「体力大丈夫ですか? 先輩が投げるのは4イニングの予定でしたし、良ければまた得点圏にランナー行くまではアタシが……」
「6回に来て同点だからね……。こうなると後攻めのあっちが有利だし、ここはエースに任せなさい。……展開次第ではあっちもエースを出してくるみたいだしね」
「……! そういえば……途中まで三塁コーチャーをやってたのに、いつの間にか……」
4対4の同点のまま迎えた6回の裏、里ヶ浜高校の攻撃。マウンドに向かうエースを追うように話しかけた大咲は促されるように相手ブルペンへと視線を移すと、先程の回から肩を作り始めている倉敷の姿が映った。
(鉄壁高校と試合した時は空に雲がかかってて気温も程よく低かったし、雨が降る前に試合が終わったから湿度もさほど問題なくてプレーしやすかった。でも今日は違う……雲一つありやしない。さっきアタシも投げた時に感じたけど、グラウンドは日差しが嫌になるくらい強く降り注いでる。これじゃあどうしても体力の消耗が激しくなる……!)
相手ブルペンから視線を外した大咲は秋にしては高くなっている気温を恨めしむように晴天を睨みつけるようにして見上げた。眩しさからとっさに右手で日光を遮りながら言いにくそうに口籠る大咲を見てエースは少し考えた後、僅かに口角を上げて言葉をかけた。
「心配してくれるなら……そうね、次の回で点取って。出来るでしょ?」
「えっ」
さも当然のことのように告げられた言葉に大咲は素っ頓狂な声を漏らしていた。
(それは……確かに延長に入らずに試合を終わらせられればベストだけど。先輩も5イニングの許容範囲内で収まるし)
「随分……無茶を言いますね。まだこっちはあのサウスポーからヒットも打ててないのに」
(でも……)
「出来ない?」
「やってやろうじゃないですか」
(アンタならそう言ってくれると思ったわ。頼んだわよ、うちの4番。……そしてアタシはエースだ。果たすべき役目は当然……!)
驚いた顔をすぐに取り消してふてぶてしく笑ってみせた大咲を見て穏やかな表情を見せたエースはマウンドに辿り着きボールを拾い上げると、真剣な面持ちになってボールを投じ、投球練習を始めたのだった。
(そういえばこの方が初めてだったんですよね。私が初めて対峙した左投手……あの時はボールの見えづらさに驚きました。特にあのピッチャーはプレートの右端から投げることもあって、背中からボールが急に現れたように感じたのを覚えています)
そんな投球練習を遠くから見つめる野崎は、初めて対戦した左投手のボールの軌道に違和感を覚えたことを思い出していた。
(ですが岩城先輩の提案で左投手の対策をすることになって、翼さんがお姉さんへの協力を取り付けてくれて……。私なりに少しずつ違和感を埋めていきました。今でも決して得意というわけではありません。右投手に比べると、やはり打ちづらいです……。ですが、多くの打席が回って低い打率になってしまうとしても、協力してくれた皆さんのためにもこの一打席だけは結果に繋げたい……!)
一度練習のイメージを思い出すように素振りをすると丁度投球練習も終わり、7番バッターとして野崎が左打席へと入っていく。
(ちょうど里ヶ浜の攻撃も7番から……こっちも三者凡退で終わらせて、次の回に勝負をかけたいね)
(いきなりか……出鼻を挫いてやるってわけね)
野崎がバットを構えると、ボールが投じられた。
(……! スローカーブ……!)
視界の隅から入ってくるようなスローカーブに対して上げた右足が揺れてバットが止まると、緩く大きな曲がりで真ん中やや内寄りのコースからアウトコース低めへとボールが変化していき、ミットに収まった。
「ストライク!」
(タイミングが測りづらいですね……。……! ストレート……!)
バットを構え直した野崎に次のボールが投じられる。アウトハイへと投じられたストレートにバットを振り出した野崎だったが、振り遅れる形でバットは空を切っていた。
「ストライク!」
(スローカーブとの球速差もあるだろうけど……そんな前に立ってたら、ストレートそのもののスピードについてくのも簡単じゃないよ)
(もう少し早く振らないと……けど、追い込まれてしまいました。幸いスローカーブは一度スイングを溜めても、なんとか間に合うはずです。ストレートの方にタイミングを合わせて……)
3球目。一度首を振ったエースは次のサインに頷くと、短いステップ幅で踏み出し、オーバースローの投球フォームから投げ下ろすようにボールを投じた。
(膝下のストレート……! 前よりは見えてます!)
インコース低めの際どいところに投じられたボールにタイミングを合わせた野崎がバットを振り出した。するとバットの芯より内側に当たったボールはゴロとなって大きく一塁線から逸れていった。
「ファール!」
(今のは……少しですが、変化したのでしょうか。以前より振り遅れなかった分、なんとかファールに出来ました)
(練習試合と同じようにシュートを引っ掛けてくれたら助かったけど……そうは問屋が卸さないか。なら……これはどう?)
(スローカーブ! ……低い!)
「ボール!」
(スローカーブは通常のカーブより球速が遅い分、変化量は大きくなるけど、スピードの遅さ故に正確な見極めもしやすくなるわ。打席の機会が来るかは分からなかったのに、ミーティングで纏めた情報がしっかり頭に入っているわね。野崎さんらしいわ)
インコースから真ん中低めへと外れるスローカーブにバットを止めた野崎をネクストサークルから見た鈴木は落ち着いて打席に立っている彼女に感心していた。
(……やるわね。なら、ここで決め球よ)
(分かった。このボールは右バッターに投げれば抉りこむ形になるけど、左バッターには逃げていくボールになる。バットは届かせない。これで……空振り三振よ!)
(背中から来るようなこのピッチャーのボールを見極めるには、一度身体を開く必要があります。しかし完全に開いてしまうと内ならともかく、外にボールが来たらバットが届きません。だから右足を上げて身体を少し開いて、来ると思ったコースに右足を踏み込む。それが練習で私が掴んだ左投手の対策です!)
(タイミングは合わされたか! けど、完璧に決まった! いくらあなたのリーチでもこれは届かない!)
5球目として投じられたストレートはアウトコースギリギリに向かっていた。プレートの右端から放たれたクロスファイヤーはその名に恥じないような鋭角な角度で、構えられたキャッチャーミットへと向かっていく。このボールに対して外に踏み出した野崎は、バットを振り出していた。
(届いてください……!)
(……!? そうか。このバッターが振り遅れるリスクを承知で前に立ったのは……!)
構えられたキャッチャーミットの位置より中側を狙って振り出された野崎のバット。するとバットの芯でボールが捉えられ、快音がグラウンドを包み込んだ。
バットから伝わる得も言われぬ感触に彼女自身も驚きながら野崎はその足を懸命に動かしていく。
(ま、まだ落ちてこないのか……!?)
身を翻してボールを追うレフトだったが、その頭上を伸びのある打球が越えていく。バウンドした打球はフェンスに当たり跳ね返ってくると、ようやく追いついたレフトが拾い上げ、二塁へと向かって送球が行われた。
「セーフ!」
(や、やりました……!)
「夕姫ちゃん。ナイバッチー!」
「うおおぉ! よく打った!」
(やられた……! クロスファイヤーが完全に外へ逃げ切る前を捉えられた……!)
(くっ、ノーアウトからツーベースを打たれたか……)
送球が届くより早く野崎が二塁へと到達し、ツーベースヒットとなった。その打撃結果に里ヶ浜ベンチも盛り上がりを見せる。すると準備万端といった様子で中野が東雲に話しかけていた。
「東雲! 準備は出来てるにゃ!」
(代走……確かに出したいところだけど、出たのはピッチャーの野崎さん。この試合、延長も視野に入れる必要がある。しかも野崎さんはまだヒットを許していない……)
「……ここは代走は送らないわ」
「うぬぬ……分かったにゃ」
(代走は送らないのね。なら、ここは私が確実にランナーを進めないと)
(バントか。このバッターはさっきの打席で送りバントに失敗してる。ここはランナーを進めずにアウトを取りましょう)
(分かった)
ノーアウトランナー二塁となり、8番バッターとして右打席に入った鈴木は送りバントの構えを取っていた。そんな鈴木に対して1球目が投じられる。
(くっ!?)
インコースを鋭角に抉るように投じられたストレートにバットの根本へと差し込まれる形になった鈴木は狭い部分でバントする形となり、ボールを捉えられず、打球は打ちあがっていた。
「ファール!」
(あ、危なかった……)
後方へと打ちあがった打球はそのままバックネットに当たり、ファールとなった。そのことに安堵しつつ、鈴木は再びバントの構えを取り直す。
(今度こそ絶対にランナーを進める! ヒットを打てなくても、チームに有利な状況を作ってみせる……!)
(和香ちゃん……)
ネクストサークルに座る逢坂が鈴木の迷いのない目に惹かれるものを感じていると、2球目が投じられた。ボールは再びインコースを厳しく突いたストレート。
(さっきも私は内のボールをバントし損ねた。やっぱりここは内一辺倒で来たわね。初瀬さんとのバント特訓は私自身、基礎に立ち返る良い機会だった。このボールを……芯より先で!)
バットの根本へと向かってくるストレートに対して鈴木は目線をぶれないようにしながら、バットを手前へと引いていた。するとコン、という音と共にボールが転がっていく。
「サード!」
バントを警戒して一歩前に出ていたサードが打球を処理しようと前へと出てくる。バントに合わせて走り出した二塁ランナーの野崎の動きとサードの守備を見ながら、キャッチャーはタイミングを見計った。
(バントの勢いを殺された! これは……三塁は間に合わない、か!)
「一塁に!」
三塁でタッチアウトを狙いたい焦りを必死に抑えてキャッチャーは冷静に一塁への送球を指示した。その指示に応じるようにサードがファーストへと送球を行うと、バッターランナーの鈴木は余裕を持ってアウトに取られた。
(お、送れたわ。良かった……)
アウトになった鈴木はベンチへと戻っていくと、その際身体から力が抜けていくような感覚を覚えており、今の打席にどれだけ自分が緊張していたかというのを実感していた。
「……和香ちゃん。ありがと」
「えっ?」
「おかげで……思い出したわ。アタシに足りなかったものを」
ランナーが進んで1アウトランナー三塁。鈴木にすれ違い様にそう告げた逢坂はそのまま右打席へと向かっていく。
「内野、前に!」
このピンチに明條はキャッチャーの指示で内野が前に出てくる。そんな内野陣を見ながら、三塁コーチャーの河北が野崎へと話しかけた。
「夕姫ちゃん。靴紐がほどけかけてるよ」
「えっ。あ……気付きませんでした」
「タイム!」
タイムがかけられ、野崎が靴紐を結ぼうとしゃがんだところで近づいた河北が小声で話しかけた。
「夕姫ちゃん。私、精一杯判断するから……スタートするべきか、戻るべきか。だから、信じて欲しいんだ」
「ともっちさん。……はい。勿論ですよ」
「ありがとう」
先程の回ライトのトリックプレーに騙された河北は汚名返上すべく、三塁コーチャーとしての責任を果たそうと必死だった。そんな彼女の声色から覚悟を察した野崎は優しく返事をすると、プレーが再開された。
(絶対三塁ランナーは還さない……!)
(アタシは前の練習試合のスタメン陣の中で唯一このサウスポーと対戦してない。まずは……ボールを見よう)
(みよから聞いたこのバッターの性格を考えれば、スクイズは恐らくない。なら初球はセオリー通り、ヒットにしにくいコースから入ろう)
(夕姫ちゃんは中野さんみたいに駿足ってわけじゃない。内野も前に出てるし、打球をよく見定めよう……!)
互いの考えが交錯する中、三塁ランナーを一瞥したピッチャーはボールを投じた。アウトローへと投じられたストレートを逢坂はバットを出さずに見送る。
「……ボール!」
(少し低かったか……! けどボールは悪くない!)
「良い高さよ。その調子で攻めていきましょう!」
(分かってるわ。外野も少し前に出してるし、ここは高めに入る甘いボールは厳禁でしょ)
(なに今の角度……これがみんなが言ってた、角度のあるストレート。本当に上から降ってくるみたいじゃない)
僅かに低めに外れてボールとなったが要求通りのボールにキャッチャーは手応えを感じており、対する逢坂はそのストレートの角度に驚いていた。
(ヒットを打つには早い話、横にバットを振る必要があるわよね。けどこのピッチャーのボールは上から下に、特にスローカーブはこれ以上の角度で……つまり、空振りしやすいってことになるのかな)
ボールが投げ返されると、今度はしばらく間を置いてから2球目が投じられた。ボールはインコースの低めへのストレート。逢坂はこのボールにバットをピクッと反応させたが、そのままボールを見送った。
「……ストライク!」
「ナイスボール!」
(このピッチャーのボールを無理にすくいあげても、きっとアタシのパワーじゃ浅い外野フライになる。かといってこれだけコースに決まったストレートをバットを横に振って打ち返せるかは微妙……まだいまいち軌道が掴めてない。一打席で見極めきれる自信は……ない。なら、アタシの狙いは一つ。球速が遅くて見極められる可能性のあるスローカーブ……!)
この2球で長身から放たれる低めのストレートは簡単に合わせられないと感じた逢坂はスローカーブに照準を絞ってバットを構え直した。そして3球目が投じられた。
(んっ!?)
一転してインハイを突いてきたストレート。顔の前を通過するような軌道に逢坂は思わず身を引いてこのボールを見送った。
「ボール!」
(よし! 身体を起こした!)
(将来の大女優の顔にぶつける気……!? って前にもこんなことがあったわね。確かあれは清城との練習試合の時……)
そして4球目が投じられた。外に大きく外れるようなコースへと投じられたボールに逢坂は迷わず外へと踏み出した。
(なっ、踏み込んだ!?)
(前のボールの残像で次のボールのコースが入ってるのに、外れてるように見えさせられることがあった。これは……外からストライクゾーンに入ってくる! けどまだよ。龍ちゃんとの特訓を思い出すのよ! カーブは身体が前に突っ込んじゃったら打てない……!)
そして外へと投じられたスローカーブが緩く大きい曲がりで変化していくと、アウトローの際どいコースへと向かっていた。
(まだよ……まだ……今!)
足を踏み込んだ状態でバットのトップを崩さず、そのまま始動を溜めた逢坂は溜めた分を解放するような腰の回転でバットを振り出した。
(このバットの動きは……!)
トップから振り下ろすように振られたバットに気づいた河北はバットがスローカーブを捉えようとする瞬間とほぼ同じタイミングで声を張り上げた。
「ゴー!」
——キイイイィン。響き渡る金属音に乗って三塁ランナーの野崎はスタートを切った。
(叩きつけた!? くっ、抜かせない……!)
スローカーブの軌道に合わせるように上から下に振られたバットから放たれた打球はすぐさま強く地面に叩きつけられていた。その打球がバウンドして大きく跳ねて上に伸びていくところを、ピッチャーが長身を生かして掴み取るように捕りにいった。
(なっ!?)
「みよ、バックホーム!」
「は、はい!」
打球は伸ばしたミットの先を越えてそのまま上へと伸びていくと、やがて失速して下へと落ちてくる。ピッチャーの後ろに回り込んだ大咲はこのボールが落ちてきたところをジャンプして捕ると着地と同時にホームへと送球を行った。
(還ってみせます!)
(やらせない!)
ホームにボールが届くと、スライディングで滑り込んできた野崎とのクロスプレーになった。そして球審からの判定が響き渡る。
「……セーフ!」
「くっ」
その判定に苦い表情を浮かべながらすぐにキャッチャーは一塁へと送球を行った。
「……アウト!」
(アタシはアウトか。けど……やったわ)
際どいタイミングだったが、僅かに送球が早く届きバッターランナーの逢坂はアウトになった。しかしその顔には笑みが浮かんでおり、自分がアウトになったことを意に介している様子はなかった。
「……有り得ない……」
大咲は送球した後、立ち上がるのを忘れて逢坂のことを信じられないものでも見るような表情で見つめていた。そしてそんな彼女と全く同じ言葉を、テレビを通して見ていたゆかりも漏らしていた。
「……有り得ない……」
「えっ? どういうこと?」
「今のここちゃんのバッティングは明らかに狙ってた。でも目立ちたがりやのここちゃんがそんな身を呈するようなバッティングをするなんて……少なくともアタシの知ってるここちゃんじゃ、絶対にしない……」
友人の変遷にゆかりも大きく驚いていると、当の本人は里ヶ浜ベンチへと帰って、野崎と共に部員から祝福の嵐に包まれていた。
「逢坂さん。さっきのことだけど……どういう意味だったのかしら」
「ほら、紅白戦の最初の打席の時に和香ちゃんがアタシに声をかけてくれたでしょ。あれを思い出して……。今アタシが目立つことに囚われて、見逃していたことに気付けたんだ」
「そうだったの。……嬉しいわ」
するとグラウンドから金属音が響き渡り、続いて捕球音が響いた。阿佐田がスローカーブを打ち返した当たりはピッチャーライナー。3アウトとなって6回の裏の里ヶ浜の攻撃は終わった。
「みよ、ごめん……」
「……先輩、思い出しませんか? 前の練習試合も一点差で負けてる状況で7回の表、キャプテンからの攻撃だったんです」
「あ……そういえば」
「ピッチャーもあの時と同じなんです。“舞台は整った”。そう考えましょ」
「……そうね。今度はあの時と同じ結果にはしない」
7回の表、明條学園の攻撃は1番を務めるキャプテンから。円陣を作らせてチームに檄を入れたキャプテンは気合いの入った眼差しで右打席へと入っていく。
(このピッチャーのなにが厄介って球威だ……。少しでも芯を外したらボールの力に持ってかれちゃう。ここまでの攻めを見るに、初球はまず低めだ……。高めなら球威に押されて上げちゃうかもしれないけど、低めならいける!)
(セーフティバント!?)
低めに集めると読んでヒッティングの構えからバントの構えへと移ったバッターは真ん中低めやや内寄りに投じられたストレートにバットを合わせると、サード方向へと転がったボールを横目にスタートを切った。
「サード!」
(意表を突けた! 間に合う……!)
ストレートが低めにきたこともあり上手くボールを転がせたバッターランナーはその駿足を飛ばして一塁を駆け抜けた。
「……アウト!」
(えっ!?)
一塁を駆け抜けたバッターランナーはその判定に驚くように振り返ると、ジャンピングスローの余韻で砂塵を舞わせる東雲の姿を捉えた。
(まだ野崎さんからヒットを打てていなくて、この回点を返さないと負ける状況。足の速い1番打者の選択として、セーフティバントはあり得ると思っていたわ)
セーフティバントを予想していた東雲は万全のスタートを切っており、意表を突いたと感じたバッターランナーの思うほどのリードは取れず、アウトとなっていた。
「東雲さん、ナイスプレー! ワンナウトー! 後二つ、しっかり締めよう!」
ファーストベースから足を伸ばして送球を受け取った翼が野崎へとボールを投げ返すと、指を1の形にして皆を鼓舞していく。
「東雲さん、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでよ」
(そうは言いますが、凄い汗ですね……。いけるところまで投げて体力を大幅に消耗した上で、あれだけの守備を。5回まで投げて頂いたおかげで私はまだ余力が残っています。東雲さんが必死に繋いでくれた投球を……無駄にはしません!)
東雲の体力の消耗は激しいことが野崎には感じて取れた。気丈に振る舞い、いつも通りの守備をこなす東雲の姿を見た野崎は感じ始めていた腕の疲労も和らいだような気がしていた。
(みよちゃんだ。みよちゃんに回せばきっと何とかしてくれる。だからここはフォアボールでもなんでもいい。とにかく塁に出るんだ!)
(今のを見てセーフティは無い。もし仕掛けても翼や東雲さんならアウトに出来るはず。となればストレートで押していきましょう。……野崎さん、連戦のリリーフの疲れもあるでしょうけど)
(全力投球を出来るだけ低めに……ですね。分かりました!)
ランナーが出ずに1アウトになり2番打者が右打席へと入っていくと、先ほどまでの打席と同じようにバントの構えを取っていた。そんなバッターの様子を見定めた鈴木はバスター打法で来ると読むと全力投球のサインを送った。それに頷いた野崎は投球姿勢に入り、右足を垂直方向に上げるとそのまま振りかぶらずに右足を踏み出し、リリースする寸前まで縫い目に触れるようにしていた指先からストレートを放った。
(甘く入ってる。当たって!)
ヒッティングに切り替えたバッターはバットを引いてきた軌道を辿るようにバットを振り出した。投じられた真ん中低めやや中寄りのストレートがキャッチャーミットへと唸りを上げるように向かってくると、スイングが最後まで振り切られ、その後ろで強烈な捕球音が鳴った。
「ストライク!」
(速い……! さっきからストライク先行で来てるから、フォアボールは狙えないかな。ならコンパクトに振って、まず当てないと……)
振り遅れる形で空振りとなったバッターはバットを短く持ち直し、少しでもボールに振り遅れないようバッターボックスの一番後ろまで下がって投球に備えた。
(なんとしても当てようというわけね。……野崎さん)
(え!? ここで……四隅のサインですか?)
(このバッターは野崎さんの速球についていけてないわ。なら早く振ろうとして見極めは甘くなる。多少外れたとしても手を出してくれる可能性は十分にあると思うわ)
(……分かりました! 四隅もあれだけ練習してきたんです。思い切って狙ってみます……!)
追い込んだ後に振ってくれたら儲け物という形で投げることの多かった四隅のサインが来たことに目を丸くした野崎だったが、覚悟を決めて首を縦に振ると、胸の前でミットを構えた。高架下にある9分割された的を思い出し、投げるイメージを頭の中に染み込ませるようにした彼女の指先からボールが放たれる。
(膝下!)
インコース低めを厳しく狙って投じたボールはコースはストライク上だったが、高さが僅かに低めに外れていた。しかしストレートのタイミングに合わせるのが精一杯だったバッターはそのことに気づく間もなくバスター打法で振り出したバットでボールを打ち返していた。
「ショート!」
(き、来たあ……!)
(しまった。ショートゴロ……!)
放たれた打球はショートへの弱いゴロ。バッターが焦りを覚えながら走り出す中、新田は懸命に前へと出てくる。
(まずしっかり捕って……あっち向いて、投げる! ……! やばっ。ちょい逸れた……!?)
ミットでボールを突かないように気をつけながら捕球の直前で減速した新田はボールをミットに収めると、ボールを取り出しながら一塁ベースへと足の向きを変えて、送球を行った。すると送球を少し焦ったのか、身体を開いて投げたボールは足の向きからは右へと逸れてしまった。
(届く!)
このボールに翼は一塁ベースから離れるとミットを伸ばして送球を受け取り、目の前まで来ていたバッターランナーに直接タッチを行った。
「アウト!」
(ああっ……!)
「さ、サンキュー有原!」
「ドンマイ! 今のはしっかり投げても間に合うよ。落ち着いていこう!」
「お、おっけー……」
(投げようとした瞬間ランナーが目に入ったのか、少し動きがぎこちなくなったわね。あのバッターは右打者で足もさほど速くはない。おかげでタッチアウトに出来たけど、慌てる場面では無かった。……やはり初めての公式戦、試合の締めとなるかもしれない瞬間は緊張してしまうみたいね)
「周りをよく見て! あなた一人で守っているわけじゃないわよ!」
「東雲……」
もう少し逸れていたらエラーという送球に固くなってしまった新田だったが、東雲に言われて視界がバッターの方にばかり向いていたことに気づき、周りを見渡した。すると歓声に紛れていたが永井からも声が送られていたことに気づいた新田は肩にのしかかる重みが薄れていくような感覚を覚えていた。
「さぁ、2アウトだよ。声出していこう!」
「つ、ツーアウトー! ばっちこーい!」
(……まずいな。経緯はどうあれ2アウト目が取られて、いよいよあっちのムードだ。このままだと飲み込まれる……!)
そんな新田に翼が声をかけると新田を中心に里ヶ浜守備陣が勢いづくように声が出始める。そんなムードに圧迫されるような思いを抱きながら3番バッターが右打席に入っていった。
(対戦してきて……確かに里ヶ浜は良いチームだと思うよ。けどうちだって負けないくらい良いチームだ。こんなところでは終わらせない……!)
地面をならしながら一塁側明條ベンチの方を見つめたバッターは息を深く吐き出すと、引き締まった表情でバットを構えた。
(野崎さんの球威なら……このバッターのドアスイングを詰まらせるには十分。インコースを攻めていくわよ!)
(はい!)
(ここまで私にはずっと内だ。バントの時まで内で来られたし、このキャッチャーは私が内が打てないと思ってるに違いない。……先発のピッチャーの球威でようやくセカンドの頭をギリギリ越えるヒットを打てたんだ。確かにこのピッチャーの内は……打てないかもね)
そして3番バッターへの初球。野崎は鈴木の要求通り内へストレートを投じた。
(なら……内を外にする。それしかない!)
(えっ!?)
ネクストサークルに座る大咲が驚いた表情を見せる中、バッターはバッターボックスギリギリまで身体を左へと動かし、内へと抉るように投じられたストレートを真ん中から外のポイントにするようにしてドアスイングでバットを振り抜いた。鋭い金属音と共に放たれた打球はあっという間に内野を越えていく。
(届いて……!)
センターへと放たれた当たりに永井は後ろに下がりながら必死に追いすがっていくと、落ちてきた打球に追った体勢のままミットを伸ばして捕りにいった。
(ああっ……!)
しかし打球は伸ばしたミットの先でバウンドした。永井は捕りにいったことで体勢をふらつかせながらも、体勢を立て直してこのボールを追っていく。やがて外野フェンスに跳ね返ってきたボールが拾い上げられると、迷わず中継に向かっていた新田へとボールを戻した。すると新田まで届いた送球を確認したバッターランナーは二塁を少しだけオーバーランしてすぐにベースを踏み直した。
「ナイバッチ!」
「繋いだー!」
(……先輩のあの立ち位置は外のボールを強く打てる強みを残しながら内に対応出来るように練習したスタンス。それを……崩した。アタシたちになんとしても繋ぐために、築いてきたスタンスを崩してでも、目の前の出塁に拘ってくれたんだ……)
「明條、ここでツーベースのランナーが出ました。そして打順は4番……大咲みよ選手に回ります!」
(この土壇場で大黒谷か……)
2アウトランナー二塁となり、拳を握りながらネクストサークルから立ち上がった大咲がゆっくりと右打席へと向かってくる。逢坂は鈴木の外野前進の指示を受けて前に出ながら、彼女のことを意識していた。
(あの時と同じ轍は踏まない……!)
歓声を背に打席へと入った大咲は射抜くような視線で目の前のピッチャーを見つめると、バットを構えたのだった。