(……ゆかちゃん。途中からほとんど解説してくれなくなっちゃったなー)
明條学園と里ヶ浜高校の試合が終了した頃、宿舎のテレビを通して試合を見ていたゆかりは放送が終わるのとほぼ同時に立ち上がっていた。彼女の友人は先ほどまで隣で座って一緒に見ていたゆかりの背を見上げるようにして見つめる。
「……野球部って夏の大会は二回戦で負けたんだっけ」
「あー、そういえばそうだったねー。サッカー部と一緒で夏が初めての公式戦で、二回戦までいけたところも同じだったから一時期話題になったよねー」
「へ……あっ、そんなこともあったねぇ」
「……?」
(どうしたんだろ。ちょっとビックリしてた? 独り言のつもりだったのかなー)
「あ、キャプテン。走り込みいってきていいですか?」
「ゆかちゃんランニング行くの? 私も行くー!」
「ん。いいけど明日試合なんだし、無理しちゃダメよ。程々にね」
「私がついてるから大丈夫ー!」
「いや、あなたが勢いに乗ったら止まれないから心配なのよ……。よろしくね、ゆかり」
「はーい」
「むー……」
意気揚々と胸を張った彼女だったが、心配そうな表情を浮かべたキャプテンに頬を膨らませると、ランニングに向かうゆかりの背を追って共に宿舎から出て行った。
「んー、そろそろ休憩挟もうか」
「はっ……はっ……そ、そうだね……」
「大丈夫? サイドバックはスタミナも大事だよー」
「はぁ……ふぅ。自信……あるんだけどねー。ゆかちゃんが凄いんだよ……軽くって言っても午前中も身体動かしたのにー」
ランニングを始めてからしばらくの時間が経ち、まだ余裕が残っているゆかりに対して彼女は肩で息をしていた。そんな彼女に気づいたゆかりの提案で二人は木陰を探して、一度休憩を挟む。
「ふぅ……今日、あっついねー」
「最近涼しかっただけに余計にね」
雲一つ無い青空から降り注ぐ日照りが一帯を照らしており、木陰に入った彼女達は手を団扇がわりにして仰いでいた。
「明日もこんな感じなのかなー?」
「んーと……平気じゃないかな。天気予報で今日が夏みたいに暑いだけだって言ってたよ」
「そっか。良かったー。明日の相手、夏負けちゃったとこだもんね。良いコンディションでぶつかりたいもん」
「……そうだねー。お、そうこう言ってるうちに風吹いて来たよ」
「涼しー……わっ」
ほとんど風が吹いていなかったこともあり暑さを強く感じていた二人は吹き始めた風で幾分か楽になっていた。そんな中、急な強風で舞った楓の葉が飛んできて、驚いた彼女はとっさに目をつぶる。すると楓が貼り付くように彼女の額で受け止められ、舞った砂利が目に入らないようにとゆかりが背中で風を遮ったことで、恐る恐る目を開けた彼女の手に収められた。
「ふう……急に風強くなったね」
「あ、ありがとー」
「どういたしまして。およ? 楓かー……紅葉の季節だもんねえ」
「綺麗だねー」
「そうだねえ。そういえばお姉ちゃん……あ、じゅり姉のほうね。お姉ちゃんが綺麗な楓の葉を押し葉にして、本読む時のしおりにしてるんだ」
「へー! お洒落だね! もしかしてわざわざ手作りで?」
「そうそう。じゅり姉は結構優柔不断でさ、占いとか花言葉とかよく気にするんだよね。それもあって楓はお気に入りみたい」
「そうなんだー。楓の花言葉って何かなー?」
「よく聞かされたから覚えてるよ〜。楓の花言葉はね、『大切な思い出』だよ。……お姉ちゃんにはぴったりだね」
「大切な……思い出……」
その言葉を聞いた瞬間、彼女は胸に抱いていた嫌な予感がおぼろげなものから鮮明なものへと変わっていくのを感じていた。
(もしかしてゆかちゃんは野球にまだ思い入れが……? 昔やってたのは知ってるけど、本当はまだ野球を続けたかったとしたら……)
楓越しに野球部のグラウンドを見つめていたことや、ゆかりが翼と連絡を取った時に自身から離れていってしまうような気がしたことを思い出した彼女は今のゆかりの屈託のない笑みを見ても安堵を覚えることが出来ずにいた。
(そういえば……私、ゆかちゃんに一杯相談に乗ってもらってるのに、ゆかちゃん自身のこと……全然知らない。今何を考えて、何を感じてるのか……全然分からない……)
「そろそろ休憩終わりにしよっか」
「……う、うん」
(き、聞かないと。こんなに何も知らないままじゃ私……ゆかちゃんの友達だって、胸を張って言えないよ)
「あ、あのさ!」
「どしたの?」
背を向けて走り出すゆかりに彼女は焦燥感を覚えると、一度大きく深呼吸を挟んでから走り出し、声をかけた。
「ゆかちゃんにとって野球は……大切な思い出なの?」
「あたしにとっての野球かあ。……どうしても聞きたい?」
「……聞かせて欲しいよ」
「そっか。……んん……ま、いっか。今日はなんか誰かに話したい気分なんだ。さっきあの試合を見たせいかな……」
「……!」
彼女は今ゆかりを追い越して、あるいは隣に並んでゆかりの表情を窺うことも出来た。しかし背中越しに聞こえたゆかりの声色はいつもとさほど変わらないように感じられたのにも関わらず、その表情を見ることが怖く感じられ、そのまま返答を待っていた。
「……でも分かんないや」
「えっ。どういうこと?」
「あたしにとって野球が大切な思い出なのか……あたしにとって野球はなんなのか……。自分でももうよく分からないんだ」
「そんな……どうして?」
「理由は……はっきりしてるかな。あたしはずっと野球から逃げてきたから……。向き合うのが怖くて、逃げ道をずっと探し続けてきたら……元々進んでた道がどこにあったか、分からなくなっちゃった。きっとそういう理由だと思う」
「ゆかちゃん……で、でもほら。チュリオーズの試合見てたりはするんだよね」
「ん……そうだね」
「じゃあまだ……野球が好きだって気持ちはあるんじゃないかなー?」
「……多分、ね。あたしは今でも野球が好きだと思う」
「うー……じゃあ、その……野球部に入りたいなー、とか思ってたり……?」
「それはないかな」
「どうしてー?」
「まずあたしは元々野球の次にサッカー好きだったし……それに」
「それに?」
「……なんでもない。それが一番の理由だよ」
(……。ゆかちゃん、気付いてるのかな。今走るペースが上がったこと……)
彼女はゆかりの背中が遠くなっていくように感じていた。そしてその原因がゆかりが無意識の内にペースを上げたからであることは、一緒に走っていた彼女にはよく感じられていた。彼女もペースを上げるとゆかりから離されないよう必死に追いかけていく。
「さっきの、野球から逃げてきたって……どういうこと?」
「……プレッシャーだったんだ。あたしにとっての野球はあたしが気付いてないうちから、誰かと比べられる野球だった」
「比べられる……ゆかちゃん運動神経抜群だもんねー」
「……そんなことないよ。あたしなんか全然才能ないし」
「えー? そんなことないことないよー。半年以上ずっと一緒にやってるから分かるもん。ゆかちゃんは元々運動神経凄いし、練習も全然手を抜かないしで、見たことなくても分かるよ。野球もきっと凄く上手かったんだろうなーって」
「……ありがと。でもあたしより凄い人なんて一杯いるんだよ」
「んー、いるかもしれないけどさ。ゆかちゃんが凄い! ってのは変わらないと思うなー」
「……! ————」
(……? 今、なにか小声で呟いた? 『みんながそう考えてくれたら、あたしはきっと……』?)
「……ふー。久しぶりに吐き出してすっきりしたよ」
「えっ。でもまだ聞きたいことが……」
「宿舎に帰ってからまた聞くよ〜。さ、ペース上げるよー」
「あっ、待ってー!」
振り向いたゆかりの表情がいつもの屈託のないものとはまた違うが、確かにすっきりしたように感じられて、彼女は少し安堵を覚えていた。ペースアップしたゆかりについていこうと慌てて自身もペースを上げると、風も先ほどより強く感じられるようになった。逆風の中、前へと踏み込んだ彼女は手にした楓の葉を持っていかれないようにしっかり握ると、ゆかりの背中を追っていくのだった。
久しぶりに試合無しの回。何かしらの勝負の後、続けて勝負だとちょっと息が詰まる感じがするなと思ったので、この話で一気に次の試合! といくよりは一旦落ち着いて丁寧にいきたいという結論に。
とはいえ次話は34話からずっと続いていた水曜日から日が進む(はず)。
色々触れつつ、次の次あたりの話で試合が始まるような感じでやっていく予定です。