皆で綴る物語   作:ゾネサー

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見出したビジョン

(大和田沙智(さち)……夏の大会でも全ての試合で1番打者を務めていた一年生遊撃手(ショート)。小柄ながら正確な選球眼と足の速さを武器に高い出塁率を記録していて、ついたあだ名が『切り込み隊長』。この試合、大和田さんの出塁をどれだけ抑えられるかにかかっていると言っても過言ではないわ)

 

 ヘルメットから覗かせる菖蒲(あやめ)色の髪を揺らしながら地面を整える大和田を鈴木はキャッチャーボックスから見上げ、彼女の情報を復習するように思い出しながら様子を窺っていた。青い眼を輝かせ愛嬌のある微笑を口元に(たた)える彼女は鈴木にどこか余裕のある印象を抱かせる。そうして観察しているうちに地面をならし終えた彼女がバットを構えると、球審のプレイボールの宣言が球場に響き渡った。

 

「さぁ準々決勝第一試合、界皇高校対里ヶ浜高校。今、戦いの火蓋が切られました! 実況は実響(じっきょう)ちゃんでおなじみ、ワタクシ実浦(みうら)(ひびき)と!」

 

「『タッチアップ』のセンター、大咲みよでお送りします!」

 

「……始まりましたか」

 

 三日前に界皇に敗れ、既に地元へと帰っていた神宮寺。二試合連続完投による疲労を心配した牧野から今日は肩に負担がかかる練習を禁止された彼女は清城高校にある男子野球部と兼用のトレーニングルームで下半身を鍛えながら、ラジオでこの放送を聞いていた。

 

(7回14被安打3四球4失点。それが界皇戦での私の投球内容。……誇れるような数字ではありませんが、牧野さんのリードやバックの守備も含めて、あれがあの日私たちに出せる全力だったと今でも胸を張って言えます。それだけ界皇の打線は強力でした……)

 

 自分たちの試合と同じようにこの試合も界皇の先攻で始まったことを知った神宮寺の脳裏に三日前に味わった界皇打線の恐ろしさが鮮明に蘇っていく。心に残る印象的なシーンがフラッシュバックのごとく展開され、鳩尾が冷えるような恐怖感が込み上げてきた神宮寺は一度練習を中断し、ペットボトルの蓋を開けて乾いた喉を潤した。

 

(しかし全力で挑んだからこそ、不足していた様々なものが課題となって浮かび上がってきました。二度とこのような思いをしないためにも私たちはこの負けを無駄にはしません。……ですが敗れた私たちとは違って河北さんたちにはまだチャンスが残っている。貴女(あなた)たちが部を作ってからここまでどれだけの努力を傾注してきたか、私は近くで感じてきました。少しの時間でも練習に充てたいため球場で直接応援は出来ませんが、ここから里ヶ浜の勝利を信じていますよ)

 

 同時に悔しさも水のように胸に流れ込んだ神宮寺はその思いも糧にせんとばかりにトレーニングを再開させると共に、陰ながら里ヶ浜を応援するのだった。

 

(……いくわよ、鈴木)

 

(さーて、どう来るかなー? どんな球でも打ち返してやるけんの!)

 

 マウンド上の倉敷はロジンバッグを放り、滑り止めの粉が少し多めについた指先に軽く息を吹きかけて飛ばすと、投球姿勢に入った。左足を引いて両腕を振りかぶると、左足を浮かせ右足を軸に腰を右向きに捻り、左足で踏み込んで地面を右足で蹴りながらほぼ真上から振り下ろすようにしてボールが投じられ、彼女の三つ編みで纏められた赤髪が宙を舞った。

 

(ストレート……もらった!)

 

 投じられたのはインコースの高め。ベルトより高いコースに投じられたボールに大和田は初球から積極的にバットを振り出した。

 

(食いついた! ……!?)

 

 腰を浮かせてミットを構えていた鈴木は要求通り僅かに高めに外されたストレートとスイングに入った大和田を見てバットが下に入り、また内に厳しく投じた分差し込めると確信していた。しかしスイングと並行して脇を締め肘をたたんだ大和田が上から押さえ込むようにしてストレートを捉えた光景が眼前に映し出されたことに目を見開いた。

 

(よし! 打ち返してやったと!)

 

 手に伝わる芯で捉えた感触と三塁線へと放たれたライナーを目にした大和田は意気込み通り打ち返せたことに勝ち誇るような笑みを見せながら走り出す。

 

(打球が速い! くっ……!)

 

 定位置で守っていた東雲はとっさに反応して身体を三塁ベースからやや外野寄りの方向に反転させながら懸命に足を動かすと、鋭く放たれたライナーへと飛びついてミットを伸ばした。すると宙に浮いた身体が地面に叩きつけられ、彼女は指先に込める力をさらに強くしていた。

 

「……アウト!」

 

(なっ!?)

 

 三塁審判が東雲のミットを確認すると、ミットの先ギリギリに引っかかるように掴み取られたボールはこぼれずに収まっていた。響くアウトのコールに、長打を確信し一塁を回ろうとしていた大和田は耳を疑うほど驚く。

 

「し、東雲さん……! ナイスキャッチ!」

 

(当然……と言いたいところだけれど。今のは我ながらよく届いたわ。それほどの打球だった……)

 

 腕を伸ばした状態で地面に伏す形になった東雲はミットに収まっていたボールを見て、その体勢のまま気付かれないよう小さく安堵の吐息を漏らすと、翼からの掛け声に反応するようにユニフォームについた砂を払いながら立ち上がり、いつものように強気な表情を見せていた。

 

「ほう……よく捕ったな」

 

「抜けてたら二塁は勿論、下手したら三塁まで行かれてたかもね」

 

 スタンドから観戦する乾を含めた帝陽学園の面々は今の捕球に感心し、周りの観客と同じように拍手を送っていた。

 

「けど今のはちょい高かったんじゃないか? そう球速があるようには見えないけど……大和田は見極めを誤ったのかな」

 

「……いや、恐らく大和田は今のが外れていたことは分かっていたはずだ。彼女の選球眼は中々のものだからな。だが彼女は……ボール球であっても打てると判断したら積極的に振っていくきらいがある」

 

「確かに結構初球打ちしてくる印象はあるけど……ボール球も振ってたのか」

 

「もっともそう判断しただけあって、それがそのままヒットになるケースも多いがな」

 

「今のもヒット性の当たりだったしな……」

 

「だが、やはりストライクゾーンのボールを打つよりは打率は落ちている。そして彼女がボール球に手を出したデータのみに絞ると、最も打率が低いのは今投じられたインハイだ。低めは上手く転がしてきて内野が止めても足の速さで内野安打にされる場合も多い」

 

「ボール球に手を出したデータのみか……それは元々のデータが豊富にないと参考に出来るだけの数にならないな」

 

「ああ。どうやら我々が提供したデータを生かしての判断と考えて良さそうだ。つまり今の一球は無造作にも見えるが、実際には緻密な考慮の末の選択と言えるだろうな」

 

(……しかし打ち取れる確率が高いからといって必ずしもアウトに取れるわけではない。インハイは打率が低い代わりに長打率の最も高いコースだ。里ヶ浜のバッテリーは長打の可能性をどの程度頭に入れていただろうか……)

 

(今、大和田さんは予めインハイを待っていたわけではなかった。手を出せばポップフライになると思ったのに……)

 

 口を尖らせてベンチへと帰っていく大和田を目で追いながら、鈴木はボールが投げられてからの大和田の対応に強い焦燥感のようなものを覚えていた。

 

「鈴木!」

 

「……! は、はい!」

 

「声出していきなさい。ワンナウトよ」

 

「あ……わ、ワンナウト!」

 

「ワンナウトなのだー! まいちん、後ろは任せるのだー!」

 

(ハナからそのつもりよ。相手はアタシより速い神宮寺のストレートすら苦にしなかったチーム……そう上手く事が運ぶとは思ってないわ。空振りだってそうは狙えない。それでもリスクはあるけど、打たせて取ることは出来る)

 

 東雲からボールを受け取った倉敷は鈴木に声出しを促すと、広がっていくワンナウトのコールに囲まれながら、この試合をエースとして任された以上不退転の覚悟で臨むことを心に決めていた。

 

(……そうよ。ワンナウト……まずは21個のアウトの内の1つを取った。良い当たりを打たれたとしてもこうして地道にアウトを積み重ねていくことが大事なんじゃない)

 

 声を出しているうちに気持ちが落ち着いてきた鈴木は頭の中を整理してからキャッチャーボックスに座り直した。

 

「もー、また初球から手を出して……1番なんだから少しは見てってよね」

 

「だって打てそうやったし……後は任せた!」

 

「しょうがないなぁ……」

 

 帰ってきた大和田にネクストサークルから気さくに話しかけた2番打者が代わるようにして右バッターボックスへと入った。

 

(相良(さがら)吉乃(よしの)。大和田さんと同じ地元ボーイズリーグ出身で夏大会では主に2番打者を務めていた一年生二塁手(セカンド)。小柄な大和田さんと比べれば体格は大きいけれど、界皇スタメン陣の中ではまだパワーは無い方ね。ただ金属バットのしなりを利用したバッティングが得意で、外野を前に出すとそこを突かれる。さきがけ女子もそれにやられたわ……ここは定位置で勝負ね)

 

(守備は……動いてないな。さて、わたしにはどう来るのかな?)

 

 地面をならしおえた相良は杜若(かきつばた)色の髪の下から覗かせる水色の瞳で相手の守備位置を確認してからバットを構え、マウンド上に佇む倉敷へと目を向けて投球に備えた。

 

(さっきの打球で一瞬データを疑いそうになったわ。けど、もう迷わない!)

 

(分かったわ)

 

 鈴木から送られたサインに頷いた倉敷が投球姿勢に入ると、相良に対して1球目のボールが投じられた。

 

(真ん中低め……際どいな)

 

 投じられたのは真ん中低めへのストレート。このストレートに対してストライクかボールか判断に迷った相良はバットを出さずに、そのままボールを目で追うようにして見送った。

 

「……ストライク!」

 

(……! 入ってるのか。どうやらコントロールが良いってのは本当みたいだな)

 

 ストライクゾーンの低めの枠を掠るように通過したと見た相良は球審の判定を聞いていささか呆気に取られると、目の前のピッチャーのコントロールを認めながらバットを構え直した。

 

(そこは……。……分かったわ)

 

 投げ返されたボールを受け取った倉敷は次のサインに僅かに目を見張ると、首を縦に振って投球姿勢へと入った。そして2球目が投じられる。

 

(……!? また……真ん中低め!?)

 

 続けて同じようなコースに投じられたストレート。このボールに相良はバットを出すことが出来なかった。

 

「……ストライク!」

 

(くっ……)

 

(大和田さんが初球から手を出した場合、相良さんはボールを見てくることが多い。特に大和田さんがアウトになった時はそれが顕著だわ。恐らく大和田さんの代わりに情報を引き出す役目を負うのと、続けて早打ちでアウトになるリスクを嫌ってのこと……強気にストライクを続けたのは正解だったわ!)

 

(真ん中低めはコースを意識しなくていい分、低めギリギリを狙いやすい。焦って手を出せば打ち取れる可能性も高いし……ここまでは上手くいってる。後はどうやって仕留めるかね)

 

(慌てるな……確かこのピッチャー、チェンジアップがあったな。わたしまで簡単にやられるわけにはいかないぞ)

 

 0ボール2ストライクとなり、バットを構え直した相良に3球目が投じられた。

 

(また真ん中低め!? ……いや、低い! 手を出すな!)

 

 三度(みたび)同じようなコースに投じられたストレートに相良は追い込まれていたこともあってバットを振り出した。しかし先ほどまでのボールより低いことに気づいた彼女はスイングを途中で止めてこのボールを見送った。

 

「……ボール!」

 

(……よく見たわね)

 

(ふぅー……誘い球か。やってくれるね)

 

 低めに外させたボールを振らせたかった里ヶ浜バッテリーだったが、狙い通りにはいかず1ボール2ストライクとなる。

 

(けど、これは想定内よ。倉敷先輩、次はインハイに……ただし先ほど大和田さんに投じたのとは違って)

 

(高さは肘辺りを狙うのね。分かったわ)

 

(ここが最もバットの遠心力が働きにくく、金属バットのしなりを利用する相良さんが苦手とするポイント。これで勝負よ)

 

(……! インハイ……! 入ってる!)

 

 4球目。3球真ん中低めを続けた里ヶ浜バッテリーは一転してインハイへのストレートで勝負に打って出た。やや虚を突かれた相良はとっさにバットを振り出す。

 

(んっ……!?)

 

 このストレートに僅かな違和感を覚えながら相良が振り出したバットはボールの下を捉えていた。打ち上がった打球に反応するように鈴木はキャッチャーマスクを外しながら反転する。しかし、その足はすぐに止まった。

 

「ファール!」

 

(う……)

 

 打球はそのまま一直線にバックネットに当たっていた。球審のファールのコールに勝負に出た鈴木は顔をしかめる。

 

(……なるほどな。カットで逃れるか)

 

 乾がノートにメモをしながら相良が狙ってファールを打ったことを推察していると、グラウンドでは今のスイングで荒れた足場をならしながら相良が考えをまとめていた。

 

(インハイに来たのは驚いたけど、4球続けて真ん中低めは無いとは思ってた。ただ今のストレート……速く感じたぞ。……そうか。3球目までのストレートは抜いて投げてたんだ。今のが恐らく、全力のストレート! あっぶないなあ……カットしにいったから良かったものの、打ちにいってたらさすがにやばかったよ)

 

 苦手なコースに加え、3球目までの7割ストレートと今の全力ストレートの球速差も使って相良を打ち取ろうとした里ヶ浜バッテリー。しかし無理には打たずカットされ、その目論見を躱されてしまっていた。3球目までのストレートが倉敷にとっての全力のストレートだと思い込み、正直遅すぎると感じていた相良はそのことを戒めるように一度ヘルメットを軽くバットで叩くと、先ほどまで浮かべていた落ち着いた表情から打って変わっていたずらっ子のような笑みを見せてバットを構え直した。

 

(まだ手はあるわ。今の全力ストレートを生かしてアウトローに……)

 

(分かったわ。狙ってみる)

 

 倉敷はそんな相良の表情を不気味に思いつつ鈴木のサインに目をやると、そのサインに応じるようにミットの中で握りを調整してから5球目を投じた。

 

(チェンジアップ……! ようやく来たね!)

 

(うっ……!? 崩せてない!?)

 

 追い込まれてからチェンジアップを警戒して重心を後ろに置いていた相良は上体を突っ込ませることなく、緩急の効いたこのボールを引きつけていた。そのことに鈴木が気づいたのも束の間、アウトコース低めやや中寄りに投じられたチェンジアップに振り出されたバットがボールの芯を捉えて弾き返した。

 

(は、速いのだ……!)

 

 倉敷の左足のすぐ横でバウンドした打球に反応よく踏み出したセカンドの阿佐田だったがスピードのあるゴロに追いつくことは出来ず、打球はそのまま二遊間を抜けていき、センター前へのヒットとなった。

 

(わ……!? 凄いボールの勢い。ここまで転がってきたら普通もっと減速してるのに……)

 

 ほとんど正面に転がってきたゴロだったが、打球のあまりの勢いにセンターの永井は右膝を突いた状態で確実に捕球しており、ミットから抜け出そうと暴れんばかりの勢いで回転するボールに驚いていた。

 

(やられたわ……もう少し内を突くべきだったかしら。……いや、それは結果論ね。切り替えないと……)

 

(少し甘く入ったけど、低めの良いところにはいってた。それなのにこれか……やっぱり一筋縄じゃいかなそうね)

 

 1アウトランナー一塁となり、3番バッターが右打席へと入った。先ほどの相良も1年生にしては体格が大きい方ではあったが、身体の厚みを感じさせる2年生の体格は守る里ヶ浜により威圧感を覚えさせる。

 

(相良さんは大和田さんと違って足が速いわけじゃないわ。無警戒はまずいけれど、警戒しすぎるのも良くない。ここはバッター集中ね)

 

 そんな3番バッターの様子を見上げるように窺った鈴木は努めて冷静に今の状況を整理するとサインを送った。そのサインを受け取って頷いた倉敷は相良の方に少しの間に目をやると、前を向いてクイックモーションでストレートを投じた。コースはインコースの低め。

 

(打てる!)

 

 ベースの上を通過し、キャッチャーミットに収まろうかというボールをフルスイングで振り出されたバットが捉えた。

 

(……!)

 

 鋭い金属音にハッとするように倉敷は振り返ると、ライナーで放たれた打球はファーストの野崎が伸ばしたファーストミットの先を優に超えていくのが見えた。

 

(う……)

 

(いや、これは……)

 

 着地した野崎は背筋が凍るような感覚を覚えたが、打球を追っていた九十九は対照的に安堵したように足を止めた。

 

「ファール!」

 

(ちぃ……ちょっと溜めすぎたな)

 

 打球はライト線からファールゾーンへと逸れていきファール。打ったバッターも途中からその確信を得たようで足を止めていた。

 

(……ファールか。助かったわ。たださっきから打球のスピードが速いわね……)

 

(このバッターはアウトコースの方が打率が高く、また右方向への進塁を意識した打球が多い……。ただインコースが苦手というわけじゃない。それは分かっていたつもりだったけど……)

 

「お、サンキュー」

 

 投げ捨てられたバットを拾って戻ってきたバッターに渡した鈴木はお礼の言葉に会釈で返してから座ると、次に投げるボールを慎重に検討する。

 

(特徴的には明條の3番バッターに似ているけど、彼女と違ってインコースを苦にしないのはトップの位置から最短距離でボールを捉えているから。俗に言うコンパクトなスイングだけれど彼女はそれをフルスイングで実践している。王者界皇のクリーンナップに恥じない巧打者だわ……インコース一辺倒は危険ね)

 

(アウトコース低め、外に少し外して……)

 

(最低限相良は進めてやらないとな。その上で私も塁に出れたらベスト……)

 

 互いの考えが交錯する中、2球目が投じられた。

 

(遠いか? いや、私のリーチなら届く!)

 

(振ってきた……! ボールは要求通り外れてる。……打球は……!)

 

 外にボール1つ分外されたストレートにバッターは大きく外に踏み込むとバットを振り出した。フルスイングで振られたバットが芯より僅かに先でボールを捉えると、鈴木は右方向に放たれた打球の行方を目で追った。

 

「あっと! 一、二塁間を真っ二つだ! ファースト、セカンド共にこれは届きません!」

 

(くっ、ヒットにされた!)

 

 ゴロで放たれた打球は一、二塁間を抜けると外野の芝に乗っても勢いを落とさず転がっていく。キャッチャーマスクを上げて視界を確保した鈴木は一塁ランナーの相良が打球に触れるのを避けるため僅かに減速を挟んでおり万全の走塁には至ってないことに気づいた。

 

(九十九先輩の反応も良い! ここは……)

 

「三塁に!」

 

(三塁か。なら……)

 

 鋭く転がってくるゴロに正面から突っ込んでミットで拾い上げるようにして捕った九十九は迷わず身体を三塁方向に向けると、送球を行なった。

 

「ノーカット!」

 

「分かった!」

 

 ショートを守る翼は中継位置に入っていたが好送球と判断した鈴木からの指示でカットに入らずボールを見送った。すると送球はワンバウンドして三塁につく東雲のミットにランナーに対してタッチしやすい体勢で収まった。

 

(うーん。当たりが良すぎたね。ま、しょうがないか)

 

(無理はしてこなかったわね)

 

 しかし一塁ランナーは二塁を少し回ったところでコーチャーの指示と自分の判断を合わせて足を止めていた。東雲が送球を逸らさず受け取ったところで、諦めたように二塁へと戻っていく。

 

「ふーん……ランナー一塁の時にボール来たら迷わず三塁に投げればいいんだ」

 

「あ……それだと一塁ランナーが三塁来れる時にバッターランナーに二塁を狙われちゃうかも……」

 

「あー。そういえば清城との練習試合でそんなことがあったような……」

 

「今のは当たりが強かったし、一塁ランナーも速い人じゃなかったから……」

 

「そっか。一塁ランナーが三塁に進むのを防げればバッターランナーも二塁には行けないから、だから今の場面は迷わず投げられたのね」

 

「そうだと思うよ。……でも、珍しいね。逢坂さんが九十九先輩のプレーを参考にするなんて」

 

「アタシはノックとかは捕れてる方だと思ってたし、守備は大丈夫だと思ってたけど、そういう守備の判断がまだまだだってことは思い知らされたから……」

 

「逢坂さん……」

 

「だけど伽奈先輩に直接指導してもらうのはなんか癪に障るし……見て盗んでやることに決めたのよ」

 

「うん。それが良いと思うよ。茜もフライの間の取り方とか、九十九先輩をお手本にして、少しは上手くなれたと思うから……」

 

 ベンチから今のプレーを見ていた逢坂と宇喜多はそんなやり取りを交わしたのだった。

 

(外が得意とは思っていたけど、ボール球を打たれた……。ボール球だって安全とは限らない。覚悟はしていたけど、あれを軽々とヒットにされるのはさすがにショックね……)

 

(セカンドとショートはゲッツーシフトを敷いて二塁ベースに寄って、ファーストは牽制に備えて一塁ベースに寄って守っていた。一、二塁間が広く空いてたんだ。外を流してあの辺りに転がせばヒットになりやすいと思ってたから思い切れたし、その位置なら最悪捕られても相良は二塁に進めると思ってたよ)

 

 相良の三塁への進塁は防いだものの、ボール球を打たれてヒットで繋がれてしまい鈴木は氷を胸に当てられたように肝を冷やされていた。打ったバッターが得意げな表情を見せる中、彼女の見つめる先ではネクストサークルから出てきた4番打者がゆっくりと右打席へと向かっていた。

 

「さあ、1アウトランナー一塁二塁となりまして打席に向かうのは界皇高校のキャプテンを務める草刈レナ! 界皇、先制のチャンスです!」

 

 威風堂々とした王者の風格を漂わせ、白髪を揺らしながら一歩また一歩と歩を進めるレナ。彼女の歩みがまるで心臓の鼓動のように響き渡る。

 

「よろしくお願いします」

 

 柔らかい物腰でただ一言、球審と鈴木に向かって呟いたレナは地面をならすと悠然とバットを構えた。

 

(こいつが草刈レナ。全国でも選りすぐりの巧打者か……。初回から点はやれない! 抑えてみせる!)

 

(……今は目の前のバッターに集中しないと。広角に打ち分ける技術を持っていて特別苦手らしいコースは見当たらなかった。どのコースも全体的に打率が高く、また真ん中付近の甘い球はほとんど逃さない。強いていうならアウトローが全体に比べるとやや低め、ただし打率としては十分に高いわ。ここは……キャッチャーの腕の見せ所よ)

 

(……分かったわ)

 

(内野は定位置……ゲッツーシフトは取らず、目の前のアウトを優先したのね。外野は少し下り目……越せないことはないわね。ここは極端なシフトは取らず、バッター勝負に出ようということかしら。……!)

 

 初回からピンチを迎え緊張の面持ちになる里ヶ浜守備陣。鈴木の指示でそれぞれの位置へと動き終えると、倉敷が投球姿勢に入りボールを投じた。インコース真ん中に投じられたストレートは内に外れており、レナはこれをバットを出さずに見送った。

 

「ボール!」

 

(……想像していたよりは速いかな。きっとこれが全力のストレートね。対応出来ないスピードではないけれど……ピッチャーの指にかかった生きたストレートは易々とは打てないわ。チャンスを作ってくれたみんなのためにもここは4番としてものにしないとね)

 

(まずは内に強く見せられた。次は……)

 

(……このリードは……)

 

 2球目。二塁ランナーの相良が目を切った倉敷は集中するようにコースをイメージすると、今度は7割の力でストレートを投じた。

 

(インロー……際どい!)

 

 膝下の厳しいコースに投じられたストレートにレナは無理に手を出さず、これを見送った。

 

「……ストライク!」

 

(良いピッチャーね。このピンチの場面で長打の危険が高い内を恐れずに攻めてくる。今のは恐らくコントロール重視のストレート……この二つのストレートの球速差には気をつけておかないと)

 

 1ボール1ストライクとなり3球目。再び倉敷は7割の力でストレートを投じた。

 

(高……いや、外れてる!)

 

 一転して高めをついたボールに浮いたと判断して足を上げたレナだったが踏ん張ってバットの振り出しを止めると、インハイに投じられたストレートは枠からボール2つ分高いところを通過し、立って構えられた鈴木のミットに収まった。

 

「ボール!」

 

(釣られないか……)

 

(んー……さすがやね。あのピッチャーのストレートはなまじっか打てそうやけん。つい手を出したくなるんやけど……)

 

(焦れてバットを出したくなるところに高めか。嫌な配球をしてくるわね。けどこれでボールがまた先行したわ。歩かせて満塁にはしたくないだろうし、コントロールの良いこのピッチャーなら3ボールにするのは避けてくるはず……)

 

 ベンチから声援を送る大和田が憧れの4番の姿に感嘆の吐息を漏らす中、次にストライクを取りに来ると読んだレナは静かに意気込んでバットを構えた。そして2ボール1ストライクからの4球目。

 

(インロー。……!)

 

 膝下に投じられたボールにレナは足を上げると、まだボールが遠くの位置にあることに気づいた。

 

(チェンジアップ……!)

 

 不安定な体勢をとっさに保ちながら肩の開きを出来るだけ抑えたレナは足を踏み込んでバットを振り出した。すると放たれた打球はフェアゾーンから大きく逸れていく。

 

(よし!)

 

(……ストライクじゃない。低めに外されてた……!)

 

「うおおおっ!」

 

「ファール!」

 

 レフトの岩城がこの打球を懸命に追っていったが、落ちてきた打球はファールスタンドへと突き刺さるように入っていき、岩城はこれを急ブレーキをかけて見上げるようにして見送った。

 

「くぅ……捕れなかったか! だが舞子! 追い込んだぞ! その調子で頑張れ!」

 

(相変わらず外野からでもよく響く声ね。分かってるわ。何がなんでも抑えてやる)

 

(倉敷先輩のチェンジアップはコースはまだ不完全でも高さはコントロール出来るようになってきた。低めに外したチェンジアップ、この場面ならいかにこのバッターでも振らせられると思っていたわ)

 

(まさか釣り球を続けてくるなんてね。やられた……けど、フェアゾーンに打ち返せば外野フライだった。チャンスは残したわ)

 

 3ボールになるかもしれないリスクを背負ってボール球を投じた里ヶ浜バッテリーに振らされてしまったレナは内心やられたと思いつつも、残ったチャンスへと集中力を注ぎながらバットを構え直した。

 

(厳しい要求ですが……これでお願いします。この要求の通りに投げるのは難しいと思いますが、これくらい厳しく攻めましょう)

 

(……やっぱりそっちか。分かってたわ。紅白戦で有原に似たようなリードをしたことがあったから、そのビジョンは……アタシにも見えていた)

 

 2ボール2ストライクから5球目。鈴木から出されたサインを待っていたように頷いた倉敷は投球姿勢に入ると、足を踏み込んだ。

 

(二回戦休ませてくれたおかげか、今日は肩が軽い。今日なら狙える気がする……四隅を全力投球で……!)

 

 ボールを投じる瞬間、倉崎は指先に妙に鋭く研ぎ澄まされた感覚を覚えると、その指先にギリギリまで吸い付くように縫い目を触れさせたボールが今投じられた。

 

(……!? ここでアウトコース……!)

 

 執拗に内を続けられたレナはアウトコース低め、四隅からはやや中に入りはしているがかなり厳しく投じられた全力ストレートに対してある予感と共に背筋に冷たいものが走ると、焦りを覚えながら踏み込んでバットを振り出した。

 

(差し込まれる……!?)

 

(どうだ……!?)

 

 ——キィィィン。バットの芯より先で捉えられたボールは一塁線へと放たれた。

 

(止めてみせます!)

 

(ファーストライナーか!?)

 

 低いライナーとなって放たれた打球に野崎は横っ飛びで飛びついた。それに反応した一塁ランナーはダブルプレーを危惧して一塁ベースに向かってスライディングで戻っていく。

 

(ああっ……!)

 

「フェア!」

 

「ファーストが伸ばしたミットの僅かに先を抜けたーっ!」

 

(な……!?)

 

(あれを打ち返した……!?)

 

 打球は野崎の伸ばしたファーストミットの先を無情にも抜けていくと、一塁審判のフェアの判定に一塁ランナーは立ち上がって再び先の塁へと向かっていく。

 

(……ダメだ……。ホームは間に合わない!)

 

「サード!」

 

(サードか! 先ほどより余裕はない。スムーズに……!)

 

 二塁ランナーの相良は一塁ランナーと違い距離があった分リードを広げて、捕られたら帰塁するという形を取っていた。それに加えて下り目に位置していた外野とライト線を沿うように転がる打球を考慮して鈴木はホームは間に合わないと判断し再び三塁への送球を指示する。身体をライト線に向けながら自身から逃れるように転がるゴロに辛うじて追いついた九十九は反転して三塁へと送球を行った。

 

(ととっ……)

 

 一旦一塁ベースに戻りながらそれでも二塁へと到達して三塁を目指した一塁ランナーだったが、ホームへではなく三塁にボールが来たことにやや慌てた様子で二塁にスライディングして戻っていった。

 

「二塁ランナー、今ホームイン! 界皇先制! 4番の草刈レナにタイムリーヒットが生まれました!」

 

「キャプテン、ナイバッチ!」

 

「……ええ」

 

 先の塁が詰まり二塁を狙えなかったレナは一塁ベースへと戻ると、コーチャーに声をかけられる。彼女はそれに応えながらも、視線は倉敷の方へと向いていた。

 

「順当に界皇の先制かー」

 

「……順当だと?」

 

「え? ど、どうしたのケイ? 今、見事に草刈が持ち前の広角打法で打ってみせたじゃないか」

 

「ああ。見事にな。だが余裕は無かった」

 

「どうしてそんなことが?」

 

「ファーストが牽制に備えて一塁寄りに守っていたんだ。一塁線のヒットゾーンはかなり狭くなっていた。追い込まれた状態であそこを狙って打つのはいくら彼女でも至難の業だ」

 

「そりゃ……そうか。もう少しで捕られそうだったもんな。じゃあなんであんなところに……」

 

「リードも踏まえれば……草刈レナは差し込まれたのだろう」

 

「それはちょっと難しいんじゃ……あのピッチャーの球速じゃ、界皇のバッターを差し込むなんて」

 

「だから言っている。今、彼女は本来余裕を持って捌ける球速のストレートに対し、打球に角度をつけるのを諦めてただ強く叩くことしか出来なかったんだ。それでもヒットにしてみせた所は見事という他ないが、里ヶ浜バッテリーには彼女を十分打ち取るだけのビジョンがあった……」

 

「むむ……新設校だとばかり思ってたけど、さすがに三回戦まで勝ち残ってきただけのことはあるみたいだな」

 

「ああ。だが今の勝負は界皇に転んだ。これがどう影響するかだな。勝負にいった結果、打たれることもある。重要なのはむしろその後の流れを断ち切れるかどうかだ」

 

 界皇の先取点で盛り上がるスタンドの中、乾は静かにその後の流れを見定めるようにグラウンドを見下ろしていた。するとホームのカバーに入っていた倉敷がショックを受けている様子の鈴木の背を叩いたのが目に入った。

 

「先輩……」

 

「なんて顔してるの……」

 

(……正直アタシもショックだ。はっきり言って、あれを打たれるとは思わなかった)

 

「す、すいません。私がこんな……」

 

「……いや、いい。アンタもショックだったのは痛いくらい分かってる。だからこそ……」

 

「……?」

 

「一人だけでショックを受けるより、二人で受けた方が半分で済むでしょ」

 

「……! ……ふふっ、そうですね」

 

「さあ、いくわよ」

 

「はい!」

 

 秋大会三回戦、界皇高校対里ヶ浜高校。その幕開けは界皇の4番打者、草刈レナの先制タイムリーという形で始まった。全力を注いだ投球を打たれショックを受けていた二人だったが、先輩の倉敷が声をかけると、鈴木は負担が和らいだように微笑みを見せていた。そして尚も迫るピンチに二人は顔を上げてそれぞれの場所に戻るのだった——。

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