もしもかごめちゃんが完全に桔梗さまの生まれ変わりだったら   作:ろぼと

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アニオリ過去編(147―148話)のラブロマ増し増し再構成。


 


巡り合う二人の運命恋歌(上)

 

 

 

 

 ───力が必要だ。

 

 

 最初にその渇望に身を委ねた理由は何であったか。己を異形と蔑む世の中を見返したい承認欲よりも、ずっと原始的な感情。あるいはそれはただ、頼るべき母を亡くした孤児の純粋な生存本能だったのかも知れない。

 

 斜陽に染まる深い森を、一人の半妖の少年が傷だらけで駆け抜ける。無数の妖怪が潜む木々の狭間で、血潮の滴る肩を押さえる彼はその端正な顔を焦燥に歪めていた。

 

「…ちくしょうっ、急がねえと今夜は…!」

 

 人と妖の雑種。侮蔑の悪意に苛まれる彼ら半妖は月に一度、半端者であるが故に人外の力の源たる妖力を失う夜がある。自衛の手段が封じられる新月の宵は、己以外の全てが敵と言っても過言ではない苛酷な定めを持つ少年にとって屈辱の鬼門だった。

 

 だが強者たる自分が弱者へと落ちぶれる忌むべき宿命の夜も、今思えば、それは少年───犬夜叉を二百年の孤独から救うために必要な廻り合わせだったのだろう。

 

 

「ッ何…!?」

 

 

 突如、森の奥で強烈な光が爆ぜた。犬夜叉は咄嗟に伏せ先の方角を警戒する。この地は何故か異様に妖怪の数が多くそちらの襲撃は覚悟していた。だがこのチリチリと肌を焦がす清浄な空気は連中の妖気ではない。時折見かける恐るべき退魔の神秘、人間の強者が使う"霊力"だ。

 

「凄ぇ浄気…都の陰陽師でも妖怪退治に来てんのか? …癪だが妖怪除けには使えるか」

 

 妖力を失う朔の日の犬夜叉は、半妖からただの人間へと変化する。そのため正体に気付かれねばあの光の主に敵対されることはなく、逆に庇護下に入ることさえ可能だろう。無論、此度のように切実な危機に瀕していなくば意地でも甘えぬ慈悲であるが。

 

 降り始めた夜雨の中。自慢の銀髪が人の黒髪に変わった少年は、気配を消して慎重に森の奥へと進む。周囲には妖怪の死骸が散乱しており、目当ての気配に近付くにつれ増える肉塊は足場もないほど犇めいていた。斯様な惨劇を一人で起こしたのなら、この先にいる人間は最早人の枠から外れた妖怪以上のバケモノだ。

 しかし、噎せ返る血臭に紛れ、犬夜叉はこの鉄火場に似ても似つかない意外な匂いを捉える。

 

 若い、女の匂いだ。

 

 女で妖怪退治と言えばまず"巫女"が思い浮かぶ。連中は破魔働きなら一人で武者百騎に匹敵する生粋の人外と聞くが、実際にそれほどの大立ち回りが出来る者は決して多くない。まして犬夜叉の知る若い女などあの非力で儚かった病床の母親のみ。好奇心に負けた少年は草木の陰から開けた戦場跡へこっそりと顔を覗かせる。

 そして雨の簾の先で。

 

 

「──いつまで隠れているつもりだ」 

 

 

 そいつと目が合った。

 バカな、妖力は夕暮れと共に途切れ完全に気配を絶ったはず。動揺する少年は鋭い黒曜石の眼光に射竦められ、かくして瞬く稲妻に照らし出された女の全容を垣間見た。

 

「…貴様も、四魂の玉を狙っているのか」

 

 そこに居たのは、長い黒髪の女。

 折れた弓を片手に、巫女の身分を表す白衣緋袴をどす黒い返り血で染めあげた風容はまるで修羅の如く。競うように日焼けのない白さを求められるはずの女肌は煤焦げ地色もわからぬほど。落ち武者すら霞む満身創痍のその姿は、女どころか人間にすら見えぬ凄まじい有様だった。

 

「……殺されたくなかったら、二度と私に近付くな」

 

 落雷と雨音に紛れ、背を向けた女の無機質な忠告が耳に届く。去り行く彼女を唖然と見送る犬夜叉だったが、そこで彼ははたと我に返った。

 

「…ッ、く…」

 

「!」

 

 荒れた地面に蹴躓いたのか、毅然とした後ろ姿が突如乱れ巫女が膝から崩れ落ちた。

 

「お、おい…」

 

 様子を訝しむ少年は隠れるのを止め、横たわる彼女の下へ恐る恐る近付く。やはり大軍相手の死闘でとうの昔に限界を超えていたのだろう。息はか細く、石ころを放り当ててもピクリとすら動かない。もし女が本当に人間なら、このまま雨に打たれ血を流せば直に死に至る。

 

 そして、こういうときに何とかしてやりたいと思ってしまうのは、犬夜叉自身が悪癖だと戒める彼の人間としての本性であった。

 

「…勘違いすんなよ、敵じゃねえヤツに目の前で死なれちゃ寝覚めが悪ぃだけだ」

 

 誰に言っているのかすらわからない言い訳で自らを納得させた少年。だがひとまず雨風を凌げる藪の中へ運ぼうと女を抱き抱えた直後、犬夜叉は間近で見た彼女の顔に心を奪われた。

 

 

「─────ッ」

 

 

 美しい。

 

 そんな、生まれて初めて使う形容句が浮かぶほど、女の容姿は端麗だった。雨で解け落ちた煤土の下には白絹のような素肌が輝き、抱えた肩は驚くほど華奢で頼りない。冷え切った身体は今にも消えてしまいそうで、気付けば犬夜叉は反射的に彼女を救うべく傷を手当していた。

 金瘡医でもない半妖の少年に出来ることなど微々たるもの。血の滲みが酷い患部へ破いた白衣の袖を巻き付け止血するくらいしか手はなく…

 

「……さ……!」

 

「き……ょうさま……っ!」

 

 無力感に臍を噛む犬夜叉は遠くから近付く大勢の人間の気配に追い立てられ、悔いを残したまま瀕死の巫女の側から立ち去った。

 

 何故、あれほど真摯にあの女を救おうと思ったのか。何故、たった一人の人間を救う術を知らなかっただけのことが、こうも悔しく思えてしまうのか。幾度も繰り返した問いは最後まで解けることはなかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 その後、松明の群れを避けた犬夜叉は森の端に潜み日の出を待っていた。枝葉の天蓋でじっと雷雨に耐えていると、一瞬の雷光の中、ふと目先に広がる草原の丘陵にお誂え向きの横穴を見つけた。熊の冬眠穴だろうか、いよいよ寒さに体が震えて来た人間の犬夜叉は迷うことなく奥へ飛び込んだ。

 

 だが今夜の寝床に選んだ洞穴には、奇妙な先客がいた。

 

 

「───あぁ? 見ねぇ顔だな小僧、どっから来た」

 

 

 粘着くような低い男の声。ホッと一息付こうとしていた犬夜叉は即座に身構え声の主を威嚇する。

 

 死人か。その男の姿を見た少年は思わずそう呟いた。藁衾に寝かせられていたのは、清潔なサラシを体中に巻き付けた重症人。ギョロリと布の隙間から覗かせる片目は脂で濁り、嗤うように細まる様は不気味そのもの。妖力を感じないのに、それはまるで、幾百もの年月を経た大妖怪の如き悍ましい邪気を孕んだ目であった。

 

「……夜明けには出ていく。寝ろ、その怪我ではしゃぐと死ぬぞ」

 

「ンな邪険にすんなよ、旅の話でも聞かせて無聊を慰めてくれや。冷てえ雨夜は四肢が軋んで堪らねぇ…」

 

「人間に話すことなんか何もねぇよ」

 

 今日はよく怪我人に会う日だ、それも人間らしくない人間の。あの巫女が悪鬼羅刹ならさしずめこいつは魑魅魍魎。異常な妖怪の数も含め、この地は明らかに何らかの呪いの類を受けた忌み地だ。そして斯様な地獄を生き抜くバケモノ共は、得てして余所者の正体を容易く見抜く。

 

「おまえ、半妖だろ」

 

「…!」

 

 驚きも一瞬。男の声に嘲りの色を感じた犬夜叉は睨み返す。敵意や恐怖ではなく、悪意と興味が感情を占める様は、どちらかと言えば人より物の怪に近い。自分やあの巫女とは異なる"人でなし"であるこの男に、少年は普通の人間や妖怪共よりずっと嫌なものを感じた。

 

「そう殺気立つな、おれはおまえらを軽蔑しねぇよ。四魂の玉に焦がれるのは人も妖怪も半妖も同じだからなァ、クックックッ…」

 

 犬夜叉は眉を顰める。

 

「…てめぇもその"四魂の玉"か。何なんだソイツは」

 

「あぁ? おまえそんなことも知らずにここへやってきたのか?」

 

 バカにされ更に顔を顰めるも事実は事実。しかし巫女の言葉にあったその名を立て続けに耳にしては、少年も無関心でいられない。目で続きを促すと男は包帯の奥でニヤリと口角を吊り上げた。

 

「なぁに、男なら一度は思い描いたことがあるだろう? 億万長者、酒池肉林、不老不死。一国一城の主となり家臣領民共を平伏させたい、蔵の底が抜けるほどの銭で美女美酒美食に豪遊したい、怪我に病に老いに怯えぬ不滅の体を手にいれたい、ってな」

 

「くだらねぇ…」

 

「まあ妖怪にとってはそうだろう、おまえらが玉を狙うのは妖力のためだ。…何せ『半妖を本物の妖怪にする』ほどの代物なんだからよォ、ヒヒヒ」

 

 一瞬の硬直。瞠目と同時に男の言葉を何度も反芻し、犬夜叉はゆっくりと振り向く。一聞の価値ある大変興味深い話だった。

 

「……おいてめえ、ふざけて言ってんじゃねえだろうな?」

 

「ところがどっこい。そんなどんな願いでも叶えちまう欲望の宝珠がこの地にはあるんだよ。鬼のようにおっかなく、かぐや姫のように美しい、四魂の巫女──"桔梗"の手中になァ。ヒッヒッヒッ…」

 

「…!」

 

 男の話で今日の出来事全てが一つに繋がった。蠢く無数の妖怪共、並の退魔師とは一線を画す凄腕の巫女、あらゆる願いを叶える謎の宝珠。先ほどの戦場跡は四魂の玉を狙う敵と、奴らを迎え撃つ玉の守り人との戦いだったのだろう。そして守り人の問いに「四魂の玉など知らない」と返答したあのときの自分は、図らずも彼女に見逃してもらった。

 

 信憑性のある男の情報に少年の胸が高鳴る。そのような夢の宝があるなら是非とも手に入れたい。さすれば自分は完全な妖怪となり、これまでの虐げられる定めから解放される。今まで蔑んできた愚か者共に、このおれの恐ろしさを思い知らせてやれる。己の野望の全てが叶うのだ。

 だが。四魂の玉を奪わんと意気込む犬夜叉の脳裏に浮かんだのは、まだ見ぬ欲望の宝珠ではなく、一人の少女の顔だった。

 

「…そうか。あの女、"桔梗"って言うのか…」

 

 あいつに相応しい、綺麗で儚げな名前。恐ろしい守護者の二面性が彼女のか弱い姿をより強く印象付かせ、心配する犬夜叉は思わずその名を呟いた。かなりの怪我だったが、探しに来た人間共にちゃんと救われたのだろうか。

 

 すると、そんな犬夜叉の顔を見た洞穴の主が、纏う空気を一変させた。

 

「──なんだ、おまえも桔梗に心奪われた哀れな道化だったのか」

 

「は?」

 

 藪から棒に何だというのか。見当違いなことを言われ犬夜叉は目を瞬かせる。あの巫女は確かによく見れば大変見目麗しい娘だったが、人を喰うことも子孫を残す必要もない半妖の彼にとって人間の女など無価値な存在だ。もっとも、可能なら彼女に生きていて欲しいと思う感情の源が何なのかは彼にもわからない。例の四魂の玉とやらを守る巫女であろうと、別に奪う際に殺すつもりもないのだから当然と言えるが。

 

「クク…隠すな隠すな。わかるぜぇ、あれは良ぃ女だ。美しく気高く慈悲深い。そんな澄ました女が、例えば───絶望に瀕したときどんなソソる顔をしてくれるんだろうなァ?」

 

「…何だそりゃ」

 

 対し人間である洞穴の主は異なる価値観を持っているようで、されど上機嫌に語り出したそれは聞くにも悍ましい、一人のオスの野望であった。

 

「あぁ、想像するだけでゾクゾクしやがる…! あの凛とした目を涙に赤らめ、微笑の唇が嫌悪と嘆願に歪み…『いやだ』、『やめろ』、『許してくれ』と叫びながら、いつもの隙のねぇ巫女装束がはだけるほど乱れた姿…! さぞかし良い声で鳴いてくれるんだろうなァ…クヒッ、クヒヒヒヒ」

 

「…ッ」

 

 ゆらゆらと唄うように己の獣欲を吐露するズタ襤褸の下種野郎。女の気持ちなど欠片も知らぬ犬夜叉すら我が身の如く青褪めるその劣情には、尋常ならざる執念があった。昂る人間、後退る半妖、これではどちらが化物かわからない。

 こんな気味の悪いヤツに執着されるとは美人も考え物だ。正しく他人事な少年の気にも留めない脳内の覚書である。

 血の滴る体を捩り、不気味な調子で笑う狂人を視界から追いやりながらの一夜は、随分と長く感じられた。

 

 

 最悪な同居人と過ごした朔の夜が明け、暁が犬夜叉を淡く照らす。眩い銀髪を取り戻した半妖は体の様子を確かめた後、無言で横穴の外へと向かった。

 その背に「小僧」と男の呼掛が届く。

 

 

「おまえとはどこか、また別の形で会えそうだ。そのときを楽しみにしてるぜ、半妖」

 

 

 下品な嗤い声に紛れるその言葉が、妙に耳に残った。

 

 

 

***

 

 

 

 日が昇る正午の頃、犬夜叉は軽い足取りで昨夜の森を進んでいた。半妖を本物の妖怪にする四魂の玉。永遠に晴れぬ未来が大きく開けた彼の進むべき道はたった一つ。守り人の巫女から宝珠を奪うことだ。

 

「──やい、桔梗ッ!!」

 

 いた。服に残る微かな匂いを辿った先で、少年は目当ての人物と再会する。あのときの傷も手当てされ、見る限りでは足取りも揺らぎ無い。そして明るい陽光の下で見る彼女の素顔は、やはり、思わず襲撃を躊躇いそうになるほど美しかった。

 

「…その声、聞き覚えがある」

 

「はん、昨日とは違うぜっ。四魂の玉ってのは妖力を高める妖の玉なんだってなァ!」

 

 少年の勝気な大声に暫しして、巫女が彼の正体に思い至る。

 

「そうか、あのとき森で逃げ隠れしていたヤツか」

 

「ッ、うっせぇ! 大人しく寄こしやがれっ!」

 

「面倒な…」

 

 歯牙にもかけない反応に苛立ち、犬夜叉は威勢よく襲い掛かる。以前とは違い半妖の力を取り戻した今なら脆弱な人間の女など鎧袖一触だ。

 だが爪を振りかぶった直後。

 

「あぐ…ッ! な、なにっ…!」

 

「全く、彼我の力の差がわかっていたからコソコソしてたのではないのか? 獣ですら身に染みた恐怖を一晩で忘れたりはせぬぞ」

 

 何が起きたのかすらわからない。突然磔にされ、犬夜叉は自分が巫女の弓矢で射たれたと遅れて理解した。それも体を傷付けることなく、丁寧に衣類の袖や裾だけを木の幹に射縫い付けて。

 これが四魂の巫女の実力。戦慄する犬夜叉を、感情の籠らない全てを見透かす清んだ目が見つめる。

 

「…なるほど。変わった妖気だと思ったが……おまえ、半妖だな」

 

「!」

 

 蔑みも慣れたもの。だが彼が周囲の悪意を跳ね返さんと睨み付けた女は、いつもの人間や妖怪のそれとは異なる、不思議な目をしていた。

 敵意も悪意も嘲りもなく、ただ目の前の人物だけを見つめる醒めた目。微かな憐憫の籠ったそれは、長い時を生きる半妖の少年にとって初めてのものだった。

 

「四魂の玉を得れば、おまえは完全な妖怪になれるだろう。…哀れな男。そうまでして己の居場所が欲しいのか。玉に与えられた借りものの力が、本物の強さだと思っているのか」

 

「ッ、喧しい! おれは最強の妖怪になるっ、そう決めたんだ!」

 

 そのときはまずてめえから血祭にあげてやる。見抜かれた己の本心を、犬夜叉は強気な宣言で塗り潰す。だが桔梗は変わらぬ澄まし顔で少年の決意を鼻で嗤った。

 

「フ……私が玉を清め、守る限り、おまえの望みは叶わない。笑止なこと」

 

 興味を失い立ち去ろうとする巫女。犬夜叉は相手にされない屈辱に怒るも、動けぬ身に出来るのはがむしゃらに女を罵倒することだけ。

 

 だが存外、少年にはその才能があったらしく。

 

「『玉を清める』だぁ? ヘッ、体中から妖怪の血の臭いプンプンさせてる穢れまみれの女が一体何を清めるってんだ、笑わせるぜ!」

 

「…!」

 

 瞬間、犬夜叉は巫女の目元が微かに動いたのを見逃さなかった。意外と挑発に弱いのか、繊細なのか。まさかただの生娘のように体臭が気になった訳ではあるまい。いずれにせよ首だけ振り向き睨んでくる彼女の顔は、確かにこちらに注意を向ける程度には気に障った様子だった。

 

「…殺されたくなかったら私に近付くな。三度目はないと思え」

 

 不機嫌を滲ませた桔梗はぷいと背を向け、硬い声の忠告を残して去って行った。木に吊られ手は出せずとも口なら出せる犬夜叉は、勝ち逃げなど断じて許さぬとしばらくの間その背に有り丈の負け惜しみを投げ続けた。

 

「けっ、逃げたってすぐに見つけてやるぜ! てめえの鼻持ちならねえ匂いはどこに居ても嗅ぎ付けられるからなァ!」

 

 犬夜叉と桔梗。両者の初戦は一勝一敗の引き分けと、磔の少年は満足そうに頷いた。

 

 

 

 そして初戦以降、翌日、翌々日と。犬夜叉は巫女の矢から抜け出す度に彼女へ挑み続けた。

 桔梗は森の端にある小さな村を拠点にしているらしく、薬草の採取や子供たちの遊び相手、男衆の弓の鍛錬など、四魂の巫女としての務めを行う傍ら村のまとめ役として精力的に励んでいた。近隣に轟く"桔梗さま"の名は村以外の人間たちにも頼りにされ、彼らに分け隔てなく尽くす少女の姿は犬夜叉の目にも気高い理想の強者として映っていた。

 自分とは真逆の、誰からも求められ親しまれる桔梗のことが気に入らず、犬夜叉は四魂の玉の因縁も忘れるほど、そんな人気者な彼女がただただ羨やましかった。

 

 

「──ひとつ、聞きたい」

 

「何だっ」

 

 その日の朝も、少年は桔梗の妹の弓の鍛錬が終わったのを見計らい、玉の奪い合いに彼女へ決闘を挑んでいた。

 

「…あの最初の夜、何故おまえは私を助けた」

 

 だが変わらぬ無感情な巫女はこのとき、まるで気紛れのように彼へいつもの口上以外の問いを投げ掛けて来た。

 

「毎度まいど、飽きずに私に突っかかって来るほど四魂の玉が欲しいのだろう。あのときの私なら楽に殺せたはずだ。それをおまえは拙い腕で癒そうとし、かと思えばこうして幾度も愚直に無駄な勝負を挑んでくる。何故だ、バカなのか?」

 

「誰がバカだ! 意地汚ねぇてめえら人間や妖怪共と一緒にすんじゃねえっ!」

 

 今更な、そして無礼極まりない問いだった。

 

「…おれはおまえらとは違う。このおれさまが女の寝首を搔くようなマネ出来るかよ」

 

 自分でも驚くほど冷たい声。これが相手を侮蔑するときの気分なのか、と犬夜叉は目の前の女を睥睨する傍ら他人事のように感心する。

 しかし侮辱された女の反応は、瞠目。彼女の崩れた鉄面皮が少年へ伝えるのは純粋たる驚きのみで、それは彼にとって不可解なことだった。

 

「フ……ではいつも楓を下げさせるのも正々堂々たる一騎打ちのためか。存外、誇り高い半妖のようだ」

 

「ッ、半妖半妖と何が可笑しい! 半妖が堂々としてたら悪いかよっ!」

 

 さも意外なことのように感心する失礼な巫女に犬夜叉は怒号で返す。桔梗は、妖怪の血を引く半妖なら目の前の男も同じく恥知らずな外道だと決めつけている。そのことが何故か、少年は酷く腹立たしく、悲しかった。

 だが。

 

「ならば名乗れ。そうすれば二度とおまえを"半妖"などと呼ばぬ」

 

 故に桔梗が口にしたその言葉を彼が理解出来たのは、長い沈黙の間が過ぎた後であった。

 

 最後に誰かに名を聞かれたのはいつだったか。ともすれば生まれて初めてかもしれない経験に困惑する少年を、巫女は静かに見つめている。彼女の目に浮かぶ、吹けば飛ぶような小さな情の種火は、人の悪意しか知らない荒んだ彼にとっては十分すぎる温かさ。桔梗の視線の朧げな温もりに誘われ、少年は母が死んだ二百年前以来一度たりとも紡いだことのないその名を、ようやく名乗った。

 

 

「──犬夜叉だ」

 

 

 不審、感慨、疑念、自尊。万感の思いが込められた彼の名乗りを、桔梗は変わらぬ澄まし顔で受け止めてくれた。

 

「…犬夜叉か、覚えておこう」

 

 

 風の騒めきが静まるまでの、僅かな沈黙が二人を包む。奇妙な充足感を噛み締め、犬夜叉は張り詰める緊張を引き裂き巫女へ突撃した。ここから先は名乗りを交わした強者同士の果し合い。全身全霊の力を振り絞り、少年は磨き上げた十指の鋭爪を相手へ振り下ろした。

 

「覚悟しやがれッ──"散魂鉄爪"!!」

 

 だが欲望の宝珠が守護者に選んだ巫女はかくも精強なり。目にも留まらぬ速さで衣服を木に射留められ、犬夜叉は傷一つ負うことなく毎度のように無力化される。触れさえすればたかが人間の女を組み伏せることなど赤子の手をひねるに等しいのに、彼女との間に立ち塞がる僅か十間の距離が果てしなく遠い。桔梗の番えた矢尻が眉間を狙い定め、囚われの少年は死の恐怖にゴクリと喉を鳴らす。

 

 だが睨み合うこと数舜。長い残心を解いた相手が無言で踵を返した。

 

「ッ、待てよてめえっ! 何でいつも止めを刺さねぇんだ!」

 

 また見逃された。屈辱に叫ぶ犬夜叉に、キッと振り返った桔梗が強い口調で毎度の忠告を残す。

 

 

「もうウロチョロするな、犬夜叉。おまえに撃ち込む矢が惜しい」

 

 

 変わらない二人の様式美。されどそこに加わった一つの名前が、少年少女を繋ぐ新たな絆となっていた。

 

 

 

***

 

 

 

 桔梗には一人、楓という妹がいた。

 齢十にも満たない幼い少女。健気に姉のような優れた巫女になりたいと日夜弓術や霊力、癒術の研鑽を頑張る彼女のことを巫女は心から大切に思っていた。

 

 桔梗との、四魂の玉を巡る決闘を繰り返す一方的な関係が変化したのは、そんな童女に迫った危機を偶然追い払ったあのときからだった。

 

 

「──犬夜叉、そこに居るんだろう? 降りて来ないか?」

 

 

 森はずれの草原。聞いたこともないほど優しい声色で名を呼ぶその日の桔梗に、犬夜叉はかつてない警戒心で近付いた。

 

「…おまえとこうして近くで話すのは、初めてだな」

 

「あぁ?」

 

 気持ち悪い、誰だコイツは。名乗りを交わしてから妙に当たりが柔らかいと思っていたが、今日は輪にかけて様子がおかしい。彼女の意図がわからず、横に腰掛けた少年の相槌には強い不信が滲む。

 だが草原に座る桔梗は彼の態度を意に介すことなく、ゆっくりと頭を下げた。

 

「楓を助けてくれたそうだな。礼を言う」

 

 巫女の殊勝な態度を受け、少年はようやく「ああ」と思い出す。あれは別にあのチビを助けたわけでも桔梗に感謝されたかったからでもない。目障りな雑魚妖怪が彼女の妹を人質に四魂の玉を奪おうとしていたから阻止しただけのこと。

 だが桔梗は妙な勘違いをしているようで、馴れ馴れしい彼女の距離感は犬夜叉を更に混乱させる。本人の言う通り、こうして戦意のない穏やかな空気で言葉を交わすなど思いも寄らなかった。

 

 草原の丘に腰掛ける二人を初夏の涼風が優しく撫でる。すると不意に「犬夜叉」と名を呼ばれ、少年は渋々彼女へ目を向けた。

 

「私がどう見える。人間に見えるか」

 

「…はぁ?」

 

 思わず顔を顰める犬夜叉。唐突に過ぎる不可解な問いにいよいよ熱でもあるのかと疑い出す少年だったが、隣で遠くを見つめる桔梗の横顔は平静で理性的だった。

 

 静かに語られたのは、未だ年若い巫女の、孤高な生き様。

 

「私は誰にも弱みを見せてはならない。迷ってはいけない。妖怪に付け込まれるからだ」

 

「…」

 

「巫女とは人間であって、人間であってはならない。その定めが少しだけ…おまえと似ている気がした」

 

 独白する桔梗の、少しだけ困ったような目に見つめられ、犬夜叉は戸惑いながら問い返した。

 

「…おれと?」

 

「半妖のおまえと、巫女の私。立場も宿命もまるで違うのに、何故か…他人のように思えなかった」

 

 だから、おまえを殺せなかった。そう終えた桔梗が自嘲の笑みを零し、二人の間に沈黙が舞い戻る。

 

 犬夜叉はワケがわからなかった。藪から棒に始めた自分語りをただの愚痴で終わらせるなど、桔梗らしくないにも程がある。今日の彼女は絶対に普通じゃない。だが「とっとと帰って寝ろ」と呆れて帰り支度を始めた犬夜叉の目に、あり得ないものが映り込んだ。

 

「…やはり、私らしくないか」

 

「──ッ」

 

 哀切。まるで縋った手を振り払われた童女のような、寂しそうな顔をした桔梗がそこにいた。

 

「ありがとう。おまえに話せて少しだけ楽になった」

 

 明るい声で礼を言い、桔梗は振り返ることなく二人の草原を後にした。その背中は常に毅然としている彼女に似つかず儚げで、そんな少女の後ろ姿を見つめる犬夜叉は、生まれて初めて悪いことをした気分になった。

 

 あの独白は彼女なりに心を開いてくれた証だったのではないか。弱みを見せないと自ら戒めながらもそれを二人きりのときに言葉にしてくれたのは、血塗られた道を歩む巫女の、精一杯の弱音だったのではないか。

 誰にも頼ることを許されず、妹を、村人たちを、四魂の玉を守り一人で戦い続ける桔梗。皆に求められ、親しまれ、頼られる彼女は間違う事なき英雄だ。気高く凛々しい人間の強者なのだ。

 

 だが、全てを一人で背負う、未だ若い彼女自身を支えてくれる者は…

 

 

「…そうか」

 

 犬夜叉は知ってしまった。見てしまった。巫女の弱音を。寂しそうな顔を。気丈な彼女のもう一つの姿を。否、巫女の仮面に隠された、桔梗の本当の素顔を。

 

 

 ──あいつも、独りなんだ。

 

 

 

***

 

 

 

 それからと言うもの、犬夜叉は桔梗のことばかり考えるようになっていった。

 何が好きで、何が嫌いなのか。何を思い、何を望んでいるのか。常に彼女の様子が気になり、気付けば遠目でその姿を追いかける日々。

 

『桔梗っ、今日も来てやったぜ!』

 

『懲りないヤツめ…』

 

 日課の決闘も本来の目的は遥か忘却の果てへ消え、戦うことしか知らない彼が彼女と関わるための手段に代わった。少年が挑み、少女が応える。だが殺伐とした触れ合いしか出来ないもどかしさは積もるばかり。

 もっとあいつのことが知りたい。もっとあいつの顔を見ていたい。彼女の心を傷付けてしまった切ない負い目のようなものから始まった興味は、いつしか彼の知らない別の名を持つ感情へと変わっていった。

 

 

「──桔梗」

 

 月日は流れ、燃えるような紅に色付く中秋の日。犬夜叉は大きな覚悟と共に桔梗の下へと訪れていた。

 

「おはよう。おまえも飽きぬな、犬夜叉」

 

 いつもの決闘かと呆れながらもどこか楽しそうに微笑む巫女。見惚れそうになる単純な自分を律し、少年は水干の懐に手を入れる。

 

「お、おめーに渡してえモンがある。手ぇ出せ」

 

「渡したいもの?」

 

 キョトンと小首を傾げる、そんな些細な仕草すらも艶っぽく見えてしまう。重症だと内心身悶えしながらも、意を決した犬夜叉は少女に小さな合せ貝の小物を手渡した。男の自分には無意味なものだが、ただ捨てるには惜しい大事な宝物だった。

 

「これは…」

 

「ずっと昔に亡くなったお袋の形見だ。女なら使い道もあんだろ、おめーにやるっ」

 

 唐物の口紅、それが桔梗に渡した贈り物の中身だ。

 少女の手に収まった合せ貝を見ながら、犬夜叉は元の持ち主の亡き母十六夜(いざよい)に思いを馳せる。都の屋敷でも、一人立ちしてからも、自分に味方してくれたのは彼女だけだった。あるいはそんな優しく美しい母の面影を見ていたからこそ、桔梗へ形見を託そうと思ったのかもしれない。

 所以を知り、まじまじと手に平のそれを見つめていた彼女がはたと顔を上げる。

 

「亡くなった、と言うことは…おまえの母は人間だったのか?」

 

「…ん、まあな」

 

「そんな、大切なものを…」

 

 殊勝な面持ちで贈り物を撫でる桔梗。申し訳なさそうな彼女に遠慮されることを恐れた犬夜叉は、それらしい言い訳で無理やり押し付けることにした。

 

「お、おれが持ってても何の役にも立たねえ。要らねぇなら捨てるか売るでもしろ、ソイツはもうおめーのモンだっ」

 

「でも…」

 

「気にすんな、それがなくたってお袋の思い出はこっちに残ってる」

 

 恐縮する桔梗の前で、袖を持ち上げ纏う鮮やかな朱の衣を見せ付ける。だが幾度も少年と矢爪を交わした桔梗にとって彼の気遣いは逆効果だった。

 

「…すまなかった。その服、大切なものだったのだな。そうとは知らず何度も射抜いてしまった…」

 

「あんなのへでもねえよ。火山に放り投げても次の日には元通りに戻ってる代物だからな」

 

 面目なさそうに袖を労わる桔梗の謝罪を、少年は明るく笑い飛ばす。"火鼠の衣"と名付けられたその水干は炎に強い妖獣の毛で編まれ、いくら破けようと妖力で回復する優れた衣類防具であった。殺気も霊力も籠っていない桔梗の矢で傷付くほどヤワではない。

 安堵の溜息を零した桔梗は、少しだけ何かを惜しむような顔をしていた。

 

「私もおまえに渡したいものがあったのだが……やめておこう。不義理に過ぎる」

 

「渡したいもの? …お、まさか遂に四魂の玉を渡す気になったのか!?」

 

「そんなワケがあるまい」

 

「ちぇっ、だろうと思ったぜ…」

 

 些細な茶化し合いで戯れる二人。苦笑する桔梗は掌の紅に優しく触れ、最後にもう一度贈り主へ控えめに尋ねた。

 

「…その、本当に私が頂いてもいいのか…?」

 

「おっ、おう! 好きにしやがれっ」

 

 彼の言葉に巫女が頬を綻ばせる。そこに微かな朱が指しているように見えるのは気のせいだろうか。初めて見る桔梗の年相応な少女の笑顔は、無垢な少年にその積日の甘い感情の正体を自覚させるに余りある、天女の如き美しさであった。

 

 

「──ありがとう。大切にする」

 

 

 ドキリと跳ねた心臓に狼狽え、脳裏に焼き付いてしまった彼女の可憐な微笑を忘れようとあくせく必死な犬夜叉は、その日の昼夜一日中、顔が熱くて堪らなかった。

 

 

 

 

 

 




 
下編は月末あたり更新予定です。
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