「クルー。キュッキュー」
里ヶ浜野球部が試合開始前にリスのルーちゃんの案内でスタンドを歩いていると、場所を確保していた秋乃のもとへと辿り着いていた。
「ルーちゃん偉い! はい、ご褒美のどんぐりだよー」
「キュー♪」
「もー、龍ちゃんから小麦ちゃんがバミってるって聞いたから何かと思ったわよ」
秋乃に礼を言いながら次々と並んで座っていく部員たちを横目に逢坂は席の後ろでルーちゃんにどんぐりをあげている秋乃へと話しかけた。
「えへへー。ちゃんと分かりやすかったでしょ?」
「確かに……おかげで迷わずに来れたわ!」
(でもちょっと意味が違うのよね……。ま、いっか)
「それで……そっちの子は誰?」
「さあー? さっき話聞いたら
逢坂が手を組み合わせて作ったフレームを通すようにルーちゃんを見つめる、秋乃より10cmほど身長が高い謎の女性に疑問を抱いていると部員たちも気になって皆振り向いていく。新入部員が正体に疑問を抱く中、その正体に気づいた河北と宇喜多が同時に声を上げた。
「「天草さん!?」」
「んー? 誰かわたしを呼んだぁ?」
プレイボールの宣言に紛れて聞こえた自分の名を呼ぶ声に思案した顔のまま杏色の髪を揺らして振り向いたのは野球部同好会の頃にユニフォームのデザイン案を出した美術部の
(身体に向かってくる……!?)
プレイボールの宣言がグラウンドに響き渡ってから数瞬の後に投じられた神宮寺のボールに右打席に入っている向月の一番打者は危機感を覚えて避けようと身体を引く。するとボールはボールゾーンからストライクゾーンへと切れ込むように変化していった。
「ストライク!」
(あそこからストライクに入るのか!? これが神宮寺のスライダー……。なるほど、あの椿が目を付けるわけだ……)
(うわ……視線を凄く感じる。バッターだけじゃない……一球も見逃すまいとする向月ベンチの集中力が伝わってくるよ。でもだからこそ今の一球だけで小也香のスライダーを強く意識させることが出来たはず)
「小也香ナイスボール! その調子でいこう!」
相手ベンチから集まる視線を感じながらも牧野は気後しないように声量を上げて神宮寺へとボールを投げ返す。
(夏大会ではスライダーの精度が乱れてしまいましたが……今日は良い調子です。この調子でいければベスト。そしてそのベストを貫けるよう……)
振りかぶった神宮寺がボールを投げ込むとその反動で右足が跳ねる中、高さこそきっちり低めに決まったものではないが、外枠ギリギリに投げられたボールにバッターのバットが止まる。
「……ストライク!」
(練習を積み重ねてきたのです! 全ては……名門清城復活のために!)
(たぁー……これでホントに一年? まいったね。スライダーだけでも厄介なのに、中々良いストレート持ってるじゃん。神宮寺は公式戦のデータが少ないからな……他にも持ち球があるなら引き出したいところだけど)
バッターは苦笑いを浮かべながらバットを構え直すと3球目がアウトコースへと投じられた。
(ちょっと遠い……ボールだ)
(よし! バットを止めた!)
ストレートに備えてタイミングを合わせていたバッターはこのボールが外に外れたと判断してバットを止めると、ボールはストライクゾーンへと向かって曲がってきていた。
(しまっ……! シュート!?)
「……ボール!」
変化したシュートはベースより僅かに外に外れた軌道になりボールのコールが為された。バッターはキャッチャーから見えないように安堵の息を吐き出すと、向月のベンチを見てサインを確認していた。
(ミットの位置とあの見逃し方を考えると……あのクソキャッチャー! ボールだと思わせてバックドアで入ってくるシュートで見逃し三振を取るのはアタシ達もよく使う手でしょうが……!)
(うわあ……睨んでる。めっちゃ睨んでる。分かってるって……けど神宮寺のシュートはアンタほど変化しないから、スライダーとストレートに意識があったこともあって意表を突かれたのよ)
キャッチャーも務める一番打者はサインを了承すると鋭い眼光で射抜くように見つめてくる高坂を背に冷や汗を浮かべながらバットを構え直す。
「惜しいよ! でも高さは良かった!」
(ええ。もう少し中に投げられれば良かったのですが、中に入りすぎれば一転して甘い球となってしまいます。0ボール2ストライクからの意識としては間違っていないでしょう。次は……そうですね)
ボールを受け取った神宮寺は牧野のサインに頷くと4球目を投じた。
(ストライクだ! 振らなきゃ……とっ!)
(スライダーに反応した? けどこれは……)
アウトコース低めやや真ん中寄りから変化していくスライダーはボールゾーンへと曲がっており、空振りに備えて牧野はボールに備える。しかしボールゾーンへと流れたこのスライダーをバッターはバットの先で弾き返していた。
「ピッチャー!」
「はい!」
芯を外した打球は右方向にボテボテの勢いで転がるゴロ。牧野の指示で神宮寺がこのボールを処理すると、前に出ずに一塁についていたファーストに送球が行われ、バッターはアウトになった。
(あっちゃー……ダメだ。当てただけのピーゴロか)
(あれでも当てられるんだ……。あのボールは手を出したらそのまま空振りになることが殆どで、見極めもしづらいのに)
(向月の特徴の一つ、三振率の低さ。簡単に三振を取らせないことでピッチャーにプレッシャーをかけられる打線……そして三年生が引退した秋大会でもこの強みを維持できる戦力の厚さも窺えますね)
続く二番打者が左打席に入るとその初球はアウトコース低めからバックドアで入ってくるスライダー。遠く離れたコースから切り込むように入ってくるこのボールにバッターが手を出さずに見送るとストライクの判定が出されていた。
「この前の練習試合では変化球はセオリー通りにベースの外へと流れるものがほとんどだった。どうやら……この前提供した情報をリードに生かしているみたいね」
鈴木がスタンドからバッテリーの配球を考察していると、続けて投じられたインコース低めのシュートにバットが振り出され、打球が放たれた。
(くっ、少し低めに外れてたか……?)
「アウト!」
「ツーアウト! しっかり声出していこう!」
リズム良く二番打者をセカンドゴロに打ち取り、牧野の掛け声で緊張気味だった清城ナインにも声が出始める。
「スライダー嫌がって、ボール球打たされてちゃ世話ないわね」
「う……次は打つから!」
(ここまで球種はストレート、スライダー、シュートか……。夏の大会の時から変わってないみたいね)
高坂は二人に投げてきた球種を聞いてから三番打者として右打席へと入っていった。
(来た……この人が高坂椿さん。バッターとしても好打者だ。ツーアウトでも気は抜かずにいこう)
(はい。慎重にいきましょう)
高坂が地面をならしてバットを構えるとサインを交換し終えた神宮寺がボールを投じた。すると高坂はバットを振り出す素振りを見せずに真ん中低めからアウトコースへと曲がっていくスライダーを見送った。
「ストライク!」
(ストライクは先行出来たけど、軌道をじっくり見られちゃったな)
(ふーん……良いスライダーね。変化量は勿論、これだけ変化するとコントロールはつけにくいもんだけど、低めの悪くないとこに決まってる。でも決め球なんでしょ? 追い込む前に投げすぎじゃない?)
次に投じられたボールがインコースへと向かっていくと高坂のバットはピクッと反応を示したが振り出されず、ボールは高坂に向かって曲がっていきボールゾーンで捕球された。
(シュートは並ね。後はストレートも見ておきたいけど……)
3球目が投じられるとボールは勢いよくインコースに向かっていき、高坂はここで初めてバットを振り出した。すると差し込まれ気味にバットが振り切られ、打球は低い弾道でバックネット方向へと飛んでいった。
「ファール!」
(2球目のシュートのコースに合わせきたか……やってくれるじゃない。それに……)
高坂の目は投球の反動で跳ねた神宮寺の右足の勢いが収まり、地面に下ろされる様子を捉えていた。
(ああやって反動で足が跳ねるのは下半身で生み出した力をボールにうまく伝えられてる証拠。野崎と違ってワインドアップが合っているタイプね)
(初回の攻撃を3人で終わらせられたら、相手もイヤだよね。ここは思い切って……)
ボールを投げ返した牧野はキャッチャーボックスに座り直しながら、神宮寺の投球に気圧されるように声援が途切れ途切れになっている相手ベンチを見ると、意を決した様子で神宮寺にサインを送った。
(……牧野さん、焦ってはいけません。相手は名門向月です。勝負時を誤れば最後、こちらの勝機は消えてしまいます)
(……! ……そっか、そうだね。分かったよ)
そのサインを受けた神宮寺はすぐに首を横に振り、牧野は少し動揺しながらも次のサインを送った。
(ええ、それで良いのです。一人もランナーを出させないというのは理想の投球でしょう。しかし現実としてそれは容易に出来るものではありません。ですからピッチャーというのは……)
神宮寺が振りかぶり、高坂が投球に備える。そしてオーバスローの投球フォームから投じられたボールはアウトコース低めやや真ん中寄りへと向かっていった。
(打たれることは恐れず、その上で打ち取るための挑戦をしなくてはいけないのです!)
(入ってるか……? これは……ストレート、じゃない! 初球より厳しく四隅を狙った……!)
ストレートを投じられた時にバットを合わせるべく、早めに踏み込んでいた高坂はこのボールにタイミングを崩されていた。そして外へと曲がっていくスライダーに腰を低く落とすと、振り切る形ではなく合わせるようにバットの先でボールを捉えた。打球は逆らわず右方向へと打ち上がる。
(芯を外されたか……けど)
(四隅の際どいコースへとコントロール出来ましたが……ついてきましたか)
打球は一二塁間を越えると一度下がる構えを取ってから前に出てきたライトの前へとぽとりと落ちた。
(小也香のスライダーに初打席でついてくるなんて……。しかもあれだけ沈み込んでもブレない下半身の強さ、あれが全国
(牧野さん)
(分かってるよ小也香。高坂さんは好打者だけど、長打はあまりないアベレージヒッター。けど次のバッターは夏の大会でも四番を務めて、長打を量産した好打者……打たれたことは切り替えて、このバッターに集中しないと)
ボールを受け取った神宮寺は言葉は発さずに視線を送ると、それに気づいた牧野は頷いて指示を送った。
「内外野下がって! ファーストとサードはもう少しライン際に!」
(さすがにヒット一つじゃ焦らないわね……打ちなさいよクソ四番)
(高坂が出塁率高いから、その分ウチが打てないとなじられるんだよなあ……。まあ、その方がウチは気合いが入るからいいけど。むしろ打って当然くらいで構えといて貰わないと……名門向月の四番を任された意味が無いからね)
「しゃす!」
「し、しゃ……お願いします」
向月の四番打者が球審と牧野に軽く頭を下げながら威勢よく挨拶をすると、牧野が小声で返事を返す間に右打席へと入り準備を整えた。そして神宮寺は一度高坂に目をやってから、クイックモーションでボールを投じる。アウトコース高めへと投じられたストレートは高めに外れており、ボールを引きつけたバッターはその構えのままバットを止めて見送った。
「……!」
「ボール!」
すると牧野が一塁に向かって送球を行い、一塁ベースについていたファーストがボールを受け取り高坂にタッチする。
「セーフ!」
(へぇ。ツーアウトだし、盗塁を警戒すんのは当然として……初回からピックオフプレーとはね)
(こ、この人随分早く戻ったな……)
余裕を持って一塁ベースに帰塁していた高坂へのタッチにセーフのコールがなされ、ファーストから神宮寺に返球される。
(ピックオフプレーは虚をついてこそですから。一塁ベースにつくタイミングや牧野さんの捕球体勢から察したのでしょう。ですがこう牽制されるだけでも走りにくくなるものです)
2球目が投じられると再びアウトハイに投じられたシュートがボールゾーンからストライクゾーンへと曲がっていき、このボールをバッターは思わず見送っていた。
(長打のあるウチ相手に高めのゾーンに入れてくるとはね……)
(おや……睨まれてしまいました。気の強い方ですね)
神宮寺は一度首を横に振り、次のサインに頷くと今度はインコースにボールが投じられた。
(よし!)
インコース高めに投じられたボールを振り出されたバットが捉えると、左方向へと打球が飛ばされ、高い弾道で放たれた打球はやがてファールスタンドへと入った。
「ファール!」
(もう一球シュートで来たか……!)
(上手く打ち気を逸らせたでしょうか。次は……そうですね。里ヶ浜との練習試合の後、牧野さんからの相談を受けて意欲的に練習した……)
4球目が投じられると膝下のボールゾーンへとボールが向かっていった。
(これは……見逃したらただじゃおかないわよ!)
(……! スライダー……か!)
膝下から切れ込むようにフロントドアで入ってくるスライダーに反応してバットが振り切られると、すくいあげるようにしてフライ性の打球がレフト方向へと放たれた。高坂もスイングを行う確信を持った瞬間、スタートを迷わず切っている。
(うわ……! ボールがあんなにちっちゃく見える。アタシもこんな空へとグングン伸びるような打球飛ばしてみたいよ……っと!)
予め深い所まで下がっていたレフトがさらに下がり、レフト線に沿うような位置に足を運ぶと落ちてきた打球に対してミットを構え、捕球しにいった。
「アウト!」
「ナイスレフトー!」
「ふぅ。このくらい楽勝だ!」
滞空時間の長い打球に落球の不安がよぎっていたレフトだったが、無事に捕球が為されアウトのコールが響いた。
(くっ! 伸びなかったか……)
「スライダーに反応はしたみたいだけど、少し腰が引けたわね」
「あれだけ体に向かってくるとどうしても
「それがフロントドアの強みだからねぇ。けど同じ手で二度もやられたら承知しないわよクソ四番」
「わ、分かってるさ」
(あのスライダーは厄介だけど、ストレートは思ったより捉えられそうなスピードだった。まあ、高坂にバッティングピッチャーしてもらってるし大抵はそう感じるんだけどさ)
スリーアウトが成立し、攻守交代が行われ、マウンドに上がった高坂が投球練習を進めていく。
「——秋といえば……」
(スポーツの秋かしら?)
(読書の秋……でしょうか?)
(食欲の秋だよね!)
「芸術の秋ってことで、秋はコンクールが多いんだよねぇ。わたしも美術部として今回開催されるコンクールに出ることになったんだぁ」
「そうだったんだ。コンクールの絵のアイディアを探してここに来たんだね」
「刺激が欲しくてねぇ。夏の大会見に行った時も豪快な放物線が見れたし、何かないかなーと思って来てみたんだ。ちょうど土曜日で学校もお休みだったし」
「でも、ちょっと意外……。天草さんがデザインしてくれた茜たちのユニフォームすっごく可愛いし、頭の中に絵のアイディアが一杯あると思ってた……」
「んー。なんていうかねえ……コンクールって型に嵌った良い子ちゃんな絵を求めてるのかなぁって感じがしていまいち調子が上がらないんだよねぇ」
「さっき言ってたきょえーとぎぜん? ってやつだね! 絵って難しいねー」
「クルー……」
野球部員と共に席に座った天草は真っ白なキャンバスを前に筆を走らせることが出来ないでいた。眉を潜めてキャンバスとにらめっこするのをやめて、彼女は試合に目を向けた。すると1ボール2ストライクから投じた膝下へのストレートに対して清城の先頭バッターはバットを振り切ったが、ミートすることは叶わず空を切ってしまった。
(速い……! しかも最後のはコースもかなり際どかった……!)
「お〜。わたし野球は全然分かんないけど今ボールを投げた人、凄そうだねぇ」
「あの人は、全国No.1ピッチャーって呼ばれてる高坂さん、だよ」
「でもさっき投げてた清城の神宮寺さんも凄いんだよ!」
「高坂さんと神宮寺さん、かぁ」
河北と宇喜多に挟まれるようにして座る天草が二人の解説を聞きながら試合を観戦していると二番打者が左打席に入り、バットを短く持ってバッターボックスギリギリまで踏み込むような構えを取った。
「……? ねえ、鈴木」
「あ……はい、何かありましたか倉敷先輩?」
試合を観戦していた倉敷が何かに気づくと下の段に座る鈴木に話しかける。
「あのバッター、最初っからあの構えだったっけ?」
「言われてみれば……確か追い込まれた時にあの打法に変えてきましたね。あの練習試合の後にバッティングスタイルを変えたのか、少しでもカットして球筋を見たい……というところでしょうか」
「なるほどね」
ストレートの連投で早々に追い込まれた二番打者だったが、振り切らずに当てにいくようなスイングで速いストレートをカットして粘っていた。
(シュート投げてこないのか……?)
ここまでストレート一辺倒のピッチングに決め球であるシュートがよぎる二番打者に2ボール2ストライクから7球目が投じられると、膝下へと投じられたボールをカットしにいこうとする。しかし目論見通りにはいかずに、意図的にファールにするべくボールの下に入れようとしたバットはボールの上を叩き、ファーストゴロでアウトに取られてしまった。
(なんだ……? 今のもストレート、じゃないのか? 違和感が……)
二番打者が打ち取られ、続いて右打席に入った三番打者に対してもストレートを続けた高坂は1ボール2ストライクから、ここで初めて変化球を投じた。追い込まれていたバッターはアウトローの四隅から外のボールゾーンへと曲がるこのボールに手を出してしまい、空振り三振に取られてしまう。
(うっ! 神宮寺さんのより変化量は小さいけど、なんてコントロール……)
ボール球を振らされてしまい悔しそうに三番打者がベンチに戻っていき、初回の清城の攻撃は三人で終了した。
「やはり我慢比べになりそうですね」
「そうだね。こっちも守備でリズム作っていこう!」
攻守が交代し清城ナインが守備につくと、スタンドから試合を見守る天草が筆を動かし始めた。
「あれ? アイディアが浮かんだの?」
「うん! コンクールに出すかは分かんないけどぉ……ピーンと来た! ……あ。完成するまでは見ちゃダメだよぉ。恥ずかしいから」
「わ、分かった。楽しみにしてるね」
((こんなに近くにキャンバスあったらどうしても見えちゃうよ……))
意気揚々とキャンバスに頭に思い描くものを写し出す天草に二人は呆れながらも出来るだけキャンバスを見ないように気を遣う。するとスライダーを主軸として追い込んだ神宮寺が一転してインハイにストレートを投じ、打球が打ち上がった。
「アウト!」
(高坂よりは遅いけど、あの変化量の多いスライダーとの緩急差が地味に厄介だな……)
先頭打者をキャッチャーフライに打ち取った神宮寺は続く六番打者と七番打者に対しスライダーを低めに集め、それぞれセカンドゴロとショートゴロに打ち取り2回の表が終了した。
2回の裏、清城高校の攻撃。右打席には四番の神宮寺が入る。
(……身長の高い方ではないですが、実際に打席に立つと上から見下ろされているようなそんな感覚が襲ってきますね。自分の実力に一切の疑いを持っていない……自信がひしひしと伝わってくるようです)
(神宮寺か……アンタは悪くない原石かもね。磨けばダイアモンドになれる可能性もある。けど……)
高坂は両腕を振りかぶらずに胸の前でボールを構えたまま左足を少し引き、左足を浮かせると軸となる右足で全体重を支える。そして腰を右向きに捻り、前に体重を移動しながら左足で大きく踏み込み、さらに右足で地面を蹴ることで左足に全体重をかけるとほぼ真上から振り下ろすオーバースローの投球フォームからボールがリリースされた。
アウトコース高めへと投じられたストレートに神宮寺はバットを振り出したが、タイミングが遅れて空振ってしまう。
「ストライク!」
(くっ!)
(アタシに勝とうなんて100年早い!)
「椿! ナイスストレート!」
ミットから伝わる感触にキャッチャーがしびれながらボールを投げ返すと、キャッチャーボックスに座る際に神宮寺の顔を見上げた。
(アンタ、凄いね。椿が自分からフルのストレートを投げたいだなんて……アイツが実力を認めて、なおかつ自分が上だと誇示したい相手ってことだ。次は……)
(スライダー? 違うわ)
(こんな序盤からフルのストレート連投してたら、後半キツくなるでしょ。……って言っても、こうなった椿は言うこと聞かないからな。しょーがない)
スライダーのサインに首を振った高坂は次に来たストレートのサインに頷くと、今度はインコース低めへとボールを投じた。このボールに対して神宮寺は今度は手を出さずに見送る。
「……ストライク!」
(……信じられません。これほどのストレートを四隅にコントロールしているのですか……)
同じ投手としてそのことの難しさがよく分かっていた神宮寺は改めて高坂の投手としての能力を認めると、バットを構え直した。続く3球目のストレートがインハイに投じられると辛うじてバットに当たった打球がバックネット方向に上がり、キャッチャーが追っていく。
「ファール!」
ふらふらと上がった打球は落ちてきたところでバックネットに届き、フライアウトに取れなかったのを残念そうにしながら戻ってくる。
(この試合……シュートに制限がかかってる以上、どうしても球数が増えるのは承知の上だ。だからあんまり力入れすぎても困るんだけど……)
(神宮寺はまだストレートに合わせきれてない。次のストレートで仕留めればいいでしょ)
(マウンド上のわがままプリンセスめ……アタシを従者だと思ってるんじゃないでしょうね)
再び送られたスライダーのサインに首が振られるとキャッチャーはやむなくストレートのサインを送った。それに頷いた高坂は投球姿勢へと入る。
(ここまでアウトハイ、インロー、インハイ……いずれも厳しい四隅に投げてきています。それが可能な貴女の能力を認めるからこそ……次のボールは、ここに投げたいはずです!)
(踏み込んできた!?)
アウトローへと投じられたストレートに思い切って踏み込んだ神宮寺のバットがボールを捉えると、打球は一二塁間を低く鋭い弾道で抜けていった。
(見下ろすのは自由ですが……ここまでストレートを続けられるとそのスピードにも慣れてきます。自分の能力を過信して、ピッチングのセオリーをあまり無視なさらないことです)
(ちっ……! やってくれるじゃない!)
「椿! 切り替えなよ!」
「分かってるわよ!」
(味方のエラーから乱れて四死球を連発して崩れた春大会より精神面は大分マシになったけど……すぐイライラするのは変わらないなあ。まあ、まだ慌てる場面じゃない。清城の攻撃力を考えれば次のバッターの狙いは十中八九……)
右打席へと入った牧野がバットを構えるのを見ながらキャッチャーはブロックサインを送ると、続けて高坂にサインを送った。
(ふん。そりゃそうね。ヒッティングの構えを取っちゃいるけど、アタシ相手にノーアウト一塁のチャンス……奴らの狙いは……!)
インハイへのストレートのサインに頷いた高坂はボールを長く持つと、クイックモーションからボールを投じた。すると牧野はセーフティ気味にバントの構えへと切り替える。
(小也香を二塁に送るんだ……!)
(送れるもんなら送ってみなさい!)
(うっ! バットの根っこに……)
インハイのストレートに牧野はバットを合わせたがミートポイントの小さい根本に当てるのがやっとで、打球はストレートが真っ直ぐ跳ね返るように転がっていった。
「セカン!」
(当然……!)
リリースしてからすぐにチャージをかけていた高坂はこのボールを捕ってから、スムーズに反転して二塁へと送球した。
「アウト!」
(くっ!)
フォースアウトに取られた神宮寺のスライディングを避けながらショートが一塁のベースカバーに入ったセカンドへと送球を行った。
「……セーフ!」
(あ、危うくダブルプレーに取られるところだった……)
(ちっ、速いわね)
駿足を飛ばして牧野が一塁を駆け抜けるとほぼ同時に送球が届き、一塁審判からセーフのコールが上げられていた。
(……高坂先輩……)
向月ベンチから試合を見守る後輩投手は今のプレーを見て里ヶ浜との練習試合を思い出していた。一回の裏、ヒットで出た中野に盗塁されノーアウトランナー二塁の場面、二番打者として打席に入っている阿佐田にセーフティ気味にバントを刊行され、虚を突かれて送りバントを許してしまうと引率として来ていた高坂がベンチからコメントを漏らしていた。
「あんなバレバレのバントを許す? ちゃんと練習してんの?」
(……あの人は厳しい。他人にも……そして自分にも)
そのことを思い出しながら高坂の投球を見つめているとグラウンドとの境となる柵を掴むようにしている手が震えていった。
(高坂先輩に超えられるかと問われて……わたしはとてつもなく怖いものを感じた。それだけあの人は野球に一途で、本気なんだ。わたしは……)
0ボール2ストライクから低く外れたスライダーが見送られ、4球目。アウトローへと投じられたストレートに左打席に入っている六番打者のバットが振り出されるとボールの上を叩いた。
(強引に右方向に引っ張ったか……!)
「ファーストに!」
鈍い当たりのゴロをセカンドが処理すると既に二塁付近まで来ている牧野を諦め、ファーストへと送球が届き2アウト目が取られた。
「ツーアウトよ! バッター集中でいきましょう!」
(7、8、9番は全員夏大会ではスタメン入りしてなかった一年。後はこのバッターを打ち取って終わりね)
(……まじか〜。いきなりチャンスの場面で回ってくるとはねぇ)
ツーアウトランナー二塁。七番打者として打席に向かう彼女は一度清城ベンチの方を振り向く。すると神宮寺が頷くのを見て、彼女もまた頷いてから高坂の方に振り向き右打席に入った。
(あなたは認めたがらないけど、またこうして公式戦に立てる時が来たのは……神宮寺さん、やっぱりあなたのおかげだよ)
地面をならしながら彼女の脳裏には清城に入ってからこれまでのことがフラッシュバックされていった。
「新入生の神宮寺小也香です。本日より硬式野球部を復活させます。この中で野球をやりたい方は放課後グラウンドに集まってください」
(……野球部は監督の不祥事で廃部寸前だって聞いてたんだけどなぁ……)
入学式で硬式野球部の復活と勧誘を宣言する神宮寺を見て彼女は信じられないといった面持ちでそれを聞いていた。そして教室に戻った際、同じクラスであった彼女が野球経験者であることに気づいた神宮寺は直接勧誘を行なっていた。しかし彼女はそれを断っていた。
「私がこの学校に入った理由は二つ。一つは制服が可愛いから。で、もう一つの理由は……女子野球に未練を残さないため。悪いけど、私はもう野球はやらないよ」
「……そう、ですか。分かりました。なら無理にとは言いません」
(随分聞き分けがいいじゃん。やっぱりいないよね。本気で上を目指そうなんてやつが、廃部寸前のここなんかにいるわけないよね)
「……ですが、もし“
「……もし、そう思うことがあったらね」
結局、彼女がそう答えてから1、2ヶ月ほどの月日が流れた。ある日の休日、彼女はゲームセンターで遊んでいた。すると昔共に野球をしていた友人達とそこで半年ぶりになる再会を果たしていた。
「久しぶりだねぇ。今、なにかやってるの?」
「わたしは前も言ったけどソフトボールに転向したよー」
「帰宅部に入って自由を謳歌しているさ」
「そっかー。私も今は帰宅部入りしてるよぉ」
(……そーだよねぇ。最後の大会が終わってから、高校に入ったら硬式野球を続ける人なんて誰もいなくて……)
「あ! あれやらない? 確か得意だったよね!」
「あれかぁ。やろうやろう」
「久しぶりに見れるのか。あの舞が……」
彼女たちが遊び出したのは縦長のスクリーンに1〜25までの数字が始まるごとにランダムに配置され、それを小さい順にタッチしてそのタイムを競い合うものだった。友人二人が先に終えてから、彼女がそれをやり出すと次の数字がどこにあるか迷うことがあった二人とは違い、全体をぼんやりと見るようにして次々と数字に触れていく。
「おおー! やっぱり速いねえ」
「ふむ……さすがだな」
「ありがと〜」
(……ベストタイムより、4〜5秒くらい遅いや。やっぱり使ってないと鈍るなぁ。……はぁ)
二人よりは速いタイムであったものの、去年まだ野球をやっていた頃のスコアと比べると格段に落ちていることに彼女はショックを受けていた。そしてそれが引き金となり、彼女の胸の内に隠していた気持ちが浮かび上がってくる。
(私、どうしてこんなところにいるんだろう。なんでこうなっちゃったのかなぁ。去年はその時と同じように野球を続けてると思ったのに……。……難しい話でもないか。同じでもダメだと思い知ったのに、同じであることもままならないって知っちゃったもん)
同じ女子であっても共に硬式野球をしていた友人がいた中学時代から高校に上がる際に一転して周りの人が野球を続けなくなり、彼女はそれならすっぱり野球を諦めようと硬式野球部が廃部されるらしい清城へと入学していた。
(……私は、諦めたくなかった。けど、仕方ないよね。だって……)
そんな彼女に神宮寺から告げられた言葉が突き刺さるように蘇った。
「もし“貴女”が野球を続けたいと思ったなら」
(……あの人はどうしてわざわざ清城の硬式野球部を復活させたんだろう。野球をやりたいだけなら他の所でも続けることは。……! ……それは私にも言えるか。たとえ周りに続ける人がいなくても、野球を続けたければ……続けられたもんね。結局、周りに自分の意見を流されただけ……)
「ん? どうしたの?」
「……ちょっと用事があるんだぁ。今日はここまででバイバイするね」
「そうか。残念だが、お互い帰宅部の身だ。また会えるだろう」
「んー……どうだろう。分かんないけど、後で久しぶりに
友人二人に別れを告げてゲームセンターを離れた彼女は学校へと辿り着いていた。
(野球から離れて、逃げても……ダメだ。そうすればそうするほど、野球のことが返ってくる。せめて神宮寺さんの、彼女の目指す野球の形を見て……決めよう。グラウンドは……こっちか。……? 練習試合してる……)
グラウンドまでやってきた来た彼女は設置されてあるスコアボードに目を向けた。
(里ヶ浜ってところとやってるんだ。今は3回の表が終わったところでスコアは……3対1、勝ってる。……えっ、内野と外野が入れ替わった!? グローブは……今のポジションのものだ。どういうこと……?)
すると里ヶ浜ベンチ裏からその試合の様子を窺っていた彼女の耳に、そのベンチ内で相手の狙いを指摘する東雲の声が聞こえてきた。
「不慣れなポジションの練習と一巡目の打席を捨ててピッチャーの球筋を見極める練習。清城は初めから目的を持って戦っていたのよ。……私たちとは意識が違いすぎる。試合をする前から負けていたのよ」
(……本気、なんだ)
やがてこの試合が12対1で清城の5回コールド勝ちで終えられると、神宮寺が彼女のもとまで歩いてくる。
「いつまでそこで見ているのですか?」
「……! 気付いてたの?」
「ふふ、バックネット裏まで来て食い入るように見て何を言っているのですか? ピッチャーからはどう頑張っても視界に入りますよ」
「あっ……!」
試合に集中するあまり無意識に見やすい場所まで来ていた彼女は様子を窺うどころか、もはや隠れることもせずにフェンスに指を食い込ませるほど清城の野球に魅入られていた。
「あのさ、一つ聞いていいかな?」
「なんでしょう?」
「神宮寺さんはどうして清城を選んだの?」
「……私の兄が昔、清城の野球部に居たのです。清城がまだ名門と呼ばれていた時に……その頃は男子野球部に引っ張られるように女子野球部も切磋琢磨して上を目指していました」
「……」
「ですが知っての通り、女子野球部は廃部寸前に。男子野球部も甲子園から遠ざかっていることから古豪と呼ばれるようになりました。……けれど私はあの時の、名門清城として兄たちが上を目指すその姿に……憧れていたのです」
「だから……清城を選んだの? 反対とか、されなかった?」
「当然されましたよ。ですが“私”は……復活させたかったのです。兄が愛し、私が憧れたあの時の名門清城を……!」
(この人は……貫いたんだ。たとえ反対されても、周りに流されずに自分の意思を……)
「そうだったんだ……教えてくれてありがとう」
「構いませんよ。代わりに……貴女のことを聞かせてください」
彼女は去年から今に至るまでの経緯を伝えると、神宮寺はそれを一言一句聞き逃さず、ただ静かに聞き入れていた。
「……なるほど、分かりました。しかし一つ指摘させて頂きましょう」
「う……なにかな」
(周りに流されるなんて軟弱だー、とかかな……?)
「貴女は私のおかげでもう一度野球に向き合えたと言いましたが……私はあくまできっかけを作っただけですよ」
「え……どういうこと?」
「以前の貴女は野球をやめる理由を探していたのです。けれど今の貴女は野球を続ける理由を探しに来てくれた……その選択をしたのは紛れもなく貴女自身の意思ですよ」
「選んだのは……私?」
「はい。周りから影響を受けても受けていなくても、最後に道を決めるのは自分自身なのです。その道は誰のものでもない、己の道ですからね」
「あ……」
「その上で貴女に問いましょう。貴女は私たちの一員として共に名門清城の復活を目指す、戦友となってくれますか?」
「……よろしくお願いします!」
彼女はその問いの答えを自分で選択してはっきり答えると、バックネット裏から回り込んでグラウンドに足を踏み入れ、清城野球部の一員となったのだった。
(結局ブランクがたたって、夏大会だと早い段階から動き出してた皆に追いつけなくてスタメン入り出来なかった……まあ、当然だよねぇ)
地面をならし終えた彼女は高坂の全体像をぼおっと見るようにしながらバットを構えた。
(その分この大会では暴れまくっちゃうもんね!)
(気合い入れても無駄よ。打たせるわけ……ないでしょ!)
クイックモーションから投じられたストレートが膝下へと投じられると、見送られてストライクのコールが上げられた。
(速っ! けど、なんだかなぁ。回転が思ったよりごちゃごちゃしてる)
2球目が投じられると今度は先ほどより厳しい四隅を狙ったストレートだった。際どいボールにバッターはバットを振り出すことが出来ず、このボールも見送った。
「……ストライク!」
(得意の外に全然投げてくれないし……コントロールえげつないし。でも数少ないチャンスだ。そう簡単に打ち取られはしないよぉ。この人だって一試合ずっとコントロールが完璧なわけじゃないはず。厳しいボールに無理に手を出すよりは……稀に来るかもしれない甘いボールを仕留めるのが大事だよね)
(椿、次はこっちだからね)
(分かってる。これで三振よ)
3球目がアウトハイへと投じられるとこのボールに反応してバットが振り出されようとした。
(え……これ、さっきのと違う!)
振り出そうとしたバットが慌てて止められ、ボールが見送られると高めに外れたストレートにボールの判定が出された。
「スイング!」
「……ノースイング!」
キャッチャーがスイングの主張をして一塁審判に確認が行われたが、ノースイングの判定が出されてカウントは1ボール2ストライクとなった。
(おかしいな……さっきまでのストレートと感じたスピードはおんなじぐらいだったのに、3球目はきれーなスピンがかかってた。なんか変……)
(見送ったのは偶然か? でも、ちょっと気味が悪いな……椿)
(しょーがないわねぇ。ピンチだし、良いんじゃない)
牧野の方に視線を一度送ってから4球目が投じられると真ん中低めへとボールは向かっていた。
(えっ。今度は横方向に凄いギュルギュルって……これは、まさか……!)
とっさに振り出したバットの軌道が内側に修正されていくと、ボールも膝下へと切れ込むように曲がっていった。
「ストライク! バッターアウト!」
(シュート……! ダメだぁ。全然当たんなかった……)
鋭い切れ味のシュートが振り出したバットよりさらに内側を通り抜けてキャッチャーミットに収まり、空振り三振によって3つ目のアウトが成立した。
(へぇ。反応するだけ上出来ね。ま、上出来じゃ意味はないけどね……)
「みんなごめーん。打てなかったぁ……」
「二塁から見てたけど、甘いコースには一球も来てなかったよ。切り替えて!」
「花、ありがとね。……そうだ。ちょっとあの人のピッチング違和感あったから、この回の守備終わったら話すね」
「違和感ですか……分かりました。後で聞かせて頂きます。ですがチャンスやピンチの後は自ずと試合が動きやすいものです。まずはこの回の守備に集中しましょう」
「了解!」
チャンスを逃した清城だったが気を落とすことなく守備につくと、3回の表が始まり八番打者が右打席へと入っていた。
「ねえ、ことねー! 何描いてるのー?」
「まだ見ちゃダメだよぉ。完成してないものを人に見せるのは恥ずかしいんだから」
「じゃあ見ないから教えてー」
「え〜……そうだなぁ。テーマは『大海原と深海』のコントラストだよ」
「コントラスト?」
「コントラストっていうのは対比のことで……例えば白い紙に黒い丸が一つ描いてあると黒い丸に自然と目が行くんだけど、これは黒と白のコントラストが強いからなんだよぉ」
「ん〜?」
「黒と白は白が明るい分、暗い黒がくっきり映るってことじゃないかな?」
「おおー。なるほどー!」
河北の補足で秋乃が納得しているとこの会話に宇喜多が二つの疑問を抱いていた。
(なんで野球を見て大海原と深海が出てくるんだろう……? それにどっちも同じ海だから、対比も出来ないような……)
「あの、天草さ——」
——キィィィン。宇喜多が天草に質問しようとした瞬間、神宮寺が投じたアウトコース低めのストレートに対して初球打ちを敢行した八番バッターの打球が神宮寺の足元を抜けていくとその勢いのまま二遊間も抜けていき、センター前ヒットで出塁していた。
「今度はこっちの番ね」
「椿、もう少し休んでなって」
ネクストサークルへと向かおうとするキャッチャーが早めに準備を進めようとする高坂を休ませるべく声をかける。
「球筋もさっきの打席でよく見れたし、ちゃんと繋いであげるから、アンタは少しでも体力温存しておきなさい」
「仮にもアタシの女房役なら点取ってきてやるくらい言いなさいよ」
「こ、細かいなあ……」
「ふん。普段の仕返しよ」
「分かった。取ってきてあげるから、ちゃんと休んでなよ」
しっかり高坂を休ませた後、彼女がネクストサークルに座るとバントの構えを取っていた九番バッターが警戒されている中、勢いを殺したバントをファーストの前へと転がし、送りバントを成功させて1アウトランナー二塁となっていた。
(さて、そろそろ点取ってやらないと本格的に気分悪くしそうだし……一打席目のように見ていかず、本来のアタシの持ち味である積極的なバッティングを見せてやりますか!)
この試合向月は初めて得点圏にランナーが進み、右打席に一番バッターが入っていく。ここから二巡目の攻撃であることを神宮寺は肝に銘じると牧野の出したサインに頷き、ボールを投じたのだった。