・フラグメント 7
愚者の話をしよう。
昔の話をしよう。
「んああ…………なんだい、なんだい、根暗な趣味って馬鹿にしやがって。見てろよ? その内、パソコンを一番上手く使える奴が、世界を手にするんだ」
少しずつ迫りくる世紀末。
弾けた泡の残滓と、不穏な高揚感が交じり合うような時代。
そんな時代に、とある少年は、少女と出会った。
「おはよう、アリス」
「…………あ、玲音」
ぶつぶつと何かを呟きながら、俯いて歩く陰気な中学生。
そんな彼に声をかけたのは、同じ年ごろの少女だった。
女の子にしては、短めの髪。けれど、一房だけ伸ばした髪を、バッテンのようにも見える特徴的な髪留めでまとめた少女。
背丈は少年よりも低く、やや発育不全気味。制服も、成長を見越して大きめを買ったらしく、微妙にあっておらず、ぶかぶかとしている。
――――見ている者を、不安にさせるような美しい少女だった。
「前から言っているだろ。そのぶっ飛んだあだ名をやめろって。何だよ、アリスって。僕、有栖川なんですけど?」
「うん、だからアリスね。可愛いでしょ?」
「可愛さは求めていない。格好良さを追求したい」
「格好良さ? はははっ?」
「おっとぉ、僕の何がおかしいんだい?」
「存在全て」
「そう来たかー、全否定かー」
少年は、美しい少女と会話できる高揚感と、からかわれているような不安な気持ちを抱えながら、美しい少女――岩倉玲音と共に通学路を歩く。
出会ったきっかけに、ドラマなんてなかった。
席が隣というわけでも無いし、その当時流行していた、こてこてのラブコメディのような愉快なイベントなど、何もない。
ただ、少年が休み時間に、パソコン雑誌を読んでいた時に、玲音の方から声をかけたのだ。
『あ、面白そう。次、読ませて?』
少年は少しだけ驚いた後に、声が震えないように必死で平静を装いながら、『いいよ。もう読み終わった奴だし』と、そっぽを向きながらそれを手渡したのだった。
岩倉玲音。
浮世離れした、不思議な魅力を持つ少女。
クラスカーストなど関係ないとばかりに、色々な人と言葉を交わして、それが許されるだけの超然とした空気の持ち主。
そんな彼女との交流に驚きつつも、少年は浮かれてしまう内心を諫めていた。
きっと、気まぐれだ。持てる奴らの、気まぐれに過ぎない。期待するな。平然としていろ。どうせ、いつものようにからかわれて終わるだけだ。
――――結果から言えば、その推測は的中しているが、大外れだった。
『ねぇ、今度の休みに一緒に秋原場いかない? パーツを漁りに行こうよ!』
『組み立てって楽しいね! あ、駄目だよ、寝たら。まだ朝の四時だよ?』
『今後は、絶対にパソコンを上手く扱える人が有利に立てる世界になるよ。だから、今のうちにたくさん勉強しようね! え? 食事? はい、ブドウ糖とクエン酸を固めた奴!』
『風呂? 外出する予定もないのに、入る必要ないんじゃない?』
からかわれているのは確かであるが、全然、まったく、少年から離れていく気配が無かった。むしろ、日に日に遠慮が無くなっていき、少年の家に泊まり込んで作業をするぐらいの遠慮の無さになっていく始末。
そんな玲音の、強引なまでの接近の仕方に、少年は嬉しさも交えながら、当惑の方が勝っていた。何故ならば、少年がまともに女子と交流したことは無く、どんなことがマナー違反になるのか? どんな配慮をすればいいのか? まったくわからなかったからである。無論、それを相談できるクラスメイトなど居るはずも無し。
なので、少年はいつも必死で全力だった。
玲音のからかいに、遊びに、差し伸べられる手に、全力で追いすがっていた。
『玲音、お前って奴は!』
そんな日常を過ごしていくうちに、少しずつ少年は変わっていった。
卑屈さと根暗さは中々治らないけれども、過度に誰かに怯えることも無く、玲音とも自然に会話を交わせるようになった。
また、玲音と仲よくしているので、クラスメイト達から何かのちょっかいを受けることもない。嫉妬を受けるようなことも稀にあったけれど、すぐに少年の実情が知れ渡り、憐みと尊敬、後は羨ましさが混じった視線に変わるにはそれほど時間がかからなかっただろう。
気づけば、少年は玲音の隣に居ることが普通になっていた。
「なぁ、玲音」
「ん、なーに?」
「…………なんで、僕なんだ?」
「何が?」
「いや、何がって、その、あの」
「くひっ。どーしたのかな? ね? 何を言おうとしたのかな?」
「も、もういい! 知らない!」
「あーん、ごめんってば、アリス!」
少年は、玲音のことが好きだった。
考えてみれば、当然の流れだろう。捻くれた性格の、周囲に馴染めない少年。そんな彼の下に、特別な美少女が現れて、なんだかんだ強引に絡んでくるのだ。
大体の男の子は、美少女に絡まれると好きになってしまう。
それが世界の原則である。
ましてや、性欲を自覚し始める中学生ならば、猶更だろう。玲音が無防備に見せる肌の色に、触れた体温に、少年は戸惑いながら、性欲と織り交ざった好意を募らせていく。
「…………いつか、僕がもっと、格好良くなった時は、その時は」
小さく、小さく、少年は玲音にも聞こえない声で、何度も呟いていた。
募らせた好意と、変わってしまう関係性への不安。そもそも、玲音からの好意を信じられない卑屈さ。それらが合わさって、少年は玲音と友達になってから半年の間…………好きだと自覚してか三か月の間、告白することが出来なかった。
でも、けれど、いつかは。
玲音の隣に居ることを、当然として胸を張れる自分になりたい。
彼女と共に在るに足る、相応しい人間になりたいと、少年は考えていた。
その時になったのならばきっと、勇気を振り絞って、自ら告白しよう、と。
『さぁ、世紀末を始めよう』
――――――もっとも、その機会なんて来なかったのだけれども。
きっかけなんて、何もなかった。
ある日、突然、玲音が少年の通う学校に来なくなった。
同時に、玲音の姿をいろんな場所で見たという噂が流れ始めた。
怪しげな店に出入りしていた。
不良たちを配下にして、犯罪行為を行っていた。
殺人鬼として、指名手配された。
怪物に変化して、人間を喰らっていた。
「ふざけるなよ……皆、勝手な事ばかり言いやがって!」
少年は流れる噂に、怒りを抱きながらも玲音を探し続ける日々を送っていた。
不穏な噂が流れる、世紀末。
連続殺人事件。
悪魔と呼ばれる、怪物の跋扈。
救いを求める物へ、手を差し伸べるメシア教。
例え、悪魔さえも利用して世紀末を生き延びようと唆す、ガイア教。
黄昏の空は人々の不安を誘い、奇妙な遺書と共に、自殺者が増加。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
どれだけ探しても、見つかるのは世界を終末に導く非日常だけ。
時に、恐ろしげな怪物から逃げて。時に、目にハイライトが無いような狂信者から逃げ回って。時に、玲音と同じ姿で、けれど、中身が全く違う何者かに出会って。
探して、探して、探して、探して。
【大丈夫。いつでも会えるよ、アリス】
最後に、少年が玲音の姿を見たのは、夢の中だけだった。
柔らかな微笑みだった。
手に持った装飾銃が、違和感だった。
やめてくれ、と声を出そうと思ったけれども、夢の中で、声は出せなかった。
ただ、ざあざあと、降りしきる雨の音だけが。
ノイズのように、少年の頭の中に残っている。
それから、世界は救われて、一人の少年が、愚者へとなった。
岩倉玲音(神様)を探す、愚者に。
●●●
長い時間が流れた。
少なくない日々を過ごした。
それでも、彼にとっては全て灰色の世界だった。
たった一つ。
たった一人。
大切な何かを失うだけで、ここまで世界は色あせるのかと、かつて少年だった愚者は嘆き、狂気と共に、その身を冥府魔導へと堕としていった。
『クローン技術』
『橘総研』
『悪魔召喚プログラム』
『ワイヤード』
『外なる神々の叡智』
『終わりの神への、接触』
『無貌の神への、生贄』
一歩、一歩、進むごとに人の道を外れていく。
狂気に身を落とすたびに、かつて少年だった頃の幸せな思い出が汚されていく。
罪のない人々を生贄に捧げる度に、悪行に慣れて、人間性を失っていく。
失っていく、失っていく。
進めば進むほど、愚者は少年だった頃の何もかもを失っていく。
全ては、たった一つの願いを叶えるために。
数多の人々を騙して。
世界すらも、そのための生贄に捧げようとして。
『ああ、けれど――――そんなに変わった君じゃあ、相手にしてもらえないだろうねぇ』
その果てに、愚者は邪神の囁きによって、完全に狂った。
己の本当の目的すらも見失い、狂った。
真なる理想郷の構築。
約束された幸せ。
新世界。
本来、愚かな他者(信者)を騙すための方便に過ぎなかったそれに、自分自身が騙されてしまって。
『ふふっ、お父様。さぁ、そろそろ雨を降らせましょう?』
「――――ああ、我が娘よ。そうだ、そうだとも。こんな灰色の世界は雨に流して、新しい、色鮮やかな新世界を、私は……」
挙句の果てに、己の魂すらも邪神に捧げてしまった愚者は、雨を降らせる。
己が心の内にある、嘆きを誤魔化すかのように。
泣き叫ぶように、『アリス』は、世界を洗い流す審判を始めた。
●●●
「…………雨が降ってきたか」
天原晴幸は、しとしとと降り始める雨の気配で、決戦の空気を感じ取っていた。
朝、雨の音共にベッドから目覚めるのは、晴幸は嫌いではない。だが、今日、この時ばかりは晴幸と言えど、アンニュイな気持ちを隠せなかった。
決戦の始まりを予感させる雨の音。それを耳にしながら、晴幸は己の裸体を確認した。
そう、昨晩、睡眠中に元に戻ることを想定しておいたおかげで、晴幸は全裸だった。寝るときは美少女の裸だったのだが、現在はきちんと鍛え上げられた男性の物に戻っている。
「なんとか、間に合った」
静かに安堵の吐息を漏らし、まずはさっさと着替えようと、晴幸は己の布団をめくった。
「むにゃ……」
「え?」
布団の中に、玲音が居た。
しかも、一糸まとわぬ全裸だった。
「…………お、おちつ、おちつけ……」
一旦、布団を被せて呼吸を整える晴幸。
その後、そうっと布団をゆっくりとめくるが、やはり、玲音が居る。全裸だ。下着すら来ていない。やや浮かび上がった肋骨の形に、真っ白な肌。成長途中の少女の、やや発育不全だからこそ、感じられる不思議な色気が、そこにはあった。
「え? やった? やって、ないよね、うん。痕跡的にね! ないよね!? うん、大丈夫、大丈夫、また玲音が俺に対して悪戯をしに来ただけだから、このまま抜け出せば……あ」
「…………んぅ」
がしり、と寝ぼけた玲音が、割とがっつりと晴幸に抱き着く。
夢の中では抱き枕にしがみついているのかもしれないが、現在、玲音が抱き着いているのは筋骨隆々の晴幸である。絵面が完全にアウトすぎる。
無論、そのことを重々承知な晴幸はそっと引きはがそうとするのだけれど、何故か、引きはがそうとするたびに、玲音が割と強めの力で抱き着いてくる。
だが、力任せで剥がすわけにはいかない。
その場合、恐らく、玲音は目を覚ますだろう。目を覚ました玲音が見る光景は、全裸の晴幸が玲音の体を掴んでいる場面だ。
機嫌が良ければ、そのまま照れて恥ずかしがるだろうが、機嫌が悪ければ、晴幸の体は二階の窓から空を飛ぶことになるだろう。
決戦前に、負傷は避けたい晴幸だった。
「なんなのだ、これは……どうすればいいのだ……」
晴れて恋人同士になったんだから、エロいことをすりゃいーじゃん、と思うかもしれないが、その場合、晴幸は己の性欲に飲まれて、世界の危機よりもエロを優先してしまう可能性があった。一線を越えてしまった場合、晴幸は己がエロ猿として知性を捨て去ってしまうことは請け合いだろう。
「助け、誰か、助けてくれ…………このままじゃ、世界が……」
「むにゃあ、んむー」
「密着からの、腹筋に頬ずりは、うあ…………せ、世界を、まも……る……」
結局、ヘタレの馬鹿は苦悩の声を上げならずっと、玲音が自主的に起きるまで硬直していたらしい。
起きた玲音は、やや残念そうな声で「……ヘタレ」と晴幸を罵り、晴幸は静かに涙を流しながら、「ヘタレです、はい」と全てを受け入れた。その後、オナニーをするので、しばらく時間を下さいと玲音に土下座をするまでがセットで、天原晴幸という馬鹿の決戦当日の朝だった。
――――こんな馬鹿であるが、これからこいつは世界を救うようだ。