油ものは三十代からそろそろヤバいらしい。
ヤタガラス。それは、一般警備会社を装ってはいるが、国家の裏で暗躍する護国組織である。
その前身は、平安時代に設立された陰陽寮であり、明治にそれが廃止されると、歴史の影に隠れて、現在まで人知れず、悪魔や怪異から日本を守っていたのだった。
そのヤタガラスの中心となっているのが、葛葉一族だ。
葛葉一族は、平安時代の安倍晴明にも連なる血脈の一族であり、その一族に属する者は、ほぼ例外なく、その将来を護国のために消費されることを約束されている。
そして、葛葉未海という女傑もまた、葛葉一族に属する者。
警視庁刑事部第『霊』課という、超常現象を専門とした刑事事件を取り扱う組織の、優秀な刑事なのである。
…………優秀なのである。
例え、非番の日に色々やらかして、度々始末書を書かされながらも、懲戒免職処分に出来ない程度には、優秀なのだ。
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「………………なるほど。普段ならば、痛々しい男子高校生のラノベ的な妄想として切り捨てるところかもしれないけれど、貴方の力は本物。ならば、私は貴方を信じます、晴幸君」
「うん、信じてくれるのは嬉しいけど、心を抉る前置きは要らないのでは?」
取り調べを始められてから、おおよそ三十分後。
俺はもう、最初から最後まで洗いざらい、嘘偽りなく刑事さんに事情を説明していた。この後、確実に面倒になることは確定なのであるが、それでも、現役の刑事さんに取り調べを受けて、平然と嘘を吐けるような鉄の心臓など、俺にはなかったのだから、仕方ない。
「やれやれ、説明している俺も心苦しいんですよ? もぐもぐ。こんな荒唐無稽な話を刑事さんにしなければいけないなんで。ずずずっー。でもね、事実なんだから、仕方ない。かー、辛いわぁ! 突然、非日常に巻き込まれて、異能に覚醒しちゃうとか、辛いわー! あ、この漬物美味しい」
「………………取り調べを受けながら、かつ丼とみそ汁、お新香も要求しておいて、心苦しく感じる余地があったのね、驚いたわ」
「いやぁ、刑事さんに取り調べを受けながらかつ丼を食うのが夢だったので!」
「犯罪者になることを夢見ないで?」
刑事さんが呆れたように息を吐いているが、これもまた仕方ない。
何せ、俺は直也との戦闘を終えてから、ほとんど休まずに刑事さんとも熱い一晩を過ごしたのだ。栄養補給しなければ、流石にお腹が減って死にそうだ。や、前にヤタガラスの訓練で、不眠不休の水分オンリー補給で三日三晩戦い続けた経験があるけれど、あれはノーカンにしてほしい。あれは肉体の前に心が死ぬのだ。
「それで、晴幸君」
「はい」
「今更疑うわけではないのだけれど、その、ペルソナ能力をここで使ってみてくれない? もちろん、使えないのならば、それに越したことはないのだけれど。一応ね?」
「はーい」
そして、かつ丼を食べ終わると刑事さんから、ペルソナ能力の実演を頼まれた。
頼まれたのだが…………ううむ、これ、ワイヤード外でも使えるのか? どうだろう? 使えるのであれば、合コンの終わりに直也とか、大学生のお姉ちゃんが奇襲してもよさそうなんだけど? あー、でもやっぱり、現実世界で使うと色々面倒だからなぁ。それとも、普通に使えないのだろうか? ううむ?
あー、でも、なんかこう、できない感じがするなぁ。
洞窟内でルーラを唱えたら、天井に頭をぶつけている感覚があるし。
「…………んー」
「やっぱり、出来なさそう? 最近、一部の異界のみペルソナ能力が発現するというケースが、増えてきてね――――」
「あ、こうすればいいのか」
「え?」
俺は、大学のお姉ちゃんとエロいことしたかったなぁ。せめて、あのTS美少女に一発決めてから、現実世界に戻ってきた方たなぁ、とエロス後悔に思考の八割を割きながらも、残りの二割の思考力で天啓を得た。
気合を込めて、ついでに力も込めれば、どうにかなるんじゃね? と。
「うぉおおおおおおおおっ」
「晴幸君、晴幸君。無理だったら、やめよう?」
「ぉおおおおおおおおおおおおっ!!」
「そこまで気合を入れなくてもいいのよ?」
「見ててください!! これが!! 俺の!! 変身です!!」
「仮面ライダークウガを気取らないで?」
想起するのは、壁をぶち破るイメージ。
想起するのは、世界を覆う薄い皮膜をぶち破るイメージ。
あ、膜を破るって、なんかエロいなぁ。
「――――ペルソナぁ!!!」
俺の叫びと共に、何かを突破したという感触が心の内に湧き出た。
それとほぼ同時に、力あるヴィジョンが現実世界に顕現する。
赤銅の肌を持つ、金髪の偉丈夫。
骨の剣を肩に担いだ、裁定と断罪の化身。
俺の独善的な一面を示す――――ペルソナ・ヤマ。
「………………これほど、とは」
俺のペルソナの顕現に、刑事さんは思わず感嘆の言葉を漏らした。
その言葉に、俺はにやりと笑みを浮かべて応える。
そう、とりあえず、笑って誤魔化しておけ、の処世術である。何せ、ペルソナの顕現に伴い、探偵事務所内にあった数多の書類が、紙吹雪の如く舞い散ってしまったのだから。
駄目だ、気づかせるな。このままの空気を維持して、それっぽく振る舞え。気づかれてら、絶対に怒られる奴だぞ、これ。
「まぁ、こんなところ。ですかね」
内心の焦燥を隠しつつ、不敵な笑みを維持したまま、俺はペルソナを解除した。
怒られませんように。怒られませんように。
いや、待て、考え方を変えるんだ、俺。チェス盤をひっくり返せ。そう、怒られてもいいや、と考えるんだ。だって、頭がはげ散らかったおっさん教師の説教ではないのだ。
残念ではあったものの、今ではすっかりクールビューティな刑事さんの説教なのだ。しかも、ちょっと体型と合わないスーツを着ている物だから、首筋から鎖骨にかけてのエロスが時々、見え隠れしているのだ。
この人から受ける説教であれば、むしろ、ご褒美なのでは?
「晴幸君」
「あ、はい」
やべぇ、ばれたか? あー、ばれたかもしれんね、これは。女性は男性のそういう視線に気づいているって姉上が良く言っていたもん。たまに、京子も「おい、今の見てただろ!?」って顔を真っ赤にすることばあるけど、見てないんだよなぁ、京子の場合は。たまに、勘違いするよね、あいつ。そういうところも人間的に大好きだけどさ、親友!
「…………先ほどのペルソナ。どれだけの時間、この現実世界で維持できそうですか?」
「ええと、実際に動かさないことにはなんとも……あれが初めてだったので。だけど、まぁ、あくまで個人的な予測ですが、全力戦闘で五時間。維持だけなら丸一日は大丈夫かな、と」
「………………なる、ほど」
さて、思考を明後日に飛ばして現実逃避も良いところだけど、そろそろ、真面目に考えるとしますか。
何せ、冷静に客観視するのであれば――――この状況は、とてもよろしくない。
「天原晴幸君」
「はい」
「落ち着いて聞いてください」
「……はい」
「これから、貴方を保護します。ご両親の方には、こちらから連絡を入れますので、どうかご安心してください」
「うわぁ、安心できる要素が皆無だぁ、いろんな意味で!」
「ええ、我ながら言っていて、あれだと思いましたね。ですが、これがテンプレートなので。お願いですので、抵抗はしないでください」
「…………やれやれ。しませんよ、そんなこと」
普通に考えてみて欲しい。
まず、この俺にはちょいと人並外れた戦闘能力がある。これは、ヤタガラスで鍛えられ。中二病の行きつく果てにある領域の強さであるけれど、極論を言えば、この程度は問題ない。
格闘技を極めた武人が、存在しているだけでは銃刀法違反として取り締まりを受けないのは、国家権力が制圧可能だからだ。どれだけの達人であっても、訓練した警察官数人に、きちんとした装備で固められれば、早々に逃げられない。十人も居れば、恐らく、オリンピックに出場するクラスの強さの達人でさえ、国家権力はきちんと制圧可能だろう。
だが、異能者の場合はどうなるだろうか?
自由自在に、出し入れすることが可能な凶器。
加えて、証拠はほとんど残らない。
ペルソナ能力の存在を知っているものでしか、その犯行を知ることが出来ない。
そして、俺のペルソナ能力は――――警察官が仮に数百人まとめてかかってきても、殺せてしまう。やろうと思えば、恐らく、単独で警察署に乗り込んで、皆殺しにすることさえも、可能だろう。
これは、そういう力なのだ。
やろうと思えば、いつだって俺は稀代の殺人鬼として歴史に名を刻めることが出来る。
…………まぁ、そんなことするよりも、エロゲーをやっていた方が楽しいから、やらないけどさ。
「この後の扱いはどうなります? 警察の人と協力して、世界の安寧を脅かそうとする巨大組織との戦いに挑んだり?」
「一般人、それも、未成年の協力者などあり得ませんよ。普通に、事態が収拾するまで安全な場所で保護観察。安全性が認められたら、封印処理の後、経過観察ですね。ラノベや、往年のジュブナイルのような展開など…………仮に、そんなことが起こるとするならば、世界崩壊クラスのシナリオが発動してしまった、その時だけ。我々の汚点として、永劫刻まれることになるでしょうね。そう、かつての『偽神事件』のように」
「偽神事件?」
「そういう事件が、二十年以上昔に、あったのよ」
刑事さんは、悔いる何かを語るように、話し出す。
「私も人づてや資料でしか知らないけれどね、そういう事件があったの。『デウス』という、偽物の神を祭る集団――『ナイツ』が世間を騒がし、人々を次々無気力状態へと陥れる、恐ろしい事件。そして、当時、葛葉四天王ですら全容を掴めずにいたその事件は、たった一人の未成年の少女によって解決に導かれたの」
「未成年の少女……なんか、不謹慎ですが、本当にラノベやアニメの主人公みたいな人ですね、その人」
「ええ、そうだったのかもしれないわね。けれど、今時は流行らないかもしれないわよ? 何故なら、最終的にその少女は自らの命を犠牲にすることで、偽神デウスが呼び出そうとしていた、本当の『死の神』を封じたのだから」
「…………あー、そうかもしれませんね。そういう自己犠牲エンドは美しいかもしれないですけど、賛否両論が激しいですから。もしも、シリーズ物だったら、次回から主人公が死ななくなるエンドにしておいた方が良いかもしれませんね」
「ふふふっ、そうかもしれないわね」
刑事さんは俺の言葉に微苦笑で応えた後、その表情をすっと消した。
「――――その、犠牲になった少女の名前が『岩倉玲音』です」
一切の冗談が交わらない、真剣な声色の言葉が、刑事さんから紡がれた。
けれど、それは冗談にしておいた方が、まだマシな言葉だった。それが真実だとしたら、この世界はいささか、悪趣味が過ぎることになる。
「…………え、えーっと?」
頭が思いのほか、回らない。
死んだはずの少女。
夏休みの日。
あの部屋の中で、現れたあいつの正体が、死人?
いや、いやいやいや…………ううむ? えー、玲音?
「死人の名を騙る異能者。あるいは、死人の殻を被った悪魔。もしくは、それ以上の災厄として、判断しています。これは、刑事として、というよりは葛葉としての私の勘なのですが。晴幸君、貴方は彼女から離れた方が良い。今までは上手くやれていたとしても、一つ間違えれば、泥沼の地獄が待っているかもしれないのですから」
「…………あー、その」
「無論、私たちが厳重に貴方を保護します。場合によっては、葛葉四天王さえも動員しましょう。ですから、力があるからといって無茶な判断はしないように」
「ええと、ですね?」
「混乱するのもわかりますが、とりあえず――」
「そうじゃ、なくて。あー、つまり」
俺は空回りする頭で、必死に考える。
この場、この状況で、何をまず言葉にしなければいけないのかを考えて、恐らく、多分、かろうじて、間に合ったのだろう。
「駄目だ、玲音。刑事さんを殺さないでくれ」
「――――ん、な」
ざ、ざざざざざっ、という聞き覚えのあるノイズ。
突然、窓の外に土砂ぶりの雨が降り始めたかのようなノイズが、辺り一面に満ちる。
それと同時に、突然、電源を切られたかのように刑事さんは意識を失い、そのままソファーへと体を沈めた。
…………そして、先ほどからずっと、俺の視界の端でこっそりとこちらを伺っていた玲音が、ゆっくりと俺の下に近づいてくる。
クマさんパジャマを装備した状態で。
え? 寝起きだったの?
「玲音、なにその恰好」
「ハルユキ、貴方に言われたくない」
ジト目で指摘してくる玲音の言葉で、そういえば、俺も下着にコートを羽織った変質者スタイルだったことを思い出す。
パジャマ姿の少女と、変質者のコンビか。
控えめに言っても警察を呼ばれそう……まぁ、その警察は玲音がやってしまったんですがね。
「殺してない」
「知っているよ」
なお、やはり俺の心中は大体読める模様、この不思議少女ちゃんめ! 心の中でカマをかけたらあっさりと引っかかりおって! というか、そのよくわからない移動方法どうなっているの? いつの間にか居ないとか、いつの間にか居るとか、ちょっと驚き。まぁ、あれだ。多分、俺が認識している範囲なら、俺の下にいつでも出現できるのかもしれないな。
…………あるいは、もっと効果範囲は広いのかもしれないけれど。
「怖い?」
などと珍しく真面目なことを考えていたら、玲音がひょっこりと俺の体を覗き込むようにしていて見ていた。
相変わらず、何を考えているのかよくわからない無表情。
ただ、こちらも珍しく言葉を紡いで問いかけてきているので、俺もちゃんと答えよう。
「クマさんパジャマを愛する少女を、怖がる男子校高校生は居ないさ。それよりも、俺の事、怖い?」
「ちょっとだけ」
「どういう部分が?」
「よくわからないところ。繋がっているのに、繋がっていないところ」
「ふむ、さっぱりわからん」
「馬鹿なところは、イラっとする」
「そっかー」
俺はパジャマのフード越しに、玲音の頭を撫でる。撫でられた。おお、珍しい。いつもは手を払ってくるのに。今日は嫌そうな顔をしながらも、黙って受け入れているなんて。
…………まったく、らしくないのはお互い様ってことか。
なら、もう少しだけらしくなくてもいいか。
「なぁ、玲音」
「…………なに?」
「心配しなくても、俺はお前から離れないよ。だから、お前が一人ぼっちになることはない」
「………………そんなこと、心配してない」
「そっか」
「うん………………でも」
むぅ、と玲音は少し唸った後に、撫でる俺の手を握って、文句を言ってきた。
「そういうことを言うときは、少しはまともな恰好をすればいいと思うの」
「いや、好きでこの変態スタイルじゃないから」
「次に期待」
「直也にファッション見てもらうことにするわ」
「ん、それが良いと思う」
そっけなく玲音が呟くと、俺の手を引いて探偵事務所のドアを指さす。
「直通便」
「え? ワープ的な? 大丈夫なの、色々と」
「多分」
「多分か。ふ、分の悪い賭けは嫌いじゃないぜ」
「これが大丈夫じゃない人は、ワイヤードに入った瞬間に死ぬ」
「おっと、俺の知らないワイヤードの危険性が発見されたぞぉ」
俺は玲音に応じて、手を繋いだまま歩き出す。
ああ、まったく、本当にそうだ。
次からは、もっとまともな恰好を心掛けることにしようか。
「一緒に帰ろう、ハルユキ」
「おう、シリアル食品を奢る約束もあるしな!」
「屑と変人もちゃんと引き取って」
「鴉さんも一緒に来るの!?」
こうして、俺と玲音は他愛ない会話を交わしながら、探偵事務所を後にしたのだった。
…………とりあえず、例え、繋いだ手の先に居る少女が悪魔だったとしても、しばらく、俺はこの手を放すつもりはない。
だから、後は上手くやってくれ、刑事さん。
●●●
「………………精神干渉に対する耐性は、過剰な方が良い。まったく、出奔してから、古巣の教えに助けられることばかりだ」
一人の規格外と、一柱の荒ぶる神を見送ってから、葛葉未海はソファーから体を起こす。
「心の海よりいでし、無数の異界。この世界に属する人間である限り、ワイヤードの包囲網からは逃れられない、か。対策をしている私でもこれとなると…………仕方ない、か」
スーツのポケットから、焦げ付いた護符を取り出して、未海は苦々しく顔を歪めた。
最高品質の精神耐性装備。
それが、対して本気でもない、手加減された一撃であれだ。
葛葉に属する者でさえ、あの荒ぶる神には太刀打ちできないのかもしれない。
物語に選ばれた少年少女以外、大人には立ち入り出来ない領域なのかもしれない。
「――――葛葉ライドウを召喚しましょう」
たった一つの、例外を除いて。