「ノイズ人間……ナイツ……神様……愚者……集合的無意識……岩倉玲音」
薄暗い室内で、ぱりっ、とスナック菓子を噛む音が響く。
その後、ごくりと、生ぬるい炭酸飲料で喉を潤す音。
スナック菓子は、ポテトチップスのコンソメ味。
炭酸飲料は、既にぬるくなってしまったドクターペッパー。
この二つの組み合わせは至高であると、京子は自負している。晴幸からは、野生動物でも食べない組み合わせだよ! とか言われたが、京子は晴幸の味覚がおかしいのだと決めつけていた。
ドクターペッパーは、どんな温度でもうまく、大概の食品と合う。
それが、高校時代で発見して、京子にとってのこの世の真理の一つだった。
「…………ちっ、やっぱ駄目だな。インターネットじゃあ、あちらに分がある。【れいん】を作った研究所にハッキングを仕掛けようとしても、まるで手ごたえがねぇ。くそが、大事な情報は全部アナログな手法でやり取りしてやがるな? ハッカー対策…………いや、どちらかと言えば、あの『岩倉玲音』を意識した対策かよ」
京子は、晴幸の手引きで一足早く自宅に戻っていた。
無論、晴幸の両親の下へ顔を出して、きちんと用意した言い訳を話すのも忘れていない。夏休み中とはいえ、いきなり高校生の男女が姿を消して、仙台の街で一夜を明かしたのだ。きちんとした言い訳を用意しておかなければ、勘違いされても仕方ないだろう。
もっとも、京子の母親辺りは「お赤飯っ♪ お赤飯っ♪」と帰宅直後からルンルン気分なのだが、京子は気にしない。
京子の母親は、晴幸を気に入っているらしく、京子とカップリングすることが多いからだ。今更、何を言っても逆効果であると、京子は学んでいた。
「………………はぁ。かつての天才が呆れるぜ。出来ることが、地道な資料集めぐらいなんてなぁ」
だからこそ、特に心を乱すわけでもなく、京子は晴幸に告げた通り、ワイヤードに関連する様々なことを調べていた。
かつて、己自身で封印した天才としての才覚を大いに活用して。
高校生時代から、晴幸と共に培った問題解決の手法をあらゆる角度から試してみて。
帰宅直後から、徹夜でインターネットの海を潜ってみて。
だが、それでも結果は芳しくない。
思った以上に、敵が用意周到すぎるのだ。
少なくとも、一介の高校生ハッカー程度では、手がかりの尻尾すら掴ませない程度には。
「……まぁ、少なくともこの『橘総合研究所』ってのは、完全にクロだってことはわかったな」
京子は【れいん】というVチューバーを作り上げた企業、橘総合研究所へ目星をつけていた。
明らかに、【れいん】という存在は、【ペルソナちゃん】というアプリは、何かの巨大な計画な一部だと、京子は推測していたのだが、規模が大きすぎて全体を把握しきれていない。
【れいん】に関する情報は、きわめて煩雑であり、掲示板などで有用な情報を拾おうとしても、情報のノイズがひどすぎるのだ。荒らされている、というわけでもなく、誰かが意図的に情報をかき混ぜて、ノイズを乱雑に混ぜて行ったかのように。
そのくせ、橘総合研究所に関しては、ほとんど情報が出てこない。
分かることと言えば、人工知能や、情報ネットワークなどの研究をしている企業だということぐらいだ。不祥事、問題、掲示板での愚痴など、そういう情報が一切出てこない。【ペルソナちゃん】という規格外のアプリの配布元であるというのに。
【ペルソナちゃん】という、都市伝説さえ生み出してしまったアプリの配布元だというのに。
不自然なほどに、良い噂も、悪い噂も見つからない。
これは、インターネット上ではとても珍しいことだ。
例え、どんな清廉潔白な企業であろうとも、とりあえず、意味もなく嘘八百を並べ立てて貶すことが趣味の荒らしや、一切の同情の余地もない殺人犯ですら、よくわからない思想で庇い建てる狂人すらいるインターネット内で、アンチスレすら立たないのは異常なことだ。
「ん、くぁー……あふ、とりあえず、調べられることはこれぐらい、か。後は、んんー、この手の噂に詳しいフリーのジャーナリストに連絡を取って…………その前に、コンビニ行ってドクターペッパーを補給しないと…………」
気づけば、京子が調査を始めてから一夜が明けて、空が完全に明るくなっていた。
時刻は午前八時過ぎ。
京子の両親はとっくに朝食を済ませている。なお、京子は前日にあらかじめ、翌日の朝食は要らないと断っているので、特に問題はない。こういうこまめな連絡を家族間でも欠かさないのが、京子の美点の一つだった。
「ふぁーあ…………ふぅ。あーあ、疲れた。ったく、晴幸の奴、私をこんなにこき使うなんて、後で何か奢ってもらわねーと割に合わないな」
ろくに髪も整えず、上下学校指定のジャージ。足元はサンダル。
ファッションなど欠片らも気にしていない風体で、京子は近所のコンビニへと向かう。
その足取りは、徹夜で情報収集していた割には、軽い。多少ふらついてはいるが、気分はどちらかと言えば浮かれている。
その理由は明白。
「ふふふ、何をしてもらおうかなぁ」
京子は嬉しいのだ。
この現状が。
晴幸と共に、非日常的な何かに立ち向かう、という構図が、とても嬉しいのだ。
思わず、京子とすれ違った通行人が、ぎょっと目を剥くほど、へらへらと気の抜けた表情を浮かべるほどに。
「とりあえずはまぁ、買い物だな。買い物。あいつは無駄に図体がでかいんだから、それを存分に活かしてもらわねーと」
京子は、晴幸に対して恋愛感情は持ち合わせていない。
例え、この世界で二人きりになったとしても、そういうことにはならないと断言できる。
けれども、恋愛感情以外の好意に関しては、晴幸へ向けるそれと比肩する存在は、家族以外に存在しないと、京子は自覚している。
普段は、親友って呼ぶんじゃねーよ、などと憎まれ口を叩いているのだが、実は、親友と呼ばれる度に嬉しく思っている。とても、とても、嬉しいと思っている。
はっきりと言ってしまえば、京子は晴幸の事が大好きなのだ。
友達として。
相棒として。
共に並び立つ者として。
晴幸以上の存在は、居ないのだと確信している。
「…………早く、帰ってこないかなぁ、あいつ」
なお、このように殊勝な態度を取るのは晴幸が居ない時のみだ。晴幸が居る場合、絶対に、京子はそのようなことを表に出さず、辛辣で、毒舌で、それでいて『仕方なく付き合ってやっている』という態度を崩さない。
それこそが、己に相応しいと思っているから。
かつて、ヒーローを目指して、夢破れて。
堕落して、荒れて、底辺にまで落ち切った自分が、『本物のヒーロー』の相棒であるのならば、少なくとも、強がらなければいけないと思っているから。
『ざ、ざざざ――――ざざざ―――申し訳ありませんが、貴方には玲音に帰ってきてもらうための、人質になってもらいましょう、スマイルさん』
だからこそ、その時が来ても京子は慌てなかった。
近所のコンビニに入店した時、店内に――狐の仮面を被った少女以外、誰も居ないという異常事態に陥ったとしても、慌てなかった。
むしろ、口元に余裕の笑みを浮かべて、何か気の利いた言葉を返そうとして、
「こにょわちゃ…………やれよ!!!!」
『えぇ…………』
徹夜明けの肉体に訪れた不意の緊張というシチュエーションで、舌が絡まり、幼女の如き舌足らずとなってしまった。その果てには、顔を真っ赤にして「殺せぇ!!」と言わんばかりの要求である。
そりゃあ、襲撃者である狐面の少女も困惑する。
『ざざざっ――とりあえず、玲音が戻ってくるまで、ワイヤード内に隔離させていただきます。ああ、乱暴な手段はとらないのでご安心を……貴方が、抵抗しなければ、ですが』
「…………ふん」
しかし、困惑していようとも、やるべきことはやらなければならない。
狐面の少女は己の権限を用いて、ワイヤード内へと京子を引きずり込む。
「――――予定の範囲内だな」
それが、京子が狙っていた行動であるとも、知らずに。