偽り者の本音と正直者の嘘
時は遡り9月。左右に一つずつ白いリボンを茶鼠色の長髪に結んでいる少女——椎名ゆかりは中野が書いた校内新聞を読んでいた。
(『里ヶ浜惜しくも全国大会二回戦で敗れる!』かぁ……)
ゆかりはその記事を読み進めていく。やがて彼女がその記事を読み終えると別の場所に貼られた同じ記事を読んだ生徒達の声が聞こえてくる。
「二回戦まで行ったのね」
「出来たばかりなのに凄いですね」
「このユニフォーム天草が考えたんだっけ?」
「そうだよお。自信作!」
野球同好会の頃にユニフォームのデザイン案を出した
(キャプテン、有原翼……。あたしのお姉ちゃんの友達の妹。シニアでも活躍してたって聞いたような気がするけど……きっと色々あったんだろうなぁ。こんな学校で野球部を作るなんて……)
「椎名さん、野球やってたんだよね」
「……!」
記事に書かれたキャプテンの名を見ていたゆかりは共に記事を見ていた
「あはっ」
けれど振り向いた彼女は胸に秘める冷たいものをおくびにも出さず、八重歯を覗かせて朗らかな笑顔を浮かべていた。
(あたしとおんなじだ。そういう逃げ道があれば……お姉ちゃんと比べられないもんね)
そして現在。ゆかりは女子サッカー部の列の最後尾に並び、練習試合をするためにサッカーグラウンドへと向かっていた。
「それにしてもよく大学生が試合受けてくれたよねー。私たち春に同好会から部になったばかりなのに」
ゆかりは隣でネットに入れたサッカーボールを蹴りながら遊歩道を歩いている少女から話しかけられると、日焼けした友人の肌を横目に唸りながら答えた。
「ん〜、冬に
「そっかー。じゃあベストメンバーでは来ないのかなー?」
「あっちからしたらサブのメンバーに経験積ませたいだろうし、そうかもねぇ」
「むむむっ! そう考えるとなんだか悔しいなー」
「そう思うならリードして引きずり出せばいいんじゃないかな? シュバっとね」
「おー! ゆかちゃん、ナイスアイディア! 俄然、やる気出てきたよー!」
「頼りにしてるよ〜。……ん?」
目を輝かせている友人の肩に手を置いて期待の意味を込めて親指を立てていると話している間にサッカーグラウンドについたことに気がつく。するとゆかりの目に思わぬ人物が映った。
(有原……翼……? なんでこんなところに……)
「もー、みさお姉ちゃん! お弁当と間違えて炊飯器持っていくのやめてって何度も言ってるのにー!」
「あはは……もう大丈夫だと思ったんだけどね。寮生活が長くてつい、うっかり間違えちゃった」
「普通は間違えないよ……本当に天然なんだからー!」
「天然じゃないよー。ちょっとドジなだけ!」
翼と話している女性の茶髪に結ばれた赤いリボンを見たゆかりは姉の椎名まりに見せてもらった家族写真を弾けるように思い出した。
(……あ〜、そっか。今日の相手チームの司令塔、有原みさは翼の姉だったっけ)
相手ベンチの方を見て立ち止まるゆかりを不思議そうに友人が見つめていると、不意に翼が彼女たちに気付き、ユニフォームに刺繍された高校名が目に入った。
「あれ? 今日の相手、里ヶ浜高校なんだ!」
「そうだよー!」
(あっ、行っちゃった……)
翼たちの方に元気よく駆けていく友人を追うようにゆかりも二人のもとへと向かっていく。
「今日はよろしく!」
「よろしくねー!」
「急に走るんだから……あ、よろしくお願いします〜」
互いに挨拶を交わすと先ほどの会話で士気が上がった友人はみさへと意気込むように話し出す。その勢いに翼が驚いて身を引くとその視線がゆかりと交わった。
「あはは……ごめんね〜。この子、勢いに乗ると全然止まんなくって……」
「ちょっと驚いたけど大丈夫! 元気があって良いと思うよ! えっと、はじめまして……かな? 有原翼です! 同じ
「女子サッカー部の椎名ゆかりだよ〜。……やっぱ覚えてないかぁ」
「あれっ、もしかしてどこかで会ったことが……?」
「ある……けど、昔の話だから覚えてなくても仕方ないかな。……ねぇ、今野球ボール持ってる?」
「持ってるよー! はい!」
「ありがと〜。えーと、18.44
翼がポケットからボールを取り出すとそれを受け取ったゆかりは大体の感覚で離れていく。
(18.44mってバッテリー間の距離……。ピッチャーだったのかな)
「座ってもらってもいい?」
「あ! でもミットはグラウンドに置いてきてて……」
「平気だよ〜。速いボールじゃないから」
「分かった!」
翼が座ってミットを構えるように手を伸ばすとゆかりは投球姿勢に入る。
(マウンドじゃないから土が盛られてないけど……このくらいかなっ!)
ゆかりの指先からすっぽ抜けるようにして上方向に投じられると山なりの軌道で遅いボールが落ちてくる。そして落ちてきたボールを翼は地面スレスレで手のひらに収めるように捕球した。
(す、凄い! あんな山なりのスローボールをストライクゾーンを通すように投げられるなんて。……!)
「ああっ! 思い出した! 肘痛めないように変化球禁止だった小学生の時にスローボールで緩急をつけてきた厄介なピッチャー……!」
「や〜、良かった。思い出してくれたね。そそ、一回だけ対戦したことあるんだよね」
(そしてそれが……あたしの野球人生最後の試合。もう、思い出すことなんて無いと思ってたんだけどなぁ……)
ゆかりはボールの感触がまだ残っている指先を見つめながらその試合のことが頭によぎっていた。
一点リードで迎えた7回の裏、2アウトランナー二塁の場面。ピッチャーとしてマウンドに立つゆかりは息を長く吐くと右打席に入った翼に対して投球姿勢に入った。
(野手が左に? ……そっか!)
ゆかりが投じたボールはスローボール。山なりの軌道がストライクゾーンに向かって落ちていくが、投球姿勢に入ってから野手が全体的に左にシフトしたことを察知した翼はこのボールに対して始動を溜めていた。
(崩れてない!? けど、ボールは低めにいった……!)
このボールを引きつけた有原のバットがついに振られると打球は一塁線へと放たれていた。
(なっ……)
ファーストはそのボールに反応してミットを伸ばしたが左にシフトしていた影響もあり、打球には届かずミットの先をボールが抜けていく。
「フェア!」
その打球が外野まで転がっていくと二塁ランナーは生還し、有原自身も二塁へと到達していた。
(打たれた……この追い込まれたカウントでスローボールに張ってた? それに遅いボールは反発する力が弱い。引っ張るならともかく、流し打ちであんな強い打球を打つなんて……)
同点に追いつかれ尚も2アウトランナー二塁の場面。バッテリーは今の有原の打席からスローボールが待たれていると判断してストレートを投じた。
(翼があれだけしっかりスローボールを捉えたんだ。続けて投げるのは……難しい!)
(えっ!)
弾き返された打球がゆかりの頭上を越えていきセンター前ヒットになる。そしてバックホームが返ってくるとホームのベースカバーに入ったゆかりの目の前で翼がスライディングでホームに滑り込んだ。
「……セーフ!」
ゆかり自身目の前で見たからこそ、その判定が正しいことは分かっていた。逆転勝ちを収めた翼のチームが盛り上がるのを横目にゆかりはキャッチャーの肩に手を置いた。
「ごめん……」
「なに謝ってんの。あたしも皆も全力でやって負けたんだよ。悔しいけどさ、真正面からぶつかってやられちゃったんだ。仕方ないとは言いたくないけど……謝ることじゃないのは確かじゃん」
「ゆかり。……ありがとう」
「どーいたしまして! さ、帰ろ」
ホームに崩れるようにして顔を下に向けていたキャッチャーにゆかりは手を差し伸べると握られて体重がかけられるのを感じながら、引っ張り上げるようにして身体を起こさせた。
(あの女の子凄かったな。中学生になっても野球やってれば、また会えるかな……?)
ベンチで荷物を纏めながら考え事をするゆかり。やがて荷物を纏め終えると引き上げようとしたところで監督と目が合った。
「椎名、残念だったな」
「本当に……でも、全力で——」
「お前のお姉ちゃんは……ここぞという時に頼れる選手だったがな」
「えっ……」
そう言うと監督はベンチから出て行く。ぼんやりと霞んでいく視界で離れていく背中を捉えながら、ゆかりはその場に立ち尽くしていた。
(なに……それ……。なんで、どうして、あたしはあたしなのに……)
その試合が終わった後、ゆかりにかけられた言葉の多くは姉との比較が前提となるものだった。
「あらー、サヨナラ負けしちゃったの!? 残念だったわねー。お姉ちゃんみたいにはいかないわよねー」
「ふーん、負けたんだ。お姉ちゃんは、あんなに上手だったのに」
(じゅり姉が優勝したことを知っている人は、あたしとそれを必ずと言っていいほど比べた。比べなかったのは、じゅり姉とまり姉だけだった……。それだけは嬉しかったけど、ただそれ以上に……)
「椎名さん? 大丈夫?」
「……! ……ごめんごめん。ちょっとぼ〜っとしちゃったみたい」
翼に声をかけられて我に返ったゆかりは軽く手を振って何でもないように振る舞った。
「椎名……? あ、もしかしてまりちゃんの妹の……」
「……そうです」
話し終えたみさが椎名という名字を聞いてまりの妹だということに気づくと、ゆかりは心の中で思わず身構えた。
「まりちゃんとは同じクラブユースで色々お世話になりました」
「あ、いえ……こちらの方こそ姉がお世話になりました〜」
「大きくなったねぇ。まりちゃんに写真見せてもらった時はまだちっちゃかったのに」
「ん〜、でもあたし身長160ないんですよね」
「あたしもだよー。けど高校生ならまだ伸びるって!」
「え〜。もう成長期過ぎちゃってません?」
「高校生なら望みはあるよ! 大学生になっちゃうとホントに伸びなくて……翼にも背抜かされちゃったし」
「私も160ギリギリだよー。もうちょっと欲しいな」
「むむ。ゆかりちゃん聞いた? これが160に到達した者の余裕だよ」
「ずるいですよね〜」
「ええ!? 二人してひどいよー!」
「ゆかちゃん。皆呼んでるよー」
「おっと……のんびりしすぎたねぇ。じゃあ失礼しますね〜」
呼ばれていることに気付いた友人がゆかりの袖を引っ張って味方ベンチの方を指差すと、ゆかりは一礼してから駆け足で向かっていく。
(……なんで翼に野球してたこと言っちゃったんだろ。適当なところで切り上げてサササッと離れても良かったのに。おかげでみささんにもまり姉の妹だって気付かれちゃったし)
友人と共にベンチにたどり着いたゆかりは勝手に列から離れたことを先輩から注意されながら、先ほど自分がした行動に疑問を抱いていた。
「あ、ともっちから
「お姉ちゃんまたやっちゃったんだねー」
「もう、みさお姉ちゃんも人のこと言えないでしょー」
「えへへ……」
翼はベンチに置かれた炊飯器に目をやりながら左右のポケットにそれぞれ携帯端末と野球ボールをしまうと遊歩道へと足を向けた。
「練習始まってるみたいだし、戻るね。試合頑張って!」
「うん! お弁当ありがとねー」
手を軽く振るみさに翼も軽く手を振り返すと坂道を上がっていき、ひまわりグラウンドへと走って戻っていった。
そして互いにハーフウェーラインを境として準備運動が終えられるとすぐにでも試合が行われようとしていた。
(まり姉……かぁ。あたしが中学生になって、野球の次に好きだったサッカーをやって……でもダメで。結局小学生の時と同じことの繰り返し。ホントは高校でサッカーを続けるつもりはなかったんだけどね〜)
「——以上がスタメンです。と言っても……」
「いつもと同じだねー」
「部員11人だからねぇ……」
「一応フォーメーション変えるのも検討したんだけど……今日の相手は大学生だからね。慣れないフォーメーションを試すよりはいつもの布陣でどれくらい戦えるか! 胸を借りるつもりで挑むよ!」
「「はい!」」
檄が飛ばされると部員たちの元気のある返事にキャプテンは頷いていたが、不意にその目が
「去年は11人もいなくて試合出来なくて……それが今年は夏の大会に参加どころか一回戦突破出来て。今では大学生と練習試合組めるようにまでなって……皆、本当に集まってくれてありがとう」
「あー、もうまた始まった。いい加減泣かないの。キャプテンでしょ」
「うん……」
「ちゃんとしなさい。一番後ろにいる
「うん……」
キャプテンの友人がユニフォームの袖で涙を拭おうとするのを止めると、ハンカチを取り出して代わりに拭いていく。その見慣れた光景を部員たちは穏やかに笑いながら見守っていた。
「……こ、こほん! 改めて……気を引き締めていきましょう!」
「「はい!」」
弛緩させてしまった雰囲気を引き締めるべく円陣が組まれキャプテンの掛け声と共に組んだ腕が沈み込んでいくと、士気が上がった様子でイレブンがフィールドに散っていく。やがて選手が所定の位置についたことが確認されると審判の笛が響き渡り、40分ハーフで試合が開始された。
「まずはボール回していきましょ!」
「おっけー!」
この試合
(こっちはいつもの4-2-3-1、あたしをワントップに置く布陣だ。相手は4-2-1-3……確か相手が得意とする布陣だった覚えがあるけど、やっぱりというか、見た感じベストメンバーじゃないねぇ。その証拠に……)
前線へと駆け上がっていく最中、ゆかりは相手ベンチで座りながら声援を送るみさを横目で捉える。
「ゆかり!」
細かいパスを繋いで相手陣地へと攻め込んだMFが前線に辿り着いたゆかりへと縦パスを送った。
「させないよ!」
「うっ!」
相手の
(今日はみさ先輩の代わりにわたしがゲームメークするんだ! ……えっ!?)
相手陣地に少し入ったところでOMFがパスを胸でトラップしてボールを下に落とし前を向く。
(相手のOMFは一人!)
(攻撃を抑えるならここだ!)
するとそこに二人のDMFが素早くチェックに入る。それに気付いた相手はとっさに躱そうとしたが一人のチェックを躱した瞬間、もう一人がその隙をついてボールを奪取した。
(よし!)
(しまった……!)
序盤は静かな立ち上がりとなり中々お互いにシュートに持ち込めないまま時間が過ぎていく。
(わたしが今まで経験してきたフォーメーションは少なくともOMFが二人いたから知らなかった……。OMFが一人だとここまでチェックが厳しいんだ)
(またOMFにボールが渡った!)
(ここで止める!)
低い軌道、グラウンダーで渡されたパスをOMFはスパイクで押さえるようにして受け取るとそこに二人のDMFのチェックが入る。
(でもみさ先輩はそれをしっかりこなしているんだ! わたしだって……! ここは相手陣地にそれなりに入ったところだし勝負していい。わたしの武器であるスピードで仕掛ける!)
「「なにィ!?」」
トラップから急加速するようにしてドリブルを開始したOMFに二人は虚を突かれて反応が遅れる。その二人の間をスピードに乗ったドリブルですり抜けるように抜けていった。
((しまった……!))
(相手前線の人数は4、こっちのDFも4人。まだ慌てなくていい!)
「14番に一人ついて! FWにもマンツーマンで対応して!」
そこにGKを務めるキャプテンからコーチングが飛ばされ、一人に対して一人のマークをつける指示が出された。
(DFが一人来たか……ならその前にっ!)
マークが完全に来る前に背番号14のOMFはパスを選択した。マークにつこうとしたDFがとっさにジャンプするもその頭上をボールが越えていくと、3人のFWの中でも中央寄りのポジションにいる
「しっかり身体寄せて!」
「はいっ!」
キャプテンの指示でマークについていたCBが身体を寄せながらボールを競り合った。
(ここまで来たボールの中では一番シュートが狙える。ここは行く!)
CFは浮いたボールに対して競り合いながらダイレクトにヘディングで合わせると思い切ってシュートを放った。
「はあっ!」
ゴール右上隅へと放たれたボールにキャプテンが飛びついて両腕を伸ばすと、このシュートを掴み取った。
(くっ、強くは撃てなかったか……)
(あれだけ身体寄せてもしっかりコースは狙ってきた……なんてフィジカル。このCFに合わせるパワープレイは今後も注意しないと)
キャプテンは両腕を伸ばしながら着地すると手に収められたボールを見て安堵しながらも同時に危機感も覚えていた。そしてお互い決定打が無いまま時間が過ぎていくと前半33分、センターサークル付近でゆかりのチームのOMFにボールが渡った。
(ここあたりなら何とか3人で繋いでいけるけど……)
(相手陣地に攻め込みきれない……)
(ここまでこっちのシュートは私が無理に撃ったロングシュート一本。このままじゃまずい……)
センターサークル付近で攻めあぐねてボールを回していると二人のDMFだけでなく背番号14のOMFも守備に戻ってきて挟み撃ちのような形になった。
「あたしに!」
「……! お願い!」
ボールが横にはたかれるとそこにはゆかりがFWとしては後方と呼べる位置まで戻り、パスを受けていた。
(ただでさえ上背がないあたしが大学生相手に前線に居座っても厳しそうだからねぇ。ここは戻ってボール回しに参加する!)
4人でパスを回し3人のチェックをなんとか躱していく。しかし中々前にボールを運べない状況は変わらなかった。
(なんとかボールはキープしてるけど)
(前線にパスを送れる選手がいない!)
(うまく回して守備の陣形を乱したいけど……この位置だと相手がそこまで無理して動いてこない……)
(ん〜……こうなると、ジリ貧だよねぇ。となれば……)
左サイドに移動したゆかりにパスが送られると同時にゆかりが腕を相手ゴール方向に振るようなジェスチャーをしながら声を出した。
「ライン上げて下さい!」
「……! 分かった!」
「ゆかり、危ない!」
「おっと……!」
一瞬指示に気を取られた隙をついて相手がチェックに入ったがそれを背にするようにしてゆかりはボールをキープする。
(こういう時、慌ててボール離す方が危ないんだよね。相手を背にして自分の身体がボールとの境になるようにすればそう簡単には取られない。無理に取ろうとしたら
(くっ、身体の使い方が上手い! こっちが取ろうと仕掛けても重心が全然崩れない……)
その隙に後方の選手が上がってくるとゆかりは相手を背にしたままスパイクの内側で押し出すようにしてボールを転がしDMFの一人にパスを送る。そして反転してゆかりが走り出すとボールは右サイドにいるもう一人のDMFを経由して前線へと上がった右サイドのOMFに渡った。
(良いリズムが生まれかけてる。ここはプレスをかけて、その芽を積む!)
(うっ……!)
相手DFもラインを上げて早い段階で攻撃を止めようとプレスをかける。とっさに横にパスを繋いでいくOMF陣だったが、相手の厚い壁を崩せないでいた。やがてボールはやや左後方にいるゆかりへと戻ってくる。
「先輩、もっと前へ!」
「……! そっか!」
ゆかりの指示が飛ばされると三人のOMFが一斉に前へと走り出す。
(……! スルーパスか!? ラインの裏を取られてキーパーと一対一にされるのはまずい……!)
するとラインを上げていたDF陣の内の三人が一人ずつ張り付くようにしてOMFについていった。
(うげっ、完全に読まれてる。これは無理に送っても……っとぉ!)
DMFからチェックを受けたゆかりは足裏でボールを引くようにして辛うじてチェックを躱し、反転して相手を背にする。さらに反転する際にもう一人のDMFがすぐそこに迫っていることに気づいた。
(さすが……フリーにさせてくれる時間がほとんどない。けど一応この位置で少しとはいえボールキープして時間は稼げたよね……っと!)
ゆかりはライン際に向かってやや軽めに左前方へとボールを蹴り出すとその一連の流れで自身も前へと走り出す。パスアンドゴーだ。
(何! その位置に選手は……。……!)
「ゆかちゃん、ナイスパス!」
するとDFの中でもサイドを守る
「……! 危ないっ!」
「うえっ!?」
相手DF陣の中で先ほどOMFのマークに向かっていなかった右SBがゆかりのパスの意図に気づいて素早くチェックに向かうと、勢いの乗ったドリブルに対してタックルを敢行していた。タックルに気づくのが遅れた彼女はその勢いのまま突っ込んで行くと足と足でボールを挟むような形になり、勢い余ってボールが弾かれた。
(あちゃー。あの子、勢いに乗ったら止まれないんだよね。……でも!)
ライン際から中央へと打ち上がったボールにいち早く反応したゆかりはこのボールの落下地点へと走る。
(トラップ……したら追いつかれる、か。パスコースも見当たらないし、ここは一か八か……やっちゃいますか!)
後方に迫る二人のDMFを察知したゆかりはこのボールに対して右足を振り上げると軸となる左足で身体を支えた。
(……まさか!?)
(ダイレクトボレー……シュートだぁ!)
ペナルティエリアの外、その左後方へと落ちてきたボールに対してゆかりはバウンドさせずにダイレクトで合わせると、右足から放たれたシュートがゴールマウスへと向かっていく。
(キャッチは無理か……!)
ゴール右上のざっくりした位置に放たれたシュートに反応したGKが飛びつき、腕を伸ばす。すると指先でボールに触れて僅かにシュートコースが変わった。シュートの軌道がゴールの外へと弾き出すように変わったボールの行き先は……ゴールバー。ギン、という鈍い金属音の後に聞こえてきたのは……サイドネットへと収まるぽすっ、という音だった。そして審判の笛がフィールドへと響き渡ると、それはゴールインを認めた証だった。
「わお」
「ゆかちゃん、ナイッシュー!」
「ありがと〜」
「よく決められたねー!」
「ん〜、ど真ん中にいかないようにはしたけどね。入ったのは運が良かったよ〜」
タックルを受けて思い切り地に伏していた友人が笛の音を聞いて起き上がって駆け寄ってくると勢いのまま喜びを示すように飛びついてくる。それを受け止めたゆかりは二、三度背中を軽く叩いてから彼女を地面に下ろした。
やがて彼女たちが所定の位置へと戻っていくとセンターサークルにボールが置かれ、プレーが再開された。CFから戻されたボールを14番のOMFはやる気に満ちた表情で受け取る。
(やられた……。高校生相手に先制されるなんて。でもまだ前半が終わるまで5分ある。後半になる前に同点に追いつくんだ! ……えっ!?)
相手の守備位置を確認した彼女は驚きで目を見開く。その理由は相手の両サイドのOMFがDMFの位置まで下がり、4-4-1-1の守備的なフォーメーションを取っていたからだった。
(一点を取って守りきるサッカー……これで私たちは夏大会一回戦を突破出来た。この試合も先取点取ってくれたから
この守備的な陣形に大学生チームも攻めあぐねて時間が経過していく。しかし果敢にプレスをかけるよりは後方に人数をかけているこの陣形に対して大学生チームも守備的なポジションの選手もパス回しに参加することで着実に崩していった。
「任せた!」
「はい!」
(審判が時計を見てる……! これが前半のラストプレー!)
前半40分。ショートパスの連続から相手陣地の中央付近にいる背番号14のOMFへパスが出されると、二人のDMFが彼女のチェックへと向かう。
(守備に人数をかけてるだけあって中央はスペースが狭い。ここは……!)
「お願いします!」
パスにダイレクトで合わせた彼女はチェックより早く左サイド前方に向かってロングパスを送った。
「ナイスパス!」
右SBの頭を越えていったスルーパスにFWの中でもサイド寄りのポジションを取る
(……ここだ!)
(くっ……!)
右SBが戻りながらクロスを上げさせまいとパスコースに飛び込んだが間に合わず、左WGが出したクロスがペナルティエリアへと向かっていく。
「よっ……と!」
(なっ!)
CFの頭へと合わせるように上げられたクロスに判断よくGKが飛び出すと両腕を上に伸ばしてこのクロスを直接キャッチしていた。
(やっぱりフィジカルが強いCFに合わせてきた。読めて良かった)
——ピピー! ここで前半終了を告げる審判の笛が鳴り響いた。嬉しさが滲み出る里ヶ浜高校に対し、大学生チームは冴えない表情でベンチに向かっていく。
(攻撃が上手くいかないことは想定していたが……高校生相手に失点は予想外だったな)
監督はしてやられたという表情を浮かべていると選手たちが戻って来る。労いの言葉をかけながらそれを迎え入れると背番号14の選手に対して水分補給してからまた来るように伝えていた。
「ふぅ……すいません」
「いや、一年のお前には荷が重いことは承知の上だ。だが、いくら練習試合でも高校生相手に負ける訳には行かない。後半は有原を投入する」
「そう……ですよね」
(交代……か)
「有原!」
「はい!」
「後半はお前を
「「えっ!」」
監督の指示に二人は意表を突かれて驚いた表情を見せる。
「あの、監督。わたしは……?」
「お前はこのまま後半も攻撃的ミッドフィールダーとして入れ」
「あたしはどうすればいいですか?」
「ああ。そこなんだが……」
監督はコーチから4-2-1-3のフォーメーションを示すようにマグネットが10個つけられたコンパクトなホワイトボードを受け取ると右サイドのDMFに当たるマグネットに触れた。
「今の守備のバランスを崩さないよう相手が攻めてくる時はDMFとして守備に参加して欲しい。ただ攻撃の時には……」
マグネットが上げられていくとOMFの右横の位置まで移動され、4-1-2-3のフォーメーションが完成する。
「いつものように攻撃的ミッドフィールダーとして動けば良いんですね」
「ああ。そうして欲しい。ただその分運動量も多くなるから負担も大きい。それでもやってくれるか?」
「まっかせて下さい!」
その指示にみさが元気よく返事を返すと監督は迷いのなさにやや呆れながらも頷いていた。
「後半、まずは追いつこう!」
「は、はい!」
(前半で司令塔の役割を果たしきれなかったから交代させられても仕方ないと思ってたのに……まだチャンスを貰えるんだ。……頑張ろう!)
(有原という絶対的な司令塔がいるが故にうちの攻撃の起点は有原に頼りがちだ。これはインカレで攻撃パターンが読まれるという弱点になり得るし、有原が卒業した時に攻撃力低下を招いてしまうかもしれない。それを避けるためにも……今のうちに経験を積んでもらわないとな)
みさに声をかけられ緊張した様子の彼女に監督が期待の視線を送っているとやがてハーフタイムが終了し、後半が始まった。
(有原みさ……)
DMFと交代して投入されたみさの緑色の瞳を見つめるように見ているとみさがそれに気付いて軽くお辞儀をし、ゆかりも戸惑うように軽く頭を下げる。すると早速みさへとパスが出された。
(相手のフォーメーションは変わらず4-4-1-1かー。ここはじっくり攻めていくしかないね)
(……似てる。試合をするときのまり姉の目に……)
「ゆかり!?」
OMFが手を伸ばす先を走るゆかりは焦燥感に駆られみさへと突っ込んでいくとタックルを仕掛けた。
「……! お願い!」
みさはボールをもう一人のDMFにはたくとジャンプ一番、このタックルを躱していた。
(うっ……)
(どうしたのゆかり……今こっちは前線に二人しかいないからパスコースをあまり塞げない。無闇にタックルを仕掛けても……)
「もう一度戻して!」
「はいっ!」
ゆかりを越えて着地したみさにDMFからダイレクトでパスが返り、ワンツーリターンが成立した。そのままみさは前線へとドリブルで上がっていくとOMFのチェックが入る。
「ふっ!」
(無理はしてこないか……)
するとみさが身体を反転させて左サイドへとロングパスを送り、オーバーラップした左SBがこのボールを収める。一番右のDMFがチェックに入るとここも突っ込み過ぎず、背番号14のOMFへとショートパスでボールが渡された。
「こっち!」
「……! みさ先輩!」
守備陣形が攻撃側から見て左に寄ったところでみさは右サイドを上がりながらパスを要求し、再びロングパスが送られサイドチェンジが行われた。
(そう簡単に突破はさせない!)
今度は一番左側を守るDMFがみさのチェックに入るとみさは中央へとボールを蹴る振りをするキックフェイントを挟み、利き足でない右足のアウトサイドキックによって右前へとボールを転がした。
(なっ、プレーのスピードが落ちない!?)
チェックに入られてもほぼ減速せずにこのプレーを刊行したみさに対応が遅れたDMFの横をみさは駆け抜けると右SBからのワンツーを受け取ってさらに駆け上がっていく。
(通さないよー!)
(相手の守備陣形が今度は右に寄ってきた……)
左SBのチェックが入り今度はみさのドリブルが止まるとさらに厳しいチェックが入る。
(今!)
(うえっ!?)
引きつけたところでボールの下に爪先を差し込むように蹴るチップキックで左SBの頭上をふんわりとした浮き玉が越えていく。
(でもこれは大きい! ライン割っちゃうよー!)
左SBが振り返ってそのボールに気を取られた隙にみさは中央へと切り込んでいく。
「えっ!」
するとバックスピンがかけられていたボールはバウンドしてからの勢いが抑えられており、ゴールラインを割る前に右SBが追いついた。慌てた様子で左SBがそこへのチェックに向かう。
(ダメだ、間に合わない! FW三人が全員ペナルティエリア内にいる。誰に来る……!?)
「クロス来るよ。気をつけて!」
キャプテンからコーチングが飛ばされると守備陣もクロスに備える。角度がないとはいえ一時的にフリーの状態を作った右SBから万全の体勢でマイナス方向にクロスが上げられた。
(これは……しまった!)
「10番のブロックに入って!」
「分かった!」
このボールがみさへと向かっていくことを察したキャプテンからの指示でCBがシュートコースを狭めようとシュートブロックに入った。
(空振り!?)
利き足の左足でのジャンピングボレーの体勢に入っていたみさだったが、このボールを空振りしてしまい、CBは目を疑った。
(ミス……? ……あっ!)
(えっ!?)
シュートブロックに入ったCBがブラインドになりシュートに備えていたGKはクロスがそのまま二人の間を通過したことに反応が遅れていた。
(前半わたしは司令塔としての役割を果たせなかった。その借りを……ここで返す!)
(しまった! 10番のプレーはシュートじゃなく、スルーだったんだ……!)
ワンバウンドしたクロスボールの上がりっぱなを叩くような背番号14のOMFのボレーシュートが放たれた。キャプテンはゴール左下へと放たれたこのシュートに食い下がり右手を指先まで伸ばす。
(そんな……まだ始まって3分くらいしか経ってないのに)
それでもボールに届かず、シュートはそのままバウンドしてからゴールネットへと突き刺さった。ゴールインを認める審判の笛がフィールドに鳴り響き、ゆかりはその光景に愕然としていた。
「は、入った……」
「ナイスシュート! 追いついたね!」
(一度左に振ってから右を起点に崩して、最後の最後でボールを左サイドに戻したから相手の守備陣形が乱れて、これだけ後方に人数がいるのにシュートコースが空いたんだ。これがみさ先輩のゲームメーク……)
「あ、ありがとうございます。でも……本来は先輩を出させずにわたしがこのゲームメークをしなきゃいけなかったんです……」
「んー。ダメだよ。そんな風に考えちゃ!」
シュートを決めたのにも関わらず下を向く後輩の背をみさは力強く叩いた。
「ひゃわっ!?」
「ダメだったーってところは反省しなきゃだけど、良かったーってところはちゃんと褒めてあげなきゃ! 今のだって走り込んでくれなかったら、ゴールにならなかったんだから!」
「みさ先輩……。そう、ですね!」
ひりひりする背中をさすりながらも緊張が解けた笑みを零す後輩にみさも笑みを浮かべながら自チームの陣地に戻っていくと、ゆかりとすれ違った。
「…………」
ゆかりはそのまま歩を進めていくと八重歯を覗かせる朗らかな笑みを浮かべて、ペナルティエリア付近に集まっている皆に話しかけた。
「まだ同点ですよ。気を落とさないでいきましょ〜」
「そうだね……。切り替えないと!」
キャプテンが気合いを入れ直すと彼女の友人が作戦を提案してきた。
「まずはフォーメーションを4-2-3-1に戻しましょう。それで、どれだけやれるかは分かんないけど……アタシが10番のマークについてみる」
「お願い!」
DMFを務める彼女がマークにつくことが決まり、プレーが再開される。
(……これは……)
ゆかりは3人のOMFがパスを回している間に前線へと上がっていく。するとボールを持っていない状態でもみさがマークについていた。
(前半、ベンチで応援だけしてたわけじゃないよー。ゆかりちゃんはボールキープ能力が高い。フィジカルで不利な大学生相手でもボールを渡さないんだもの)
(そうだ。前半を見る限り、相手の攻撃パターンはワントップの背番号9にボールを渡して前線でキープしている間にラインを押し上げるものが多い)
「監督。有原にマンマークの指示を出したんですか?」
「いや、試合前に言ったようにこの試合は交代以外の指示は出していない。あれは有原の独断だ」
(そして試合の意図を理解している有原なりのメッセージなんだろう。自らで考えて動く。指示通りに動くだけでは勝てない試合を経験してきたからこそ、それがプレーで語れるんだ)
ゆかりへと出された縦パスをボールキープされる前にインターセプトし里ヶ浜の攻撃をDMFとして遮断するみさ。しかし里ヶ浜も負けじとみさにマークをつけることで試合は膠着状態となっていった。
そして後半22分。ゆかりは中盤まで戻ってパスを受け、みさを背にボールをキープしにかかる。
(身長も体格も同じくらいなんだ。キープしてみせる!)
(むむむ……隙がないね)
みさも身体を寄せるがそのボールを奪取出来ずにいた。その隙に里ヶ浜のラインが押しあがっていく。
(……ここは……)
(……! ドリブルコースが空いた!)
反転したゆかりは身体を寄せすぎたみさの右脇をすり抜けるようにして低い体勢でドリブル突破を図る。するとみさの伸ばした足も届かずにその横を通り抜けることに成功した。
「……!」
(しまった! みささんの陰から……!)
するともう一人のDMFが死角からタックルを仕掛けており、反応が遅れたゆかりはそのタックルを受けてしまった。
「ナイスプレー!」
(そんな……事前に打ち合わせ出来るようなプレーじゃないし、何かジェスチャーを送ってる素振りもなかったのに……!)
(先輩のプレー伝わりましたよ……!)
タックルで溢れたボールがみさへと渡ると攻撃から守備に意識を切り替えたDMFがマークに入る。
(センターサークル付近で勝負して万が一取られたらまずい……!)
みさはOMFへのパスを選択するとパスアンドゴーで振り切りにかかる。しかしマークに入ったDMFも負けじとついていっていた。
(速い……! けど、マークは外さない!)
(前半でもこのボランチは攻撃の起点を尽く潰してた……! マンマークが得意な選手なのかな)
みさが小刻みな動きでマークを振り切ろうとするが彼女もフェイントに惑わされずにその動きに対応していた。
(みさ先輩が押さえられてもわたしがいる!)
左サイドを14番のOMFが上がっていくともう一人のDMFがチェックに入る。スピードに乗ったドリブルを直角方向に切り返して隙を窺う中、タイミングを見計らって右サイドへとロングパスが送られ、少し中盤に戻っていた右WGの選手にボールが渡る。
(これだ!)
するとみさは右WGのドリブルコース目掛けて走り出した。
(ショートパスを受ける気? 簡単にはやらせないよ!)
DMFのマークが離れない中、ライン際を上がっていた右WGが突如中央へと切り返した。
(なっ……それじゃあ相手同士で衝突する!)
みさと右WGがぶつかりそうになるギリギリですれ違うと一瞬動きが止まったDMFとみさの間に割って入るように右WGがすり抜けようとする。
(わざわざこっちに来たらボールを取って下さいと言ってるような……えっ、ボールを持ってない!?)
右WGはボールを保持しておらずそのまま中央へと切り込んでいくと、みさは代わりにWGの役割を果たすようにライン際を駆け上がっていった。
「なっ……しまった!」
交差する際にみさがボールを受け取っていたことに一瞬遅れて気づいたDMFはその背中を追っていく。
(くっ、身体を入れられた分の差もある! 完全にマークを外された……!)
(今度こそ止めるよー!)
そこに左SBがやってくるとドリブルコースを塞ぐように構えた。
(時間を稼いで! そうすれば挟み撃ちに出来る!)
(仕掛けるなら……ここだ!)
みさは左SBに対して左足と右足を交互にボールの上をまたぐように通すシザースフェイントを仕掛けた。
(どっちに行くか分からないようにする気だー! しっかり軸がブレないようにして、ボールがどっちかに動いた瞬間に反応するんだ!)
左SBが重心を下にして軸を保つように足を開くとその間をボールが抜けていった。
(えっ!?)
(なっ……股抜き!?)
みさはボールを左右ではなく左SBの正面へと出していた。軸がブレないように足が開いた隙間を縫うように通ったボールに、蹴った瞬間から走り出したみさはゴールラインを割るギリギリで追いつくとこのボールをダイレクトでゴール前に上げた。
(なんてプレーの速さ……! でもこのボールはフィジカルの強いCFに合わせたものだ!)
このクロスに反応したキーパーが飛び出すとCFへのパスコースへと腕を伸ばした。
(あとはお願い!)
(任されたよ!)
(なっ……!)
先ほどみさと交差した右WGがニアでこのボールに飛び込むとやや低めの弾道のクロスに頭で合わせた。シュートは飛び出したキーパーの横を抜け、ゴール右側へと豪快に突き刺さる。紛れもないゴールインだった。
(そんな馬鹿な……。今のはダイレクトで合わせた分、正確なクロスは上げづらかったはず。でも今のはCFも、ニアで合わせた右WGもシュートを撃てるクロスの軌道だった……)
2対1となり逆転され、里ヶ浜にとっては痛い展開となる。同点に追いつき返そうと気合いを入れる里ヶ浜。しかし起点となるゆかりをマークされ、打開策がないまま時間が過ぎていく。
そして後半36分。里ヶ浜のOMFが放ったロングシュートが容易にキャッチされ、素早くボールが投げ返される。
(まずい。点を返さなきゃってラインを上げ過ぎてる!)
「皆、戻って!」
カウンターが始まった段階でゆかりの指示で遅れてラインが下がっていく。
(くっ、後半だけの出場とはいえこの選手の運動量は相当なもの……なのに……!)
(前半から結構激しくマークしてたからね……。ここはスピードで外せる!)
ここに来て攻守の要をこなしているみさの運動量は未だ落ちず、対してマークについていたDMFは息も絶え絶えという様子だった。
(分かってたことだよ。うちには交代出来る選手がいないんだから……その分を埋めないといけないってね)
(……! ゆかりちゃん)
スピードでマークを外してセンターサークルを過ぎたみさにパスが通るとFWであるゆかりが素早く下がりここまで戻って守備をしていた。
(パスコースは……うっ。皆も体力は結構限界か。上手くボールを受けられる位置にいない。……行くよ。ゆかりちゃん!)
広い視野で周りを確認したみさはすぐ様切り替えるとドリブルを仕掛けた。
(この位置でみささんからボールを取れれば相手はDMFが一人減った状態! それならまだ崩せるチャンスはある!)
ゆかりもこれに応じるように走り出すとほぼ同時のタイミングでゆかりは右足を、みさは左足を振り出した。そして互いにボールを足で挟み込むようにして競り合う形となる。
(……! この目……)
競り合いの末にゆかりは右足を押し戻されるようにして横へと弾かれた。みさとまりの目が重なって見えたゆかりは地面に身体を預けながら、思わず歯を食いしばった。
(あたしと身長も体格もほとんど同じ。なのに……何が違うの)
ドリブル突破したみさは相手陣地へと突き進みながら周囲を見渡す。
(ここは一か八か……)
(ラインを上げるしか……)
(今っ!)
ディフェンスラインを上げようとした瞬間、みさは右足を軸に左足を振り切るとミドルシュートを放った。
(この距離なら止められ……!? これは……無回転シュート!)
ボールの真芯を捉えるように放たれたシュートはほぼ回転がかかっておらず、ボールの後ろに発生した空気の渦による影響で不規則なブレ球となっていた。
(くっ……届け!)
ゴール左上隅へと向かっていくブレ球にGKは飛びつくと右拳を突き出すようにしてこのボールをパンチングしにいった。すると距離があったこともあり、このボールを弾くことに成功する。
(よし! ……!?)
すると詰めていた左WGがDFより先に滑り込み、こぼれ球をスライディングシュートでねじ込んだ。体勢が整う間も無く放たれたシュートにGKは対処できず、大学生チームに3点目が入った。
(やられた……! 最初から決めるつもりじゃなく、私に弾かせたところを詰めるのが狙い。だからDFのラインを上げられてFWのオフサイドを取られる前にシュートを撃ってきたんだ……)
残り時間僅かになったところでの追加点。同点に追いつこうとする里ヶ浜にとって、終盤になっての2点差は覆し難いものだった。試合はロスタイムへと突入し、ラストワンプレー。体力を振り絞って相手ディフェンスラインの裏へと走るゆかりにロングパスが放たれた。
(最後の最後まで油断はしないよ!)
(なっ……オーバヘッドキック!?)
ゆかりへのパスコースを切るように構えていたみさはロングパスに対して右足で踏み切ると自身の頭上を通過しようとするこのボールに対して身体を縦回転させながら左足で大きくクリアした。
(……ああ、そうか。なんで翼に野球してたこと言っちゃったのか。ようやく分かった気がする)
空中でバランスを取って見事に着地したみさを見てゆかりはため息を漏らす。
(じゅり姉にも負けない才能を持つ有原ゆい、まり姉にも劣らない才能を持つ有原みさ。二人の化け物を姉に持った者同士が、同じ里ヶ浜高校で新設された部に入った。……この感情を共有したかったのかもねぇ)
ゆかりは移ろいゆく空を見上げるように顔を上げると、フィールドには後半終了を告げる笛の音が鳴り響いた。
そして同じ空の下、ひまわりグラウンドではゆいをバッティングピッチャーに迎えての練習が一段落つき、休憩時間となっていた。
「ゆいさん! あの変化球なんて言うんですか?」
「これー? これはね、
「可愛いー!」
「でしょ!」
ベンチでは逢坂が波長があったようで二人の話が盛り上がっていた。
「アタシ思ってたんです! フォークとかカーブとか……あんまり可愛い名前じゃないなって。アタシもピッチャー始めて変化球投げられるようになったら、自分で名前つけてみます!」
「それがいいよ! 自分だけのボールって感じで楽しいよ!」
そんな中、有原と東雲は鈴木が今の練習中に残した記録を見ていた。
「バッティングピッチャーということで少し軽めに投げてもらったけど……やはり左打者の打率は振るわないわね」
「うーん。たまに、左だけどサウスポーの方が得意って人いるけど……」
「どうやらうちにはいないようね」
「強いて言えば岩城先輩が対右投手の時とさほど変わらないかしら?」
「構わずフルスイング! って感じで凄かったね」
「スイングを崩さないのは評価出来るけど……見極めが出来ているかと問われれば否ね」
休憩が終わり練習が再開されるとやがて午前練が終わり、午後は守備練習中心のメニューがこなされた。そしてグラウンドに夕日が差し込むと練習が終えられ、皆帰り支度を整えていた。
「ゆいお姉ちゃん、今日はありがとうね。バッティングピッチャー以外の練習にも付き合ってもらって」
「いいのいいの。私も身体動かしたかったし! ……そうだ! 翼、この後時間ある?」
「うん。あるよー」
「じゃあさ——」
告げられた言葉に有原は目を見開くとゆいに至近距離まで近づいて返事をしていた。
「——行く行く! ちょうど今日知り合ったんだ!」
「直接向かうんですか?」
「そうだねー。家とは反対側だし、そうなるかな」
「そうなんですね。じゃあ翼、また明日ね!」
「あ、うん! また明日ね、ともっち!」
先に帰り支度を終えたともっちがグルメセンターロードのメンバーと共に帰路についた。
「そういえば加奈ちゃん。今日偵察から戻ってきた中野さんから守備練習の時に何か教えてもらってたけど、何を聞いたの?」
「あ……偵察のことじゃないんだけどね。中野さんがセンターで一番気にしていることは何かなって」
「なんだったのでしょう……?」
「えとね……センターは外野の中心だから、レフトとライト以外は意識しなくても見える。だから他の外野が予めどのあたりにいるか意識して把握して、自分が捕る時以外にも送球の指示とか、スムーズなカバーを出来るようにしてるんだって」
「ほえー。その道のプロって感じだねえ……」
「咲ちゃんは本を渡されてたよね。あれは何の本だったの?」
「あれね。阿佐田先輩から渡されたのはリードの戦術に関する本で、鈴木さんから借りたのは……これ。スコアブックの書き方が書いてある本だよ」
「……スコアブック? なにこの文字の羅列……」
近藤が開いた本を覗いた新田は目が回りそうになっていた。
「私もまだ全然分かんないや。でもこれで試合経過が分かるみたいだよ」
「嘘! これで!?」
「でもどうしてまたスコアブックなの?」
「鈴木さんにお願いしたんだ。秋大会のスコアブックは私につけさせて欲しいって。それで……リードのこととか、少しでも分かればなって思ったの」
「二人とも偉いなー。……わたしは正直、今回の紅白戦でちょっと自信無くし気味……」
「どうしたの?」
オーバーにうなだれる新田の背中に河北は手を置いて問いかける。
「わたし、ショートじゃん? でもショートは有原がいるからさ。このまま一生スタメンになれない気がして……」
「それは分からないよ」
「なんで?」
「……セカンドは、実は夏大会が始まる前は私一人だったんだ。それで阿佐田先輩はね、あの東雲さんと同じサードを守ってたんだ」
「あ……」
「今すぐ、は無理でも……絶対スタメンになれない、ってことはないと思うよ」
「河北……」
「自分に出来ることから、でしょ?」
「……そうだね。弱気になる前にやることやってからだよね!」
曲がった背をピン、と伸ばした新田は河北に元気付けられる形で迷いが消えた表情を浮かべる。そんな皆の様子を見守るように見ていた野崎も自然と笑みが浮かぶのだった。
(……どーして、こーなるのかなぁ)
二人の姉に連れて行かれる形でゆかりはレストランへと足を運んでいた。するとそこで有原家の三姉妹と共に食事を取る運びになった。
「みさから連絡きたよ。今日試合したんだって? それに翼って子も同じ学校らしいじゃん」
「今日会ったばかりだけどねー」
「いつもゆいが帰ってきたら食事には一緒に行くんだけど、さっきゆいから連絡が来たのよ。みさや翼が行くみたいだから折角だし二人も連れてきてって」
「そう……なんだ」
「せっかくのバイキングだし、二人で取ってきなよ」
「行こう!」
「そうだね〜。じゃあ行きますか」
(ま、じゅり姉やまり姉も二人に久しぶりに会って積もる話もありそうだし、空気の読める妹は大人しく離れときますか)
じゅりはゆいと、まりはみさと話し込むと、ゆかりの話し相手は自然に翼となった。
「椎名さん。プチトマトいる?」
「無理〜。それだけは苦手なんだ」
「そうなんだ〜。残念」
(ここのプチトマト甘くて美味しいんだけどなー)
「ねえ、翼さ……」
「ん? なーに?」
(思えば良い機会かもね)
「どうしてわざわざ野球部の無かった里ヶ浜で野球部を作ろうと思ったの?」
「色々あったんだ〜。でも一番の理由は……野球が好きだから! かな? 今は秋大会で優勝目指して頑張ってるよ!」
「……ふーん……? じゃあ野球やめようと思ったことはないの?」
「え……」
翼はこの時、返答に困った。この質問にYESかNOで答えるのであればYESと答えるのが正しい答えであった。シニアで全国優勝を成し遂げた後、翼は男子には違う目標があるという理由からシニアでの決勝戦を最後の試合とし、一度野球を辞めていた。
「……無いよ!」
しかしほぼ初対面の相手であり、また今は野球をやめることを微塵も考えていないという理由から翼はNOを選択した。
「そう……なんだ」
(……ああ。この子はあたしとは違うんだ。野球が好きでも、辞めたくなることがあるのを知らないんだ)
「そういえば椎名さん、野球やってたって……」
(……余計なこと言っちゃったな。まあ、いいか……翼とこの感情を共有することは出来ないんだ。なら、いいや。もう……)
ゆかりの顔から八重歯を覗かせる朗らかな笑みが引いていくと、淡々とこう告げた。
「やってたよ。けど辞めた。翼もいつか分かる時が来るんじゃないかな」
「何を……?」
「好きなことをいつのまにか好きって言えなくなる。そんな時が……翼にも来るよ」
「えっ……!」
すれ違うように去っていくゆかりの顔には寂しさが浮かんでいた。そしてその言葉を受けた翼はただ呆然とその場に立ち尽くすのだった。