皆で綴る物語   作:ゾネサー

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完成遅くなって申し訳ない。加筆修正完了しました!


One for all, All for one

「東雲さんの……お兄さん?」

 

「ええ。私には兄が3人いるの」

 

「そうだったの!?」

 

「そしてその内2人はプロ野球選手で……末兄も大学野球で好成績を残していてプロ入り確実と言われているわ」

 

「それは凄いね……。野球一家、だね」

 

「そうね……。父も社会人野球をしていたし、まさに野球一家だわ。私も野球を始めたのは兄の影響があったから……」

 

(……同じだ。私もお姉ちゃんにキャッチボールに誘われたのがきっかけで……野球を始めたんだ)

 

 僅かに身長の低い翼に目線を合わせるように僅かに下を向いたまま話していた東雲はさらに下を向くと、その視線の先にある左拳はいつの間にか強く握り締められていた。

 

「兄たちと私の野球を比べることはない、私は私の野球を……そう思って野球を続けてきた。けどいつしか野球中継で兄がヒットを打つ姿や活躍する所を見るだけで……胸が締め付けられるようになった」

 

 その拳を自身の胸に押し付けるようにしばらく当てた東雲は結んだ唇を解くと再び射抜くような目線で翼を見つめた。

 

「私より遥か先を進む兄の存在を感じる度に、私自身の行く末が不安になった。兄たちと私は関係がない……何度自分にそう言い聞かせても、どこかで兄の遠い背中が浮かんでしまったのよ」

 

兄妹(きょうだい)だから……?」

 

「そう……なのでしょうね。意識しないようにするには、あまりにも近すぎた。兄妹や姉妹というのは……どうしても比較してしまうものなのだと悟ったわ」

 

「姉妹……あっ」

 

「椎名じゅり……ゆかりさんの姉である彼女は輝かしい実績を残している。貴女の姉と一緒にね。だからこそゆかりさんはその姉と……比較されたはずよ」

 

「そっか……。椎名さんがあの時……私に『好きなことをいつのまにか好きって言えなくなる』って言いながらすれ違った時。凄い寂しそうな顔をして何かを見てたんだ。あれは……椎名さんのお姉さんを見てたんだ」

 

 翼の脳裏にこびりついていたゆかりの寂しげな表情。その視線の先に映っていたものと告げられた言葉が東雲の指摘によって翼の中で繋がっていった。

 

「はっきりさせておきたいことがあるわ。有原さん。貴女は姉と比べられなかったのかしら?」

 

「……比べられたよ。お姉ちゃんと“同じ”優勝だって言われて、自慢のお姉ちゃんと一緒だって、色んな人から褒められて……。それが凄く嬉しかったんだ」

 

「……でしょうね。貴女と私と……そして彼女では残してきた結果が違う。当然比較もその結果に即したものになる……。だから言ったのよ。貴女には彼女の気持ちは分からないかもしれないと」

 

「そんな……」

 

 東雲はシニアの大会で対戦した翼に敗れ、その翼が全国優勝を果たしたことを知っていた。そのため翼がそう答えるであろうことを予測しており、それを聞いた翼は悄然としていた。

 

「貴女はさっき小学生時代に対戦した時に椎名さんが野球を好きじゃなくなる何かをしてしまったのかもしれないと語っていたけど……私にはそうとは思えなかったのよ。心当たりが無いというだけでなく、私は貴女と対戦した後、悔しさはあったけれど……同時にどこか嬉しくもあった。私と同じ女性でもここまで本気でやっている人がいるのだと……」

 

「東雲さん……」

 

「野球を続ければもう一度対決できると感じた。少なくとも貴女が里ヶ浜で野球部を新設したことを知るまではそう信じていたわ。……だからこそ一度だけ貴女に、それも大差ではなく接戦で敗れたと知って、それだけで野球が好きでなくなるというのは不自然に感じたのよ」

 

「そっか……確かにそこは少し考えすぎちゃったかも」

 

「……とはいえ、私も彼女の気持ちは少ししか分からないわ。私は兄とは性別が違ったから比較も……期待も、さほどされなかった。彼女がどういう比較をされて、どんな気持ちを抱いたのか……とてもじゃないけど分からないわ」

 

 そういうと東雲は視線を翼から外し、彼女の横に足を動かす。横から翼の視線を感じながら、対面する壁の一点を見つめるようにして東雲は言葉を続けた。

 

「彼女が貴女にそんなことを言った理由はこれで分かったでしょう」

 

「……私が野球を続ける限り、お姉ちゃんと比較されて、いつか椎名さんが経験した気持ちと同じ想いを私が抱く……そういう意味だったんだね」

 

「少なくとも彼女はそう思ったのでしょうね。……これで、いいんじゃないかしら?」

 

「え?」

 

「彼女に貴女が直接何かしたわけでもなく、伝えられた言葉の意味もはっきりした。これ以上、この出来事を引きずらずに切り替えていけばいいのよ」

 

「……それは……」

 

「……何かしら? 言っておくけどそんなことを言ってきた以上、彼女が貴女に介入されることを望んでいるとは思えないわ」

 

「そうかもしれない。けど……椎名さんと対戦したあの試合。私も、思ったんだ。凄い女の子だなって! これからも野球を続けていれば、また会えるかなって……そう思ってたんだ」

 

「そういえば明條との練習試合で緩急の話題が上がった時、スローボールを使ってきた厄介なピッチャーのことを溢していたわね。貴女の脳裏には彼女のことがずっと残っていたというわけ。私のことは覚えてなかったくせに……」

 

「お、覚えてたよ。すぐにピンと来なかっただけで……」

 

「それに貴女はほぼ初対面にも関わらず酷いことを言われたのよ? たとえ、彼女が本当にそうだと思ったとしても……。……?」

 

 東雲は強い視線を感じて振り返ると翼が不思議そうに自分のことを見ていた。

 

「……東雲さん。バッティングセンターで会って、初めて話した時のこと覚えてる?」

 

「……………」

 

 その言葉を受けてバッティングセンターで互いに競い合った後、「貴女、野球はもう“遊び”なんでしょ」「もう一度対決するものと思っていたのだけど“野球ごっこ”を始めるなんて」と言葉をかけて去っていったことを思い出した東雲は黙秘権を行使した。

 

「お節介かもしれない。けど、これからずっと競い合っていけると思ったあの試合からずっと会えなくてもおかしくなかった椎名さんと、折角再会出来たんだ。それにあの寂しそうな表情……放っておけないよ」

 

「お人好しね。何をするつもり?」

 

「……東雲さん。どうしたらいいと思う?」

 

「相変わらず考えなしね。……まず彼女が経験したことは彼女自身しか分からないわ。貴女がそれを無理に理解しようとするのは諦めなさい」

 

「…………分かったよ」

 

 閉じていた口を開き、問いかけた言葉を受け止めるように頷いて返事を返した翼を見た東雲は人差し指を自分に向けた。

 

「私が兄とのコンプレックスに悩んだように、貴女もここまでの野球人生は常に順風満帆だったわけではないでしょう。……河北さんに聞いたわ。貴女、全国優勝した後に野球を一度辞めたそうね」

 

「……うん」

 

「なら何故貴女は野球を続けようと思ったのか……その一番の理由は何かしら?」

 

「それは……」

 

 人差し指と共に問いを突きつけられた翼は目を閉じて今までのことを思い出すと、ゆっくり目を開き、東雲の目を正面から見つめるようにして答えた。

 

「野球が好きだからだよ」

 

「そうでしょうね。私たちはこの半年間で貴女がどれほどの覚悟を持ってその想いを抱いているかを知っている。けど、彼女はどうかしらね。彼女にとって貴女は野球をやめようと思ったことがない、好きというだけで続けていられるお気楽な人間と映ったんじゃないかしら」

 

「あっ! あの時、椎名さんの質問に私が嘘をついたから……」

 

「それは大きいでしょうね」

 

「な、なんとかして今からでも……」

 

「一度抱いたイメージは容易く消えないし、今から本当のことを言っても遅いと思うわ。貴女はただでさえ説明が下手だし……」

 

「うっ……そうだけど。でも、伝えたいんだ。あの時私は自分が野球が好きだっていう気持ちを見ない振りしてた。けど、野球を避ければ避けるほど、野球が好きだって気持ちが湧いてきて……。ともっちが逃げてたその気持ちに気づかせてくれた。だから……なんて言うのかな。椎名さんが言っていた状況にもし私がなったとしても、好きなものは好きだって言える気持ちだけは、この胸に抱きしめていたいんだ」

 

「それは……今の貴女に何があっても野球を続ける覚悟があるからよ。けどね貴女の説明どうこうじゃなく、それは今の彼女に聞き入れられるものではないと思うわ。貴女は先ほど野球を続ける一番の理由を語ったけど、野球を続けたい理由は一つではないはずよ」

 

「うん。東雲さんや皆と一緒にもっと上を目指したいとか……一杯あるよ」

 

「覚悟には今まで貴女が野球で積み上げてきたものが全て込められている。言葉で伝えるのは私でも無理ね。……それでも、貴女が彼女にそれを伝えたいというのであれば。野球そのものを見てもらうことでしか、語れないんじゃないかしら」

 

「……! 椎名さんに私たちの試合を見てもらう……?」

 

「そうよ。プレー一つにもその人が野球に込める想いは顕われる。貴女の野球への姿勢、覚悟を彼女に示す……そうすることでようやく先ほど貴女が語った言葉を聞き入れてくれるんじゃないかしら」

 

「……前に対戦した時の椎名さん、本当に楽しそうに野球してたんだ。それが好きなことを好きって言えなくなるくらい追い込まれて、辞めたって。きっと本当に辛かったと思うんだ。でも私は椎名さんじゃない……気持ちを分かち合えない。私に話したのも、まだ椎名さんの中で解決してないからだと思うんだ。もし、そのモヤモヤを少しでも減らせられるなら……私に出来ることは全部やりたい!」

 

「なら——」

 

「翼っ! 東雲さん! やっぱりここにいた……」

 

 ベンチ裏に2人を探しにきた河北が小走りで向かってくると、矢継ぎ早に興奮気味の口調で彼女たちに伝える。

 

「雨が弱くなってきたよ……! 試合再開だって!」

 

「ホントに!? 良かったぁ……」

 

 そして翼はその事実に崩れ落ちるようにして心から安心すると目の縁に滲むように浮かんだ涙を拭い、東雲も安堵の吐息を漏らしていた。

 

「すぐに再開するから、2人も早く戻ってね!」

 

「うん!」

 

「分かったわ」

 

 2人にそのことを伝え終えた河北が先にベンチに戻っていくと、翼も立ち上がりその後を追おうとするが、一度東雲の方に振り返った。

 

「東雲さん、相談に乗ってくれてありがとう。おかげで整理がついたよ」

 

(惜しむらくは有原さんの不調の直接の原因は悩み自体では無いことね。ただそれでも……プレーに想いは顕われる。迷いがあるのとないのでは大きな違いだわ)

 

「……ごめんね。前に私が一人で全部何とかしようとしないでって言ったのに、結局抱え込んじゃって」

 

「全くよ。けど、だからこそ抱え込もうとしてしまう気持ちも分かるわ。それがロクな結果に繋がらないこともね。……やるべきことは決まった。そのための道も今繋がった。後は……目の前のことに集中しましょう」

 

「うん!」

 

 東雲が一歩を踏み出すとその横をついていくように翼も一歩を踏み出した。ベンチへと続く道を横並びで歩いていくと、翼は東雲の横顔を覗くようにして話しかける。

 

「……ね。東雲さん」

 

「何?」

 

「東雲さんはどうしてあそこからプロを目指そうと思えたの?」

 

「ああ、そっちの話は途中だったわね。……私はそれまで兄たちと私を比べないようにしてきた。けど、それはどこかで兄から逃げていたことに気づいた。だから、ありもしない逃げ道を探すのをやめたのよ」

 

「……向き合ったんだね」

 

(……強いなぁ。東雲さんは。あの日屋上でプロを目指すと伝えられて、私は東雲さんを完璧な人だと特別視するようになった。完璧じゃなかったけど、そう思っちゃったのは東雲さんの芯の強さに惚れていたから……なのかな)

 

「有原さん。肝に銘じておくといいわ。たとえ周りからどんな影響を受けようとも、自分の道を決めるのは、他の誰でもない自分自身なのよ」

 

「そう……だね。覚えておくよ」

 

「ただ……」

 

「……?」

 

 東雲の顔がゆっくりと振り向かれ、厳しさを纏うような横顔を覗き込むようにして見ていた翼はその穏やかな表情に驚いた。

 

「貴女と会って少し変わったのは、自分の道を選択するために誰かを頼るのは悪いことでは無いということかしらね」

 

「……うん!」

 

 そして通路の出口にたどり着いた2人はミットを持ってグラウンドへと出ていく。暗雲は白雲へと変わり、勢いの落ち着いた弱い雨が彼女たちを迎え入れた。

 

「あー……だるぅ。枕が恋しい……。このまま終わりで良かったのに」

 

「寝ぼけたこと言ってないで、しっかりして。試合再開だよ」

 

「はぁ……分かってる。しゃーない。じゃあ指示を送るわ」

 

 ベンチに座る中条は腕を上に伸ばしてあくびを挟むと、集まった部員たちに指示を送っていた。

 

「バットを振らなければ、あのピッチャーは自滅する」

 

「え……?」

 

 足場を念入りにならす倉敷を寝ぼけ眼で見つめた中条が指示を送ると、6回の表の攻撃が始まった。右打席には3巡目の1番打者が入っていく。

 

(2打席目は外に外れたチェンジアップを振らせて三振に取った。けどこの打席はコースのコントロールが甘いチェンジアップは決め球にせず、見せ球として使いましょう)

 

(分かったわ)

 

 鈴木のサインに頷いた倉敷が一息挟んでからボールを投じると、鈴木は目を見開きながらミットを下に向けてワンバウンドしたボールを収めた。

 

「ボール!」

 

(珍しいな……このピッチャー、コントロール良い印象だったけど)

 

(う……)

 

(指に引っ掛かったのかしら? 見せ球としては弱いかもしれないわね。ここは7割ではなく……)

 

 さらに続く全力ストレートが6分割のインコース低めを狙って投じられると内に大きく外れたボールをバッターは両足を引くようにして見送った。

 

「ボール!」

 

(……! 倉敷先輩の様子がおかしい……!)

 

 2回目の守備のタイムが取られるとマウンドに集まっていく里ヶ浜内野陣を見て、中条はほくそ笑んでいた。

 

「あのピッチャー、ストレートの力は無かったけどコントロールの精度はかなり高かった。けどここまでそれだけの精度で投げ続けて、この中断。試合が再開するまで時間が空いたこの状況で……そのレベルの集中を保つなんて無理無理」

 

(……よく気付いたな。明菜は部員のこともよく見て声かけてるけど、相手のこともしっかり見てるんだよな……。……!?)

 

「明菜。あれ……!」

 

「……ふーん。確かに準備してたやつはいたみたいだけど、代えるんだ」

 

 球審に選手交代が告げられ、頬杖をつく中条の視線の向けた先では野崎が投球練習を始めていた。足場の感覚を確認して一球一球丁寧に確認するようにボールを投じる様をファーストから見ながら、倉敷は先ほどのことを思い出す。

 タイムが取られ倉敷は空を仰ぐように見上げていた。すると小雨が目に入る。濡れたユニフォームの袖でそれを拭った倉敷はファーストから向かってきた野崎に話しかけていた。

 

「この試合……最後までエースとして投げ抜くつもりだった。けど、自分でも分かる。指先の感覚がさっきよりブレてるって」

 

「倉敷先輩……」

 

「この雨の中、アンタはずっと準備してた。ここは……任せるわ」

 

「……はいっ! 任せてください!」

 

(……任せて下さい、か。変わったわね……野崎)

 

 倉敷が横から見るその顔つきにも変化を感じ取っていると投球練習が終えられ、鈴木がマウンドまで駆け寄ってくる。

 

「ストレートのコントロールを一通り確認したけど、いつもと大きな変わりはないわね」

 

「はいっ」

 

「雨が降る中、2ボール0ストライクからの登板。ここは厳しいコントロールは要求しないわ。あなたの1番の武器であるストレートの力で抑えましょう」

 

「分かりました! しっかり腕を振ります」

 

 はっきりと返事をする野崎を見て鈴木は一度戻ろうとしたが、打ち取るビジョンの共有のためにコミュニケーションを積極的に取ろうと心がけていたことを思い出し、もう一つの考えも伝えた。

 

「それと……相手の高波打線。長打は少ないけどチームで繋ぎ、チャンスをモノにする勝負強い打線よ」

 

「はい。ちゃんとミーティングで聞いていました!」

 

「そうね……互いにそのことは頭に入っている。けど私はキャッチャーとして5イニング座って、新たに気付いたわ」

 

「なんでしょう?」

 

「相手の打線には……途切れるポイントがあるわ。そこを突きたい」

 

「……!」

 

 続けて語られた鈴木の考えに野崎は頷くと、鈴木がキャッチャーボックスに戻っていき、野崎はやる気に満ちた表情で1番バッターと対峙した。

 

(指示は際どいコースに手を出して助けず、入れに来たボールを狙え……。2ボール0ストライクだ。甘いところきたら思い切って振るぞ)

 

(このカウントから入れるボールは当然狙われる……。けれどこのカウントから厳しいコースをつくのは野崎さんのコントロールだと難しい。だから要求は……これよ)

 

(一つ目の……ストライクゾーンの低めを狙うサインですね。四隅はまだまだですが、この低めは近藤さんに付き合ってもらって大分狙えるようになりました。あの夏大会から、変われたことを……)

 

 振りかぶっていた夏大会と違い、振りかぶらずに。オーバースローではなくスリークォーターで。無駄を減らした新たな投球フォームを安定させるために投げ込んできたことが彼女の脳裏によぎると、左足が踏み込まれボールが投じられた。

 

(低め……くっ)

 

 真ん中低めへと投じられた勢いのあるストレートに振ろうとしていたバットが止まると、鈴木のミットにボールが収まった。

 

「ストライク!」

 

(ピッチングで証明したい……!)

 

(この状況での登板できっちりと低めに……。手のひらの痺れる感覚はストレートの球威によるものだけではないわね……!)

 

「ナイスボールよ、野崎さん! その調子でいきましょう!」

 

「はいっ!」

 

(先発と違ってコースには決まってないけど、この速さで低めに決まるのは厄介だぞ……。どうする?)

 

(まだカウントはこっち有利。慌てて難しいボールに手を出すくらいなら、甘いコースに絞りなさい)

 

(そうだな。際どいコースは捨てで良い。その代わり低めでも真ん中付近に来たら次こそ振るぞ)

 

 ベンチからのサインを確認したバッターがバットを構え直すと、次のボールが投じられる。真ん中低めやや内寄りに投げられたストレートにバッターはそのバットを振り出した。

 

「ストライク!」

 

(1球目でタイミングを見たつもりが、これでも振り遅れた……!?)

 

(ち……先発ピッチャーとタイプが違う分もあるとは思うけど、あのピッチャーのストレートは思った以上に速いってことか……)

 

 ストライクゾーンに入っていたストレートに振り遅れた1番バッターはバットを振ったタイミングからストレートのタイミングを計るように思い出しながら、バットを短く持って構え直した。

 

(これで平行カウントに持っていくことが出来た。キャッチャーとして、まだボールに投げられる分、心理的には四隅を要求したくなるところ。けどここは欲はかかずに徹底的に低めを突きましょう。ただし……)

 

(二つ目の低めのサイン……ですね)

 

(このバッターはストレートにタイミングがまだ合っていない。大きく外れなければ追い込まれているし振ってくれるはず)

 

(高波の切り込み隊長として簡単にやられるわけにはいかない。速い分、捉えれば強く跳ね返るはずだ。まずはアジャスト優先!)

 

 バッターの様子を窺いながらサインの交換が終えられると野崎は投球姿勢に入り、ボールを投じた。

 

(さっきよりもう少し早く振る。……! 低めの際どいところ。いや、迷うな!)

 

(タイミングを合わせてきた……! けど、低めギリギリの良いところに決まってる!)

 

 先ほど見たタイミングに合わせて振った時より、バットを振ったタイミングを基準に振られたスイングは正確さを増しており、この低めのストレートにタイミングが合うと打球が放たれた。

 

「ファースト!」

 

(芯を少し外したか……!)

 

 低めのストレートに上手く合わせたが球威に押されるようにして放たれた打球は一、二塁間ややファースト寄りに転がり、倉敷はこのボールに反応して足を動かしていた。

 

(打球スピードはあるけど、これなら届く! ……!?)

 

 足を動かして打球に回り込んだ倉敷がこのボールを収めようとしたが、下に向けたミットの外側に打球が当たり、弾いてしまった。

 

「倉敷先輩! まだ間に合います!」

 

「く……。お願い!」

 

 ベースカバーに走った野崎に対してボールを素手で拾った倉敷はその体勢のまますぐに送球を行った。少し外野側に逸れたこの送球を野崎は長いリーチを伸ばして掴み取ると一塁を駆け抜けるように踏み、バッターランナーもベースを駆け抜けた。

 

「……アウト!」

 

(……倉敷先輩は野崎さんと違ってスタメン発表後も投手としての練習が中心で、ファーストの守備練習にはほとんど時間が割けなかった。ただでさえ雨で荒れているグラウンドの守備をこなすのは簡単じゃないかもしれないわ)

 

(しまった。ギリギリアウトになったから良かったけど、あの打球を弾くなんて……)

 

「倉敷先輩! ワンナウトですよ。声出していきましょう!」

 

「……!」

 

「ワンナウトー! まいちん、今は気にしなくていいのだ。アウトはアウトなのだ!」

 

「そうですよ! ナイスリカバリーです! ワンナウトー!」

 

「……悪いわね。すぅ……ワンナウト! 次はファンブルしないわ」

 

 倉敷は切り替えるように息を大きく吐き出すと帽子を被り直し、自分に活を入れていた。

 

(最近は先頭バッター出してばかりだったので、まず一つアウト取れて良かったです。……ですが、まだワンナウトですよね。……!)

 

 野崎が先頭バッターを打ち取れたことに安堵しながら、次のバッターへの集中を高めようとした時だった。高波が攻撃のタイムを取り、打席へと足を踏み出そうとした2番打者がネクストサークルへ向かおうとした3番打者のもとに集まると中条が何かを伝えている様子が窺えた。やがてタイムが終わると気怠そうに中条がベンチに戻っていき、2番打者が右打席へと入る。

 

(このタイミングでのタイム……意図が読めないわね。ただこちらとしてはランナーがいない以上、目の前のバッターに集中すればいいわ)

 

(一つ目のクロスファイヤーのサイン……分かりました!)

 

(あの選手の守備位置は……よし、いける)

 

 互いの考えが交錯する中、投球姿勢に入った野崎が左足を踏み込むとバッターの取った構えに目を見張った。

 

(バント……!?)

 

(させない!)

 

(……! しまった。セーフティか!)

 

 東雲が一歩目を踏み出したタイミングよりワンテンポ遅れて倉敷が地面を蹴ると投じられたストレートにバッターは狙いの方向に転がすようにバットの向きを調整する。

 

(中条キャプテンの指示通り、狙いは……ファースト!)

 

(く……アタシが野崎の足を引っ張ってたまるか! ……!?)

 

 キン、と短い金属音がグラウンドに響くとボールは打ち上がった。

 

「ファースト!」

 

「分かった!」

 

 倉敷はブレーキをかけるように減速すると落下地点に合わせるように2歩、3歩と踏み出し、高く打ち上がった打球をキャッチしにいく。

 

「アウト!」

 

(ふぅ……。イージーフライではあるけど、とりあえずツーアウトね)

 

(セーフティの懸念が抜け落ちていたわね……。しっかり頭に入れないと。けど、低め一辺倒を避けたのは正解だったわね)

 

(……なんて角度のクロスファイヤー。芯の下に当てるようにしたかったのに……)

 

 想像より内に食い込む角度のストレートに面食らった2番打者はバットを拾い上げると、芯より根本のミートポイントの狭い場所を見つめながらベンチへと帰っていった。代わるように3番打者が左打席へと入っていく。

 

(あの子でもバント合わせきれないのか……。あたしはどうするかな。ファースト狙いしようにも、セーフティは簡単じゃない上にやったばかりで警戒されてるだろうし……)

 

 右足のかかとを上げるようにして投球に備えるバッターにボールが投じられると真ん中低めやや内寄りに決まったストレートをじっくり見るようにして見送った。

 

「ストライク!」

 

(速いし、左のあたしにとっては見えづらいなぁ。これを引っ張ってファーストに強い打球を飛ばすのは難しい。無理にファーストをこじ開けるのは危険か。……じゃあどうするかな。意表を突いてもう一度走り打ち(スラップ)を狙ってみるか?)

 

(初球は見てきたか……。ノーステップ打法は足を上げる動作を短縮する分、速球には対応しやすい。野崎さんの低めのコントロールも安定しているし、ここは……)

 

(二つ目のクロスファイヤーのサイン……。左バッターにとってはアウトコースに決まるボールですね)

 

(待てよ。走り打ちが仮に成功したとしても、得点圏にランナーがいないと明菜は……。盗塁も初回のを考えると警戒されてるだろうし、今投げてるのは走りにくい左の速球派だ。初回より盗塁は決めにくいぞ……)

 

 サインの交換が終えられると野崎が投球姿勢に入り、アウトコースを厳しく狙ってストレートが投じられた。

 

(なら、狙いを無理に上げてでも……!)

 

(振ってきたわね……!)

 

 ノーステップで踏み込んだバッターがアウトコース真ん中に投じられた際どいコースのストレートにバットを振り出すと、バットの先で捉えられたボールがレフト方向へと上がった。

 

「……!」

 

(東雲さんの後ろ……けど、届くか際どい! それに真後ろに下がりながら捕りにいく必要がある……!)

 

(どうだ! フェアになれば足を生かして二塁まで行ってやる……!)

 

「有原さん、任せたわ! 岩城先輩はカバーに!」

 

「分かった!」

 

「おう!」

 

(……! 東雲さんが指示を……。確かに岩城先輩がダイレクトで捕るには浅い。東雲さんはダイビングキャッチには行きづらい体勢。横から向かえる有原さんが一番このボールにチャレンジしやすい……!)

 

 指示を出した東雲は打球を追いかけるのをやめると翼がミットで打球を弾いた場合を想定してファールゾーンへ向かい、岩城は翼が打球に届かなかった場合を想定してカバーに入ると、翼はレフト線にふらふらと上がった打球を懸命に追いかける。

 

(外を流した分、打球がスライスしてる。打ち上がった打球だけど届くかはギリギリ。……! 2人がカバーに入ってくれてる! なら……跳ぶんだっ!)

 

 打球の軌道がレフト線ギリギリへと落ちるように曲がっていくとその落下点に向かって一直線に走っていた翼はダイビングキャッチをしにいった。そして翼の身体が地面へと落ちると、一塁を回ったバッターランナーはミットに収められたボールが目に入った。

 

(ノーバウンド? それともワンバウンドか? あの体勢からなら二塁は間に合う……!)

 

「……アウト!」

 

(……! ダイレクトで追いついたのか……!?)

 

「届いた……」

 

「何を不思議そうにしているの、有原さん」

 

 この打球に伸ばしたミットでダイレクトキャッチに成功した翼が呆然としていると、東雲が手を伸ばしていた。その手を体重を預けるように掴んだ翼が引っ張り上げられると、東雲はため息をついた。

 

「確かに今日の貴女はボールに対する反応がワンテンポ遅れている。だからといって今まで練習で身につけたものが無くなるわけじゃないわ。今のスライスしていく軌道に惑わされずに落下点へと一直線に向かっていたのがその証拠よ」

 

「そっか。この調子でも……私に出来ることはあるんだ」

 

「もし無かったら新田さんに代えているわ」

 

「ということは……私ならやれるって信じてくれてたんだね」

 

「…………調子に乗らないで頂戴」

 

「あ! 待ってよー!」

 

 手を離してベンチへと帰っていってしまう東雲。その後を追うように翼も投手板の上にボールを置いてからベンチへと帰っていく。その様子を見て野崎が微笑んでいると、その隣に倉敷がやってきていた。

 

「ナイスピッチ。ボールカウント悪いところから渡しちゃったけど……三者凡退。これ以上ない内容だったわ」

 

「ありがとうございます。この試合……私には何が出来るのかってずっと考えていたんです。そして倉敷先輩のピッチングを見て……エースとしてチームを引っ張っていこうとしているのが分かりました。だからもし私に出番が回ってきた時には、その意思を継いで私がチームを引っ張るんだって……」

 

「……なるほどね」

 

 そう語る野崎の顔を見て一瞬表情を緩めた倉敷だったが、視線をベンチに向けた後に真剣な眼差しを野崎へと向けた。

 

「ただ、まだ試合は終わってないわ。残りのイニングも頼んだわよ」

 

「はい! ……あ、でももし試合が延長になったら倉敷先輩がマウンドに上がることも……」

 

「それはなさそうね」

 

「えっ?」

 

「後は頼んだわよ」

 

 6回の表が終了し、6回の裏の里ヶ浜高校の攻撃は9番から。金髪をヘルメットに収めた彼女はバットを手に準備投球をするピッチャーのことを見つめる。

 

「どうやら緊張はなさそうですね」

 

「アタシを誰だと思ってるんですか! 緊張なんて全くしてないですよ」

 

(……そういえば逢坂さんは元々、天才子役だったと聞いた覚えがあるな)

 

「それはそれで問題ですね。適度な緊張というのも必要ですから」

 

「なっ……!」

 

(うー! 初日の練習の時から思ってたけど、やっぱりこの人とは合わないわ!)

 

 選手交代の役割を担う東雲の指示によって9番に入っていた倉敷の代打として任されたのは逢坂だった。次の1番バッターである九十九から話しかけられた彼女は緊張している様子は見られなかったが、代わりに会話していくうちに頬を膨らませていた。

 

「それに舞台の緊張と、試合での緊張というのは異なるものでは?」

 

「ふっふーん。アタシはどんな場面でも落ち着けるように、イメージトレーニングはかかしてないんですー。むしろチームのピンチを颯爽と救うヒーロー……ヒロイン? の役割はアタシのためにあるので、望むところですよ!」

 

「そうですか。それは良かったです」

 

 すると投球練習が終えられ、それをずっと見ていた逢坂は一度九十九の方に顔を向けた。

 

「今日の守備だけでも九十九先輩が凄いのは実感してますけど……アタシ、負けませんから! いつか、アタシが先輩を追い抜いてスタメンになる! 今のうちに覚悟しておいて下さいね」

 

「……!」

 

 九十九がその言葉に大きく目を見開くと逢坂は球審に呼ばれてバッターボックスへと向かっていく。

 

(負けない、か)

 

 勉学でもスポーツでも完璧と言われつづけていた九十九はその言葉に新鮮さを覚えていると、知らず知らずのうちに口角が少し上がっていた。

 

「よろしくお願いしまーす!」

 

(代打か……)

 

 右打席へと入っていく逢坂にキャッチャーが目を配ると逢坂は意気揚々とバットを構える。

 

(立ち位置は少し左寄りだな……)

 

(形は代打だけど気持ちは4番打者のつもりでいくわ! 狙いは内からさらに食い込んでくるっていうストレート!)

 

(左に寄ってる分、内は窮屈にならずに対応しやすいかもな。初球は様子見で外にスライダーだ)

 

(了解。あと2イニング、抑えてみせる!)

 

 1球目が投じられるとアウトコースに投じられたボールに逢坂のバットが止まり、キャッチャーはミットを外に動かす形でスライダーを捕球した。

 

「ボール!」

 

(外に大きく外れたな……そうか。こっちだって中断で間が空いた分、やりづらいんだ)

 

「楽に! 肩の力抜いていこう!」

 

 キャッチャーからの掛け声に頷いたピッチャーはボールを受け取ると息を大きく吐き出していた。

 

(元々アウトコースのコントロールが良いわけじゃないんだ。今のコントロールで厳しいところ突いて見逃し狙うよりは、振らせていこう)

 

(分かった。インコースに……)

 

(来た! インコースのストレー……)

 

 続く2球目がインコース真ん中へと投じられるとこのボールのシュート回転する軌道を予測して逢坂はスイングの始動に入った。

 

(少し遅……ストレートじゃない!?)

 

(シンカーを引っ掛けろ!)

 

 足を踏み込むタイミングで違和感に気付いた逢坂がスイングの軌道を腰の回転を使って変えると、体幹がブレなかったことでスイングが泳がずにバットが振り切られた。沈んでいくシンカーの球の中心、その僅か下をバットの芯で捉えた打球はサードの頭上へと放たれる。

 

(これは……!)

 

 サードはこの打球を見上げると手を伸ばしても届かない高さで越えていったボールを見送り、バウンドして転がっていく打球をレフトが収めると、一塁を少し回った逢坂はベースへと戻っていった。

 

(内へと食い込む軌道に対応しやすいよう腕をたたまれたか……! スイング崩せたと思ったけど真っ直ぐ伸びるストレートがない分、内に変化する軌道に張られてたんだ……。だから修正が間に合ってしまった)

 

「あ、逢坂さん。ナイバッチ……!」

 

「ありがとう茜ちゃん! 狙いとはちょっと違ったけど、身体が反応してくれたわ。……後は任せたわよ!」

 

「へ……? あっ!」

 

「任せるにゃ!」

 

 宇喜多が不思議そうな顔をして後ろを振り向くと代走が告げられ、里ヶ浜ベンチから中野が向かってきていた。すれ違いざまに片手でハイタッチした2人が入れ替わると、中野が一塁ベースについた。

 

(よく打ったにゃ! 出番を信じて身体を温めておいた甲斐があるってもんだにゃ!)

 

 九十九に自慢げな表情を向けながらベンチへと帰っていった逢坂が祝福されているのを目に入れながら、中野はグラウンドの地面を足で軽く叩く。

 

(そんなに状態は良くないにゃ。とっさにベースに戻ろうとした時に、足を取られる可能性もある……。よし、決めたにゃ)

 

 中野が足場を確認している間に九十九が右打席へと入っていく。

 

(どうするあおい? 貴重な同点のランナーだ。送れというならバントするよ)

 

(あおいの中で作戦はもう立ててあるのだ。九十九、なかあや、サインは……これなのだ)

 

 ネクストサークルに座る阿佐田からサインが送られるとプレーが再開され、キャッチャーはこれまでの打席と変わらずにバットを平然と構える九十九を見上げた。

 

(送らないのか? そういえばこのバッター、1番打者だけあって足があったな。強行策でもダブルプレーにはならないって判断か? 右打ちの可能性もあるな……)

 

(代走で出てきたから警戒したけど……このランナー、そんなにリード広く取らないな。こっちとしては神経使わない分、助かるけど)

 

(さっきのシンカーはストライクを取りにいくシンカーだった。このバッターは2打席目でそのシンカーを引っ掛けて内野ゴロにしてる。コントロールは気になるけど、ここは低めの際どいところを攻めてもらうよ)

 

(はいよ。ゴロなら当たり次第では足が速かろうとゲッツー狙えるしな)

 

 サインの交換が終えられるとピッチャーは中野に気を配りながら一旦ボールを長く持つと、クイックモーションからシンカーを投じた。真ん中低めから内に変化しながら沈む軌道は僅かに低めに外れ、このボールを九十九はバットを振り出すことなく見送った。

 

「……ボール!」

 

(そんなにはっきり外れたボールじゃないぞ? ……まさか)

 

 2球目が投じられるとインコース真ん中に投じられたストレートが内へと食い込んでいく。このボールも九十九は手を出さずに見送った。

 

「……ストライク!」

 

(さすが。内に際どくストレートを投げ込むコントロールはこの場面でも安定してるね。そして多分、出てる指示は……待球だったんじゃないか? こっちが考えすぎてボールカウント悪くするのを待ってたはずだ。問題はこっちがストライクを取ったことでサインが変わるかどうか……)

 

(……ここでサイン変更なのだ)

 

(まだ私は待球のままだが……)

 

(これはまた……大役を仰せつかったにゃ)

 

 互いに思考を読み合う中、阿佐田とキャッチャーからそれぞれサインが送られると、ピッチャーは再びボールを長く持つ。

 

「リーリーリーリー……」

 

(タイミングはあのピッチャーをずっと一塁コーチャーとして見てる宇喜多に任せるにゃ。ワタシのすべきことは……)

 

(さっきのストレートの軌道に合わせて……シンカーを!)

 

「……! ごぉー!」

 

(一瞬でも速く、一歩目を踏み出すことにゃ!)

 

「なっ……」

 

(あのリードで走った!? エンドラン……? いや、これは……!)

 

 インコース真ん中から低めへと沈んでいくこのボールの上を九十九が大きく空振り、沈む軌道をすくうように捕ったキャッチャーが立ち上がると二塁ベース目掛けて送球を行った。低めの軌道で投げられたこのボールを収めたセカンドがスライディングしてベースに滑り込む中野にタッチすると、判定が宣言される。

 

「セーフ!」

 

(よし……! 間に合ったにゃ!)

 

(単独スチールですって……!? 失敗すれば、同点のランナーを失うんだぞ……)

 

「今のボール、ストレートでは無かったですね」

 

「そう見えたね。多分沈んでたと思うよ、小也香」

 

 第一試合を終えてからスタンドに残り、今日の試合を観戦していた清城高校の面々は今のプレーについて話し合っていた。

 

「変化球だと結構変わるの?」

 

「変化球はキャッチャーミットに届くまでストレートより0.2〜0.3秒遅れると言われています」

 

「それにキャッチャーとしてはボールが高い方がスローイングの動作に移りやすいんだ。低めだとどうしてもワンテンポ遅れちゃうの」

 

「そうなんだ〜。でもびっくりだねぇ。あのリードで走ってくるとは思わなかったよ」

 

「……前に里ヶ浜と練習試合をしていた時、彼女が大きくリードを取ったことを覚えていますか?」

 

「覚えてるよぉ。凄いリード広げてたよね」

 

「あれは帰塁の意識を強めることで、ピッチャーにプレッシャーをかけられるリードだったのです。今回はリードを広げなかった分、帰塁は強く意識する必要はなかった。そのため次の塁への一歩目を速く踏み出せたのではないでしょうか」

 

「なるほど……。リードを抑えてても、その分スタートが速く出来るんだ。リード狭いからって盗塁が無いってわけじゃないんだね」

 

(なかあや、よく決めてくれたのだ。けど代わりに九十九が追い込まれちゃったのだ……ここは)

 

(右打ちか。分かったよ。君が初回に語っていた勝負師はセオリーを知る、ということの意味もね)

 

(スリーバントは無さそうか……。ランナー三塁に行かしたくはない。これで……)

 

(インコース低めに今度は……!)

 

 1ボール2ストライクから投じられた4球目は先ほどと同じようなインコース低めへと向かっていく。このボールに始動を溜めた九十九は右方向へと放とうとバットを振り出した。

 

(……! これは……スライダー!?)

 

(そのまま前で捌け!)

 

 投じられたのはバットの先に当たるように中へと変化していくスライダー。内への変化に備えた分前で捌いてしまうことを九十九は感じたが、既にバットを振り出しており、さらに引きつけるのは難しかった。

 

(……かくなる上は!)

 

(スイングを……止めた!?)

 

 振り出したバットを止めるように力を込めた九十九のスイングが弱まっていくとバットの先に当たったスライダーはピッチャーの正面に弱い当たりで転がっていく。

 

(く……振るのを諦めて、左方向に打つのを無理やり避けたか!)

 

「ピッチャー!」

 

(三塁でアウトにしてやる!)

 

 このボールに対して前に出たピッチャーがこのボールを拾うと身体を三塁方向へと向けた。

 

「にゃにゃにゃにゃー!」

 

(……! もうあんな位置に!?)

 

「ファーストに!」

 

「くっ……!」

 

 当たりが弱く、目に見えない程度の水溜りが点在するグラウンドで転がるボールにピッチャーが追いつくのに少しの時間を要した。三塁近くに来ている中野は刺せないと判断したキャッチャーの指示でピッチャーがサードへの送球を諦めるとファーストへと送球され、九十九はアウトになった。

 

「悪いね、あおい。あれが精一杯だった」

 

「いやいや、よく進めてくれたのだ。後は任せるのだ」

 

 1アウトランナー三塁となり右打席には阿佐田が入っていく。

 

(代走で出てきたあのランナーの足は速い。となれば警戒しないといけないのは、スクイズだ)

 

 そしてキャッチャーの指示で内野陣が前進してくると外野陣も前に出てきていた。

 

(……あおいが出すサインはこれなのだ)

 

(……! 今阿佐田パイセンが自分自身に対してサインを送ったにゃ……)

 

 そして初球が投じられると中野はスタートを切らずに投球を見守る。するとピッチアウトで外の高めに大きく外されたボールが彼女の目に映った。

 

「ボール!」

 

(なかあやの足なら、この前進守備でスクイズしても間に合う可能性はあるのだ。たださすがに一点リードで超前進守備は取れないから、警戒して外してきたのだ)

 

(2番バッターだ……バントが苦手ってことはないはず。……! 踏み込んできた……?)

 

 すると阿佐田が外ギリギリまで踏み込む構えに変わり、キャッチャーは大きく目を見開いた。

 

(このバッター、初回にアウトコースから中に入るストレートを打ってるからか。……でも、それは内を捨ててるって言ってるものだ。バントだってやりづらくなる。得意のインコース真ん中にストレートを!)

 

(分かった)

 

 投じられた2球目はインコース真ん中へのストレート。このボールを阿佐田は見送った。

 

「……ボール!」

 

(……! 少し内に外れた……)

 

(あのピッチャーは5回と3分の1を、途中から雨が降ってる状態で投げてきた。疲れはあるはずなのだ。そしてこの踏み込んだ構え……内に攻めれば、ピッチャーにとってはデッドボールがどうしてもよぎるはず。しかもあのピッチャーのストレートはシュート回転。どうしたって、神経使わざるを得ないのだ)

 

(しまったな。さっきと同じでこっちがボールカウント悪くするのを待ってるのか……? なら、まだ仕掛けてこないはずだ。この構えだと多少真ん中に入っても打てないはず。今のボールより中に……)

 

(ここはストライク取らないとな……)

 

 ピッチャーが3球目を投じようとした瞬間だった。彼女の目にスタートを切る中野とバントの構えを取る阿佐田が映った。

 

(スクイズ……!)

 

 とっさに投じようとしたストレートを外に大きく外すと、これがキャッチャーのミットに収まった。

 

「ボール!」

 

「な……」

 

 バットを引いた阿佐田にピッチャーが驚くと、慌てて三塁に視線を向ける。すると中野はスタートを切るフリをしただけで、すぐにベースへと戻っていた。

 

「小也香。あれは……」

 

「私たちが練習試合で里ヶ浜に仕掛けた策ですね。しかし、今まで対戦した中で里ヶ浜がああいった連携を必要とする揺さぶりをしてきた覚えはありません。……恐らくあの練習試合の後から実践的な練習を多く取り入れたのでしょう」

 

(やられた。3ボール0ストライク……こうなったら開き直ろう。このカウントなら無理せず見てくるはず)

 

 4球目に投じられたシンカーが真ん中からインコースの低めへと沈んでいくと、踏み込んでいる分窮屈なスイングを強いられる阿佐田は、その状態でフルスイングを敢行した。

 

「ストライク!」

 

(ここで振ってきた……! 今のは合わなかったけど……そうか。外野を前進させてるから、甘い球を捉えて長打にするつもりだったんだ)

 

(入れにいくわけにはいかないか……)

 

(打てる手は全て打ったのだ。さあ、どうくるのだ?)

 

 3ボール1ストライクから投じられた5球目はインコース低めから真ん中へと入っていくスライダー。踏み込んだ構えのまま、阿佐田はこのボールを見送った。

 

「……ボール! フォアボール!」

 

(く……長打を避けるために低めを要求したとはいえ、低めに外れたか……!)

 

 阿佐田はバットを転がすように置いた瞬間、キャッチャーからは見えないように表情筋を動かして笑うと一塁へと歩いていった。

 

(阿佐田パイセン、結局最初に自分に出した待球のサインを解除しなかったにゃ……。あの空振りも振る意思があると相手にアピールするものだったのにゃ)

 

(1アウトランナー一塁三塁……みんなが繋いでくれた)

 

「翼!」

 

「は、はい! なんですか?」

 

「後ろにはウチらがいるんだ! 後のことは任せて、気合いをぶつけてこい!」

 

「……分かりました!」

 

 ネクストサークルから打席へと向かおうとする翼にベンチから岩城が声をかけると、その間にいた東雲も静かに頷き、翼は気合いを入れた様子で右打席へと入っていった。すると外野は定位置に戻り、内野は中間守備へと変わっていく。

 

(気合い……ね。なら、空回ってもらおうじゃない。初回と同じくスライダーを打たせて、内野ゴロゲッツーを狙おう)

 

(そうだな。今日このバッターは当たりはまあまあだけど、どっちもショート正面に飛んでる。そういう日は1日ずっとダメなもんだよ)

 

(今日のつばさの調子。大きくは前に出てないファーストとサード。そして九十九とあおい自身に出した待球によるバッテリーの焦れ。……ここ、なのだ!)

 

(……!)

 

 サインを了承するようにヘルメットのつばを触った翼が右打席へと入る。そして地面をならしている間、翼は自身の胸で響く鼓動が激しくなっていくのを感じていた。

 

(今、私が打席に立っていられるのはこんな私でも東雲さんやみんなが信じてくれているからだ。その期待に応えたい……!)

 

 そしてバットが構えられると、ピッチャーがしばらく間を置いた。

 

(次はあの4番だ……。このバッターに繋がせるわけにはいかない。抑えてやる……!)

 

 短く息を吐き出し、投球姿勢に入った瞬間だった。三塁ランナーの中野がスタートを切った。

 

(またフェイクか!? いや……違う!)

 

(これは……初球スクイズ!?)

 

 横から腕を身体の前に出すようにした瞬間、バントの構えを取る翼を見て、ピッチャーはとっさに外す判断をした。

 

(外した!)

 

(外された!?)

 

 外のボールゾーンにボールが投じられると中野はそのままホームへと突っ込んでいく。

 

(届いてっ!)

 

 託されたスクイズのサインを実行すべく翼はジャンプすると右手をバットから外し、遠いボールに向かって左腕を伸ばしてバットを当てにいった。

 

(届く……!? けどヘッドが下がってる! これは……打ち上がる!)

 

(絶対に……繋いでみせる!)

 

(手首を返した!?)

 

 インパクトの寸前、翼が左手首を返すと投じられたボールにバットが当てられた。ボールの上側を捉えた打球はホームベース付近に叩きつけられるようにバウンドして転がっていく。

 

「フェア!」

 

 外のボールの勢いに押されるように当てられて放たれた打球はホームベースの前でバウンドするとファースト方向へと向かっていく。

 

(バウンドが高い分、転がる勢いが弱い! ファーストは前には出ていたけど……)

 

「よくやったにゃ! 後は任せるにゃ……!」

 

 転がった打球を横目に瞬足を飛ばす中野とこのボールをファーストが収めたタイミングを見定めたキャッチャーは送球方向の指示を行った。

 

「……一塁に!」

 

「……! ……分かった!」

 

「中野さん! ノースライ!」

 

 地面に胸から叩きつけられるように落ちた翼が一塁へと向かうが、一塁ベースカバーに入ったセカンドへと送球が行われて翼はアウトになった。その間に飛ばされた東雲の指示に応じるように中野がホームベースを踏む。

 

「あ、有原さん! 同点だよっ!」

 

「茜ちゃん……! 良かったよぉ……」

 

 一塁ベースを駆け抜けた翼が後ろを振り返ると中野のホームインの瞬間は見れなかったが、代わりにそれを目にしていた宇喜多が話しかけると翼は思わず安堵感から涙目になりながらも、小さく笑った顔が涙と共に溢れるように出てきていた。

 

「帰ってきたにゃー!」

 

「中野さん……おかえりなさい! 本当に凄い走りっぷりでした……!」

 

 同点のホームインを踏んだ中野は翼より少し先にベンチに戻ると称賛の嵐を受けていた。初瀬も興奮気味に同点に喜んでいると、秋大会のスタメンが決まった後に中野に言われたことを思い出していた。

 

「スタメンはもちろんその試合の中心なんだにゃ。けどベンチにはベンチの役割があるんだにゃ。どっちの役割も勝つためには大事なことなんだにゃ」

 

(本当に……そうですね)

 

 初瀬がその言葉の意味を実感していると、高波は守備のタイムを取ってマウンドに集まっていた。

 

(くそっ……。ここでスクイズかよ。しかもスライダーの握りだったから、大きくは外せなかった……!)

 

「……やられたね。けど、まだ同点だ。ここで切るよ!」

 

 そしてピッチャーの落ち着きを取り戻すように内野陣が声をかけていくと、守備のタイムが終えられた。

 

「……!」

 

 東雲がキャッチャーが立ったままであることに眉をひそめると、プレーが再開されピッチャーからボールが投じられた。

 

「ボール。フォアボール!」

 

(敬遠か……)

 

(このバッターは抑えられる気がしない……。次の5番で勝負よ)

 

「ふぅ……よし! 行くぞ!」

 

 一球一球ボールが外される様をネクストサークルから見ていた岩城はその間に何度も深呼吸を挟むと、東雲が一塁へと歩いていったのを見て立ち上がった。

 2アウトランナー一塁二塁。左打席の前まで来た岩城は二塁にいる阿佐田へと目を向けた。

 

(宿舎の前で……ウチら先輩が後輩を引っ張っていくと誓った! あおいはチャンスメイクで、伽奈は守備で、舞子はピッチングで……ウチもやるぞ!)

 

 気合いを入れた様子で「よろしく頼む!」と大声を出しながら左打席へと入った岩城は最後にもう一度深呼吸を挟んでからバットを構えた。

 

(2アウトでランナーは迷わずスタートを切る。ランナーが一塁にいるし、パワーのあるバッターだから長打警戒シフトを取るか? それに次のこっちの攻撃は明菜に回る。もう一度あの弾丸ライナーで突き放して……待てよ。明菜が……先頭バッター?)

 

(……? 何を考え込んでるんだ?)

 

 外野に指示を送ろうとしたキャッチャーが考え込むと、少しの時間を挟んで指示が送られた。

 

(外野が前に出てきたのだ……。あおいを還さないつもりなのだ? 確かに残り1イニングでの逆転を防ぎにいくのは考えられる策なのだ)

 

(内も混ぜるつもりだけど、リーチの短いこのバッターには外中心だ。初球はまずシンカーを……外低めの際どいところ狙ってもらうよ。この場面、入れにいくのはまずいからね)

 

(何が言いたいかは分かってる。これ以上、点を許すわけにはいかない。それにこのバッターは選球眼ある方じゃないし、ストライクだと思ったら振ってくれるはずだ。だからこそ思い切って際どいところ狙ってやる!)

 

(ウチの狙いは2打席目と同じでいく……!)

 

 サインの交換が終えられピッチャーが投球姿勢に入ると、岩城は大きく外に踏み込んだ。

 

(狙ってたか? けど、さっきそれで届かなかったんだ。……!)

 

(ウチには夕姫のようなリーチや翼のようなバットコントロールはない。だが……気合いだけなら誰にも負けん!)

 

 そして最初から浮かせている右手の小指だけでなく、続けて薬指も浮かせると、さらに中指までもバットから浮かせてスイングの始動に入っていった。

 

(無茶だ……! 右腕の支えが揺らげば、左腕にどれだけパワーがあろうと伝わりきらない!)

 

「どっ……りゃあああ!」

 

 外に逃げながら沈んでいくシンカーに対して残った2本の指を支えにバットを振り出した岩城は足を低く沈み込ませるようにして低い体勢となり、身体の軸が斜めにながら左腕を押し込むと、バットが振り切られた。無理な体勢からのフルスイングで岩城はそのまま背中から地面へと倒れる。そして届いたバットから放たれた打球は左中間方向へと上がっていた。

 

(当てたか……!)

 

「レフト!」

 

(このだんちょーの打球……いつもより勢いが弱いのだ!)

 

 二塁ランナーとして走り出した阿佐田は岩城の放った打球にいつものような荒々しい勢いを感じず、焦りながらこの打球から目を切って懸命に足を動かしていた。

 

「捕れっ!」

 

「越えて……!」

 

「止めろ!」

 

「伸びて!」

 

 両ベンチからグラウンドに声援が届く最中、前進していたレフトは懸命に後ろに下がりながら、落ちてきたボールに向かってミットを伸ばして飛びついた。そして……ミットの僅か先をボールが越えていく。

 

「抜けたーっ!」

 

(な……!)

 

 バウンドした打球は点々と外野に転がっていき、その間に二塁ランナーの阿佐田がホームインした。そしてセンターが外野フェンスより前でこの打球に追いつくとホームに向かって送球が行われる。

 

(く……)

 

 しかし2アウトで迷わずスタートを切っていた東雲は送球が届くより先にホームを踏み、キャッチャーはこのボールを前に出て収めた。

 

「岩城先輩! バックです!」

 

「なっ……!?」

 

 二塁にたどり着いていた岩城は送球間の進塁を狙って三塁へ向かっていたが、河北の指示に反応して慌てて反転した。しかし足元のぬかるみで一瞬遅れた反転になると二塁ベースへと滑り込みながら手を伸ばした。

 

「アウト!」

 

「くぅー……不覚!」

 

 低い送球が届き、岩城の伸ばした手に触れるようにミットが当てられると戻りきれなかった岩城はアウトに取られた。

 

(……今の打席……。シンカーは要求通り来ていた。あのバッターには届かないはずのコース……。それを無理やり届かせた。そこまでは……いい。その代わり無茶をした分、打球に伝えられるパワーは半減するはず。そして……確かに半減していたんだ。けど外野を前に出してしまった分……半減していても、僅かに越えられてしまったんだ)

 

 岩城をアウトにしたもののキャッチャーの顔色は晴れることなく、そのまま高波ベンチへと戻っていった。

 

「あおいも見たかったのだ! 打球が越えるところ……ナイバッチなのだ!」

 

「はっはっは! 本当にギリギリだったが……越えて良かったぞ!」

 

「それは同意しますが……あんな打ち方して怪我はしてないですか?」

 

「ちょっと一瞬痛みはあったが、平気だ!」

 

「怪我がないのは何よりです。でも、あまり無茶はしないで下さい」

 

「む……だが今のは無茶しないと届かなくてだな……」

 

「まあ、確かにそうですが……怪我はしない方向でお願いしますね。とりあえず今は……ナイスバッティングでした。……永井さん。いいかしら」

 

「は、はい。なんですか?」

 

「2点リードで迎えた最終回……ここは守備交代をしたいと考えているの」

 

「あ、中野さんと代わるんですね。分かりました……! 中野さん、後はお願いします!」

 

「任せておけにゃ!」

 

「それと……秋乃さんは……」

 

「……! こっちだよ。りょー!」

 

「貴女には永井さんと交代でファーストに入ってもらうわ!」

 

「わかったー! がんばる!」

 

 6回の裏の攻撃が終わり、7回の表。逆転して2点リードで迎えた里ヶ浜はセンターに中野が、ファーストに秋乃が入り、守備を固めて守りきる姿勢を見せる。

 

「2点差か……」

 

「ごめん。明菜。私の判断ミスで……」

 

「それはもういい。それより……代打、出す?」

 

「だ、出せるわけないじゃない……キャプテンのあなたに」

 

「そ……分かった。じゃあ行ってくる」

 

 そして右打席には4番の中条が入っていった。その中条に対して投じられた初球は真ん中低めのストレート。これを打ちにいった中条だったが、遅れたタイミングでのスイングになり空振りを取られる。

 

(やはり……中条さんの極端なバッティングスタイル。それは状況によっては大きな武器になる。けど……大きな弱点にもなる。初回の盗塁を防いで、2回の先頭バッターとして迎えて抑えられた時と4回のあのストレートを柵越えした中条さんはあまりにも違いすぎる)

 

 続くストレートが真ん中低めやや外寄りに決まると中条は再びバットを振ったが、遅れたタイミングでのスイングにになり再び空振りを取られる。

 

(そう……高波打線の途切れるポイントはここ。だからこそ先程の回、三者凡退で終えたかった)

 

(明菜のスイングなら当たれば飛ぶんだ……! 明菜が打てば、チームの雰囲気もがらりと変わる。お願い……奇跡でもなんでもいい。当たって!)

 

 高波キャッチャーが祈るように両手を握ると3球目が投じられた。

 

(カウントに余裕はある……アウトローの四隅よ。……低いかしら。……!)

 

 アウトローに投じられたストレートは低く外れていたが、中条はこのボールにバットを振り出していた。そして……キャッチャーミットの捕球音が響いた。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(はぁ……。実力勝負の試合で奇跡なんて起こらない。そんなことは分かってたはずなのに……。バットを振る振らないじゃない。もっと、根本的なとこ……)

 

「明菜! 私たち、まだ諦めてないよ。最後まで諦めないで!」

 

「え……。……分かった」

 

 ベンチへと帰った明菜が声援を飛ばすと、続く5番バッターへの初球はコントロールの安定している低めのストレート。このボールにバッターが思い切って縦に振り出したバットは芯より根本側の部分で捉えられた。二遊間をふらふらと越えていく打球に中野が突っ込んでいく。

 

(ダイレクトで……いや、これは……上手く内野との間に落とすように打たれてるにゃ。届かない。確実に捕るにゃ!)

 

 このボールに全速力で向かっていた中野だったが上手く間に落とされた打球に無理はせず、ワンバウンドしたところを確実に捕球した。

 

(あの5番……またヒットを。そうか……中条さんは敬遠されるデータも多かった。敬遠された後にも脅威となる5番打者を配置するという意図のあるオーダーだったのね。インコースじゃなくとも低めを詰まらせて上手く落とされた……やられたわ)

 

「野崎さん。切り替えましょう! 一つずつアウトを取っていくわよ!」

 

「はい!」

 

 続く6番打者が右打席に入るとインコース真ん中に投じられたストレートが内に外れ2球目、真ん中低めやや外寄りに投じられたストレートにバットが振り出された。

 

(今度こそあの一二塁間を抜く!)

 

(低めではあるけど少し浮いてる……!)

 

 このストレートに逆らわず右方向に打ち返した打球に反応した阿佐田が飛びついてミットを伸ばしたが、その先を抜けていった。

 

(1打席目より打球が速いのだ……!)

 

(よし! ……! ライトが三塁に投げる?)

 

 一二塁間をゴロで抜いたバッターランナーが一塁ベース手前まで入るとライトがサードへと視線を向けているのに気づき、ベースに膨らむように入ると一塁ベースを蹴って二塁を狙った。

 

(サードは間に合わない。……あおい。君なら狙っているだろう?)

 

「……! バック!」

 

「えっ!」

 

(あおいのことをよく分かってるのだ!)

 

 バッターランナーがベースを蹴った数瞬後、ボールを捕った九十九は迷わず阿佐田のもとへと送球し、このタイミングでバックの指示が送られた。届かない打球に飛び込んで一塁に寄っていた阿佐田は立ち上がりながらこのボールを収めると、すぐさま反転した。

 

「こむぎん!」

 

「……!」

 

 オーバーランしたランナーが慌てて帰塁するとタッチが行われ、判定が下された。

 

「……アウト!」

 

(しまった……! このぬかるんだ地面だと勢いの乗った走塁を急には止められなかった……)

 

「これが『あおい99』なのだ!」

 

「そのネーミングだけはなんとかして欲しいけどね」

 

「……今のセカンド、届かないのは分かってて飛びましたね」

 

「みよ、そんなの分かるの?」

 

「アタシからすればちょっとわざとらしい演技ですよ。すぐに立ち上がらなかったのもランナーを油断させるためです」

 

「へー……」

 

「それより高波のランナー、気になるわ。確かに夏の対戦の時も強打の代わりに走塁はどちらかといえば雑だったけど……」

 

「1点差なら無理はしなかったでしょうね。この回で2点返さないといけないプレッシャーが焦りとなって顕われたわね」

 

 次の対戦相手を見定めるように試合が終わってからスタンドで観戦していた明條学園の面々が話していると、右打席に入った7番打者に2ボール1ストライクからインコース低めへとボールが投じられた。

 

「ストライク!」

 

(くっ……手が出なかった。クローズドスタンスだと振っても間に合うかどうか……)

 

(ミットが流れる……さっきはそれでボールにされてしまったように感じるし、気をつけないと)

 

「……最後まで崩れずいきなさい!」

 

「……! キャプテン……はい!」

 

 この内への角度のあるストレートに自身のクローズドスタンスを諦めようとした7番打者へ中条から声援が送られると、再びクローズドスタンスでバットが構え直された。

 

(カウントを取るのにクロスファイヤーを多く使ったし、ここは……これで決めましょう。相手はこのボールのデータは持ってない。ストレートしか投げていない状態では、対応するのは無理だわ)

 

(……! パームボール……ですね)

 

 2アウトランナー三塁。カウント2ボール2ストライク。野崎はミットの中で手のひらで包むようにボールを握ると投球姿勢に入り、パームボールを投じた。そのボールは真ん中低めのストライクゾーンへと落ちていく。

 

(どうして崩れず、なのか。そうだ……雨の中断の時、キャプテンが言ってた。目の前のピッチャーがブルペンでストレートじゃない、低めに落ちる遅い何かを投げているって。クローズドスタンスは……溜めを作れるから、追い込まれた場面で崩してはいけなかったんだ!)

 

(そんな……溜められた!?)

 

(チェンジアップ……? いや、落ちてきてる。……ここだ!)

 

 このボールに対してストレートに惑わされず溜めを作ったバッターは引き付けて変化を見極めるとバットを振り出し、球威のないパームを捉えてファーストの頭上へと放った。

 

「とりゃー!」

 

「……!」

 

 この打球に守備交代で入っていた秋乃が足首をバネのようにしならせて垂直方向にジャンプするとファーストミットを伸ばし、着地した。

 

「アウト!」

 

「やった……!」

 

 長いファーストミットの先に収まった打球は着地の衝撃でも溢れず、アウトの宣言がグラウンドに響いた。

 

 里ヶ浜と高波ベンチから対照的な表情で選手が出てくるとグラウンドで列を作って向かい合うように並び、球審から4対2で里ヶ浜高校の勝利が宣言される。

 

「両校、礼!」

 

「「ありがとうございました!」」

 

「……ねえ、そこの……」

 

「中条さん……? 」

 

 試合が終了し、翼は中条に話しかけられると、少し驚いたような表情を見せた。

 

「……負け惜しみっぽいから言わないつもりだったんだけど……やっぱ言う。正直初回のあんたのプレー見て、勝ったと思った」

 

「そうだったんですか……!?」

 

「だってチームを支えるキャプテンがあれじゃ、勝てるものも勝てないし」

 

「うう……そうですよね」

 

「けど、それは私も同じだった」

 

「え……?」

 

「One for all, All for one。1人はみんなのために、みんなは1つの目的のために。高波の打線の強みは勝負強さ。そのために繋ぐ打線の意識が重要だった。……私は周りのことは見えてても、私自身のことは見えてなかったかもしんない」

 

「……私も、今日似たようなことを思いました。他の人に抱え込まないでと言っているのに、私自身が抱え込んでいたことに気づかなかった」

 

「……あんたは試合の途中で気づいたのね」

 

「はい。チームメイトのおかげで」

 

「……はぁ。……なんか惨めになってきた」

 

「ええ!? そ、そこまではさすがに思わなくても……」

 

「そう? ……あーあ。負けた負けた。一回寝て、気持ちの整理つけて、またやり直すわ。オフの時間一杯あるし」

 

(私も整理した気持ちを彼女にぶつけて、信じた道を……進もう)

 

「はい。そうしたら……また試合で戦いましょう!」

 

「えー……やだ。同じ相手とやるのだるい」

 

「ええっ!?」

 

「冗談冗談。今度はお互い、枷を取っ払った状態でやろ」

 

「……はい!」

 

 こうして中条が背を向けると翼も反転して歩き出す。すると逢坂がベンチ前でスタンドに向けて人差し指を向けているのに気づいた。

 

「わぁ……綺麗な虹だね!」

 

「へっ? あっ、本当……綺麗ね」

 

 いつのまにか雨が止んでおり、空に浮かぶ虹に2人とも感嘆の吐息を漏らしていた。

 

(アタシが指を刺したのは虹じゃないけど、勝利の後に見る虹は格別ね)

 

 虹に見とれていた逢坂が東雲の催促で帰り支度を整えるよう指示されると、一度スタンドにいる大咲みよに視線を移した後、ベンチに入っていった。

 

「変性意識状態?」

 

「ええ……あなたがさっき言っていたトランス状態はその代表格よ」

 

 高波高校のOGはスタンドから出て、球場の外へと出ていく後輩たちのもとに向かっていると、前キャプテンがぽつりとこぼした言葉にもう1人が反応していた。

 

「前にアドレナリンが脳に行き渡るとエンドルフィン・ドーパミン・ノルアドレナリンといった物質も同時に出てくるって話はしたわよね」

 

「ああ……なんか疲れや痛みを和らげてくれるってやつか」

 

「そういう効果もあるんだけど、これらは脳内麻薬と呼ばれていて多幸感を抱かせる作用があるの。勿論、過剰に摂取しなければ達成感とか、そういう時の感覚に近い程度で済むんだけど……」

 

「……0から100に一気にアドレナリンが流れる変則的な明菜の『ゾーン』は私たちの想像のつかないような快感があるってこと?」

 

「恐らくね。さっきのトランス状態って言葉を聞いて、もしかしたらと思ったんだけど変性意識状態は宇宙との一体感を感じさせる……などといったその人の世界観を一変させるほど強烈なものなの」

 

「強烈な快感を無意識に求めて、抜け出せなくなってるって感じか……。どうするの?」

 

「手はあるわ。日常生活から少しずつ変えていけばいいのよ」

 

「変えていけるかなあ……?」

 

「大丈夫よ。明菜は……責任感の強い子だからね。きっと変えていけるはずよ」

 

(そして身体にもチームメイトにも負担のかかる形じゃない。新しい『ゾーン』の入り方も……模索していけるといいわね)

 

 高波OGが外へと出て周りを見渡すと、何やら騒がしい里ヶ浜高校と、落ち込んだ様子の高波高校が目に入り、2人は高波高校のもとへと歩いていくのだった。

 

「ね……寝不足ですか!?」

 

「ええ。寝不足の典型的な症状が出ています。それが原因では?」

 

 試合後、万が一身体の調子を崩している場合のことを考えて看護学校を志望する九十九が診察をしていると、翼の寝不足が判明していた。

 

「で、でも……ちゃんと冷たい水で何度も顔洗って目を覚ましました! それにいつもより念入りにウォーミングアップも!」

 

「……有原さん。交感神経は休めるべき時に休めないと、働くべき時に働いてくれないんですよ」

 

「こーかんしんけー……ですか?」

 

「……今日の試合、ボールに対して反応が遅れていたのでは?」

 

「うっ! そ、そうです……」

 

「それは神経が休まらなかったことで脳への伝達が普段より遅れてしまったことや、アドレナリンの分泌がいつもより抑えられて集中力の低下を招いたからでしょうね」

 

「アドレナリン……こう、気合いが入るとアドレナリンが迸るって言いますよね」

 

「あおいも同じようなことを言っていましたね。ええ、そうです。なので十分な休息を取るようにして下さい。今日は疲れた状態で神経を酷使する形になったはずですから、しばらくは安静にするといいでしょう」

 

「はーい……」

 

(そっか……。気持ちが上がってこなかったのは、そういうことだったんだ)

 

 やがて診察が終わるとスタンドから降りてきた天草がちょっと疲れた表情で里ヶ浜のところに来ていた。

 

「もー、みんな試合が終わったら一斉に出口向かいすぎでしょ……」

 

「天草さん」

 

「おー、東雲さん。それにみんなも。勝利おめでとう」

 

「ありがとう。貴女もあの絵でコンクールで入賞出来るといいわね」

 

「えー。あの絵を出すかどうかはまだ決めてないよ?」

 

「でも貴女はあの絵が気に入っているんでしょう?」

 

「そーだけど、良い子ちゃんな絵を求めがちなコンクールの審査員に理解できるかなぁ」

 

「出来なければ、審査員の見る目が無かったということでいいじゃない。私はあの絵、素直に綺麗だと思ったわよ」

 

「おおー、ありがとう。んー……そっか。絵は人次第で色んな解釈があるのが楽しいのに、わざわざ人の好みに合わせて描くのはわたしには合わないか。……ありがとっ! なんかすっきりしたよぉ」

 

「どういたしまして」

 

「東雲さーん! 次の試合っていつだっけ?」

 

 天草が天真爛漫な笑顔で東雲に礼を言っていると、九十九の診察を終えた翼がやってきた。

 

「4日後の水曜日よ。それがなに?」

 

「椎名さんを誘ってみる!」

 

「ああ……そうね」

 

「え……椎名さんって同じ里ヶ浜の生徒だよね?」

 

「知ってるの?」

 

「んーん。知らないけどぉ……。試合見にくるのは無理じゃないかな」

 

「えー! なんで?」

 

「みんなは大会だし、テスト終わったのもあって公欠みたいだけど……私たちは普通に授業あるよ?」

 

「「あっ……」」

 

「そうね……さすがに私たちの都合で休めとは言えないわね」

 

「そんなー……」

 

「落ち込むことはないわ。三回戦は土曜日。勝ち上がって誘えばいいじゃない」

 

「そう……だね」

 

「ん? なんの話?」

 

「逢坂さん。貴女今までどこに……」

 

「ごめんごめん。大黒だ……大咲みよに結局絡まれちゃって。それよりなに話してたの?」

 

「次の試合を椎名さんに見せかったんだけど、授業があるから見せられないんだ……」

 

「へー、ゆかりちゃんかぁ……」

 

「あら、知ってるのね」

 

「まあねー。ほら、アタシって顔広いし」

 

「行きましょう有原さん」

 

「ちょ、待って待って! それならアタシいいアイディアがあるんだけどなー」

 

「え! 教えてー」

 

「どうしようかなー。龍ちゃんが意地悪したから秘密にしちゃおうかなー」

 

「…………なによ。2人ともその目は」

 

「誠意を見せてもらわないとねー」

 

「もらわないとだって!」

 

「……じゃあ、貴女には帰ってから伝える予定だった情報を先に伝えるわ」

 

「お、情報売買とは……龍ちゃんも悪よのお」

 

「せめて情報交換と言って。……次の明條戦のオーダーだけど、“対左投手”のオーダーを組む予定よ」

 

「そっか……ふむふむ……どういうこと?」

 

「分からないなら紛らわしいリアクションをしないで頂戴。野球のセオリーでは左打者は左投手を打ちづらいとされている。だからオーダーを右打者で固める、という意味よ」

 

(……ということはアタシにもチャンスが……!)

 

「よく分かったわ龍ちゃん! じゃあアタシの情報だけど……」

 

 こうして情報交換が行われ、逢坂の情報に翼と東雲が納得すると里ヶ浜のバスがやってきた。このまま観光した後、夜行バスで帰るという天草とここで別れると、バスが宿舎に向かって出発する。

 

「でも本当に勝ててよかったね。……翼?」

 

 隣に座る河北が翼に話しかけると返事が返ってこず、不思議そうに翼の表情を覗き込んだ。

 

「もぅ……だらしない顔だなぁ」

 

 出発して間もなく眠りに落ちた翼の緩んだ表情を見て、河北はしょうがないなぁという風に微笑むのだった。




裏話としては今回の翼と東雲の会話を前回のラストに入れて試合が再開するところで区切る予定でした。今回もですが前回も想定より文章量が多かったことで、今回に回す形になりました。目算が甘いことが多いので、もう少し上手いこと配分できるようになりたい。

来週はスキップで、次回は2週間後でお願いします。
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