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界皇に初回から先取点を許し、尚も1アウトランナー一塁二塁のピンチ。試合の勢いを物語るようにスタンドからは界皇の応援団の声援や統率のとれた演奏が響き渡っていた。
「うげ……なんかいきなりやばくない?」
「球場が揺れてるような気がするわ……」
「なんと言いますか……圧倒されてしまいますね」
「ガンガンドンドン! って感じだねー」
「うぅ……」
「うちは応援団ないんだっけ……。アタシという応援しがいのある美少女がいるのに」
「いや、一応岩城パイセンが応援団を名乗って活動してはいるにゃ。一人しかいないから部ではないみたいだけどにゃ」
(岩城先輩か……。三日前の明條戦の時は先輩が対左オーダーでベンチだったからずっと大声でグラウンドに声援を送り続けてくれて、私たちもそれに引っ張られたっけ……。……よし)
試合開始当初は段々と試合の雰囲気に慣れてきた新入部員たちも率先してベンチから声援を送っていたが、今は界皇の怒涛の勢いに押されてベンチは静かになってしまっていた。彼女達と同じように河北も気迫に押されていたが、二回戦の時にスタメンに選ばれて緊張していた所に岩城の背中を押してくれる心強い声援を受けてその緊張が和らいだことを思い出すと、一度息を大きく吸った。
「すぅ……フレーッフレーッ! 里高ファイトー!」
「か、河北?」
突然岩城にも劣らぬほどの大声を張り上げた河北。普段どちらかと言えば大人しい方である彼女の行動に隣に立つ新田だけでなく、ベンチにいる皆が呆気に取られていた。
「ほら新田さんも。こんな時だからこそ、ベンチが声出していこう!」
「お……おぉ! が、がんばれー! 負けんなー!」
(……そうですね。試合の中心はスタメンの方でも、ベンチにはベンチの役割がある……)
河北の行動に釣られるように界皇の大応援団に負けじと里ヶ浜ベンチからも再び声が出始めた。そんな変化を目の当たりにした初瀬はかつて中野に言われた言葉を思い出すと、一歩前に出て腹の底から声を出していた。
「ま、まだ初回です! 十分に返せるチャンスはあります。ここは落ち着いて最小失点で切り抜けましょう……!」
(たとえグラウンドに共に立てなくても、一緒に戦うことは出来る。お、大声を出すのは恥ずかしいですが……少しでも力になれるのなら)
自分の声援がたとえ一滴の水だとしてもそれがいずれ大きな流れに繋がると信じ、初瀬は精一杯の声量で応援を続けるのだった。
その頃グラウンドではホーム付近にいた倉敷がマウンドへと戻り、それを見た界皇の5番打者がゆっくりとバッターボックスへと向かっていく所だった。
(……そう、初瀬さんの言う通り落ち着くのよ。周りを良く見て……)
倉敷に声をかけられ幾分かショックが和らいだ鈴木はベンチからの声援もよく聞こえていた。彼女が周りを見渡すとベンチだけでなくグラウンドでも翼を中心に声が出され、声を掛け合うことで今の状況に向き合っている様子が目に入った。
「……ワンナウト! 一つずつアウトを取っていきましょう!」
そして自身も声を出すことで現状に対する意識を共有しながら、鈴木は守備隊形の指示を出していった。
(外野は……下がった。うん。それで良いと思うわ。一塁ランナーの草刈さんは足もあるし、この5番バッターには長打力があるもの。単打での失点を恐れて外野を前に出してその上を越されたら、草刈さんまでも還ってきてしまう)
岩城・永井・九十九が後退していく様子を声援を送る皆の後ろからスコアブックをつけながら見ていた近藤はその判断に頷いていた。
(左中間を狭めた様子は無いな。……初球だ。レナの一打のショックが抜けないうちに、一撃で仕留める!)
相手の守備位置を確認した5番打者が右打席に入り、バッターボックスの一番前で構えるとプレーが再開された。その初球、膝下に投じられたストレートに対してバッターは積極的に打って出た。すくいあげるように放たれた打球はライナー気味のフライとなって左中間へと向かっていく。
(長打性の当たりだけど、外野は下がってた。ここは安全に……)
「ハーフ!」
内野を悠々と越えていった打球を見上げたコーチャーから指示が出され、一塁・二塁ランナーが共にハーフウェイまでリードを広げる。
「……よしっ! ウチに任せろ!」
「アウト!」
(なっ……追いつかれた!?)
反転して深々と放たれた打球を追っていた岩城だったがこの打球が落ちてきたところで共に追っていた永井に声をかけながら振り向くと落ちてくるボールに合わせて立ち位置を微調整し、キャッチに成功していた。
「ふむ。先制点を許して浮き足立つところに初球打ちか。狙いは悪くなかったが……里ヶ浜バッテリーは落ち着いていたな。迂闊にストライクを取らずに低めのボール球から入り、それをすくいあげさせた。あれでは柵を越えない限り長打シフトの網にかけられるだろうな」
捕球に合わせてハーフウェイまでリードを取っていたランナーが元々いた塁に戻っていくと、岩城は中継に入った翼へとボールを送り2アウトランナー一塁・二塁となった。投球から一連のプレーをスタンドから見ていた乾は双方の思惑を考察する。
「絶妙に手を出したくなるところに来てたからね〜。けど界皇も甘いなあ。予め外野は下がってたんだ。あの球速のストレートなら上手く合わせて、外野と定位置の内野の間に落とす手もあっただろうに」
「選択肢としてはあっただろうな。だが中途半端なバッティングをして勢いづかせるよりは、持ち味の長打力で勝負に出たんだろう。現に彼女は今大会だけでも一回戦のさきがけ女子・二回戦の清城共に後退守備を取った外野を得意の左中間打ちで抜いている」
「へぇ、なるほどね。確かに下がってた割には余裕なかったかも。でもそういうデータがあったなら、レフトとセンターを寄せても良かったかもね」
「……いや、それはどうかな。私はそれには反対だ」
「なんで?」
「例えばレフト線に今のような打球が上がったとしよう。打球距離が長ければ逸れも大きい……シフトによって開いた差を埋められずフライアウトに取れないリスクは少なくない」
「うーん……まあ、そうとも言えるね」
「定位置というのも数あるシフトの一つだ。それがよく敷かれるのはあらゆる打球に対する順応性があるシフトだからと言っていいだろう。それを動かすにはリスクも伴う。確かに彼女は左中間打ちが得意だが、果たして今の場合負うべきリスクかどうか……?」
「……そっか。外野を下げて、低めのボールをすくいあげさせてフライを打たせたからな。たとえ左中間に飛んでも、レフト線でも、それ以外でも。十分取れる見込みはあるってことだな」
「そういうことだ」
(そういう意味では今の守備位置を指示していたキャッチャー……鈴木と名乗っていたか。彼女は長打警戒で下げはしたが、左右の位置関係は崩さなかった。大和田に長打を打たれかけた影響もあるか……? 慎重な選択をするようになったな)
「ナイスボールです! 次のバッターで切りましょう!」
「ありがと。後ろは任せるわ」
「はい!」
翼から投げ渡されたボールを受け取った倉敷は一呼吸挟んでから前へと向き直った。
「惜しかったね」
「ちぃ……もう一伸び足りなかったよ。後は頼んだ」
「ああ。任せときな」
(先制はしたけど、ダメ押しが欲しいとこだ。ここはしつこくいこう)
打ち取られたバッターと言葉を交わした6番バッターが左打席に入っていくと、今の状況を鑑みてどうすべきか頭の中で決めてからバットを構えた。
(このバッターは低めをすくうのが得意だわ。反面高めは球威に押されて打ち上げがち……ただ先輩は球威がある方じゃない。そう簡単に打ち上げてくれるかどうか。……倉敷先輩)
(厳しい要求ね。入れにいくなってことか。フォアボール出せばランナーが三塁に進んじゃうけど、入れにいって打たれてもダメ。まったく……ピッチャーってポジションは頼られ甲斐があるわよね)
そんなバッターの様子を見上げながらデータを思い出した鈴木は現状と照らし合わせながら考えると、サインを送った。鈴木の要求に倉敷は改めて界皇のバッターの厄介さを感じながらも、鈴木がそんな厳しい要求を遠慮なくしてくれることにどこか嬉しさも覚えていた。
そして一度二塁ランナーへと振り返った倉敷は定位置へと戻った外野も視界に収めると、視線を前に戻して投球姿勢に入りボールを投じた。
(内のストレート……ギリギリだ。無理するな!)
インコース真ん中に構える鈴木のミットを目掛けて倉敷はストレートを投じた。要求に応えるようにそのコースに投じられたストレートにバッターは浅いカウントから無理するべきではないと判断し、これを見送る。
「……ボール!」
(少し内に投げすぎたか……)
「その調子です!」
際どく投じたストレートに対し、球審の判定はボール。上がったコールに眉をひそめる倉敷に鈴木はボールを投げ返しながら声を掛けた。
(要求したのは全力のストレート。外れることは想定内……これを次にどう生かすか)
(……確かにイメージ通りには投げれてる。ここは鈴木の要求に応えることだけ考えるわ)
(さほど速くはない……が、良いコースだ。こういうピッチャーは空振りがあまり取れない代わりに打たせて取りにくるのが定石。簡単に打たされないようにしないとな)
1ボール0ストライクから2球目。振り抜かれた腕から投じられたストレートはアウトハイへと向かっていく。
(外……少し遠いか?)
このストレートもバッターは見送ると、構えられた鈴木のミットはほとんど動かずに心地良い捕球音をならした。
「……ストライク!」
「ナイスボールです!」
(よし。今度は全力投球が良いところに決まったわ)
(……入ってたか。ゾーンを広く使ってきたな。……次は?)
1ボール1ストライクとなり3球目。
(また高めにストレート!? 舐め……んなっ!)
投じられたのはインハイへのストレート。このボールに対してバッターは初めてスイングの始動に入っていた。右投手から左打者への内角へと角度のついたストレートに対し、身体を開いてバットが振り出される。
(……! 少し遅……!)
——キイィィン。快音と共に放たれた打球はライトへの大飛球となって打ち出された。しかし、バッターは走り出さずにその場に留まって打球の行方を見上げていた。
「ファール!」
(しまった……打たされたか。今のが遅いストレート。球速差が僅かで気付くのが遅れたな……)
(よし。上手く追い込んだわ。けどここは焦らずに……)
(分かってる。仕留め損なったら水の泡よ。慎重に……)
1ボール2ストライクから4球目が投じられた。
(膝下のストレート。……外れてる!)
インコース低めに投じられたストレートに追い込まれていたバッターはスイングの始動に入ったが、外れていることを感じ取ると足を踏み込むと同時にバットを止めてこれを見送った。
「……ボール!」
(今のよく見たわね……)
(際どいところには投げ切れたけど、高さもコースも少しずつずれたか……7割でもさすがに四隅を完璧に決めきるのは難しいわね)
(今度も遅いストレートか。このピッチャーの速い方のストレートは、さほどきついスピードじゃない。そっちに標準合わせていれば、後は少し溜められればこっちも合わせられそうだ。だからまずは油断して振り遅れないように……)
見送られたストレートがボールとなり、2ボール2ストライク。バットを構え直したバッターをマスク越しに窺った鈴木は倉敷にサインを送った。
(……! ここで勝負か。分かったわ)
(ここまでボールを散らしてきた。ゾーンを広く使って最後は……)
そのサインに倉敷が頷くと短く吐息を吐き出した後にセットポジションに入る。
(フルカウントになったら走ってくる。集中して……)
彼女の身体にはうるさいくらい心臓の鼓動が響いていた。吐息を吐き出してもそれが収まることは無かったが、その目は揺るがず鈴木のミットを捉えていた。そして足が踏み出され、5球目が投じられる。振り切られた腕から放たれたボールにバッターはスイングの始動に入った。
(……!? ボールが来てない! 溜めろ……!)
バッテリーの選択はアウトローのストライクゾーンへのチェンジアップ。振り切られた腕や警戒していた速いストレートとのギャップにバッターは慌ててボールが来るまで耐えようとする。
(くっ、粘れ……!)
(体勢が崩れた!)
それでも遅いストレートよりさらにスピードが抑えられたチェンジアップに完全には溜めきれず、バッターは崩れた体勢からボールに食らいつくようにバットを振り出した。するとアッパー気味に振られたスイングはボールの芯より上を捉えた。
「打った! しかしこれはボテボテのゴロだ!」
(い、いや……これは……!)
放たれた打球は三遊間へと転がっていき、バッターランナーを含めた全ランナーがスタートを切った。
スピードがさほど乗っていないように見えるゴロだったが、ショートの経験がある大咲はこれを見て焦燥感を覚える。
(うっ。まずい……!)
同様にショートを守る翼も危機感を覚えていた。打球自体は崩されたスイングから芯を外されさほど勢いよく放たれなかったが、上を強く擦ったような当たりがトップスピンとなって地面を何度も蹴るように打球を加速させていき、また転がったコースも里ヶ浜にとっては悪かった。
(抜かせない。後ろを信頼して投げてくれた倉敷先輩のためにも……止める!)
翼はこの打球に対して浅い位置での捕球は難しいと判断し、三遊間へと走りだした瞬間に向いた身体の方向は外野に寄っていた。そして眼前に迫った打球に対し、翼は内野と外野の境目のラインを目掛けて飛び込んだ。
「バックだ!」
(むっ……!)
(あの体勢じゃ一塁も二塁も間に合わない……なら、有原さん!)
(東雲さん!)
力の入りにくいミットの先で地面に押さえ込むようにして辛うじて打球を止めた翼は飛び込んだ勢いで流れる身体を膝を地面につけて抑えながら、ボールを拾い上げて上体の力だけで既に三塁ベースへとついた東雲に向かって送球を行った。オーバーランしたランナーは送球より僅か前に聞こえたコーチャーの声に反応するようにとっさに頭から滑り込み、ベースに手を伸ばした。
「……セーフ!」
(くっ、さすが界皇ね。ホームへ還るためにスピードを出していたのに、抜けたと決めつけずにしっかりと戻れるようにしていた。……気落ちしている場合じゃないわね。そんな相手だからこそ、ここでの大量失点は絶対に避けないといけない)
「有原さんよく止めたわ。抜けていたら失点は免れなかった」
「うん。なんとか止められたよ」
「助かったわ有原」
「転がったところは悪かったけど、しっかり打ち取った当たりだったので、ギリギリ追いつけました! その調子でいきましょう!」
「分かった」
(……内野安打にはされたけど、悪くなかった。あの速い打球じゃなく、今のは上手く打ち取れていた。このピッチングを最後まで貫く……!)
マウンドに上がる前から決めていた不退転の覚悟を揺るがずに貫き、広がったピンチに狼狽することなく、倉敷は右打席へと入ってきた7番バッターを見つめた。
(ボーイズにいたからあまり知らないけど、あのサードとショートはシニアでは名の知れてる奴らしいね。今のプレーも普通なら止めれれば上出来だ。サードだって打球の方を追いたくなっただろうに、あのショートが止めると判断してベースについたんだ。三遊間は抜きにくいかもしれないな)
そのバッターへの初球はチェンジアップ。これは外に外れ、バッターも悠々と見送った。
(む……確かに外れてるけど、随分余裕があるのだ。そんなに大きく外れたわけでもないのに、身体の軸がピーンとしてたのだ)
2球目、6分割のアウトローを目掛けて全力のストレートが投じられる。
(外でストライクを取りに来た。これを……確実に転がせ!)
(くっ。コンパクトに合わせられた!)
「打ったー! 打球は一、二塁間へと転がっていきます!」
(うっ。まずいです……!)
先ほどのゴロとは違いスピードの乗ったゴロに野崎は慌てて打球に反応して、一歩踏み出した。
「任せるのだ!」
「……! はいっ!」
(なっ、セカンドがもうそこに!)
バッターが打球を打つ直前に一、二塁間へと走り出していた阿佐田は野崎を制しながら打球を追うと、やや深い位置だがこの打球を正面でキャッチしていた。そして一塁ベースに戻った野崎に対して送球が行われ、バッターランナーも懸命にベースを駆け抜けた。
「アウト!」
(くっ……やられた)
打球の勢いが速かったこともあり、バッターランナーは余裕を持ってアウトになった。
(ふふん。なんか右方向を狙ってる感じがしたのだ。あおいを舐めちゃいけないのだ)
そんな相手バッターの背を見ながら阿佐田はしてやったりという表情でベンチへと帰っていく。
「ふぅ……助けられたわ阿佐田」
「今のもどう考えても打ち取ったゴロだったのだ。まいちんこそナイスコントロールだったのだ! あそこに投げ切ってくれたおかげであおいも守りやすかったのだ〜」
「そう……それなら良かったわ。これからも頼りにしてるわよ」
「おお……仮入部した時は阿佐田さんなんて言ってたまいちんから全幅の信頼を得ちゃったのだ」
「そこまでは言ってないわよ」
阿佐田の好守もあり、スリーアウトチェンジ。辛うじて一点止まりで初回の界皇の攻撃は終了した。
「じゃ、千秋。行ってくるよ。……まだ拗ねてんの?」
「別に……拗ねてなんてないですけど」
「拗ねてるじゃん……」
(まだ清城との試合で、高坂椿の投球内容を越えられなかったって思ってるのか。パーフェクト手前までやっといて、相変わらずプライドの高いやつだぜ)
「……はぁ。もっとあたいみたいに柔軟に考えなよ。一回戦で負けた投手より、優勝したチームのエースの方がどう考えても全国No.1ピッチャーでしょう」
「……それとこれとは別なんですけど」
(……確かに藤原先輩と対等に投げあった高坂椿は凄いさ。けど、だからって……なんであいつばかりを見る。あんたの競争相手は……目の前にいるだろ。……あたいのピッチングを突きつけて目を覚まさせてやる)
長かった一回の表が終わり、一回の裏。界皇ベンチからは2番手のピッチャーが鎌部に背を向けると眉をつりあげながらマウンドへと向かっていた——。