皆で綴る物語   作:ゾネサー

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エースの振る舞い

 ベンチからグラウンドを見渡した阿佐田は明條内野陣の守備位置が動いていくのを確認していた。

 

(二塁経由でのダブルプレーを狙う中間守備……。スクイズを考えたいけど、こむぎんにバントは難しいのだ。ここは……)

 

(小麦には打てー! のサインで……)

 

(一塁ランナーの私は勿論として……)

 

(ゴロならスタートでフライやライナーなら戻れ、か。おっけー!)

 

 3人は阿佐田から出されたサインを確認すると、再開されたプレーに意識を戻す。

 

(この回スローカーブは全部見送られて、ヒットにされたのはどちらもストレート。けどこのバッター、さっきの回スローカーブをヒットにしてるのよね……。ここは厳しいコースをついていくわよ)

 

(内野の頭越えさせない! そのためには入れにいかずに、丁寧に低め狙う……!)

 

 投げ急がずにランナーを見渡してからキャッチャーの構えたミットを見ると、息を軽く吐き出してから投球姿勢に入り、力みの取れた腕の振りで投げ込んだ。

 

(スローカーブ……!)

 

(……! 軸がぶれてない。待たれてたか? でもコースは良いとこにきてる……!)

 

 右足を上げながらもタイミングを崩さない秋乃に焦燥感を覚えるキャッチャーだったが、要求通り外のボールゾーンからアウトコース低めの際どい場所へと曲がっていくスローカーブがマスクを通して見えていた。

 

(さらにググーッと溜めて…………今だぁっ!)

 

 溜めに溜めて右足を大きく踏み出した秋乃は下半身で解放した勢いを腰の回転で上半身に移し、鋭いスイングで振り出したバットは僅かに低めに外れていたボールの上を叩いた。

 

((ゴロ……!))

 

 一二塁間に転がっていく打球に反応した近藤と新田は迷わずスタートを切る。

 

(今同点なのは元を辿れば私が弾いたせいだ。これ以上後輩の初マウンドの足を引っ張ってたまるもんですかっ!)

 

 牽制に備えて一塁ベース寄りに守っていたファーストだったが反応よく打球に飛びつくと長いファーストミットの先で掴み取るようにして捕球した。

 

(ホームは無理だ……だけど!)

 

「セカンに!」

 

「分かってる!」

 

 飛び込んで崩れた体勢を持ち直したファーストは二塁で構えるショートへスムーズに送球を行った。

 

「アウト!」

 

(くっ……)

 

「みよちゃん!」

 

 足から滑り込む近藤だったがボールが届く方が早くフォースアウトに取られてしまう。ボールを受け取ったショートはスライディングを避けるように左に一歩分動いてから一塁のカバーに入った大咲へと送球した。

 

(こういう時は回り込まないで……とにかく駆け抜けるっ!)

 

 秋乃が一塁ベースに向かって真っ直ぐ走りベースを踏むとほぼ同時に大咲のミットにボールが届く。ベースを駆け抜けた秋乃が勢いを持て余しバランスを崩して転びそうになっていると背後から一塁審判のコールが上げられた。

 

「……セーフ!」

 

(う……アウトに出来なかったか)

 

「小麦ー! ナイスダッシュー!」

 

 ホームを踏んだ新田が声を張り上げたのを皮切りとして声援が湧き上がる。ダブルプレーが成立しなかったことで新田のホームインが認められ、勝ち越しの一点に里ヶ浜高校は今日一番の盛り上がりを見せていた。

 

(判断を誤ったか……? 野球にたらればはないけど、もし前進守備を選んでいれば今の失点はなかったかもしれない)

 

 ベンチへと戻っていく新田を見ながら己の選択を悔やんでいたキャッチャーは守備のタイムを取ろうとすると、マウンドに戻った大咲にショートが話しかけているのが目に入った。

 

「ごめん! 私がみよちゃんみたいにジャンピングスローで投げられれば……」

 

「そんなの気にしなくていいわよ。慣れないショートこなしてんだから、そうあれもこれも出来ないでしょ」

 

「え……」

 

「それより切り替えて。このままズルズルと追加点やるわけにはいかないわよ」

 

「……! う、うん。分かった!」

 

(初回アタシは逢坂ここ(アイツ)に点を取られてから、それを引きずって結局その回だけで3点も奪われた。点取られたのは悔しいけど、エース目指すならいつまでもそのことを引きずってちゃいけない。そうでしょ……?)

 

 定位置に戻っていくショートを横目に少しの間ライトの方を振り向くと、前に向き直った彼女は眼光炯々として気が強い普段通りの大黒谷美代子としての佇まいをしていた。

 

(みよは大丈夫だ。……それより切り替えなきゃいけないのは私の方か)

 

 キャッチャーは一度目をつぶって心の中にくすぶる後悔を溶かすように消していくと、目を開けて外野にも届くように腹の底から声を出した。

 

「ツーアウト! ここで切りましょう!」

 

 負けじと声を出して各々返事を返す野手陣に頷きながらマスクを被り直してキャッチャーボックスに座り、ネクストサークルから立ち上がる河北の様子を見上げるようにして窺う。

 

(新入部員だけで一点取っちゃった……。うあ……なんか凄く肩が重いような。……プレッシャー? 私、新入部員達よりは上手い……みたいに思ってたのかな。うう、だとしたら私は私が恥ずかしいよ。そりゃあ上手くなりたいとは思うけど、いきなり実力が身につくわけじゃない。私だってまだ野球始めて半年くらいしか経ってないし、まだまだ胸を張って上手いなんて言える実力はない! ……かといって何もしてこなかったわけじゃない。今の自分に出来ることをやるんだ……!)

 

 あえて強めに握ったバットを一度振り切ると、かかっていた力が和らぐような感覚を覚えた河北は右打席へと入っていった。

 

(2番は1打席目で真ん中高めのストレートをライト前、2打席目はアウトローのスローカーブをセンターフライ。恐らくこの打者にはセンターから逆方向に打つ意識がある。ただ長打を打てるようなスイングでは無かった。高めのストレートを打ち上げさせるのも手か……。初球はこのボールを……おっと!)

 

「バック!」

 

 キャッチャーから即座にサインが出されると大咲は一塁に牽制球を投じた。リードを取っていた秋乃は宇喜多の声に反応してとっさにベースに頭から滑り込むとボールを受け取ったファーストがミットで伸ばされた腕にタッチを行った。

 

「……セーフ!」

 

(あ……危なかったぁ……!)

 

 タッチのタイミングはかなり際どく、僅かな遅れがあればアウトになっていたことが窺えた。

 

「あかね、ありがとう! あれが無かったら、やばかったよー」

 

「ど、どういたしまして。あの、ちょっとリード広げすぎ……だと思うよ。あとベースから離れる時はボールがあるところは意識しないとまずいかも……」

 

「んー、分かった! 気をつけるね!」

 

(秋乃さんは打撃、守備において現状大きな問題はない。けど走塁に関しては足の速さに反して問題が山積みなのよね……。今だってリードを取る状況で先の塁を意識するあまり投手から視線を外していた。宇喜多さんがそれに気づいて牽制より一瞬早く帰塁の指示を出したから良かったものの……)

 

 その様子を東雲が鋭い眼差しで見つめる中、大咲はクイックモーションへと入りボールを投げ込んでいた。

 

(よし。スローカーブ! ……!)

 

 ボールを引きつけてからスイングを行おうとした河北だったが外に外れていることに気づくととっさにバットを止めに行った。キャッチャーのスイングの主張に対してノースイングの宣言が出されたことでボールの判定となる。

 

(この打者も軸がぶれてない? ……そういえば1番と2番はさっきの回もスローカーブを打って、4番と5番もスローカーブに手を出してきた。6番になった途端ストレートが打たれ始めて……そうか、そういうことね)

 

 2球目、3球目と続けてインハイにストレートが投じられ、狙い球と異なるボールを河北は見送るとそのどちらもストライクになり1ボール2ストライクとなった。

 

(う……追い込まれた。……! サイン……)

 

 ベンチの方を見ると阿佐田からのサインが送られてきており、河北は驚きを抑えながらヘルメットのつばを掴んで確認の表明をするとバットを構え直す。大咲が再び牽制を入れ、先ほどよりリードを抑えた秋乃が宇喜多の指示もあって少しの余裕を持って塁に戻る。ファーストからの返球を受け取った大咲はほとんど間を置かずにアウトロー目がけてストレートを投じた。

 

「ファール!」

 

(……! 手を出してきた。追い込まれたからか? このバッターに右方向への意識があるなら外のボールならファールくらいには出来るか。なら……)

 

 一塁側ベンチの上側に設置されている金網に当たったフライ性の打球を見たキャッチャーは次のサインを送ると、大咲はそれに頷き一度目でランナーを見てから再び間をあまり置かずに膝元へとストレートを投げ込んだ。

 

(これも際どい! 見逃しちゃダメ……!)

 

「ファール!」

 

(……! これもファールにしたか……)

 

 ボールの下にバットが入ると打球は低い弾道でバックネット方向に飛び、フェンス手前でバウンドしてファールとなった。

 

(さっき一塁に駿足のこむぎんがいるのに長打の危険があるインハイのストレートを2球も続けてきた。ともっちにスローカーブ狙い解除のサインを出した時には確信とまではいかなかったけど、この徹底したストレート攻めはやはりこちらの指示が読まれているっぽいのだ)

 

 阿佐田がベンチから相手の動きを見逃すまいと魚屋の隙を窺う猫のような目でグラウンドを見る。すると金属音と共に打ち上げられた打球が目に入り、マスクを外したキャッチャーがその打球を追っていった。

 

「ファール!」

 

(すっきりしたカットじゃないけど、インハイもファールにしたか……)

 

 滞空時間の長い打球が落ちてくるとフェンス際で構えたキャッチャーのミットに収まる前にバックネットへと当たっていた。

 

(清城戦でも見せていた河北さんの追い込まれてからの粘りか。センター返しの副産物ね。以前のようにボールを打つポイントが前だとこうはいかない)

 

 続けてインハイに投じられたストレートは高めに1.5個分外れており、河北はバットを振り出す前に止め、少しだけ余裕を持って見送った。

 

「ボール!」

 

(く……あまり際どいところ続けさせるとみよの方が先に崩れるか。このバッター、今どれだけスローカーブが頭にある……?)

 

 マスクの隙間からバットを構える河北を観察したキャッチャーは意を決してサインを送った。

 

(アウトローにスローカーブ……)

 

(内にストレートを続けたんだ。少しでも乱れればこれは打てない!)

 

 大咲はサインに頷くと河北に対してこの打席8球目となるボールを投げ込んだ。

 

(来た……!)

 

(な……軸がぶれない!?)

 

(まだ私はストレートに力負けして押し切られちゃうことが多い。だからストレートは軽く当てるだけで狙いはあくまでスローカーブ。それが今の私に……出来ることっ!)

 

 外へと弧を描いて曲がっていくスローカーブを引きつけた河北はようやく始動に入ると要求よりやや内に入ったボールをコンパクトなスイングで捉え、センター方向に低い弾道のライナーを放った。

 

(抜か……せるかぁ!)

 

(な……!)

 

 ピッチャーの横を抜けようかという打球だったが反応した大咲は左手に嵌められたミットをとっさに自身の右側に伸ばす。するとボールが弾かれた。

 

(抜けなかった……! でも内野安打に出来る!)

 

「ショート!」

 

「はいっ!」

 

 一瞬虚をつかれたショートだったが打球が速かったこともあり体勢を崩す間もあまりなく、ほぼ一直線にこぼれた打球へと向かった。

 

「セカンは間に合わない! ファーストに!」

 

 ミットで捕球したショートはボールを取り出しながら足の向きを一塁に向け、ファーストへと送球を行う。

 

(絶対に間に合わせるっ!)

 

(な……ヘッスラ!?)

 

 頭から滑り込んでくる河北に目を見開くファーストのミットへとボールが届き、一塁審判の判定が下された。

 

「アウト!」

 

(……!)

 

 執念のヘッドスライディングも実らず、僅かな余裕を残して河北がベースに触れるより早くボールが届いていた。

 

「ナイスプレー! 慣れないポジションなのに冷静だったわね」

 

 スリーアウトによりベンチへと戻っていく明條ナイン。大咲がショートの同級生とミットを合わせているとキャッチャーもそこへと合流して声をかけていた。

 

「あ……ありがとうございます。あのバッター足はあまり無かったので、落ち着いて捌けば大丈夫かなって思って……」

 

「偉い!」

 

「わ……」

 

 キャッチャーは嬉しそうに後輩の頭をミットで撫でるようにするとショートは嬉しさと困惑が混じったような照れ笑いを浮かべた。

 

「ちょっと先輩! その子だってアイドルなんですから、カメラ回ってるところで髪をくしゃくしゃにしないで下さい」

 

「……っとと。そうだったっけ。ごめんね」

 

 キャッチャーは思い出したようにスタンドで回されているカメラに目を向けて慌ててミットを離すと、灰色の髪が乱れてしまっていた。

 

「い、いえ! 大丈夫……です」

 

「もー、大丈夫じゃないわ。アイドルは清潔さが大事なんだから! ちょっと裏行ってセットし直すわよ」

 

「う、うん。ありがとう」

 

「それにしてもあなたがアイドルやってたなんて初耳ね」

 

「私。まだアイドルの卵ですから……」

 

「ダメダメ、謙遜しちゃ! この子、結構要領が良いんですよ。前にバックダンサーお願いした時も目立ちすぎず上手い具合にメインを引き立てるように踊ってくれましたし」

 

「なんでそんな面白そうな話、その時にしてくれなかったのよー。……ね、まだチームの雰囲気に慣れないかもしれないけどさ。少しずつあなたのこと教えてよ」

 

「は、はい。私の話で良ければ……」

 

 キャッチャーに正面から見つめられ彼女は照れるように頬をかきながら返事をすると、大咲に連れられてベンチ裏の通路を歩き控え室へと入った。椅子に座らされ、乱れた髪を大咲が直し始める。

 

(何か聞いてみようかな。……あ、そうだ)

 

「ねえ、みよちゃん」

 

「痛かった?」

 

「ううん、そうじゃないの。最初の回で、里ヶ浜の3番……逢坂ここさん、だっけ。あの人のこと凄い見てたけど、知り合いの人だったの?」

 

 大咲は止めた手を再び動かして乱れた部分を(くし)()かしながら、その質問に昔のことを懐かしむようにして答えた。

 

「ああ、アイツね……。アイツには子役時代にアタシがオーディションで一回しか勝てなかった借りがあるのよ」

 

「みよちゃんが? 凄い人なんだね」

 

「……まあね」

 

「一回っていうのは……?」

 

「最初よ。アタシとアイツが初めて一緒のオーディションを受けた時。その時は面識も無かったけど、結果発表の後にアイツから絡んできてライバル認定とかされたっけ。その時はさほど気にしてなかったけど、2回目のオーディションでアイツは見違えるような結果を残した」

 

「……みよちゃんに負けたのがよっぽど悔しくて、頑張ったのかな?」

 

「そうかもね。でも私も努力を怠ったつもりはなかった。けどアタシはそれ以降アイツと一緒に受けたオーディションで主役には抜擢されず、脇役に選ばれてばかりだった」

 

「で……でも、脇役に選ばれるのも凄いことだよ。主役だけじゃ、成立しないしさ」

 

「……分かってる。選ばれたからにはその役を全力で演じたわ。でもアタシは主役のオーディションを受けにいって脇役に選ばれたことを良しとした訳じゃなかった。努力して努力して、何度もアイツと同じオーディションを受けて……それでも勝つことは出来なかった」

 

「みよちゃん……」

 

 櫛を通して髪に伝わる震えからその悔しさを感じ取り、彼女はなんと声をかけようか迷っていたが、先に口を開いたのは大咲だった。

 

「……それでアタシね、一回だけ手を抜いちゃったことがあるの」

 

「え……」

 

「馬鹿なことしたなぁとは思うんだけどさ。当時のアタシはそんくらい心が折れちゃってたのよね。圧倒的な差をつけて勝ったアイツはいつも通り鼻高々に話しかけてくるかと思った。けど……違った。怒られたのよ」

 

「なんで……主役の候補が一人減って、あっちにしてみれば楽になったんじゃ?」

 

「アタシもそう言ったわ。けどアイツはこう言ったのよ。『そんなのつまらないじゃない。主役っていうのは皆が目指すからこそなりたいのよ』……って」

 

「ひゃー……凄いこと言う人だね」

 

「ま、アイツはなんというか……そういうやつなのよ。アイツにとってアタシはライバルで、オーディションで初めて負けたアタシをずっと目標にしてたんだって。その目標が主役を目指すのをやめることが何よりも腹が立ったみたいね」

 

「え……でも最初以外は全部勝ってるのにライバル、のままだったんだ」

 

「アイツはね、どんな時でも主役じゃないと気が済まないのよ。だからオーディションだけが勝負じゃなくて、アタシが主役を食うくらいの演技を見せるたびに悔しがって、負けじと裏で努力を重ねていたみたい。全く……アイツはほんとに馬鹿なんだから……」

 

 悔しさも滲ませながらどこか穏やかな声色で話す大咲に自然と頬を緩ませていると、だからこそこの試合負けたくないと言われた彼女は短く「うん」と答え、この試合に勝つという決意を共に固めたのだった。

 

(悔しい。……すごい悔しい! 自分に出来ることは全部やった……けど届かなかった。これが今の私の実力なんだ)

 

 ベンチへと戻った河北はバットとヘルメットをしまい、グローブを外していた。

 

(この悔しい気持ち、絶対に忘れない! 練習して、もっともっと上手くなってやる!)

 

 河北はグローブを外し終えるとミットを手に既に他の守備陣が出ていったグラウンドへと飛び出そうとした。

 

「待ちなさい。河北さん」

 

「東雲さん……?」

 

 しかし東雲に声をかけられ、ベンチの外へと踏み出した足の向きをそちらに向け直す。

 

「さっきのプレイどういうつもりかしら?」

 

「さっきのって……」

 

「ヘッドスライディングのことよ。これは練習試合よ。無理をして怪我でもしたら馬鹿らしいでしょう」

 

「……!」

 

「東雲さん、そんな言い方は……」

 

 先日の東雲の発言が少なからず先ほどの河北の気負いに繋がったことを感じていた有原は不穏な雰囲気を感じて仲裁に入ろうとした。

 

「貴女はうちの大事な戦力なのよ。怪我でもされたら困るの」

 

「え……」

 

「東雲さん……」

 

 その言葉を聞いた有原は大丈夫だと感じとり、仲裁に入るのをやめてその場を東雲に任せた。

 

「……一塁ベースって固定されているでしょう。だから全速力での慣れないヘッドスライディングで骨折するようなケースも私はリトルシニアの時に見てきているの」

 

「こ、骨折!?」

 

「知らなかったでしょう? 貴女が思っている以上に危険を伴うプレーなのよ。慣れていれば怪我を避けるように上手くやれる人もいるけど、私は貴女にヘッドスライディングを勧めることは出来ないわ」

 

「知らなかった……。ごめん! 気をつけるよ」

 

「分かればいいのよ。さあ、そろそろ行きなさい」

 

「うん!」

 

 試合進行をスムーズにすべく審判が里ヶ浜ベンチの方へ向かおうとするのを察知した東雲は背中を軽く押すと河北は返事と共に元気よくマウンドへと出ていき、5番打者も左打席へと入って4回の裏が始められた。

 

(東雲さん、高い意識で野球に取り組んでるだけあって彼女の言葉はほとんど正論なのよね。もう少し言い方を柔らかく出来るといいのだけれど)

 

 鈴木が東雲の指摘に同意しながらもその言い方を気にしているとバットから放たれる金属音で視線をグラウンドへと戻した。

 

「ファール!」

 

 打球がバックネットに突き刺さるとカウントは1ボール2ストライクとなっていた。

 

(キャプテン(アイツ)はこの低めのストレートを評価してるみたいだけど、他に変化球ないならストレートのタイミングで待っていればファールには出来る)

 

(低めを続けてファールにされた……ここは)

 

 四隅を要求するサインに野崎が頷くと体重の乗ったボールがインハイへと投じられる。そのボールをバッターは顔だけ軽く引くようにして見送った。

 

「ボール!」

 

(もう少し際どいコースに投げられるならこの速さだしそうも言ってられないんだろうけど、そこまでシビアな投げ分けは出来てないからボールの勢いに焦らなければ振らされるのを防げる。こうして粘っていれば……)

 

(今のは少しでも見せ球になったはず。もう一度低めを)

 

(2ボール2ストライク……。私のコントロールだとフルカウントはまずいですよね。なんとか低めのストライクゾーンギリギリに……!)

 

 5球目となるボールが野崎の指先から放たれるとバッターはスイングの始動に入った。

 

(甘いボールが来る!)

 

(少し浮いてる……! ……!)

 

 構えているキャッチャーミットの位置を上側に動かした近藤だったがそのミットにボールが収まる前に振り出されたバットがストレートを弾き返していた。

 

(よし! 今度は上から叩けた!)

 

(いけない。長打コース……!)

 

 振り切られたバットが背中の後ろまで回るとバッターはセカンドの横に放った打球に手応えを感じながら走り出す。

 

(この打球……阿佐田先輩なら正面に回り込んで跳ね際を上手く捌けるのかもしれない)

 

 一二塁間方向に足を動かした河北は速い打球に飛び込むと目の前でバウンドするボールに緊迫感を覚えながらミットを伸ばす。するとミットがボールを弾いた。

 

(……! 止められた……!?)

 

 弾かれた打球は河北の前に落とされており、河北は飛び込んだ勢いでユニフォームが砂で汚れるのも構わずボールを拾い上げて左膝を地面に固定させるように押し付けると、右膝を浮かせてボールを投げた。

 

(ギリギリ……えいっ!)

 

 やや緩めの送球に秋乃はベースの端を踏むようにして身体を前に伸ばすとミットにボールが収まり、ランナーも一塁ベースを駆け抜けた。

 

「……アウト!」

 

(くっ……なるほどね。このスピードじゃ狙って野手の間を抜くのは難しい。多少甘くなっても低めにさえ来ていれば野手が届くところに飛ぶってわけ)

 

「ともえー! ナイスだよー」

 

「ありがとう! 小麦ちゃんもナイスプレー!」

 

(格好がつくようなプレーじゃなくてもいい。今の私に出来るプレーをやればいいんだ!)

 

 声を出しながらベンチの方を見ると有原と目が合い、互いに一瞬だけ笑みをこぼすと、すぐに切り替えてバッターボックスに入る6番打者に意識を向けたのだった。

 

「い、今戻りました」

 

「お待たせしましたー。あれ、キャプテンはどうしたんですか?」

 

 髪のセットが終わりベンチへと戻ってきた大咲だったが不在のキャプテンを気にしてグラウンドを見渡すとブルペンでエースの球を受けているのが目に入った。

 

「おかえりー。みよ、伝言を預かってるよ。次の回、3番に投げたら結果に関係なくそこで交代だってさ」

 

「え……ええーっ! な、なんで……」

 

「え? みよが先発で4イニング投げて後3イニングは任せるって話だったでしょ?」

 

「さっきの回もキャッチボールして肩温めてましたしそれはいいんですけど、なんでアイツ……3番までなんですか!?」

 

「なんだ、そっちか。4番と5番が左打ちで3番が右打ちだから、右のみよを3番まで投げさせるみたいね」

 

「な、なるほど……」

 

(いや、確かにそれはセオリーだけど! よりにもよって……! 意識しすぎないようにしてたのに、これじゃあ意識するなっていう方が無理じゃない!)

 

「……良かったね」

 

「え? なんで……?」

 

「だって後は逢坂さんに全力をぶつければいいんだよ。色々考えないで勝負に集中できるんだし、こんな機会滅多にないよ」

 

「それも……そうね」

 

(勝負よ……逢坂ここ!)

 

 アドバイスに合点がいった大咲はライトで守る逢坂を半ば睨むようにして見つめる。すると金属音と共にその逢坂が前に走り出していた。

 

(前の打席は当てにいって打ち取られたけど、今度は振り切った! 落ちろ……!)

 

 バッターは一塁へ向かって走り出すと振り遅れながらも打ち返した打球を見上げる。

 

(届くか……? いや、アタシの華麗なダイビングキャッチなら!)

 

(芯で捉えた打球じゃない! これは……)

 

 打球を追っていた河北だったが彼女の頭上を越えたところで足が止まると代わりに声を出す。

 

「逢坂さん、突っ込んじゃダメ! 打球伸びないよ!」

 

「えっ……わ、分かったわ!」

 

 河北に言われ飛び込むのを中断した逢坂はワンバウンドで捕球しにいく。すると河北の言う通り失速した打球はある程度距離のある位置に落ち、バウンドした打球が落ちてくるところでミットに収まった。

 

(た、確かに……ちょっと届かなかったかも)

 

「ありがとう、智恵ちゃん!」

 

「どういたしまして! まずは確実に行こう!」

 

 頷く逢坂を確認した河北は振り返るとランナーが出たことでやや強張った表情の内野陣を視界に捉える。すると河北は人差し指を天に向け、声を張り上げた。

 

「ワンナウト! 一つずつ落ち着いてアウトを取っていこう!」

 

 河北が声を出すのに合わせて秋乃と新田が声を上げ始め、遅れて初瀬も声を出し、近藤も内野の守備位置確認と並行して声を出し、外野陣も負けじと声を張り上げていた。

 

「……」

 

(ん……まいちん?)

 

 柵の前に立っている阿佐田は隣にやって来た倉敷が用があるのかと勘ぐったが、その視線はグラウンドのある一点を見据えて離れなかった。

 

(ポテンヒットにされたのはしょうがないにしても、その前の2球は大きく外れていた。……強打者の5番に投げて集中力持っていかれたんだ)

 

 倉敷は柵に両手を広げてつくと身を乗り出すようにし、驚く阿佐田やベンチにいる他の皆の目も(はばか)らず、マウンドで佇む野崎に向かって一段と声を張り上げて自身が思ったことを伝えた。

 

「野崎! 気を引き締め直して、一球一球集中して投げなさい。近藤のミットもよく見て!」

 

「……! ……はい! 分かりました!」

 

 ベンチから届いた倉敷の激励に野崎は一瞬ハッとしたような顔を浮かべると、その言葉の意味をしっかりと受け止め力強く返事をする。真剣そのものというような顔つきだった倉敷の表情が返事を受けて柔らかい微笑みへと変化すると短く頷いた彼女は再びベンチの奥へと戻っていった。

 

(……私は高一の頃の舞子しか知りません。しかし……これが本来の舞子なのかもしれませんね)

 

 塚原は自分の知らない倉敷の姿を見て最初は驚いていたが当時は排他的だった彼女の細かい動作からもそういった部分に覚えがあり、変化の経緯を知らないことにどこか寂しさを感じながらも、その変化を嬉しく思っていた。

 

(今の……なんだか懐かしい感じがしました。……ふぅ。しっかり、切り替えていきましょう!)

 

 野崎は大きく息を吸い込むとゆっくり吐き出してからホームの方を見る。先ほどより近藤のミットが良く見えるような感覚を覚えていると、その視線を遮るようにしてバットが構えられた。

 

(バント……ですか)

 

(2アウトにしてでもランナーを二塁に進ませたいんだ。ここは……)

 

(高めのストライクゾーンですね。高めってことは近藤さんは打ち上げさせたいんだ。ここは細かいコントロールよりしっかり腕を振り切って……!)

 

 垂直に上げられた足にリードを広げようとしたランナーの足が一瞬止まるとその足は前に踏み出され、近藤が構えたミットを目掛けてボールを投げ込んだ。唸るようなストレートが要求通り高めに向かっていくと、そのボールに合わせるように動かされたバットに当てられた。

 

(……!)

 

 その行き先にいち早く反応した近藤はマスクを外すとバックネット方向に走り出す。球威に押された打球は球審の頭上を超えると放物線を描いて落ちてきていた。

 

(今度こそ捕るんだ!)

 

 近藤は下がりながら打球を見上げるとミットを前に構えて右手を添えるようにしながら落ちてきたボールに合わせるようにして捕球を行った。

 

「アウト!」

 

(まだ油断しちゃだめ……!)

 

 捕球後に走った勢いを抑えるように二歩、三歩と歩いた近藤は反転すると送球体勢に入る。捕球後ベースを踏んで走る構えを取っていたランナーがそれに気づいてすぐにベースに戻ると近藤はようやく一息つく。

 

「近藤さん、ナイスキャッチです!」

 

「ありがとうございます。野崎さんもナイスボールでした!」

 

(送れなかったか……クイックで球威を落とせれば下位でもヒットの確率が上がると思ったんだけど。左の速球派に盗塁を仕掛けさせるのも得策じゃない。それなら……このサインよ)

 

(りょーかいっと)

 

 ブルペンから送られたサインを確認した8番打者が左打席に入ると低めに投じられたストレートをバットを振り出すことなく見送った。

 

「ストライク!」

 

(7、8、9番は野崎さんのストレート自体に合ってないみたいだった。ここは細かいコントロールを要求するよりはシンプルにいっていいはず)

 

 一塁ランナーを一瞥してから再び低めを狙ってボールが投げられると真ん中低めに決まったストレートをバッターは再び見送った。

 

「ストライク!」

 

(初回みたいにボール先行のリードはしてくれないか……)

 

(待球解除っと。一応じっくり見てみたけど打てるかなあ。一打席目はぼってぼてのピッチャーゴロだったし。ま、この調子だとまた低めに来るだろうし、打てるかどうかってのは振ってみりゃあ分かるでしょ)

 

 バッターはだらんとした目つきを心なしか鋭くすると投じられたストレートに対して思い切ってバットを振り切った。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(うげっ……低めじゃないじゃん)

 

 バットがボールから大きく離れたところをくぐると真ん中高めに決まったストレートが心地よい捕球音を鳴らし、スリーアウトとなった。

 

(5番も6番も低めのストレートを狙って来たから、思い切って高めのストライクを要求してみたらあっさり三振が取れた。高めは甘い球って聞いてたけど、野崎さんの場合ボールに伸びがあるし、もう少し混ぜていっていいのかもしれない)

 

「野崎さん、ナイスピッチです。あの……」

 

 低めを続ける投球でバッターに狙いを絞られ、野崎のスピードのあるボールにも対応され始めていると感じた近藤はベンチに戻りながら野崎に今後のリードについて自分の考えを伝える。

 

(それでいいのよ、近藤さん。サインだけじゃ伝わらないこともある。……前の試合で牧野さんに指摘された問題を改善するためにも、私も見習ってもっと積極的にコミュニケーションを取るべきかもしれないわね)

 

 意思疎通を図る近藤の様子を見ながら思案していた鈴木だったが、マウンドに上がる大咲を見て、阿佐田のサポート役として思考を切り替えるとアドバイスをした。

 

「先ほどエースがブルペンで投げていましたし、恐らく左の野崎さんから継投してくるのではないでしょうか」

 

「うむ……なるほどなのだ。ここっちー」

 

「はいはーい! どうしたんですか?」

 

(さっきの回で作戦は読まれたみたいだし、あのピッチャーが投げるのが後はここっちだけとなると……)

 

 既にバッターとしていつでも出れるよう準備を整えた逢坂がやってくると阿佐田が急に両肩に手を置いたことで身体がビクッと震える。

 

「勇者ここっちよ……汝に使命を与えるのだ」

 

「ははーっ! 一体なんでしょう?」

 

 唐突に阿佐田が物々しい雰囲気で語り出すと逢坂はアドリブで応じ、鈴木は当惑していた。

 

「この打席(冒険)自由にやっちゃっていいのだ。代わりに里ヶ浜高校(我が王国)追加点の足掛かり(新たな繁栄)をもたらして欲しいのだ」

 

「仰せのままに。不肖、逢坂ここ必ずや——」

 

「なにやってるんですか」

 

「あ、教会の人なのだ」

 

「誰が教会の人ですか! 審判がこちらを見てるので、早く打席に向かってください」

 

「しのくも怖いのだ〜。ちょっとしたあおい流コミュニケーション術なのだ」

 

(……これくらいカジュアルにコミュニケーションが取れた方がピッチャーも気が楽になるのかしら)

 

 おどけたように話す阿佐田を見て鈴木が再び思案に入る中、ベンチを出ようとした逢坂が何かを思い出したように止まると踏み出した足をそのままに、後ろを振り向いた。

 

「龍ちゃん!」

 

「何?」

 

(もう名前呼びを訂正するだけ無駄ね……)

 

「あなたとの練習の成果、出してくるわ!」

 

「……ええ、期待してるわ」

 

 自信満々に笑い白い歯がこぼれる逢坂の言葉を受けた東雲は微笑を浮かべて送り出した。

 

(逢坂ここ! アンタを抑えて、試合もアタシ達が勝つ!)

 

(今度こそヒットを打ってみせるわ、大黒谷!)

 

 大咲はロジンバッグを叩きながら打席に入ってくる逢坂を見つめる。逢坂が地面をならし終え準備万端と言わんばかりにバットを構えると大咲も口角を上げながらロジンバッグを放り、プレートを踏んだ。

 

(この打者にはまだスローカーブを投げていない。ただ上位にはスローカーブが狙われている可能性がある。ここはまず今まで手を出してきていないボールから入りましょう)

 

 サインにしっかり頷いた大咲がボールを投げ込む。アウトコース低めへと投じられたストレートに逢坂はバットを振り出した。

 

(……!)

 

「ストライク!」

 

 ボールの少し上をスイングが通過し、キャッチャーが構えたミットは大きく動かされずにストレートを収める。

 

(タイミングは合ってた……。ストレート狙いなら、ボール球を振らせてみるか)

 

 2球目。今度は膝下に投じられたストレートに再び逢坂はバットを振り出そうとする。しかしそのスイングが途中で止められ、内にボール一つ分外されていたストレートを見送った。

 

「ボール!」

 

「スイング!」

 

 キャッチャーの主張により一塁審判に判断が委ねられるとスイングが認められ、ストライクの判定となった。

 

(あちゃー、取られたか。アタシとしたことが……)

 

(やはりストレートにタイミングを合わせている……?)

 

(ん、サイン。……あおい先輩の読みだと次はボール球が来るんだ)

 

(このキャッチャー、3球勝負は滅多にしてこないのだ。下位打線にも一つはボール球を挟む場合がほとんどだし、恐らく次は遊び球を混ぜてくるのだ)

 

 3球目となるボールが投じられると逢坂は三度スイングの始動に入るとインハイに投じられたストレートに対してバットを止めた。

 

「ボール!」

 

 高めにボール2個分は外されたストレートがミットに収まるとキャッチャーはボールを投げ返しながら横目でバッターの様子を窺う。

 

(今度はしっかりバットを止めたか。みよ、次はこれよ)

 

(よーし。さっきは2番相手に少し中に入っちゃったし、しっかり際どいところ狙ってく!)

 

 大咲はミットの中で握りを確認するとキャッチャーが構えたミットの位置を目掛けてそのボールを投じた。

 

(外のスローカーブ。腰引けてちゃ打てない! しっかり踏み込む!)

 

(崩しきれてない……!? けどほとんど要求したとこに来てる! 少しでも迷いがあれば打ち取れる)

 

(まだよ……まだ…………今!)

 

 緩い軌道で外の低めへと逃れるように曲がっていくスローカーブに逢坂はギリギリまで始動を溜めると、溜めた分を解放させるような腰の回転でバットが振り出された。するとグラウンドに金属音が響き渡り、ファーストが見上げる先を打球が通過していく。

 

(合わせる形じゃない。振り切られた……!)

 

「ライト! 外流したボールよ、軌道気をつけて!」

 

(ちょっと下こねたけど、振り切ったわ! 落ちなさい……!)

 

(先輩……!)

 

 そのままフライ性の打球がライトに向かうとスライス回転がかかったボールの軌道は流れるようにライト線へと曲がっていくものとなっていた。

 

(ファールになるなら思い切って飛び込むか……?)

 

 ライトが曲がっていく軌道に合わせるように走っていると、ライト線上に立ったファーストが指示を飛ばした。

 

「フェアよ! 飛び込んじゃダメ!」

 

「……分かったわ!」

 

 ライトが打球に対して無理に飛び込むのをやめ、そのまま走り続けるとやがて落ちてきた打球はファーストの見立て通り線から僅かにフェアグラウンド側にバウンドした。

 

(くっ、フェア!? ……!)

 

 大咲はその判定に表情を一瞬歪ませた後、一塁を蹴った逢坂に反応して自身も走り出した。

 

(ファールグラウンド側に打球が逃げていく……!)

 

 バウンドしたボールがライトから離れるように転がっていくと、ライトはそのボールを少しでも早く取ろうと真っ直ぐ走る。するとファールゾーンの深い位置に設置されたフェンスにボールが当たった。

 

(しまった!)

 

 回転に弾かれるようにフェアグラウンド側へと跳ね返る打球に深追いしていたライトは反応が遅れ、そのボールを追うような形でミットに収めた。

 

(二塁でストップさせようと思ってたけど、処理にもたついてる。ここは……!)

 

「三塁まで来なさい!」

 

(……! そうこなくっちゃ!)

 

 二塁ベースに膨らむようにして入った逢坂がベースを蹴って三塁に向かうと、ライトからも鋭い送球が返ってくる。

 

(さすがに送球位置が深すぎる!)

 

「カット!」

 

「……! みよちゃん!?」

 

「アタシが中継に入るわ!」

 

(……そっか! みよちゃんの本職はショート!)

 

「お願いっ!」

 

 キャッチャーの指示でショートが中継に向かおうとしたが、走り出していた大咲が代わりに送球をカットするとすぐ様サードに向かってボールを投げた。

 

「左に!」

 

(……!)

 

 倉敷の指示でベースの左側に向かって逢坂がスライディングを敢行すると、逢坂の右横を通過した送球をサードが収め、その足にミットでタッチしにいった。

 

「……セーフ!」

 

(スリーベースヒット……ですって……!)

 

 呆然とする大咲にショートはなんと声をかけようと迷っていたが、キャッチャーが守備のタイムと選手の交代の旨を球審に伝え、マウンドに集まっていく。

 

「逢坂、どうしたの?」

 

 スライディングの体勢のまま起き上がってこない逢坂を不思議がり倉敷が膝を折って話しかける。

 

「なんか、凄い胸の中から湧き上がって……! 練習で何本も打ってるはずなのに、試合で打つのってこんなに気持ちいいんだ……!」

 

「……ふふ、良かったわね」

 

(翼ちゃんが言ってた『真ん中から外に流れていくカーブなら……こう!』って感覚もなんとなく分かった気がする……)

 

 手のひらに残った感触を無邪気に嬉しそうに味わう後輩に思わず倉敷の頬も緩む。少しして逢坂が立ち上がると声援を上げているベンチに向かって満面の笑顔にピースサインで応えた。

 

「東雲さん。さっき練習の成果が……と言っていたけど、あれは……?」

 

「ああ。逢坂さんにはストレートとカーブのどちらかを宣言せずに投げて、それを打ってもらう練習をしていたのよ」

 

「そうだったの。それにしてもよく打ったわね。あれほどストレートにタイミングを合わせていたのに」

 

「そうね……傍目から見れば逢坂さんはストレートを狙っていたように見える。けど最後もストレートで来られていたら、恐らく打てなかったでしょうね」

 

「え……? それはつまり……」

 

「逢坂さんは最初から最後までスローカーブを狙っていたのよ」

 

「けれどストレートに対してバットを出していたわよ?」

 

「……もしスローカーブを狙うためにストレートを全て見送っていれば、あなたならどうリードするかしら」

 

「……! あのピッチャーの球種はストレートとスローカーブの二つ。ストレートを打つ気が無ければ、スローカーブを狙っていることが分かる。そうなれば少なくともゾーンにはスローカーブを投げさせないわね……」

 

「そういうことよ。つまりあれはストレートを狙っているという演技。……正直、私もバッティングピッチャーをやっていなければ気付けないわ。それほど自然だった」

 

 東雲と鈴木が逢坂の演技力に感心していると、明條学園のベンチから守備位置の交代に伴い選手の1人が複数のミットを届けにいく。すると大咲がそれを断ろうとしているのが窺えた。

 

「ノーアウト三塁のピンチを作っといて、代われるわけないでしょ!」

 

「みよちゃん……」

 

(うう。私が全力をぶつける滅多にない機会なんて言っちゃったからかな。凄い気持ちが入ってて、抑えられないみたい)

 

「みよ。落ち着いて」

 

「でも……!」

 

「……悔しいのは分かる。アタシももう少し上手く処理できれば、三塁には進ませなかったのにと考えると悔しい」

 

「先輩……」

 

 キャプテンが大咲を落ち着かせようとしているとライトからマウンドにエースが小走りでやって来る。

 

「だからアンタの分も背負ってアタシは投げる」

 

 そう言うとエースはピッチャー用のミットを受け取り、そのミットを上に向けた状態で突き出した。

 

「う、うう……! ……分かり、ました」

 

 絞り出すようにそう答えた大咲は悔しさを叩き込むようにそのミットにボールを託すと、自身の愛用する内野手用のミットを受け取ってショートの守備位置へと歩いていった。

 

「みよちゃん……」

 

「あなたはそのままライトに入ってね」

 

「は、はい」

 

 大咲の様子を気にしながら外野手用のミットを受け取るとライトに向かい、投球練習があるからとキャプテンにより他の内野手も散っていった。

 

「いきなりピンチだけど、頼んだわよ。エースのピッチングを見せて頂戴!」

 

「それはアンタのリード次第よ」

 

「い、言ってくれるわね」

 

「自信ない?」

 

「まさか。望むところよ!」

 

 軽く構えたミットにキャプテンは力強くミットを合わせてからホームに戻っていく。エースはストレートの長い黒髪を邪魔にならないようにゴムで纏めると、ボールを投げ込んだ。

 

「夕姫! 後ろにはウチがいるぞ。思い切って振ってこい!」

 

「はい!」

 

 投球練習が終わるとネクストサークルで岩城に後押しされた野崎が左バッターボックスへと入っていく。

 

(4番はここまで2打数2安打。ここも打ってくるでしょう。初球はここに……)

 

(それはいいけど……内野前進させないのね。初回に強襲ヒット貰ってるし、これ以上傷口広げたくないってことか。アンタは人にガツガツいく割に、そういうところ慎重よね……。まあ、そういう判断を感情に流されないで出来るあたりキャッチャー向きなのかもね。けど……)

 

 内野を見渡すように確認すると逢坂を一瞥し、最後に構えられたミットを見てからクイックモーションに入る。狭いステップ幅で足が踏み出されるとオーバースローの投球フォームから投げ下ろすようにしてボールが投げ込まれた。

 

(え……)

 

 初球から振っていこうとしていた野崎だったが、膝下に投じられたストレートを思わず見送った。

 

(ピッチャーとしてはたとえどれだけ失点濃厚でも、最初っから点やるつもりでなんて投げない……!)

 

「ストライク!」

 

(凄い角度だな……けど、夕姫の方が速い! ん……あれ、そういえばウチらは夕姫に投げてもらって左投手の練習が出来るけど……)

 

(ぼ、ボールが見えづらい……! そういえば私、左投手を打つのは初めてでした……)

 

 ただでさえ長身から角度のあるストレートを投げ込まれているのに加え、左打者である野崎は初体験の左投手にやりづらさを感じていた。ボールが投げ返され、2球目となるボールが投じられる。

 

(スローカーブ……!)

 

 野崎はバットを振り出したが腰が引けてミートすることが叶わず、アウトコース低めにしっかり決まったスローカーブに空振りを取られていた。

 

(確か皆でビデオを確認した時にも綾香が特徴的なボールとして挙げていたな。コントロールが難しいみたいだが、スタミナが切れるまではあれがコースに決まり続けてた……)

 

(ここはもう一球スローカーブを、今度は外に外して……)

 

 次のサインがキャッチャーから出されるとピッチャーは首を横に振った。

 

(……! まさか3球勝負を……)

 

(下手にカウント悪くしたらスクイズもあるし、球数投げたらバッターも慣れてくるでしょ。合ってないうちに勝負に行くべきよ)

 

(……分かったわ。これで勝負に行きましょう)

 

 新たなサインにピッチャーが今度は頷くとその指先から投げ下ろすようにボールが投じられ、投げた勢いで腕が内側に捻られる。

 

(初球と同じコース……!)

 

 膝下に投げられたボールに野崎が反応を示すと思い切って振り出されたバットがボールをフェアゾーンへと弾き返した。

 

(今のは……!?)

 

 詰まった打球にストレートとはまた違った感触を覚えながら野崎は一塁に向かって走り出す。

 

(セカンドゴロ……! 前来てなかったし、ホーム行ける!?)

 

(させない……!)

 

「……!」

 

 セカンド方向へと鈍い勢いで転がっていた打球に右手に嵌めたミットを食らいつくように伸ばしたピッチャーはそのボールを捕球することに成功した。

 

(無理やりピッチャーゴロにした……!)

 

「ファーストに!」

 

 ピッチャーは崩れた体勢を持ち直すと一度逢坂の方に投げられる姿勢を取り、逢坂が三塁ベースに戻るのを視界の隅で捉えながら捕球時から一回転するようにしてファーストに送球を行った。

 

「アウト!」

 

 しっかり余裕を持ってバッターランナーをアウトにするとボールを受け取りながらマウンドに戻り、キャッチャーの目を射抜くように見つめる。

 

(……そうね。ここは)

 

「内野前進! 追加点与えさせないわよ!」

 

(……今のは横抜けてればアイツはホームに還ってた。言葉にしなくてもアタシにも、相手にも伝わる……一点すら許さないっていう立ち振る舞い。これがエース……)

 

 大咲は定位置から前に出ながらそのプレーに心が揺さぶられる感覚を覚えていた。

 

(まずはさっきの打席で振ってきたコースから)

 

 左打席に入った岩城を見ながらキャッチャーがサインを出すと首を縦に振ったピッチャーはアウトハイにストレートを投じた。そのボールに岩城はフルスイングで応じる。

 

「ストライク!」

 

(くぅー! 外れてたか! しかも横で見るのとはまた全然違うな!)

 

(ボール球振ってくれるのはありがたい。けどこの積極性は怖いわね。左打者なら初球はこの独特な軌道に思わず見てくることが多いのに)

 

 高めに1.5個分外れたストレートをミットに収め、ピッチャーに投げ返すと次のサインを送った。

 

(ストライクはいらないってわけね。なら中に入れないように……)

 

 サインに頷くと次のボールが投じられる。膝下に投げられたストレートは高さコース共に1個分ずつ外れていたが、岩城はそのボールを振りにいく。すると強烈な風切り音がピッチャーにまで聞こえた。

 

「ストライク!」

 

(……万が一あのスイングで捉えられたら)

 

 3球目となるボールが投じられるとそのボールはインハイに向かっていった。

 

「うおっ!?」

 

 要求されたボール球のコースよりさらに高めに外れたボールを岩城が見送るが、その軌道に思わず顔を引いていた。

 

(すごく曲がったわけじゃないが、最後少しこっちに向かって曲がってきた。シュート……か!)

 

「いいボール来てるわよ!」

 

(……ストライクに寄らないようにはしたけど、少し力んだな)

 

 力みを察したキャッチャーが声をかけて間を取らせ、程よく力みを取れたところで4球目となるボールを投げ込んだ。

 

(……! き、来たか……スローカーブ!)

 

(よし! 体勢を崩した……)

 

 外寄りのコースから弧を描いてアウトローのベースの隅へと曲がっていく軌道に内を印象づけられた岩城は体勢を崩されていた。

 

「まだ……だぁ!」

 

(嘘でしょ。こんな崩れた体勢からフルスイングする気……!?)

 

 身体の軸が斜めになりながらも遅れた始動を取り返すように左腕でバットが押し込まれると、その先でボールが捉えられた。そしてそのバットが振り切られると体勢を崩していた岩城は尻餅をつきながら放たれた打球を視界に捉えた。

 

(アタシだってこれ以上……点をやるつもりなんて、ない!)

 

「なにィ!?」

 

 岩城の目に三遊間方向に鋭く放たれたライナーに前に出ていた大咲が驚異的な反応で斜め後ろに飛ぶように捕球しにいく姿が映る。

 

「逢坂、バック!」

 

(えっ、嘘!?)

 

(アタシが出したランナーだ……)

 

 内野を抜けたと思った逢坂はホーム側に踏み出しており、倉敷の声に反応してブレーキをかけ、ベースに頭から戻る。

 

(けじめはつける!)

 

 そのミットにボールを収めていた大咲は飛び込んだ勢いをステップを踏むことで調整すると慌ててベースにつくサードに向かって流れるように送球を行った。

 

「アウト!」

 

(や、やられた……!)

 

 逢坂の手がベースに触れるより早くサードのミットに収まった。岩城のアウトと合わせて一気に二つのアウトが成立し、スリーアウトとなる。

 

「みよ、ナイス」

 

「先輩こそナイスピッチです。エースのピッチング、見せてもらいましたよ」

 

 ベンチへと戻る大咲にエースが近づいていくと小さくそう呟き、大咲が微笑みと共に返事をすると、エースはそのまま先にベンチに戻っていった。

 

「みよちゃーん。ナイスキャッチにナイススロー!」

 

「ありがと」

 

「先輩も凄い気迫だったね」

 

「あれ、あの人のこと苦手だったんじゃ?」

 

「に、苦手っていうか……高嶺の花で恐れ多いって感じかな」

 

「半年も一緒にいるのに?」

 

「私、夏はベンチ外だったから……」

 

「あ……ごめん」

 

「ううん、いいの! 大会で活躍するみよちゃんを見て、私も秋こそはって思ったんだし」

 

 申し訳なさそうにする大咲に手を振って気にしないようにと伝えると再びエースの話題に戻った。

 

「あの人は名家の出で、しかも才色兼備で文武両道で……この世の全ての四字熟語を掌握してるっていうかさ……住む世界が全然違うなあって……」

 

(いや、四字熟語ってそんな良い意味ばっかじゃないけど……)

 

「ま、エース争いの相手はそんくらいハードルが高い方がいいわ」

 

「ええ!? あの人は夏大会でも3年生を押し除けて、エースになったんだよ!」

 

「そりゃ、あの人が凄いのはアタシも知ってるわ。けど……」

 

 一度里ヶ浜ベンチの方を振り返ってから先に明條ベンチに戻ったエースに視線を移した大咲は曇りのない目でこう言った。

 

「だからって諦めるなんて……そんなのつまんないでしょ」

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