錬金術師は曇天に嗤う 作:黒樹
高校一年の青春。私はいろんなアプローチを試みた。お弁当を作ったり、胸をさりげなく押し付けたり、プールに誘って、デートに誘って、尽く失敗した。あいつ精神力高過ぎ。色仕掛けが通用しないなんて。そりゃ女の子だし、それなりに羞恥心もあれば胸も結構ある方だと思うのだけど、圭一は全く振り向いてくれない。
それに『協力者』であるはずの雫まで、どうにも圭一に対する態度がおかしいのだ。他の男子に対する態度とは違ってなんかこう彼を異性として見てる気がする。香織も妙に馴れ馴れしいし。
いくら榊原圭一がモテないと言ってもあんな可愛い二人が関係を持っていると思うと焦る。二人が口ではそんな気は無いと言ってもだ。
最初は気になる程度の存在だった。くだらないことで言い争って、喧嘩して、嫌っていたはずだった。それが喧嘩するたびに相手のことを知ることになって、いつの間にか好きになっていた。本当にいつ好きになったのかわからない。恋心を自覚したのは離れ離れになった後で、後悔した時にはもう遅かった。
進学する中学校が別で清々したと思っていたのに、あいつがいなくなってみれば毎日が色褪せたように退屈だった。『失って初めて気付くことがある』と私は初めて気づいたのだ。
だから、高校生になってあいつと同じ学校だって知った時、私は柄にもなく喜んでしまった。まるで受験に受かった中学生のように。
告白も失敗する事が前提だった。何より私とあいつは喧嘩ばかりで憎まれ口を叩き合って接して来たから、あいつは私のことを嫌いなはずなのだ。それがわかっていて告白したのは、どうしても告げたかったから。長年燻っていた想いを欠けらでも知って欲しくて急いて仕損じてしまったのだ。
「バカだなぁ、私……」
もっと子供の頃から素直でいれば。もっと早くに気づいていれば。もう少し他にもいくらでもやりようはあったはずなのに。
過去を否定する気は無い。あれはあれで楽しかった。お互いに無遠慮に言い合えた。それは悪くないと思う。嫌っていた故にって変な話だけど。それでも私はあの頃をいい思い出だと言えた。
–––それに私の恋はまだ終わってない。
確かに振られたけど。諦めの悪い私はそう信じていた。
かなり強引に行けばあいつはNOと言えない人間だ。
私はそれを昔から知っている。
重い物を運んでいる時だって頼めばやってくれるのだ。喧嘩をしても、お互いが嫌いでも、あいつは面倒臭そうな顔をしながらも渋々といった感じで手伝ってくれた。あいつはそういうやつだ。
「……それとも私、このまま何もないまま終わっちゃうのかな」
好きな人と恋がしたい。そんな小さな願い、青春でさえ、私は叶わないのか。
それだけは嫌だ。誰だっていいわけじゃない。あいつがいいんだ。
「あぁもうどうすればいいのよ」
手は尽くした。もういっそ裸で押し倒してしまおうか。試していない手と言ったらそれくらいだ。
枕を抱きながら私は天井を見上げた。
コロンと寝返りを打ってスマホを握り締める。SNSを起動して連絡先をじっと見つめた。あいつのことだからまだ寝ている時間じゃないはずだ。寝ていても迷惑だとか考えるやつじゃない。
連絡をするべきか迷った。別に用があるわけじゃない。声が聞きたい。そう思った。
「あ、押しちゃった……!」
震える手でスマホを操作しているとCALLをタップしてしまう。秒で鳴り始めた呼び出し音、思わずその音が耳朶をかすめる度に私の心臓は競うように暴れ回っていた。胸の鼓動が耳にまで聞こえた時、不意にCALL音は途切れた。
『…優花か?』
「あっ、うん、そう、私!」
慌てて声が上擦ってしまい変な返答をしてしまう。我ながらないな、と思いながらどんどん体温が上がっているのを感じた。羞恥で悶える一歩手前だ。声を聞くだけで最近は感情が昂ってしまう。
『何か用か?』
「え、その、何してるのかなーって思って……」
我ながら酷い口実だ。挙動不審なのは相手には伝わっているだろう。失敗した、という事実だけが私を支配した。
『ゲームをしていただけだが』
「そ、そう……」
『……』
「……」
あいつは普段、口数の多い方じゃない。私が黙れば圭一は喋らない。話題に事欠いた私は焦った脳で何を話すべきかプチパニックになっていた。
「あ、明日、お弁当何がいい!?」
『できれば持ってくるのをやめて欲しいんだが……』
「や、やっぱり、美味しくない?」
『胃に穴が空く』
「え、何か腐ってたりした?」
『精神的に嫌なんだよ』
Q.もし無理に押し付けたら榊原圭一はどうするか?
A.渋々食べる。
圭一は捨てるなんてことはしない。たとえ鬱陶しそうにしていても食べてくれる。本気で嫌がっているのなら突き返すなりすればいいのにあいつは曖昧な態度を取る。それがあいつの弱点だ。まぁ嫌われたら元も子もないけど。
「じゃ、じゃあ、明日も持って行くからね!」
『……勝手にしやがれ』
了承が出た。出なくても無視するんだけど。
此処で話題がなくなりまたお互いに無言になる。
「……」
その時間、約二分程。圭一は通話状態を保ったまま無言でいた。ゲームの音も聞こえない。
ただ何を話したいというわけでもなかった。声が訊きたかった。顔も見たい。でも、明日まで我慢だ。
「ねぇ、圭はさ……私のことどう思ってる?」
だから、別の安心するような言葉をかけて欲しい。そんな我儘で質問をしてみる。約一年の成果を此処に……訊くのはとても怖いけど、それ以上に確かめたかった。最初より下はないと信じて。
『相変わらず、鬱陶しいやつ』
「もう、圭ってはっきりそういうこと言うよね」
私は榊原圭一を『圭』と呼ぶ。昔からの愛称だ。
「私は圭のことずっと前から好きだよ。変わってない」
『……それ、今言わなきゃいけないことか?』
「なんだろうね。今言わなきゃ後悔するような気がしたんだ」
『女の勘ってやつか』
「そうかも。まぁ勝手な独り善がりだけど。愛を囁くのも立派なアプローチじゃない?」
『勝手なセンチメンタルに俺を巻き込むなよ』
「そう言いつつも無駄話に付き合ってくれる圭が好き」
『無駄話って自嘲してんのか』
「だって事実じゃない」
『……わかってんなら諦めろよ』
「簡単に諦められるなら、告白した日に失恋してる」
今度はちょっとだけ圭を責めてみた。
あいつ、無駄に責任感強いから。
これで勝手に責任を感じてくれるといいんだけど。
『……なぁ、訊いていいか?』
さっきから不自然に間が空いている。これはもしやチャンスなのでは?と私はドキドキしていた。あいつ、考え事をすると結構な時間考え込んでいるのだ。会話が長引くレベルで。
「あんたが私に質問なんて珍しいじゃない。スリーサイズ?」
『んな情報いらねぇよ。数字なんて言われてもわかんねぇし』
「あんたが私に興味持ったのかと思って」
『んな質問じゃねぇよ。つーか真面目に訊きやがれ』
割と真面目な話だったらしい。
圭一は間を置いてから、その一言を呟いた。
『……なぁ、恋ってどんな感情だ?』
いや、もう、そこから?と私は呆れながら自分の口元が綻んでいるのを確かに感じていた。
「興味出た?」
『恋愛がしたいわけじゃない。勘違いするなバカ』
「でも、私からしたら大きな前進なんだけど」
『戯け。俺は等しく平等に人が嫌いだ。老若男女問わずな』
–––嘘だ。私は直感的にそう感じた。
「南雲と親しいよね。友達じゃないの?」
『家族だろうがクラスメイトだろうが好き嫌いはあるだろうが』
「あー。なるほど」
『俺は南雲とは友達のつもりではいるが、はっきり言って嫌いだ』
そう言った彼の口調は何処か苦々しげだった。
話題を変えるように圭一はとんでもないことをさらっと言った。
『好きと性欲は別だろ』
「ふ、普通は好きな人と…その…したいって…思うでしょ」
『まぁ中身はともかく、見て呉れだけは良い異性を抱きたいと思うのは当然のことだろ』
「きゅ、キュ急に何言ってんのよ!?」
『例えるなら、優花を抱くのはいいが面倒な関係はゴメンってことだな』
思わず、電話越しに私の体温は急上昇してしまう。そんな不意打ち卑怯だ。まぁ言ってることは最低だけど、そういう相手とは見てくれてるわけで……。
「何言ってんのバカ!変態!」
電話を投げつけ布団の中に逃げ込む。 少なくとも圭一は私の体には欲情してくれるわけで……そう考えると恥ずかしくなった。
朝までその熱が消えることはなかった。
◇
翌日、私は隈のある顔で登校した。化粧でナチュラルに隠しつつ、お弁当を用意したが、朝早くから机でゲームをしている圭一には恥ずかしくて話しかけられなかった。寝不足の隈を見られたくないってのもあるけど、それ以上に顔を合わせられない。どことなく視姦されている気がして胸や足元をふいに隠してしまう。
私の様子を訝しみながら雫達が圭一に声を掛けた。私の様子を探っているのだろう、首を傾げる圭一の反応で私が話題に上がっていることがわかった。
話が終わると此方へ雫と香織が来る。
「ちょっと優花、どうしたのよ?」
「そ、それは、その……」
言えない。下世話な話を雫達とするなんて無理。口籠ってしまう私を見て詮索することを諦めた雫はそれ以上に追求することはなかった。というか勝手に納得している顔だ。
「まぁ、なんとなく圭一が絡んでるのはわかったわ」
「あ、やっぱり榊原君絡みなんだ」
蔓延するいつもの悩み。まぁ今更だけど、こうして二人に相談することは少なくない。だけど、今回ばかりは相談し難い。
だけど、私の話じゃない。それならいいよね?私の話じゃなければ。問題ないよね。仮に友達の話として。それを参考にどうすればいいかって話でいいよね?
私は言い訳がましくそう心に納得させてから相談することにした。
「実は友達の話なんだけど……」
前置きをする。しておく。勘違いしないように。ついでにちょっとした主観(脚色)を加えて。
「もし、好きな人が性欲はあるけど別に恋愛感情は求めてなくて身体だけ求めてきたら……雫ならどうする?」
「……」
雫は無言だった。無表情。それから数秒経って理解したのか人差し指を立てる。
「えっと……つまり、どういうこと?」
「いや、あの、結婚相手としては見てないけど付き合う相手としては見てる。みたいな?」
実際は、それよりもっと酷い内容だけど。今度こそ雫は納得したのかまだわかっていない香織にもわかりやすいように言ってみせた。
「あぁ、優花のこと異性としては見てないけど、性欲の対象としては見てるっていうこと?」
「まぁ、そうなるのかしら。言っていて意味はわからないけど–––それに私の話でもないからねっ」
「幼馴染としては見てるけど、異性としては……みたいな?」
「そう。それよ。……そうなのかしら?」
意識はしてくれてる。と、思いたい。
「取り敢えず、頭を冷やしなさい。惑わされてはダメよ」
「……圭の頭を冷やさせるの?無茶よ」
「そうじゃないわ。もういっそ押し倒してしまおうとか変な思考に奔ってる優花の頭よ。確かにそれで上手くいくかもしれないけど、リスキーだわ」
考えを見抜かれてしまった。一度でも振り向いてくれるなら、そういう関係もありかなと思い始めていた私に冷水を浴びせてくる雫の言葉に私は我を取り戻した。
「済し崩し的に既成事実を作る作戦は?」
「……ねぇ、優花、私は最近あなたが怖いのだけど」
「ゆ、優花ちゃん、戻ってきて!」
–––仕方ない。計画を一旦白紙に戻すか。そう考えた時だった。
–––キュィィィィィ。と、耳鳴りのような音が聞こえたのは。
同時に教室の床が光り輝き、私達は円形の古代文字のような異国の言葉の羅列されたものに足を踏み入れていることに気づいた。
「なんだこれは!?」
「え、なに、ドラマの撮影?」
「発光ダイオード!?」
「なにこれ蛍光塗料!」
「避難訓練って予定にあったっけ!?」
と、教室内の喧騒も別のものへと変わる。
「取り敢えずみんな教室から出て!」
雫が叫んだ。
私は教室の隅に目を向ける。
圭一の席。あいつ、呑気にゲームしていた癖に異変に気づくと何故か鞄を握り締めていた。まるで我が子を守る父のようだった。そうしてそのまま私の隣に駆け寄ってくる。
しかし、より一層光は強まる。いよいよ輝きは最高潮に達し、遮られた光の中で私は肩を抱く誰かの感触に妙な安心感を覚えていた。