錬金術師は曇天に嗤う   作:黒樹

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天之河光輝の激昂

 

 

 

俺の人生で五本指に入る最悪な出来事。それは、翌日に訪れた。

 

「おい、榊原!」

 

教室に入った俺を見るなり血相を変えた男子生徒が叫ばんばかりの声音で詰め寄って来た。その男子生徒の名は天之河光輝。朝一から聞く声がこの男の声、それにつっかかれたら誰だって嫌だろう。まぁ、普通、女子生徒なら天にも昇る心地に至るのだろうが。生憎と俺にはそっちのけはない。

 

普段と違うことといえば、白崎と八重樫から声をかけられないこと。それもそのはず、昨日は自分から関係を断つことを脅迫したのだから当然だろう。

 

天之河が朝一から激昂した様子で詰め寄ってくる理由もおそらく、いや間違いなくそれだ。

 

「なんだよ、朝からピーピー喚きやがって」

「どうしたもこうしたもあるか!香織と雫に何を言った!」

 

こうなることも想定のうちだ。面倒な事この上ないが考えてみて欲しい。天之河の要望は白崎と八重樫と関わらないことだ。俺は普段、教室の隅でゲームや読書に興じているため誰と話すこともない。そこに話し掛けてくるのはあの二人なのだ。少しばかり、休日には八重樫と会うこともあるがそれだけだ。

『クラスメイト以上、友達未満』という言葉が俺とあいつらには相応しいだろう。

その二人から話しかけることしかない。それならば、彼方からの関係を断つ以外に方法はないだろう。俺は最初から何もしていないのだから。

 

「何を怒ってるんだよ天之河。テメェの要望に応えてやっただけだろ」

「俺はそんなこと頼んじゃいない!」

「何が不満なんだよ。これでテメェの大事な幼馴染が俺に関わることはない。テメェが望んだ結果だろ。喜べよ、天之河」

 

感謝される謂れもなければ、責められる謂れもない。

鞄を机に掛けて、俺は自席に座る。

 

「望んだ結果だと……?」

「俺はそんなこと頼んじゃいないって顔だな」

 

憤怒。それが、今の天之河の顔に張り付いている。

 

「雫は泣いていたんだぞ!あの雫が!いったいお前は何をしたんだ!」

 

胸倉を掴み天之河が糾弾する。

俺には男の顔を間近に見る趣味はない。

しかし、八重樫が泣いていたか。

そんなもの、既に見慣れてる。

 

「……あの雫が、か」

 

くだらない先入観を持っているせいか、天之河には盲目的なところがある。今の状況がそれだ。

 

「で、俺にどうしろと?」

「謝罪しろ」

 

天之河の主張に同意したように冷たい視線を浴びせるクラスメイト達。事の詳細は既に色々な噂となって飛び交っているようだ。

 

「ハッ。誰がするかよ」

「そうか。ならば、仕方ない。力尽くでも謝らせてやる」

「ほう?できるものならやってみろよ。俺をハジメやそこらの不良と一緒にするなよ」

「放課後、グラウンドに来い」

 

誰もが確信しただろう。天之河の勝利を。脳裏に浮かんだだろう、天之河の前で這い蹲る無様な姿の榊原圭一の姿を。だけど、そんなことにならないことを南雲ハジメだけが知っていた。

 

 

 

 

 

放課後。既に『決闘』の噂は全校生徒に知れ渡ったらしく奇妙な人集りがグラウンドの隅に出来ていた。衆人環視の輪の中に天之河が待っている。逃げないようにか複数の視線が監視をしていた。それは俺の存在を快く思っていない者達の目だ。檜山やその他、昔ちょっかいをかけてきた奴らが心待ちにしているのがわかる。俺がボコられる様を想像するのが楽しいのだろう。俺も天之河の腐った性根を叩き折るのが楽しみだ。

 

だが、後になってやる気を著しく失くす俺は決闘に憂鬱になっていた。正直言って面倒なのだ。

 

教室を出てグラウンドに向かう。席を立った時、俺を呼び止める奴がいた。

 

「ねぇ、本当に光輝と喧嘩なんてするの……?」

「干渉するな、って言わなかったか?」

 

俺の制服の裾を指で摘み引き留める八重樫雫。やはり、困ったような顔で微笑を浮かべる。苦笑いに近いその表情はなんだか泣きそうに見えた。

 

「八重樫。男が女を傷つける方法なんて大抵一つしか思い浮かばないだろう。それとも直接、言葉にしなきゃわからないか?」

「……それは私を女として見てる、という意味かしら」

 

気丈に冗談めかして言ってみせる八重樫に俺の表情は曇る。けれど、その言葉について言及する前に八重樫が今度こそ本当の意味で微笑んでこう言うのだ。

 

「なんてね。どうせあなたのことだから、そんなことできないでしょう」

「チッ。そうならないように気をつけておけよ。男なんて何するかわからないからな」

「それはどうも。でも、問答無用で襲わないあたりあなたが優しいっていうのは事実だと思うけど。悪いのは口だけね」

「豚箱にぶち込まれたくないだけだ」

 

用がないなら行くぞ、と袖を振り払う。

そんな俺の腕を今度は確かに掴んだ。

 

「待ちなさい榊原君。……光輝には、勝てないわよ」

 

だからやめなさい。と、言葉にせずとも八重樫はそう言っているようだ。不安そうに見上げてくる上目遣いな視線を横に受け流して、俺はまた腕を振り払う。

 

「矛盾ってあるだろう。何をも貫く矛と絶対に壊れない盾の話が。だけど、最後には本当に強い奴が勝つんだよ。道理だろう」

 

グラウンドに向かう道。そこでも俺を待つ奴がいた。

 

「なんだ帰ってなかったのか」

「いきなり喧嘩だなんて聞いたらね。最悪、死なない程度で止める役は必要かなと」

「その役割は既に配分されてると思うが?」

「そうだね。じゃあ、僕は見てるだけにするよ」

 

ハジメはそう言って背後を付いて回る。

 

 

 

グラウンドに着けば一角に集まった生徒達から視線が向いた。

 

「逃げずに来たか」

「売られた喧嘩は極力買う主義なもんでな」

 

もちろん、敗戦濃厚の戦には手を出さないが。モーゼのように人垣が割れたところを進む。中心にいた天之河と対峙したところで人垣はまた輪になって逃げ場がなくなる。

 

「俺は木刀を使う。武器はいるか、榊原」

「じゃあ、二本ほど貰おうか」

 

準備されていたのは一本ずつ。新しく別の木刀を周りにいた剣道部員が取りに行った。そして、持ってきた二本の木刀を天之河が俺に投げてよこした。空中に踊る二本の木刀を手にして軽く振って具合を確かめる。まだスイッチは入っていない。喧嘩をするには少し普段の自分の怠惰さが闘争本能を抑制していた。

 

「用意はいいか」

「いつでも来いよ」

「ならば、行くぞ!」

 

合図は一瞬のうちに。ダッ。と、天之河が駆け出した。木刀を上段に振り上げまずは一振り振り下ろす。力の篭った一撃を俺は横から逸らすように打ち合わせた。

 

「ただの力任せと思っていたがこれは手こずりそうだな」

 

逸らされた木刀を反転させ横薙ぎに振るう。それを今度は押し上げるように木刀で打ち返した。

 

「それだけの力をお前は喧嘩なんかに使っているのか!」

「喧嘩で培った技術だ。喧嘩から生まれた力に何を求めてるんだよ」

 

実際、身体を鍛える以外、実践技術といえば喧嘩くらいしかない。そう考えると天之河が剣術道場に通っていた噂が本当なら実践経験に事欠くかもしれない。

 

「フッ」

「ハァッ!」

「フンッ!」

 

何度も天之河は両握りの木刀を振るってきた。沸き立つ周囲に俺の集中が切れる。神経質が災いして、何度も振るわれた木刀の一振りの一発が左肩を撫でた。

 

「くッ……チッ」

 

衝撃によって左手の木刀を手放してしまう。周りから歓声が上がる。この見世物を観戦者は随分と楽しんでいるようだった。

 

「まだやるか?雫と香織に謝罪するのなら、もうやめよう」

「–––何を言ってんだよ天之河。ようやく身体があったまってきたところじゃねぇか」

 

–––スイッチが入った。

 

「……なに?」

 

世間一般的に知られていることだが、学校の制服である学ランやブレザーというものは重く打撃衝突に関しては少しばかり防御力がある。しかし、防御力の反面、動き易さ等の素早い動きというものを阻害する。故に俺は着ていた制服の上着を脱いだ。次いで、シャツをはだけさせ袖口から腕を抜いた。上半身だけが裸になった。

 

「さて、と……始めようか」

 

周囲からの喧騒が消える。騒然としていた者達の僅かばかりが息を飲んだ。

 

その瞬間、俺は既に木刀一本を手に切り込んでいた。

 

「ハァッ!」

「お、重い–––!!」

 

斜め上に切り上げる斬撃。辛うじて天之河は防いだようだが、後退するしか道は残されていない。全力で振るった木刀の一撃は天之河の表情を驚愕へと変えるものだった。

 

「だが、これなら雫の方が強い!」

 

それはそうだ。素人が剣術家相手に敵うはずがない。ならば、道場に通っている自分の方が有利と判断したか天之河の絶対不可避な一撃が俺へと迫る。それを避けることもせず俺は更に木刀を振るった。

天之河は最初に自分の攻撃が当たることを確信していたのだろう。今更、回避などしなかった。だけど、それは俺に対して最も愚かな選択だろう。

 

「ガアアァァァァ!!」

 

天之河の木刀を腕で弾きながら右手の木刀で突きを放つ。攻撃を受けても倒れないどころか怯まない俺に対して、面食らったように眉を跳ねさせ直撃を受ける。

 

「ぐはぁっ!?」

 

膝をついたところに横腹へ蹴りを入れる。サッカー部程ではないが威力は鍛えただけあり、もろに入れば胃の中のものを吐き出すくらいには高威力の一撃だ。堪らず、天之河は腹を抑えて転がる。胃の中のものをひっくり返して咳き込んでいた。

 

女子生徒達からの悲鳴が上がった。

 

「立てよ天之河。剣道の試合なら一本取れば終わりだが、生憎とこれは喧嘩だ。どちらかが折れるまで終わらない。立てなきゃそのカッコいい顔が台無しになるぞ」

「ゼェ、ハァ、ゼァ……ゲッホ、ゴッホ」

 

よろよろと立ち上がる天之河の姿に俺はほくそ笑む。

罵倒の嵐も、心地の良いそよ風のようにしかならない。

血が滾り、心躍る、暴走。まさに火の如し。

普段はおとなしい奴ほどキレると怖いというが、典型的タイプに当てはまるのが俺だった。

 

「俺に謝らせるんじゃなかったのか?テメェの正義とやらはその程度か、天之河」

「う、うるさい。す、少し…油断しただけだ」

 

相当効いたのか木刀を持つ手は震えている。未だに息が整っていないところを見るにまともなダメージを喰らったのは初めてなのだろう。

 

「俺は何としてでもお前を地面に這い蹲らせてやる」

「やれるもんならな」

 

再度、天之河は突撃を仕掛ける。フェイントを混ぜた木刀での一撃を狙う。しかし、縦横無尽に木刀を振るう俺の攻撃に防戦一方となった。なにせ当てても意に介した様子なく攻撃してくるのだ。一撃でも当たれば大ダメージとなってしまう天之河にとってこれほどの脅威はないだろう。

 

しかし、その時が終わる瞬間が訪れた。

 

俺の持っていた木刀を天之河の攻撃が弾き飛ばしたのだ。木刀は手から外れ宙を舞いクルクルと放物線を描き落ちていく。それを見て何を確信したのか、天之河は木刀の剣先を向けて勝利を宣言した。

 

「俺の勝ちだ。雫と香織に謝ってもらおうか」

「何言ってんだ。勝負はついてないだろう?それで俺がはいそーですか、と認めるわけがないだろう」

「少し心苦しいが……存分にいかせてもらう」

 

木刀を握り直す天之河。約数名から止まるように声が上がったが、それはお互いにノイズとなって耳朶を掠めていく。

 

「やはり、どちらかが意識を手放すまでするしかないようだな」

 

悟ったような声で天之河は木刀を振るった。全力の一撃で意識を刈り取る決意を固め、振るわれた一撃は過去最高のものだろう。しかし、それを俺は正面切って素手で受け止める。

 

「ば、バカな…!」

「オラッ!」

 

天之河の手から木刀を捥ぎ取り折る。そしてすぐさま、折れた木刀を捨てて震脚と共に正拳突きを相手の腹へと放った。

 

「がふっ!?」

「終いだ」

 

相手の足を踏み込むことで退路を失くすと同時にダメージを受け流せないように固定する。

 

「テメェの信念ってのはその程度だ、失せな」

 

打ち上げるように放った掌底が天之河の意識を刈り取った。

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