皆で綴る物語   作:ゾネサー

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第1章 始まりの物語
あつい夏が終わり


 9月。幾つも重なるようにしてけたたましく響いていたセミの鳴き声も聞こえなくなり、ほとんど閉じてしまったひまわりの花を涼しげな風が揺らす中、まだまだ暑い日差しがグラウンドを照らす。そんなグラウンドで今日も練習する里ヶ浜高校女子硬式野球部に新たな部員が加わろうとしていた。

 

「各自、簡単な自己紹介と希望のポジションをお願いするわ」

 

 (みどり)色の髪をした正捕手を務める少女、鈴木(すずき)和香(わか)がバインダーに切り取ったノートをセットし、シャープペンシルの芯を伸ばして準備を終えるのを横目に数少ない野球経験者である藍色の髪の少女、東雲(しののめ)(りょう)が自己紹介を促すと、部員の視線が6人の新入部員に注がれる。注目が集まったことで緊張が高まった者もいる中、それを喜ぶように小刻みにジャンプしながら小柄な金髪の少女が手を挙げた。

 

「はいはーい! アタシは逢坂(あいさか)ここ。大女優の卵よ! 夏の大会を応援席から見て、アタシもああいう舞台で輝きたいなって思ったの。ポジションは一番目立てるピッチャーがいいわ!」

 

 逢坂は一歩踏み出して言葉に合わせるように大仰な身振りをすると、最後は満面の笑顔にピースサインを添えた。

 

(決まったわ!)

 

「ピッチャー……それにその握り! もしかしてフォークが投げられるの!?」

 

 逢坂が満足げにしていると有原が興奮気味に栗色の髪をなびかせて息遣いが聞こえるほどの距離まで近づき、質問を投げかけた。

 

「……へ? なんで野球で食器を投げるの?」

 

「えっ」

 

「……フォークボールは変化球の一種よ。それと有原さん、今は大人しくしててもらえるかしら」

 

「あはは……。ごめんなさーい」

 

(……はっ! しまったぁ……。アタシとしたことがオーディションなら即落ち確定レベルの失態を……)

 

 逢坂が意気消沈しながら歓迎の拍手をバックに列に戻ると、次に髪を団子状に纏めた茶髪の女の子が元気よく前に出た。

 

「新田美奈子でーす! わたしも夏の大会を応援席で見て、みんなで一生の思い出に残るようなことしたいって思ってこの二人を誘って入ることにしました! ポジションはえーと……ショート? を希望します!」

 

 新田に紹介された緊張気味の黒髪ロングの少女と、落ち着き払った様子の青髪を左右に一つずつ三つ編みで纏めた少女が続けて自己紹介をしていく。

 

「え、えっと……永井(ながい)加奈子です。よ、よ、よ、よろしくお願いします!」

 

「加奈ちゃん。希望ポジションも言わないと」

 

「あっ……ごめんなさい。ポジションはえーと……が、外野でお願いします!」

 

「ふふ……私は近藤咲(こんどうさき)です。『鉄人』で何人か会ったことがある方もいますが、改めてよろしくお願いしますね。ポジションはキャッチャーを希望します」

 

 やっちゃったぁ……と呟く永井を励ましながら拍手を受けて三人とも列に戻る。残り二人となった新入部員、その内の一人が前に出ようとすると緊張のあまり踏み出そうとした足がもう片方の足にぶつかってよろけてしまう。

 

「きゃっ……」

 

「わっ……だいじょうぶー?」

 

「あ、ありがとうございます。……すいません、先にお願いしてもいいですか?」

 

「うん! わかったー!」

 

 小柄な少女は眼鏡をかけた水色髪の少女を受け止めると、はつらつとした態度で前に出る。

 

「小麦は秋乃小麦(あきのこむぎ)だよ! 応援しに行って、みんなババーッと走ったり、ドーンって打ったりするのが楽しそうだったから小麦もやりたくなったんだ! ポジションはどこでもどんとこい、だよー!」

 

 日焼けした肌も合わせて活発的な性格であることを印象づけるには十分だった。賑やかになりそうだと嬉しそうにする部員もいる中、拍手を受けて小麦も楽しそうに列に戻った。

 

(しまった! 最初に挨拶したアタシの印象がどんどん弱く……。目立つなら後の方が良かったか……)

 

 逢坂が挨拶の順番で後悔している間に拍手が収まると最後の一人が前に出る。

 

「……ぁ……」

 

 しかし言葉が思うように出てこず、静寂がグラウンドを包み込んだ。

 

(ど、どうしよう……。なんて言おうか考えてたはずなのに、前に出た途端に頭が真っ白になっちゃった……!)

 

 そんな彼女の視界も真っ白になり、驚きのあまり思わず一瞬目をつぶる。遅れてパシャリ、という音が聞こえてその閃光の正体を理解した。

 

(あ……中野さん。そうだ……)

 

 音を境にするように彼女の思考が切り替わっていき、伏し目がちだった顔がしっかりと上げられる。照りつけるような日差しは彼女を含む全ての部員に降り注がれていた。

 

(眩しい……。でもこの眩しい場所に、私は来たんだ)

 

「私は初瀬麻里安(はせまりあ)と言います。普段は図書委員をしていて、野球部の活動は中野さんの新聞記事を通して知りました。一から女子野球部を築いて、勝利に向かって邁進(まいしん)する皆さんの情熱に憧れて、私もその一員として頑張りたいと思い入部させて頂きました。ポジションはサードを希望します……! 精一杯頑張りますので……よろしくお願い致します!」

 

 そう言うと初瀬は思い切り頭を下げる。すると勢いの良い拍手がグラウンドに響き渡り、頭を上げて列に戻る初瀬の顔には安堵の表情が浮かんでいた。

 

「これで全員ね。……有原キャプテン」

 

「うん!」

 

 必要事項を書き終えた鈴木はシャープペンシルをバインダーに引っ掛けると既存部員の列に戻り、代わりにそこから有原が飛び出して東雲の横に立った。

 

「キャプテンの有原翼です! 女子硬式野球部に入ってくれてありがとう。私、とっても嬉しいよ! これからよろしくね! 練習も試合も一緒に楽しくやっていこう!」

 

 有原の言葉で新入部員は部に入った実感を持ち、各々嬉しそうな反応を見せて盛り上がる中、横に佇む東雲の視線は静かに有原に向いていた。

 

「……今日はまず希望したポジションに入ってもらって守備のテストをするわ。それが終わったらバッテイング練習に参加してもらって、その様子を見て今後のポジションや練習メニューを考えさせてもらいます。秋乃さんはそうね……ファーストから順番に試してもらおうかしら。ポジションテストの間グラウンドは使えなくなるから、他のメンバーは自主トレをお願いするわ」

 

「おお〜。しのくものことだから、ポジションテスト中はずっとランニングとか言うと思ったのだー」

 

「あら、そうしましょうか?」

 

「け、結構なのだー。自主トレに行ってくるのだー!」

 

 東雲は視線を前に戻すと練習内容を伝える。すると三年生がいないこの部では最上級生に当たる二年生の阿佐田(あさだ)あおいがからかってきたが、東雲が不敵な笑みを浮かべると紫色の髪を揺らしながら龍に睨まれた猫のように一目散に逃げていく。その流れで皆も自主トレに向かい、新入部員は柔軟体操をした後にグローブをそれぞれ選んで手に取ると嵌めた感覚を不思議そうにしながら、キャッチボールを始めた。

 

「ちょっと加奈子ー。どこ投げてるのー」

 

「ご、ごめーん!」

 

 新田と永井は友人同士和気藹々と。

 

「とりゃー!」

 

「わ! 小麦さん、凄いジャンプですね」

 

「へへー。そうでしょそうでしょ! ボール、行くよー!」

 

 近藤と秋乃はほぼ初対面ながら気さくに。

 

「麻里安ちゃん! ここに宣言しておくわ!」

 

「は、はい。なんでしょう……?」

 

「アタシの読みだと最初の挨拶で一番目立ったのはあなたよ。だからアタシはあなたをライバルに認定するわ! 主役の座は渡さないわよ!」

 

 初瀬は対抗心を燃やした逢坂にライバル認定されていた。

 

「主役? 物語のですか?」

 

「そうよ! エースピッチャーとしてチームを率いて優勝、そして一躍スーパースターになったアタシは女優として引っ張りだこになってイケメンにプロポーズされて……このシンデレラストーリーの主役は私なんだから!」

 

「えへへ……自分の未来を自由に想像するのって楽しいですよね。私もよく本を読んで、物語の主人公に自分を重ねたり……」

 

「わかる!」

 

「わっ、新田さん」

 

 そこに永井があらぬ方向へと投げたボールを拾っていた新田がちょうど戻り、話に参加した。

 

「本とかドラマの中では色んなイベントがあるのに現実のなんと代わり映えのない光景が流れすぎていくことか!」

 

「そういえば新田さんは一生の思い出になることがしたくて野球部に入ったと言われてましたね」

 

「そ! なんていうか……現状からの脱却! みたいな?」

 

「わぁ……! いいですね。その気持ち、分かる気がします」

 

「へー。みんな刺激を求めてるのねぇ……」

 

 秋乃が投げたボールをミットの先でかろうじて捕りながら近藤は自分と秋乃以外がキャッチボールをやめてしまっていることに気がついた。

 

「みんな。雑談もいいけれど、今はキャッチボールを続けましょう? 話したいことがあれば練習後にうちに寄って何か食べながらゆっくり、ね?」

 

「おっけー。加奈子、行くよー!」

 

「こ、こーい!」

 

 近藤が声をかけると新田が元いた位置に戻っていき、ライバル宣言をするために近くにいた逢坂も適度な距離へと離れていった。

 

(咲ちゃんのところ元々美味しいけど、運動した後で食べるともっと美味しく食べられそう。それに運動してカロリーを消化してるから、その(あと)カロリーとっても太らないよね……?)

 

 大きくワンバウンドしたボールをミットを下に向けて取りながら、永井は練習後の食事を美味しくするべく沢山動いておくことを決意していた。

 

(……全然ダメね)

 

 自主トレでグラウンドの近くにある遊歩道を走っていた赤髪を一つの三つ編みで纏めた二年生、倉敷舞子はキャッチボールをする様子を遊歩道から眺めていたが、基礎的な部分が出来ていないことに気がついていた。

 

(新入部員は有原と東雲と鈴木が見るって話だったはずだけど……。あの三人は何してるのよ)

 

 ランニングを中断してグラウンドを見渡すと彼女らの所在はすぐに分かった。

 

(バックネット裏? なんでそんなところに……なにか話しているようだけれど、ここからじゃ聞こえないわね)

 

「…………」

 

「さあ、準備できたわよ!」

 

「……行きます! え、えーい!」

 

 初瀬が投げたボールは緩い放物線を描くが勢いが無く、失速したボールは少し横に移動した逢坂のすぐ近くでバウンドして、跳ね際を取ろうとした逢坂のミットはボールを弾いてしまった。

 

「あっ! す、すいません!」

 

「大丈夫大丈夫! 行くわよ、麻里安ちゃん!」

 

「は、はい……」

 

 逢坂が投じたボールは勢いはあるものの初瀬から見て左側に大きく逸れてしまう。右利きである彼女は左にグローブを嵌めていたが、硬球への怖さから一瞬目をつぶってしまったこともあり何とか反応した瞬間にはグローブにかすることもなくボールは彼女の後方へと抜けていった。

 

「……はぁ」

 

 坂を下りながら倉敷は短くため息を吐き出した。

 

「あちゃー……」

 

「ご、ごめんなさい! 私拾ってきます!」

 

 初瀬は捕れなかった恥ずかしさから顔をやや赤く染め、慌てて後ろに振り向き、ボールを追いかけて走り出そうとする。

 

「……その必要はないわよ」

 

「えっ……」

 

 倉敷は勢いよく転がっていたボールを素手で軽くとると彼女たちのもとに近づいてきた。

 

「……一度だけ」

 

「へ?」

 

 素っ頓狂な声を出す逢坂と向かい合うように初瀬の隣まで歩き、初瀬をジェスチャーで少し横に移動させるとボールを握った手を掲げるように突き出した。他の四人も倉敷が近づいてきたことに気づき、一旦キャッチボールを中断した。

 

「一度だけしか、言わないから」

 

「……あっ、は、はい! お願いします……」

 

「まずボールは基本的にこうやって親指、人差し指、中指の三本で握るの。薬指と中指は曲げて添える程度、手のひらはつけない。間違っても鷲掴みにはしない」

 

「えっ! そうな……んですか」

 

 すっぽ抜けないようにと力強く鷲掴みにしていた新田はそうなの!? と驚くところを先輩だということに気づいて、とっさに変えながらボールを言われた通り握ってみた。

 

「人差し指と中指は指の腹をボールの縫い目に引っ掛けるようにする。こうすれば上にすっぽ抜けにくくなるから」

 

「そうだったんですね……」

 

「そっか! なるほどー」

 

 近藤と秋乃が納得しながら、近藤は手元にあるボールで、秋乃は倉敷がボールを握る様を真似しながら確認をする。

 

「あと手だけで投げない。一時的なコントロールくらいはつくかもしれないけれど、全身を使うのが基本よ。全身を使えていれば地肩が弱くてもある程度ボールに勢いはつくわ」

 

「うっ。そ、そうなんですね……」

 

 キャッチボール程度の距離の送球でもボールが届かなかったことを肩が弱いせいだと思っていた初瀬は顔だけでなく耳の付け根まで赤くなっていき、それを隠すようにメガネのツルをいじった。

 

「それと投げる方向にまっすぐ立ちなさい。横に向きながら投げてたら、安定しないのも当たり前よ」

 

「あわわっ。分かりました!」

 

 永井が焦りながら足を新田の方に向けてまっすぐになるよう立ち直す。

 

「それで軸足にしっかりと体重を乗せて投げる。でもキャッチボールだから軽く。全力投球なんて論外よ」

 

「ろ、ろろろ……論外!?」

 

 狼狽する逢坂に倉敷はジェスチャーでミットを構えるように指示を出す。逢坂が頬を膨らませながら渋々といった様子でミットを構えると、倉敷は指をさしながら説明を続ける。

 

「ボールを捕る側は親指と人差し指の付け根部分にあるポケットでボールを捕るのを意識する。部室にあったやつだし、適度に型付けはされてると思うわ。最初は痛いかもしれないけど、ミットを前に突き出してボールが来たらポケットの部分を中心に手のひらで包み込むようにして捕球する」

 

「ふむふむ。えーと……ここらへんかぁ」

 

 逢坂はポケットでキャッチするイメージを掴むために二、三度ミットを動かすと前に突き出した。

 

「そう。そこで構えてて」

 

「へ?」

 

 逢坂のミットが胸元あたりに来たところで倉敷は話しかけると、話したことの全てを実践しながらボールを投げた。

 

「ひゃいっ!? ……ったあ〜!」

 

 パンッ、と小気味良い捕球音が響く。逢坂のミットのポケットの部分にボールはしっかりと収まっていた。痛みに震える逢坂以外の全員から感嘆の吐息が漏れ出した。

 

「キャッチボールは相手の胸元を狙って投げなさい。最初は安定しなくても仕方ないけど、意識だけはしておいて」

 

 その言葉に各々が返事をすると、逢坂がミットを外して左手をひらひらさせながら倉敷の方を見る。

 

(なに今の……? アタシ、ミット動かしてないのにポケットってところまでボールが吸い込まれたわ。そういえばこの人大会でピッチャーをやってたわね……。もしかして、この人が真のライバル!?)

 

「全身の細かい使い方とか、そういうところで気になったことがあればあの三人に聞きなさい。……それじゃ」

 

 そう言い終わるや否や倉敷は踵を返した。

 

「あ、あのっ!」

 

「ん? ……何」

 

「あ……ありがとうございました!」

 

 呼び止められて少しめんどくさそうな表情で振り返る倉敷に初瀬が謝意を示すとつられるように他の皆もそれぞれ感謝の言葉を述べた。

 

「……別に、お礼なんて言う必要はないわ」

 

 そう言い残すと初瀬たちの前から足早に去っていった。

 

(……カッコいい、人だったなぁ……)

 

「麻里安ちゃーん? 行くわよー!」

 

「あっ! わ、分かりました」

 

 ミットを嵌め直した逢坂がボールの縫い目を確認しながら声をかけてくると、初瀬もポケットの位置を確認しながらミットを前に構えた。

 

「力は抜いて……てやっ!」

 

 逢坂が投げた球に今度は目をつぶらずに反応した初瀬は一歩左に動くとボールの軌道上にミットを差し出す。

 

「痛っ……」

 

 ミットはボールを捉えポケットの位置に当たったが、キャッチには至らず下にボールが(こぼ)れてしまった。

 

(うう……手のひらで包み込むようにするタイミングが遅れちゃった)

 

「惜しい! もうちょっとで捕れたわよー」

 

「は、はい! ボール行きます……!」

 

 ミットからボールを取り出すと縫い目を確認して丁寧に人差し指と中指の腹を引っ掛け、ボールを捕ろうとした時にずれた立ち位置を修正した。

 

(さっき倉敷先輩や逢坂さんがやってたみたいに手だけじゃなくて、身体全体を使うようにして……)

 

 言われたことを反芻するようにしながらややぎこちないながらに軸足に体重が乗ると胸元めがけてボールが投げられる。逢坂のボールと比べて勢いはないものの、十分な勢いを持って放たれたそれは逢坂のお腹あたりに落とされたミットに収められた。

 

「ナイスボール! なんだか捕るコツが掴めてきた気がするわ!」

 

「な、ナイスキャッチです……!」

 

(やったぁ……! 届いた……私でも届けられるんだ。なんだか嬉しいというか……楽しい、な)

 

 他の皆も胸元に狙い通り届くボールやポケットに収まる綺麗なキャッチばかりとまではいかないものの、アドバイスを受ける前と比べて明らかに安定したキャッチボールが出来るようになっていた。

 

「……はぁ」

 

 坂を(のぼ)りながら下りた時と同じように倉敷は短いため息を吐く。

 

(軽く説明するだけのつもりだったのに。どうしてあそこまでしっかり説明しちゃったんだろ)

 

 歩きながらその理由を考えてみるが結局思い当たらずに坂を上りきってしまう。倉敷は頭を横に振ると、頭の中を切り替えた。

 

(いや、今はそれより……しっかりランニングをしないと。夏の大会、アタシたちが負けた二回戦。負け投手は野崎(あの子)だったけれど、敗因はアタシにある。今までと同じ、打たれまいと初回から全力投球して、最後まで持たずに代わって、負担を掛けた。もうこんなことないように、一人でも投げきれるようにスタミナをつけないと)

 

 ようやくバックネット裏から有原たちが出てきて新入部員のもとに向かうのを横目に倉敷は中断していたランニングを続けたのだった。

 

「みんなー! 待たせてごめん!」

 

「何かあったの?」

 

「あはは……ちょっとね。でももう大丈夫!」

 

「……そう、それなら良かったわ。キャッチボール上手く出来てるか見てもらえる?」

 

 キャッチボールを始めたあたりから東雲に話しかけられた有原と鈴木がバックネット裏に連れていかれたことに気づいていた近藤はその様子を遠目に見て心配していたが、当事者が問題ないと言った以上そこに深入りすることはしなかった。

 

「うん! ……ってあれ、みんな形になってる!」

 

「さっき倉敷先輩が来て丁寧に説明してくれたんです」

 

「へえー……そうだったんだ!」

 

 東雲は有原がキャッチボールの邪魔にならない程度に近づいて話すのを少し引いた位置から見ながら、先程あったことを思い出していた。

 

 少しいいかしら、と話しかけ有原と鈴木をバックネット裏まで連れてきた東雲は、有原に問いかける。

 

「有原さん。あなた、この時期に新入部員が六人も入ったことをどう考えているのかしら?」

 

「そりゃもう嬉しいよ! これだけの人数が野球に興味を持ってくれたんだもん!」

 

「……そうね。男性と比べて女性の野球に対する認知度はまだ低い。興味を持ってくれたこと自体は私も嬉しいわ」

 

 その言葉を聞いて鈴木は訝しげな顔をする。

 

(……“自体は”。つまり東雲さんは……)

 

「でしょでしょ!」

 

 対して有原はまだこの言葉が持つ不穏さに気づかず、意見の一致を喜んでいる。

 

「……ただ」

 

「ただ?」

 

「私は懸念しているの。今回加入してくれた新入部員のやる気のいかんによっては、部に弛緩した雰囲気が蔓延するのではないかと。練習を厳しくしてそれを防ぐべきじゃないかしら?」

 

「それは……だ、大丈夫だよ! みんなで一緒に頑張れば……」

 

「本当にそうかしら? 今まで私たちが程よい緊張感を保ってこれた要因の一つは、良くも悪くも人数に余裕が無かったこと。誰一人欠けてもいけないような状況が続いていたこと。それが……これだけの人数になれば、プレーに直接関わらず試合を終えるメンバーがいるのは否定出来ない。そしてそのメンバーは今のところ、経験があまりない新入部員よ。あなたの言うように“楽しく”練習したとして、試合での出番がなく終わっても、果たして緩まずにいられるかしらね?」

 

「…………」

 

 東雲がまくし立てるように発した言葉に有原は返す言葉が続かない。それを見兼ねた鈴木が助け舟を出す。

 

「……でも、それはメンバー間で気遣うことでフォローできる問題だわ」

 

「そうかもしれないわ。でも、これは一例に過ぎない。私が有原さんに言っているのは先程新入部員に言ったように楽しく練習すること、それは私たちがもっと上にいくためには邪魔になるということよ」

 

「そ、そんな言い方……!」

 

「誤魔化してもしょうがないでしょう。どうなのかしら、有原さん?」

 

「……少し、考えてもいいかな」

 

「構わないわ」

 

 有原は向き合っていた東雲から視線を外すと、グラウンドの方を見る。ランニングに向かったメンバー以外はグラウンド付近で各自自主トレを進めていた。野球同好会の設立当初と比べて賑やかになったメンバーを見て有原は複雑な心境を抱いていた。

 

(私は……みんなと楽しく野球がしたい。でも、試合にも勝ちたい。勝って、もっと大きく羽ばたきたい。けれどそのためには東雲さんの言うように、楽しいだけじゃ……ダメ、なのかな)

 

 今の有原にとってバックネットの網目を通して見える景色はどこかパズルのピースのようにばらけているように感じられた。そのピースの一つに、思わず目を奪われる。

 

(ともっち……!?)

 

 有原の竹馬の友である黒髪ショートの少女、河北(かわきた)智恵(ともえ)は素振りをしていた。一回一回、実際に打席に立っているように集中し直す彼女はまたスイングをする。その足元にある土が軸足で蹴られて跡が残り、それが元々いたであろう場所から10メートルは続いていたことに有原は驚嘆した。

 

(……ともっち、前に私に言ってくれたよね。甘やかさないで、もっと厳しくして欲しいって。私はみんなに野球を楽しんで欲しい。厳しくして野球を嫌なものだと思って欲しくない。……でもそれって、甘やかしてる……ってことだよね)

 

 有原は視線をグラウンドに移す。ポジションテストのために空けている、まだ誰もいないグラウンド。グラウンドに誰もいないこの状態は有原に清城(せいじょう)高校と初の練習試合で惨敗した時のことを思い起こさせた。

 

(あの時、みんなもう来てくれないって思った。でも信じられなかった私の思いに反して一人も欠けることなく来てくれた。……そっか。結論はもう出てるじゃない)

 

 グラウンドから目を離して反転すると、その目は真っ直ぐに東雲に向けられていた。

 

「答えを聞かせてもらおうかしら」

 

「うん。……練習は厳しくしようと思う」

 

(私はみんなを、興味を持ってくれた野球を自分の意思でやろう! と決断してくれたみんなを、信じる!)

 

 東雲が有原の目をじっと見つめる。その様子を横から見ていた鈴木は二人の間に走った緊張感に思わず息を呑んだ。

 

「でも! 練習は厳しくしても、試合は楽しんでやろう!」

 

「…………ええ、異存はないわ」

 

 有原の答えに東雲は口角を上げて笑った。

 

「えっ」

 

「……? 鈴木さん、何か問題があったかしら」

 

 話の流れを見守っていた鈴木が間の抜けた声を発すると、東雲がとても不思議なものを見るように彼女を見ていた。

 

「いや、だって……さっき試合での緊張感の話があったから。てっきり試合も厳しくとか、そういう方向になるかと思って」

 

「試合で厳しくしてピリピリした雰囲気が充満することほど最悪なことはないのは私自身嫌になるくらい味わってきたわ。それと緊張感は試合を楽しむ上で練習もただ楽しくやっていたら弛緩した雰囲気が流れるという話、有原さんがそこを混同してないか試させてもらったのよ」

 

「……そう」

 

(確かにそういう話ではあったけれど、東雲さんはもう少し言い方に気をつけるべきだわ……)

 

「……でも、おかげで気持ちをはっきりさせられたかな。東雲さん、ありがとう!」

 

「…………そ、そろそろ戻りましょう」

 

「あ! そうだね。待たせすぎちゃった!」

 

 有原がすっきりした笑みをこぼして礼を言うと東雲は有原に向けた視線をそっと逸らして、新入部員の方に向かって歩いていく。その後ろを有原がついていくと、今のやりとりで一番疲れたような顔をした鈴木がその後ろをついていった。

 

(有原さん。その言葉、態度でも示すことね。……とはいえ、新入部員の中に経験者はいないし、まずは硬球に慣れてもらってからの話かしら)

 

 先ほどの出来事を確認するように思い出した東雲は自身も新たに入った部員たちのもとに近づいていく。

 

「確か初瀬さん……だったわね。少しいいかしら?」

 

「は、はい。なんでしょうか……」

 

「基本的な動作は問題なさそうだけれど、時折目をつぶってしまう癖は直した方がいいわ。硬球はぶつかったら痛いし、気持ちが分からないことはないけれど、目をつぶってしまう方がよっぽど危険よ」

 

「分かりました。意識してみます」

 

 その後3人の指導を受けながら10分ほどキャッチボールを続け新入部員が硬球の扱いに少し慣れてきた頃、ポジションテストを始めるべく各自希望したポジションに散っていく。東雲がボールの入ったカゴをホームベースの近くまで持っていく間、鈴木が逢坂に話しかけていた。

 

「逢坂さん。あなたはピッチャー希望だから、ノックを受ける前にそこのブルペンでボールを受けさせてもらえるかしら?」

 

「分かったわ! 肩もなんだかいい感じに軽くなってきたし、思いっきり投げたいと思ってたのよ!」

 

 レガースを取り付けながらグラウンドに行こうとする逢坂を呼び止めるとプルペンに向かうよう指示を出す。彼女がブルペンと呼んだそれはグラウンドにあるマウンドと比べると盛り上がった土も無く、真新しい白線で投げる場所と捕る場所だけ分かるようにした仮のものであったが、逢坂は全力投球出来ることへの喜びから上機嫌で入っていった。

 

「美奈子ちゃーん。わたし外野のどこに行けばいいのかな……」

 

「うーん。あ! わたしの頼れる背中がよく見えるあそこなんてどうかね?」

 

「あそこは……センターだね。そこにしてみる!」

 

(永井さんの第一希望ポジションは……センターにしたのね)

 

「有原さん。ボールは私が打つからあなたは外野側から彼女たちの様子を見ていて」

 

「あいあいさー!」

 

 近藤がつけていたミットがキャッチャー用のものではないことに気づいた有原がミットをキャッチャー用ヘルメットと一緒に持ってきて渡すと、ノックの準備を終えた東雲に話しかけられ外野に向かっていった。

 

(あ! 秋乃さんがつけてるのもファースト用じゃない! ……でも秋乃さんはファーストだけ希望してるわけじゃないから、ポジションが決まったらで大丈夫か。……ん?)

 

 秋乃を見ながら横を通り過ぎたあたりで後ろ側から息を大きく吸い込むような音が聞こえる。疑問に思った有原が振り向こうとする前に彼女の耳が新たに発せられた音に反応した。

 

「フレーッ! フレーッ! 新入! 部員ー!」

 

「うひゃぁっ!?」

 

 突然の大声に驚いた有原が振り返ると、グラウンドで構えていたメンバーも遊歩道の方を見ながら目を丸くする。そこでは学生帽を被り学生服をマントのようにして羽織った少女が掛け声に合わせて腕を伸ばしながら精一杯応援していた。

 

「びっくりしたぁ……。もー、岩城(いわき)先輩。急に大声を出したらびっくりするじゃないですかぁ」

 

 カランコロン、という独特な下駄の足音をさせながら二年生の岩城(いわき)良美(よしみ)が坂を下りてくる。

 

「はっはっは! 悪い悪い。ランニング折り返してきたらちょうどノックが始まるところだったから、これはウチが応援しないといけないと思ってな。というわけで、今からは急じゃないぞ!」

 

 黄色の髪を揺らしながら有原のすぐ近くまでやってきた岩城はそう言うと屈託のない笑顔を浮かべた。

 

「へっ……?」

 

「フレーッ! フレーッ! ガッツだ! ファイトだ! 青春だー!」

 

「わひゃあぁ……! 耳が、耳がキーンって……」

 

(うう……でも新入部員に思わず応援したくなるなんて岩城先輩らしいなあ。私たちがまだ5人しか人数揃ってなかった時もこうして応援してくれたっけ)

 

 有原は至近距離からの声援に思わず耳を塞ぎながらも顔には喜色が現れていた。

 

「フレ……おわっ! な、なんだぁ!」

 

「あっ、ルーちゃん!」

 

 全身を使って応援していた岩城が思わず動きを止めると、足元に来ていたリスが器用に彼女の体を上っていき、肩の地点に到着すると腕を交互に伸ばし始めた。

 

「こいつは……?」

 

「その子はね、ルーちゃんっていうの! 小麦のともだちなんだよ!」

 

「も、もしかして……岩城先輩の真似をしてるのかな?」

 

「うん! ルーちゃんはね、とっても賢いんだよ!」

 

「キュー♪」

 

 秋乃に褒められて嬉しそうに応援を続けるルーちゃんの応援熱に思わず岩城が感動する中、ホームから注意が飛ばされる。

 

「…………岩城先輩。ノックを始めたいので、すいませんが今は声援は無しでお願い出来ますか」

 

「なにっ! だ、だが……」

 

「……ノックの掛け声が遮られてしまいますから」

 

「む、それはいけないな……。邪魔になっては意味がない」

 

「キュー……」

 

 岩城が応援を中断して肩を落としながら遊歩道に戻っていくとルーちゃんも肩を落とした。

 

「あ! ルーちゃん、そこのどんぐり集めてあるところにかえしてあげてー!」

 

「ああ。分かった!」

 

 そこは新入部員用のミットが入ったカゴの近く。岩城は言われた通りそこに行き手をつくと、ルーちゃんは腕を渡るようにしてそこを降りていった。

 

(ミット……ん、そうか!)

 

「サードから行くわよ!」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

(えっと……まず、目をつぶらない。そして出来るだけポケットで捕る!)

 

 東雲が軽く打ったボールは初瀬のほんの少しだけ左側に転がっていく。それに初瀬はミットをつけた左手を伸ばすが、収まることなくボールは弾かれてしまう。

 

「きゃっ、ごめんなさい!」

 

「今は謝らなくていいわ。けど手だけで捕りに行こうとしないで、体を動かして! ボールの正面に入ることを意識するのよ!」

 

「は、はい! 気をつけます」

 

(もしかして東雲ってめちゃ怖い感じ……?)

 

 新田が東雲に警戒心を抱くと、東雲も新田の方に振り向き思わず新田はびっくりする。

 

「次、ショート!」

 

「お、おっけー!」

 

(そっか、次はわたしかって……速っ!)

 

 東雲が軽く打ったそれも初心者の新田にとっては速く感じられ、正面に放たれた打球だったが差し出したミットの下、そして足の間を抜けていってしまった。

 

「新田さんも手だけで捕りにいってるわ。腰を落として!」

 

「わ、分かったー!」

 

(ほっ……良かった。私だけじゃないんだ……。……って、私なんてことを!? 他の人のミスを喜ぶなんて……)

 

 初瀬が自分を責める間にもノックは続けられていく。

 

「ファースト、行くわよ!」

 

「ばっちこーい!」

 

(……あっ、しまった! いつものノックの癖で厳しめに……!)

 

 二人に放った打球とは違い、一二塁間のややファースト寄りという捕れるか捕れないかギリギリといった位置に転がってしまう。勢いも鋭いこの打球に、秋乃は反応していた。

 

「とりゃー!」

 

「えっ……!」

 

 地面スレスレのジャンプでボールに飛びついた秋乃のミットの先にはボールがしっかり収められていた。

 

「とったよー!」

 

「な、ナイスファースト!」

 

「秋乃さん、ナイキャッチー!」

 

(秋乃さん、野球経験はないようだけれど一歩目が早いわね。反射神経がいいのかしら?)

 

「センター!」

 

「は、はい!」

 

 空に向かって伸びていった白球がやがて勢いが収まり、落ちてくる。

 

(わわっ。今、ボールどこらへんにあるの〜?)

 

 白球を見上げる永井だったが距離感が掴めず少し下がったあたりで足が止まってしまう。

 

「加奈子! もっと後ろ〜! もう落ちてきてるよ!」

 

「ええっ!」

 

 新田の指示で永井は慌てて後ろ歩きで下がるとミットを上に向けて構えるが、ボールは無情にも頭の上を抜けて後ろでバウンドしてしまう。

 

「あちゃー。加奈子、バンザイしてるみたい」

 

「うう……ボール拾って来なきゃ」

 

「その心配はないぞ!」

 

「えっ……」

 

 ボールを追いかけようとする永井だったが、外野の奥にまだ咲いているひまわりを避けながら岩城がそのボールをミットに収めて拾い、新田が逸らしたボールと共にジャージのポケットに入れた。

 

「あ、ありがとうございます。すいません、逸らしちゃって……」

 

「なに、気にするな! ウチが今出来る応援はこれくらいだ! それに最初はみんな逸らすもんだ。ウチも最初はこぼしたり逸らしまくった!」

 

「そうなんですか……?」

 

「ああ! だけどみんなのアドバイスを聞いたり、一杯練習して大分マシになった! だから今は焦らなくても大丈夫だぞ!」

 

 快活な笑みを浮かべながら岩城が背中をミットで軽く叩くと、永井はどこか安心した様子だった。

 

「は、はい! 頑張ります!」

 

「翼ー! ウチにしてくれたアドバイスを加奈子にも!」

 

「任せてください! フライはね、慣れない最初は自分が感じてるより後ろに下がって大丈夫!」

 

「え……? だ、大丈夫なんですか? 下がりすぎちゃったら……」

 

「それは平気! なんていうか……後ろじゃなく前ならなんとかなるの!」

 

「ええと……」

 

「キャッチャー!」

 

 有原が説明している間にもノックは進められ、東雲が大きく打ち上げたボールを近藤が見上げると、その視界には小さな点としか捉えられないほどになったボールが映る。

 

(う……どこらへんだろう)

 

 近藤はほぼ真上にあるボールに見づらさを感じて後ろに下がっていく。すると角度がついて点のようだったボールが球体として捉えられるようになり、既に落ちてきていることに気づいた。

 

「わっ……と!」

 

 慌てて前に出てミットを差し出すと、不恰好ながらもボールをキャッチすることに成功していた。

 

「ナイス判断よ。キャッチャーフライは慣れるまでは距離感が掴みづらいし、打ち損じだから変則的な打球も多いのだけれど、一つずつ慣れていけばいいわ」

 

「は、はい!」

 

(あれ……もしかして東雲、怖いばっかりじゃないのかな)

 

「あ……なるほど。後ろ足でとてとて下がりながらだとさっきの私みたいに追いつききれないこともあるけど、前なら思い切り走れるし、後ろに下がって角度がつく分見やすいから、やりやすくなるんだ」

 

「そうそう! それが言いたかったの! 最初はね、そうやって感覚を掴んでいくといいよ」

 

 永井が有原が伝えたかった内容を友人のプレーを見て理解していると、二巡目のノックが始まる。

 

「それとね、最後には絶対にボールを捕るぞーっていう気合も大事だよ!」

 

「き、気合ですか?」

 

「うん! 守備をやってると捕れるか捕れないか、ギリギリだなーって打球が来る時があるの。そういう時はなんとしても捕ってやるんだーって思うんだ」

 

「そうだな! 気持ちで負けていたら捕れるものも捕れん!」

 

「ううん……そうなのかな?」

 

 やがて永井の順番になり、金属音が響くと打球が空を舞う。彼女から見てそれはやや右側へと放たれていた。

 

(あ……さっきみたいな真正面の打球より、少し見やすいかも)

 

 永井はそう思いながら自分の感覚より深めに下がっていくと捕球体勢を整えた。

 

(えっ!)

 

 彼女が構えていた位置にちょうど打球が落ちてくる。驚きながらも捕球を試みたが、ミットはボールを弾いてしまった。

 

(び、びっくりしたぁ。思いっきり下がったつもりだったのに、ボールってこんなに伸びてくるんだ……)

 

「永井さん、惜しいよ!」

 

「後は気合だ! ミットが届く位置にボールが来たなら、そのボールは捕れるはず。そこからは気持ちの勝負だ!」

 

「は、はい!」

 

(確かに……。ボールが体に向かって飛んでくるのが怖くなってつい腰が引けちゃった。気持ちも……案外大事なのかなぁ)

 

 その後もノックが進められ有原も岩城と同じくボール拾いに回ると、プルペンで投げていた逢坂が口を尖らせながら外野まで歩いてきた。

 

「逢坂さん。どうかしたんですか?」

 

「それがさー、聞いてよ加奈子ちゃん! たいかん? がどうとかで、今のアタシじゃピッチャーは任せられないんだって!」

 

「それは……残念だったね。キャッチボールの時に投げてた逢坂さんの球、速そうに見えたのに」

 

「でしょー! とりあえず外野でノックを受けてって言われたけどこんな地味な練習、大女優になるアタシには世界で一番いらない練習だわ……」

 

「あ、でも夏の大会を応援しにいった時、ライトの宇喜多(うきた)さんがフェンスにぶつかりながらフライを捕った時は凄かったですよね。球場にいた観客が一斉に盛り上がって……」

 

「……! そうか……守備でも目立てる? ……決めたわ! アタシ、ライトやる!」

 

 ふくれっ面が一転して嬉しそうに顔を輝かせ息を弾ませると、意気揚々とライトにノックを受けにいった。

 

「あ、逢坂さん? ……行っちゃった」

 

 鈴木がプロテクターを外しながら近づいてきたことに東雲は気がつくと、ノックを一旦中止して話しかけた。

 

「どうだった?」

 

「球速は悪くなかったわ。ただコントロールがあまりに酷かったから角材に乗ってもらったのだけれど、どうも体幹が弱いらしくて今のところピッチャーは難しそうよ」

 

(……まあ、そうよね。ピッチャーはどこのポジションよりも運動センスが問われるポジション。そう簡単になれるものではないわ)

 

「分かったわ。……ノックを続けるわよ! ライト!」

 

 話を聞き終えると東雲はさばさばとした顔つきでノックを再開し、入ったばかりの逢坂に向かって打球を飛ばした。

 

「来たわね! 見せてあげるわ、アタシの華麗な守備を!」

 

 飛んできた打球に嬉々として向かっていく逢坂、自信ありげな眼つきがボールの位置を捉えるとそのボールに飛びついた。

 

「ダイビング……キャーッチ!」

 

 華奢な体が宙を舞い、弧を描いて落ちてくるボールがミットに吸い込まれていく。

 

(放さない……んだからぁ!)

 

 ミットの先で掴まれたそのボールは彼女の体が地面に接触した衝撃を受けても放されることはなかった。

 

「や、やった! やったわ! さっすがアタシ!」

 

 豪快なダイビングキャッチに新入部員たちは驚きの声を上げ、逢坂はこれ以上ないほどのドヤ顔を浮かべる。

 

「……良く捕ったけれど、一歩目が大幅に遅れていたわ。最初は余裕を持って届く範囲に打つから、今はそういうプレーよりも基礎的な部分から身につけてもらえるかしら」

 

「あ、あれぇ……?」

 

 しかし東雲から予想外の注意を受けてしまい逢坂は困惑する。そんな逢坂を見て、永井は気持ちも大事だけれど気持ちだけが先行するのも良くないことを学んだのだった。

 

「……ノック終了! 休憩に入るわ」

 

 その後30分近くポジションテストを兼ねたノックが続けられ、ようやく終了する。普段運動しない新田が疲労のあまり東雲のことを冗談交じりに鬼東雲(おにくもー)と呼んだことが彼女の癪に触ったこともあり少し長めのノックとなってしまった。

 

「ふへぇー、疲れたぁ」

 

 新田を始めとして近藤・永井・逢坂が次々と木製のベンチに倒れこむようにして座り、ジュースで水分を補給する。エネルギッシュさを見せていた秋乃も色々なポジションを試して疲れたのか、ベンチに寝転がるようにしてタオルで汗を拭いた。

 

「ふぅ〜。つかれたけど、たのしかったぁ」

 

「秋乃さん、どのポジションが一番やりやすかったかしら?」

 

「うーんとねー……一番最初にやったところがよかった!」

 

「ファーストね、分かったわ。しばらくはそこで練習することにしましょう」

 

「りょーかい!」

 

 秋乃のポジションも決まり、他のメンバーも先ほど守っていたポジションでやっていくことになったため全員のポジションがひとまず確定する。そのことに安堵しながらノックの疲れを取るように東雲はスポーツドリンクで喉を潤した。

 

「東雲さん、少しいいかしら。秋乃さんのポジションのことなのだけれど」

 

「彼女はファーストでやっていくそうよ」

 

「ファースト? でも彼女はファーストを守るには身長が低いし、リーチもそこまで長くないわ」

 

「そうね。そこは野崎さんと比べると劣る部分だけれど、守備範囲の広さには目を見張るものがあったわ」

 

「私が本で読んだ限りだと、ファーストはそこまで守備に比重を置かなくて良いポジションだと思うのだけれど……」

 

「それは恐らく古い本か、昔に読んだ本ね。今は右打者が右方向にも強く打球を飛ばす時代、引っ張ることによって強い打球が来やすいサードに比べてファーストの守備は軽視されがちだったけれど、今はファーストの守備というのも大事になってきていると思うわ。内野一人一人の守備範囲が広がることで相手のヒットゾーンを減らす効果もあるしね」

 

「……そう、なのね」

 

 幼い頃から兄の役に立ちたいと思い野球の勉強をしてきた鈴木にとってこの意見はすぐには納得し難いものだった。しかし幼い頃に読んだ本という指摘が当たっていたことや、野球一家の家系であり幼い頃から今日に至るまで野球に真剣に取り組んできた東雲の言葉を、まだ実戦の経験が少ない彼女は否定しようとは思わなかった。

 

 バックグラウンド裏での口論やノックが長引いた影響によって予定した時間より遅くなってしまったため、休憩が始まる前に自主トレでランニングを選んだ者たちもほとんど戻ってきていた。

 

(あれ……倉敷先輩がいない。まだランニングに行ってるのかな)

 

 タオルをボールに見立てて投球の練習を行うシャドウピッチングの自主トレを行っていた長身で金髪の少女、野崎(のざき)夕姫(ゆうき)は倉敷が帰ってきていないことに気づき、彼女たちが連絡用のツールとして使用しているアプリ『NINE(ナイン)』の個人連絡を使い、ポジションテストが終わった旨を連絡した。

 

「ふぅ……」

 

 野崎は連絡を送ると休憩もそこそこにシャドウピッチングを再開する。

 

(夏の大会の二回戦、倉敷先輩に託されたマウンドだったのに制球(コントロール)が定まらなくて無駄な四球(フォアボール)を出して、甘くなったボールを打たれて……皆さんの夏を終わらせてしまった。私のせいで……皆さんに迷惑をかけてしまった。もう、こんなことがないようにコントロールをつけないと……!)

 

 タオルが風の抵抗を受けながら空を裂き、ブーンという長い音が響く。すると彼女がバッグに戻した端末に返信が届く。練習に夢中になる彼女が今それに気づくことはなく、そこに書かれていた返事は履歴にあるやり取りと同じように長文で書かれた夕姫のものと違い「分かった」という淡白なものだった。

 

(やっぱり……私が運動なんて無理だったのかな)

 

「そんなところでなーにやってるにゃ?」

 

「あ、中野さん……」

 

 そんな中、湿り気を帯びたオリーブグリーン色の髪がタオルで拭いた際に少しくしゃくしゃになっている中野綾香(なかのあやか)が一人離れた場所でミネラルウォーターを飲んでいた初瀬に気づき、話しかけた。

 

「先程は助けていただいてありがとうございました……」

 

「困った時はお互い様だにゃー。初瀬には部を認めてもらう時に色々世話になったからにゃ。気にすることはないのにゃ」

 

「そう言ってもらえると助かります……」

 

「で、なーんでこんな隅っこにいるのにゃ?」

 

「う……それは、その……」

 

 初瀬は言いづらそうに目線をそらすとグラウンドの方に目をやる。それは新聞部を自称するほど観察眼に自信がある中野にとって事情を察するには十分な行動だった。

 

「ははーん。さてはノックが全然捕れなかったんだにゃ」

 

「うっ! ……そうなんです。最初こそ秋乃さん以外は同じような感じだったんですが、最後の方は皆さん慣れてきてそこそこ捕れるようになってきたのに私だけ結局一回も捕ることが出来なくて……」

 

「なるほどなるほど。それで落ち込んでると」

 

「はい……。私、野球向いてないのかなって……」

 

「にゃははは! 初瀬は気にしすぎなんだにゃー。そもそも野球部がまだ同好会だった頃にワタシが入ったばかりの時なんて、翼と阿佐田パイセン以外はみんなポロポロしまくりだったし、宇喜多だって今の初瀬と似たようなもんだったのにゃ」

 

「えっ!? 宇喜多さんって……この前の大会の時にフェンスにぶつかりながらもボールを捕っていた方ですよね……?」

 

「そうにゃ。それだけ宇喜多が頑張って練習して、上手くなったってことだにゃ。最初から上手いやつなんて早々いないのにゃ」

 

「で、ですが秋乃さんはほとんどボールを捕られていましたが……」

 

「記者をやってきたワタシの経験則でいうと、こういう初心者組が一斉になにかをやる時ってのは一人ぐらいは上手いことこなすやつがいるもんにゃ。翼は経験者だったからワタシたちの場合はそれが阿佐田パイセン、今回はそれが秋乃だったってことにゃ」

 

「そうなんですか……?」

 

「そうにゃ。初瀬は頭が良いからその分、色々考えすぎなんだにゃー。真面目なのが悪いとは言わないけど、自分を精神的に追い込んで良いことなんてまず無いのにゃ」

 

 そういうと中野は初瀬がかけていたメガネを外し、代わりに自分が頭につけていたツルのない黒縁(くろぶち)メガネを押さえるようにして取り付けた。

 

「わわっ……!? み、見えないです……」

 

「にゃはは。度が入っていない伊達メガネだからにゃ。でも、今見える光景なんてこれくらいぼんやりとした感じで受け取ってしまえばいいのにゃ。ワタシだってこの高校に入った時はまさか野球部に入るとは思わなかったけど、実際にはこうして野球部の一員として頑張ってるのにゃ」

 

「わ、私も……想像もしてなかったです」

 

「そういうことにゃ」

 

 初瀬は目の前の黒い物体が離れていくのを感じると耳にツルの感触を覚え、その視界には少し見下ろすようにして晴れやかな表情をしている中野が映し出された。

 

「……中野さん。ありがとうございます。私、自分には無理なんだって決めつけちゃってました。まず頑張ってみて……それからまた、考えてみようと思います」

 

「それがいいにゃ」

 

 初瀬からようやく笑みが零れるのを確認して安堵した中野は有原と東雲を呼びつけた。

 

「どうかしたのかしら?」

 

「ちょっと初瀬にサードの守備を見せてやって欲しいのにゃ」

 

「構わないけど……」

 

「翼にはノックをお願いするにゃ」

 

「うん! 任せといてー!」

 

 準備が完了すると金属音が響き渡り、鋭い打球が三塁線を襲う。打球に素早く反応した東雲は逆シングルでボールを捕るとすぐさま送球体勢を作り、ファーストにボールを投げるフリをした。

 

「す、凄い……。私の時と、全然違う……」

 

「次、行くよー!」

 

 東雲がバックネットに向かってボールを流すと次の打球が放たれる。その方向は東雲の正面だったが、ボールが彼女の目の前でバウンドする形となった。東雲はボールが打たれた瞬間、立ち位置を調整するとボールがバウンドした間際でキャッチしてその勢いを殺さずに送球体勢を作り、投げるフリをする。その後も何球かノックは続けられ、全ての打球を東雲は捌いてみせる。その様子を初瀬はじっと見つめ続けていた。

 

「有原さん、東雲さん、ありがとうございました……!」

 

「大丈夫だよ! なにか分からないことがあったらいつでも遠慮なく聞いてね!」

 

「やる気があるのは良いことだわ。サードのことで聞きたいことがあれば私に聞くといいわよ」

 

「は、はい! また何かあればお願いします」

 

 やる気に満ちた顔つきでプレーを見る初瀬に二人はどこか満足げな表情で休憩に戻っていった。

 

「で、どうだったかにゃ?」

 

「なんというか……無駄がなかったように感じます。全てのプレーがスムーズでした。打球も速くて、東雲さんのプレーも素早くて……」

 

「今初瀬が言ったように野球のプレーってのは“はやい”んだにゃ。一々こういう時はどうするとか頭で考える余裕ははっきり言って無いのにゃ」

 

 その言葉を受けて初瀬は自分がノックを受けた時のことを思い出す。頭で毎回反省点を反芻し、どう動くのがいいのか考えながらプレーしていた自分の動きはどこかぎこちなかったように思い出された。

 

「確かにそんな時間は無いのかもしれません。ただ、それならばどうやって……」

 

「ワタシも始めた頃気になって調べてみたのにゃ。すると元プロ野球選手(先人)自叙伝(じじょでん)に興味深いことが載っていたのにゃ」

 

「自叙伝まで調べたんですか……!?」

 

「こういう時、先人の知恵ほど頼りになるものはないのにゃ。それによると理性ではなく本能で判断しているらしいにゃ」

 

「ええっ! 本能っていうと……何も考えていないってことですか?」

 

「平たく言えばそうみたいにゃ。ただ本能っていっても適当にやる訳ではないにゃ。頭で考えているようなプレーを無意識に脳裏でイメージ出来るまで練習することで、本番で理想的な動きが本能で引き出される……といった具合みたいにゃ」

 

「や、やはり練習の賜物なんですね……」

 

「よく考えると当たり前ではあるけれど、そういうことなんだにゃ。ただここで終わらないのが新聞部の新聞部たる所以(ゆえん)だにゃ」

 

 中野はふてぶてしい笑顔をのぞかせながら先ほどから構えていたカメラの映像を繋ぎ終えた。

 

「どういうことですか……?」

 

「無意識でイメージ出来るようになるためには練習以前にまず意識してイメージ出来ないと、そこには辿り着けないにゃ。ただ野球知識がないと一つ足りとも同じ打球が飛んでこない野球ではそれすらも難易度が高いのにゃ」

 

「た、確かに。イメージの中でも私が上手くやれるような感じはしないです……」

 

「にゃはは。私も最初はそうだったにゃ。だから東雲に実際の動きを見せてもらったのにゃ。翼も経験者なだけあって、色んな打球を飛ばしてくれたんだにゃ」

 

「う……頑張って見てみたのですが、なにぶん動きが早くて、今イメージ出来るほどは……」

 

「そりゃあすぐにイメージを固めるなんて至難の業にゃ。けど安心するにゃ。ワタシの愛用カメラ(ワトソン)がしっかり映像(イメージ)を捉えているんだにゃ」

 

 すると中野はカメラを初瀬の前にまで持ってきて先ほどの東雲の守備をコマ送りで再生し始めた。

 

「あ……凄い。さっき目で追いきれなかった動きがよく分かります……」

 

「この動きを頭の中でイメージ出来るようになれば、きっとさっきよりはマシになるにゃー」

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

 カメラを渡された初瀬は礼を言い、ツルを動かしてメガネの位置を調整すると液晶モニターを覗き込む。のめり込むように凝視する初瀬の横顔を見て中野は柔らかな微笑を浮かべた。

 

「つっくも〜、せっかくしのくもが自主トレでいいって言ってたのに、わざわざずっとランニングしてたのだ?」

 

「まあね。生徒会に入ってから本格的に運動する機会は減ってしまったから、体力を少しでも戻しておこうと思ってね」

 

 その頃、ちょうどランニングを終えて汗を拭きながら息を整えている同学年の九十九(つくも)伽奈(かな)を阿佐田が見上げるようにして話しかけた。

 

「おおー、九十九がやる気なのだ」

 

「倉敷さんには敵わないけどね。私が最後かと思ったら、彼女はまだ走っているんだろう?」

 

「まいちんは頑張りすぎなのだー。最近は隙さえあれば走ってる気がするのだ」

 

「確かにね……今の彼女は少し頑張りすぎかもしれないな。大会が終わってから、笑っているところを見なくなったように感じるよ」

 

 九十九は倉敷の最近の様子を思い出す。練習中を始めとして特に態度に大きな変化があったわけではない。ただ彼女のことをよく見ていた九十九にとっては今の彼女は時折笑顔を見せていた以前とは異なり、どこか張り詰めているように感じられた。

 

「そうそう。まいちんも九十九も、あおいを見習って表情筋を柔らかくするのだ」

 

「……そういえば大会で捻挫した足はもう大丈夫かい?」

 

「もう大丈夫なのだー。この通りなのだ」

 

 阿佐田はその言葉と共に怪我した足を軸に一回転してみせた。

 

「良かった。捻挫はクセになると厄介だから、気をつけるんだよ。それであおいは自主トレ、何をしていたのかな?」

 

「ふっふっふ。必殺のにゃんこ打法の習得に励んでいたのだ」

 

「…………ああ。素振りをしていたんだね」

 

「そこは表情筋を大きく動かして驚くところなのだー!」

 

 猫が吠えるように表情筋を動かす阿佐田。そんな彼女たちの会話が落ち着いたタイミングを見計らって鈴木が話しかけた。

 

「少しいいかしら」

 

「鈴木さん。どうかしましたか?」

 

「すずわかもにゃんこ打法に興味があるのだ?」

 

「いえ、無いです。それよりお二人のポジションのことなんですが……」

 

 ショックを受ける阿佐田をよそに鈴木は説明を続ける。するとそのタイミングで倉敷がようやくランニングから戻ってきた。

 

(……まだ、休憩中みたいね)

 

 ベンチに座りタオルを首にかけてうな垂れるように一息つく。呼吸は荒く、落ち着くには時間がかかりそうだった。

 

「あ、倉敷先輩! お疲れ様です」

 

「……有原……?」

 

「そのままで大丈夫ですよ! さっきはキャッチボールの指導をみんなにしてもらってありがとうございました!」

 

 声で有原が話しかけてきたと判断した倉敷が顔を上げようとするが、疲れを察した有原がそれを止めると、自分たちが口論していた際に新入部員にキャッチボールのコツを伝えてくれたことの礼を述べた。

 

「……ああ。別に大したことはしてないよ」

 

「でもみんなしっかり形になってましたよ!」

 

「アタシが入った時に鈴木や、東雲に教えてもらったことの受け売りだよ」

 

「……あれ、私のは……」

 

「……アンタのは擬音が多くて、全然分からなかったわ」

 

「あはは……よく言われます。……次のバッティング練習ですけど、東雲さんがバッティングピッチャーをやるので倉敷先輩はもう少し休んでて大丈夫ですよ」

 

「……そうさせてもらうわ」

 

 バッティング練習が始まる時間が迫っていたが、倉敷の呼吸はまだ整っていなかった。倉敷は有原の提案に乗ることにし、炭酸が抜けてぬるくなったコーラを一気に飲み干した。

 

「……おや、練習が始まるみたいだにゃ」

 

 東雲がボールの入ったカゴをマウンドの近くまで持ってきたことで練習の時間になったことに気づいた中野は初瀬の肩を軽く叩くと、ミットを取り出した。

 

「あっ、もうそんな時間なんですね。……あれ、なんでミットを持っているんですか?」

 

「バッティング練習といっても、ゲージを買う余裕がなくて同時に一人しか打てないから他のメンバーの守備練習も兼ねているんだにゃー」

 

「そうなんですね……よ、よーし……!」

 

 映像を繰り返し見た初瀬はやる気に満ち溢れた顔でサードに向かう。するとそこには先客がいた。

 

「おっ。来たのだ」

 

「あ、阿佐田先輩……? 先輩のポジションは確かセカンドだったような……」

 

「うむ。大会ではセカンド専門だったけど、元々はサードを守っていたのだ。すずわかのお願いで今後はどちらも練習しておいて欲しいって言われたから、またサードも頑張ることになったのだ」

 

「そ、そうなんですね……。二つもポジションを守れるなんて、凄い……」

 

「といっても九十九なんて外野のポジション全部練習するみたいなのだー」

 

「ええっ! 三つもですか……今の私には想像も出来ないです」

 

 会話をしている間にバッティング練習が始まり九十九が放ったライナーが三遊間に飛ぶ。低い弾道の打球に深めでワンバウンドしたタイミングでのキャッチを図る有原だったが、バウンド前にその打球は阿佐田のミットに収められていた。

 

(あ、あれ……阿佐田先輩、いつの間にあんな位置に……)

 

「阿佐田先輩、ナイスキャッチです!」

 

「……やるね、あおい」

 

「くくく。勝負師として、九十九には負けられないのだー」

 

 阿佐田が九十九に挑戦的な表情を向けると、九十九は表情こそあまり動かなかったが口角を上げ、その後のバッティングで調子良くヒットを量産していた。

 

(バッティングピッチャーだから全力での投球ではないけれど、それにしてもよく打つわね。経験者の私と有原さんを除けば、チームで一番打率が高いのは九十九先輩じゃないかしら)

 

 九十九がバッティング練習を終えてライトに戻っていく。すると同じくライトのポジションを守っている猫耳のフードを被った茶髪の少女、宇喜多(うきた)(あかね)が逢坂に絡まれていた。

 

「ね、いいでしょ! そのフードの中に目立つ秘訣が隠されてるんじゃないかって思うのよ!」

 

「そ、そんなものないよ〜」

 

「怪しいわ! きっとその中には本物の猫耳が……!」

 

「……何をやっているんですか」

 

 そんな二人の様子を見て呆れながらも無視はできず九十九は声をかける。

 

「あっ、伽奈先輩! 先輩も茜ちゃんのフードの中、気になりますよね!」

 

「……本人が嫌がっているのなら、やめたほうがいいと思いますよ」

 

「えーっ、つまんないなぁ……」

 

 逢坂は渋々といった様子でフードを剥がすのを諦めたが、その表情は明らかに不服を訴えていた。

 

(た、助かったぁ。でも……)

 

 ライトにフライが飛び、順番の都合で逢坂が反応する。すると逢坂は先ほどのノックで早くも慣れてきたのか、ふらふらとした足取りながらもボールを掴み取った。

 

(ライト、三人に増えちゃった……。激戦区だよぉ〜)

 

 宇喜多は賑やかになった雰囲気に反して、今後への不安で胸の内が一杯となっていた。

 

 バッティング練習は進んでいき、九十九がセンターに移動し、阿佐田がセカンドに移ると、阿佐田と同じくセカンドを守っていた河北がバッターボックスに立った。

 

「……よし。こ、こーい!」

 

 気合十分といった様子でバットを構えると初球はバックネット方向へのファール。次の球を捉えるとライナーとなって放たれた。

 

「やった! ……あっ!」

 

 その打球はセカンド定位置からやや二塁ベース寄りの打球。セカンドに変わったばかりの阿佐田の頭上を抜けようかという打球はジャンプ一番、捕球されてしまう。

 

「むー。まだまだぁ!」

 

 次に放った打球は二遊間、ショート寄りのゴロ。勢いのある打球がセンターに抜けようかというところ、深めの位置で有原がなんとか体勢を崩さずに捕球した。

 

「ううー!」

 

(バッティングピッチャーとして投げてみて、有原さんと阿佐田先輩の間はほとんど抜かれない感じがするわね。……えっ!)

 

 そう思ったのも束の間、東雲の足元を抜いた打球は反応した有原・阿佐田に捕まることなくセンターへと抜けていった。

 

「中々やるのだ……!」

 

「やられたぁ。今のは捕れないよ、ともっちー!」

 

「ふふーん。私だって捕らせるために打ってるんじゃないんだから!」

 

(へぇ……)

 

 得意げにする河北を東雲が意外そうな表情で見ている間に、勢いよく転がっていく打球を永井が捕りにいく。しかしミットの下をボールがくぐり抜けてしまい、後ろにいた中野が慌てて捕球した。

 

「うう……。また捕れなかった」

 

「ドンマイにゃ。こっちに向かってくる打球に向かってこっちからも走るわけだからにゃ。スピード倍増なんだにゃ」

 

「どうすればいいかな……?」

 

「そうだにゃあ。どこら辺で捕るか目測をつけるのが一番だけど、その感覚が中々難しいんだにゃ。次飛んできたら、どう捕るか見てみるといいんだにゃ。……にゃにゃ!?」

 

 間髪入れず打球がセンターに飛んでくる。虚を突かれた中野だったが、その打球に反応した。

 

(これは……ツーバウンドする前に捕れるにゃ!)

 

 二遊間を超えてセンター前に落ちた打球。ワンバウンドで大きく跳ねると、その球が地面につこうとするほんの少し前のタイミングで中野は捕球に成功した。

 

「わぁ……」

 

「まぁ今のはバウンドも緩い感じだったから、慣れれば永井も捕れるようになるにゃ」

 

「……! 中野さん」

 

「おっと……!?」

 

 再び東雲の足元を抜いた打球がセンターに飛んでくる。中野が横に避け、九十九がその打球に向かって走ると何バウンド目か分からないほどバウンドした打球の跳ね際をすくうようにしてキャッチした。

 

「す、凄い……」

 

「転がってきた打球は思ったより跳ねないので、最初は早く捕ることより後ろからタイミングを計って確実に捕れるように意識してみるといいかもしれません」

 

「ありがとうございます。頑張ってみます……!」

 

 バッティング練習が進められていくうちに倉敷も息が整い、バッターとして参加した後ファーストのポジションに入る。その後も練習は進められていき、いよいよ新入部員たちを残すのみとなった。

 

「うっ!」

 

「ひゃぁ!」

 

「くうっ……!」

 

 しかし新田、永井、近藤とボールにタイミングが合うことはほとんど無かった。

 

(スイングがばらばらね……。まずは素振りで安定したスイングを身につけることから始めさせないと)

 

 順番は周り、初瀬の番となる。だが彼女も新田たちとほとんど同じで、バットが空を切っていく。たまにかすることはあった新田たちと違い、初瀬は結局バットがボールに当たることはなかった。

 

(うう……打てなかった)

 

 残り二人となり秋乃が左打席に入る。最初は真ん中付近に投げられていたボールをたまにファールするくらいだったが……

 

「ねえー、もう少しここらへんになげてー!」

 

「……分かったわ」

 

(低め? 基本的に低めは打ちづらいとされているのだけれど……)

 

 秋乃が示したのは低めのストライクゾーン。疑問に思いながらも東雲は言われた通りに投げると、快音がグラウンドに響き渡る。ドライブがかかったボールはファーストを守っていた野崎の上を超えるとライト線を勢いよく転がっていった。その後も低めに投じられた球を秋乃は次々とヒットにしていく。

 

「うーん。たのしかったー。りょーもありがと!」

 

「ええ、お疲れ様。あと名前ではあまり呼ばないで……」

 

 秋乃の順番が終わり最後は逢坂の番となる。しかしその顔はどこか落ち込んでいた。

 

(今度は目立つなら最後! ……と思ったのに、これじゃあアタシの印象弱まるばかりじゃない……)

 

 そんな考えで右打席に入ると最初こそタイミングが合わなかったが、段々とタイミングが合ってくるとそんな考えも忘れ目の前のボールに集中していく。ラスト一球として投じられたボールを振り抜いた逢坂の打球は見事に左中間を抜いていった。

 

(スイングは他のみんなと同じくばらばらだったけど、最後は器用に腕をたたんで打ったわね)

 

 そんなこんなで新入部員にとって一日目の練習が終了した。硬球に慣れさせる必要もある初日はあまり無理もさせられず、いつもより少しだけ早めに切り上げることになった。

 

「バッティングもそうですが、結局守備でキャッチすることが出来ませんでした……」

 

「ううーん。阿佐田パイセンがサードも兼ねて、守備機会も少なかったからにゃ。イメージを身に染み込ませるにはもっとやらないといけないのかもにゃー」

 

 中野に相談を続ける初瀬。そんな中、新田があるものを発見していた。

 

「東雲ー。何それ、タピオカミルクティー? 飲んでみたい!」

 

「……飲んでみる?」

 

「え! いいの? 飲む飲む!」

 

 東雲が先ほどまで飲んでいたスポーツドリンクとは違う飲み物を作っていたのを目ざとく発見した新田は永井と近藤が興味津々といった様子で見つめる中、それを頂いた。

 

「…………」

 

「ど、どう? 美味しい?」

 

「……美奈子?」

 

 そんな中、様子がおかしいことに近藤が気がつく。すると新田が行動を起こす寸前、東雲が一瞬早く動いた。

 

「まずっ……!? うぐぐぐ……!」

 

「勿体無いわ。自分が飲んでみたいと言ったのよ。責任を持って最後まで飲み切りなさい」

 

 あまりの不味さに思わず吹き出しそうになった新田の口を東雲が容赦なく押さえ込む。新田は液体が喉を通過する感覚を覚えると、東雲の手が離れていくのを感じながらその場に倒れこんだ。

 

「大丈夫?」

 

「加奈子、咲……。ワタシの屍を越えていけ……がくっ」

 

「そんな……生きて、生きて美奈子ちゃん!」

 

 新田は倒れた。

 

「……何これ」

 

 その場が収集するまで5分近いやりとりを挟みながら新田は復活した。

 

「それでさっきのやつ、結局なに? 青汁?」

 

「……プロテインよ。栄養素の吸収率が高い運動後に摂取することで、筋力を向上させる効果があるわ」

 

「……へえー。そうなんだ」

 

「思い切り目を逸らしながら言ったわね……」

 

「あれ、初瀬じゃん。どしたのー?」

 

 新田が目を逸らした先にはちょうどこちらに向かって歩いてくる初瀬の姿があった。初瀬は東雲の前で立ち止まり息を深く吸うと頭を下げた。

 

「東雲さん、お願いします……! この後、もし予定が空いていれば私に特訓をつけてください……!」

 

(………………へぇ)

 

「ちょ、初瀬……特訓って……ええ!?」

 

「構わないわよ。ただし」

 

 言葉を区切るとその眼は鋭く射抜くように初瀬の目を見つめていた。

 

「自分で言い出した以上、最後までやりきる覚悟はあるかしら?」

 

「……!」

 

(覚悟……。私は……)

 

 この瞬間、初瀬の脳裏に野球部のことを知ってから今に至るまでの経緯がフラッシュバックされる。

 

(そうだ。一から野球部を作り上げた皆さんのように、私も……本の中じゃなく、現実で何かに挑戦できたらって……そういう覚悟を抱いて、私は野球部に入りたいって思ったんだ……!)

 

「あります……!」

 

 東雲の目を初瀬はまっすぐ見つめ返す。数瞬の沈黙の後に、東雲が口角を上げながら目線を逸らした。

 

「……ふ。いいわ。さあ、特訓を始めるわよ……!」

 

「はい!」

 

 特訓に向かう初瀬を見て中野は思わずシャッターを切る。彼女の一日目はまだ終わらないようだ。

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