(この試合に負けたら、苦労してようやく取り付けられたテレビ放送もここで切られる。それだけじゃない……。アタシたちのチームはようやく殻を破って、大きく変わり始めた。……ここはまだ終わりじゃない。終わりになんか……させるもんですか!)
「負けないでー!」
「お願い……!」
「みよちゃん、打てるよ! 落ち着いてボール見ていこう……!」
「あなたの思うように振ってきて! 防具着けて待ってるからね!」
一点差で負けている明條にとっては点が入らなければ最終回となる7回の表、2アウトランナー二塁の場面。スタンドからの切実な声援がより一層激しさを増す中、スタンドだけでなくベンチからの仲間の必死の声出しも背に大咲は右打席へと入っていった。
(後が無くなった相手チームの攻撃は鬼気迫るものを感じます。高波との試合もそうでした……。最後のアウトが遠くに見えます。あの時は結局守備に助けられての決着でした。私に……抑えられるでしょうか)
早々に2アウトまで追い込んだもののツーベースヒットを放たれた野崎は、一回戦で高波との試合でも先頭バッターの中条をリズム良く三振に取った後連打を浴びてピンチを迎えてしまったことを思い出しており、その表情は冴えないものだった。
(うぅ……凄い声援なのだ。思わず守ってるこっちが気圧されるような、そんな迫力があるのだ。……ん?)
明條の決死の応援に阿佐田は思わず身を竦ませていると、そんな野崎の表情が目に入った。
「ゆっきー。リラックスリラックスなのだ〜。一回深呼吸しとくのだー」
「は、はい!」
(助かります阿佐田先輩。上手く間を取ってくれたわ。今のうちに私も考えを整理しておかないと。…………よし。初球はこれでいきましょう)
阿佐田のアドバイスで野崎が息を吸ってゆっくりと吐き出すと幾分かは落ち着いた様子だった。彼女が自分のペースでプレートに戻ったところで鈴木はサインを送ると、そのサインに頷いた野崎が投球姿勢へと入った。
(どう来る? ……! いきなりチェンジアップ! けどこれは……)
投じられた初球はパームボール。これが外に大きく外れると、見送られてボールとなった。
(前の練習試合ではこのボールに空振り三振に取られてゲームセットになった。キャッチャー、澄ました顔して揺さぶってくれるじゃない……!)
(野崎さんのパームはまだ大雑把に低めに投げるのが精一杯。外野も前に出しているし、ここは見せ球として使って……)
(一つ目のクロスファイヤーのサイン、ですね。分かりました。こちらのサインはストライクを狙って……!)
ボールが投げ返され、2球目。鈴木はさりげなく立ち位置を内へと動かすと投じられたインコース真ん中へのストレートを構えたキャッチャーミットで受け止めるように収めた。
「ストライク!」
(……先発した右投手との錯覚か? 先輩のクロスファイヤーとはまた違ったきつさを感じるわ。……!? また同じ球!?)
続いて投じられた3球目はインコース真ん中やや低めへのストレート。これに反応した大咲はバットを振り出した。
(くっ! 差し込まれた!?)
振り出したバットはストレートを弾き返したが、打球はフライ気味のライナーとなって一塁側ファールゾーンへと飛んでいく。鈍い当たりが響いた瞬間、不安の溜め息がスタンドから漏れ出たが、フェアゾーンから大きく離れた打球に捕球は不可能と考えた観客は静かにその打球を目で追っていた。
(……! 嘘でしょ!?)
「すいません! そこ空けて下さい……!」
同じように捕球は難しいと考えていた明條のキャプテンは驚いていた。打球はふらふらと吸い込まれるように一塁側の明條ベンチへと向かっていたが、その打球に反応良く走り出していた翼がすぐそこまで迫っており、打球に当たらない程度に避けようとした明條の部員は慌てて離れていた。
(捕るっ!)
(翼さん!?)
明條ベンチ手前まで来た翼はベンチ前の柵の手すりにお腹を預けるようにしてファールグラウンドに右足を残したまま左足を浮かせて身体を伸ばし、上から落ちてくるような軌道ですぐそこまで迫っていた打球へと左手にはめたミットで懸命に掴み取りにいった。
(うそ……)
明條キャプテンは思わず目を見開いた。勢いで傾く身体を右膝を柵に当ててなんとか堪えた翼はバランスを持ち直して両足をファールグラウンドにつけると、彼女のミットの中にはボールが入っていた。
「ファール!」
(えっ!?)
(うー、やっぱり。ちょっと打球の軌道が変わったのは気のせいじゃなかったんだ。多分ベンチの上の横壁、あそこの角のところに先に当たっちゃったんだ)
届くかどうかギリギリの打球と思っていたミットの先より手前側での捕球になったことに違和感を覚えており、審判のファールの宣言に納得していた。
(た、助かった……)
(やるわね。アタシの打球に捕球が認められるギリギリまで食い下がってきたか)
「夕姫ちゃんごめん! アウトに出来ると思ったんだけど……」
「い、いえ! ナイストライでした!」
明條キャプテンが思わず冷や汗を掻く中、翼が悔しそうに内野へと戻っていく。諦めずに打球を追った翼の挑戦に三塁側のスタンドを中心に拍手が送られていた。
(……そうでした。私のボールの力だけで抑える必要はないんです。後ろではこんなに頼もしい皆さんが支えてくれているのですから。今は鈴木さんのリードに精一杯応えられるようなボールを投げ込むことだけ考えましょう)
今の翼のプレーで必要以上に気負っていた自分に気づいた野崎は硬くなっていた表情が和らいでいくと、背中で皆の声を感じながら、前へと向き直った。
(先輩と違ってあのピッチャーはスリークォーター。オーバースローより横から投げてくるから右から左への角度がつく上に、球速も先輩より速い。だから差し込まれたってわけね)
打ちづらさの要因を分析しながら大咲はバットを構え直した。そんな彼女の構えを見上げるように窺いながら鈴木は意を決して野崎へとサインを送る。
(……! それは……)
(大丈夫。布石は打ってきたわ。ただし入れにいくんじゃなく、厳しく狙っていきましょう)
(……分かりました!)
そして4球目が投じられた。
(……! なっ、決め球も……クロスファイヤー!?)
インコース低めの際どいコースへと投じられたストレート。このボールに大咲は虚を突かれていた。そしてバットを振り出すことが出来ずに見送られたストレートが鈴木のミットへと収まると、その威力で鈴木のミットが流れていた。
「……ボール!」
(くっ。今ので決めたかったのに、ミットが流れてしまったわ。ボールが通過したゾーンは変わらないけど、ここまで流されてしまうと審判に与える心証は大きく変わってしまう。折角ここまでの打席を布石に、内を攻めたのだけど)
(ここまでアタシへの決め球は必ず外だった。多分練習試合でホームラン打ってやったのが効いてると思ってたんだけど……危うくやられるところだったわ。ゾーンを広く意識しないと……)
(本当は3打席目の彼女の打席は外を中心に攻めて内で仕留めるつもりだった。決め球の前に打たれたことでそうはいかなかったけど。彼女は今、どっちの意識が強いかしら? ……内に野崎さんのスピードのあるストレートを3つ続けた。なら、ここは……)
(またストレート! ……!)
投じられた5球目はストレート。これがアウトコースへと向かっていくと、内に備えるように左足を引こうとした大咲は焦りを覚えていた。
(タイミングは合ってる。このっ……!)
(スイングを崩した。空振り三——)
泳いだスイングに鈴木は三振の確信を得たが、その手にストレートの衝撃を感じなかったことに驚いていた。
「ファール!」
(やらせない……!)
(なっ。あ、当てた……!?)
腰が引けるような体勢から無理やり上体を外へ伸ばすようにしてバットを振った大咲の打球はボテボテのゴロとなって一塁側ファールゾーンへと転がっていた。無理なスイングで振った大咲はスイング後、バランスを崩して前から崩れ落ちたが、砂を軽く払うと再びバットを構え直していた。
(……あれはアイドルの大咲みよじゃない。格好とか、プライドとかかなぐり捨てて、何がなんでも食らいついてやるって……。子役時代からよく知ってる、アタシがライバルとして認めた大黒谷美代子だ。アイツはそういうの表に出さないって思ってたけど、それだけ本気で野球に懸けているってことか……)
「……」
ライトから見つめる大黒谷の姿に思うところがあった逢坂は声出しも忘れて目の前で起こっている景色に集中していると、6球目が投じられた。真ん中高めに投じられたストレートに大黒谷はバットを振り出していたが、スイングを途中で中断してこれを見送っていた。
「ボール!」
(高めの釣り球、野崎さんのボールも良いところに来ていた。この土壇場でなんて集中力をしているの……)
(フルカウントに持ってこれた。アタシをフォアボールで出せば、ただで逆転のランナーを出すことになるわよ)
「……試合を見ながら、聞いてちょうだい。特に一年生はしっかり聞いて」
「草刈キャプテン?」
「私たちはこれまで先制して差をつけたまま勝利を掴むことが出来たから、最終回をビハインドの展開で追うことは無かった。けどこれから先、勝ち進むにつれてそういう展開になることもあり得るわ。追う側も追われる側も不安や焦れに襲われ、積み重ねてきた自信の層が問われることになる」
「自信の層……ですか」
「そうよ。今は大会中だからこうして連戦の日々が続いているけど、私たちが野球に占める時間の多くは練習。試合、特に本番は練習に当てた時間に比べると本当に一瞬の出来事……けどその一瞬に力を集約させられるよう、私たちは厳しい練習に耐え抜いてきたわ」
「本当に北山監督の練習は容赦なかと……」
「ふふ、確かにね。けど、だからこそ私たちは自信の層を厚くすることが出来る。追い込まれ、プレッシャーを感じることもある。最後のバッターになるかもしれない、不安に直面しなければいけないこともある。そんな時は……今までの練習を思い出して。練習は嘘をつかないわ。自分がやってきたことに偽りが無いなら、迷いは捨て去れる」
(……『チーム一の自信家を目指しなさい』って藤原先輩は言ってくれた。その考えは私たちの世代にも引き継がれているんですけど)
スタンドで界皇のチームメイトにキャプテンのレナがそう伝えていると、大黒谷への……ラストボールが投じられた。投じられたのはパームボール。これがアウトコースの低めへと落ちていく。
(……それを……待ってた……!)
(ここまでストレートを続けたのに、タイミングが……崩し切れてない!?)
(まずい! アタシと同じだ。アタシと違うのはストレートはなんとか当ててカットしてたとこ、アイツの狙いはハナから練習試合で仕留められた……!)
大黒谷の表情から逢坂が危機感を覚えたのも束の間、上から下へと落ちてくるパームの軌道に合わせるように大黒谷がアッパー気味に振り出したスイングはボールの芯から右の部分を捉え、打球が放たれていた。
「ライト!」
(……! あ、アタシのところに来た……!)
二塁ランナーが迷わずスタートを切り、打った大黒谷も走り出す中、前進守備を取っていた逢坂も打球に反応して走り出す。
(アタシはチェンジアップが利き手側に沈むと読んで、微調整して振った。けどこの感触は……!)
一塁を目指しながら大黒谷は打球を視界に収めた。打球は内野をライナーで越えていくと、ライトを守る逢坂の正面へと向かっていた。
「これは……ライト正面! ギリギリ届きそうだ! 明條、万事休すかー!?」
(逢坂さん……!)
三塁側里ヶ浜ベンチからこの打球が描く放物線を横から見る形になった宇喜多は逢坂の守備範囲と打球の落下地点を予測して危惧を抱いた。
(ライトライナー。アタシがダイレクトで捕れば……アイツの打球をアタシが捕れれば……。もう、打球はすぐそこ。迷ってる暇はない。迷うくらいなら……!)
(止まった!?)
スピードに乗って走っていた逢坂だったが、ダイビングキャッチを試みず、急ブレーキをかけていた。
(……! ボールが急に下に落ちて……この打球、見覚えがある。小麦ちゃんの……ってことは)
するとライナーで逢坂に向かうように放たれた打球は強いドライブ回転によって逢坂の目測より早く地面に向かって落ちてきていた。そしてバウンドすると逢坂から右方向に逃げるように跳ねていき、それを読んでいた逢坂は身体を右に向けて一歩踏み出すようにしてこの打球をミットに収めた。
「ここっち!」
「はい!」
そしてボールが中継に入った阿佐田へと送られると、ボールを受け取った阿佐田は身を翻してランナーの状況を確認する。すると送球は行わずに野崎へとボールが投げ返された。
「ライト前ヒットで繋ぎました! しかし浅い当たりと、里ヶ浜の前進守備が功を奏したか、2アウトで迷わず走り出したランナーも還れず! これで2アウトランナー一塁三塁となりました!」
(危なかったわ。もし飛び込んでたら、届かなかった……。迷うってことは自信が無いってこと。自信が無いってことは一か八かのプレーになるわ。アタシは今、茜ちゃんの代わりに立ってるのにそんなプレーするわけにいかないもの。ダイビングキャッチで勝負を決めたヒロインってのも惹かれたけどね……)
3回目の守備のタイムを取って敷くべきシフトを相談する内野陣を横目に逢坂はベンチの方に振り返った。するとベンチの奥で横になっている宇喜多が秋乃の肩を借りて柵の近くまで来て、精一杯の声援を送り出していた。
「宇喜多さん。安静にしないと……」
「ご、ごめんなさい。けど、せめて今だけは……茜も一緒に戦いたいんです」
「だいじょーぶ! こむぎが足痛くないように支えるから!」
「……分かったわ。けど、無理はしないでね」
「はい……!」
そしてそんな里ヶ浜ベンチの様子は逢坂だけでなく、内野陣も気づいていた。
「勝って茜ちゃんに勝利をプレゼントしましょう!」
「うむ! あかねっちが怪我したから負けたなんて言わせないのだ!」
タイムが終えられ、それぞれのポジションに選手が散っていく。
(打つ……!)
エースナンバーを背負う明條の5番打者が左打席へと入っていった。里ヶ浜が内外野共に定位置に着いたことを確認すると、バットが構えられる。
(初球は……これよ。ストライクゾーンに入らなくてもいいわ。さっきの打席は明らかにストレートを待っていた。このボールは見せておく必要がある……!)
(はい!)
(こういう時に奇襲をかけられるよう練習したフォースボークだけど……焦って初回にもう使ってる。一試合に2回決められるような作戦じゃないわ。ここは頼みます。先輩!)
(さっきは球威に押されて上がっちゃったけど、タイミングは掴んでる。今度は振りまけな……!?)
投じられた初球はパームボール。低めを狙って投げられたこのボールは早くも曲がり始めてホームベースにバウンドする形になったが、完全にストレートのタイミングで張っていたバッターは早いタイミングで空振っていた。
「ストライク!」
「野崎さん、ナイスボールよ!」
「鈴木さんもナイスキャッチです!」
ボールがバウンドしたことで後逸を窺った三塁ランナーだったが、無事ミットに収めた鈴木がボールを投げる体勢を取ると慌ててベースへと戻っていった。
(ブレーキがかかるチェンジアップとしか思ってなかったけど、今のはパームボールの握り。……ちっ、外に逃げないわけだわ。一般的なチェンジアップの握りで投げてなかったんだから。あの握りじゃ真下にしか落ちない)
先ほど真芯を捉えるつもりで振った大黒谷は思うような変化にならなかった理由に気付いて顔をしかめていたが、すぐに切り替えるとボールを受け取った野崎への意識を高めていた。
(クイックはやめたみたいね。まあ、左だからアタシは決めつけで走りにくいし、2アウトだから妥当か。けどあの特徴的な握りが見えたら走ってやるわ……!)
(さっきの大咲さんの打席ではストレートで仕留められないことに焦れて、パームをゾーンに投げさせてしまったわ。けどもう迷わない。あくまで野崎さんの決め球はストレート。パームは見せ球に留めて……!)
(……落ち着くのよ。パームの連投はそうそうない。追い込まれるまでは狙いは変えるな……!)
そして2球目。野崎の足が垂直に上げられ、大黒谷は包み込むような特徴的な握りが見えないことからスタートを自重すると、足が踏み出されてボールが投じられた。
(来た!)
(前に踏み込んだ!?)
やや高めながらアウトコースに厳しく投じられたストレート。このボールにバッターは前へと踏み出していた。
(アタシの狙いはアンタに打たれたクロスファイヤー! これをボールが外へ逃げ切る前に……打ち返す!)
(新しい投球フォームにして、磨き上げてきたストレート。鈴木さんも自信を持って要求してくれました。クイックもやめて、今投げられる最高のストレート……これで勝負です!)
——キィィィン。前へと踏み込んで振り出されたバットがボールを捉え、金属音と共に打球が放たれた。
(……投げ勝っている!)
(……! 伽奈先輩、まさか……!?)
放たれた打球はレフト線へのフライとなって内野を越えていく。全ランナーが走り出す中、定位置にいた九十九がこの打球に向かって前に走り出していると、ある可能性が逢坂の脳裏によぎっていた。
(さっきアタシは予め前にいて捕れなかった。これを……ダイレクトで捕る気!?)
(くっ、落ちろ……!)
(あのバッターはデータによればプルヒッター、外のボールでも多少強引に引っ張ってくる特徴があったはず。この打球は流したんじゃない。球威に押されて、詰まらされたんだ。詰まった打球は滞空時間が……長くなる!)
「はっ……!」
打球がスライスして外に流れていく軌道の落下地点を狙って九十九は飛び込んだ。
(……凄い……)
届かない。そう思った逢坂だったが、ダイレクトで掴み取られたボールを見て、素直に凄いと感じていた。
「アウト! アウトです……! 明條、あと一点が遠かった……! レフトの九十九選手のファインプレーにより、ゲームセットです!」
(負けた……)
懸命に走り二塁を回ろうとした大黒谷はアウトのコールを聞いて、身体中に込められていた力が急に抜けていくような感覚を覚えていた。
「……くそっ……!」
そして一度空になったような心に湧き上がってきた感情が爆発したように膝をついて思わず地面を叩いた。
(大黒谷……)
外野から整列のために戻ってきた逢坂はそんな彼女の様子を見て非常に驚いていた。
「…………」
(……アイツなら、一人で立ち上がれる。何よりアタシの手助けなんて大黒谷は求めてない……)
驚きながらも彼女に手を差し出そうとしたが、それを思い留まった逢坂は彼女の後ろをただ通過していった。
(……負けちゃったか)
「……さあ、みんな整列よ」
「キャプテン……」
「ほら、急いで! 相手を待たせちゃダメよー」
「は、はい!」
明條のキャプテンはアウトのコールを聞いた瞬間、天を見上げた。やがてその顔を下ろすと皆に声をかけ、一番にベンチから外へと出ていった。
「……また1点が届かなかった。なんで、たった1点なのに……」
(……その問いに答えるのは簡単だけど、でも今は)
「ほら、立って」
一塁を踏んだエースは自身がヒットを打っていれば届いた点差ということもあり大きなショックを受けていた。そんな彼女にキャプテンは手を伸ばすと、力一杯引き上げて立たせた後に手を離した。
「試合は対戦相手がいるから成立する。その相手への礼が終わるまでは試合は終わらない。あなたが今抱えてるものも……試合の後で、ね?」
「……ああ。分かってる……」
(よし。後はみよ……あら)
自分の足で整列に向かったエースを見たキャプテンは最後に二塁の方に振り向いたが、既に立ち上がって整列に向かう彼女の姿を見て目を丸くしていた。
(…………悔しいわよね。悔しくないわけない。私だって……。頑張ったから負けても仕方ないなんて思わない。けど、だからこそ……あなたは立ち上がった。悔しいから、もっと前に進むために……)
「両校、礼!」
「「ありがとうございました!」」
互いの礼がグラウンド上で交錯すると、キャプテンは翼に握手を求め、翼もそれに応じてキャプテン同士の握手が行われた。そんな彼女たちを包み込むような拍手で、試合は締められたのだった。
試合が終わってしばらくの時間が経ち、里ヶ浜高校は荷物を纏めて球場の外へと出ていた。
「二人ともお疲れ様」
「ほんとに疲れたよ咲ー」
「わたしも……明條が派手なプレーをするから、なんかそわそわしちゃって」
崩れるようにじゃれて倒れかかる新田を近藤が受け止めていると、永井も今日の試合は暑さも相まってか疲れた様子だった。
「でも二人とも、前の練習試合の時と違ってノーエラーだよ」
「わたしは危なかったけどねー」
「確かに危なかったところはあったわ。……貴女たち二遊間は特にね」
「うっ! 私も……だよね」
「あれ? 河北はなんかミスしてたっけ。わたしは最終回やっちゃいかけたけど……」
「初回のやつ……だよね」
「そうよ。貴女たち2人は結果エラーにならなかったけど、危ないプレーがあった……それは忘れないようにして欲しいわ。次に出るときのためにもね」
「「はーい……」」
「反省も大事だけど……それでもノーエラーは凄いと思うな。そこは胸を張っていいと思うよ」
「だよね!」
「全く……貴女って人は」
「あはは……でも頑張ったところも褒めて貰えると嬉しいのは分かるよ」
「……今度から気をつけるわ」
「ところで……宇喜多さんは大丈夫?」
「えと……まだ痛い、かな。でも九十九先輩が言うには多分二週間程度で腫れは引くって。念のために掛橋先生と野崎さんと一緒にこれから近くにある病院に行ってくるね」
「先生は分かるけど……夕姫ちゃんも?」
「なんでも病院の場所を知ってるって……もしかして前に行ったことがあるのかな?」
「そ、そうなんじゃないかな。とにかく、大事に至らなそうで良かったわ」
「あ、ありがとう近藤さん」
「どうしたの咲。そんなに慌てて」
「そ、そんなことないわよ? それより今日の試合、初瀬さんに助けられたわよね。あのピッチャーのクセを見抜いたりして」
「い、いえ。そんな……たまたまですよ」
「……そんなことないよ。初瀬さんが、レギュラー決め終わってからコーチャーのこと聞いてきて……丁寧に目の前のことを頑張ったから気付けたんだよ」
「そうだよ! だから自信持って!」
「は、はい……! ありがとうございます!」
「茜、師匠に安静にした方が良いって言われてて……茜もそうした方がいいと思うから……次の試合も初瀬さんに一塁コーチャー、お願いしたいんだ」
「……分かりました! 精一杯やらせていただきます!」
試合の興奮が冷めやらぬ中、里ヶ浜部員は帰舎後の反省会を待たずに互いを労いながら、良かった点や反省点を洗い出していた。
「……アタシ、やっぱり伽奈先輩が気に入りません」
「また突然ですね」
「あんなカッコいいプレー……本当はアタシがやりたかったんですから」
「なら機会が来たらやれるように、これからはもっと守備に注力すべきですね」
「むぐ……言われなくても分かってますー」
九十九に難癖をつけていると正論を突きつけられて逢坂は頬を風船のように膨らませていた。すると、来訪者の存在にいち早く気づいた。
(大黒谷。……目の下が赤くなってる……)
「有原さん。これ、受け取ってもらえますか? ファンがこの大会のために私たちに送ってくれた千羽鶴なんですけど……」
「は、はい! 受け取らせていただきます……!」
圧倒されるような量の千羽鶴に緊張しながらも翼がキャプテンとして大咲からそれを受け取ると、その手に感じた重さは千羽鶴によるものだけではない気がしていた。
「……今日はみよ達の負けです。けど、みよ達へこたれてませんから! また勝負して下さいね!」
「もちろんです! また精一杯戦いましょう!」
翼に千羽鶴を託した大咲は明るくそう言い放つと背を向けてゆっくりと歩き出した。すると逢坂の横を通るところで歩みを止めないまま話しかけた。
「また1からやり直すわ。アタシは止まったりしない」
「分かってる。アタシも、アタシの道を進んでみせるわ」
「ふん……なら、アンタは先に進んで見てきなさい。高校女子野球でもトップと名高い界皇高校の野球を」
「見るだけじゃない。越えてやるわ」
「実力差があっても?」
「だから諦めるなんて、そんなのつまらないでしょ」
「相変わらずね。……安心したわ」
通り過ぎる僅かな時間で交わした会話。その内容に満足したように笑った大黒谷はそのままこの場を去っていった。
こうして秋大会2回戦、明條学園対里ヶ浜高校の試合は4対5で里ヶ浜高校の勝利によって幕を閉じた。
——その翌日。
「……もしもし」
「大咲くんかね? 朝早くから失礼」
「いえ……大丈夫です。それで用件はなんでしょう?」
「実はだね……秋大会の放送枠の件なんだが」
「ええ。分かってますよ。アタシ達が試合に負けたから、大会の放送はそこで中止に……」
「その予定だったが……実は反響が予想以上に大きくてね。特に3回の表の君達が仕掛けた策を防いだケースが珍しいらしく、これが取り上げられたことをきっかけにどうやら注目が集まってるみたいなんだ」
「本当ですか!? ということは……」
「ただ
「うっ……やっぱり、そうですか……」
「と思っていたんだが、染矢くんが案を出してくれてね」
「染矢さん……ってプロデューサーの方ですよね」
「ああ。確かに君の所属する明條が敗れた……その影響はあるだろうが、君を響くんと一緒に実況解説という形で参加させるという方法であれば低下を抑えられるという案だった。これに加えて先程の注目を考慮すると、総集編を流すよりは大会の放送を継続した方が良いだろうという結論に至ったよ。後は君の返事次第だが……やってくれるかい?」
「も、もちろんです! やらせていただきます!」
「君ならそう言ってくれると思ったよ。詳しい連絡はまた——」
(トリックプレーには野球のルールが詰まってる。アイツらがあのプレーを防げたのも、ルールを知ってたからだ。……それが評価して貰えるのはもっと先のことかと思ってたのに……!)
電話が切られ、静寂が場を満たす中、大黒谷は震える拳をぎゅっと強く握りしめたのだった——。
次話は一週間空けて、再来週の投稿とさせていただきます。