皆で綴る物語   作:ゾネサー

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ありのままの貴女をさらけ出して

「はあっ、はあっ……。野崎さん、待ってください……!」

 

「こ、近藤さん……!? どうしてここに……」

 

 スタンドから出ていった野崎が立ち止まって左右を見渡していると、追いついた近藤が声をかけた。その声でようやく近藤が自分を追っていたことに気づいた野崎は驚いた様子で振り返る。

 

「私たちのいた清城側とは逆側のスタンドにお手洗いに行くと言ったあなたの姿が見えたので、迷ったのかと思い迎えにきたんです。その間に下に降りていたあなたに気づいたところで急に走り出したので、それを追いかけて……」

 

「そうだったんですか……」

 

「何かあったんですか?」

 

「えっと、ですね……」

 

(……走り出す前、野崎さんが下に降りてから向月の誰かと話していた。あれは……うん、恐らく……)

 

 慌てた様子でその先を言い淀む野崎を見て近藤は先程遠くから目にした出来事を思い出すと、記憶に残っていた支えられた選手の帽子からはみ出るような金髪のツインテールから話していた人物を察した。

 

「高坂さん、ですか?」

 

「……! あ……はい。そうなんです。最後のプレーで一塁に投げた後に肘を押さえていたので心配になって……」

 

(肘を押さえてたんだ……気づかなかった。スタンドから距離もあったし、その時は二塁ランナーの牧野さんがホームに突っこんでいくのに目を奪われていたもの)

 

「よく気付きましたね……」

 

「その、偶然……ですよ」

 

(偶然……? そうは思えない。それに高坂さんがデッドボールを出したタイミングでお手洗いに向かったのも引っかかる。誰だって試合の結末が気になるところなのに。試合が終わると混んでしまうという理由で一度納得はしたけど……あっ)

 

「……もしかして本当は最初から高坂さんが心配で、向月側のスタンドに向かったんじゃないですか?」

 

「うっ……!」

 

 近藤の指摘に図星を突かれた野崎は思わず緊張した表情と共に言葉を詰まらせた。

 

(その通りです……。私は高坂さんの投げるボールの精度を目の前で見せられて知っていたから、あのデッドボールに違和感がありました。そして……今更、気付いてしまったんです。私たちがよく会う高架下、その上にある駅が……総合病院前であることを)

 

「……野崎さん。私、この前美奈子や加奈ちゃんと一緒に見てしまったんです。あなたが高坂さんに向月に誘われているところを」

 

「えっ……!? 見ていたんですか……」

 

「こっそり覗く形になってごめんなさい。あなたが全国No.1(ナンバーワン)ピッチャーと呼ばれる高坂さんと一緒にいるのに驚いてしまって……」

 

「いえ……私も高坂さんと特訓していたことを隠していましたから、無理もないと思いますよ」

 

「そう言ってもらえると助かります。ですが……聞かせて下さい。その件や先程のことといい……どうして高坂さんとの繋がりを隠しているんですか?」

 

(そういえば……あの二つの出来事は近藤さんが入部する前のことでしたね)

 

 高坂への心配を見抜かれ、向月への勧誘を見られていたことを知った野崎はそれらを隠していた理由を止まっていた足を動かしながら近藤に伝え始める。彼女がまず最初に話したのは初めての練習試合から少し経った頃に河北が神宮寺と特訓を始めていたことが判明し、それを知った翼と一時期仲違いしてしまった件だった。

 

「その時、私も他の皆さんも気が気でなくて……二人の仲違いも長引いたこともあって、結構な大事になってしまったんです」

 

「そういった心配を今回の高坂さんの特訓でも起こさないように秘密にしていたということですか……。ですが今も河北さんと神宮寺さんの特訓は続けられていて、皆受け入れているんですよね」

 

「はい」

 

「でしたら下手に隠すよりは指導を受けていることを素直に話した方が良いのではないでしょうか?」

 

「そうしたいところだったのですが……。実は私たち夏大会前に向月の三軍と練習試合を行なっているんです。その時の高坂さんの言動はお世辞にも礼儀正しいものとは言えなくて……特に——」

 

 歩きながら次に話されたのは翼が差し出した握手を無視したことを始めとする高坂の傍若無人な振る舞いの数々だった。

 

「確かにそこまで失礼な印象が強いと、まず野崎さんの指導をしていることを信じてもらえなさそうですね。あるいは何か裏があると勘繰られてしまうかも。……正直なところ、私も半信半疑です。実際に引き抜こうとしているのを目の当たりにしているので」

 

「あれは……本心では無かったと思います。いつもは自信に満ちて堂々としているのに、あの時だけは高坂さんらしくなかったといいますか……余裕が無かったように感じました。それに投球フォーム改善を始めとした彼女の指導は真摯なもので、私は高坂さんに……心から感謝しています」

 

「……そっか。私は彼女のこと詳しくないけど、あなたがそう言うのであれば信じます」

 

「ありがとうございます……!」

 

「それに皆に言えなかった理由も納得。その練習試合の時にいなかった私でもこんな感じだし、あんまり良い印象持ってない皆に打ち明けるのは確かに得策じゃないかもね」

 

「はい……。なので勧誘の件は内緒でお願いします」

 

「勿論。元々勧誘の話は無闇に話すことじゃないと思って二人にも秘密にするように言っておいたので大丈夫ですよ。……ところで、今どこへ向かっているんですか?」

 

「高坂さんが心配なので彼女に直接会いに行こうと思います。ただ選手用入り口は第4試合の私たちはまだ入れないので、出て来るところへ——」

 

 開幕試合が終わり第2試合に向けてグラウンドの整備等が行われ始める中、所用を済ませようとする観客の人混みを縫うように彼女たちはその歩みを進めていった。

 

「よく逆転したな!」

 

「良い試合だったぞ!」

 

「ありがとうございます。序盤から投げていた高速スライダーが後半見極められてしまった紅白戦、あれがあったからこそ今日のピッチングに繋げることが出来ました。……ん?」

 

(あれは……里ヶ浜の………)

 

 球場の外へと出て行った神宮寺が部員と共に興奮冷めやらぬ様子の男子野球部に祝われていると、その目に周りを見渡すようにして歩く野崎と近藤が映っていた。

 

「清城の皆さんがいるということは……」

 

「向月も出てきているはずですね。……あっ! 野崎さん、あそこです」

 

 近藤が指差した先には向月のユニフォームを纏った部員たちの姿があり、野崎は見つけたことによる安堵感で表情が和らいだが、その中に高坂の姿が見えないことに気づき眉を曇らせた。

 

「いませんね……まだ出てきていないんでしょうか?」

 

「どうなんでしょう……。誰かに聞いて……と言っても」

 

 高坂不在の理由を知っているであろう向月の部員にその事情を聞きたい野崎だったが、消沈している彼女たちに話しかけるのは(はばか)られた。

 

「確か向月はここ一年準優勝続き。初戦で負けることのショックは計り知れないものがあるでしょうね……」

 

「ええ……。それに心配で来てしまいましたが、高坂さんの肘のことも部外者の私たちに触れて欲しいことではないと思いますし……。近藤さん。ここまでついて来てもらって申し訳ないですが、このまま高坂さんが出てこなかったら……」

 

「それが良いと思うわ」

 

 足を止めて振り向いた野崎に近藤も頷くと二人は話しかけるのを諦めて柱に寄り、高坂が出て来るのを待った。それからしばらく時が流れたが高坂が出てくる気配は一向に無く、荷物を纏めた向月の部員が次々とバスに向かって歩き出す。それを見た二人がこの場から離れようとした瞬間だった。

 

「……! ……先に行っといてもらえる?」

 

「えっ? う、うん……」

 

 向月の部員の一人がバスに向かう皆に従うように下に向けていた顔を仕方なさそうに上げると目を皿のようにして驚き、断りを入れてからその列を離れて二人のもとへと向かってきていた。それに気づいた二人が足を止めると、野崎の方も何かに気づいたように目を見開いた。

 

「あ……。あなたは高坂さんを支えていたキャッチャーの……」

 

「ん、そっか。そっちからも見えてるよね。アンタが椿がコーチしていたっていう里ヶ浜の野崎さん?」

 

「はい。そうです」

 

 試合が終わった後、高坂を支えていた彼女は向月ベンチの上まで降りてきて心配の声をかけた野崎の姿を見ていた。その野崎が球場の外までわざわざ来ていた理由を察した彼女は野崎のもとまで歩くと、メモ帳を取り出して何かを書き始めながら話を続ける。

 

「椿はもうここにはいないよ。さっき部長の車で近くの病院まで連れてかれた」

 

「……! そうだったんですか……。あのっ、高坂さんの容態は……」

 

「正確なのは診断の結果待ちだけど……。椿はね、痛くても相手に弱みを見せないために隠す性格なんだ。その椿が隠す余裕も無かった……。最悪……いや、そんなことにはなって欲しくないけど。本当に最悪の場合は……ピッチャーが出来なくなるかもしれない」

 

「えっ……! そんな……」

 

 震える声で告げられた言葉に野崎はショックを受ける。しかしショックを受けていたのは野崎や近藤だけでなく、目の前でユニフォームの袖で零れるものを拭う彼女自身もだった。

 

「どうすれば良かったのかな……。違和感はあったんだ。けど椿は大丈夫って……そう伝えてきた。アタシはそれを信じた、のに。……いや、違うか……。信じるだけで……何もしてあげられなかった」

 

「…………」

 

 口から止め処なく溢れ出るように言葉が出てくる彼女に二人ともかける言葉を失っていた。

 

「……ごめんね。アンタたちに聞くようなことじゃないよね」

 

「いえ……確かにどうすれば良かったとは軽々しく言うことは出来ませんが、聞くことで少しでも楽になるのなら構いませんよ」

 

「……ありがと」

 

 自嘲するように笑う彼女の言葉に野崎はその裏にある気持ちを汲み取って言葉をかけると、彼女はほんの少しだけ自然に笑い礼を言った。

 

「あぁ……似てるなあ」

 

「……? 誰に……でしょうか」

 

「アタシと椿と同じボーイズリーグ出身で、一緒に向月入りした子。ちょっと引っ込み思案だけど、芯の強い子でね。コントロールの良いピッチャーだったんだけど……この前の夏大会を最後に投手生命を断たれちゃったんだ」

 

「そ、そうなんですか……」

 

(そういえば高坂さんが最初はコントロールが酷かったという話をしてくれた時に、同じ時期に始めたコントロールの良いピッチャーに対抗するように練習したということを言っていたような……)

 

「その方は今……?」

 

「向月には残ってるんだけど……ピッチャーが出来ない以上野球は続けられないって野球部を辞めちゃったんだ」

 

「それは……残念ですね。しかも今度は高坂さんまでなんて……」

 

「うん……。大丈夫……だと思いたいんだけどね。こればかりはもう、祈るしか出来ないよ」

 

「私たちも無事を祈ります」

 

「ありがと。……よし、出来た」

 

 彼女はメモ帳から一切れの紙を千切ると野崎にそれを手渡した。

 

「これは……」

 

「心配だから向かう病院聞いておいたんだ。これはその病院の最寄駅からの地図。もし良かったらだけど……会いに行ってあげてくれないかな」

 

「はい!」

 

 その紙を野崎が受け取ると遠くから向月の部員の呼ぶ声が聞こえてくる。

 

「じゃあね」

 

「わざわざありがとうございました……!」

 

 その呼び声に応えるように彼女は別れを告げて去っていくと、最後の一人としてバスに乗り込んでいった。

 

「本当に無事だと良いですね」

 

「ええ……」

 

「……野崎さん。分かっているとは思いますが、今日高坂さんに会いにいくのは難しいと思います」

 

「そう……ですよね。高坂さんの方も処置や診断などで忙しいでしょうし、私たちも試合がありますから……」

 

「今日の試合を勝って……明日、伺わせていただきましょう」

 

「……はい!」

 

 紙を丁寧にたたんでポケットにしまった野崎はその指に少し湿り気を感じながら力強く返事をすると近藤と共に球場に入り直し、スタンドへと向かっていった。

 

「……! えっ……!?」

 

「ぜ、0対9……!?」

 

 第2試合、さきがけ女子高校対界皇高校。試合は既に4回の裏まで進んでおり、界皇高校の攻撃は2アウトランナー満塁で打席には3巡目の8番打者が入っていた。スタンドに足を踏み入れた二人は驚きながら里ヶ浜の皆のもとに戻った。

 

「……随分遅かったわね」

 

「すいません……」

 

「私も迷ってしまって……」

 

「えー? 珍しいね。咲、記憶力いいしあんまり迷ったりしないのに」

 

「そ、それより……試合ちゃんと見れてなかったんですが、どうなってるんですか? 4回なのにもう9点入ってるなんて……」

 

「初回の界皇の攻撃で4番に入ったキャプテンの草刈レナが放った満塁ホームランで試合の流れを一気に持っていったわ。その後も動揺したさきがけの四球やエラーもあって初回一挙6得点。それから2回3回と1点ずつ入れられ、4回も既に1得点……」

 

「それでさー。咲、コールドって知ってる? 冷たい方じゃないよ」

 

「ええ……。スコアブックの勉強をする時に調べたわ。確か一定以上の点差がついた時や、天候が悪化して試合が続けられなかった時に規定のイニング数に達していた場合、その時点で試合を終了させるのがコールドゲームだよね」

 

「おー。さっき東雲がしてくれた解説とぴったし同じだ!」

 

「確かこの大会だと4回から10点差以上、6回から7点差以上の差がついた時にコールドゲームが……あっ!」

 

 近藤が声を上げると同時に金属音がグラウンドに響き渡り皆の視線がそちらへと向いた。打球は一二塁間へとスピードを乗せて転がっていく。

 

(よし! これでコールド……!?)

 

(やだっ! 折角、ギリギリスタメン入り出来たんだ……。それがこのまま終わるなんて……絶対に……!)

 

 さきがけ女子高校キャプテンを務めるファーストの芹澤(せりざわ)(むすび)がこの打球に懸命に食らいつくと深い位置で打球を前に落としていた。慌てた様子でそれを拾い上げ一塁ベースカバーに入るピッチャーに向かって送球が行われると、ランナーも一塁ベースを駆け抜け、判定が下された。

 

「……アウト!」

 

(くっ……粘られたか)

 

(よ……よしっ。生き延びた……!)

 

 辛うじて一塁ランナーをアウトに出来たことで3アウトチェンジ。この回でのコールド負けを回避したさきがけの部員がベンチに戻ってくる。

 

「結ー! 良く止めたよー」

 

「えっへへ。褒めなさい褒めなさい」

 

「けどさー。界皇マジやばいね」

 

「打球のスピードもめっちゃ速いしね。あたし、良く止めた! えらい!」

 

「えらい!」

 

「……二人とも現実逃避はそこら辺にしとこっか」

 

「うん……で、どうしよっか」

 

 芹澤たちは9点差の状況から目を背けるように空元気を振る舞ってはみたものの、4回も1点を追加されたことに変わりはなく、なんとかこの回のコールド負けを回避したが、お先真っ暗というのが彼女たちの正直な心情だった。

 

「少しでも還していくしかないんじゃない? 得点圏にランナー進められてないけど一応ここまでヒット3つ打ててるし……」

 

「そうだねー。なんとかまず1点入れよう」

 

「うーん。でもここから相手が無失点だとしても、6回には7点差以上でコールドだから……えっと、あたし達は避けるために2点必要なのかな?」

 

「3点ね……。結、あなたいつまで以上とより大きいの違いを間違えてるの……」

 

「ありゃ、そうだった。今のは言い間違い! まず5、6回で3点返そう!」

 

 高笑いをしてみる芹澤だったが、ここまで界皇に圧倒されていた彼女たちには3得点も現実的な数字には思えず、仮に返せたとしても、最終的には合わせて9得点を返しきるようなビジョンは見えていなかった。するとそこにスタンドから声援が飛ばされる。

 

「さきがけー! 良くあの打球を止めたぞー!」

 

「少しずつ守備のリズムも良くなってきてる! 今度は攻撃だー!」

 

 さきがけの部員が頭上から飛ばされるような声援を不思議そうに見上げ、芹澤もそれに驚いていた。

 

「応援団がいないあたし達に応援が……? ……! そっか! これだよ! これ!」

 

「どうしたの結?」

 

「あたし気づいたんだ! まだあたしたちが大番狂わせを起こすチャンスがあるってことに」

 

「ええっ!? どういうこと?」

 

「相手は夏大会優勝校の界皇で、あたしたちの部はまだ歴史が浅いし試合も一回戦負けばかり。つまりあたしたちは悔しいけど、分かりやすく格下。そしてさっきの第一試合……名門向月を、同じく格下の清城が下した。……観客は期待してるんだよ! 2戦続けての……ジャイアントキリングを!」

 

「……! そっか。本当に私たちが点を返していければ……!」

 

「観客はあたしたちの味方! そうなれば、止まらない流れが界皇を飲み込んでくれるかも!」

 

「おおっ! それなら……もしかするともしかするかも。気合い入ってきた! ……え」

 

「どしたの?」

 

「あれ……」

 

 おぼろげな形ながら可能性がゼロではないことを力強くアピールする芹澤に乗せられるようにさきがけの士気が高まり、得点への気持ちが募っていく。しかし、積もっていく塵を吹き飛ばすような選手交代が行われていた。

 

「ピッチャー交代!? しかもエースの鎌部がマウンドに……!?」

 

 その選手交代が行われる前、界皇ベンチではこのようなやり取りが行われていた。

 

「んー。向月があんな負け方したから気合い入れたんだけどなー。楽勝って感じー」

 

「気合い入れる必要なかったとよー。……あっ。鎌部先輩! 肩作るのはもう良いん?」

 

「出番なさそうだから戻ってきたんですけど。早いとこコールド決めて欲しいんですけど」

 

 楽勝ペースの試合に緊張感も薄れ、談笑がベンチを渦巻いていた。その現状を見た監督が言葉を発しようとする前に、この回敬遠で歩かされていたレナが戻ってくる。

 

「随分、余裕そうですね?」

 

「余裕ありまくりなんですけど」

 

「そうですね。客観的に見て、状況はこちらの圧倒的優位です。しかしランナーも出されていますし、どういう形であれここまで12個のアウトを取られている。そして私たちはまだ勝利したわけではない……」

 

「………」

 

「余裕を持つのも、自信を持つのも良いでしょう。しかし、慢心を抱いて相手を舐めるのはやめなさい。……見苦しい」

 

「……すいませんでした」

 

「うん。分かれば良いのよ」

 

 談笑していた一年の相良(さがら)や大和田、二年の鎌部が頭を下げると指摘と共に厳しい表情を浮かべたレナはすぐに表情を和らげた。

 

「監督」

 

「なーに?」

 

「“王者”界皇として迎えた、三年生抜きの初公式戦。春夏、そして……秋と三連覇を狙う私たちにとって、この初戦は重要なものです。だから……示させてください。全ての相手校に、変わりなき王者の強さを!」

 

「……分かったわ。ただその代わり……この回で決めてね?」

 

「ええ。皆さんも異存はないですね?」

 

「はい!」

 

 キャプテンの指摘で引き締められた緊張感が次の二回戦で先発予定の鎌部を登板させることでさらに高まっていくと、鎌部は真剣な面持ちでマウンドにそびえ立っていた。やがて投球姿勢に入り、その右腕からボールがリリースされる。

 

(藤原先輩の分も私はエースナンバーを背負っていかなきゃいけないのに、気を抜いてしまったんですけど……。恥ずかしいんですけど。キャプテンの言う通り私たち界皇が目指すのは常に……!)

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(カーブ……! しまった。外れてた……!)

 

(圧倒的な勝利なんですけど……!)

 

 インコースのストレートを意識した7番バッターがアウトローへのカーブで空振り三振に取られると、同じく右打席に入った8番バッターがインコースのストレートを狙ってスイングする。

 

(ん……!? 芯を外れ……げっ、シュートだったか!?)

 

「アウト!」

 

 ストライクからボールゾーンに曲がるシュートを振らされサードゴロでランナーが出ずに早くも2アウト。右打席には9番バッターの芹澤が入ってくる。

 

(うぐぐ……容赦ないなぁ。でもあたしが繋げれば上位に打順回るし……なんとかするしかない!)

 

 芹澤がヘルメットを片手で押さえるようにして頭を抱えると薄い赤色の髪が揺れる。やがて覚悟を決めた彼女がバットを構えるとボールが投じられた。

 

(ストレート……当たれっ!)

 

 アウトコース低めに投じられたストレートにバットが振り出されると掠ったように当たったファウルチップがキャッチャーミットに収まった。

 

「ストライク!」

 

(あ、当たったー……! めっちゃ速いけど、あたしでも当てられるんだ! よーし……!)

 

(このバッター、ポテンヒットとはいえ1打席目でストレートをセンター前に運んでるからな……慎重に行くか)

 

 2球目が投じられるとコースは再びアウトコースの低め。先ほどより遠く離れたボールが見送られると、変化せずそのままキャッチャーミットに突き刺さるように捕球された。

 

「ボール!」

 

(よーしよしよし。見えてる。あたしはこのストレートを見えてるんだ。だから打てる! 頑張れーあたし!)

 

(バットは振らなかったけどストレートのタイミングで踏み込んできたな。狙いは単純にストレートか。シュートで……でもさっき鎌部より遅いストレートをバットの先で打ってるしな。変に合ったら嫌だし……)

 

(……了解なんですけど)

 

 サインに頷いた鎌部が投じた3球目はカーブ。内のボールゾーンからからストライクゾーンへと弧を描いて曲がってくるこのボールに芹澤の足は完全に止まってしまっていた。

 

「ストライク!」

 

(たぁー……。それは、きっつい。コースも四隅とまでいかないけど、めっちゃしっかり投げ分けてきてるじゃん。でもなー……カーブもストレートも全部対応するってのはちょっと難しいし、ここはストレートに絞るしかない!)

 

 そして4球目が投じられると、コースは真ん中低めへと向かっていた。

 

(……ストレート! いけっ……!)

 

 速く感じるこのボールに芹澤のバットが振り出されるとその下をボールが潜り、ホームベースにワンバウンドしてからキャッチャーミットに収まった。

 

「ストライク!」

 

(なっ……ボールが消えた!? え……)

 

 視界から消えたように感じた芹澤を振り逃げさせないようキャッチャーミットが彼女に触れ、そのことに芹澤が驚いていると正式に3アウト目が成立していた。

 

(これが王者界皇のエース、鎌部千秋。やれるだけやったけど……完敗だなぁ……)

 

 リリーフから堂々の三者凡退でベンチへと帰っていく鎌部の背中を見て実力の差を見せつけられたような感覚を覚えながら芹澤がベンチへと戻っていく。

 そして5回の裏、界皇の攻撃。9番バッターとして打席に入った鎌部が2回からリリーフしているさきがけのピッチャーの浮いたストレートを捉えるとレフト前ヒットで出塁していた。

 

(打球も速……。ホントにこの人、ピッチャー……?)

 

(大和田、相良……後は頼んだんですけど)

 

(任せるけん!)

 

 ノーアウトランナー一塁。牽制に備えて芹澤は一塁に寄りながら、打席でも結果を残した鎌部に畏怖を感じていると、バントの構えを取っていた1番打者の大和田がボールがリリースされた瞬間ヒッティングに切り替え、さらに鎌部もスタートを切っていた。

 

(バスターエンドラン!?)

 

 打ち上げさせようと真ん中高めに投じられたストレートを手首を早めに返すようにして大和田はゴロで打ち返す。すると打球は一二塁間に転がっていき、そのボールに食らいつくように芹澤は飛びついた。

 

(うっ……!)

 

 しかしその飛びついた先を打球が抜けていくとライト前ヒットになり鎌部は二塁ベースを蹴って三塁まで到達し、打った大和田自身も一塁ベースを回ったところでベースに戻っていった。

 

(下位も十分速いのに……上位は打球のスピードが段違いすぎる。一体どんだけ練習すればあんな打球を……)

 

(さあ、後は頼んだとよ?)

 

(さきがけは1点取られた時点で終わり。だから思い切って満塁策って手はないわけじゃない。けどクリーンナップを後ろに控えてそれは厳しいでしょ……)

 

 さきがけの守備のタイムが終わり、2番の相良がその間に状況を分析して打席に入ると、さきがけは内野・外野を共に前進させてくる。

 

(だよねー。……夏大会から大和田と一緒に1番2番を任せてもらって優勝出来たからって、ちょっと調子乗り過ぎたかなー。ゴールデンルーキーって言われてちやほやされて、有頂天って感じだったし。でも夏は後ろに二・三年生がいて伸び伸びやらせてもらえたけど、秋も甘えっぱなしってわけにはいかないか。むしろあたしたち一年生コンビが……)

 

 低めの際どいところにストレートが続けられ2ボール0ストライク。三度(みたび)低めに投じられたボールがストライクゾーンに入ると感じた相良がこのボールをすくうように打ち上げた。

 

(このチームを引っ張っていく……!)

 

「……! ライト……!」

 

 芹澤が見上げる先を打球が越えていくと打ち上げられた打球に対し、ライトは下がりながらそれを捕球しにいく。サードランナーの鎌部は三塁ベースに触れながら、その打球の行方を見守っていた。

 

(外野の定位置からさらに後ろくらいに落ちる……さすがなんですけど。還るには十分……いや、十分過ぎるくらいなんですけど)

 

 打球が落ちてくるとなおも後ろ向きのライトが飛びついてミットを伸ばす先をボールがバウンドし、外野にボールが点々と転がっていく。やがてフェンスに跳ね返ったボールを拾ったセンターが見たのはホームベースを余裕を持って踏んだ鎌部と呆然と立ち尽くす他の部員の姿だった。

 

「礼!」

 

「「ありがとうございました!」」

 

 ライトオーバーのタイムリーヒットにより10点差、5回コールドが成立していた。0-10で界皇高校の勝利が告げられ、互いの挨拶がグラウンド上に交差する。

 

(ははは……強いなぁ。これが界皇。あたしたちじゃ歯が立たなかったな……)

 

「芹澤さん。少しいい?」

 

「ひゃいっ!? 草刈レナ……さん!? な、なななっ、なんですか!?」

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。キャプテンとしてちょっと話したいことがあってね」

 

「あたしにですか……?」

 

「ええ」

 

(目の前で見ると凄い威圧感……な、なに言われるんだろ)

 

 品格が漂う草刈を前に芹澤が緊張した面持ちでいると、草刈は破顔してプレー中は見せなかった明るい笑みを浮かべていた。

 

「初回6得点……あれはそちらにとってはモチベーションが落ちても仕方ないような始まりだったと思うの。けど、動揺があった初回と比べて2回からの守備は集中が保たれていて……一体どんな魔法を使ったの?」

 

「いやー、魔法なんて大層なものじゃないですよ。元々実力差のある相手だと思っていたので、開き直ってぶつかっていこう! って言っただけです。実力で負けてるあたしたちにあるのなんて、ガッツくらいですから」

 

「なるほど……素晴らしいことだと思うわ。点差が開き続ける中、尚も全力を尽くすというのは口で言うほど簡単なことではないもの。けどね……私はこの試合、貴女達のプレーに確かな基礎トレーニングの積み重ねを感じたわ」

 

「いやー、そんなそんな。あたしたちなんて大したことないですよ」

 

 しかしその笑みが優しげなものからやがて悲しげなものへと変化していくと、レナは意を決して伝えた。

 

「お節介かもしれないけど……一つだけ貴女に忠告をさせて」

 

「な、なんですか?」

 

「過ぎた自信というのは慢心を生み出す……私たちは今日の試合その慢心に溺れかけたわ。しかし、過ぎた謙虚というのは自虐を生み出すわ。どちらも己の成長を妨げてしまうもの。どうか自分たちの実力を見誤らずに、これからも貴女たちの野球を貫いてね」

 

「……あ、ありがとうございます。頑張ります!」

 

 差し出した右手を慌てて両手で包むように握りながら緊張していた表情を崩して元気の良い返事を返す芹澤にレナは安堵したように頷いていた。

 こうして第2試合の幕が閉じられると続く第3試合が始まろうとしていた。

 

「皆の心にー?」

 

「タッチアーーップ!!」

 

「ありがとー! みんなありがとー! 今日はいつものアイドルグループ『タッチアップ』のメンバーとしてじゃなく、真剣に野球をするために集まりました! まずは一回戦! 夏大会はここでつまずいちゃったから、まず今日の試合を一生懸命頑張ります!」

 

 試合が始まる少し前、大咲みよは自チーム側のスタンド前で応援に来たファンに声をかけていた。するとスタッフからOKのジェスチャー出て、映像を流すカメラがスタンドにいる別のカメラへと移っていき、応援に来たファンへの取材を流していた。

 

「ふぅ。後は……みんなー! 配ったしおりはちゃんと読んだかな? 念のため確認ね。相手の攻撃の時は拍手や声で応援してね! 楽器での応援はこっちの攻撃の時に——」

 

「大変ねー。試合の準備と並行してテレビの撮影なんて」

 

「でもみよちゃんらしいと思います。女子野球のことを知ってもらうためにはリアルタイムで試合を見てもらうのが一番だって、色々無理して明條が出る試合は生放送をしてもらえるように交渉したみたいですよ」

 

「……それなら一つでも多く勝ち進まないとね」

 

「あ、先輩!」

 

 その様子を明條ベンチからキャプテンや友人が見つめていると先ほど大咲と共にインタビューを受けていたモデルも務めているエースがベンチへと戻ってきていた。

 

「おかえりなさい♪」

 

「ちょ、ひっつかないで……」

 

「あっはは。随分気に入られたね」

 

 灰色の髪を揺らして腕に抱きついてくる後輩にエースが困惑していると、それを見たキャプテンがにやにやと笑っていた。

 

「何その変な顔……」

 

「酷ーい。傷ついたー」

 

「はいはい」

 

 傷ついた演技をするキャプテンを軽くあしらうと右腕に重みを感じながらスタンドに視線を向けた。

 

(高波高校……アタシたちが勝ち上がって次の第4試合であいつらが勝てば夏の雪辱を果たせる。それにこの試合、エースとして任されたのに4失点したあの試合のリベンジでもある。任されたイニングは絶対0に抑えてみせる……!)

 

 すると大咲に呼ばれて右腕にくっついていた彼女が離れていくと、その横にさりげなくキャプテンが近づいてくる。

 

「本当に良かったと思ってるのよ」

 

「ん? ああ……あの子のことか」

 

「あの子のことも、あなたのことも。あの子はベンチから外れた夏大会からいきなりスタメンになったから緊張していたみたいだけど、秋大会のメンバー発表で背番号9を貰ったあたりからようやく落ち着いたみたい」

 

「そうね。確かにそれは良かったわ」

 

 エースはベンチ入りして間もない彼女から恐れ多いような目で見られていた時と今の差をよく感じ取っており、それが彼女がようやくチームに馴染めた証だということに気づいていたため、多少馴れ馴れしい接し方をされても許容していた。

 

「あなたは……ねー。言った通りだったでしょ?」

 

「……そうだけど……顔がムカつく」

 

「それはどうしようもないなー」

 

 橙髪をかきあげながらエースの方を見つめてこれみよがしにドヤ顔を見せつけてくるキャプテンにため息をつきながら、前に言われたことを思い出す。

 

「あの子はさ、ちょっと臆病なところがあるから。悪気があったわけじゃないと思うの。まだベンチ入りして間もなくてあなたに慣れてないみたいだし、許してあげてね」

 

「大丈夫。私も皆も上辺だけじゃない……あなたの良いところも悪いところも全部を見てるよ。ピッチャーって全員の視界に入るでしょ。だからあの子もきっと、本当のあなたがすぐに分かるよ」

 

(確かに……もう高嶺の花みたいな、そんな接し方はしてこなくなった。最近はむしろ近すぎるくらい……)

 

 キャプテンを背にしてストレートの長い黒髪を境にするようにするとエースはボソッと言葉を漏らした。

 

「まあ、その……ありがとう」

 

 表情を見せずにそう呟いたエースに、キャプテンは目を丸くすると、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「どういたしまして」

 

 試合前の明條の雰囲気は彼女たちに引っ張られるように明るいもので、緊張しすぎるわけでもなく、弛緩しすぎるわけでもなく、明條はちょうどいいバランスでこの試合を迎えていた。やがて試合が開始されると明條は相手高校の鉄壁高校の先発に序盤からタイミングが合っており、良い当たりが続けて出ていた。

 

「……アウト!」

 

(なっ……!? あれを捕った!?)

 

 しかし鉄壁高校の誇る堅守の前に中々ランナーを出せずにいた。4番に入った大咲が右中間の深いところへと放った打球も下り目に位置していたライトが追いつき、その守備範囲に大咲も驚いていた。

 

「あ、草刈キャプテン。お疲れ様です!」

 

「そちらこそお疲れ様」

 

「どうしたんですか? ビデオは私たちに任せても大丈夫ですよ」

 

「うん。それは信頼してる。けどこの試合は見ておきたくて」

 

 さきがけ戦の疲れを癒すべく殆どのメンバーが宿舎へと帰っていく中、レナはこのまま残って試合を見ることを希望して、スタンドでビデオを回している後輩たちのもとへと来ていた。

 

「でもこの2校が3回戦まで勝ち上がってくるとは限りませんよ?」

 

「そうね。でも個人的に……直接見ておきたい選手がいるの」

 

「知り合いですか?」

 

「ううん。私が一方的に知ってるだけね」

 

 後輩たちと話しながら試合の行く末を見守っていると何かに気づいた後輩たちが小声で話し始める。

 

「明條って、確か芸能人を多く輩出しているんだよね」

 

「そーいえば、そうだったね」

 

「もしかして誰かのファンなのかな?」

 

「レナさん綺麗だし、モデル雑誌読んでてファンになったとか?」

 

「……聞いてみようか。……レナさん。知ってる選手って誰のことですか?」

 

「ん、ああ……大咲みよさん。今日4番に入ってる子ね」

 

「そうなんですか……大咲みよって、アイドルだったよね」

 

「妹さんもインドア系の趣味があるって聞くし、レナさんってもしかして隠れアイドルファンだったりするのかな?」

 

 試合に没頭していたレナが顔を上げて返事をするとズレた視線でテレビカメラを捉え、小声で話し込む後輩をよそに視線をグラウンドへと戻していった。

 

(彼女は女子野球の認知度を上げるために、普通にプレーする私たちとは別の角度から世間にアピールしている。それは本当に尊敬すべきことね。そんな彼女の実際のプレー……どんなものかしら)

 

 試合は未だヒットが出ないでいた。それは鉄壁高校の守備に阻まれる明條側の話だけではなく、鉄壁高校の方もヒットを打つことが出来ないでいた。

 

(と、遠い……スローカーブ……くっ!)

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(あ、あそこから入るのか……!?)

 

 先発した左の長身エースの角度のあるストレートに苦戦していた鉄壁高校はさらに独特の軌道で上から落ちてくるようなスローカーブに翻弄され、まともなスイングをさせてもらえていなかった。試合は不気味なまでにお互いヒットが出ないまま4回の表。ストレートに狙いを絞った鉄壁の2巡目の1番打者の打球が三遊間へと放たれると深い位置で捕った大咲が間隔の短いステップで素早く体勢を立て直し一塁へと送球を行った。

 

「……アウト!」

 

「みよ、ナイス」

 

「先輩もナイピです。この回まで頼みますよ!」

 

(あれほど深い位置での捕球、足の速い1番打者……僅かなロスでセーフになってしまう。1歩目も早かったし、スローイングに移るまでの動作も早かった。スイングも良かったけど、良いフィールディングしてるなぁ……)

 

 レナが大咲のフィールディングに好印象を覚えているとここで右の2番打者がアウトコース低め、少し中に甘く入ったストレートを捉えてライト前にポトリと落ちるようなヒットを打ち、ようやく均衡を崩す初ヒットが生まれていた。次のバッターに送りバントを決められ、2アウトランナー二塁。右打席には4番打者が入っていった。するとここでキャッチャーから野手にサインが送られ、守備が全体的に定位置から右方向へとシフトしていき、さらに外野は前に出てきていた。

 

(……アウトコースのボールを打たせたいのか? でもこのピッチャー、角度はあるけどアウトコースのコントロールはそれなりだ。逸ってシュートを引っ掛けないようにして……。……!)

 

 投球に備えていたバッターだったが、ここで牽制球が挟まれ、二塁に入った大咲がランナーにタッチを行ったが、余裕を持ってセーフになる。

 

「先輩! 牽制球ちょっと高いですよー?」

 

「……悪いわね」

 

「バッターには浮かせないで下さいね!」

 

「気をつける」

 

(ん……ショート、声掛けに気を取られすぎて定位置まで戻ってるぞ。セカンドは右に寄ったままだし……単打で還るためにもありがたくリードは広げさせてもらおう)

 

 ピッチャーに声をかけながら歩いていった大咲がボールをピッチャーに投げ返すと、ピッチャーが前を向き、ランナーはショートが急に戻るのを警戒しながらリードを広げていった。

 

「……! バック!」

 

(えっ!)

 

 すると再び牽制球が投じられ、ランナーは虚を突かれた様子で塁へと頭から滑り込み手を伸ばす。

 

(ショートは動いてない! セカンド……いや、右にいるままだよな? カバーが……。……!)

 

 すると今度は低めに投じられた牽制球がミットに収められ、そのミットが伸ばした腕をタッチしにいった。

 

(うそ……せ、センター……!?)

 

「アウト!」

 

 前進守備を取っていたセンターがこの位置まで来ており、ランナーは大きく目を見開く。3アウトになりチェンジとなったが、ショックが大きくすぐには立ち上がれないでいた。

 

「ナイスセンター! みよもナイス演技! 塁からの離れ方がさりげなかった……さすが元天才子役!」

 

「そして今も現役バリバリのアイドルですから。これくらいならお茶の子さいさいです!」

 

「…………ねえ」

 

「ん?」

 

「アタシのこと、信用してないの? アタシが任された4イニング……こんなことしなくても0に抑えてみせたわ」

 

「えっ……」

 

 牽制球でアウトに取ったことで盛り上がる明條だったが、エースだけは不服な顔をしていた。その問いかけと共に詰め寄られたキャプテンは頬を指でかき、参ったような表情を見せる。

 

「……勿論、私も抑えられたと思うよ」

 

「なら……!」

 

「でも、相手を見てみてよ。ただ打てなくてアウトになるより……もしかしたら防げたかもしれない牽制でアウトになるショックの方が大きそうでしょ?」

 

「え……あっ」

 

「ホントだ……」

 

 その言葉に促されるようにエースと大咲はグラウンドに振り返ると、守備に出てきた鉄壁ナインはどこか表情が暗かった。

 

「プロデューサーが一番気をつけるのはね、担当の士気を下げてしまうタブーを避けることなのよ。何をするにも士気って大事でしょ?」

 

「ええ……それは分かりますけど。オーディションに挑むときに、暗い表情なんかしてたら絶対に選ばれませんから」

 

「そう……そのくらい勝負事で勝つには士気は大事よね。相手もこの試合、ヒットを一本も許すものかと高いモチベーションを持っていたからさ……私なりに逆プロデュースしてみたんだ」

 

(……士気を上げるならともかく、相手の士気を下げるなんて……考えたことも無かった)

 

(恐ろしいヤツ……)

 

 大咲がその考えに驚嘆していると、その横で気まずそうな顔を浮かべるエースが頭を下げていた。

 

「そうだったんだ……。ごめん、信用してないのとか言って……」

 

「気にしてないよー。それよりこっちも2巡目。こっから捉えていこう!」

 

 何でもないように振る舞うとキャプテンは防具を外して1番バッターとして右打席に入っていく。

 

(あー……びっくりした。確かにさっき言った考えもあったけど、何よりさっきの策はもしアウトにできなくても、こっちはほとんどノーリスクだし仕掛けて損は無いって感じだったんだよね。……気をつけよう。あの子にとってのタブーは……自分が信用されてないと思う行動なんだ。結構、認めて欲したがりさんだからなぁ……)

 

 エースの剣幕に冷や汗をかいていたキャプテンは息を大きく吐き出し、気を取り直して目の前のピッチャーに集中するのだった。

 

「あんなプレー、わたしたちとの試合じゃ使ってこなかったよね?」

 

「貴女たちの試合ではこの布陣の時にランナーが二塁に一度も出なかったのもあるでしょうね」

 

「あー……そういえばそうだったね」

 

「もしお互い勝ち抜いた時にはこういったトリックプレーに注意する必要があるわね」

 

 新田と東雲が話しているとグラウンドから鋭い金属音が響き、打球は三遊間へと転がっていった。このボールを深い位置で捕球したショートは素早く立ち上がり送球姿勢に移ったがボールを握り直してからの送球となり、ファーストにボールが届いたタイミングは際どいものだった。

 

「……セーフ!」

 

(決して大きなロスでは無かったけど、ここまでまさに隙の無い守備を見せていた鉄壁の僅かな綻び……。先程の回明條は似たようなプレーで先頭打者をアウトにし、その回を無失点で抑えきった。ここで明條が得点するようなことがあれば……試合の流れは大きく明條に傾くと言っても過言ではないわね)

 

 続く2番打者の送りバントに対して激しいチャージをかけていたファーストは二塁へ送球しようとするが、上手く勢いを殺したバントで間に合わないことを察したキャッチャーの指示で一塁への送球が行われた。

 

「ナイバン!」

 

「ありがとう! みよちゃん、後はお願いね!」

 

 バントを決めた2番打者がネクストサークルに入った大咲と両手でハイタッチしてからベンチへと戻っていくと続く3番打者はアウトコースのストレートを弾き返したが、二遊間を越えて外野にふらふらと上がった打球をセンターがスライディングキャッチの好プレーで捕球し、ランナーが二塁から動かないまま2アウトになった。

 

(打ってみせる……!)

 

 続いて右打席に入った大咲に対してバッテリーは先ほど長打性の当たりを打たれていたため徹底的に低めを突く配球で勝負に出る。そして……2ボール1ストライクからの4球目。

 

(低めばっかり……なら、その低めを打ってこそ4番!)

 

 インコース低めのストライクゾーンに投じられたシュートが内に切れ込んでくると、このボールに対して足を開いた大咲はバットを振り抜き、打球は左中間へと伸びていった。

 

(う……)

 

 1点もやるまいと外野を前に出していた鉄壁外野陣の頭上を悠々と打球が越えていくと、これがタイムリーツーベースとなり、明條の先制となった。

 

(……アタシも続く!)

 

 さらに5番に入っているエースがインコース低めやや真ん中寄りに入ったストレートを一塁線に引っ張ると、鋭い打球がファーストミットの先を抜けていき、連続タイムリーツーベースとなった。続く6番打者はピッチャーライナーに倒れたものの、この2得点でゲームの流れは大きく明條に傾いていた。

 

(序盤からヒット性の当たりは多かった。打たれるのは時間の問題だったでしょう。……鉄壁はピッチャー交代のタイミングを見誤ったわね)

 

 鉄壁のブルペンで準備していた投手を見ながらレナが考察していると、明條はここでピッチャーを交代し、ショートに入っていた大咲がマウンドに、エースがライトへと向かっていく。

 

「みよちゃーん。楽にねー」

 

「任せて! そっちも楽にねー」

 

(初公式戦のマウンド……先輩が打って2点差まで広げてくれたから少し気は楽になったわ。でも点はやらない! アタシも0で抑えてみせる!)

 

 ライトからショートに入った友人の掛け声を受けながら大咲は5回から7回までを投げ切った。明條側も鉄壁のリリーフしたピッチャーを打ち崩すことは出来なかったが、鉄壁側も左で長身のエースと右の小柄な大咲のボールの違いに戸惑い、お互いヒットは打つものの決定打が無く、2点差のままゲームセットとなった。

 

「やった……!」

 

 夏は為し得なかった一回戦突破に皆が喜んでいると、大咲はスタンドで応援してくれたファンに感謝を伝えてから、さらに移動して里ヶ浜が観戦していたスタンドの前まで来て、力強く指差した。

 

「逢坂ここ! いるわね? あなたたちも次の試合勝ちなさい! そして今度こそあなたたちに勝って……あれ?」

 

 しかしその場所には逢坂ここはおらず、居たのは空を見上げてぼーっとしている天草だけだった。

 

「そこの人ー?」

 

「……んー。誰かわたしを呼んだぁ?」

 

「呼んだわ。ねえ、逢坂ここはどこに行ったの!?」

 

「ああ……皆、次の試合のウォーミングアップがあるからって4回が終わったところでいなくなっちゃったよぉ」

 

「あっ……! そ、そっか。そうよね……うん」

 

 試合に集中するあまり、既に里ヶ浜がスタンドから離れていることを失念していた大咲は耳を真っ赤にしながら皆のもとに戻っていった。

 

「……」

 

 天草は再び空を見上げると、先ほど里ヶ浜部員たちがウォーミングアップに向かっていく時のことを思い出していた。

 

 総勢17人の部員が続々と立ち上がってスタンドからの出口に向かう中、それを見送っていた天草は1人残っていることに気づいた。

 

「どう? わたしの絵……」

 

「……!? い、いや……貴女の絵を見ていたわけでは」

 

「じゃあ今見てよぉ」

 

「わ、分かったわ」

 

 試合中天草の絵を見るのを我慢していた東雲が足を止めており、天草の言葉に甘える形でその絵を近くで覗き込んだ。

 

「綺麗な絵ね」

 

「でしょー?」

 

「東雲ー! 何してるのー?」

 

「あっ。今行くわ」

 

 その絵を食い入るように見ていると新田の呼ぶ声が聞こえ、東雲は顔を上げた。

 

「あ、そうだ……気をつけてね」

 

「何をかしら?」

 

「空の機嫌が悪くなってきたみたいだから——」

 

 そして今も空を見上げている天草はさらに怪しくなってきた雲行きを見て不安げな表情を浮かべていた。

 

「天候は曇り……と」

 

「スコアブックって天気も書くんだ」

 

「うん。後は風向きとかもだね」

 

 試合開始前に記入すべき事項をスコアブックに書き連ねていく近藤を見て永井が感嘆していると、オーダー表の交換と先攻後攻の取り決めを終えてきた翼が戻ってくる。

 

「相手が先攻を取ってきた?」

 

「うん」

 

「勝負強い打線が持ち味の高波……いきなり点を取ってゲームの流れを一気に持っていくつもりかもしれないわね」

 

「ちょっと待つのだ!」

 

 翼と東雲が話し合っていると、そこに阿佐田が焦った様子で割り込んできた。

 

「つばさ! 相手が先攻を取ってきた……ということは、じゃんけんに負けたのだ?」

 

「え……あ、はい。負けちゃいました」

 

「どうしたんだあおい。元からウチらは後攻を取るつもりだったんだろう。相手が取った先攻、ウチらが選んだ後攻。そこに何の違いもありはしないだろう!?」

 

「違うのだ!」

 

(思い出すのだ、だんちょー。あおいたちが野球同好会に入った時のことを……!)

 

 まだ野球部が野球同好会で試合をするための人数も足りなかった頃、岩城は野球同好会を応援するために部員の勧誘として阿佐田を連れてきていた。その時岩城は阿佐田を学校一の勝負師と称し、勝負してみたいという翼の要望に応えてじゃんけん勝負をしたことがあった。

 

「「じゃんけんぽん!」」

 

「おお!? 凄いぞ! あおいがあいこなんて!」

 

「でも勝てなかった……」

 

「何言ってるんだ! 普通は負けるんだぞ!」

 

(こいつ……持ってるのだ!)

 

 その時の経験から阿佐田は今の翼に僅かながら違和感を覚えていた。

 

「しのくも、ちょっとこっちに来るのだ」

 

「ひ、引っ張らないで下さい。……なんですか?」

 

「これはあくまであおいの勘なのだ。外れていたら、それが一番。だからしのくもだけに伝えておくのだ。……もしかしたら今日のつばさはいつものつばさじゃないかもしれないのだ」

 

「え……? そう……ですか?」

 

「さあ、みんな! そろそろ試合が始まるよ! 気合い入れて頑張ろー!」

 

「おー!」

 

 翼が皆に気合いを入れる様子を見てそうは思えなかった東雲だが、一応心に留めておくと、高波の先攻で試合が開始された。

 

「さあ、初回から見せつけてやるわよ。強打の高波の真骨頂を」

 

「オーケー!」

 

 高波ベンチからは小柄で薄ピンク色の髪をしているキャプテンの中条明菜の檄が飛ばされ、1番打者はやる気に満ちた様子で右打席に入った。

 

「プレイボール!」

 

(初回から見せてやる、ね。舐められたものね)

 

 倉敷が振りかぶり投球姿勢に入るとこの試合の1球目が投じられる。7割程度の力で投じられたストレートはアウトコース低めの際どいところに向かっていき、このボールにバッターは手が出ずにバットが止まっていた。

 

「……ストライク!」

 

(うわっ。入ったのか……)

 

「倉敷先輩、ナイスコントロールです! 高さもコースも良いですよ!」

 

 鈴木の言葉に頷きながらボールを受け取った倉敷は続けで2球目を投じる。

 

(よし、高めのボール……!)

 

 高めのボールを待っていたバッターはインハイに投じられた7割ストレートを打ちにいくと、金属音が響いた。

 

「ファースト!」

 

「はいっ!」

 

(しまった。少し高めに外れてた……!?)

 

 鈴木の要求通りストライクゾーンからボール一つ分高めに外されたストレートにバットが下に入ると、打ち上げられた打球がやがて落下地点に入った野崎のもとへと落ちてくる。

 

「アウト!」

 

(よし……まずワンナウトです!)

 

「野崎、そうやって落ち着いていれば大丈夫よ」

 

「はいっ。先輩もその調子で頑張って下さい!」

 

 投手としての練習に比重を置いていた野崎はスタメン発表からファーストとしての守備練習を重点的に行ったとはいえ、夏大会ではエラーしてしまったこともあって緊張していたが、難なく捕球できたことに安堵していた。その緊張を察していた倉敷が声をかけると、立ち上がりの大変さを分かっていた野崎も倉敷の緊張を取ろうと声をかけながらボールを投げ返した。

 

「ワンナウト! 声出しもしっかり!」

 

 鈴木のはっきりとした声がけで里ヶ浜ナインに声が出始めると、頭から勢いよく持っていく予定だった高波は逆にリズムが崩れていた。

 

「まだ一人アウトになっただけ。こっからこつこつランナー溜めていけばいい。それで私に回して……じゃないとダルいから」

 

「はい! 繋ぎます!」

 

 4番に入っている中条がバッターとして準備を進めながら再び檄を飛ばすと続く2番打者も集中した面持ちで打席に立つ。そのバッターへの初球はインコース低めの際どいコースへのストレート。

 

「ストライク!」

 

(立ち上がりはブルペンとマウンドの違いもあってコントロールが乱れやすい。けど倉敷先輩はこの試合に限らず、大きなコントロールの乱れはない。立ち上がりの良さ、それが倉敷先輩の一つの武器ね)

 

 2球目のストレートもインコース低めに投じられるとこのボールにバットが振り出された。ボール一つ分内に外す要求に応えるように投じられたこのボールを芯より内側でバットが捉えると打球はサード方向へと放たれた。

 

(……! 芯は外れたけど、ミートはされてる!)

 

(よし、ヒットだ!)

 

 打球はサード定位置から僅かに三遊間方向へ放たれ、さらに捕球しにいく東雲にとっては直前でワンバウンドする形になり、難しい判断での捕球を強いられていた。

 

「抜かせないっ!」

 

 打球の正面に足を動かし腰を低く落とした東雲はスピードのある打球のバウンド際をそのミットに収め、落ち着いて送球体勢を整えてから一塁へと送球を行った。

 

「アウト!」

 

「おー! しのくも、ナイスプレーなのだ!」

 

「このくらい当然です」

 

 スピードのあるボールをセオリー通り身体の正面に入れて捕球に専念した東雲は、打球が届く速さからまだバッターが一塁に駆け込むには時間があると判断し、確実な送球によって2アウト目を取っていた。

 

(三遊間方向の打球はアンタたち経験者二人がいるから、心強いわ)

 

 確実な東雲の守備を倉敷が心強く思っていると続く3番打者が左バッターボックスへと入ってくる。

 

「狙いを無理に上げなくていい。アンタはアンタのバッティングをしなさい」

 

「分かった!」

 

(バットを短く持った……。それにこのスタンスの取り方は、ノーステップ打法。予めかかとを上げておくことで……足を上げて、踏み込んで、スイング、この3動作のうち最初の足を上げる動作を短縮する打法。……中野さんのデータ通り、高波は中条さん以外は長打を狙わないバッティングスタイル……!)

 

 ネクストサークルに入った中条から三度檄が飛ばされ、3番バッターは右足のかかとを上げて投球に備える。

 

「ファール!」

 

 その結果、7割ストレートをコースに散らしてもついていかれ、1ボール2ストライクからカウントが動かずにいた。

 

(このバッター、全然空振らないわね……)

 

(このピッチャー、全然投げ損じしないな……)

 

(……アウトコースを2球続けた。ここはインハイに、全力のストレートを!)

 

(分かった)

 

 7球目となるボールが投じられるとインハイにストレートが向かっていき、このボールをバッターは見送った。

 

「……ボール!」

 

(ちょっと速くなったな……ストレートにも緩急があるんだ。気をつけておこ)

 

(くっ、少し内に投げすぎたか……)

 

「良いストレート来てますよ!」

 

 ボールを投げ返した鈴木がサインを送ると倉敷は眉をピクッと震わせたのちにそれに頷いた。

 

(ノーステップ打法は足を上げる動作がない分、早くスイングに移れるかわり溜めが作りにくいはず。これで勝負しましょう)

 

 そして8球目となるボールが投じられるとバッターは速いストレートに対応できるようそのタイミングで踏み込んだ。

 

(……! ボールが……来ない!?)

 

 既に足を踏み込んだバッターがコースは真ん中ながら低めギリギリに投じられたチェンジアップに体勢を崩したまま食らいつくと、泳いだスイングで辛うじてバットに当てた打球がフェアゾーンに打ち返された。

 

「ショート!」

 

「……! うん!」

 

 このボールに対して走って近づいた有原は捕球の直前にスピードを落とし、そこからジャンピングスローの体勢に移行……しようとした。

 

「あっ!?」

 

(有原さん!?)

 

 しかし減速のタイミングが遅くミットでボールを突くような形となり、前に転がったボールを右手で直接拾った有原は窮屈な体勢からのジャンピングスローで一塁へと送球を行った。野崎はその高いリーチを生かして目一杯ミットを上に伸ばすとミットの先に引っ掛けるようにボールを受け取った。

 

「……セーフ!」

 

 送球が届くよりバッターの足の方が速く、一塁を駆け抜けたバッターはホッと息をつく。

 

(……おかしいな。前の紅白戦の時にわたしが似た感じの打球打った時は余裕でアウトにされたのに。……緊張してるのかな?)

 

「気にすんなー! 次でアウト取ればこの回終わりだよ!」

 

 思いもよらない翼のエラーに動揺が見えるグラウンドの皆に新田が声援を送ると目を見開いていた河北も続けて声援を送り、グラウンドでも互いに声をかける形で平静を保っていた。

 

「お、来た来た。医学部の受験勉強は良いの?」

 

「痛いことを聞くねー。ま、ちょっと無理やり時間作ったわ。後輩たちの晴れ舞台だもの」

 

 高波高校のOGがスタンドに集まっていると、ここで高波は4番の中条に打順が回ってくる。

 

(あーあ、塁が空きすぎなんだよねぇ〜……せめて……)

 

「よろ〜」

 

 挨拶をしながら右バッターボックスに入ってきた中条。しかし鈴木は彼女の表情はどこか覇気に欠けているように感じられた。

 

(……実際見てみるまでは信じ難かったけど、前に確認した明條と高波の試合と確かに同じ……打つ気配が感じられない。やはり中野さんが調べてくれた通り……このバッターはかなり極端。その証拠に打率は1割8分8厘ながら、得点圏打率7割6厘というデータが残っている……)

 

(要注意バッターね。けど、今得点圏にランナーはいない……これならアンタの言っていた真骨頂は見せられない。アタシたちの作戦勝ちね)

 

 2アウトランナー一塁、中条を打席に迎えて、鈴木は思慮の末にサインを送った。

 

(……なるほど。分かったわ)

 

 そのサインに首を縦に振った倉敷は一度ランナーに目を配る。やがて前を向き、クイックモーションに入った。

 

(走れっ! ……!?)

 

 その瞬間一塁ランナーがスタートを切り、中条は口角を上げたが援護のスイングをしながら投じられたコースに目を丸くしていた。

 

(1〜3番に瞬足巧打の選手を配置し、4番に驚異的な得点圏打率を持つ中条さん。やはり相手の狙いは……!)

 

 アウトコース高めに大きく外されたストレートにバットが空を切ると立って構えていた鈴木が捕球からスローイングに移り送球を行った。そして二塁ベースに入った阿佐田のミットにボールがワンバウンドしてから収まるとスライディングで滑り込むランナーの足にタッチが行われた。

 

「……アウト!」

 

「よしっ……!」

 

(ち……読まれてたか)

 

 盗塁を読み切りアウトに出来た鈴木が小さくガッツポーズを取っていると中条は面白くなさそうな顔をしてベンチへと帰っていく。

 

「わ、和香ちゃん。ありがとっ」

 

「どういたしまして。あまり引きずらないでね。誰だって緊張はあるもの」

 

「……うん」

 

 里ヶ浜ナインが倉敷の投球や鈴木の送球を褒めながらベンチへと戻っていくと、鈴木は礼を言った有原に先ほどのエラーを気にしないようにと伝えていた。

 

「つっくも〜」

 

「なんだい?」

 

「ここは『あおい99(ナインティナイン)』でまず一点取ってチームを楽にしてやるのだ」

 

「あおい99? ああ……あおいと私を組み合わせたのか。勿論それが出来ればベストだね。ただ、まずは1番バッターとして情報を引き出してくるよ」

 

「情報を引き出した上でホームラン打ってくるのだ〜!」

 

「相変わらず無茶を言うね……」

 

(あおいは……冗談半分ではあるが、早めに得点が欲しいというのは真面目に言っているようだ。何故そこまで焦っているんだ……?)

 

 高波の投球練習が終わり、一回の裏の攻撃が始まった。1番バッターとして九十九が右打席に入ると相手ピッチャーの投球に備え、バットを構える。

 

(右投げで身長は高くも低くもない……そして投球練習で見た彼女の投げ方は)

 

 投球姿勢に入ったピッチャーが左足を踏み出したタイミングで開いた左肩が九十九の目に映ると、上からではなく横から投じるように腕が振られ、サイドスローから放たれたボールがアウトコースへと向かっていく。

 

(遠いか?)

 

「……ストライク!」

 

(球速は遅め……軟投派の投手だな。今のはシュートか……?)

 

 バットを振り出さずにボールの軌道を追っていた九十九は外のボールゾーンから中に入ってくるのを感じ取っていた。続く2球目、今度はインコース真ん中にボールが投じられると、際どいと判断した九十九は再びこのボールを見送った。

 

「ボール!」

 

(ん……今のもシュートか? いや、待てよ……これは)

 

 違和感を覚えている九十九が相手ピッチャーの動作に注意しながら3球目が投じられると再びボールはインコース。先ほどより中に入っていたボールだったが、九十九はこのボールを見送った。すると三度内に曲がってくる軌道に目を見開く。

 

「……ストライク!」

 

(分かったぞ。今ボールがリリースされた時……手首が寝ていた。横から投げても手首を立てればオーバースローのようなバックスピンをかけるのは可能なはずだ。しかしあれでは綺麗なバックスピンはかけられないだろう。それに肩の開きが早いことで、身体が横回転し、右腕が横向きに引っ張られている。これらを考慮すれば……あれは変化球のシュートではなく、ストレートがシュート回転してしまっているんだ)

 

 頭の中で考えを纏め終わった九十九に4球目が投じられるとコースはアウトコース。際どいコースだったが、ここから中に入る変化を想定して九十九はバットを振り出しに行く。

 

(……! これはさらに遅い……!)

 

 既にスイングは止められず外に逃げていく軌道のボールを辛うじてバットに当てた九十九だったが、打球は勢いのないセカンドゴロとなりアウトを取られた。

 

(カーブかスライダーあたりか……? 最後のボールの球種は分からなかったな)

 

「なにをやってるのだ〜!」

 

「すまない。だが情報は引き出してきたよ」

 

 先ほど考察したことも含め九十九が情報を伝えると阿佐田はニヤつくように表情筋を動かしていた。

 

「なるほど……ならここはセオリー通りにいくのだ」

 

「セオリー通り……。奇策を好む君がかい?」

 

「なにもおかしいことはないのだ。奇策をするにはセオリーを知っておく必要があるのだ。勝負師としてセオリーを知っておくのは大事なことなのだ〜」

 

 2番打者として右バッターボックスに入った阿佐田はインコース高めに投じられたボールを見送る。

 

「……ストライク!」

 

(ふむふむ。確かにしゅるる〜と曲がってきてる感じがするのだ。でも内からさらに食い込んでくる感じのこの軌道は分かってても打ちづらいのだ)

 

 続く2球目がアウトコースに投じられるとこのボールに対して阿佐田はスイングの始動に入った。

 

(けど外にシュート回転したボールを投げれば中に入る甘い軌道になるのだ。そして無理に引っ張れば引っ掛けちゃうかもしれないから……ここは重心を後ろに置いてセカンドの頭を意識して弾き返してやるのだ!)

 

 中へと入ってくるこのストレートに対して阿佐田は始動を溜めると流し打ちで弾き返した打球は目論見通りセカンドの頭上を越えていき、右中間方向に転がる打球をセンターが収め、センター前ヒットで出塁していた。

 

「阿佐田先輩! ナイバッチです!」

 

 三塁側コーチャーボックスから飛ばされる河北の声援に阿佐田が応えていると3番打者として翼が右打席へと入っていった。

 

(さっきミスした分はバットで取り返すよ!)

 

 その初球だった。クイックモーションから投じられたピッチャーのボールが真ん中高めへと向かっていく。

 

(よし、甘いボール。つばさなら……!?)

 

「ストライク!」

 

 しかし翼はこのボールにバットを振り出すことが出来ず、見送ってしまっていた。

 

(……思ったより甘いコースに来てビックリしちゃったのだ?)

 

(嘘……どうしよう。いつもなら試合が始まれば、どんどん身体が試合に集中していくのに……ボールに身体が反応しきれてない)

 

(クイックになってストレートのコントロールがばらけたな……ここは一球変化球を混ぜて、肩の力を上手く抜いてもらおう)

 

(了解)

 

 そして2球目が投じられると今度はアウトコースの低めにボールが投じられた。

 

(ボールは速くはないんだ。とにかくバットを……振る!)

 

 外に曲がっていくボールはコースはストライクゾーン上だったが高さが低く、このボールに翼が振り出したバットはその上を捉えていた。そしてバットが振り切られるとスピードのある打球が飛んでいったのは……ショート正面だった。

 

「あっ……!」

 

(甘いコースを見逃して、際どいコースを打って、しかもランナーを進める右打ちでもない……!?)

 

 そのバッティングに東雲が信じられないような表情を見せていると転がったボールを収めたショートが二塁に送球を行い、さらにセカンドから一塁に送球が届く。阿佐田も翼もどちらも送球には間に合わず、余裕を持ってダブルプレーが成立していた。

 

(そんな……どうして。好きな野球をしているのに、こんなに気持ちが上がってこないなんて……)

 

 一塁を駆け抜けた翼が物憂げに空を見上げるとその脳裏に反芻するようにゆかりの言葉が聞こえてきた。

 

「好きなことをいつのまにか好きって言えなくなる。そんな時が……翼にも来るよ」

 

(……! これが椎名さんが言っていたこと……?)

 

 ショックを受けた翼が顔を上に上げることが出来ないままベンチへと戻っていく。すると——手を掴まれた。誰に手を掴まれたのかと翼はその視線を上げる、そこにあったのは掴んだことに彼女自身驚いている様子の東雲の姿だった。

 

(なんて冷たい手をしているの。なんて苦しそうな表情をしているの。……貴女は……そう、あの時の私と同じ)

 

「有原さん。あの時貴女に言われた言葉を……貴女に返すわ」

 

「えっ?」

 

「私たちはもっと強くなると誓った。だから……有原さんももっと私たちのことを頼りなさい。貴女のことを全部貴女一人で何とかしようとしないでちょうだい」

 

「……! 東雲……さん」

 

 翼は東雲の手から伝わる温もりを感じながら顔をはっきりと上に上げると、その言葉に力を振り絞るような声で返事を返したのだった。

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