21gの恋人   作:世嗣

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比翼の鳥

 

 

 

「いつか空を飛んでみたいの」

 

 彼女は真っ白な部屋の中で、そんなことを呟いた。

 

 雲を切る鳥のように、羽を震わせる蜻蛉のように、銀色の流星のように飛行機のように。

 

「いつかそんな日が来たら良いなって」

 

 無理なのはわかってるんだけどね、しゃらりと彼女は笑んだ。

 

 そこには、幼子が手の届かないものを強請るような色があったものの、晩年の全てを悟った老爺のような諦観にもまた、彩られていた。

 

 だからだろうか、俺が彼女に一枚のチラシを差し出してしまったのは。

 

「こういうの、知ってるか」

 

「『ボーダー』、入隊……試験……? これ、どういうこと?」

 

「俺は、君に何もできない。君の辛さも、悲しみも、何もわかり合うことはできないし、君に空を飛ぶ羽をあげられもしないけど、それでも──」

 

 すう、と息を吸って、彼女に向き直る。

 

「地を走る足を一緒に探しに行くことならできると思うんだ」

 

 彼女の森の奥のような、深緑の瞳が見開かれた。

 

「だから、行こう、玲」

 

 それが、俺らの始まりだった。

 

 空を見上げるしかなかった彼女が、それを傍から見守るしかなかった俺が、いつか空を飛ぶまでの。

 

 

 

 

 

 世界が揺れて、空間の壁に穴が開く。

 

『『(ゲート)』発生! 総員防衛配置!』

 

 通信を受けて、人気のない街をひた走る。

 

「こういう日に限って俺の方は非番なんだよな……!」

 

 身に纏うのはボーダーの正隊員の基本隊服。胸に刻まれる『Bー000』の文字は彼がどの部隊にも属さないフリー正隊員であることを示していた。

 

「小夜ちゃん、玲たちは」

 

『…………』

 

「あ、あの、小夜ちゃーん?」

 

『……次、右、五百……』

 

「……ありがとう」

 

 ぶっきらぼうに応じてくれたのはオペレーター『志岐小夜子』。彼の幼馴染である『那須玲』の部隊の専属オペレーターであり、それなりの付き合いにはなるのだが、どうにも仲良くなれていないのが現状だった。

 

 もう少し仲良くなりたいんだけどな、と彼は苦く笑う。

 今度塩昆布を土産にして遊びに行ってみようと、重ねて決意。

 

 小夜子の指示に従い暫く走ると、視界にいくつかの白い影とそれと交戦する二人の隊員を捕捉する。

 二人は彼の幼馴染である少女、那須玲と、その友人である熊谷友子。姿は見えないがおそらく後方には狙撃手の日浦茜もいるだろう。見える敵は、小型の戦闘型(モールモッド)が二体に、大型捕獲型(バムスター)

 

「あの数なら問題ない、かな」

 

 隊の結成当初から彼女らの事はよく知っている。あの程度の敵に苦戦する事はない。彼がそう判断して、サポートに回ろうとして、()()()

 民家の影、曲がり角、見えるはずのない壁の向こうに、目を光らせてエネルギーをチャージしようとする大型砲撃型(バンダー)

 

 彼我の距離、およそ六百オーバー。

 

『那須さん! 砲撃型の狙撃が──』

 

 ワンテンポ遅れて小夜子が通信を送り────しかしそれよりも早く彼は動いていた。

 

「玲に手ェ出してんじゃねえぞ」

 

 瞬時に二つのトリオンキューブを生み出すと、視えた距離から座標を取得、バンダーのチャージ時間から猶予時間を算出、リアルタイムで弾道を引いた。

 

「『変化弾(バイパー)』」

 

 白い弾丸が空を駆ける。

 まるでそれ自身が意思を持つかのように、複雑な軌道を描き、砲撃のチャージ途中であった大型のコアを撃ち抜いた。

 

 シュボ、と軽い爆発と共に黒煙が立ち上るのを視て、軽い嘆息を漏らす。

 

『あー、先輩なんで撃っちゃうんですかー!』

 

 が、それよりも早く思考に割り込む声が一つ。

 

「ひ、日浦ちゃん」

 

『わたし達ちゃんと迎撃の用意できてたのにー!』

 

 責めるような言葉に、彼が視線を先ほどまで戦闘中であった二人に戻す。そこには既に戦闘を終わらせて、迎撃の準備をしている那須と熊谷の二人がいる。

 

『──くる、と言おうとしましたが、対象、既に沈黙しました』

 

 通信の小夜子の声が少し耳に痛い。

 

 彼が頭をかきながら、那須のそばに降り立った。

 

「……余計なお世話だった、かな」

 

「一応、私たちでも対応できた、とは言っておこうかな」

 

「……ごめん」

 

「別に謝るようなことではないわ」

 

 気まずそうに頭を下げると、那須は困ったように表情を緩めて待機させていたトリオンキューブを消した。

 

 その横で、熊谷がやれやれとでも言いたげに額を抑える。

 

「ほんとに、あんたは玲のことになったら過保護になるというかなんというか」

 

「ち、ちがわい! ()えちゃったから撃っただけで、別に玲は関係ないから!」

 

「はいはい、そうね、玲が狙われてるって思っただけで私たちの通信も聞かず撃っちゃうくらいには関係ないわね」

 

「ぐ…………」

 

 その物言いによっぽど何かを言い返してやろうと思ったが、確かに自分が勝手に撃ったのは事実である。それ以上何も言い返すことなく黙りこくった。

 

『じゃあ今のでこの辺りの敵はあらかた片付いたので次に行きましょうか』

 

『あー、やっぱりいるんだ、ネイバー』

 

『そりゃもう沢山。これでもか、というくらいには』

 

「流石『大規模侵攻』、ってところね」

 

「小夜ちゃん、案内よろしくね」

 

『了解しました』

 

 小夜子のオペレートに従って那須隊が動き始める。彼もまたその後を無言でついていこうとする。

 

「ねえ」

 

 不意に那須が彼を呼び止める。

 彼が眉を寄せて振り返ると、彼女はいつかのような壊れ物のようなものではなく、年相応の笑みを浮かべていた。その深い海の色の瞳にはどこか喜色が彩っているように見える。

 

「さっきの変化弾の事なんだけど」

 

「……悪かったって。反省してま──むぐ」

 

「そうじゃなくて」

 

 とん、と唇に指が添えられて言葉が止められると、那須は楽しげに小さな目配せ。

 

「助けてくれてありがとう。嬉しかったわよ」

 

 どきり、と胸が跳ねる。思わず言葉を失って、ぱくぱくと唇が動き、声にならない声を出す。

 その様子に那須は喜色を深めると、「それだけ」と言い残して呆れたように待つ熊谷の元へと駆けて行った。

 

 その背中を見送りながら、彼が今日何度目かの深い嘆息。

 

「……ったく、本当に玲には勝てないな」

 

 彼が誰に言うでもなしにボヤいて、()()()()()()()()()()()()()の背中を追って走り出した。

 

 

 

 

 B級ソロ『青鳥若葉』。

 

 それが彼の名前だ。

 両親二人に妹一人の四人家族の長男として生を受けた彼には、幼い頃から側にいた少女があった。

 それが『那須玲』。

 那須玲の存在なしに若葉の人生を語ることはできないだろう。

 彼らの父親が親友の間柄であり、家も近かったことから、幼い頃から家族同然に付き合ってきた。

 

 いわゆる、幼馴染というやつである。

 

 そんな玲に若葉が恋をするのに至ったのは、彼と彼女が物心ついた頃から一緒にいたから──という訳でもない。

 むしろ最初は、生まれつき体が弱いせいで入院がちであった玲を苦手に思っていた節もあった。

 わざわざ遊ぶ時間を割いて見舞いに行っても、虚ろな目で窓の向こうを見てるだけで、にこりともしない同い年の女の子。

 

 好きになれと言う方が難しい話だ。

 

 けれど、そんな玲と若葉の関係を大きく変えたのは、ある冬の寒い日の出来事だった。

 

「よお」

 

「……ええ」

 

 その日、若葉は玲に学校の宿題を届けに病院に足を運んでいた。休みがちな彼女へとそうした学校の宿題を渡しにいくのは、専ら同じクラスの彼の役目だった。

 

 真っ白な病室で、彼女はいつものように窓の外を見たまま、声だけで彼を出迎えた。

 

「これ、今度の月曜までだから。こっちは期限はないけど出来たら先生のところに持って来いって」

 

「……ええ」

 

「……あと、今度調理実習あるから食べたいものとか、考えておいたらいいと思う」

 

「……ええ」

 

 若葉が那須のそばの椅子を少し離してから腰掛ける。

 空いた距離は人二人分。

 

「……帰らないの? いつもはすぐに帰るのに」

 

「今日は那須のおばさんたちが来るまでここにいなきゃいけないんだよ。俺の迎えもここに来るんだってさ」

 

「……そう」

 

 玲は自分が聞いたくせに途中で興味が失せてしまったように、適当に相槌をうつと窓の外へと目を向けた。

 若葉はそのことに少しムッとしたものの、怒るのも男らしくないと、虚空をにらんで黙り込んだ。

 

 しばらく二人の間に静寂が訪れる。

 

 けれど、無言の時間に遊びたい盛りの少年が耐えられるはずもなく、若葉の声が沈黙を破った。

 

「なあ、なんで外を見てるんだ?」

 

「──?」

 

「いや見てるだろ、いつも外ばっかり。なにか面白いものでもあるのか?」

 

 玲の視線が若葉に戻ってくる。

 いつもと同じ、感情の色を覗かせない深い色の瞳。

 

「……なにも」

 

「なにもって、なにも見てないことはないだろ? 何かは見てるんだろ?」

 

 それこそ今日は雪が降ってるんだし、と言葉を重ねる。

 けれど、玲はふるふると首を振って、また外に目を向けた。

 

「私はなにも見てないの、ここは私の『鳥籠』だから」

 

「トリカゴ?」

 

「ええ」

 

 ぼんやりと、彼女が続ける。

 

「私は籠の鳥。外で何があっても変わらない。与えられるままに生きて、日々を過ごす。雪が降ってようと、なんであろうと。私には関係ない。

 籠の中からは、何にも触れないから」

 

「──つまり、どういうこと?」

 

「わからないなら、良いわ。

 だって()()()()()()()()()()()()()

 籠の外のあなたには」

 

 ふっと、まるで全てを諦めたかのように、よく出来たお利口な笑みを作って彼へと向けた。

 

 若葉にはその笑顔の意図も、言葉の意味も何もわからなかったけれど、その目が自分を見ていないことだけには、無性に腹が立った。

 

「ちょっと待ってろ」

 

「え?」

 

 若葉は突然立ち上がると勢いよく病室を飛び出していった。

 その直後大人の「走らない!」という注意の声と子どもの「ごめんなさいー!」という謝罪の声が反響して空気を揺らした。

 

「……どういう」

 

 呆気にとられた玲が窓を見るのも忘れて、彼が立ち上がった拍子に倒れた丸椅子を見ていると、とたどたと足音が帰ってきた。

 

 ばん、と扉が開くと、頬を赤く染めた若葉が息を荒くしながら帰ってきた。

 そして、那須へと手を突き出した。

 

「ん」

 

「……これは」

 

「そこの駐車場に積もってた雪。っていうか、雪だるま。今作ってきた」

 

「……なんで、これを?」

 

「なんか、腹立ったから。お前に見せてやろうと思って」

 

「え?」

 

「触ったことないんだろ、雪」

 

 ぶっきらぼうに言い放った若葉は、ずいっと玲の目の前に手を差し出した。

 玲が若葉の手の中の小さな雪だるまに目を落とす。

 急いで作ってきたであろうそれは、目も鼻も何もない、小さな玉を二つ重ねただけのもので、本などで知っている『雪だるま』とは程遠い。

 しかも病院内の室温のせいか、若葉の手の中でゆっくりと水へと変わりつつあった。

 

 玲が、おそるおそる手を伸ばして、途中でまだるっこしそうに若葉にがっしと腕を掴まれた。

 

「あー、めんどくさい! ほら触ってみなって、溶けちゃうからさ!」

 

 玲の白魚のような指先が、小さな雪だるまに触れる。

 

「…………つめたい」

 

「当たり前だ。それが雪だからな」

 

「それに固いわ。雪なのに」

 

「ガチガチに固めたからな。ふわふわな奴は玉にしにくいんだ」

 

「そう、なのね」

 

 玲がぽつり、と声を漏らす。

 

「……知らなかった。雪って、こういうものなのね」

 

「君は、そんなことも知らなかったんだな」

 

「だって、私は籠の鳥だもの。自分じゃここを出られない」

 

「じゃあ飛べば良い」

 

「え?」

 

「飛べば良い、自分で」

 

 やがて、若葉の中の手の中で雪がくずれて、地面に落ちる。

 そして今まで雪に触れていた玲の手がするりと若葉の手の中に収まった。

 

「君は、カゴノトリ? なんだろ。じゃあ、飛んで行っちゃえば良い。飛んで雪でもなんでも触りに行けば良いんだ」

 

「でも、そんなの私には……」

 

「あー、もう! その目! ()てて気持ち悪い!」

 

 若葉が空いた片方の手で頭をかいた。

 

「君が鳥なら、飛べば良い! これはそれだけの話だろ! だって、君は『カゴノトリ』って鳥なんだろ?」

 

「え──」

 

 これは少しの勘違い。

 玲は学校を休みがちであるが、かと言って頭が悪い訳ではない。むしろ外で遊べない時間を自習や読書に時間を当てている分、世間一般の子どもよりも聡かった。

 だが、若葉は少し勉強は苦手な小学生──有り体に言うと『馬鹿』だった。

 彼女は『籠の鳥』を自分から何もできない囚われの鳥のことを指して言ったが、若葉にはそれを理解できるだけの教養はなかった。

 だから、若葉は「カゴノトリって鳥がいるのかなぁ」と理解してしまった。

 

 玲はそのことを少し遅れて理解して、堪え切れなくなったように、笑った。

 まるで友人と談笑するかのように、年相応に。

 

「ふ、ふ、ふふふ、うふふふっ」

 

「な、なんだよ! 俺何か変なこと言ったか?!」

 

「い、いいえ、な、何にも、ふふ」

 

「な、なんか笑ってるじゃないか!」

 

 若葉は何故玲が笑っているのか分からず、少し不機嫌になったものの、ふん、と鼻を鳴らして言葉を重ねた。

 

「君が何に悩んでるかは知らないけど、外に出たいなら大人に頼めば良い。子どもはわがまま言って良いんだよ。うちの妹なんてしょっちゅう母さんたちを困らせてるし」

 

「……そうなの、かな」

 

「そうなんだよ」

 

 それに、と若葉が言葉をつなぐ。

 

「君のわがままくらい、僕も一緒に頼んでやる。さっきみたいに笑う君は、仏頂面の君よりもずっと良いから」

 

 合わせた手から、暖かさが伝わる。

 目の前の少年の、不器用で、ぶっきらぼうで、彼なりの優しさが。

 

「知ってるか、この世界は、君が思ってるよりもずっと大きいんだ」

 

 ふっと、玲が表情を緩める。

 

「ありがとう」

 

 それは、玲が若葉に見せたはじめての笑顔で、彼を恋に落とす、そんな笑顔(いろ)だった。

 

 

 

 

 

 

「くまちゃん!」

 

「任せて!」

 

 那須が名を呼んで、熊谷はそれに応える。

 誰が見ても抜群のコンビネーション。

 そこに多くの言葉は要らず、名前を呼ぶだけでも連携が成立するだけの信頼関係が二人にはあった。

 

 そんな二人から少し離れて、撃ち漏らしの飛行型や戦闘型のトリオン兵を狩っていた若葉は大したものだと眼を見張る。

 

「僕も負けていられないなっと!」

 

 若葉が()ると、瞬時に世界の構造が変わる。

 空を埋める飛行型はそれぞれが透けて重なり、自身に向かってきていた戦闘型のダメージすらも可視化する。

 

「視えた」

 

 右に変化弾(バイパー)、左に通常弾(アステロイド)

 フルアタック、防御の手段を失うある意味諸刃の剣。

 

 けれど彼は焦ることなく丁寧にバイパーの弾道を引くと、瞬時に射出。そして向かってきていた戦闘型(モールモッド)に射程を下げた威力重視のアステロイドを叩き込む。

 四発に分割されたアステロイドは、視えていた弱点であるブレードの付け根を弾き飛ばす。その後、コア直上の上蓋部を二発で穿ち、最後の一発でその穴からコアを貫いた。

 通常は同じ弾速で時間差の射撃は困難だが、若葉は弾を()()()ことでそれを可能にしていた。

 

「一丁上がり、と」

 

 沈黙したモールモッドが勢いをそのままに滑ってくるのに蹴りを叩き込んで逸らすと、ちょうど先に射出していたバイパー撃ち落とした飛行型が一匹残らず墜落してきた。

 

 ぱんぱん、と軽く手を合わせて埃を払う。

 

『ほえー、流石ですね、先輩』

 

「ん、ありがとう、日浦ちゃん」

 

『やっぱりそれも先輩のサイドエフェクトのお陰だったりするんですか?』

 

「あー、まあ一応?」

 

『へー、『視覚演算』でしたっけ? それってどんな感じなんですか?』

 

「それはこの件が片付いてからな。今は仕事中だ」

 

「透視とかで物を透かして見る能力よ、そいつのサイドエフェクト」

 

「ちょ、熊谷? 俺の話聞いてた?」

 

『え、ええ…………』

 

『…………変態』

 

「ほらー、こんな誤解が生まれるだろー! だから今言いたくなかったんだよ!」

 

「それはあなたがコソコソサイドエフェクト持ちだってことを隠そうとしてたせいもあると思うけど」

 

「れ、玲……」

 

 女子ばかりの隊に混ざっていると、こうした時に庇ってくれる人がいない。小夜子や日浦はともかく、熊谷や那須に至っては完全に彼で遊んでいた。

 誓って言うが彼のサイドエフェクトでは服の透視はできない。

 

『那須さん、聞こえるかしら?』

 

「沢村さん?」

 

 そんな彼らに不意に通信が入る。

 相手は本部長補佐、沢村響子。

 

『その声、青鳥君?』

 

「ええ、今は那須隊と一緒に防衛任務についています」

 

『……なるほど、だから迅君は……』

 

「沢村さん?」

 

『いえ、何でもありません。実は先程、人型ネイバーの出現を確認したわ。既にいくつかの部隊は交戦に入っている』

 

「どこかの部隊の応援に行けってことでしょうか」

 

『いえ、B級が落ち始めたせいで防衛線がほころび始めている。あなた達にはこっちのフォローに回って欲しい。頼めるかしら』

 

「那須隊、了解。現場に急行します」

 

「青鳥了解」

 

 沢村からの通信を切ると、小夜子にナビゲートを頼み、彼女達は動き出した。

 

 

 

 

 

 彼が人と『世界』が違うと気づいたのは中学に入ってから。

 いつからか人と変わってしまった世界。それは彼にいろんなものを教えてくれた。

 

 雲の向こうの空の青さ。

 見えない筈の壁の向こう。強度や耐久。

 音が肌を打つまでに震わせる空気の色。

 人の目の奥に潜む感情(いろ)

 

 それが俗に言う『副作用(サイドエフェクト)』である、と教えられたのはボーダーに入ってからだった。

 

「お、また嫁さん見守ってんのか」

 

「誰が嫁だ、誰が」

 

「でも結構な割合で一緒にいるよね」

 

「幼馴染だからな。なんかあった時には面倒見なきゃならん」

 

「とか言っちゃってほんとは追い抜かれそうでヒヤヒヤしてんだろー」

 

「るせっ!」

 

 二階からランク戦ブースを見下ろしていた若葉。

 そんな彼に声をかけたのは出水公平と辻新之助。彼らとは同時期に入隊した、いわゆる同期の友人だった。

 

「そういう二人こそ今日はどうしたんだ?」

 

「おれらは防衛任務上がり。辻んとことシフト被ってて偶然そこで一緒に」

 

「昼食でも食べようって誘われたから、付き合ってるって感じ。若葉くんもどう?」

 

「あー、俺は、玲とくま待たなきゃいけないから。二人も一緒でいいなら付き合うけど……」

 

「ん? おれは全然いいけど?」

 

「辻が駄目だろ?」

 

「あー、うん。あの二人は、ちょっと緊張する、かも」

 

「何だよ、この純朴少年が〜〜」

 

 うりうり、と出水が辻に軽いヘッドロックをかけていると、階下が俄かに騒がしくなった。

 

『試合終了、勝者那須』

 

「お、また勝ったな」

 

 個室から玲が出てくると外で待っていた熊谷と軽いハイタッチ。

 その表情は溌剌としており、体を動かせることが楽しくて仕方がない、といった様子がひしひしと伝わってきた。

 

「──ん」

 

 不意に玲が顔を上げて、二階の若葉に気がつく。特に声がかかることはなかったが、控えめに振られる手に、彼もまた薄い笑みとともに手を振って応じた。

 

 どちらも小さくしか手を振らなかったがそれを目ざとく見つけた出水がニヤニヤしながら肩を組んでくる。

 

「おいおい、見せつけてくれるじゃねえかよ。羨ましいぜ、あんな美人が幼馴染なんて」

 

「手ェ振っただけだろうが」

 

「ん? この前レポート終わらなくて泣きそうになってたのを助けた恩を忘れたか?」

 

「それはこの前影浦さんとこでメシおごってやってチャラにしただろうが」

 

 うっとおしそうに若葉が手を払う。

 その横では、間を持たせるように笑んだ辻が手すりに手をかけて、若葉と同じように階下を見下ろした。

 

「それにしても本当に那須さんは強いね。まだ半年でしょ?」

 

「それにあのバイパーを取り扱うセンスもピカイチだ。たぶんリアルタイムで弾道引いて撃ってんな」

 

「ガキの頃から頭良かったからなぁ、玲は」

 

「この分だと正隊員になるのもそんなに遠くないかもね」

 

「ははは、お前もいつまでもソロで燻ってるとあっという間に追い抜かれるぞ」

 

「やかましい。俺は、こう、自分探し中なだけだから」

 

「何その進路に悩んだ大学生がホノルルマラソンに行きそうな文句」

 

「ったく、『サイドエフェクト』持ちなんだし、アテがねえわけじゃねえだろうに」

 

「『視覚演算』、だっけ? 若葉君のサイドエフェクト。それってどんな感じなの?」

 

「んー、どんな感じって言われても困るんだよなぁ。俺にはこの世界が普通だからなぁ」

 

 ぽりぽりと頭をかく。

 

 『視覚演算』。それが青鳥若葉のサイドエフェクトだ。

 簡単に言えば『視覚情報をもとに推測する』サイドエフェクトになるらしい。目で捉える様々な情報を無意識下で演算、透視に近いレベルで脳内で再現するというもの。

 ランクはBの『特殊体質』に当たるんだとか。

 本当はもっと複雑なのだが、彼は自身のサイドエフェクトをざっくり「透視みたいなもの」と認識していた。

 彼は比較的馬鹿であった。小難しい理論はよくわからない。

 

「なあ、若葉」

 

「何だよ、出水」

 

「ここだけの話さ、お前のサイドエフェクトってやろうと思えば服も透視できたりすんの?」

 

「出水君……」

 

「いや、だって気になるとこだろ。ほら那須ちゃんとかにさ……」

 

「俺のサイドエフェクトはそういうのはできねーの」

 

「またまた、そう言いつつ試してみたことくらいはあるんだろ?」

 

「はあ、出水君、若葉君がそんなことするわけないでしょ。あんなに那須さんを大切なしてるのに、ね、若葉君……若葉君?」

 

「…………セヤナ」

 

「ちょっと待って何でそこで片言になるの。ここはちゃんと否定しとかなきゃいけないとこだと思うよ!?」

 

「はっはっは、若葉も男だったってことだろ。なー、やっぱ好きな子は……」

 

「何の話?」

 

「あ、いや若葉のサイドエフェクトで服も透視できんのかって話」

 

「ふーん、若葉くんそんなことしてたんだ」

 

「そうそう、若葉くんが──若葉くん?」

 

 さっと出水と若葉の顔が青白くなる。

 ぎしし、と錆びついたロボットのように引きつった笑みで振り返るとそこには、極上の笑みを浮かべる玲。そして呆れた様子の熊谷。

 

「詳しくお話し聞かせてくれない?」

 

「なあ、今日の晩ご飯は湯豆腐だって那須のおばさんが──」

 

「若葉くん?」

 

 出水と若葉の視線が瞬時に交わり、側にいた辻の両手が掴まれる。

 辻が「え?」と露骨に混乱したように左右を見る。

 

「逃げるぞ若葉!」

 

「これ九割お前のせいだからな出水!」

 

「ちょ、待って連れて行かないで?! 君たちと同罪みたいになるから! 一緒にいただけなのに!」

 

 

 

 

 

 

 

「玲!」

 

「ええ!」

 

 視線が交わる。

 それだけで互いの意思は確認できた。

 

「「変化弾(バイパー)!」」

 

 那須のバイパーがまるでそれ自体が意思を持つかのように複雑な軌道を描き、人型ネイバーを取り囲む。

『鳥籠』。リアルタイムで弾道を引きながら変化弾を扱ってみせる那須の代名詞とも言える射撃。

 彼の変化弾はワンテンポ遅れて、那須の射撃の隙間を埋めるように軌道を描く。

 同じ部隊でないにもかかわらず、互いのことを理解しきったサポートだった。

 

「やっぱり当たらない……。あれが話に聞いてたワープの黒トリガー」

 

「呼ばれたはいいけどバイパーだとちとやりにくいな……と、君が三雲くんか?」

 

「は、はい! 先輩たちは……」

 

「俺らはB級の青鳥と那須。手が空いてたから呼ばれた……まあ応援だ」

 

 メガネの少年は傍らに黒い炊飯器のようなものを浮かべている。聞いていた通りだ。

 

「迅さんから君を逃せって頼まれてる。君はやるべきことをやるんだ」

 

「迅さんが……わかりました。お願いします!」

 

「おう、任せとけ後輩」

 

 三雲が走って基地に向かうと、軽く彼が伸び。

 

「私はあなた達に構ってる暇ないのだけれど」

 

「あなたを止めるのが私たちの役目。そう簡単に通すとは思わないで」

 

「残念ながら熊谷や日浦ちゃんはいないけど、俺たちの『鳥籠』はちと厄介だぞ」

 

 二人が並び、それぞれ手の中にトリオンキューブを生み出した。

 

「行くぜ、ミス(ブラック)トリガー」

 

 

 

 

 

 

 

「よ、お疲れ様」

 

「……若くん」

 

「ほい、ココア。それと、あんまんと肉まん。どっちがいい?」

 

「……あんまん」

 

「はいよ、お姫様」

 

 ボーダー本部、ラウンジの隅で、一人座っていた玲のもとにレジ袋を携えた若葉が姿を見せる。

 

 レジ袋から中華まんの包装紙と缶を渡した彼は、人一人空けて玲の隣に腰掛ける。

 

「トリオン体だとこういう時体の事気にせず食べれるからいいよな」

 

「……そうね」

 

 ガツガツと肉まんに威勢良く齧り付く彼の隣で、はむっと小さな口であんまんに口をつける玲。

 

 若葉が軽く玲の肩を叩くと、プルタブを開けて、玲へと缶を差し出す。

 

「おつかれ」

 

「……ええ、お疲れ様」

 

 かつん、と軽い音を立てるだけの小さな祝杯。

 

「今期もランク戦お疲れ。結構動けてたと思うぞ」

 

「順位は落ちたのに?」

 

「今回は鈴鳴が上手かったからなぁ。ま、データは増えたし、今度俺も特訓付き合うよ」

 

「……ごめんなさい、私」

 

「おおっと、それ以上は言わない約束だ。今日の俺はあくまでも君を労いに来ただけなんだから」

 

 おどけてみせる姿に少し張り詰めていた糸が緩んでいく。

 

「……ありがとう」

 

 若葉は何も言わない。ただ黙ってコーヒーを傾けている。

 

「そういえば若くんコーヒー飲めたっけ?」

 

「いや全然。苦くて何が美味しいか全くわからない」

 

「え、美味しくないのに飲んでるの?」

 

「ふふふ、知ってるか、コーヒー飲む人はな、だいたいかっこよくて頭がいいんだ。だから、俺も飲めば頭良くなると思う」

 

「その発言がちょっと頭悪いと思うわ」

 

 「なん……だと……?」と戦慄する若葉をよそに、玲の視線は手の中のココアの缶へと落ちる。

 いつもよりも明るい声のトーン。普段飲んでいないコーヒーを買ってきたのは話題作りのためだろうか。

 きっと気遣ってもらっているのだろう、と思う。

 

「玲」

 

「なあに──んむ」

 

 顔を上げるとぐに、と玲の頬に指が沈む。

 手の向こうには悪戯っぽい笑み。

 

「まあた暗い顔だ。せっかく美人なんだし、笑っとけ、な?」

 

「またそんなこと言ってからかう」

 

「俺は割と真面目だぜ?」

 

「割と、でしょう?」

 

 つまり本気ではないということ。

 彼は出水と付き合うようになってからやたら口が上手くなった。

 

 はあ、と玲が軽く二、三日分の幸せが逃げそうなため息を一つ。

 

「あーあ、若くんが私たちの隊に入ってくれたらいいのに」

 

「なんだよ、藪から棒に」

 

「だって若くんが入ってきたらぐっと私たちのチーム安定すると思うんだもの」

 

「玲のトコ、女子部隊じゃん。それに俺はあの隊服を着る勇気はない。あんなの着た日には俺は二度と本部で出歩けない」

 

「それなら小夜ちゃんに頼んであなた用を作ってもらってもいいし、何よりみんなとはほとんど毎日会ってるし今更じゃない?」

 

「それでも今はパス。今はちょっと目標もあるし、中途半端はやりたくないんだ」

 

「……そう」

 

「あー、やめろよその露骨にしょんぼりした顔。誘いは嬉しかったよ、これはマジだから」

 

 困ったように若葉が頭をかくと、間を持たせるように缶コーヒーを傾けた。

 

「お、変態バイパーコンビ、こんなとこで何してんだ」

 

「げ、出水」

 

「おい、『げ』とはなんだ、『げ』とは。合成弾の師匠を敬え」

 

「なら師匠っぽい態度をして欲しいもんだな」

 

 現れた友人に若葉が表情を苦いものへと変える。

 

「師匠? 若くん、出水くんに合成弾を教わってるの?」

 

「そうそう、こいつがこの前頭下げてきてさ。なんでも那須ちゃんに抜かれたポイント抜き返して部隊に────」

 

「わーわー! わーわー!」

 

「え? 出水くん今なんて」

 

「聞かなくていい! 玲は聞かなくていいから!」

 

「おっと、悪い悪い。そういや那須ちゃんには内緒だったな。いやーついうっかり」

 

「てめえ絶対わざとだろ!」

 

「悪気は無かった──あいたたた! やめろ、俺生身! お前トリオン体! 首絞めるな!」

 

 うっかり口を滑らせかけた出水に若葉が飛びかかって、出水と取っ組み合う。

 

 そんな彼らを見て、玲は花が綻ぶように、くすりと小さな笑みをこぼした。

 

 

 

 

 背後には三雲と、ボーダー本部。

 目の前には新型トリオン兵(ラービット)と、ワープ使いの人型、ミラ。

 

「ちときついな……」

 

 迅曰く三雲が本部にたどり着きさえすれば今の事態は終結を迎える、らしい。

 

 ──今の鍵はメガネくんだ。メガネくんさえ守り抜けばなんとかなる。

 

 ──あそこにいるのは今のお前と那須ちゃんじゃ勝てない。俺のサイドエフェクトがそう言ってる。

 

 ──だから頑張って踏ん張ってくれ。必ずそこに駆けつける奴らがいる。

 

 ──くれぐれも無茶するなよ。何が一番大切なのかは忘れるな。

 

 彼が何を言いたいのかわかる。

 命を大切にしろ、ってことなんだろう。

 今回の新型はトリガー使いを捕獲する為のトリオン兵。下手すれば連れ去られて二度と此方側には戻ってこられないかもしれない。

 

 それは、ごめんだ。

 

 だって自分は置いていけない人がいる。並びたい人がいる。

 いつか、抜かれたポイントを追い抜いて、ちゃんと彼女の隣に立てるようになったら、一緒の部隊で戦うんだ。

 

 だから、負けられない。

 

「『通常弾(アステロイド)』+『変化弾(バイパー)』」

 

 出水から教わった合成弾。近くのラービットの狙いを那須が引いてくれた隙に、手の中の弾丸を混ぜ合わせる。

 

「喰らいつけ、『貫通変化弾(コブラ)』」

 

 視えている一番脆い部分に光の顎門が突き刺さる。ラービットは僅かに身を揺らしたものの、直ぐにまた動き出し拳を振るう。

 

「くっそ、かってえな! やっば目ぇ狙うしかねえか!」

 

「もしくは新型を無視して、後ろのワープ使いから狙うことだけど……」

 

「今でさえ新型抑えながら三雲くんを追わないように圧かけるだけで精一杯なのにか?」

 

「そうね、忘れて」

 

 おそらく迅の言う応援はA級部隊だろうが、さっき広めに()た感じ、まだ近くに手漉きの隊員はいなかった。

 

 すこし、まだ気張る必要がありそうだった。

 

「若くん、トリオンは?」

 

「まだまだ楽勝だ。軽く後一時間はバリバリ戦ってやるよ」

 

「付き合う私の方の心配もして欲しいわ」

 

「信頼してるぜ、『鳥籠』の那須サン」

 

「……それ恥ずかしいからやめて」

 

 那須が低い声でそう言って彼に目を向けようとして────燕が空を翔けた。

 

「しまっ──」

 

「若くん!」

 

 バチッ、と白い燕は彼の背中に当たると、ぐにゃりとトリオン体を歪め始めた。

 この攻撃は知っている。ここにいる黒トリガー使いとは別の、黒トリガーの能力。

 

「手こずっているようだな、ミラ」

 

 現れたのは周囲にトリオンの魚を漂わせた男。二人目の、人型ネイバー。

 

「──隊長、戦っていた玄界(ミデン)の兵士は?」

 

「問題ない。処理は終わった。雛鳥は?」

 

「マーカーの反応からまだ基地には逃げ込んでいないかと。先程までは困難でしたが──」

 

 ちらり、目が動く。その先にいるのは身体が半ばまで白く変質し始めている若葉。そしてその彼を庇うように前に立つ那須。

 

「──今なら私の大窓で追えます」

 

「よし、ならば追うぞ。金の雛鳥は必ず手に入れる」

 

 新型の背後で、長距離転移のための大きな穴──『窓』を虚空に開こうとする。

 

「玲! 撃て!」

 

「──ッ、変化弾(バイパー)!」

 

 電光石火。瞬時に生み出されたバイパーが人型二人に殺到する。が、人型の女性──ミラは焦ることなく黒トリガーの力で弾丸をワープさせると、自分たちに迫っていた弾丸をそっくりそのまま那須へと返した。那須がたまらず飛びのき躱す。

 ミラが無感動な目でそれを見ながら、小さく鼻を鳴らした。

 

「残念だったわね」

 

「いいや、これも視えてたッ!」

 

 背中と顔の一部はじわじわと変質しつつあるが、まだ牙はある。

 生み出す二つのキューブ。作り出される新たなる牙。

通常弾(アステロイド)』+『変化弾(バイパー)』。

 

貫通変化(コブ)────」

 

 那須が飛び退くと、そこには既に弾の合成を終えた若葉。

 タイミングは完璧。不意もついた。ラービットも那須の一撃で体勢を変えた。命中は必至。放たれたら最後、その弾丸はミラらに殺到する。

 

「邪魔だ」

 

「え──?」

 

 足元で、何かが弾けた。

 ぐらり、と何故か足に力が入らなくなり体勢が崩れて、コブラを維持したまま地面に倒れこんでしまう。

 放たれた弾丸が向かうべきネイバーではなく、アスファルトの地面に殺到し、足元を大きく穿った。

 

「『海月』……?」

 

「この程度に引っかかるとはな。先程のミデンの兵士は優秀だったが、どうやらこっちはそうでもないらしい」

 

 路面を砕いて舞った粉塵の向こうで男の──ハイレインが呟き、追撃の魚のトリオン弾が若葉の体を襲った。

 彼は苦し紛れに速射のバイパーで応戦するが、無数の群れ全てを撃ち落とせるはずもなくその大部分を体に受ける。

 

 ぐにゃり、と手が、足が、顔が、トリオン体の要の一つ、意識をつなぐ神経系までもがトリオンキューブへと変わっていく。

 

「こ、れ、やば────」

 

 意識が、遠のいていく。

 

 

 

 

 

 

 

 基本、玲を送り迎えするのは若葉の仕事だ。以前は那須の両親が送り迎えすることもあったものの、ボーダーに入ってからはそれもあまりなくなった。

 学校が終わるといつも若葉はいつも校門で待っていて、玲のクラスメイトが押してきた車椅子を受け取る。

 そして、彼と彼女はボーダー本部へと向かうのだ。

 

 ゆっくりと労わるように押される車椅子。

 彼らの距離は一人分。

 

「……少し痩せたか?」

 

「視たの?」

 

「いや別にそんなスケベ心で見たとかじゃなくてだな、こうやっぱ目の前にいるとどうしても目に入ると言うか……」

 

「じゃあやっぱり視たんだ」

 

「いや……はあ、そうだ、視た。ちょっと軽いのが気になってな」

 

「もう、あんまり視ないでって言ってるでしょ」

 

「そんな言ったって勝手に視える時もあるんだから仕方ないだろ」

 

「デリカシーの問題ですっ」

 

 押す車椅子が重い。玲の体重が、ではない。

 これは命の重さ、彼女から彼への信頼の重さだった。

 

「なあ知ってるか、玲のバイパーのこと」

 

「私のバイパー?」

 

「この前の試合見てた連中が名前つけたんだよ。ほら、米屋を蜂の巣にしたやつ」

 

 その様子じゃ知らないか、と若葉。

 くすくすと漏れ聞こえる声とわずかな振動が伝わってくるためどうやら笑っているらしい。

 

「何がそんなにおかしいの?」

 

「いや、悪い。でも聞いたらお前も笑っちゃうと思うぞ?」

 

 むう、と不満そうに眉を寄せた玲が振り返りながら睨むと、危ないぞ、と軽く肩を叩かれる。

 そして若葉が笑いを少し抑えると、高らかに一言。

 

「──『鳥籠』、だそうだ」

 

 玲が思わず面食らう。

 

 ──私はなにも見てないの、ここは私の『鳥籠』だから。

 

 幼い日のことが、思い起こされる。

 

「そ、それは、なんというのかな……」

 

「でも変な名前だよなー、鳥籠なんて」

 

 背中に小さな笑い声が落ちてくる。

 

「え──?」

 

「ん? どうかしたか?」

 

「ええと、なんにも」

 

 覚えてないか、と玲が独りごちる。

 だってあの頃の自分は無愛想で、悲観的で、何より若葉のことを見ていなかった。

 だから、その日のことを覚えていなくても仕方ない。

 私にとっては特別なことでも、きっと若くんにとってはありふれていたんだろう。

 

「私なんかには、ちょっと派手だし遠慮したい名前かも」

 

「いいじゃんか。玲のバイパーの特徴をよく捉えてると思うぜ? かっこいいしな」

 

「……もう、やめてってば」

 

「? 玲、少し具合でも悪いか? なんか変だぞ」

 

「なにもないわ」

 

「玲?」

 

「なんでもないってば!」

 

 玲が少し声を強くすると、若葉は「あー、ごめん」と謝る。

 そして、ふ、と小さな息を漏らすと、でもさ、と言葉を繋いだ。

 

「俺さ、この『鳥籠』って名前、結構好きだ」

 

 車椅子が動き、遠くにボーダー本部の陰が見え始める。

 

「あの頃つまんなさそうに窓の外を見てた君が、友達と部隊を作って、毎日自分の足で走り回ってさ、シュータートップクラスってとこまで来た」

 

 真っ白な病室で交わした言葉があった。

 籠の中から聞いた、鳥の囀り(おもい)があった。

 

 ──いつか空を飛んでみたいの。

 

 ──空を飛ぶ羽をあげられもしないけど、地を走る足を一緒に探しに行くことならできる。

 

「『鳥籠』が、玲の弱さじゃなくて、玲の強さを表す言葉になったことが、とても嬉しいんだ」

 

 言葉を、失う。

 

「若くん、覚えて──」

 

「あん? まさか俺が忘れてたと思ってたのか?」

 

「べ、別にそんなのじゃ──」

 

「あー、だからさっきちょっと不機嫌だったのか」

 

「だ、だって、若くんと私、あの頃仲良くなかったもの……」

 

「だから俺が覚えてないと思ってた?」

 

「……ええ」

 

「玲は頭いいのに馬鹿だなぁ」

 

 ボーダー本部の手前の横断歩道の前で緑に光る。緑は、進めの合図。けれど彼は横断歩道を渡ろうとせず、足を止める。

 

「若くん?」

 

 玲が名前を呼ぶが、しばらく彼は何も言おうとはしない。

 けれど、やがてゆったりと口を開く気配が伝わってくる。

 

「──の事を──き──ろ」

 

 二人の前を車が通り過ぎ、吹き起こった風が彼の声をかき消した。

 

「若くん、今なんて?」

 

「……聞こえなかったか」

 

 若葉が目をあげる。信号は、もう赤。

 

「俺が玲との事を忘れるわけないだろ、って言ったんだ。大切な幼馴染だしな」

 

 体を背けて玲が振り返ると、そこには器用だけれど、どこか優しい彼の笑みがあって。

 

 それはいつもと変わらないものであったようにも見えたけど、どこか決定的に変わっているような、そんな気がした。

 

 初めて会った時は幼さが残っていたその顔はいつのまにか随分と大人びた。

 身長だってほとんど変わらなかったのに今では彼女の頭は肩ほどまでで、歩幅も大きく違う。

 

 そういえば若葉のことを『若くん』と呼ぶようになったのはいつからだっただろう。

 最初は『あなた』と『君』で、時間を経て『若葉くん』と『那須』に、『若くん』と『玲』に、変わっていった。

 

 変わっていたのは呼び方だけだったんだろうか。

 ほんとはもっと大きなものが変わっていて気づいていなかっただけなんだろうか。

 私たちはいつのまにか『幼馴染』とは違う何かに、まだ名前をつけられない何かに変わっていたんだろうか。

 この関係に名前がつく日が、いつか来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 意識が、消える。

 

 相手の攻撃は無慈悲に俺のトリオン体を変質させていき、動かぬキューブへと変えていく。

 

 だめ、だ、まだ俺は、玲を……。

 

「──よくもッ! 変化弾(バイパー)!」

 

 いい、玲。俺のことはいいんだ。だから、早く君でも逃げてくれ。こいつらは一人じゃ勝てない。

 

 でも、そんな声はもうでない。

 体の八割がキューブに変わりつつ俺には、もう通信する機能すらも残っていない。

 

 玲のバイパーが、『鳥籠』と言われた彼女の弾丸が、その意思に従って人型ネイバー達に強襲する。

 

 だけど、新型の壁を、女の人型のワープの壁を、乗り越えることができない。

 鬱陶しげに男の人型が腕を振るうと、燕のトリオン弾が飛んで玲の腕と足に命中した。

 

 玲が地面に膝をついた。

 

「ミラ、大窓だ。金の雛鳥の下まで行く」

 

「この二人はどうしましょう?」

 

「捨て置け。この手負いではどの道ラービットには勝てん。あとでラービット共々回収すればいい」

 

「了解しました」

 

 人型二人が空間に開いた大きな穴から消えていく。

 逃したら、駄目だ。きっとあの先は三雲がいて、そして、このままでは迅さんの予知から外れてしまう。

 

 それは駄目だとはわかるけど、今の俺には何もできない。

 バイパーを出すどころか、体の指すらも動かすことが────いや、そもそも腕が変質してしまっている。ただの木偶の坊だ。

 

 緊急脱出(ベイルアウト)、今ならまだギリギリできるかもしれない。

 けど、彼女を、玲を置いて行けるわけ──。

 

 二人の姿が掻き消え、そしてラービットが枷から解き放たれたように玲へと襲いかかった。

 

「──っ!」

 

 新型の腕が勢いよく振り下ろされ、足が片方死んで動けない玲の無事な腕を叩きつけるようにして地面に縫い付けた。

 地面に大きな亀裂が入ったのも束の間、ぐにゃりと玲の腕が変質した。

 まるで、さっき動物のトリオン弾に攻撃を受けた時の俺のように。

 

 こうやって他の隊員を捕獲してたのか! 

 

「っ、メテオラ!」

 

 玲が自爆まがいの炸裂弾を撃つと地面が弾けて腕を犠牲にしながらも、なんとか新型の捕縛から抜け出す。

 爆発の衝撃で転がる玲は、半身を起こした状態で地面に倒れた。千切れた腕の断面からはトリオンの粒子が勢いよく噴出する。

 

 そこに襲いかかる新型の追撃の拳。

 けれど、玲はトリオン体のダメージからそれをかわすことができない。

 

 かわすことが、できない? 

 

 かわせない? 玲が? じゃあ、あの子はどうなるんだ。

 新型の手に捕まって、トリオンのキューブになって、捕獲されて、ネイバーに連れて行かれるのか? 

 折角できた友達も、大切な家族もいないところに? 

 

 それは、駄目だろ。

 

 あの子が、泣くことだけは、駄目だ。

 

 だってようやく楽しく暮らせてるんだ。

 空を飛ぶ羽はなくても、一緒に友達と走れる足を手に入れたところなんだよ。

 

 あの子の幸せを、奪うのだけは、絶対に駄目だ。

 

 あの子に笑ってほしい。

 

 それが俺の()()()()()()()()()()()()()()

 

 それを思い出したら、考えるよりも早く、体が動いていた。

 

「トリガーオフ!」

 

 体が自由になる。視界が正常なものへと変わっていく。動かなかった手足もいつものものへと戻った。途切れかけて朦朧としていた意識も帰ってくる。

 

 けどもう何も考える必要はない。

 後のことを考える必要もない。

 ただ、俺のやりたいことをやればいい。

 

 

 だって、俺は君のことが────

 

 

「──玲ッ!」

 

 

 そして俺は、どん、とラービットに拳を振り下ろされようとしていた玲の体を、中は突き飛ばすように押し出した。

 

 ぽかん、としたように玲が俺を、俺だけを見ている。

 

 ああ、ほんと呆れるくらいに美人だな、玲はさ。

 

 そして、新型の拳が、一切の容赦無く、無慈悲に振り下ろされ、俺の生身の身体へと突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 那須の──玲の体が民家の壁をぶち抜いて、しばらくしたところで止まった。

 

「けほっ、けほっ」

 

 無数の瓦礫を掻き分けながら、舞い上がった砂埃にむせる玲が体を起こす。

 

「な、にが」

 

 起きたの、と言おうとして、意識がはっきりし始める。

 そうだ、自分は新型──ラービットにやられそうになり、全力で殴り飛ばされたのだ。

 でも不思議だ、何故拳に捕まりそうになったはずなのに、自分は無傷なのか。

 ……記憶がはっきりしない。ラービットに殴られたせいだろうか。

 

「そうだ、若くん」

 

 玲が片足と片腕がないまま何とか起き上がると、幼馴染の少年の名を呼んだ。

 さっきまでキューブ化しそうになっていたのに、どうやったのか玲を庇ってくれた。

 

「ほんとに、若くんは過保護なんだから」

 

 はやく戻らなければ、と玲が足を進めようとして、何かに滑って転んでしまう。残る片手もキューブになりつつあり上手く受け身が取れなかった彼女が地面に転がる。

 トリオン体故に痛みはないのは不幸中の幸いか。

 

「はやく、行かなきゃ」

 

 呟く彼女はまた立ち上がろうとして、ふと自分の足を滑らせたのが、何かの液体だということに気づく。

 そして、少し遅れて、その色が土に混じり濁ってはいるものの、赤であることにも、気づく。

 

「これ、血──。まさか民間人が──?!」

 

 彼女が慌ててうつ伏せのまま声を張り上げた。

 

「ボーダーB級の那須です! そこの人、あなた──」

 

 声が、聞こえた。

 

「……そのこえ、もしかして、れい、か……」

 

 きっと今までの人生で両親に次いで、名を呼んでくれた、時間を共有した、少年の。

 

 息が切れる。思考が乱れる。動機が激しくなって、視界がブレる、

 

「────う、そ」

 

 そのタイミングでがらり、と近くの瓦礫の一つが崩れる。そして、声の主と玲との間の壁が無くなった。

 

「────若、くん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 しゃらり、と鎖の軽やかな音が雨音が届く部屋の中に響いて沈む。

 

「あのさ、玲」

 

「なあに、若くん?」

 

「その、それ、やめないか」

 

「それ?」

 

「それだよ、そのネックレス、俺の目の前で、しげしげみるの」

 

 玲のベッドの端に腰かけた若葉が気恥ずかしそうに玲の首元に目をやった。

 ゆったりとした部屋着の首元から覗くのは、白磁の肌と、それを彩る金色の小さな鎖。そしてその鎖は玲の手の中で、鳥籠を模したネックレスに繋がっていた。

 

 彼女は手の中のネックレスから目をあげると、こてんと首をかしげた。

 

「どうして?」

 

「どうしてって、恥ずかしいだろ、なんか自分が上げたものをしげしげと見せられるって」

 

「そうなの?」

 

「そうなの」

 

「変な若くん」

 

 玲が、手の中で鳥籠を転がしながら、んー、と指を唇に添えて考えるようなそぶりを見せる。

 

 それは少し前に彼が玲の誕生日にプレゼントしてくれたものだった。

 彼女の代名詞である『鳥籠』のネックレス。

 

 すっ、と玲がネックレスを首元に垂らすと、若葉に少しだけ体を寄せた。

 

「じゃあ、若くんは私がこれ付けない方がいい? ずっと引き出しにしまったままで、誰にも見られないままで」

 

「そ、それは……その、時と場合によるという……」

 

 じっと玲の薄い色の瞳が彼を見据える。

 それに対して彼は────

 

 

「あー、その、し、知ってるか?! 黒トリガーの重さって、大きさや形状に関係なく、一律21gらしいぞ」

 

 

 ──チキって明言を避けた。

 

 あまりに露骨な話題の転換に玲は呆れたように嘆息したが、「少し意地悪しすぎたかな」と、淡い笑みとともに話題に乗った。

 

「21g、魂の重さね」

 

「? なんだそれ?」

 

「あれ、知らない? 人の魂の重さは21gっていう説があるの。でも、黒トリガーが21gなら、その説、あながち間違いじゃないのかも」

 

「へー」

 

「へーって、若くんが話し始めたのに。しっかりして」

 

「うーん、でも俺も東さんが言ってたってのを諏訪さんから聞いた緑川から聞いただけだしなぁ」

 

「又聞きすぎてあてにならない情報ね……」

 

 不意に、談笑していた彼らの指が触れ合った。

 互いにそのことに気づきつつも、あえて離すことはしない。言葉にしてその事実を確認したりもしない。

 ただ離すのはもったいなくて、でも近づけるのは気恥ずかしい。

 近いようでいて遠い。あと少し踏み出せば何かが変わりそうで、けれどどちらも踏み出さない。

 幼い頃から一緒にいるからこその、二人だけの距離感。

 

「……玲は、ボーダー入って良かったか?」

 

 不意に、会話がひと段落ついたときに、彼が玲へと問いかけた。

 

「突然どうしたの?」

 

「いや、さ。前に言ったろ、『一緒に足を探しに行こう』って」

 

 若葉が苦く笑いながら言葉を続ける。

 

「でも、俺は実際君に何もできてない気がしてさ。ポイントも抜かれちゃって久しいし、ソロでぶらぶらしてる俺と違って部隊も作ってる。友達も増えて、そう考えたら俺あんまり役に立ってないなー、とか考えちゃって……、悪い何言ってるかわかんないよな」

 

 ふ、と若葉が表情を緩めてどこか遠くへと視線を滑らせた。

 玲は何も言わずに、そんな若葉の横顔をじっと見る。

 

「たぶん君が幸せになるのに、俺はいらなかっ────ってえ! 抓るな! 腕を抓るな!」

 

「ふんだ、変なことを言う若くんが悪い」

 

 彼女は少しの怒気を滲ませて、ぱちん、と若葉の頬を両手で挟んで自らの方を向かせる。

 

「若くん、私、今とても幸せだと思う」

 

 友人がいて、好きなものが食べられて、自分の足で動き回れる生活。

 子どもの頃の自分が聞いたらきっと信じられないような、素敵な時間を過ごしている。

 

「でも、それは全部若くんがいてくれたおかげなのよ」

 

「ーーー」

 

 真っ白な病室。窓しか外の世界を感じれない『鳥籠』の中。

 ずっとこうやって死んだように与えられるだけで時間が過ぎていくと思っていた。

 けれど、そんな中、突然やってきた一羽の鳥が、世界に色を添えたのだ。

 あの日、那須玲という少女は世界に笑顔(いろ)があることを思い出す。

 

「きっと、私という『鳥籠』は、あの日幸せの青い鳥を閉じ込めちゃったの」

 

 だから、変われた。

 だから、歩き出そうと思えた。

 だから、空飛ぶあなたに憧れた。

 

 いつか、一緒に飛びたかったから。

 

 冗談めかしたように、少女は歌う。

 

「私は青鳥若葉くんに感謝してます。昔も、今も、きっとこれからも」

 

 だから、ずっとそばに居て欲しい。

 私の青い鳥のあなたがいれば、きっとどこまでも飛んでいける。笑っていられる。

 

 ねえ、若くん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「若、くん?」

 

 思わず名を呼ぶ。呼んだ。呼んでしまった。

 呼ばなければ、返事がなければ、彼でないと信じることもできたのに。

 

「やっぱ、れい、かぁ……」

 

「う、そ、嘘、うそ、なんで、わかくん、どうし、て、そんな、嘘、でもそんな──」

 

「あんま、おおきなこえ、だすなよ……めがみえないせいで、みみが、すごくきこえるんだ……」

 

 若葉が、くしゃりと笑んだ。けれど額からは血を流した彼の瞳に既に光はなく、なにより腰から下があるべきところには、もうなにも残っていない。

 ただ、上半身だけが引っかかるように壁に背を預けていた。

 誰がどう見ても致命傷。

『青鳥若葉』という少年の命の灯火は今まさに消えようとしていた。

 

 誰のせいでこんなことになったのかなど、考えるまでもない。

 

「わ、たし、のせい、なの……」

 

「ちがうよ。ちがう、れいの、せいじゃない」

 

 かろうじて絞り出した言葉を、若葉は即座に否定した。

 

「おれが、やりたくて、やったんだ。きみのためじゃなくて、けほっ、おれの、ためだ」

 

 光の消えた瞳が虚空を見つめる。

 

「……なあ、れい、ねっくれすのこと、おぼえてるか。あめのひに、はなしたろう、とりかごの、ことをさ。あのとき、いえなかった、けど、ほんとは、きみがつけて、くれてるの、うれしくて……」

 

「やめて! そんな、そんな、遺言みたいなこと……!」

 

 ふっ、と若葉がゆるりと頬を緩める。

 みたい、ではない。これは、青鳥若葉が送る、最後の言葉。

 

「きいてくれ、れい、おれ、あんまり、はなせそうにない……」

 

「嫌! ききたくない! 言いたいことがあるなら家に帰って、私の部屋で話して!」

 

「おれさ、ばかみたいなけいかく、たててたんだ。いつか、れいのぽいんと、けほっ、けほっ、ぬきかえしてら、きみのぶたいに……」

 

「やだ、そんなの、やだ、若くん……!」

 

「……れいは、しかたない、なぁ……」

 

 駄々っ子のように同じ言葉を繰り返す玲は、必死に動こうとするが、過呼吸のせいで、うまく体を動かす感覚がわからない。

 

「……れいはさ、おれにたすけられたって、よくいってたよな」

 

 でもさ、違うんだ。

 本当に助けられていたのは玲じゃない。

 きっと青鳥若葉という人間が、誰よりも救われていた。

 人は何年も、何十年もかけて人生を賭けてやるべきことを、やりたいことを探す。

 けれど、若葉は玲と出会い、恋をして、彼女の幸せが見たいと、心から思った。

 それは、きっととても恵まれていたことだった。

 これほどまでに想いを向けられる(ひと)がいて、恵まれていないはずがない。

 

 君の幸せが見たかった。

 君の笑顔を代え難く思っていた。

 君の優しさに惚れていた。

 君の悪戯っ気を微笑ましく思っていた。

 

 君の全てが唯々、愛おしかった。

 

 遅いかな? でも、俺は──。

 

「俺は、玲のことが大好きだった」

 

 若葉が笑う。消えかけの灯火が最後に光るように、明るく、熱く。

 

「なんで、いまさら、そんなこと……!」

 

 玲の瞳から雫が溢れ、頬の輪郭を沿って滑って落ちる。

 若葉の血と、玲の涙が混じって溶ける。

 

「今まで一度も言わなかったのに! なんで、いまになって、そんなことっ!」

 

 流れる涙は止まらない。

 彼の命が溢れるのが止まらないように。彼女の涙もまた、止まることはない。

 

「好きなら、私のそばに、ずっといて……」

 

 最後は幼子がすがるように、言葉が紡がれる。

 

「ーーー」

 

 若葉が荒い息のまま、静かに瞳を閉じて、途中血の混ざる咳をしつつも、薄く息を吐いた。

 

「なあ、れい、むかし、いってたよな、『いつか空を飛んでみたい』って」

 

 若葉の手が震えながら上着へと伸びて、小さな黒いものを取り出した。

 

「なら、おれが、つばさになるよ。とべないきみのための、きみのためだけの、つばさに」

 

「まさか、若くん────」

 

 『トリガー』。彼らが戦うための、日常を守る武器の名前。

 

 

「……あんしんしろ。これからは()()()()()()()()

 

 

 彼がトリガーを握り目を閉じると、淡い光がトリガーから漏れ始める。

 戦闘体を構築するときと良く似ているようで、決定的にどこかが違うトリオンの光。

 

「あ、あ、あああ」

 

 そういう意味で言ったんじゃなかった。

 ただ、ずっと一緒にいたかっただけだった。

 他愛のない事を話して、時には喧嘩をして、熊谷や、日浦、小夜子たちと笑いあって、いつか想いを伝え合う。

 そんな、日々を夢見てただけだった。

 

 なのに、どうして、こうなってしまうの。

 

「わか、くん────」

 

 玲が若葉の体に触れようと手を伸ばそうとして──今の自分はどちらの腕も使えなかったことを思い出す。

 

「まって、私は、言わなくちゃいけないことが──」

 

 届かない。間に合わない。最後に()()()()()()()()触れることすらできない。

 

 二人の視線が交わった。

 

 

 

「幸せになれよ、玲」

 

 

 

 そして、『彼女』は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「那須先輩……?」

 

 レプリカを抱えた三雲修が、現れた女性の名前を呼ぶ。先程時間を稼ぐために彼を助けてくれた二人の隊員のうちの一人。

 でも、もう一人の男の隊員──青鳥の姿はどこにもない。

 

「……お前は」

 

 ハイレインが、目の前の女に目を向ける。

 先程まで死に体であった兵士。その少女が片腕をなくし、残りの腕と片足を変質させたトリオン体でその場に現れた。

 

 ハイレインの問いかけに少女は答えない。

 

 ハイレインは無感動に、トリオン体をキューブへと変える燕型の弾丸を射出する。

 

 直後、瞬時に少女の姿がトリオン体から生身へと戻る。今まさに命中しようとしていた燕が朽ちて消えていく。

 

「ッ、まさかトリオン体を……なに」

 

 ハイレインが息を呑んだのもつかの間、直ぐに眉をひそめられた。それもそうだろう。何故なら、少女は生身に戻った瞬間、自らの身体すらを支えきれなかったように地面に崩れて落ちたのだから。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「……病人か。ここに来た意味もないだろう」

 

 ハイレインが視線を外して、三雲へと弾を射出しようと、弾丸を展開して────()()()()()()()()()()()()

 

「何────?」

 

 今度こそ、ハイレインの目の色が変わる。

 何故なら、そこには周囲に光弾を旋回させたまま地面に倒れている少女がいたのだから。

 

「──こんな力、いらなかった」

 

 頬を冷たい雫が滑る。

 

「本当は、ただみんなで笑っていれる時間があればよかった。

 でも現実はそんなにうまくいかなくて、手からこぼれ落ちたものがあって」

 

 少女の荒い息が、次第にゆっくりと収まっていく。

 

「そして託されたものがあって、信じてくれた想いがあって、伝えてくれた言葉があった」

 

 消えていた瞳に光が灯っていく。

 

「だから、戦うの。だって、二人ならなんでもできるから」

 

 少女が────那須玲が、胸のペンダントを強く握る。

 その鳥籠の中には小さな黒い羽が眠っている。

 

 彼から託されたそれから手に伝わる重さは、泣きたくなるほど軽かった。

 

────黒トリガーの重さって大きさ形状に関係なく、一律21gらしいぞ。

 

 いつかの会話を、思い出す。

 彼の命は尽きたとしても、この手に伝わる重さが、若葉の存在を伝えてくれる。

 

 玲がペンダントを手にして、叫ぶ。

 

 

「トリガーオンッ!」

 

 

 身体がトリオンで作られた戦闘体に変わるその一瞬、手のひらにいつか触れ合った指の温かさが、伝わってきた。

 

 

 ────頑張れ、玲。

 

 

 

 じわりと溢れそうになった涙を歯を噛んで抑えると、相手をしっかりと見据えた。

 

 

「貴方、を倒す。若くんと、私の二人でっ!」

 

 玲が彼の形見(黒トリガー)に手をかけると、周囲の弾丸が旋回し彼女の背中に光を集めた。

 

 

 

「若くんのくれた私の翼でっ!」

 

 

 

 それはまるで、彼女がいつか憧れた空を飛ぶための翼のようだった。

 

 

 

 

 



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