皆で綴る物語   作:ゾネサー

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切り替えていこう

「ストライク! バッターアウト!」

 

「あうぅ……」

 

 2アウト二塁三塁、1ボール2ストライク。ストライクからボールに外れるアウトコースのスライダーにストレートのタイミングで振られた宇喜多のバットが空を切った。

 

(今の宇喜多さんの打力だと勝負できるのは2ストライク取られるまでね。けど積極的に振りに行ったのと3球目の釣り球に引っかからなかったのは評価出来るわ)

 

 宇喜多は下を向きながらベンチに帰り、バットとヘルメットをため息をつきながらしまう。そんな宇喜多にミットを渡しながら東雲は声をかけた。

 

「その。……切り替えていきましょう」

 

「東雲さん。……うん、分かった!」

 

 不慣れながらも励まそうとしたことが宇喜多に伝わり、彼女の顔も上にあげられ、あどけなさが残る微笑みを見せるとライトに向かっていった。

 

(……今度、有原さんか岩城先輩がどういう風に声をかけているのか観察してみようかしら)

 

 そんな考えが頭に浮かんだがあまり気乗りせず首を横に振ると切り替えて東雲もサードの守備につく。8番バッターが右バッターボックスに入り3回の表が始まった。

 

(さて、先制したからといって気は抜けないわ。点が入ったことで試合が大きく動き出すこともある。ここは簡単にストライクを取りにいかないで外角高めに外しましょう。外か高めが狙い球なら反応を示すかもしれない)

 

(分かった)

 

 倉敷は迷わずサインに頷く。バッテリーの様子を清城ベンチから見ていた牧野が少し違和感を覚える中、1球目が投じられる。このボールにバッターは反応して思い切り踏み込んだ。

 

(げっ、狙いはドンピシャだけどボール球!? ええい、いっちゃえ!)

 

 一瞬の驚きを制してそのまま振り出されたバットはその先でボールを捉えた。やや鈍い当たりがショートの頭上に向かって飛ばされる。

 

(高めに一個分外したボールを無理やり引っ叩いた……!?)

 

 有原は外野の方向に体を向けて走り出し、頭上にふらふらと上がった打球を追う。

 

(う……思ったより伸びる?)

 

「翼! 任せるにゃ!」

 

「……! お願い!」

 

「中野さん、カバー入れます。思いきって行ってください!」

 

「分かったにゃー!」

 

 中野と接触しないよう有原は横にそれ、九十九が回り込むようにして後ろに行くと中野は俊足を飛ばして落下地点に向かう。そのまま腰を落とし、足は伸ばさずに曲げるようにしてスライディングを敢行すると、腰の横に置くようにしたミットで落ちてきたボールを収めに行く。スライディングの余韻を残すように砂煙が舞う中、中野は崩れた体勢のままミットを掲げた。

 

「アウト!」

 

(うそっ! 捕ったの……!?)

 

 打球が溢れた位置によっては二塁に行けるかもしれないと様子を見ていたバッターランナーは大きく目を見開いた。

 

「中野さん。ナイスキャッチ!」

 

「ま、それほどでもあるにゃ」

 

 そう言うと有原は手を差し出し、中野はその手を掴むと引っ張られるようにして立ち上がった。倉敷にボールを投げ渡しているとベンチからも声が聞こえてくる。

 

「な、中野さん! えと……ナイスキャッチ、です!」

 

「任せるにゃー」

 

 初瀬の声援に中野は拳を突き上げるようにして応えると、スライディングの際に落とした帽子を九十九に礼を言って受け取りながら定位置へと戻っていった。

 

(最近の中野さんは守備練習に精を出している。初瀬さんの影響かしらね。ただその分打撃の調子が落ちてしまっているのは、本人としては歯がゆい所なのでしょうけど)

 

 そんなことを考えながらキャッチャーボックスに座ると9番バッターが右バッターボックスに入ってくる。初球膝下に投げられたストレートをバッターは見送り、ストライクのコールがされる。2球目、1つ内に外した膝下のストレートも見送られると、今度はボールのコールがされた。

 

(待球の可能性がないわけではないけど、今日の倉敷先輩ならストライクを取ろうと思えばいつでも取れるはず。その可能性を置いておくなら……)

 

 3球目も膝下にストレートが投げられ、バッターは踏み出そうとした足をとっさに引くとそのまま見送られたボールはストライクのコールが為された。

 

(3球続けて内か〜。そろそろ得意の外に来るかなと思ったんだけどな)

 

(多分単純に膝下は捨てていたんでしょう。でも3球も続けて、しかも追い込まれて意識しないのは難しい。ここは対角線に……!)

 

 サイン交換が終わり倉敷の指先からボールが放たれる。投じられたコースは外高め。とっさにバッターはバットを振り出す。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

 外に1.5個分外されたストレートに腰が引け気味に振り出されたバットは空を切る。

 

(よし……!)

 

(うわ〜。このキャッチャーさん意地悪さんだ〜。振らされちゃったよぉ)

 

 9番バッターがベンチに帰っていく途中少し離れたところから鈴木の方を見て拗ねているとネクストサークルから出てきた1番バッターに声をかけられ頬を膨らませて戻っていった。

 

(ここから2巡目。変化球を混ぜていきたいところだけど、まだ練習中なのよね。さすがに倉敷先輩のコントロールが良い方でも今は私の手の届く所に来るとは限らない。ここは下手にペースを乱すより、今まで通り9分割のストレートで抑えていきましょう)

 

 鈴木はバッターの立ち位置を見ながらサインを出すとゆっくりとアウトコース側に動く。倉敷は一度帽子を脱いで額に浮かぶ汗を拭うと帽子を被り直し、鈴木が構えているところをめがけてボールを投じた。

 

(外……!)

 

 バッターはアウトローに投げられたストレートに反応して踏み出したが、バットを止めた。

 

「ボール!」

 

 外にボール2個分は外されたボールにバッターの判断通りボールのコールが為される。鈴木はミットを構えていた位置にボールが来たことに頷き、倉敷に声をかけながらボールを投げ返すと、再び座りながらバッターの様子を窺った。

 

(1打席目で打たれたのはアウトローにボール1つ分外したストレート。結果アウトにはなったけど当たりはヒット性だった。そして今アウトコースに踏み込んできたのを見るに初回3つ続けてアウトローに投げたのが効いてるはず。ここは……)

 

(……その高さでいいのかしら)

 

 倉敷は鈴木のリードに疑問を感じながらも首を縦に振ると、2球目を投げた。

 

(……! 浮いたボール!)

 

 低めに投げられていたこれまでの投球と違い、高めに浮いたボールにバッターはとっさに反応してスイングする。

 

「ショート!」

 

「オッケー!」

 

(くっ……! 落ちて!)

 

 インコース、ベルトの高さに投げられたストライクゾーンへのボールはバットの芯から根元に寄った位置で捉えられ、ショートの頭上へと飛ばされる。しかし8番バッターの打球と違い、有原は外野の方向に反転はせず後ろ歩きで数歩下がると落ち着いた様子でボールをキャッチした。

 

「アウト!」

 

(うっ、全然打球に伸びがない……)

 

(よし。この回は7球、3回を終えて23球。……出来すぎなくらいね。皆の好守備にも感謝しないと。まだ3回とはいえ、そういう意味では今回の守備重視のオーダーは狙い通りに機能しているのかもしれない)

 

 1番バッターが悔しそうにベンチに戻っていくと、3アウトになったため里ヶ浜高校守備陣もベンチに戻っていく。

 

(今の、どうして打ち取れたのかしら。コースとしては甘めだったはずなのに。……打ち損じ?)

 

 マウンドから降りて周りから声をかけられながらベンチに戻っていく倉敷。これまで低めやボール球で打ち取ってきたのに対して、今のボールで打ち取れた原因は分からずにいた。

 

(ま、リードは鈴木に任せればいいわね。私は要求されたボールをその通りに投げればいい。それが私の役目よ)

 

 先にベンチに戻っていた鈴木から水の入った紙コップを受け取り、次の回からのことを聞きながら、倉敷は考えていたことも流すように水を流し込んだ。するとグラウンドの方から金属音が響き、2人とも顔を向けると打球が三遊間へと転がっていた。勢いよく転がるボールにサードは飛びついたがその横をボールは通り抜けていき、レフト前ヒットになる。

 

(同じ手は、通じませんよ)

 

(初回打ち取れたボール球のシュートを見せ球のつもりで投げたら、今度は上手く対応された……!)

 

 九十九は一塁少し回ったところからレフトの捕球を確認してベースに戻ると、グローブを外していた。

 

「倉敷先輩、少し失礼します」

 

 そう言うと鈴木はグラウンドから見える位置に移動し、全体に向けて攻撃のサインを出す。

 

(忙しいわね……)

 

 そのサインに九十九と阿佐田はヘルメットのつばを掴むように手をやると、阿佐田が右バッターボックスに入り、バントの構えを取った。

 

(送りバント……。妥当な作戦だけど、この人は初回プッシュバントをしているし、素直に送ってくるとは限らない)

 

 ストライクからボールゾーンへの高速スライダーのサインを出す牧野。しかし神宮寺はそのサインに首を横に振った。

 

(今のコントロールだとワイルドピッチもあり得ます。この状況ではあまり投げたくありません)

 

(なら……内にシュートを。食い込んで根元側に行くからバントしにくいはずだし、打ちに来ても引っ掛けやすい)

 

 間をおかずに次のサインを出す牧野だったが、そのサインにも神宮寺は首を横に振った。

 

(私のシュートはスライダーほど大きく変化しない。小技が得意な2番バッター相手にはさほど効果的ではないはずです)

 

(そっか。ならこれで行こう)

 

 テンポよくサインの交換が行われるとこのサインに神宮寺は頷く。息を軽く吐き出し、一塁ランナーを目で牽制してからすぐにクイックモーションでボールが投じられた。

 

(インハイのストレート……!)

 

 あらかじめバントを構えていた阿佐田にとっては顔の近くに来たボールに反応し、とっさにバットの位置を調整するとボールが当たる瞬間、ほんの少しだけバットを引くようにして当てられた。

 

「ピッチャー!」

 

「はい!」

 

 ボールは三塁線に沿うように牧野と神宮寺の間に上がり、神宮寺の方が捕れる可能性が高いと判断した牧野はとっさに指示を出す。

 

(浮いた打球。けれど勢いは殺されている。落ちるか……!? 落ちた時にリードを取っていないとセカンドで刺されそうだ)

 

 一塁走者の九十九はリードを広げてからどちらにも行ける体勢を取って止まり、打球の行方を見守る。打球が落ちてくるところ、その落下地点ギリギリをめがけて神宮寺の体が宙を舞った。

 

(捕ったのか……?)

 

 神宮寺の体が陰になり九十九からは捕球の瞬間が確認できない。判断に迷う中、球審からすぐさまコールがされる。

 

「アウト!」

 

「……!」

 

 そのコールに反応して一塁ベース目がけて九十九は走り出す。

 

「牧野さん!」

 

「分かってる!」

 

 体勢を崩した神宮寺はそのままグラブトスを敢行すると牧野はミットを使わずそのまま右手で右肩近くに来たボールを掴み、ファーストに送球した。

 

「アウト!」

 

 ヘッドスライディングで一塁ベースに戻る九十九だったが、それより早く送球が届いてしまいアウトになってしまった。ダブルプレーの成立に里ヶ浜高校ベンチからは思わずため息が漏れ出す。

 

(……やられた。ピッチャーが送球していれば帰塁もある程度の余裕を持って間に合う位置にいたのに。ただバウンドしてから捕られればセカンドもフォースプレーになるからあれより少ないリードだとそちらで刺される可能性があった。……難しいね)

 

「小也香」

 

「今のはいい連携でしたね」

 

 ミットを重ねるように合わせると互いに微笑んでから神宮寺はマウンドに、牧野はキャッチャーボックスに戻っていった。その様子とベンチを見比べるようにしながら右打席に有原が入っていく。

 

(まずい……。一点リードしてるのにベンチがまるで負けてる時みたいに落ち込んじゃってる。こんな時こそ、バットで雰囲気を変えてみせる!)

 

 気合を入れて打席に臨む有原。そんな有原を横目で見ながら牧野はサインを出す。

 

(ゲッツーになってランナーもいなくなったし、開き直って大きいのを狙っているはず。ストライクを取りに行くときは低めを突いていこう)

 

 牧野のサインに頷いた神宮寺は息を深く吐き出して集中すると、一球目を投げた。投じられたコースは真ん中低め。

 

(変化球……)

 

 変化球のタイミングであることを察した有原だったが球種を絞りきれずにバットが止まる。そのボールは有原から離れるようにアウトコースに曲がっていく。外枠には沿わないが低めにきっちりと決められたボールにストライクのコールがされる。

 

(こうも低めに変化球を集められると見極めづらいし、仮に分かっていてもヒットにしづらい。おまけにあの唸るようなストレートに、高速スライダーまで。甘いボールは期待せず、食らいついていくしかないか)

 

(……バットを短く握り直した? 長打狙いじゃないのかな……)

 

(後ろには東雲さんがいる。ここはまずしっかりバットで捉える!)

 

 そんな有原に2球目が投じられる。真ん中高めに投げられたストレートを有原は見送る。

 

「ボール!」

 

(はっきり外したボール。低めの変化球を生かすための見せ球……のはず。まだストライク1つ分余裕がある。ここは神宮寺さんの決め球のスライダーと読む!)

 

 3球目。真ん中低めに投げられたボールに有原は思い切って踏み込んだ。

 

「……!」

 

 スライダーに合わせるように外角低めに迷うことなく振り出されたバットに牧野が目を見開く中、彼女のミットはインコースに構えられていた。

 

「ストライク!」

 

(あちゃー……シュートだったかぁ)

 

(思い切って読んできた。バットを短く持ってるとはいえ、当たると怖いな……)

 

 ボールから大きく離れた位置を振って妙な気恥ずかしさを感じている有原を見ながら牧野はボールを投げ返すと、少し考えてからサインを出した。

 

(高速スライダー。確かにランナーもいなくなりましたし、ボールカウントにも余裕はある。良いかもしれませんね)

 

 そのサインに納得するように神宮寺は頷くと慣れない握りをミットの中で確認するようにしながら、4球目を投じた。

 

(インコース。真ん中くらいの高さのストレート?)

 

 有原は引きつけてからバットを振りだそうとしたが、その瞬間違和感を覚えた。

 

(いや、これは……!)

 

 僅かなボールの変化を感じ取った有原の脳裏に一打席目で仕留められたボールがフラッシュバックされると本能的に振り出すバットのコースを変えた。

 

(まずい。このコースは……!)

 

 インコースのストライクゾーンに向かっていたボール。高速スライダーを要求した牧野は焦りを感じる。内から鋭く変化したボールはコースも高さも真ん中のど真ん中へと向かっていた。

 

 ——キィィィン。捉えた打球は快音と共に放たれ一塁線を襲った。

 

「この……!」

 

 打球に反応したファーストはボールに飛びつきミットを伸ばす。長いファーストミットの先を勢いよく転がっていったボールはベースの上を超えると、そのままライト線に転がっていく。

 

「有原さん。二塁、行けるっ!」

 

「うん!」

 

 一塁手前まで来た有原に宇喜多が指示を出す。一塁ベースに対してスリーフットラインを超えない程度に膨らむように走っていた有原はそのまま減速することなく二塁に向かっていった。ボールは少し流れてファールゾーンへと転がりライトは横向きに捕球すると、セカンド方向に向きを変えて送球する。セカンドにボールが届くが、既に有原は二塁に到達しておりタッチにいくことはなかった。

 

「ナイバッチー!」

 

 ベンチから岩城が座って見ていた永井や初瀬を立たせて背中を押し、グラウンドとの境にある柵のところまで連れてくると声を張り上げた。つられるようにして2人も声を出すと皆もナイバッチと声を上げ、声を受けた有原は塁上で満面の笑みを浮かべながら親指を立てるジェスチャーをして応えた。

 

(……さすがにいくらキレが良くても真ん中のボールで貴女を打ち取ることは出来ませんか)

 

 ボールを受け取りながら有原を見る神宮寺。大きく息を吐き出して頭の中を切り替えると目の前のバッターに集中していく。

 

(2アウトランナー二塁。4番としてここで打たなくていつ打つというの)

 

 東雲も得点圏のランナーを意識し、集中を高めてバッターボックスに入った。

 

(一塁は空いてるけど5番にはさっきヒットを打たれてる。とはいえ入れにいかずにここは厳しくついて、結果的に歩かせることになってもいい)

 

(分かりました。甘くならないよう細心の注意を払います)

 

 かなり厳しいコースを要求するサインからその意図を理解し、神宮寺は頷くとボールに触れるギリギリまで指先で触れるようにしてボールを解き放った。投げられたコースはアウトコース低め。

 

(ストレート。際どい!)

 

 東雲のバットはピクリと反応を見せるが振り出されずにボールは牧野のミットに収まり、心地よい捕球音が響く。

 

「ボール!」

 

「いいボールきてるよ!」

 

 ボールになったものの要求通り際どいコースに投げられたストレートを肯定するように牧野は声を上げてボールを投げ返す。

 

(あれほど厳しいボールに手を出してしまえば簡単に打ち取られる。こういうボールに手を出さないのが神宮寺さん攻略の第一歩よ)

 

(今、少しバットが動いた。ストレート狙い?)

 

 アウトコースのボールを捕りながらも右打席に立つ東雲の様子も視界の隅で捉えていた牧野はその情報も加味して次のサインを出す。2球目、投じられたコースはインコース低め。

 

(入ってる! ストレー……)

 

 このボールに反応して東雲のバットが振り出される。ストレートと思い反応した東雲だったがボールの変化に気づくととっさに手首を使って早めにボールをさばいた。

 

「ファール!」

 

 打球はファールゾーンへ鋭く転がっていき、三塁側ベンチに直撃した。

 

(くっ、ストレートのタイミングで踏み込んでは今の球をフェアゾーンに運んでもみすみすアウトを献上するだけ。シュートは速球系の変化球とはいえ、スライダーほどのキレはないから落ち着けば見極められるはず)

 

(落ち着かせない。テンポよくいこう)

 

 神宮寺はボールを受け取るとサイン通りすぐに投球姿勢に入った。

 

「……!」

 

 クイックモーションで投げられていることも合わせてそれは東雲にとって意表を突かれるような形。アウトコース低めへと変化していくスライダーを思わず見送る。

 

「ストライク!」

 

(タイミングを外された。それだけじゃない。これだけ広く内と外を使われると対応が遅れる……! 1打席目はインハイのストレートに詰まらされた。追い込まれた以上、振り遅れてはどうしようもない。ストレートのタイミングで待って、変化球なら溜めて対応する!)

 

(さて、牧野さん。どのボールで仕留めますか? 先ほどの打席で決め球に使用したインハイのストレートは警戒されていると思いますが)

 

 次のサインを待つ神宮寺。牧野が少し考えた後出したサインと胸を叩くような動作をしてから構えられたミットに神宮寺は表情に出さないよう努めるものの、大きく驚いていた。

 

(……頼もしくなりましたね。以前のあなたは追い込んだ後、外へのスライダーに頼る事が多く、長打のリスクがある内はあまり要求したがらなかった。今の動作、その意図は十分伝わりましたよ)

 

 思わず口角が上がるのをミットで隠すようにしながら、投球動作にそのまま移る。4球目となるボールが今投じられた。そのボールが投げられたコースと球種を判断した東雲は目を見開く。

 

(インハイの……ストレート!?)

 

(たとえ読まれていたとしても、私のストレートならしっかり投げ込めれば抑えられる。それが私たちの答えです!)

 

(舐め……ないでっ!)

 

 ストレートのタイミングで待っていた東雲はこのボールに反応すると迷わずスイングを行う。振り出したバットのタイミングは合っており、金属音がグラウンドに響く。そして次に響いたのは……ボールがミットに収まる音だった。ファースト正面へのライナー、捕球が確認されアウトが宣言される。

 

「……っ!」

 

 バッターボックスから一塁に向かおうとした東雲は捕球されたボールを見て息を呑み、思わず足を止める。3アウトが成立し、清城の守備陣がベンチに戻っていく中、そのまま佇む東雲に二塁から戻ってきた有原が声をかけた。

 

「東雲さん、どんまい! ボールは捉えてたよ。切り替えていこう!」

 

「……捉えられてなんか、いないわ」

 

「え……」

 

 目線を下に向けていた東雲はそのまま有原の方を向かず反転してベンチに帰っていく。

 

(ストレートのタイミングで待っていた。だから順応(アジャスト)は出来た。イメージでは左中間を抜けていた。それがファーストへのライナー。バットがボールの下に入る前に押し込まれて打球が上がらなかった。……間違いなく、私は打ち取られたのよ。1打席目と同じボールで)

 

 鬼気迫る表情をしながらバットとヘルメットをしまい、ミットを取り出す東雲に誰も声をかけられずにいた。だがベンチから出ようとするタイミングで気圧されるようにしながらも意を決して声をかける者が1人いた。

 

「……東雲! アウトになってしまったのはもう変えられない。次のプレーに全身全霊を込めるくらいの気持ちで守備をやるんだ!」

 

「……分かりました」

 

 当たれば飛ぶ代わりに凡退することが多かった岩城は自分の経験から東雲に言葉をかける。東雲はそれなりの声量で返事をしてから守備に向かっていった。

 

「……東雲さん、大丈夫かな」

 

 様子がおかしい東雲に河北は心配そうな表情を浮かべる。

 

「ウチらに出来ることは信じて、応援してやることだ。みんな、声を出していくぞー!」

 

「そういえば岩城先輩。応援というと攻撃の時にするイメージがあるんですけど、先輩はどうして守備の時に特に声を出すんですか?」

 

「何を言ってるんだ咲! 守備の時こそ特に応援が必要な時だろう。だって相手に攻撃されてピンチを迎えることがあるんだぞ! チャンスの時も応援は欲しいとは思うが、何よりピンチの時こそ応援が必要なはずだ!」

 

「確かに……そうかもしれませんね」

 

 応援に対して攻撃の際にそれぞれが交互にするものというイメージがあった近藤は岩城の返答に納得がいった様子だった。

 

 左打席に入る2番バッターに投じた初球はアウトハイへのストレート。バッターはそのボールを見送った。

 

「ストライク!」

 

(……速くなってない?)

 

 1打席目と比較してボールの球速差を感じたバッターは困惑した表情を浮かべた。

 

(アタシが投げるイニングはあと2回。今ので球数は24球目。こっからは全力投球したってお釣りが返ってくるわ)

 

 3回の裏の間に鈴木と話した通り、倉敷は2巡目でボールに慣れてきた清城打線にここからは全力投球で応じることを決めていた。

 

(膝下のストレート。となると……)

 

 阿佐田は鈴木のサインを見ながら次の打球が飛びやすいコースを想像する。体が慣れたようにそれを判断する中、もう一つ考え事をしていた。

 

(さっきの回、あおいが送れていれば間違いなく点が……)

 

 ——キィン。響いた金属音にハッとするようにして顔が上げられる。

 

「セカンド! 後ろ!」

 

「……!」

 

 膝下のストレートに合わせた打球はセカンドの頭上に飛ばされていた。阿佐田は外野の方向に反転し、ボールの落ち際を追い縋るように飛び込んでキャッチにいった。

 

「うっ……」

 

 自分から逃げるような打球に思い切ってミットが伸ばされたが、ジャンプが足りず無情にもその先にボールは落ち、バウンドしたボールを宇喜多が収めた。今日2本目のヒットに清城ベンチからも活気的な声が上げられる。

 

(やられた。詰まらせはしたけど振り抜かれてポテンヒットになってしまった)

 

(……ふん。全力投球しようとアタシには野崎ほどの球速や球威は無いってわけね)

 

 宇喜多からの返球を受け取りながらバッテリーはそれぞれ思考を巡らせていると、3番バッターが右打席に入りバントの構えを取る。

 

(3番バッターにバントか……。あり得る話だけど、一応その前に)

 

 鈴木からサインが出されると倉敷はすぐに一塁に送球を行った。

 

「セーフ!」

 

 コーチャーの指示を受けながらランナーは一塁ベースに滑り込むと、少しの余裕を持ってセーフのコールがされた。

 

(バッター、バットを引く様子はなかったわね。1点差ということを考えても、ここは無難にバントなのでしょう。……なら)

 

(あのサインはアタシへのサインじゃない。アタシのは……そう、こっち)

 

 野手へのブロックサインを出した後、投手に向けて出されたサインに倉敷は頷く。一塁ランナーを2度目で見てから、次のボールがアウトコースに投じられた。すると同時に秋乃が前にチャージをかける。

 

「……!」

 

 バッターはバントの構えを崩さず、アウトコースのストレートにバットを当てた。その打球はサードへと転がっていく。

 

(くっ、セカンドは間に合わない!)

 

「東雲さん、ファーストに!」

 

 バントする確信を持った瞬間に前に走った東雲に鈴木は一塁へのベースカバーに入る阿佐田への送球を要求する。

 

(……そうね。セカンドは間に合わな……!?)

 

 東雲にまっすぐ向かっていた打球のバウンドが急に変わる。先ほど神宮寺が飛び込んだ際に削れた地面の僅かな凹凸によってボールのバウンドはピッチャー側へと変わってしまっていた。

 

(させない!)

 

 東雲はとっさの反応で目の前で変化したボールに食らいつくようにミットを伸ばしそのボールを掴み取ると、すぐに崩れた体勢から送球体勢に移行してファーストへの送球が行われた。

 

「アウト!」

 

 ノーバウンドで投げられた送球は一塁ベースの側面に触れるようにして足を伸ばす阿佐田の突き出したミットに収まり、ランナーがベースを踏む一瞬前に届いていた。

 

「東雲さん、ナイスプレー!」

 

「いいぞ東雲ー!」

 

(……何よ、みんなして声をかけて。攻撃と守備の切り替えくらい出来るわ)

 

 先ほどの凡退からやけに気を遣われているのを感じていた東雲はどう対応すれば分からないようなむず痒さを覚えていた。帽子で顔を隠すようにしながら定位置に戻る東雲を阿佐田が見つめる。

 

(……しのくもは攻撃のこと全然引きずっていないのだ。あおいは……。……! さっきのジャンプと今のプレーで……)

 

 阿佐田は鈴木の掛け声に応じてワンナウトと言いながら指を上げ定位置に戻っていると自身に生じている違和感が増幅しているのを感じ取り、背中に嫌な汗が浮かんでいた。

 

(あの状況での送りバントは一塁に転がすのがセオリー。だから秋乃さんにチャージをかけてもらって二塁でのアウトを狙ったけど、アウトコースに投げたボールをわざわざサード方向に転がされた。あのバッター、バントが上手いわね)

 

 すれ違い様に軽く神宮寺と片手でハイタッチしてベンチに戻っていくバッターを見ながら鈴木は情報をまとめると、歩いてくる神宮寺を迎い入れるようにキャッチャーボックスに座った。

 

(ワンナウト二塁で4番の神宮寺さん。一塁は空いてるけどここで歩かせて逆転のランナーを出すことはない。勝負に行きましょう。ただ長打で逆転のランナーが得点圏に進むのを避けるために、外野は前進させずこのままの守備位置で)

 

 ロジンバッグを叩いて少し多めに滑り止めの粉がついた指先に軽く息を吹きかけて飛ばすと、倉敷は鈴木のサインに頷いてボールを投げた。

 

「ストライク!」

 

(なるほど。確かに速くなっていますね)

 

 6分割のアウトローに決められたストレートを神宮寺は網膜に焼き付けるようにして見送った。

 

(ボールを見た? ……いや、低めにしっかり投げていれば神宮寺さんでも簡単には打てないはず)

 

 投げ返して続けて低めのボールを要求する鈴木のサインに迷わず頷く倉敷。二塁ランナーを一度見てから次のボールを投じた。

 

(ですが決して捉えられないスピードではない。球種も今のところストレートのみ。大振りしなければ……!)

 

 インコース低めに投げられたストレートに対して振り出した神宮寺のバットはその芯でボールを捉える。打球は東雲と有原がキャッチにいく隙もないほど鋭く三遊間を抜いていった。

 

(よし! 外野の守備位置は前に来てなかった。行ける!)

 

 二塁ランナーは迷わずにスタートを切り、鈴木がバックホームの指示を出す中、三塁ベースを駆け抜けた。

 

「す、ストップ!」

 

「えっ!」

 

 三塁コーチャーに止められ慌てて帰塁が行われる。ボールの位置を探ったその目には中継に入った有原のミットに突き刺さるような返球が映った。神宮寺もベースを回って二塁への進塁を窺っていたが、それを見て一塁ベースに戻っていく。

 

(九十九。慣れないレフトの守備なのに淀みなく、かつバッターランナーを下手に進塁させないよう中継がカットできる高さに素早い返球を実行したのだ……)

 

「九十九パイセン。ナイス返球ですにゃ」

 

「岩城さんに任されたレフトですからね。怠慢なプレーは出来ません」

 

「九十九ー! いいぞ! その調子だー!」

 

 ベンチから聞こえる岩城を始めとした声援に九十九は謙虚に軽くミットを上げて応えた。

 

(九十九先輩のおかげでタイムリーヒットにはならなかったけど、ワンナウト一塁三塁か……。ファーストとサードが牽制のためにベースに寄るから内野が広く空いてしまうのよね)

 

 鈴木はホームでのアウトを狙う前進守備ではなく二塁経由でのダブルプレーを狙う中間守備の陣形を内野に指示すると、右バッターボックスに入る牧野を見ながらどう抑えようか思案する。

 

(先程打たれたのはアウトコース低めのストレート。結果はファーストへの内野安打になったけど、あれはライト前に抜けてもおかしくなかった。アウトコースは見せ球として使って、インコースで勝負に行きましょう)

 

(まず外に外すのね)

 

 そのサインに頷いた倉敷はランナーにそれぞれ一回ずつ目で牽制を入れると投球姿勢に入った。

 

「……!」

 

 すると倉敷の目に走り出すサードランナーとバントの構えを見せる牧野が映る。

 

(スクイズ……!)

 

 倉敷はとっさの判断でボールを叩きつけるとベース付近でバウンドしたボールが鈴木に向かう。

 

(く……!)

 

 そのボールをミットで抑えるのは難しいと判断した鈴木は外に流れるボールの正面に身体を持っていくと、身を呈してプロテクターの胸の位置に当ててボールを前に落とした。

 

「ボール!」

 

「え……」

 

 倉敷はバットを引いて左手をサード方向に向ける牧野に驚きながら慌ててサードランナーを確認する。するとサードランナーは三塁へと戻っていた。

 

「タイムお願いします」

 

 ここで鈴木がタイムを取ると球審が頷くのを見てマウンドへと駆け寄ってきた。口元をミットで隠すようにして声を抑えるようにしながら話を始める。

 

「鈴木。今のどういうこと?」

 

「サードランナーはスタートの構えを見せただけです。スクイズをチラつかせて有利なボールカウントを作る作戦だと思います」

 

「……アタシはまんまと引っかかったわけね」

 

「あ、いや……」

 

「いいのよ。事実でしょ。どうすればいい?」

 

「相手が何を仕掛けるにしてもカウントが悪くなったら後手に回ってしまいます。次は思い切ってストライク取りに行きましょう。ただ本当にスクイズを仕掛けてくる可能性も残っているので、内野を前進守備に変えて守備で対応します」

 

「分かったわ」

 

 タイムが解かれマウンドから鈴木が戻り指示が出されると、内野の守備陣形が中間守備からホームでのアウトを意識した前進守備に変更されていく。

 

(よし。キャッチャーはさっきスクイズを仕掛けた張本人。意識しないわけにはいかないよね)

 

 牧野は前進してくる内野を見て狙いが上手くいったことに手応えを感じながら、グリップを握る手に心なしか力が入る。倉敷はサードランナーを意識すると、少し息を吐き出してから次のボールを投げた。

 

「ランナー走ったよ!」

 

(サードランナーじゃなく、ファーストランナーが……!?)

 

 すると秋乃から声が上がった通り神宮寺がスタートを切るのがマスク越しに鈴木の視野に入ったかと思うと、次に映ったのは振り出されたバットがボールに当たる様子だった。

 

(引きつけて右方向にゴロを……!)

 

 膝下に投げられたボールに振り出されたバットは外側でボールを捉えると、打球は一塁線に向かってゴロで放たれていく。バットが振り出される瞬間、ゴロになる確信を持ったサードランナーはスタートを切った。

 

(まずい! 長打コース!)

 

 スクイズ警戒で前進守備を敷いていたためファーストを守る秋乃にとっては普段より近くで受ける打球となり、その体感スピードはより速く感じられていた。

 

(今度こそアウトにっ!)

 

 1打席目の送球ミスでアウトに出来なかったことを後悔していた秋乃は奮起してその打球に飛びつく。

 

(え……!?)

 

 バッターランナーの牧野の目に秋乃が斜め後ろ方向に飛びつきながら伸ばしたミットに収められたボールが映った。

 

(捕った! バックホームは……あの体勢じゃ厳しいか)

 

「秋乃さん、そのまま一塁ベースを踏んで!」

 

(くっ、間に合わせる!)

 

 体勢を立て直すより先にベースを駆け抜けようと牧野は自身の瞬足を飛ばす。秋乃は飛びついた位置の近くにベースがあることに気づくと立つより早いと判断して直接ミットでベースに触れにいった。

 

「アウト!」

 

「やった!」

 

 一塁審判がアウトを宣言したのを喜びながら秋乃は立ち上がると二塁ベースを少し回った神宮寺は三塁は狙わずにそのままベースに戻った。

 

(良かったぁ。けんせいのためにちょっとベースに寄ってたから、なんとか届いた〜)

 

(さすがに内野が捕球した打球で三塁を狙うのはリスクが高すぎますね。……ですが)

 

 サードランナーのホームインが認められ、同点に追いついた清城の士気が上がる。ベンチからも声が出るようになり塁上で神宮寺は不敵な笑みを浮かべた。

 

(ファーストランナーを走らせて二塁経由でのゲッツーを防ぎながら、バッターは右方向へのゴロを狙い、サードランナーはゴロならスタートを切る。実践的な練習を積んでいなければ出来ないプレー。……やられたわ)

 

「まだ同点だよ。切り替えていこう!」

 

(そうね。ピンチは続いている)

 

「ツーアウト! ランナー二塁。バッター集中!」

 

 鈴木は頭の中を切り替えてピンチに向かい合うとキャッチャーマスクを拾って付け直し、声を張り上げた。そのままキャッチャーボックスに座ると6番バッターが左打席に入る。鈴木は外野を前進させると様子を窺いながらサインを出し、ミットを構えた。

 

「ボール。ボールフォア!」

 

(倉敷先輩……!?)

 

 しかし倉敷の制球が乱れ、鈴木が要求したコースからずれたボールが続き、結局ストライクを1つも取れずにフォアボールを出してしまう。

 

「タイムお願いします」

 

(しまった。先ほどタイムを取ったからと遠慮せず、一点取られた後ももう1度タイムを取るべきだったのよ)

 

 マウンドに駆け寄る鈴木にフォアボールを出してしまった倉敷は気まずそうに応じた。

 

「悪いわね」

 

「いえ、これで塁も埋まりましたし守りやすくなりました。7番バッターは先ほど三振にとってます。ここで切りましょう」

 

「分かったわ」

 

(倉敷先輩、どこか疲れている? でも球数はまだ34球。余裕はあるはず……)

 

 どこか冴えない倉敷の表情が気になった鈴木だったがジェスチャーで大丈夫だと伝えるようにする倉敷を見て、マウンドから離れていく。タイムの間待っていた7番バッターが楽しそうに声をかけてくるのに一礼してから鈴木はキャッチャーボックスに座った。

 

(さっきチャンスで打てなかったからなー。今度は打つぞー!)

 

(このバッター当たれば飛びそうなのよね。一塁ランナーが還れば2点差になってしまう。2アウトでランナーは迷わずスタートを切るし、単打での一点はしょうがないものとしましょう)

 

 そう考えた鈴木は外野に先ほどとは対照的に後退のサインを出すと、九十九・中野・宇喜多はそれを受けて下がっていく。

 

(膝下のストレート。立て続けに打ちにこられているから、あまり投げたくないけど……)

 

 インコース低めを要求する鈴木のサインに倉敷はそれでも頷くと、意を決して膝下を狙って投げた。

 

(……! ボールが浮いてる……!)

 

(フォアボールの後の初球。思い切って……!)

 

 ——キィィィィン。余韻すらグラウンド中に響くような快音が響いた。

 

「レフト!」

 

 すくい上げるようなアッパースイングから放たれたボールの軌道はレフト方向に向かって伸びていった。バットがボールに当たる瞬間、ランナーは迷わずにスタートを切っている。

 

(伸びる……!)

 

 九十九が懸命に打球を追いかける。九十九は打球から早々に目を切ると全力で疾走し始めた。

 

(手応えあり! ホームランか、そうじゃなくてもフェンスダイレクト!)

 

 バッターランナーはバットから十分な手応えを感じ、自らも先の塁を貪欲に狙う構えを見せる。

 

(ここだ!)

 

 打球から目を切っていた九十九はほぼ減速することなくフェンスに向かうとキャッチに行く一瞬だけ再び後ろを見る。するとすぐ目の前に来ていた打球に反応するようにジャンプしながらの捕球を試みた。

 

「……!」

 

 減速せずにジャンプを行った九十九の身体はそのままフェンスに叩きつけられるような形になる。

 

「つ、九十九パイセン! ……!」

 

 その衝撃を受けてもミットの中で掴み取るようにしたボールがこぼされることはなかった。

 

「アウト!」

 

(うわっ、捕ったんだ! ……悔しいなぁ)

 

「九十九……」

 

 このファインプレーに倉敷から笑みがこぼされる。九十九にとってついてないのは、体勢を崩していたのと距離があるためそれが確認できなかったことだろうか。九十九は中野の手を借りて立ち上がると、共にベンチに戻る。3アウトチェンジだ。

 

(今のは九十九先輩が捕っていなければ間違いなく2点入っていた……)

 

「鈴木さん。あなたが外野後退の指示を出してくれたおかげで追いつけました。ナイス判断でしたよ」

 

「……! そう、ですか。ありがとうございます」

 

 九十九の守備に感謝していた鈴木は逆に感謝されたことに戸惑いながらも、その言葉を嬉しく思った。倉敷が打席に向かっていくのを確認すると今度は東雲が話しかけてくる。

 

「倉敷先輩スタミナは余裕ありそうだけど、この回制球が乱れたわね」

 

「ええ。どうしてかしら。全力投球とはいえ、普段ならそれでもコントロールは効くのに」

 

「最近ピッチャーを練習している身から言えるのは、肉体的な疲労と精神的な疲労は別物ということかしらね」

 

「……なるほど」

 

(確かにここまで7割投球とはいえ、かなり精度の高いピッチングを要求し続けてきた。その分の精神的な疲れが、点を取られて一気に出てきたのかもしれない……)

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(く……全球ストレート!?)

 

 2人がそんな話をしていると球審のコールが聞こえてくる。倉敷が振り出したバットに当たることなく、神宮寺が投じたボールは牧野のミットに収まっていた。

 

(4番()が続けてストレートで打ち取られたことで自信をつけさせてしまったみたいね……!)

 

 東雲が今のピッチングを見て鬼のような形相になりどこか青白く燃え上がるようなオーラすら浮かぶような気迫を出すと、鈴木は少しだけ引き気味にその様子を見る。その間に6番バッターの秋乃がネクストサークルから打席に入っていった。

 

(ストレート!)

 

 ストレートのタイミングで待っていた秋乃はアウトハイに投じられたストレートに積極的にバットを出す。しかしバットの上を通り過ぎてボールはミットに収まった。

 

(明らかにストレート待ち。ここは1打席目に投げきれなかったこれでカウントを稼ごう)

 

(このままストレートでも構いませんが、それもありですね)

 

 そのサインに納得して頷いた神宮寺は2球目を投じた。アウトコース低めに投げられたボールに秋乃は続けてバットを振り出す。

 

「……!」

 

(よし。振らせた!)

 

 秋乃のバットから逃れるようにストライクゾーンからボールゾーンへとシュートが変化していく。ストレートのタイミングで振り出した秋乃はタイミングを崩されていた。

 

「えいっ!」

 

(な……片手で合わせた!?)

 

 とっさに秋乃は両手で行方を操っていたバットが十分な勢いがついたことを感じると、左手を放して右手一本でその変化に体の重心を低くしながらついていった。

 

「サード!」

 

 頭上に飛ばされた打球にサードはジャンプして捕りにいくが、そのミットの先をボールは越えていった。

 

「ファール!」

 

「ありゃ」

 

 一塁に向かって走り出した秋乃だったが打球はスライス回転がかかっており、空中で曲がった打球がバウンドしたのはファールゾーンとなってしまった。バッターボックスに戻り牧野から打った際に転がしたバットを礼を言いながら受け取ると打席が再開された。

 

(今のはコースも高さも良かったのに。……待って。確か1打席目もこんなことが。膝下のいいところに決まったストレートをしっかり捉えてライト前に運ばれて……もしかしてこのバッター)

 

 牧野はあることに思い当たると次のサインを出す。そのサインに神宮寺は頷き、3球目が投げられる。投じられたのはインコース高めへのストレート。秋乃は負けじとバットを振り出した。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

 インハイに投げられたボールに秋乃のバットは空を切った。

 

(やっぱり。多分このバッター、低めが得意な打者(ローボールヒッター)なんだ)

 

「ううー。やられたー」

 

 しょんぼりとした表情でベンチに帰っていく秋乃。代わるようにして同じく左打席に中野が入っていく。

 

(さて、さっきは敬遠だったからにゃ。どんなボールで来るか……)

 

 ズバン。インコース真ん中に鋭いストレートが突き刺さるように投じられると、中野は冷や汗を浮かべる。

 

(速っ! ボールの軌道が一本の糸みたいに見えたにゃ……)

 

 2球目、膝下に投げられたストレートに思い切って中野はバットを振り出したが、明らかにタイミングが遅れていた。

 

(ストレートにタイミング合ってないなら、変化球はいらないよね)

 

(ええ。このままストレートで押しましょう)

 

 3球目、アウトコース低め際どいコースに投げられたボールに追い込まれた中野はバットを振り出したが、振り遅れて三振となってしまった。

 

(うう。せめてストレートのタイミングに合わせられるよう、打撃の調子取り戻さないとにゃ……)

 

 三者連続三振。完璧に抑えたピッチングに清城野手陣は次々と神宮寺に声をかけ、次の攻撃への気力を高めていた。

 

「倉敷先輩、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫よ。あと1イニングでしょ。抑えるわよ」

 

 そういうと倉敷はマウンドに上がる。5回の表、清城高校の攻撃は8番バッターからのスタートだった。

 

(さっきの打席ではアウトハイ、高めに一個外したストレートをセンターフライ。ここもアウトハイから入りましょう。ただ念のため、外に1つ外して)

 

 倉敷はそのサインに頷くと1投目を投じる。アウトハイに投げられたボールにバッターは反応したが、そのボールは見送られた。

 

「ボール!」

 

(半歩踏み出したわね。外狙いかしら。……倉敷先輩、次の球はこれでお願いします)

 

(……それで大丈夫なの?)

 

 要求されたボールに倉敷は驚きというよりは疑問を多く含んだような困惑を覚えたが、サインに頷きその通りに投げた。

 

(外!)

 

 アウトコース低めに投げられたボールにバッターはしっかり踏み出すとそのバットを振り抜いた。

 

(……! タイミングが……)

 

 捉えた当たりは倉敷の横を抜け二遊間に転がる。

 

「ショート!」

 

「任せて!」

 

 膨らんだマウンドに当たり少し不規則なバウンドとなった打球だが勢いは決して鋭くなく、有原は落ち着いてキャッチすると一塁に送球した。

 

「アウト!」

 

(……なんで、7割投球より抜いたストレートで抑えられるのよ)

 

 納得がいかない様子の倉敷だったが、次のバッターが打席に入ると切り替えてサインを待った。

 

(意地悪キャッチャーさんにリベンジするぞ〜。もう変に読み合いとかしないもんね。多少ボールでも外一本に絞っちゃうもん)

 

(……ここで7割投球のサイン? 全力投球でいいのに……)

 

 倉敷はそれでもサインに首を振ることなく要求通りのボールを投げた。投げられたコースはアウトコース低め。

 

(際ど……いけど迷わない!)

 

 バッターは踏み込むとアウトコース低めのボールに合わせてスイングを行う。捉えた打球はライト方向へライナーで向かっていった。

 

「ファール!」

 

 鋭く放たれた打球だったが打った瞬間ファールであることが分かり、バッターも走り出すことはなかった。

 

(むー。ベースの角の角でしょ今の。さすがにあそこ狙って投げたわけじゃないでしょ)

 

(厳しいコースに手を出してくれるならこちらとしてもありがたい。次は……)

 

(ボール球投げるのはいいけど……また、7割?)

 

 2球目。次に投じられたコースもアウトコース低め。そのボールにバッターは反応してバットを振り出した。

 

「ファール!」

 

 バットの先にかするようにして当てられたボールはバックネットにそのまま突き刺さった。

 

(うー。さすがに遠すぎたかな。読み合いしたくないけど、追い込まれたし外外って来たから、さすがに内来ちゃいそうだな〜)

 

(……! ここで……?)

 

 倉敷はそのサインに一瞬眉を動かしたが、すぐに頷くと3球目を投げた。

 

(やっぱ内……え)

 

 インハイに投げられたボールにバットが振り出されたが、そのタイミングは大きく遅れており、鈴木のミットにボールは収まっていた。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(え、速。……そういえばみんな速くなったっていってたけど、私的にはそんな速くなってないなーと思ってたのに。……ああー! この意地悪キャッチャーさん、2球目までは抜いたボール投げさせてたんだ!)

 

「……? あの、アウトですよ」

 

「ああ、ごめんなさい! ほら、早くベンチに戻って」

 

「むー」

 

 アウトになっても鈴木を見て中々打席から離れないバッターにネクストから出てきた1番バッターが注意すると、頬を膨らませてベンチに戻っていった。

 

(なんだったのかしら……。でもこのイニング、ここまでいい調子ね。この練習試合勉強になることが多いわ。ストレート一本でもここまで変化がつけられるなんて)

 

「ツーアウト!」

 

(あと、1人アウトを取ればいい)

 

 鈴木が声をかける中、今日の役目の終わりが見えてきた倉敷は一度息を大きく吐き出すと、気合を入れ直した。

 

 初球。アウトローに投げられたボールをバッターは見送るとボールのコールがされる。

 

(反応しないか……)

 

 2球目。再びアウトローに投げられたボールをバッターは見送るが、1球目よりボール1つ内に入れられたボールに今度はストライクのコールがされる。

 

(全力投球を始めたのは2番から。まだこのバッターには速いストレートは見せていない。ここはインハイに速球を見せて、最後はアウトロー厳しいところに7割投球。球速差と厳しいコースがつければ、十分打ち取れるはず)

 

(ここまでの3打席、外は簡単に打てるようなボールは来てない。追い込まれるまではさっきみたいに内の打たせる球を待つ!)

 

 3球目。一転してインハイをついたストレート。そのボールにバッターはバットを振り出した。

 

(……! 速い……!)

 

(よし。差し込んだ!)

 

 ギイィン。鈍い音が響くと打球は三遊間を超えてレフト前に落ちた。そのボールを九十九が収めるとバッターランナーは一塁で止まる。

 

(やっと初ヒット!)

 

(く……さすが上位打線、見事ね。あれだけ差し込んだのにバットを振り切って詰まりながらもレフト前に持っていくなんて)

 

 まさしくやられた、というような表情を浮かべた鈴木だったがすぐに次のバッターに意識を向けなおす。

 

(このバッターにはさっき膝下のストレートを持っていかれてる。それを踏まえて……)

 

 2番バッターがベンチを見てヘルメットのつばを掴むようにしてから左バッターボックスに入り、どう打ち取ろうか思案する鈴木。

 

(まずはやはり初球アウトコース低めに。コントロール重視の7割で。さすがにそう簡単には打てないはず)

 

 倉敷はサインに頷くと一度ランナーの方を見てから間を置く。そして投球体勢に入った瞬間、秋乃が声を上げる。

 

「走ったよ!」

 

「……!」

 

 倉敷は気にせずクイックモーションでアウトコース低めにボールを投げ込む。対して鈴木は焦りを覚えていた。

 

(まずい。左バッターの陰からランナーが……送球体勢に入れてない!)

 

 振り出されたバットから大きく離れて抜けるようにして届いた低めのボールをすくうように掴む。球審からストライクのコールが上がると、鈴木は慌てて送球体勢に入ろうとしたが、その動作を途中で中断した。投げても間に合わない、そう確信出来るほどにはランナーが二塁に近づいていた。

 

(さすが1番バッター……)

 

(かなり足が速いのだ……)

 

 二塁ベースに入ってボールを待っていた阿佐田と送球が逸れた際のカバーに入っていた有原はその足の速さに開いた口が塞がらない様子だった。

 

(しまった! リードに気を取られてランナーへの配慮が全然なかった。この場面走ってくる可能性は十分にあったというのに……)

 

「鈴木。……ボール」

 

「あ、はい……」

 

 二塁を向いて固まっていた鈴木に倉敷は声をかけると投げ渡されたボールを受け取った。

 

(慌てることなんてないわよ。ストライク1つ取れたんだし、このバッターを打ち取ってしまえばいい)

 

(落ち着けってことよね。確かにこの場面、ストライクから入れたのは決して小さくない)

 

 深呼吸をして可能な限り落ち着いた鈴木はキャッチャーボックスに座りなおすとバッターを見ながら考えを巡らせる。

 

(このバッターは全力投球を既に見ているけど、倉敷先輩の全力投球は6分割で十分にコースがつける。それを考えれば……。あと先ほどのバッティングを見るに長打を狙うタイプじゃなかった)

 

 鈴木の指示を受けて九十九・中野は前に、引っ張りで強い打球が飛ぶ可能性のある宇喜多はやや前に出てくる。それを確認した後、今度は倉敷にサインが出されると倉敷は頷いて、少し間を置いた後、ボールを投げた。アウトローに投げられたストレートにバッターはバットを振り出す。

 

「ファール!」

 

(追い込んだ!)

 

 打球はバックネット方向に低い弾道で向かっていき、ファールとなった。

 

(本当だ。8番9番(あの子たち)が言ってた通り球速差がある。頭には入ってたけど、実際に感じる球速差はそれ以上ね。追い込まれたわ。……けど、後輩の前であっさりやられるわけにはいかない)

 

 2番バッターの目つきが変わるとバットを短く持ち、さらに立ち位置を変えて先ほどより外に踏み込んだ構えに変わった。

 

(……どういうつもりかしら。これなら内に投げ込めば、窮屈なスイングを強いられることになるのに)

 

(外に手こずってるからでしょ。投げ込んでやればいいのよ)

 

(……さっきの打席、膝下のストレートを打たれたけど、この構えならさすがにヒットにするのは難しいはず!)

 

 覚悟を決めた鈴木は膝下へのストレートのサインを出すと倉敷は望みのサインが来て頷き、内心では満足気だった。二塁ランナーに2度、目をやってから3球目となるボールが投じられる。

 

 ——キン。軽い金属音が鳴ると打球はそのままバックネットに向かっていき、ファールになった。

 

(……あ? なに今のスイング。打つ気あるの?)

 

 倉敷から見て振り切らずに軽く当てに行くようなスイングは舐められているようにも感じられた。

 

(……カットね。意図的にファールにして粘り、球数を稼ぐ気だわ)

 

 鈴木は今のバッティングを見て相手の狙いを探ると、次のサインを出した。

 

(でもこっちはボール3つ分の余裕がある。初回見逃したこれならどうかしら)

 

(アウトロー。7割投球でボールになってもいいからギリギリ狙うのね)

 

 倉敷はそのサインに頷くと今度はあまり間をおかずにボールを投げる。

 

(アウトロー! この立ち位置ならそう遠くない!)

 

 このボールに合わせるように振り出されたバットは軽く振られたものだったが、その打球はサードの頭上を越えていった。

 

(なっ、カット狙いじゃなかった!?)

 

「レフト!」

 

 二塁ランナーはスタートを切り、既に三塁手前まで来ている。そんな中、レフト線に飛ばされた打球に九十九は判断を下す。

 

(これは……追いつけない。ワンバウンドで、正面で捕れるように回り込むしか……)

 

 九十九はこの打球に突っ込みすぎず回り込む選択をすると打球がバウンドした。

 

「ファール!」

 

(……レフト線、ギリギリのところでボールが切れてくれたか……)

 

 近くで打球を見ていた九十九はほんの少しの差で点を取られたことに肝が冷える思いを抱きながら、倉敷にボールを返球する。鈴木はバットをバッターに渡しながら、内心安堵していた。

 

(……カットだと決めつけてしまった。多分バッターの狙いはカットしながら、打てる球が来たら打つ。打てる球っていうのは、立ち位置から考えるとアウトコースの球なんでしょう。……そこにわざわざ放ってしまった。けど、まだチャンスはある!)

 

 鈴木は顔を上げると次のサインを倉敷に出す。倉敷はそのサインに頷くと、二塁に戻っているランナーを一度見てからそれなりに間をおいてボールを投じた。

 

(アウトロー……遠いな)

 

「ボール!」

 

 7割投球で今度はアウトローにボール2個分遠くに外させたボールが要求通り鈴木のミットに収まった。

 

(そんなボールは振らないわ)

 

(よし。じっくり今のボールを見た、わね)

 

 倉敷に返球して鈴木は次のサインを出す。すると倉敷はすぐには頷かなかった。

 

(そこは……踏み込んで来てる分、アタシのコントロールがずれたらデッドボールよ)

 

 鈴木は倉敷の様子を見て胸を叩く動作をするとその位置にミットを構えた。

 

(倉敷先輩のコントロールなら投げ切れます。ヒットが狙えない時にカットするためにはバッターは基本的にセンターから逆方向に意識を向けてボールをよく見れる状態にしないといけない。だからここは根元寄りになることも含めて、カットされる確率は低いはずなんです)

 

(アタシのコントロールをそこまで信用してくれるっていうわけ。なら、応えないわけにはいかないでしょ)

 

 倉敷はこのサインにしっかり頷くと、ランナーを確認することなく、投球モーションに入る。リリースするギリギリの瞬間まで触れるようにされたボールが、今解き放たれた。

 

(……! 速いボール。それにこのコース!)

 

 バッターは速球に反応してバットを振り出す。投じられたコースはインコースの高め。右投げの倉敷から左バッターに向かうようにして投げられたボールに短く持たれたバットで当てに行くスイングで応じられた。

 

(……!)

 

 金属音が鳴ると鈴木はすぐさまキャッチャーマスクを外し、反転して立ち上がるとバックネット方向に向かって走り出す。そしてバックネット下にある壁のギリギリに飛びながらミットを伸ばすとスピンがかけられたボールを掴み取りにいく。そして体はそのまま壁にぶつからずに、ミットだけが壁と衝突した。球審が近づいていくと右手がグーの形を取って上げられる。

 

「アウト!」

 

 しっかりミットの中でボールは握られていた。キャッチャーフライが成立し、3つ目のアウトが宣告される。すると倉敷が立ち上がった鈴木に近づいていき、ミットを向けた。

 

「ナイスキャッチ」

 

「……! ナイスピッチングです」

 

 ミットを重ね合わせると鈴木の顔に自然に笑みが浮かぶ。すると倉敷も思わず笑みを浮かべる。そんな自分に気づくと焦りながらすっとミットを外し、耳を赤くしてベンチに戻っていく。鈴木は不思議そうに見ていたが、自分の打順からの攻撃だということに気づくと急いで戻っていった。

 

「いいじゃないか、笑ったって」

 

「……! み、見てたの……?」

 

 するとレフトから戻っていた九十九と目が合い、倉敷は普段の彼女からは想像がつかないような狼狽を見せる。

 

「君は大会が終わってから自分に厳しくしようと、自分がいいプレーをしても笑わないようにしていたんだろう?」

 

「……アンタ、よく見てるわね。そうよ。ピッチャーとしてチームを背負う以上、当然でしょ」

 

「そうかな。今、楽しそうに見えたけど」

 

「そ、それは……鈴木が良いプレーしたからよ」

 

「そうだね。味方が良いプレーをしたり、自分が良いプレーをしたり。それは楽しいことじゃないか」

 

「……いや、別にアタシは」

 

「そういえばさっきあおいに聞いたんだけど、4回の表の私の守備にも笑ってくれたらしいね」

 

「なっ! あ、アイツ……」

 

「君はそうやって他人のプレーを素直に喜べる優しさを持っているんだ。その優しさを、少しは自分に分けてあげてもいいんじゃないかな」

 

 正面から訴えかけるようにまっすぐ見つめてくる九十九。その目線を先に外したのは倉敷だった。

 

「……なんなのよ、もう。屋上でのことといい、アンタはアタシの笑顔を気にしすぎでしょ」

 

「……ごめん。気に障ったなら謝るよ」

 

「はぁ。そこまでは言ってないでしょ。……」

 

 ここで本気で謝ろうとする九十九に呆れながらも倉敷の顔には自然に笑顔が浮かんでいた。

 

「あー! まいちんが笑ってるのだ!」

 

「んなっ……!」

 

 しかしそこはベンチ内。他の人もいる空間で、その笑顔が見られるのは必然とも言えた。

 

「九十九ー。どうやったらまいちんをここまで笑わせられるのだ?」

 

「ええと……」

 

「そ、そんな困った顔してこっち見ないでよ」

 

 2年生同士そんなやり取りをしていると、グラウンドから球審の宣言が聞こえてくる。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(ストレートのタイミングで待ってたのに、ここまで当たらないなんて……!)

 

 ストレートに合わず空振り三振で鈴木が凡退し、宇喜多がバッターボックスに向かっていた。

 

「ほら。アンタ、ネクストサークルに行かないとでしょ」

 

「ああ。そうだね」

 

「あー、まいちん逃げる気なのだ」

 

「ち、違うわよ。アイシングしないとだし……」

 

 阿佐田から離れるようにベンチ裏に向かっていく倉敷。九十九も急いで準備をしてネクストサークルに座っていた。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(まずいな。あのストレート、段々と手がつけられなくなってきている)

 

「つ、九十九先輩。あのね、投げた瞬間に振ってみたけど当たらなかった……」

 

「横から見ていた限り、バットが下に入っていたように見えましたね。恐らくそれだけストレートが走っているんでしょう」

 

「ううー。後はお願いします……」

 

 宇喜多がとぼとぼとベンチに戻っていくと、九十九はバッターボックスに入り、軽く息を吐き出した。

 

(流れが良くないな。ここまで前の回と合わせて五者連続三振だ。断ち切らないと)

 

 初球。アウトハイに投じられたストレートに反応した九十九はバットを振り出す。

 

「ファースト!」

 

 上がった打球をファーストが追うがそのまま一塁側ベンチの上でバウンドし、ファールになった。

 

(少し上を狙って振ったつもりなんだけどな。これでもまだ足りないのか)

 

(今の小也香のストレートに合わせてくるんだ。……ここは)

 

(構いませんよ)

 

 2球目。アウトコースに投げられたボールに今度こそはと九十九はバットを振り出す。

 

「ストライク!」

 

(えっ!)

 

 九十九はボールが消えたようにすら感じられた。ミットを確認すると収まっていたのはアウトコースのボールゾーン。

 

「ナイスボール!」

 

(ようやくストライクからボールになる軌道にこのボールを投げられましたね)

 

(今のが有原さんと東雲さんが言っていた高速スライダーか。何らかの理由で2人にしか投げてこないと思っていたけど、これを混ぜられると厄介だ……見分けがつかない)

 

 追い込まれた九十九はなんとか繋げようとバットを短く握る。

 

(それならアウトコースは届きづらくなる。スピードボールを2つ続けたし、スライダーをストライクからボールに外そう)

 

(ええ。見逃されたらそれを見せ球に今度は内を攻めればいい)

 

(今のところ2球続けて高速スライダーは無かったはずだ。ここはストレートに絞る!)

 

 3球目。真ん中低めやや外寄りに投げられたボールにバットが振り出される。

 

(うっ、これはストレートじゃない? バットは……止まらない、か!)

 

 既にスイングは止まらないと感じた九十九はボールに食らいつくようにスイングを続行する。

 

「ファースト!」

 

 ボテボテの当たりがファーストに転がりキャッチされると、九十九が一塁にたどり着くより早くベースを踏まれ、3アウトになった。

 

(ちょっとだけ要求より内に入った。でも十分にいいコースだったよ)

 

(ストレートを続けてましたから変化球の感覚が少しずれましたね。それでもタイミング的にも空振りが取れそうでしたが、当ててくるのですね)

 

 5回が終わり、6回の表。清城高校の攻撃が始まるところでピッチャーの交代が告げられた。

 

(倉敷先輩は清城打線を5回1失点で抑えたんだ。私は1イニングなんだから、無失点で抑えないと……)

 

 オーダー発表の時に告げられた通り、6回のイニングを任されたのは野崎。

 

「鈴木さん。プルペンで受けてた限りだと今日の野崎さんは大きくボールゾーンに流れるボールは少なかったわ。球速もいつも通り速かったし、行けると思うよ」

 

「野崎さんが肩を作るのを手伝ってもらうだけでも助かるけど、その情報を教えてもらえるのもありがたいわ。後はマウンドで確かめてみる」

 

「ええ。頑張ってね」

 

 防具をつけるのを手伝いながら近藤がプルペンでの野崎の様子を伝えると、背中を押されるように鈴木はグラウンドに向かった。マウンドでの投球練習が挟まれ、鈴木も今日の野崎の様子を確認する。

 

(プルペンとマウンドで感覚は違うのでしょうけど、私から見ても今日の野崎さんは良い安定感を感じるわ。いわゆる“当たり”の日かしら)

 

「とにかく腕を振り切っていきましょう。清城相手に中途半端なボールは通じないわ」

 

「はい! 入れにいかないで、しっかり腕を振ります!」

 

 投球練習が終わり2人はマウンドで意思疎通を図ると、鈴木がキャッチャーボックスに戻っていく。そしてベンチの外で投球練習を見ながらタイミングを合わせていた3番バッターが右打席に入った。

 

(ここまでサードゴロとサードへの送りバント。1打席目に引っ掛けたのは内のストレート。……と考えはするけど、野崎さんの場合基本的に要求は内か外か。細かいコントロールの精度より、左ピッチャー特有の軌道とその球威・球速で勝負していきましょう)

 

 サインを出し大雑把な位置にミットを構えると野崎は頷く。初球を投げる前に長い息を吐き出してから、振りかぶってボールを投じた。

 

「ストライク!」

 

 投げられたコースはアウトコース、高さは真ん中。そのボールをバッターは見送った。

 

(参ったな。さっきのピッチャーとタイプが違いすぎて、そのギャップが。……ここは仕掛けてみるか)

 

 2球目。内のサインに頷いた野崎はそのコースを目掛けて投げるとバッターがバントの構えを見せた。

 

「……!」

 

 バントされた打球はそのまま大きく後ろ側に飛んでいき、バウンドしてバックネット下の壁に当たった。

 

(このバッター、確かバントが上手かったわね。けど今のインハイは高めに外れたボール球。軌道が独特で判断が遅れたのでしょうけどバットを引くべきだったわね)

 

(よ、良かったぁ。投げることに集中して、守備のこと全然考えてませんでした)

 

 ボールを受け取った野崎はミットの中にしまうように安堵の吐息を漏らすと、3球目を投じた。

 

「ボール!」

 

(悪くないけど、全体的に浮き気味ね)

 

 アウトハイに外れたボールをバッターはしっかり見送る。鈴木はボールを投げ返すと、ジェスチャーで低めを意識するように指示を出した。

 

(低め。イメージとして叩きつけるくらいのつもりで……)

 

(今のは見送ったけど、際どく来たらファールにはしないと)

 

 4球目。内を要求したサインの通り、かつ出来るだけ低めを意識して投げられる。そのボールにバッターはバットが出ずに見送った。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(やった! まず1つ目、取れました!)

 

「ナイスボールよ、野崎さん!」

 

「ありがとうございます!」

 

(正直そこまで低めというほどじゃなかったけど、内には厳しく決まったわね。クロスファイヤー。左投手が右打者の内角目掛けて投げることで角度がつく。安定して投げられるようになれば大きな武器よ)

 

 その球威にミットが思わず必要以上に横に流れてしまうのを気にしながら鈴木はボールを投げ返す。そして神宮寺が右バッターボックスに入った。

 

(内と外で考えるなら神宮寺さんは内をヒットにして、外でアウトに取られている。単純にここは外を攻めましょう)

 

(はい。分かりました)

 

 神宮寺がバットを構えると野崎は再び振りかぶってボールを投げた。

 

「ボール!」

 

(ちょっと外に流れすぎね。長打のある神宮寺さん相手だから内に入らないようにしてるのは分かるけど、あなたのボールならゾーンで勝負できるわ)

 

「楽に! ボールは悪くないわよ!」

 

「は、はい!」

 

 野崎はボールを受け取り、1度深呼吸を挟む。それが終わると鈴木からサインが出されて野崎は頷いた。

 

(続けて外。ミットはストライクゾーンに構えられているから、それを目掛けて……)

 

「……ふっ!」

 

 大きく振りかぶり縫い目に上手く指先が引っかかるような感覚を覚えながら2球目を投じた。

 

「ストライク!」

 

(……振ってきた。けどタイミングが合ってないわね)

 

 アウトコース高めに投げられたボールに神宮寺のバットは空を切っていた。

 

(次も外。徹底してますね……)

 

 そのサイン通りアウトコース目掛けて次のボールが投げられるとそのコースはアウトコースやや低め。神宮寺は再びバットを振り出したが軽くかすったようなボールはそのまま鈴木のミットに収まり、ストライクとなる。

 

(次も外……ってええ!? ここで内……ですか?)

 

(ちょっと表情に出しちゃってるわね。でもいくら神宮寺さんでもいきなりこのボールを内に投げられたら、厳しいはずよ)

 

(わ、分かりました。投げてみます)

 

 驚いたような表情をなんとか直すと意を決してインコース目掛けてボールを投じた。

 

(インコース高め!)

 

 神宮寺はインコースに投げられたボールに反応し、スイングを行った。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(よし! 高めに外れたボール球を振らせた!)

 

(くっ、高めに来た時のボールの伸びが凄まじいですね)

 

 見極めきれずにボール球を振った神宮寺のバットは下をくぐり、表情に出来るだけ出さないように、されど悔しそうにベンチに戻っていた。

 

(小也香が三振……。あんまり小也香は三振しないバッターなのに)

 

 神宮寺の三振に驚きながら牧野が右バッターボックスに入る。そのバットは少し短く握られていた。

 

(やれることは限られてる。思い切っていきましょう)

 

(はい。まずは内……ですね)

 

 振りかぶって第1球が投げられる。インコース目掛けて投げられたボールは高さこそ真ん中だが、しっかりとインコースに投げられていた。

 

「ストライク!」

 

(う……凄い角度)

 

「ナイスボール! その調子よ!」

 

「はい!ありがとうございます」

 

(……律儀に返事をしなくても、大丈夫なんだけどね。いや、勿論してもらっても問題はないけれど)

 

 そんなことを考えながら鈴木はサインを出す。選択肢が2つしかない分、倉敷の時と比べてそれはテンポが速くなっていた。

 

(外に……)

 

 2球目、外を目掛けて投げられたボールは本人の思惑とは異なり真ん中に寄ったボールとなった。

 

(真ん中低め!)

 

 牧野はこのボールを見逃さずスイングを行う。振り出したバットはボールの上を叩いた。

 

(よし。初球のボールで少し腰が引けてる!)

 

(うっ……!)

 

 打球はピッチャーの横へのゴロとなり、有原がそのボールをさばこうと二塁ベース側に移動していた。

 

「あっ……!」

 

「……!」

 

 左利きの野崎はちょうど右に嵌められたミットでボールを捕りに行こうとしたが、そのボールを弾いてしまう。軌道が変わった打球に有原はブレーキをかけて前に出ながらボールを素手で掴むと、ジャンピングスローでファーストに送球した。

 

「セーフ!」

 

 牧野はその足の速さを存分に発揮して一塁を駆け抜ける。結果、一塁審判によってセーフの判定が為された。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「ドンマイドンマイ! 今のはちょっと運が悪かっただけだよ!」

 

「そうだよゆうき! 気にしないで、切り替えてこー!」

 

「は、はい!」

 

 有原から励ましを受け、秋乃から言葉と共にボールを受け取った野崎は返事をする。

 

(アンラッキーな形になったけど、こちらにも幸運は残ってる。次のバッターは左打者、左投手にとっては打ち取りやすいバッターよ。それに野崎さん、セットポジションの方が球威は落ちるけどコントロールがつくのよね)

 

 左打席に立つ6番打者を見ながら鈴木は気持ちを切り替えるとキャッチャーボックスに座り直す。

 

(せっかくの練習試合。練習中のこれも試してみましょう)

 

(そのサインは……はい、やってみます)

 

 野崎は右足を垂直方向に上げるとそのまま一塁方向に踏み出して牽制を行った。

 

「ば、バック!」

 

「……!」

 

「……セーフ!」

 

(あ、危ない……。そうだ。左ピッチャーにはこれがあるんだ……。しかも肩が強くてボールが届くのが早い。もう少し送球が低ければアウトになってたかも。気をつけなきゃ)

 

 足に自信がある牧野は隙があれば盗塁を仕掛けようとしていたが、鋭い牽制を受けて思わず冷や汗をかいていた。

 

「いいよゆうきー! こーいんやのごとしだよー!」

 

「秋乃さん。それは月日が経つのが早いことの例えです……」

 

 野崎はツッコミながらボールを受け取るとどこか緊張もほぐれてきたのか微笑みを浮かべていた。

 

(……よし。牧野さんのリードが少し小さくなった。牽制の効果はあったわね)

 

 鈴木は横目で牧野のリードを確認すると、次のサインを出す。野崎はそのサインに頷くと右足を垂直方向に上げた。

 

(牽制来る……?)

 

 警戒する牧野だったがそのままホームに右足が向けられると、1球目が投じられた。

 

(インコース、真ん中!)

 

 打てると判断したバッターは初球から打ちに行く。バットの根元側でボールの上を叩いた打球はサードへの勢いの無いゴロになった。

 

「サード!」

 

「はい!」

 

 詰まった打球に対して東雲が前に出てくるとバッターランナーはバットを通じて少し痺れを感じながら一塁に向かっていた。

 

「ファーストに!」

 

(……この場面ならジャンピングスローじゃなくてもアウトに出来る!)

 

 東雲は丁寧に捕球すると堅実に足の向きを整えて送球を行う。すると余裕を持ってアウトが宣言された。

 

(6番バッターはあまり足のあるバッターじゃない。派手なプレーを好む誰かさん達も今のプレーを見て、必要な時に必要なプレーをすればいいことを分かってくれればいいんだけど)

 

 その1(新田)その2(逢坂)がベンチで有原のジャンピングスローの話題で盛り上がる中、3アウトになり、攻守が入れ替わった。

 

「ナイスピッチ」

 

「……! 倉敷先輩。あ、ありがとうございます!」

 

 アイシングを終えてベンチからピッチングを見守っていた倉敷が1番にベンチの前に行くと1イニングを抑えきったことを祝福する。少し驚いた様子の野崎だったが褒められて嬉しそうに礼を言い、倉敷の1歩後ろにいた岩城は2人に浮かぶ表情を見て満足気に頷いていた。

 

「小也香。ここまで63球。疲れは大丈夫?」

 

「問題ありません。清城(うち)には私以外の投手はいませんし、あと2イニング投げきってみせます」

 

「お願いね。この回クリーンナップに回るからそこを抑えれば終わりは……」

 

 牧野と神宮寺は里ヶ浜ベンチの方を向いて目を見張る。阿佐田に代打が告げられ、打席に向かっていたのは河北だった。

 

「……球数は多くなっても構いません。全力を以って抑えましょう」

 

「分かった」

 

 牧野と神宮寺は軽くミットを合わせて気合いを入れ直すと牧野が河北に向かって軽く頭を下げてからキャッチャーボックスに座る。打席の外で少し緊張した面持ちの河北だったが、ネクストサークルから有原に声をかけられ、緊張が緩和されるとバッターボックスに入った。

 

(コーチャーからの景色ってこう見えるのね)

 

 河北に変わり三塁コーチャーに入った倉敷はマウンドから、あるいはランナーとして見える光景とも違う様子に感想を漏らしながら漠然と打席の方を見ていた。

 

「あの……すいません。あおいはどこに行ったか分かりますか?」

 

「先程代打を出すことを伝えてから、見当たらないんですよね……。コーチャーをお願いしようと思ったんですが」

 

「そうですか」

 

(グラウンドにいなくてベンチにもいない以上、恐らくは……)

 

 鈴木に質問した九十九はそのままベンチ裏に向かう。すると荷物を置かせてもらっている部屋の明かりがついていることに気づいた。

 

(倉敷さんがアイシングをした際に消し忘れたのか?)

 

 深い考えはなくその部屋の扉を開く。するとハッとした表情の阿佐田と目があった。

 

「……あおい、何をやってるんだ」

 

 九十九は阿佐田が何をやっているのか瞬時に理解した。しかしその上で質問した。

 

「これは……その……」

 

 とっさに誤魔化そうとする阿佐田だったが、それは不可能なことにすぐ気がつく。椅子に座ってスパイクとソックスを脱ぎ、足首をテーピングテープで固定しようとする所を見られてしまったのだから。

 

「捻挫はもう治ったんじゃ」

 

「治ったのだ。ただ……」

 

 言葉に詰まる阿佐田。静寂が彼女たちを包み込むと、阿佐田はため息を吐いてから止むを得ずといった様子で伝えた。

 

「……初回一塁ベースを駆け抜けた時に踏んだ場所が悪くて、同じところを捻挫してしまったのだ」

 

「……!」

 

 九十九はあまり顔に感情を出すタイプではなくぱっと見の表情はさほど変わってないようにすら見える。しかし長い付き合いの阿佐田には彼女が驚いてから、怒ったような様子で近づいてくるのが分かった。

 

「なぜ、すぐに言わなかったんだ」

 

 心なしか言葉にも怒気が含まれている。

 

「……前の捻挫と比べると軽いものだったから」

 

「前に伝えたはずだ。捻挫はクセになると厄介だから、気をつけてくれと」

 

「…………言われたし、あおいも分かってはいるのだ」

 

「そうだろうね。君も看護学校を志望する身だ。捻挫を甘く見ているとは思っていない。だからこそなぜすぐに言わなかった、と聞いているんだ」

 

(……バレてるのだ。軽いと思ったから、が理由じゃないことを。そしてこれだけ九十九が珍しいくらいに怒るのは……多分、あおいのことを本気で心配してくれているからこそなのだ。……嘘は、もうつけないのだ)

 

 逸らすようにして下を向いていた目線を阿佐田は上げると九十九の目を見つめるようにした。

 

「……今から言うことは他の誰にも言わないで欲しいのだ」

 

「内容によるよ」

 

「……うん。それでいいのだ。夏の大会であおいが捻挫してからセカンドはともっちに任せて、しばらく絶対安静の期間が続いたのは覚えているのだ?」

 

「覚えてるよ。捻挫を引きずらないために、必要なことだった」

 

「そう、だけど。あおいにとっては何も出来なくて、皆が上手くなっていくのをただ外で眺めることしか出来ない時間だったのだ」

 

「……皆が上手くなるのが嫌だったのかい?」

 

「そうじゃないのだ。ただ見ていた時にゾワっと恐ろしいものを感じたのだ。皆に置いていかれるような、そんな感覚を」

 

「……」

 

「ようやく捻挫が治って練習に参加出来るようになって、程なくして新入部員が入ってきたのだ。同じポジションを守るはせまりが少しずつ上手くなれるよう頑張って、ともっちも出来ることからこつこつと頑張っていたのだ。だから……だから、同じように怪我をして練習出来なくなったら、また置いていかれるんじゃないかって……!」

 

「……それが、理由か。この捻挫を隠し通して、これまで通り練習に参加したかったのか」

 

「…………うん」

 

「……正直、意外だ。君は私と同じように、無難に物事をこなせるから、そんなことを考えているとは思わなかった」

 

「逆なのだ九十九。最初から無難にこなせたから、皆に置いていかれるような感じが、凄く怖かったのだ。置いていかれたら、どう頑張っても、追いつけないような感じがして」

 

「…………なるほど」

 

(その感覚は感じたことのない私に安易に同意出来るようなものではないのかもしれない。けど、あおいの言っていることは分かる気がする)

 

 友人が抱えていた悩みや、自分との考えの違い、色々なものを受け取ってそれでも九十九は答えを出した。

 

「だけど、その考えを肯定することは出来ない。そのやり方は君が傷つくだけだ。強さを目指す以上、競争は起こるものかもしれないが、私たち里高が目指す野球は、誰かを傷つけて成り立つものではないはずだ。有原さんの言う楽しさと東雲さんの言う強さ、その2つが同時に成り立つ、そんな場所のはずだよ」

 

「…………そう、なのだ。分かっていたはずなのに……。一塁ベースを駆け抜けてあかねっちに覗き込まれそうになった時、とっさに誤魔化してしまったのだ。……あおいは怖かったのだ。自分の中にある弱さを認めることを」

 

「でも、私に今話してくれたじゃないか。経過はどうあれ君は怖さに打ち勝ったんだ」

 

「……! 九十九〜!」

 

「うわっ」

 

 近づいてきた九十九に阿佐田は椅子に座ったまま思わずしがみつくようにすると体勢を崩しそうになり、とっさに九十九が支えた。

 

「全く……。しょうがないな。テーピングもこんなにぐるぐるにしたら、スパイクに入らないだろう」

 

「う……それは、お恥ずかしい限りなのだ」

 

 九十九は阿佐田を椅子にしっかり座り直させると、自身はしゃがんで足首に乱雑に巻かれたテープを一度ほどくと丁寧に足首を固定するようにテーピングを行った。

 

(話を聞いてくれてありがとうなのだ、九十九。おかげで気持ちの整理がついたのだ。……そして1つだけごめんなのだ。嘘をついたわけじゃないけど、1つだけ隠してしまったことがあるのだ。あおいが何より置いていかれたくなかったのは、ともっちやはせまりじゃなく……。でも、そればかりはさすがに言えないのだ)

 

 先程自分が苦労していたテーピングを九十九がスムーズにこなす様を見て、阿佐田はそんなことを考えたのだった。

 

「ファール!」

 

 ベンチ裏でそんなやりとりが行われてる間1ボール2ストライクと追い込まれてから3球連続でストレートをファールする河北にベンチが盛り上がりを見せていた。

 

(……全力を以って抑えるって言ったよね。なら出し惜しみはしないで……)

 

(……! 高速スライダー……ですね)

 

(ストレートを続けたから、これを見極めるのは至難の業だよ)

 

(分かりました)

 

 サインに頷くと握りを確認しながら神宮寺は眼前で粘りを見せる河北を見つめ、軽く息を吐き出すと自身の新たなフィニッシュボールを投じた。

 

((低い!))

 

 河北と牧野が同時にボールの高さを感じ取ると河北はバットを止め、牧野はミットで目の前でバウンドしたボールを止めに行き、そのミットに収めることは出来なかったものの真横に弾いたボールをすぐに拾った。

 

「ボール!」

 

(……今、変化した? ストレートじゃなかったんだ……)

 

(……しまった。ただでさえコントロールが効かない高速スライダー。球数が重なって疲れが出てくるこのイニングで、こうなるのは想定しないといけなかった。……今のは私のミスだ)

 

 ボールについた土を落とすようにしてから牧野は投げ返すと、キャッチャーボックスに座り直し、今のボールを踏まえた上で新たなサインを出した。

 

「凄いわね、河北さん。さっきまで手がつけられなかったストレートにここまで粘れるなんて」

 

「そうね。多少球威は落ちているのかもしれないけど、何よりバッティング練習の成果でしょう。最近の彼女は明らかに意識が変わっているわ」

 

「意識?」

 

「ええ。以前の彼女と比べてボールを打つポイントが後ろになっている。ボールを引きつけて、よく見て打っている証拠だわ」

 

「そこまで考えてバッティング練習をしていたのね」

 

「……彼女がそこまで考えていたかは分からないわ。ただ少なくとも基本に忠実な彼女らしくバッティングのセオリーを意識していたのは確かよ」

 

 8球目。牧野のサインに首を縦に振った神宮寺は膝下目掛けてボールを投じた。

 

(ストレー……いや、違う!)

 

 バットの始動を溜めた河北はそのボールを引きつけてからコンパクトなスイングを行った。

 

(センター……返しっ!)

 

 内に食い込むシュートを芯で捉えた打球は神宮寺の頭上を快音を置き去りにするように飛んでいった。

 

「……」

 

(やった……!)

 

 両者の表情の明暗がはっきり分かれる。互いに打球が飛んだ瞬間にヒットが確信できる、お手本のようなという形容が相応しいセンター前ヒット。一塁に到達し喜びを露わにする河北に対して、神宮寺は後ろや横を振り向かずそのまま前を見ていた。

 

(とうとう打たれてしまいましたね。貴女の野球に対する意識は近くで見てきたつもりです。悔しさはあれど、驚きはしません)

 

(打ったね、ともっち)

 

 有原は塁上で喜ぶ河北を見て一瞬だけ微笑むと表情を切り替えて神宮寺の方を見ながらバッターボックスに入った。ノーアウトランナー一塁。里ヶ浜高校は3番有原から始まるクリーンナップへと打順が回る。

 

(ここまで連打は倉敷先輩と秋乃さんの1回。長打はさっきの打席で真ん中に来たボールを打った1本。この場面、まず真ん中には来ないはず。連打と長打、そのどちらも簡単じゃない上で今日の神宮寺さんからそれでも点を取るには……)

 

 左手を向けて地面をならした有原はネクストサークルに入っている東雲と、ベンチで準備をしている野崎を見ると決断した。

 

 サインの交換が終わり1度、目での牽制を入れた神宮寺はクイックモーションでボールを投げた。投じられたコースはアウトコース低め。

 

「翼……!?」

 

 河北は有原がとった構えに驚嘆する。有原はセーフティ気味にバットを出すとアウトコースのボールを一塁側へと転がした。

 

(送りバント……! 程よく勢いは殺されてる。二塁は間に合わない!)

 

「ファーストに!」

 

 牧野の指示に従って前に出たファーストはベースカバーに入ったセカンドへとボールを送球した。

 

「アウト!」

 

 それなりに余裕を持ってアウトが宣言され、有原はベンチへと戻っていく。

 

「有原さん、貴女……」

 

 すれ違う東雲に拳を突きつけるような動作を見せるとそのままベンチに入っていった。東雲は覇気のある眼差しで神宮寺を見ながらバッターボックスに入る。

 

(鋭く射抜くような目つきですね東雲龍。ここまで貴女は2打席ともインハイのストレートで打ち取られているというのに。いえ、だからこそでしょうか)

 

(5番から左打者が3人も続くし、次のバッターはパワーがあるから歩かせると一気に2点取られる可能性もある。甘いコースに行くのは避けなきゃだけど、安易に歩かせることも出来ない。……ここは、行こう)

 

(……! ……正直、それはこちらも想定外ですよ牧野さん)

 

 表情に出さないように努めながらあまりに強気な牧野のリードに内心で驚いているのか呆れているのか、自分でも整理しきれないほどの衝撃を受けながらそのサインに頷くと1球目を投じた。

 

(……は!?)

 

 全神経を指先に集中させるような神宮寺のストレートが唸りを上げて襲いかかり、そのボールを東雲は見送った。

 

「ストライク!」

 

 投じられたのは、インコース高め。

 

(……やってくれるじゃない! それにストレートの球威が戻ったように感じられる。タフね……。ピンチになって球数も重なる状況で、ギアを上げ直したってわけ)

 

(インハイに目つけは出来た。今度は……)

 

 2球目。投じられたのはアウトコースの低め。そのボールをバットを反応させることなく東雲は見送った。

 

「ボール!」

 

「……!」

 

(ここまでしてもストライクからボールになるスライダーに手を出さないか……)

 

 投げ返されるボールを受け取りながら自身の決め球を見送られることの悔しさを少なからず神宮寺は感じる。

 

(膝下にシュートいってみようか?)

 

(2打席目で鋭くファールにされていますし、先程河北さんに打たれたそのボールをまたすぐに投げるのは厳しいです)

 

 神宮寺はシュートのサインに対して首を横に振った。

 

(……これでいこうか)

 

(……いいでしょう。ボールの圧力で振らせてみせます)

 

 サインの交換が終わると神宮寺は二塁ランナーの河北を1度確認した後、3球目を投じた。

 

(インハイのストレート! 今度こそっ!)

 

(高めに半個分外したボール球を振らせた!)

 

 インハイに僅かに外したストレートに東雲のバットが振り出される。ボールの中心部からやや下の部分をバットが叩くと、打球がレフトに大きく上がった。

 

「レフト!」

 

(……! 想定より飛ばされた……!)

 

「河北、ハーフウェーまでリードを取って!」

 

「わ、分かりました!」

 

 倉敷の指示を受けて河北は二塁と三塁のちょうど中間あたりにリードを広げると打球の行方を見守った。

 

(く……! させない。さっきアタシが似たような打球飛ばして捕られたんだ。今度はこっちの番!)

 

 レフトが懸命に打球を追うとフェンス際まで来て滞空時間の長い打球を見上げ、ゆっくりと下がっていく。すると背中に何かが当たる感触を覚えてレフトは冷や汗をかきながら、ミットを可能な限り伸ばした。

 

「アウト!」

 

「……!!」

 

 既に二塁付近まで走っていた東雲はフェンスギリギリでキャッチされたボールを見て思わず歯噛みして悔しがった。

 

「河北バック!」

 

「はい!」

 

 河北が二塁に戻るとレフトの返球は距離のある送球でタイミングには余裕があり、無事に塁に戻った。そんな河北とすれ違うようにして東雲はベンチに戻っていく。

 

(東雲さん……)

 

(一歩間違えれば入っていましたね。投手として、これほど心臓に悪い滞空時間はないでしょう)

 

 ボールを受け取った神宮寺は帽子をとって汗を拭うと、息を大きく吐き出してからかぶり直した。左打席には先程好投を見せた野崎が入っている。

 

(外野前進。ボールは全部低めで、この場面なら厳しくついて歩かせても構わない)

 

 二塁ベースを片足で踏むようにしていた河北は外野の守備位置が前に来ていることを確認する。

 

(アウトローのストレート。無難な入り方でしょう)

 

 1球目。要求通りアウトコース低めに投げられたストレートに野崎のバットが振り出された。

 

「ファール!」

 

 レフト方向に飛ばされたフライは大きく左に切れていく。

 

(……このバッターリーチが長い分、外にもすんなりバットが届くな……)

 

 十分良いコースに決まったストレートをファールになったとはいえ捉えられたことに少し焦りを覚えながら牧野は次のサインを出す。2球目。再び投げられたアウトローのストレートは今度は見送られる。

 

「ボール!」

 

「良いボール来てるよ!」

 

(よし。要求通りしっかり見せ球になった。次は内いくよ)

 

(望むところです)

 

 3球目。インローめがけて投げられたストレートを野崎は見送った。

 

「ストライク!」

 

(うう……さっきの明らかに外れたボールと違って、手が出なかったです)

 

(行こう。左打者相手でもあなたの決め球は決め球足り得る(たりうる)!)

 

(はい!)

 

 4球目。再びボールは膝下に投げられた。

 

(今度こそ!)

 

 野崎はこのボールにバットを振り出し豪快なスイングでボールを捉えにいった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

「……!」

 

 捉えたと思った野崎はミットの位置を慌てて確認するとさらに膝下に食い込むようにボールゾーンに構えられていた。

 

(良いスライダーだったよ小也香。左バッターの死角にしっかり投げ込めたね)

 

「ナイスボール!」

 

 爽やかに笑う牧野のボールを応えるように神宮寺は微笑を見せて受け取り、そっとプレートの近くにボールを置いた。3アウトになり、河北もベンチに戻っていく。

 

「……すぅ。……はぁ」

 

 ベンチでは東雲が深呼吸をしてから、目つきが自分を叱咤するようなものから次の役割に集中するものへと切り替えられていた。

 

「河北さん。あなたはこのままセカンドの守備位置についてもらうわ」

 

「うん! 任せて!」

 

「野崎さん、お疲れ様。さっきの回は良いリリーフだったわ。後は任せて」

 

「はい! お願いします!」

 

「み、皆さん。あと1イニング頑張って下さい!」

 

「あら、初瀬さん。何を言っているのかしら」

 

「……?」

 

「ポジション交代で最終回のイニング、サードから私がマウンドに上がる」

 

「ええ、なんとか抑えられるよう願って——」

 

「そして野崎さんに代わり、初瀬さん。あなたにサードに入ってもらうわ」

 

「……えっ。ええええっ!」

 

 6回が終わり、延長は無いこの練習試合。後は7イニング制における最終回の攻防を残すのみとなったところで、ベンチに初瀬の仰天したような声が響いたのだった。




試合を書き始めた当初は4話目で試合終了とその後の描写を入れる予定でしたが、目論見が甘かったです。試合は予想以上に文章量を要求されますね。
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