錬金術師は曇天に嗤う 作:黒樹
新しい御主人様はとても不思議な人だ。あの日、私の所有権を奪った男を一言で表すならその一言以外に私は言葉を持ち合わせていない。
奴隷にとって御主人様の命令は絶対。それがどんな内容であろうとも遂行するのが私達に課せられた役割だ。そこに人権というものはあらずまるで家畜のように扱われることが殆どで人間的な扱いを受けられる者は極少数。例外があるとすれば、職業奴隷のような重要な役割を担う暗殺者のような者達だけだろうか。
暗殺者は仕事の成功率重視のため、不当な扱いを受けることが少ない。暗殺者のモチベーションが低いと成功率が下がるからだ。もちろん、恐怖で支配するという選択も多く大抵がそれだ。
–––もちろん、奴隷に怨みを買い命を狙われるケースが多い。
故に奴隷を扱うスキルには一つ、絶対的な権限を持つものがある。元々、奴隷は逆らえないシステムとなっているが、暗殺のような命令に阻まれる前に殺すなどといった方法を防止するために『枷』と呼ばれる。禁忌項目の設定ができるのだ。
たった一言『主人に危害を加える事を禁ずる』と命じておけば、それだけで主人を害することはできなくなる。それが私達、奴隷が主人に逆らえない理由の一つだった。
結託も、反乱も、反抗も、私達には許されない。
自由を奪われた私達は……私はだからこそ不思議に思った。
榊原圭一。新たな御主人様となった彼は『主人を害することを禁ずる』命令を下さなかったのだ。
これではどうぞ殺してくださいと言っているようなものだ。契約主が死ねば、奴隷紋は解除され自由の身となれる。ならば殺すのが一番手っ取り早い方法で私と同じ立場の人間なら誰だってそうするだろう。目の前にある自由を求めて私は手を伸ばそうとして……その手を伸ばしかけて、やめた。
目の前にある当たり前の幸福を諦めて、代わりに一つ馬鹿馬鹿しいことながらも疑念を解消することにした。
「……圭一様、一つよろしいですか?」
「なんだ?」
「禁忌項目についてはご存知で?」
「無論、知っているがそれがどうした」
何食わぬ顔で圭一様は肯定した。まるで要領を得ないといった返しに私は語気を強める。
「何故、御主人様を害することを禁じられないのですか?」
信頼しているとでも言っているのだろうか。馬鹿馬鹿しい。私はいつでも裏切るつもりだ。隙さえあれば彼を殺して自由を手に入れる。そのつもりだったのに私は何を質問しているのだろうか。
しかし、彼は意外なことに首を傾げてまるで私がおかしいみたいな反応を返す。
「俺が気づかないのをいいことに殺す算段でもしないのは何故だ?」
普通、指摘するべきではなかった。それは私も承知の上。だから、禅問答のような返しを彼はしたのだろう。私はその問いに答えられなかった。
他にも私の御主人様がおかしいと思う点はある。まず私を奴隷にしておきながら何も命じられないことだ。夜伽はおろか暗殺も雑用も申しつけられない。普通、女の奴隷がいれば男の主人は肉欲を満たすものだが、彼にはそういう欲望が一切感じられない。暗殺者として使うつもりがないのなら、性奴隷として働かせられると思って内心ビクついていた記憶も新しい。
そんな私の不安が最高潮に達したのは帝国の使者が国へと帰還するその夜のことだった。
宛てがわれた部屋は御主人様と同じ部屋で二人暮らしをすることに。監視の意味か、ついに夜伽の相手として仕事をせねばならないと半分覚悟を決めて殺害するか迷っていたが、私の不安も肩透かしを喰らったのは極最近だ。
戦々恐々としながらも御主人様と同じ部屋に押し込められれば、彼が私を求める言葉を今か今かと待っていれば御主人様は早々に就寝してしまったのである。
……無防備にも程があるだろうにと毒気を抜かれて逆に私が困惑してしまい、悩む自分がバカバカしくなってやはり私も御主人様の隣で寝てしまったわけだが。一人部屋のベッドを二人で使うのは割と窮屈だった。
そんなこんなで私の奴隷生活は進んでいく。
「……まさか、こんな平和な日々を私が過ごすことになるなんて」
何もせず、御主人様に仕える日々。後ろ暗い仕事もなく、何もしなくていい。どんな小さなことでも御主人様は自分の手でやろうとするので私は手持ち無沙汰で退屈というか、なんというか……言い表せない妙な気持ちになる。
「御主人様、そろそろ時間ですよ」
「……そうか。はぁ」
黙々と作業に興じる苦手なことがなさそうな御主人様でも苦手なものはあるようだ。この場合、苦手な人と言った方が正しいのかもしれないが。
「……気が進まないが行くしかないか」
御主人様が憂鬱にもため息を吐く理由。それは実技訓練にある。どうやら御主人様と懇意にしている異性がいる故に参加を余儀なくされているらしいが、ここ最近別の事情がありずっとこの調子だ。
修練場に行くとそこには御主人様と同じ神の使徒達が勢揃いしていた。暗殺者も裸足で逃げ出す気配遮断スキルを用いて整列している列に割り込もうとするとその姿を認識した女子生徒が二人いた。
「遅いわよ。圭」
「遅刻よ圭一」
二人の女子生徒の声に反応し全員の視線が御主人様に向く。圭一様は浴びせられた視線には目もくれず、ただ二人の少女に挨拶を返していた。
「少し片付けに手間取った」
–––嘘だ。御主人様は息をするように嘘を吐いた。
その嘘に恋をする乙女のような顔をして猫撫で声で媚びる少女の名は確か優花といったか。もう一人の武士のような雰囲気の女子と合わせ彼女達二人に対しては御主人様は少し優しげな雰囲気を纏う。どうも御主人様本人は気づいていないようだが。
「うむ。圭一も来たようだな。では、始めるか」
騎士団長の号令にて訓練が始まる。仲のいい三人が固まり、訓練を始める。そこにいつものようにあれが現れるのだ。
「榊原!」
その男を一言で評価するとしたら『偽善者』くらいが適当だろう。勇者の器としては最高なのだろうが、その少年には少し夢見がちなところがあって私は好きになれないでいた。
「チッ」
明らかな舌打ちをして嫌悪感剥き出しにして嫌そうな顔をする御主人様。面倒臭い奴が来たと言わんばかりに視線を逸らした。継いだ勇者の言葉は数日前より聞き慣れたものだった。
「榊原、今日こそ彼女を奴隷から解放してもらうぞ!」
……さて、これは何度目になるのやら。何度も語る勇者の理想論。非現実的な夢物語の開幕だ。
また始まったと言わんばかりの外野がチラチラと様子を窺う中、頭痛が痛いと重複した意味で頭を抱えている八重樫雫をさておき、これまた何度目かわからない提案がなされる。
「今日こそ俺が勝ったら彼女を解放してもらう!」
「……そんな約束をした覚えはないんだがな」
面倒臭そうに腕組みをしてため息を吐く御主人様のこの対応も何度目か、ふと思いついたようにニヤニヤと悪い顔をする。
「ならばこうしよう。天之河が負けたら奴隷を増やすってことで」
「なんだと!?」
「そうだ。白崎あたりで手を打とう」
奴隷一人の解放を賭けるなら、奴隷一人増やすことを条件とするのは等価でありその提案は別におかしくないのだが、勇者は敵意の篭った目で御主人様を睨む。因みにその白崎様の親友の八重樫様といえば、問題には思っていないらしく否定的な考えを示しはしなかった。それほど御主人様を信頼しているということだろうか。
「ふざけるな!」
「冗談だ。間に受けるなよ」
冗談で奴隷にしそうなのが御主人様だと、八重樫様と園部様が口にしないまでも半目で物語る。一興だとやる気のなさげな顔で言う御主人様の顔が思い浮かぶあたり私も末期かもしれない。
「まぁ、毎回挑まれて迷惑を被っているんだ。交渉の一つくらい当然の権利だろう」
言葉の裏にはまったく交渉のテーブルに着く気がないのは両手で数えるほどしか一緒に過ごしたことのない私でもよくわかる。
勇者の性格と御主人様の性格を鑑みれば、当然の帰結といえよう。
「要求は依然としてシャルロットの解放か。ならばこちらの要求は奴隷一人追加だ」
「そんなの認めるわけがないだろう!」
「呑めないのなら交渉する余地はない」
まさに独壇場。御主人様は口が達者なようで勇者に反撃の隙を与えない。
しかし、ふと思いついたように更なる提案をする。
「男の奴隷は趣味ではないが、別に賭けるのはお前でもいいんだぞ?」
御主人様の提案の意図を察したのか遠い目をする八重樫様。なんとも言えない哀れみを含んだ慈愛に満ちたものだった。
「いいだろう。その勝負受けて立つ!」
斯くて、賭け試合が成立した。
結果だけを報告させてもらうならば、御主人様の圧勝だ。先手は勇者が取ったものの接近した瞬間、私がやられたように服を拘束具にされて即座に戦闘不能に陥りなすすべもなく敗北を喫した勇者は今や地面に転がされて背中に奴隷紋を刻まれている。屈辱的な表情を見ているとなんともまぁ自分と重ねてしまうわけで、親近感が沸いた。
「そうだ。禁忌事項の設定をしてみようか。『楯突く事を禁ずる』こんなものでいいだろう。ついでに『話し掛けてくるな』これでいいだろう。我ながら完璧だ」
スッキリとした表情の御主人様に対して、「あーあ」と言いたげな八重樫様と園部様が当然の帰結だとでも言うように様子を見守っているが止める気はさらさらないようで、そこでふと園部様が思いついたようにとんでもない一言を言い放った。
「ねぇ、圭。私も奴隷にしてよ」
「ちょっと優花何言ってるのよ!?」
愚行を止めるべく八重樫様が肩を掴んだが、園部様は止まる様子がなかった。
「だって、圭の奴隷になれば四六時中一緒にいられるでしょ?」
何故、そこで私を見るのか。単に私が圭一様と同じ部屋に押し込められているのは奴隷以前の問題なのだが、名案とばかりにアホな事を言い出す園部様に私は驚愕した。ドン引きである。恋は盲目というが、これほどまでに人を狂わせるとは……私もああはなりたくないものだ。
「……たとえ奴隷にしたところで同じ部屋じゃないぞ」
その理屈だと勇者様までもが御主人様と同室になってしまう。引き攣った顔で指摘する御主人様は彼女を窘めたが不満そうな反応を示す園部様はなお言い募る。
「シャルロットさんは一緒じゃない。……ずるいよ」
「監視だ。疚しい理由じゃない」
危険人物を元々は御主人様と同室にする事を王宮側が反対したが、奴隷の管理は自分ですると圭一様は突っぱねてしまい今に至る。でなければ、藁小屋で暮らすことになっていただろう。もしくは地下牢で過ごすことになったかもしれない。もちろんのこと、監視は怠らず何かあった場合は全責任を御主人様が取ることになっており、もし私が他の者に危害を加えた場合、その処罰は圭一様が被ることになっている。
「むぅ〜」
頬を膨らませて抗議する園部様。不機嫌の理由は私がいることで二人きりになれないからだろう。何かと私も御主人様の側に控えているので以前より二人きりの時間は減った筈だ。私も意図しているわけではないのだが。
「おい雫どうにかしてくれ」
「自分でどうにかなさい」
御主人様はあっさりと見捨てられた。
そういうわけで私は少し御主人様から離れてみることにした。夜、押し掛けてきた園部様と御主人様を二人きりにして『命令』で束縛されるよりも早く部屋を脱出する。形だけの奴隷というなんとも奇妙な現状に満足している私がいて、くすりと笑みが浮かんでしまった。
「今頃、お二人はどうなさっているでしょうか」
二人きりにされて困った御主人様と園部様の顔を見るに面白い展開になった。と、私の勘が告げている。覗けないのが残念だが人払いくらいはしていようと廊下の監視をしていた時だった。
月を見上げる私の背後に人が現れる。その気配はゆっくりと私に近づき、数歩背後で止まった。
「シャルロットさんじゃないか」
「おや、奴隷に堕ちた勇者様ではありませんか」
皮肉を込めて言うと渋い顔をする勇者様、因みに普通に立場を考えれば私のこの言動は王宮の者に訊かれれば咎められることになるが、今や奴隷の先輩後輩なので目上は私となる。
「……いや、まぁ、だけどすぐに解放されるさ。君も俺が解放してみせる」
どの口が言っているんだか。
私はこの人を好きになれないでいた。
–––何度、その言葉を訊いただろうか。
有言実行されない口約束に私ははなから期待などしていない。
それにそもそも私は……どうやら解放されるのを望んでいないようだ。
何故かと言われても、私にもよくわからない。
その答えは、理屈とかだけの話ではないのだが。
「はっきり言って私はあなたが嫌いです」
–––これだけは言っておきたかった。
「まるで自分がやっていること全てが正しいみたいに振る舞って。何も知らないくせに正義感を振りかざす。あなたが私は嫌いです。それこそ圭一様に比べて性質が悪い」
「な、いきなり何を……」
「あなたの言葉は軽いんですよ。責任が伴っていません」
解放する。言うだけなら簡単だ。誰だって使える言葉。だけどそれだけじゃ意味がない。私は未だ、鳥籠の中の鳥なのだから。それは奴隷云々の話だけではない。
「では、もし、私を奴隷から解放できたとしてその結果どうなりますか?」
「奴隷から解放されて……その先?」
「既に広まりつつありますが私が圭一様の元へ来たのは、勧誘が無理ならば暗殺という命に従った結果です。私が王国から処罰されることもなく、殺されることもないのは圭一様の御尽力のおかげなんですよ」
とぼけた顔の勇者に私は呆れてしまった。
「私は暗殺に失敗しました。私を待つのは王国からの断罪か、元主人からの口封じのみ。元から私に残されたのは死のみです。追手が来るのは数日後、のはずですが……王宮内では容易に手が出せない状況でしょう。それが私を守る二重の鳥籠です」
鳥籠の一つは『圭一様の奴隷であること』であり、その恩恵は容易に外から手が出せないことにある。故に私も早々に御主人様を殺せないわけだが、皮肉めいた話だ。
鳥籠の二つ目は『私が元暗殺者であること』であり、失敗した私を元御主人様は放っては置かないだろう。口封じに暗殺者を送ってくる可能性がある。それを守るのが一つ目の鳥籠というわけだ。
私は奴隷であることで守られているのだ。もし、一つ目を先に壊してしまえば残るは破滅のみ。なんとかして二つ目を先に除去しないと私は自由の身になれない。私が圭一様を暗殺しに来たという事実が公になっていないことから、今も私の元雇い主は元気にしているだろうが。どう転ぶか私にはまだわからなかった。
「まぁ、そういうわけで今王宮を追い出されたら私はすぐに殺されるでしょう。そうならないのも圭一様のおかげというわけです」
「そんな酷い話があってたまるか!」
「そういう残酷な世界なんですよ。でも、今は……」
なんとなく、泡沫の夢に浸っていたい気分なのだ。私はどうやら現状に満足しているようでそれがおかしくて笑みが溢れる。そんな私の姿をわけがわからないという風に勇者様は見ていた。きっとこれは理想論しか語れない彼には理解不能な話なのだ。