思ってるけどさ……。でもほら、タイミングとか色々ね?」

 「………………先輩は、いや、ですか?」

 

 鎖骨のあたりに手を添えて、上目遣いで一色は見てくる。

 その動作一つ一つが艶めかしくて、自分の体が一気に火照っていくのがわかった。うん、主に下半身がなんだけど。もう過去最高ってくらいに火照りまくり。

 今すぐにでもこのまま身を任せたいところなのだが、僅かな理性が働いてしまう。俺の中の天使と悪魔がまさに大論争中だった。

 

 『けっけっけ、そのまま脱がしちまえよぉ、なぁ?さあ八幡、まずはそのストッキングをビリビリに破いてやれぇ!』『だっ、ダメだよ八幡!ストッキングは履かせたまま他の服を脱がしてあげるべきだよ!』 

 

 そっちかー。誰も止めてくれねえじゃねえか。なんなら天使側の方が変態だったまである。ちなみに俺は断然天使派。

 

 「嫌とかそういうわけじゃなくてだな……」

 「したくないんですか?」

 「めちゃめちゃしたい」

 「即答じゃないですか……ちょっと引きます」

 「なんていうか、あれだ。酔った勢いでってのは俺の理念に反する。するならそうじゃない時にだな……」

 「……やっぱ変なとこで真面目ですね。先輩らしいです。先輩らしくて超めんどくさい」

 「悪かったな……」

 「別に勢いってわけでもないんですけどねー」

 「え?」

 「…………でも酔ってない時なら今までだってチャンスはあったわけじゃないですか」

 「ほら、十代でってのもなんかあれじゃない?体目当てとか思われるかもしれないじゃない?」

 「いや思いませんし」

 「つまりあれだ。お前とはちゃんとしたいってことだよ」

 「…………ふ、ふん、都合のいいことばっか言って……。なら仕方ないですね。…………てゆーか、そゆこと言いながら思いっきりお腹に当たってるんですけど。ガチガチじゃないですか」

 「いやそれはほんとごめんなさい。生理現象なんです」

 「スケベ」

 「はい……」

 「変態」

 「…………」

 「ガチマン」

 「もうやめてっ!」

 

 とんだあだ名をつけられてしまった。中学生だったら不登校になるレベルだぞそれ。男の子なんだから仕方ないでしょう?とぶつぶつと心の中で言い訳をしていると、一色は俺の首に両手を回した。

 

 「じゃあぎゅってしてください。今日はそれで許したげます」

 「えぇ……」

 「何か文句あるんですかガチマン?」

 「ないですないのでその呼び方やめてください」

 

 まことに不名誉なあだ名が定着してしまうのも嫌なので、一色のお願いに従うことにした。

 のだが、この体勢でどう抱きついたらいいのかわからず、ただ一色に体を乗せるような体勢になった。ちょうど一色の胸の位置と俺の胸の位置が重なると、どくん、どくんと心臓が脈打つ音が俺の体にも響いた。

 

 「大丈夫?重くない?」

 「超重いです」

 「重いんかい……」

 

 今のは「そんなことないです」待ちのつもりで聞いたんですけどね。

 仕方なく体を起こそうとしたが、首に回された一色の両手の力が増して起き上がれなかった。

 

 「先輩、わたしの体を大切に思ってくれるのはすごく嬉しいんです。でも……」

 

 か細く、今にも壊れてしまいそうなほど繊細で優しい声で一色は言う。すると、ふっと一色の腕の力が抜けて、俺と一色は拳一個分の距離で見つめ合う形になった。その瞳は微かに揺れ、湿っぽく艶やかな唇がわずかに動いた。

 

 「少しくらい乱暴にしてもいいんですよ?」

 

 その言葉を聞いた途端、酔ったかのように頭がくらりとした。

 一瞬理性が飛びそうになるのを、首をブルブルと振って何とか抑える。

 

 「いや、ほんと、だめだから。そういうのだめだから」

 「むー、先輩ってほんと理性の塊みたいな人ですね。わたしの攻撃をかわすとは」

 「ふっ。今のを耐えたのはさすがの俺も自分で驚愕しているところだ」

 

 誇らしげに鼻をならすと、一色は不満そうに頬を膨らませた。

 

 「そんなに揺らいでくれないと女子として自信なくしちゃいます」

 「いやいや、揺らぎまくってるから。今だって断ったことを後悔してるくらいだから」

 「ふーん……。じゃあそーゆーことにしといてあげます」

 

 不服そうにしながらも、一色は首に回した両手をほどいた。

 やっとベッドから起き上がって立ち上がろうとすると、ぎゅっと左手が握られる。

 

 「寝るまでそばにいてくれませんか?」

 「……まあ、それくらいなら」

 

 言うと、一色は満足げに両目を閉じた。

 そうやって無防備にされると少しは信頼されてるのかなどと思って嬉しくなってしまう。俺も単純になったものだ。

 

 「すぅーすぅー、むにゃ」

 「いや寝るのはっや……」

 

 まだ十秒もたってねえぞ。の〇太くんかなんかですか?

 

 

    ▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 ピンポンピンポンと煩わしい機械音に、半覚醒だった意識が段々と覚めていく。今日の講義は午後からだしもう少し寝ていたかったが、宅急便だったら配達のお兄さんに申し訳がないので気合で体を起こした。ぽりぽりと腹を掻きながらドアスコープを覗いた先にいたのは、亜麻色の綺麗な長髪をおろした美少女だった。

 

 なんてモノローグから始まるラノベを書きたい今日この頃。

 仰々しく紹介したが、まあただの一色だ。

 

 「おはようございまーす!先輩、今日から一緒に住みませんか?」

 

 ドアを開けると、今日もしっかりおめかしした一色が敬礼ポーズでお出迎え。毎度恒例の、何回目になるかわからない一言を添えて俺の部屋にやってきた。

 …………じゃねえよ今何時だと思ってんだ朝7時だぞ帰れ。

 

 

    ▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 一色は俺の部屋に入るや否や、キッチンでエプロンを装着し始めた。毎朝こうやって飯を作ってくれるのは超ありがたいんですけどね。別に強制してるわけではないんだけどね。せめてもっと遅く来てくれると嬉しいんだけどね……。

 

 

 「可愛い彼女をパンツでお出迎えとか彼氏として失格なんじゃないですか?」

 「毎朝七時に彼氏の部屋のインターホン連打するとか彼女として失格じゃないですか?」

 「それとこれは訳が違いますし。なんか履いてくださいよ。汚い」

 「昨日俺を襲った輩が何か言ってんぞ……」

 

 言い返すと、一色はなにやらにやにやして、ゴミ箱をじーっと見始めた。

 

 「どーせ先輩、あの後自分の部屋で一人でしてたんですよねー?」

 「え、なんで知ってんの?」

 「え、ほんとにしてたんですか?」

 「…………」

 「……………………」

 「…………………………」

 「………………………………」

 「やめて無言で顔赤くするのやめて。いや違くてね?」

 「やめてください近寄らないでくださいわたしのあられもない姿を想像して何してんですかこの変態っ!」

 「ひどい言われようだな…………」

 

 いや一色のあられもない姿を想像したのは本当だから否定はできないんですけども。でも男子諸君ならわかってくれるよね?悶々としたままむしろ一人で済ませたことは称賛してほしいくらいだ。

 

 「まったくもう……。そこのごみ箱は自分で片づけてくださいね。わたし料理するんで」

 「イェス、マム……」

 

 ここ俺の部屋なのに、完全に主導権握られてるんですけど……。まあ今に限ったことじゃなく一年前からずっとこんな感じだから慣れてはいるんだけど。

 せっせせっせとテーブルおよび部屋中の掃除をしていると、ティロリンとスマホの通知が鳴った。これはラインの通知だ。

 開くと、そこには『ゆい』という名前が表示されている。

 

 と、ちょうど朝飯も出来たようだ。一色が皿に盛りつけた料理をテーブルに運んできた。

 

 「どうかしたんですかー?」

 「ん、おお。なんか、今度みんなで飯食おうって、由比ヶ浜が。小町とか戸塚も誘って」

 「あ、いいですねそれ~!みんな元気かなぁ~」

 「元気じゃない時に誘われたらとんだ迷惑だけど」

 「うわっ、いまの先輩ちょっと高校の時っぽくてウザいです」

 

 二人席について、「いただきます」と手を合わせてからシーザーサラダに手を伸ばす。うん、うまい。サラダは誰が作っても美味いからいいよな。ぶっちゃけ料理によっては一色の味付け薄いことあるからな。まあそんなことも言えるわけない。作ってもらって文句を言うなど男としても彼氏としても失格である。まあ大体ほとんど美味いから嬉しいんですけど。

 

 「じゃあこれを機に一緒に住みましょうよ」

 「何を機にしたのか全然わかんないんだけど。ていうか、それ言うの何百回目なの?」

 「だってその方が家賃安く済みますし、彼女の生モーニングコールで起きれるし役得じゃないですか」

 「朝七時に起こすことは変わんねえのかよ……」

 

 文句を言いつつ、つんつんとレタスを箸でつつく一色をじっと見つめる。すると一色は不思議そうにこてっと首を傾げた。それに何でもないと首を振って、むぐむぐとレタスを口に頬張った。水で流しこんで、一息ついたところで口を開いた。

 

 「…………そうだな。一緒に住むか」

 「…………………………………………ふぇ?」

 

 言うと、カランッという音が部屋に響いた。見ると、一色が持っていた箸を落とした音だった。

 すると次の瞬間、一色の右目からつっと涙がこぼれた。

 

 「え、ちょ、なんで泣くの!?俺なんかした?死んだほうがいい?」

 「…………あ、いや、違くて……。あれ、なんだろ、これ」

 

 しどろもどろになりながら、一色は伝う涙を必死に拭く。が、どれだけ拭いても涙は溢れて止まらない。

 

 「んぐっ……ずっと、その言葉を聞きたくて、やっと聞けて嬉しいはずなのに、なんだかびっくりしちゃって……」

 「………………」

 

 その言葉を聞いて、嫌がっているわけではないと知って安心する。

 これまで、何度も「一緒に住もう」とは言われていたが、その態度が毎度軽い言い方だったせいで、いざ泣かれるとこちらも動揺してしまう。

 

 「いや、すまん。せめて一色が20歳になってからだと思っててな……。ここまでとは思ってなかった」

 「い、いえ、わたしも泣くほどとは思ってなかったんですけど、なんででしょうね、これ。なんだかプロポーズされた気分です」

 「気が早え……」

 

 プロポーズ、か。その時まで俺たちの付き合いが続いているかどうかは当人の俺でさえわからない。でもきっと、一色とならどこまででもやっていけると、今ならそう思う。この気持ちだけはずっと変わらないだろう。

 ここでこんな泣かれたら、いざプロポーズの時に全然反応が薄かったらどうしよう。大丈夫だよね? 

 

 「あと、これ」

 

 そういって、いつ渡そうかとずっと悩んでテーブルの下に隠してた長方形の箱を一色の方に差し出した。その上板だけをとって一色に中身を見せる。

 

 「え、これ…………って……」

 「遅れてすまなかった。誕生日プレゼント、買うのに金が足りなくてな。一応自分で選んでみたんだが……」

 

 そう。俺がここ最近アルバイトに打ち込んでいた理由は、一色の誕生日プレゼントを買うためだった。今後の生活費とか学費とか色々考えると、バイトを詰め込まなければ買えなかったのだ。とはいえ、誕生日当日までバイトを入れてしまったのは大きな誤算だったが。

 

 その長方形の箱の中身に入っている物──シルバーのネックレスを見て、一色は暫くぽかんとしていた。

 すると次の瞬間、一色の目に大粒の涙が浮かんだ。

 それを我慢するでもなく、堰を切ったように一色は泣き出して、テーブルを飛び越えて突進してきた。

 

 「うわあああああああぁぁぁぁぜんばぁいぃぃぃ……!!!」

 「ったぁ…………。えぇ……そんな泣く?」

 「ぜんばぁぁぁいぃぃ!!」

 

 すりすりごりごりと鳩尾を頭で抉られ正直かなり痛いのだが、今は男らしく我慢して、一色の頭をそっと撫でた。

 

 「ごめんなざぁいぃっ…………!わたし…………わたし……っ!」

 

 きっと、二日前のことを謝ろうとしているのだろう。しかしその必要なんてない。誕生日を当日に祝わなかったことは事実で、それを言い訳になどできるはずもないのだから。

 

 俺は箱からネックレスを取り出した。

 

 「その…………受け取ってもらえるか」

 「そんなの……!!受げ取るに決まっでるじゃないでずがぁぁぁ!!」

 

 いまだわんわんと泣き散らし、鼻水も容赦なく俺の服にこすり付けて一色は言う。

 そんな一色の顔を無理やり剥がして、ネックレスを首に回した。

 

 「うん、俺の贔屓目で見たら全然似合ってると思う」

 「ひっぐ……んんぅ…………」

 

 ぬぐぬぐと袖で涙を拭うと、一色は首にかけられたネックレスに手を置いた。

 その感触をしっかりと確かめるようになぞると、こてんと俺の目の前で正座をした。せっかく拭いた涙もまたあふれ出しそうになっている。

 

 「こんなの、ほとんどプロポーズですよぉ……」

 「うん、ごめんね?ネックレスはちょっと重いかなとか思ったんだけどね?」

 「ううん、全然嬉しいです。嬉しすぎます。ちょっと今キュンキュンし過ぎて死にそうです。先輩の顔まともに見れません」

 「うん、わかったから。とりあえず落ち着いて?」

 

 呼吸を整える一色の背中をさすさすとさすってやる。

 自然とボディタッチを出来ていることに自分に感心してしまう。付き合って四年目でこのレベルですよ。

 

 「せんぱいっ!」

 

 涙を拭き切った一色が、それでも涙目のままで、ぱぁっと笑顔を浮かべた。

 

 

 「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 

 一色の、涙を浮かべた笑顔があまりにも美しくて、俺は少しだけ呆気に取られてしまった。

 ああ、そうだ。この嘘偽りのない、屈託のない笑顔に俺は惚れていたのだ。

 いつも一番近くで見ていたから忘れていた。

 

 段々と、桜が散る季節が近づいていた。

 それでも、来年になればまた春は訪れる。

 

 誰よりも愛らしいこの後輩となら、きっといつまでも待っていられるのだろう。

 

 

 

 

  ---完---

 

 

 




完結です!ありがとうございました!
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