呼吸法の心当たり。先生に言われ改めて冷静に思い返すと、過去の記憶では有るが、心当たりが見つかった。
「先生! 確かに、疲れづらい呼吸の仕方を知っています!」
「…ほう…」
「あれは確か……そう! ずっと昔、誤って高所から落ちた事が有りまして! その際、鳩尾の部分を強く叩きつけてしまったのです!」
「…ふむ…」
「その後より恐らく! 私の呼吸は他の人よりも変則的なものとなりました! 更に深く息を吸うと、他の人よりも疲れづらくもなりました!」
「……」
そうやって語るうちに、自身の内でもこれは呼吸法では無いかと思い始める。
今まではあまりに自然の行為過ぎて意識をしたことが無かったが、どうなのだろうか。私は呼吸法とやらには無知なので、黒死牟先生の判断に任せるばかりだ。
眼前の黒死牟先生は何か考えるようなそぶりを取っている。
やがて先生は口を開かれた。
「…貴様のその…症状を聞く限り…やはりそれは…呼吸法と…言えるだろう…」
「そうだったのですね!」
やはりそうだった。しかも先生からのお墨付きだ。
なるほど、私の呼吸は先生の月の呼吸というものと同じものだったのか。
先生との共通点が出来て嬉しい気持ちが溢れて来る。
「黒死牟先生! どうしましょうか! 現在の呼吸法は改めたほうがよろしいでしょうか!?」
「…いや…貴様のそれは…既に…才能だ…」
黒死牟先生は一度そこで区切り、じっと私を見つめた後続ける。
「…方針を…変える必要が…ある…」
「方針、ですか?」
思わずつぶやく。
森羅万象全てを見通す先生が建てられた完璧な方針を変えるほどに、既に呼吸法を覚えてしまっている事は問題なのだろうか。
ジッと黒死牟先生のお言葉を待つ。
「…月の呼吸…適応するかは…分からぬが…まずは一通り教えておく…」
しかし黒死牟先生は多くを語らぬまま、何事も無かったかのように修行を再開してしまった。
黒死牟先生のいけず!
「はい!」
でも従っちゃう。そこが黒死牟先生の魅力。
◇
やはり、合わないか。
黒死牟は少年が行う月の呼吸を見て、予想が確信へと変わった。
現在、少年は非常に疲れた表情で月の呼吸の型を振るっている。月の呼吸に体が適応しきっていないから、無駄に体力を使ってしまっているのだ。
「…ふむ…」
しかし、少年の素質に黒死牟は驚愕を隠せなかった。
今、地面に腰かけて体力の回復に努めている少年だが、無意識のうちに回復の呼吸を使っている。恐らく、少年が語った所の事故で発現した呼吸法によるものだ。
その回復の呼吸は既に、熟練者の領域にある。それは少年がすぐに立ち上がり、また月の呼吸の鍛錬に戻った事からも伺える。
少年の年齢からすると恐ろしい習得速度だ。例え少年の倍の年を生きる呼吸の使い手であろうと、ここまでの習得には至らないと思われる。
だが少年の語った事情が正しい物であれば、この習得速度もまた納得できるものだ。
ようは少年が行っている呼吸法は、少年にしてみればそれこそ息をするのと同等の事なのだから。息をする様に回復の呼吸を行い、息をする様に体力増強の呼吸を行う。そして常に呼吸を行い、習熟度もまた日増しに増えていく。
まさしく呼吸法の申し子なのだ。
「……」
恐るべき逸材。少年が仮に鬼殺隊に所属していたら、数多の鬼を狩る柱となっていただろう。
だからこそ、惜しい。
先ほども語った通り、少年の体に月の呼吸は合っていない。呼吸法を既に会得しているのであれば、また別の呼吸を覚えるのも簡単では無いかと思うだろう。
別の人間ならまだしも、少年はそうもいかない。
それは、少年の独自の呼吸法に起因するものだ。
少年は昔、といったが、具体的にその事故が起きたのは何時なのだろうか。黒死牟の目算からしておよそ五から七年ほど前と踏んでいるが、どちらにせよ今よりずっと昔の話だ。
そう、ずっと昔。少年の体が今よりも未成熟の頃より、彼は呼吸法を行ってきたのだ。
そして今日に至るまで、意識的にも無意識的にも少年は呼吸を使いながら成長していき……少年の体は既に、その呼吸法に完全に適応した成長を遂げてしまったのだ。
「……」
無論、少年の体が彼の呼吸専用の体になっている事自体は悪い事ではない。彼の持つ呼吸が一番輝く状態なのだから。
しかし新たに呼吸を覚える時、最初こそ良いだろうが……きっと、少年がその呼吸法を完全に物にする事は出来ないだろう。出来上がるのは彼の呼吸に引っ張られた形になると思われる。
どころか最悪の場合今までの彼の呼吸すら乱す可能性も有るかもしれない。
黒死牟としても、少年程幼少の頃より呼吸法を覚え、かつ常に使用し続けるような存在に会った事は少ない。故に確実な事は言えない。
確実な事として言えるのは、少年が完璧な形で月の呼吸を覚える事は決してない、という事だけだ。
「…今日は…これまでとする…」
黒死牟は少年にそれだけ伝え、今日の訓練を打ち切る。
方針を変えるか……。
胸中でそう呟く黒死牟は、何時になくワクワクしていた。
月の呼吸を完全には覚えられないという事は、そこまで問題ではない。そこにこだわる必要は無いのだ。最終的に、極めた人間が辿り着く場所は同じなのだから。
違うのは、到達した場所がより高いか低いかの違いだ。
この少年の呼吸法を完璧に鍛え上げた時、一体どれだけの高みを目指せるだろうか。
いや。ともすれば人間の内に私を超えるかもしれない。
そして私を超える人間を鬼にした時、一体どこまで強い鬼が生まれるのか。
ワクワクが止まらないぞとばかりに、黒死牟の脳内で新たな修行が高速で組み立てられていった。