・フラグメント2
よくある話をしよう。
とある、気弱な少女のお話をしよう。
彼女は一切の不備無く、五体満足で健康に生まれて来た。
幼いころから、飢えた経験などない。栄養士の資格を持つ母親が、きちんと栄養面を管理しつつ、健康に過ごせるようにと計算して料理を作っていたのだから。
着る服に困ったことはない。成長ごとに、きちんと両親がその時の流行に合ったものを買い与えたのだから。
学業で困ったことなどは無い。幼稚園の頃から、私立の教育費が中々お高い所に通い、いわゆる上級階級御用達の小学校へと進学したのだから。もちろん、常日頃の勉強にだってついていけるし、分からない所は専用の家庭教師が教えてくれる。
習い事で困ったことなどは無い。少女は幼いころからピアノを習わされている。コンクールで入賞するような腕前ではないが、人前で演奏するのに恥ずかしくない程度の技量は身に着けていた。
困ったことなどない。
困ったことなどない、そのはずだった。
「…………なにそれ? 絵本?」
「えー、お前、漫画も知らねぇのかよー。ははは、だっせー」
ちょっと素行の悪い同級生の男子が、学校にそれを持ってくるまでは。
それは、少女にとって知らない物だった。
それは、少女にとって不要とされ、与えられていない物だった。
されど、それは――――
「じゃあ、昼休みの間だけ貸してやるよ! いいか? うるせぇ、先生や他の奴らに見つかるなよな! その代わり、算数の宿題見せろよな! 等価交換だぜ?」
何もかも与えられているはずの少女にとって、初めて、自分から望んで手に入れた物だった。
漫画。
アニメ。
ゲーム。
俗に言う、サブカルチャー。
一昔前ならば、それらに傾倒することは『馬鹿になる』と言われ、オタクという人種は差別され、肩身の狭い想いをしなければ生きていけなかっただろう。
だがしかし、時は現代。
グローバル化が進む、国際社会である。
日本のサブカルチャーは見事に、世界中を魅了して、国際交流の一端を担っている。政治家や、大企業の取締役が、堂々とサブカルチャーの趣味を語っても眉を顰められず、むしろ、共感を得られるような、そんな時代だ。
「なんですか、これは?」
「こんなもの、読む必要はない。馬鹿になるぞ」
そんな時代になったとしても、凝り固まった思考の持ち主は存在する。
例えば、テレビの教育番組に出てくるアニメすら見せない。
例えば、同世代の子供たちが知っていて当然のゲームすら、やらせない。
例えば、新聞の四コマ漫画すら切り抜く。
もはやそれは、一種のパラノイアではないかと疑いたくなるほど、毛嫌いする人物がいるのもまた、事実だ。
そして、不幸なことに、少女の両親はまさしくそれだった。
「貴方の為なのよ」
「お前の為だ」
少女が、どれだけ頼んでも駄目だった。
泣いても、喚いても、何をしても、聞き入れてくれない。
普段は両親共に温厚で、子供の疑問にも根気よく答え、休日には必ず家族そろって出かける程度には、愛が溢れる両親だというのに。
それだけは、どうしても聞き入れてくれなかった。
まるで、住んでいる世界が違う住人同士の会話のように。
ピントが合わないように。
少女の言葉は、両親に届かない。
「はーん? なにそれ、ばっかじゃねーの? まぁ、いいや。等価交換だぜ。僕は漫画をお前に貸す。お前は僕の代わりに宿題をやる。ははは、お互い上手くやろうな!」
故に、少女の救いになったのは、同級生の男子だった。
彼は教師や同学年の女子に叱られることなど、屁とも思っておらず、常にどうやって周囲を出し抜いてやろうかと考えているような悪童だった。
でも、少女よりも友達が多く、周囲から呆れられながらも親しみを受ける子供だった。
だから、少女がその男子の事を好きになったのはごく自然の事だったのである。
恐らくは、初恋だったのだろう。
少女は自然と、男子に対して想いを寄せるようになった。
彼の隣で漫画を読み、宿題を手渡す時、指先が触れると胸がどきどきした。
その想いさえあれば、少女はどれだけ鬱屈した環境であったとしても、生きていける気がしたのである。
「じゃあな、風間! 達者で暮らせよ! ははは、早く俺の代わりに漫画貸してくれる奴を探すんだな!」
だから、少女はそんな彼が転校して別の場所へ行ってしまった時、世界が終ってしまったかのように感じた。
もちろん、連絡先は知っている。
言葉を交わすことだって、現代のネットワークなら出来る。
けれど、少女は気弱だった。勇気がなかった。既存の関係に甘えていて、環境の変化に混乱し、新しい関係へと一歩踏み出すことが出来なかった。
故に、少女と彼の関係はいつの間にか自然と消えてしまって。
「…………あれ? おかしいなぁ。この漫画、こんなにつまらなかったっけ?」
少女に残ったのは、色彩を失った世界のみ。
つまらない。
何もかも、つまらない。
愛が溢れる両親と話すのも。
歪んだ両親から隠れて、漫画を読むのも。
何もかもつまらなかった。
だからこそ、少女が縋ったのは一つの都市伝説。
現実に存在する会話アプリケーション。その中に存在する【ペルソナちゃん】というキャラクターと長く会話していると、別世界に連れて行ってくれる。
そこで、理想の自分を拾って来ようと、少女は思っていた。
もう、自分は『自分』が要らないから、両親にとって、周囲にとって都合の良い理想の自分に成り果ててしまおうと。
『理想の貴方と、繋がりたいですか?』
そして、少女は銃を掴んだ
弱い自分を見つけた。
銃口を向けた。
――――たぁんっ。
トリガーを引く指は、躊躇わなかったと、少女は記憶している。