皆で綴る物語   作:ゾネサー

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選ばれても、選ばれなくても

「有原さん、東雲さん。お疲れ様」

 

 紅白戦が行われた日の夕方。ほとんどの部員が帰路につく中、有原と東雲は部室に残り秋大会のスタメンを決めるべく話し合っていた。そこにノックと共に掛橋が入ってくると労いの言葉を二人にかけた。

 

「先生こそ、今日は球審ありがとうございました!」

 

「おかげでスムーズに試合を進行することが出来ました。ありがとうございます」

 

「良いのよ。また試合する時は言ってね。それでこれを拡大コピーしてきたんだけど……いるかしら?」

 

「あ、いいですね! ホワイトボードに貼りましょう!」

 

 そう言って掛橋が取り出したのは今日発表された秋季大会のトーナメント表だった。それを受け取った有原は『全国大会まであと一週間!』と書かれたホワイトボードにマグネットを使って貼り付けていた。

 

「私たちはえーと、いちにぃ……」

 

「……左から8番目よ」

 

「そうだった!」

 

 一つずつ指差しながら自分たちの高校を探す有原に対し把握していた東雲が呆れ気味に指摘すると、有原は思い出したように『里ヶ浜高等学校』と書かれた場所を見つけ、赤色のマーカーペンを取り出していた。

 

(先ほど初日は午前と午後で2試合ずつ試合が行われるから、第4試合の私たちも初日からの試合になるという確認をしたのだけれど……どこか抜けているのよね)

 

 不安そうな眼差しで見つめる東雲をよそに有原は上機嫌に自分たちの高校を起点としてトーナメント表に沿って一回戦の相手と当たるところまでマーカーで一つの線を書いていた。

 

「勝つたびにこれが上に、上にって伸びていくと凄くこう……(みなぎ)ってくるんだよねー」

 

「貴女がシニアで全国優勝した時、その感慨も一入(ひとしお)だったのでしょうね」

 

「うん!」

 

(……私はシニアでは結局良いところまでは行っても、優勝という(いただき)に立つことはできなかった。けれど……)

 

 トーナメント表の頂点を見ながら苦汁をなめたシニア時代を思い出した東雲はその鋭い眼差しを両手を胸の前で構えている有原に向ける。

 

「有原さん。夏大会での敗戦を忘れていないわよね」

 

「もちろん」

 

「新設野球部での一回戦突破、確かにそこに至るまでの道は決して楽なものではなかったわ。けれど私は掲げた目標に妥協を図るつもりはない」

 

「私もだよ。どれだけ険しい道でも目指すは……優勝!」

 

 鋭い視線を向ける東雲の目を有原は真っ直ぐ見返す。そして互いに力強く頷くとやる気に満ちた様子で再びスタメン選考へと戻っていく。そんな二人の姿に掛橋は微笑みながら静かに部室の扉を閉めたのだった。

 

 それから時が流れ翌日の月曜日。ミーティングのために部室に集まった河北と野崎はホワイトボードに貼られた組み合わせを見て同時に驚いていた。

 

「えっ……神宮寺さん、また開幕試合なの!?」

 

「相手は……向月高校。高坂さんのところですか……!?」

 

 河北が指導してもらっている神宮寺率いる清城高校と野崎が指導してもらっている高坂率いる向月高校が開幕試合の組み合わせであったことに二人は驚きを隠せない様子だった。

 

「いやー、私たちがまた開幕試合だったら良いなって話してたら清城の文字が一番最初に見えて凄いびっくりしたよ」

 

 先に部室についてスタメン発表の準備を進めていた有原と東雲がその声に反応するように振り向いた。

 

「驚くのはまだ早いわ。第二試合の組み合わせはさきがけ女子高校と夏大会で優勝した界皇高校よ」

 

「う……準優勝と優勝高校がここに集まってしまったんですね」

 

「そうね。ただ去年秋大会で優勝した帝陽学園やそこに匹敵する実力を持っていると言われる小河原(おがわら)高校は逆のトーナメントに配置されているし、そこまで強豪校が一方に集中している印象は受けないわ」

 

(とはいえ多少の偏りはあるけどね……32チームでのトーナメントではそういったことがあるのも珍しくはないけど、その僅かな組み合わせの差が勝ち抜くにつれて影響することは十分に考えられる)

 

 やがて他の部員も集まってくると全部で17人の部員が部室に集まり、話したりトーナメント表を見るなどしてミーティングが始まるのを待っていた。

 

(あれ? 第三試合に明條いるじゃない。相手は……聞いたことない名前ね。てことは一回戦お互い勝ち抜ければ……!)

 

「みんな集合! 今から大会に向けた先発メンバーを発表します」

 

 逢坂がトーナメント表を見ていると発せられた有原の言葉に談笑していた部員が静まっていき、スタメンに入れたかどうかという不安が緊張として皆に走っていった。

 

「私たちの一回戦の相手は高波高校よ。昨日トーナメント表が発表されたばかりだから詳細なデータは集まっていないけど、今までの傾向から高い得点圏打率を誇る中条明菜さんを中心とした勝負強い打線が持ち味ね」

 

「話し合って決めたレギュラーポジションのメンバーで一回戦は挑むことにしました。後ほど掛橋先生から大会用の背番号を渡してもらいます」

 

(ということはスタメンに呼ばれた人は……背番号一桁ってことだね)

 

 河北が固唾を飲んで有原を見つめているとついにスタメンが発表された。

 

「一番ライト、九十九伽奈」

 

「はい」

 

(……! う……やっぱり)

 

 短く返事をする九十九を見ながら宇喜多は紅白戦での最後の打席で打球を捕られたときに覚えた感覚が蘇っていた。

 

(でも……師匠の助けもあってやれることはやれたもん。悔しいけど……九十九先輩になら茜の分も託せるかな)

 

「ちょ、ちょっと待って翼ちゃん! アタシは!?」

 

「……!」

 

 そこに明らかに納得が行っていない様子の逢坂がスタメン発表に割り込んでくる。有原は一瞬ビクッと身体を震わせたが、逢坂の方に振り向くと真っ直ぐ目を見つめながら返事を返した。

 

「逢坂さんは打撃力は九十九先輩にも勝るとも劣らないものを見せてくれました。ただ守備の不安定さが抜けてなくて一発勝負の大会だと不安が残るので、今回は九十九先輩を選びました」

 

「う……」

 

 真っ直ぐとスタメンを外れた理由を伝えられた逢坂はそれ以上文句を言うことはせずに乗り出した身を後ろに下げていった。

 

(確かに後ろに逸らしたのはまずかったかもだけど……。伽奈先輩か……。頭も良くて、可愛さはアタシの方が上だけど美人で野球部と並行して生徒会にも入ってて……大黒谷もこんな感じだったのかな)

 

 表情に大きな変化が見られない九十九を遠慮なく見つめながら逢坂は自分の中から感情が湧き上がってくるのを感じていた。

 

(いつもあらゆる事に勝ってきた、そんな人に負けるのが……とてつもなく悔しい)

 

 逢坂がその感情の正体に気付いている間にもスタメンの発表は続けられていく。

 

「2番セカンド、阿佐田あおい」

 

「……! はい、なのだ」

 

(……追いつかなかった、か。あの背中に……)

 

「……ごめん、翼。私にもスタメンを外れた理由を教えてもらってもいいかな。何が足りなかったのか、次のためにも知りたいんだ」

 

(ともっち……)

 

「分かった。河北さんは打撃においては阿佐田先輩とはまた違った強みを見せてくれたのでどちらをスタメンに抜擢するか私たちも悩みました。ただ、守備範囲の僅かな差や送球の身のこなしを評価して今回は阿佐田先輩を選びました」

 

「そっか。……ありがとう」

 

(……正直、あおいも呼ばれるまで不安だったのだ。捻挫から復帰して練習を再開していても背中に常に迫られているような感覚があったのだ。……もし、あの時九十九が気付いてくれなくて今も捻挫を隠し通していたら……)

 

(……先ほどからやけに視線を感じるな)

 

 九十九が三方向からの視線を感じているとスタメン発表が進められていく。

 

「3番ショートは私、有原翼です」

 

(……そっかー。そうだよね)

 

 新田は発表される前にある程度こうなることを覚悟はしていた。しかしその言葉を聞いた瞬間、少なからず落ち込むものを感じていた。

 

「4番サード、東雲龍」

 

「はい」

 

(鈴木さんのアドバイスで苦手だった打撃も少しずつ出来るようになってきた今だからこそ、東雲さんの凄さというのが分かってきた気がします。打撃はもちろん……自信がついてきた守備もまだまだだってことも。もっと頑張っていつかは東雲さんのように皆を支えられるようになるんだ)

 

「5番レフト、岩城良美」

 

「おう!」

 

「6番センター……」

 

 呼ぶ選手の方を度々向くようにして発表していた有原。その身体が岩城の方から次に呼ぶ選手へと向けられた。

 

「永井加奈子」

 

「……えっ。……あっ、は、はい!」

 

 静寂を保つようにして聞いていた部員が大きくどよめく。夏大会ではスタメンを張っていた中野がスタメンを外れたことに皆が動揺する中、そのざわめきを鎮めたのは中野自身だった。

 

「騒ぎすぎにゃ。永井は持ち前の長打力に加えて、入部した頃は酷かった守備も今では大分良くなったにゃ。その証拠に回り込みすぎる癖も紅白戦では直ってたしにゃ」

 

「中野さん……その……」

 

「何を遠慮してるんだにゃ。ほれ、選ばれたからには堂々とするにゃ。それがスタメンに選ばれた者の務めだにゃ」

 

「……!」

 

(そっか……ここで遠慮しちゃう方が失礼だよね)

 

「は、はいっ! 分かりました……!」

 

 動揺する者の中には選ばれた永井自身も含まれていた。そんな永井を中野は鼓舞すると、それを受けた永井はまだ動揺はしていたがせめて表面だけでも堂々としようと力強く返事をしていた。

 

(……それともう一つ。ワタシは1ヶ月以上前から打撃の調子を崩していたにゃ。似たように調子を崩していた東雲はしっかりと大会前に調子を戻したのに、ワタシは結局気が逸るばかりで……。そこをどうにか出来なかった以上、今“スタメン”に選ばれても多分ワタシ自身納得が出来なかっただろうにゃ)

 

 中野の毅然とした態度にざわめきが収まっていくとスタメンの発表が続けられていく。

 

「7番ファースト、野崎夕姫」

 

「……はいっ」

 

(うー、牽制でアウトになっちゃったのがダメだったかな……もっと気をつけるようにしなきゃだ)

 

「野崎さんは今ピッチャーとしての練習が中心ですが、ベンチに置いておくにはもったいないバッティングの成績を残していたのでファーストでの起用になりました。ただリリーフとして投げることも考えて打順は下位でということになります」

 

「なるほど……分かりました」

 

(野崎さん……)

 

 野崎がレギュラーポジションとしてエースとしてではなくファーストとしてのスタメン起用になったことに近藤が悔しさを覚えていると続けて発表されたのはキャッチャーのレギュラーポジションだった。

 

「8番キャッチャー、鈴木和香」

 

「はい!」

 

(……良かった。勝つためのオーダーで私をキャッチャーとして評価してもらえた)

 

(……紅白戦で相手として向かい合って、如実にその差を感じさせられた。私は……悔しいけど、まだまだ知識不足だ。でも野崎さんは……)

 

「9番ピッチャー、倉敷舞子」

 

(ここだけは譲りたくなかった。エースとして頼ってくれるなら、アタシはその期待に応えてみせる!)

 

「……はい!」

 

「一塁コーチャーは宇喜多さんに、三塁コーチャーは河北さんにお願いします」

 

「うん!」

 

「分かったよ」

 

「これでスタメン発表は終了です。何か質問はありますか?」

 

「はいにゃ」

 

「どうぞ」

 

「高波高校のデータが足りないなら偵察に行ってこようかにゃ?」

 

「中野さん……。お願いします」

 

「了解したにゃー」

 

 ミーティングが終了し、背番号を手渡された部員たちが練習のためにジャージに着替えていく中、中野だけは偵察用に装備を整えていた。

 

「あの……中野さん」

 

「ん? どうしたのにゃ?」

 

「その……聞きづらいのですが。どうしてそこまで切り替えられるのかなって……」

 

「んー。ま、そりゃワタシもワタシなりに練習してきたからにゃ。悔しいってのが正直なところにゃ。けど……夏大会で河北と宇喜多がスタメン外れても腐らず頑張ってるのを見てきたからにゃ」

 

 夏大会時点で11人になっていた里ヶ浜高校女子硬式野球部。9人がスタメンに選ばれる中、宇喜多と河北はベンチ入りしていた。それでも奮起する二人を見て中野は学んだことがあった。

 

「スタメンはもちろんその試合の中心なんだにゃ。けどベンチにはベンチの役割があるんだにゃ。どっちの役割も勝つためには大事なことなんだにゃ」

 

「あ……」

 

 初瀬はその言葉に清城との練習試合でスタメンに選ばれなかった者も出番がある可能性があると言われていたが、心構えを作れておらずエラーをしてしまったことを思い出していた。

 

「じゃ、行ってくるにゃー」

 

(ベンチは、ただ座って試合を見守るだけじゃないんだ……)

 

 準備を終えた中野が立ち上がって部室から出て行くと初瀬は決心して二人に話しかけた。

 

「河北さん、宇喜多さん」

 

「初瀬さん」

 

「どうしたの?」

 

「あの、私もコーチャーの勉強をしたくて……」

 

「いいよっ。じゃあまずはハンドサインの確認からね」

 

 初瀬の要望を二人は快く引き受けるとひまわりグラウンドに向かう間もコーチャーとしての経験を生かして教えていた。

 

(コーチャーって、色んなことに気を配らなきゃいけないんだ。それに瞬時の判断力も大事で……)

 

 初瀬は熱心にその教えを聞きながら、この短い時間では全てを聞ききれない奥深さも感じ取り、この後も度々二人に教えを請いに行くのだった。

 

「野崎さん……ごめんなさい。私のせいで……」

 

「近藤さん? どうして謝るんですか……?」

 

 練習が始まってしばらくの時間が流れ、バッティング練習が行われると意を決したように近藤が野崎に話しかけていた。

 

「私の実力が足りないせいで、あなたの評価まで落としてしまったから……」

 

「……そんなことを言わないで下さい。私はあなたと組めて、今までで最高のピッチングが出来たと思っているんです」

 

「え……そうなんですか?」

 

 途端に悲しげな表情を浮かべる野崎に近藤は思わず罪悪感を覚えていた。

 

「はい。特に紅白戦は今の私に出来る全てを出しきれたと思っています。それを引き出してくれたのは間違いなくあなたですよ」

 

「でも……私はエラーであなたの足を引っ張ってしまいました。あれがなければ、失点は2で済んだ。本来はあなたと倉敷先輩の失点の差は1で済んだはずなんです」

 

「……近藤さん、自責点って知っていますか?」

 

「それは……なんですか?」

 

「失点とは別に投手自身が取られた点を示すもののようです。還ったランナーがエラーによるものであれば失点にはなりますが、自責点には含まれないということみたいです。東雲さんや翼さんはそこも考慮していると思います」

 

「なるほど……。それなら野崎さんの自責点は2になるんですね」

 

「はい。そして倉敷先輩の自責点は……0になると思います」

 

「え……あっ。逢坂さんのエラー……」

 

「そうです。本来あれは単打でした。それがエラーで一つ進んで、翼さんの単打で還りました。その後の岩城先輩を空振り三振に取っているので、もしエラーが無ければ点は入りませんでした。失点でも自責点でも私と倉敷先輩は2点分の差があった……あの試合で私は今の倉敷先輩とそれだけはっきりした差を感じました」

 

 近藤から見た野崎の表情は悔しさを滲ませながらも同時に笑っているようにも感じられた。

 

「でもきっとそれは倉敷先輩に憧れたままじゃ分かりませんでした。向かい合って全力を尽くして戦えたから、先輩が今どれだけ遠くにいるのかも分かったんです。そして全力を尽くすためにあなたも全力を以って支えてくれた……それが私にとって一番嬉しいことだったんです。だから……謝らないで下さい」

 

(……そうか。私が謝るってことは、今までやってきたことを否定することになるんだ。それは……凄く失礼なことだ)

 

「そう……ですね。あれが現時点での私の……私たちの全力だった。それを認めないと前には進めませんよね」

 

「はい!」

 

 野崎の言葉を受け止めた近藤は申し訳なさそうに下げていた顔を前を向くようにして上げたのだった。

 その夜、野崎は高架下でバットを振っていると聞き慣れた足音が上から聞こえてきた。

 

「高坂さん。今日は遅かったですね」

 

 いつも来る時間より一時間以上は遅れて高坂は高架下へと降りてくる。

 

「別に待ち合わせしてるわけじゃないのよ」

 

「そうですね。……でも来てくれました」

 

「……ふん。ま、ここに来るのはきっとこれで最後だからね。お別れの挨拶くらいしとこうかと思っただけよぉ」

 

「え……何故ですか?」

 

「理由まで説明してやる義理はないわねぇ」

 

「そうですが……あ、でしたらこの後空いていますか? あそこの喫茶店のティラミス美味しいんですよ」

 

「……本当に美味しい?」

 

「はい!」

 

「………ま、今日は先に用事済ませてきてんのよ。ご馳走になるわ」

 

「あ……はい! それでしたらすぐに片付けますね」

 

 素振りで流れるようにかいた汗をタオルで丁寧に拭き取った野崎はバットをケースにしまうと先導して坂を上って行き、高坂を喫茶店へと案内した。

 

「中はこうなってんのね……」

 

「高坂さんは普段こういった場所には行かれないんですか?」

 

「行かないわ。野球に関係ないでしょ」

 

(ず、随分ストイックですね……)

 

「こういうのって先に頼んで座るんじゃないの?」

 

「そういった場所もありますが、ここは店員さんが注文を聞きに来てくれますよ」

 

「ふーん……」

 

 そんなやり取りを挟んで二人は席につくと野崎は慣れたようにティラミスをオーダーした。

 

「アンタさぁ……もしかしてここで練習してるのって、練習後にティラミスを食べるためじゃないでしょうねぇ」

 

「うっ! そ、それは……その、ご褒美として……」

 

「なによ。図星じゃない」

 

「はい……おっしゃる通りです。初めて食べた時の感動が忘れられず……」

 

(大げさねぇ……)

 

 するとティラミスが運ばれてきて野崎と高坂の前に一つずつ置かれていく。

 

「………食べないの?」

 

「まずは高坂さんが食べた感想を聞かせて下さい」

 

「アタシ、不味かったら不味いって遠慮なく言うわよ」

 

 そう言うと高坂は直方体のティラミスの角をフォークで切るようにしてすくうと口に運んでいった。

 

(お口に合うでしょうか……?)

 

 緊張した面持ちで野崎が一連の動作を見守っていると高坂は口元についたパウダーを紙ナプキンで拭い、こう言った。

 

「……美味いわね」

 

 表情がほとんど変わらない高坂からその一言がこぼれた瞬間、不安げだった野崎の表情がぱあっと花開くように満面の笑みへと変わっていった。安心した野崎がティラミスを一口頬張ると美味さを噛みしめるように目を細くしていた。

 

(……顔によく出る子ねぇ。予想外のサイン出されたら顔に出るんじゃないの)

 

 そんな野崎を見て高坂は投手としての心配事を思い浮かべているとやがて話題は秋大会のトーナメントへと移っていった。

 

「それにしても今回はトーナメントの発表が早くて驚きました。以前は前日での発表だった覚えが……」

 

「遅いくらいよ」

 

「えっ」

 

「夏大会の発表が前日だったのはギリギリで大会に登録した高校がいて、予定変更に時間がかかったとか言われてるけど……」

 

(それってもしかして里ヶ浜(私たち)のことでは……)

 

「ま、運営を任された以上そんなのは言い訳よね。大会は情報戦なのに、前日は遅すぎるわ。向月(うち)も苦情送ったけど多分他からも苦情来たんでしょうね」

 

「そうだったんですね……」

 

(そういえば中野さんが偵察に行ってくれていますが、前日発表だと宿舎入りしているのでそれは出来ないですね……)

 

 トーナメントの発表が以前より早かったことの裏を知った野崎が驚いているとティラミスを食べ終えた高坂が携帯端末からトーナメント表を見直し、呟くように話しかけた。

 

「アンタ達と戦うとすれば……三回戦ね」

 

「はい! 是非、大会で戦いたいですね」

 

「アンタ達が負けなければ戦えるわよ」

 

「えっ!? 一回戦は清城ですし、二回戦は恐らくですが……夏大会を優勝した界皇高校ですよ。高坂さんが夏大会でも注目していた……」

 

「夏は夏よ。清城は打撃陣が薄いわ。アレじゃアタシは打ち崩せない。界皇も三年の藤原が引退した今となっては分はこちらにあるわぁ。それに……」

 

 まだ半分ほどしか食べ終えていない野崎をよそに高坂は立ち上がった。

 

「アタシは“負ける”なんてこと試合が始まる前に考えたこともない。……じゃあね。ティラミス、思ったより美味しかったわ。アンタ達が勝ち残って三回戦で会えるといいわね。そうしたら試合で見せつけてあげるわ。名門向月の実力を……ね」

 

「……わ、分かりました。私も、皆さんと力を合わせて勝ち残ってみせます」

 

 その言葉に高坂は微笑を浮かべると遠慮なく喫茶店の外へと出ていってしまった。

 

(私たちも負けるつもりで試合に挑んだことはないですが、どうしても不安で、よぎってしまう。そんな負けを考えたこともないなんて……どれだけの練習を積み重ねれば、それだけの自信を得られるのでしょうか……)

 

 高坂の圧倒的な自信を前に気圧されそうになる野崎だったが自分たちの積み上げてきたことを思い返すとティラミスを頬張りながら気合いを入れ直したのだった。

 

 そして翌日。この日は祝日で授業は無く休日練習が行われる日だった。

 

「ピンポーン、なのだー」

 

 亀の弥太郎は窓越しに猫のように手首を曲げる阿佐田に対抗するようにのそのそと腕を伸ばしていた。

 

「師匠。お待たせしました。あ、また弥太郎にいたずらしてる……眠いみたいなので、あまりちょっかいかけないで下さい〜」

 

「すまなかったのだ。つい、あおいの中の闘争本能が反応してしまうのだ」

 

「もう……行きましょう」

 

 宇喜多宅に集まった二人は早速猫を追うようにして走り出した。

 

「猫ちゃん。今日はあまり寄り道なしでお願いするのだ。大会に向けての練習があるのだ」

 

「にゃー」

 

(伝わってるのかな……?)

 

 阿佐田の要求が伝わったのかやがて二人は普段よりは遠回りせずにひまわりグラウンドへと向かう河川敷へと差し掛かっていた。しかしここで猫が急な方向転換を見せると、その後ろを二人は追っていった。

 

「はぁっ、はあっ……」

 

「ふっ、ふっ……もー、猫ちゃんは気まぐれなのだ。……ん?」

 

 すると草むらを抜けた先に猫の集団がおり、阿佐田はその中心に一人の黒髪の女性がいることに気がついた。

 

「こんなところで何してるのだ?」

 

「んー? 猫ちゃんをムギュムギュって……ああっ! もうこんな時間!? それにここどこ……!?」

 

 猫を夢中になって抱きしめていた女性は急に立ち上がると猫たちもびっくりしたのか四方に散っていく。すると彼女は慌てた様子で身長がほとんど同じ二人に詰め寄るように質問した。

 

「わ、悪いんだけど……ひまわりグラウンドってどこにあるか知らない? 翼とはぐれちゃって……」

 

「えっ。私たちのグラウンドに用があるんですか?」

 

「それに翼って……キャプテンのことなのだ?」

 

「し、知ってるの? 良かったー。可愛い猫ちゃんを見つけて夢中になってたら、いつの間にかこうなってて……」

 

 彼女は安心したように一息つくとようやく落ち着き、その緑色の瞳で二人を見つめた。

 

「えーと……それで二人はどなたなのかな?」

 

(絶対にこっちの質問なのだ……)

 

(絶対にこっちの質問だよぉ……)

 

「あおい達は里ヶ浜女子硬式野球部の部員なのだ」

 

「グラウンドは河川敷に戻って真っ直ぐ進めば見つかるよぉ〜」

 

「ありがとう! 名も知らない野球部員達! この恩は忘れないよ!」

 

 そう言うと彼女は急いだ様子で阿佐田とすれ違い、髪に結んだ緑色のリボンを揺らしながら河川敷に戻っていく。

 

「ちょっと待つのだ! あおい達も行くから……って行っちゃったのだ。追いかけるのだ、あかねっち!」

 

「は、はい!」

 

 正体が気になる二人も急いで河川敷に戻って走り出す。しかし、その差は開いていくばかりだった。

 

((は、速い……!))

 

 声を上げても既に届かず、彼女は先にグラウンドにたどり着いていた。そこには既に部員がほとんど来ており、その中の一人が彼女を見ると少し怒った様子で話しかけてきた。

 

「もー、ゆいさん。さっきグラウンドまで来た翼に聞いて探しにいくところだったんですよ」

 

「やー、ごめんごめん。間に合ったから許して〜」

 

「もう……」

 

「翼はどこにいるの?」

 

「みささんに弁当を届けに行きました。持っていくものを間違えたみたいで……」

 

「にゃはは。みさちゃん、またやっちゃったんだ」

 

「河北さん。そちらは?」

 

「あ、東雲さん。ほらこの前話していたサウスポーだよ。お願いしたら来てくれたんだ」

 

 そしてようやく阿佐田と宇喜多が追いつく。

 

「どうも。翼がお世話になってます。姉の有原ゆいです!」

 

「「ええっ!?」」

 

 翼に姉がいたことを知らない河北以外の皆はその言葉に大きく驚いていた。

 

「私はちょっと抜けてるかもだけど、翼は三姉妹の中で一番しっかりしてるから、安心して頼ってあげてね」

 

(有原さんが……一番しっかりしている……?)

 

「りょー!?」

 

 今までの抜けた行動が頭によぎり思わず足元がふらついた東雲を秋乃が支えた。

 

「前に言っていたサウスポーの対策のために来てくれたんだよ」

 

「帰ってくるタイミングだったからちょうど良かったんだ! 今日はよろしくねー」

 

 急な登場に驚いた皆だったが事情が分かったことでようやく落ち着くとゆいを迎えて練習が始められたのだった。

 

 秋になり、河川敷に楓が紅葉した大きく立派な一つの木が生えていた。その影になる場所で落ちてきた一枚の楓の葉を摘むように掴んだ少女は腕を伸ばしてその先を見つめる。

 

「おーい。置いてっちゃうよー」

 

 集団の後ろ側でネットに入れたサッカーボールを軽く蹴るようにして遊びながら歩いていた少女が隣にいた少女が大きく後ろにいることに気づくと呼びかけていた。

 

「今行くよー」

 

「はやくねー」

 

 彼女はその呼び声に短く答える。しかしその目は自分を呼んだ少女でも手にした楓でもなく、ひまわりグラウンドに向いていた。ゆいの左手の指先からストレートが放たれると野崎は大きく振り遅れ、さらにボールの下を振ってしまっていた。

 

(あれがじゅり姉とバッテリーを組んでいた有原ゆい……)

 

「化け物じゃん。……あはっ」

 

 すると彼女は楓の葉をグラウンドの方に向けて放り、ひらひらと落ちていく葉をよそに呼び声に応えて小走りで列に戻っていった。少女は隣に戻ってきた彼女の表情を見て安堵に近い感情を覚える。それは彼女が八重歯を覗かせて朗らかな笑顔を浮かべていたからだった。




プライベートがごちゃごちゃして来たので来週はスキップで、次の更新は2週間後でお願いします。
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