結城直也の小学生時代と、中学生時代を一言で言うのであれば、『荒れている』という言葉が適している。
「お前、お前ぇ! なんで、なんであの子を振ったんだよ!? あの子は、お前に尽くしていたのに!」
「ふざけんな、この最低男!」
「テメェは面だけの、性根はゴミ屑みたいな男だな」
愛する人を無くした直也にとって、人生とは無駄に長い蛇足に過ぎない。
少なくとも、小学校低学年だった彼はそう考えて、正しく、良く生きるという行為を放棄した。道徳や倫理、そういうものを足蹴にして、自らの魅力を惜しむことなく振りまき、あらゆる愛と情を踏みにじってやったという記憶がある。
だが、それでも結局、直也がやっていたことはただの色仕掛けに過ぎない。
超絶美形の直也が、ちょっとばかり優しくすれば、誰もが勘違いする。のぼせ上がる。
『こんなに綺麗な人に好かれている自分は特別なのだ』と、愚かな勘違いをする。そんな思考が馬鹿になっている状態の人間を騙して、堕落させることは直也にとっては朝飯前にも等しいことだった。
「愛してる」
「好きよ」
「ああ、なんで、こんな男を好きになったのかしら?」
直也は無数の女を抱いた。
直也は無数の愛を踏みにじった。
そうすることで、己の過去を克服できるとでも思っていたのかもしれないが、結局は、何も変わらない。向き合うべきことに向き合えず、逃げているだけの子供に過ぎなかった。
それでも、自暴自棄になりながら、世界を馬鹿にすることにしか、直也には出来なくて。
いずれ来る『清算』の時に怯えながらも、己の暴走を止められない日々が続いた。
「愚かなる君よ。その愚直さに免じて、救済の法を与えよう」
中学生最後の夏。
ペストマスクを被った、白衣の中年に――『お父様』に出会う、その時までは。
「この世界には神が居る。だが、その神は眠りについている。我々、ナイツの目的は、その偉大なる神を悠久なる眠りから目覚めさせて、この世界に救済をもたらすこと。さすれば、君も天なる国で、愛しい者と再会できるだろう…………もっとも、その再会が、君にとっての幸いであるとは限らない、のだが」
直也は、そいつの言葉を聞いて、真っ先に思ったのが『こいつは、狂っている』という当たり前の感想だった。
奇妙な恰好。
わけのわからない言動。
当然、直也は常識的な判断の下、狂人を無視してその場から立ち去ろうと考えていた。
「それでも、君が愚かなまま、死に向かって走り続けるよりはマシだろう」
突如として、ワイヤードという異界にぶち込まれる、その前までは。
「ここはワイヤード。集合無意識の海に、もっとも近しい場所だ。人と、人との繋がりが可視化される街。そして、愚かなる私たちでも、非常なる運命に抗う術を与えられる」
混乱する直也へ、狂人は重々しい黒い塊を手渡した。
それは、拳銃だった。
人を殺すための道具だった。
いつ? どうやって? どうして? なんのために?
無数の疑問が浮かび上がって戸惑う直也へ、狂人は道を指し示す。
灰色の街。
無人の道路の中央で、泣いている少年――――『幼い頃の直也』を指さす。
「さぁ、まずは弱い自分を殺すところから始めるといい。なに、やり方は簡単だ。己への殺意に従って、そのまま引き金を引けばいい」
いやだ、いやだ、と現実を受け入れられない自分。
幼い頃の弱い自分。
本当は、何よりも踏みにじってやりたいぐらい、憎い自分。
――――その引き金は、直也にとって、とても軽く感じたという。
「おめでとう。新たなる騎士の誕生を寿ごう。さぁ、結城直也…………いいや、冥界へと出向き、己が最愛を取り戻さんとする『オルフェウス』よ。共に、迷える羊たちを救済へ導こうではないか」
直也は、狂人の手を取った。
されど、狂人の理想に共感したわけではない。
ナイツの大分部分のように、ただ単に、己の利益に忠実だっただけ。
普段はナイツとして従いつつも、その機会があれば、直也はあっさりと狂人を出し抜いて、己が願いを叶えようとするだろう。
そして、事実そうした。
それが、己を決定的に追い詰める一撃であるということも、知らずに。
●●●
死体があった。
直也の眼前に、死体があった。
自らの喉を、包丁で掻き切った女の死体だ。
当然ながら、その死に顔は安らかではない。人間、喉を切って直ぐに死ぬのはフィクションの中だけであり、おまけに、自害となると躊躇いも相まって、散々苦しんだ後、みじめに、見苦しく死ぬのだ。
「…………ぁ」
その、惨めに、見苦しく死んでいる女の名前を白萩冬華という。
そう、直也が求めに求めていた、愛する人の名前だ。
「…………どう、して? どうして、こうなるんだよっ!?」
直也は、眼前の死体に向かって膝を折り、頭を抱えながら悲鳴の如き叫びを上げる。
本来であれば、見苦しい叫び。
本来であれば、見るのも絶えない狂相。
されど、皮肉なことに直也の美貌はそれすらも、独特の『味』として美しさを表現していた。眼前に転がる死体が、余計に惨めに、醜く見えるほどの、美しさだった。
「なんで、なんで。なんで、なんで!? どうして、なんだよっ!?」
「くすくす。くすくす」
直也の、美しき愚者の慟哭を、神は嘲笑う。
少女の姿を取る神は、くすくす、と愉快そうに笑って、尋ねる。
『再度』、尋ねる。
「コンティニューする?」
「――――――っ!」
本来ならば、直也が望んで仕方がない言葉。
その失敗をやり直させてやろう、という慈悲。
そうして欲しいと、懇願するべきであるはずなのに、直也は言葉が出ない。出るわけがない。何故ならば、その失敗は――――『今回で百を超えている』のだから。
「ひ、ひう、うぁっ」
恐怖と畏敬が言葉に混ざり、直也は言葉を紡げず、ただ、滂沱する。
一体、何が悪かったのか?
直也は思い出す。
百を超えて、失敗した時のことを思い出す。
最初に蘇らせたとき、直也は喜びで一杯だった。柄にもなく、感激で涙を流し、感動で言葉がうまく紡げなかった。しかし、それでも、生き返った最愛の人との再会、会話は直也に今までの苦労が報われた、と思えるだけの救いを与えたのである。
「…………ごめん」
「え?」
もっとも、その後、救いよりも遥かに強烈な絶望を与えられたのだが。
「なんで、なんで、なんで?」
蘇った少女は、自ら手元に出現させた凶器を持って、喉を描き切って死ぬ。
どうしてそうなるのか、愚かなる直也にはわからなかった。
だから、仕方なく玲音は教えてあげたのである。
「違和感なく、本当に人を蘇らせるというのはこういうこと。私は、ちゃんと蘇らせてあげたよ? 記憶も、感情も、肉体も、経験も、全てそのまま――――自ら命を絶とうとした、絶望もそのままに」
「あ、え、あ?」
「さぁ――――コンティニューする?」
そこから、直也の生き地獄が始まった。
何度も、何度も、何度も繰り返しても、変えられない。
どれだけ言葉を尽くそうとも、培った知恵を尽くそうとも、最愛の人の自害は防げない。時に、ペルソナ能力を使って、一時的な洗脳すらも謀ったのだが、『心の力』による抵抗力で、洗脳を跳ねのけて、彼女は自殺した。
その原因も、理由もはっきりしている。
白萩冬華という人間は、どうあっても自殺する絶望を抱えており、それは直也では払えない。ただ、それだけのことを理解するのに、直也は五十回以上の地獄を味わって。
神様に、再び懇願する。
どうか、どうか、彼女の絶望を欠けたままに、蘇らせてください、と。
「不可能よ、それは。貴方の記憶に、誰かの記憶に、白萩冬華という少女の人生がある限り、絶望は欠けない。そして、仮に、それを無理やり奪い取ったら、もう、白萩冬華じゃないの」
だが、神様はその愚かしい願いを、正しさで断じる。
神様は、岩倉玲音は気まぐれで、時に残酷であるが、今回に限っては本当に正しく願いを叶えている。愚かしくも、死者の復活を願う者へ、それでも失敗した者へ、再度のチャンスを与えるほどに、慈悲深く、正しい。
故に、直也が膝を屈するとすれば、その正しさだった。
「………………無理、だ」
死んだ人間を蘇らせてはいけない。
何故ならば、死んだ人間を蘇らせたところで、再び死ぬ『運命』であるのだから。
そして、『運命』に抗う資格は、直也にはなかった。
憧れの好意を、親愛を、恋との区別も付けられなかった、直也には。
「あっそう」
かくして、岩倉玲音(神様)による、気まぐれな慈悲は終了する。
いつでも最初からこう出来た、とでも言うように玲音は煙のように消えて。
蘇った少女の死体すら消えて。
「…………う、あ」
後に残ったのは、願いに敗れ、生きる意味を失った愚者のみ。
《愚かなる我よ。愚かなる汝よ。弱き己を殺し、戦う術を手に入れたのならば――――足を止めたとき、過去に殺されると、心得よ》
やがて、愚者の影が伸びていき、それが直立する。
直立した影はノイズと共に姿を変えていき、やがて、一人の少女を象った。
純白のドレスを身にまとった、如何にもお姫様という風情の、美しい少女だった。
ちょうど、直也がそのまま女性になれば、こうなるだろうという姿だった。
『さようなら、愚かな僕。お休み、憐れな僕。弱い君は死んで――――後は、僕が生きる』
美少女の手には、黒い塊――拳銃が握られていて、銃口は直也に額に。
これは、いつかの再現。
泣いていた自分を撃ち殺した時の、再現。
故に、殺される。
弱い、自分は殺される。
結城直也はここで、自らの影に殺されて、ノイズとして生きる――――
「おっと、それはちょっと待ってもらおうか」
『――――っ!?』
そのはずだった。
横から割って入ってきた何者かが、その拳銃を蹴り飛ばさなければ。
「…………あ」
『ちぃっ』
その声を聞いて、思わず直也は顔を上げる。
その声を聞いて、思わず美少女は舌打ちをする。
何故ならば、知っていたから。
その声の主が、自分の悪友であることを。
そいつが、こういう場面でヒーローの如く登場する奴だということを!
「悪いけどさ、どうしようもない馬鹿でも、屑でもね、俺の悪友だからさ。殺させるわけにはいかないんだよ。例え、自分自身による自殺だったとしても、さ」
そして、天原晴幸は颯爽と現れる。
ありきたりな悲劇を砕くために。
愚かさと、正しさで死のうとする悪友を救うために。
その背中に、力あるヴィジョン(ペルソナ)を控えさせて。
二人の結城直也の下に、駆け付けたのである。
――――――何故か、一糸纏わぬ裸体で。
『「なんで、全裸ぁ!!」』
こうして、全裸のヒーローと、愚かなる影の戦いは始まったのだった。