(流した打球だというのになんて鋭いんだ……! これは高波の中条さん並の弾丸ライナー! 予め大きく下がっていないと、とてもじゃないが追いつけない!)
定位置より少し下り目で構えていた九十九だったが、後ろを向いて走る自身の頭上を今にも越えようかという打球に背筋に冷たいものが走る感覚を覚えながらフェンスから距離がある位置で足を止めた。すると打球はライトフェンスにダイレクトで当たったかと思うと、次の瞬間には鋭く跳ね返ってきた。
(跳ね返りも強い! だが……!)
深追いせずにブレーキをかけた九十九は跳ね返りを予測した位置取りをしており、フェンスに跳ね返った後地面にバウンドして高く跳ね上がった打球に合わせて足を動かし、スムーズな捕球に成功していた。
「二塁です!」
「分かりました!」
長打性の当たりながら捕球までの時間がそう長くはなかったため、一塁を蹴ったレナはまだ二塁から遠い位置にいた。永井の指示を受けて九十九が振り向きざまに右腕を振り抜くと、間にいる阿佐田は送球をカットせずに流し、二塁ベースカバーに入った翼が腰の高さで受け取った。そしてスライディングで滑り込んできたレナに向かってミットが落とされ、タッチが行われる。
「……セーフ!」
(思ったより危なかったわね。ただ、それでも間に合う確信はあったわ)
(九十九先輩の守備も良かったけど、外野を越えたのにこんなにギリギリになるなんて。それだけ打球が速かったんだ……!)
タッチより僅かに早くレナの伸ばした足がベースに触れ、判定はセーフ。ツーベースヒットを放ったレナは一息つくと、自身の目論み通り二塁を奪えたことに安堵と自信が混じったような微笑を浮かべた。
「タイム!」
(あら、キャッチャーがタイムをかけたわね。確かにこのピッチャーにしては甘いコースが続いたわ。ここまでミスらしいミスが見えなかった里ヶ浜の僅かなもつれ……逃さず、仕留めましょう)
「さっきの打席もそうだったけどまた長打性の当たり……今大会、草刈は当たってるね」
「ああ……新たにキャプテンを任され、一層風格が出て来たな」
「ノーアウト二塁で次は5番か。長打のあるバッターだし、ここで連続で長打なんか打たれたら一気に大量得点の流れになるかも」
「それも考えられるが……先程は長打を狙って打ち取られている。同じように打たされるとランナーの進塁も危うい」
「あー、そうだったね」
「それにまだ同点だからな……。ここで一気に打ち崩しにかかるか、確実性の高い作戦でまず勝ち越し点を狙うか。チーム内で意識の統一を図る必要はあるだろう」
「確かに。打順も下位に向かっていくし、どっちかにしろって言われたら難しい判断かもね」
「どちらにも利はあるからな。だが……」
(界皇には北山監督がいる。高い指導力と、冷静な試合眼を兼ね備えた名将だ。対する里ヶ浜は市立の新設校……。この点において両者の差は歴然としている。そろそろ試合も中盤に入る……その差が目に見えて現れる頃かもしれないな)
監督の助力無しに選手同士で話し合い取るべき策を決めてきた里ヶ浜に対し、それだけでなく監督からのバックアップを受けている界皇。グラウンド上では目立たないものの、ここまでの試合展開を見て乾は二つのチームの無視できない違いを感じ取っていた。
(くそっ! この試合、エースとしてマウンドを任された以上はどれだけ速い打球を打たれようと、アタシのピッチングを貫くと……そう決めていたのに……!)
(……倉敷先輩)
タイムを取ってマウンドへと駆け寄っていく鈴木。視線の先にいる倉敷の表情からは今の失投のショックが痛いほど伝わっていた。
(私の厳しい要求に倉敷先輩がどれだけの集中を要しているのか。そこへの考えが足りなかったのかもしれないわ。最初にカーブを試合で使いたいと言ったのは倉敷先輩……それだけあのカーブに手応えを感じていたのよ。それがいきなりついていかれたのだから少なからず……いや、確かな動揺があったんだわ。そんな状態で四隅への全力投球。……完全な集中は難しかったのだと今なら分かる。出来ることなら先に気づくべきだったわ。けど……)
「先輩」
「……ごめん、鈴木。アンタの要求に応えられなかった」
「確かに今のは失投です。しかし、失投をしないピッチャーはいないんです。それは当然のことだと分かっていたはずなのに、知らず知らずのうちに先輩が失投をしないと、半ば押し付けてしまった……」
「けど……アタシはサインに頷いた。それを受け入れた以上今のは……」
「はい。今のは二人のミスです」
「……!」
倉敷は目を見開いた。それは鈴木の言葉によるものだけではなく、打たれたことの悔しさを滲ませながらも、目は真っ直ぐと倉敷の目を捉えていたからだった。
「……ですが、そのミスを踏まえて私たちはまだ界皇と向き合わなくてはいけません。もう一度、ここから立て直しましょう。決して楽ではない茨の道かもしれませんが、挫けそうな時は私を頼ってください。少しでも通れる道を広げてみせます」
(……そうだ。アタシは何を、焦っていたの。界皇打線に不安を感じていたのは確か……だからその不安を一球だけ投げるカーブの成功に押しつけていたのかもしれない。アタシにとって、空振りを狙えるボールはそれほど大きい存在だった。けど、一昨日野崎たちからアタシは何を感じた? 一人だけで何もかも全部やろうとしなくていいと……。あの頃とは違う。もうアタシの居場所をアタシの力だけで守る必要なんて……ない)
ピッチャーというだけでなく、エースを任されたことは倉敷にとって大きな意味を持っていた。しかしその居場所を守るために、本人も気付かぬうちに視野が狭くなってしまっていた。だが強く踏み込んで自分のもとに飛び込んできた鈴木の想いを受け止めた倉敷は、大事なことを見落としていたのに気が付いた。
「……まったく、悪いクセね。あの時といい、九十九の時といい……。けど、おかげで目が覚めたわ」
一度そっぽを向いて自嘲するように笑った倉敷、しかしすぐに鈴木の方に向き直った彼女の表情は憑き物が落ちたようだった。
「こんなことが二度と無いようにはっきり宣言しておくわ。もうアタシは、自分だけの世界に逃げたりしない。辛い時も嬉しい時もアンタ達と全部を受け入れてやる」
「先輩……」
遠慮なく心の内を曝け出した倉敷に鈴木は驚きながらも、同時にどこか嬉しさも覚えていた。
「やるわよ、鈴木」
「はい!」
視線が交わり互いにその目に宿った信頼を受け取ると、鈴木がホームへと戻っていき、タイムが解かれた。右打席へと入って地面をならすバッターを倉敷はロジンバッグを片手に警戒する。
(……? なに……足?)
すると鈴木がバッターの足元を指差しているのに気がついた。その指に誘導されるように倉敷は視線を下げていく。
(……ん。足というより、立ち位置……? ……そうだ。このバッターはかなり前のポイントで打球を捌いて、左中間を抜くのが得意だったわ。けどさっきの打席と違って、今アイツが立ってるのはバッターボックスの一番後ろ! 鈴木が伝えたいのはこのことね……)
すると整えている足場の位置がバッターボックスギリギリまで下がった場所であることに倉敷は気づいた。そしてバッターの準備が整いバットが構えられると、鈴木からサインが送られてくる。
(本来のバッティングスタイルを崩した立ち位置、そこにどんな意図があるのか。今はまだ掴めないわ……。だから初球はボール球でどう動いてくるのか探りましょう)
(膝下にストレートを低く外すのね。さっきはそれでレフトフライに打ち取れた。けど今は立ち位置が違う……同じように打ち取られてくれるとは限らない。様子を見るためにも、アタシは中途半端にストライクに寄せないようにしないといけない……!)
出されたサインに倉敷は少し考えてから頷くと指先に十分に滑り止めの粉がついたことを確認してロジンバッグを軽く横へと放り、一度二塁ランナーの方に目をやってから投球姿勢に入ってボールを投じた。
(む……)
「ボール!」
「その調子です!」
インコース低めに投じられたストレートは要求通り低めに外れていた。バッターはこれにバットをピクッと動かしたが、振り出さずに見送ったことでボールの判定が上がる。
(内の低めは嫌いじゃない、が……監督からのサインは右方向にゴロ打ち)
倉敷へとボールが投げ返されると、バッターは先ほどの打席と同じように後ろへと下げられた外野を確認しながらバットを構え直した。
(まず第一に進塁打を狙えってことだ。これは絶対……けど、分かってますよ。それだけじゃない。ゴロで内野を抜ければ、あの外野の位置ならレナはホームに還ってこれる)
(今度はアウトローのストライクゾーンにストレート。ストライクが欲しいけど、どう来るか分からないし、入れにいくのもダメ。そのためのコントロール重視の7割ストレート……厳しく攻めてみせる!)
ボールを受け取った倉敷が頷くと2球目が投じられた。すると鈴木のミットを目掛けて投じられたストレートはほとんど彼女の構えたところへと向かっていった。
(だからここはいつものバッティングは封印だ。後ろに下がってボールを見極めて、外にきたボールを確実に流して転がす! ……よし、これは……ストレート!)
(振ってきた……!)
反射的に前で捌きたくなる衝動を抑えて始動を溜めたバッターはアウトローに投じられたストレートにバットを振り出した。
(転がった!)
監督からバッターに出されたサインが頭に入っていた二塁ランナーのレナは打球が放たれた瞬間、スタートを切った。
「はっ!」
(くっ……捕られたか!)
一、二塁間へと放たれたゴロは十分にスピードはあったが、打球に反応して動き出した野崎が届く範囲内だった。捕球した野崎はすぐに三塁の方へと投げられる体勢を取る。
「一塁に!」
「……! 分かりました!」
しかし好スタートを切っていたレナを刺すのは難しいと判断した鈴木の指示を受けて野崎は送球を中断すると、ベースカバーへと走る倉敷を制して一塁ベースを踏み、バッターランナーをアウトにした。
(ちっ、進塁打にはなったけど抜けなかったか。失投したばかりだってのに良いコースに投げ込んできたな。おかげで野手の届くところに飛んじまった。……まあ、仕方ないか。レナに投げた変化球を混ぜられると厄介だったからな……その前に仕掛けたのは悪くなかったはずだ)
(ランナーを進められてしまった……。けど、あのバッターを内だけで抑えるのは難しかったわ。それにあれ以上ボールカウントを悪くすれば、その分ヒットを打ちやすくするだけだった。……ここは切り替えるしかないわね)
「内野、前に!」
1アウトランナー三塁となり、続く6番打者が左打席へと向かっていく。すると鈴木の指示で内野が前進守備を取った。
(サインは……了解です)
里ヶ浜の守備隊形を見た界皇ベンチからサインが出され、バッターもそれを確認するとバットが構えられた。
(スクイズの可能性はある……けどここは下手にボールカウントを悪くするより、守備で防ぐことを考えるわ。このバッターには先ほどヒットは打たれているけどあくまで内野安打で、アウトローのチェンジアップで崩して打ち取った当たりだった。……今度はチェンジアップから入りましょう)
(……なるほど。今度はチェンジアップを見せ球にストレートで勝負するってわけね)
(……北山監督の意図はハッキリしてる。ここは私がアウトになってもいい……)
ジリジリとリードを広げるレナを倉敷が目で制し数秒の間が流れると、倉敷が投球姿勢へと移りボールを投じた。
(その分、私の役目を果たすことに集中出来る……!)
(初球から……! けど、これは低く外したボール球。上手く振らせた……!)
アウトコース低めへと投じられたチェンジアップは低く外されていたが、このボールにバッターはバットを振り出していた。
(塁に出ることを度外視していいなら……外野フライくらいなら打ってみせる!)
(なっ……!)
金属音が響き渡り、自身のはるか上を勢いよく通過していった打球に倉敷は身に目には見えない強張りの波が走ったのを感じた。
(低めに外したボールを……すくいあげられた!?)
(飛距離はどうだ……?)
(……十分!)
「ゴー!」
定位置から下がった位置で永井が高く打ち上がったフライを収めると、三塁ベースに一度戻ったレナがスタートを切った。
「えいっ……!」
ボールを取り出した永井は迷わず力一杯ホームに向かって送球した。
(……くっ)
「ホームイン!」
しかし鈴木がその送球を受け取った時には既に駿足を飛ばしたレナがホームを踏んでおり、刺すには至らなかった。
(確かにあのバッターは低めをすくいあげるのが得意。だから慎重に低めに外したのに、それをああも容易く十分な距離の犠牲フライにされるなんて……)
ホームインが認められ、界皇に勝ち越し点となる3点目が入った。レナのツーベースから僅か3球で入った得点に、里ヶ浜部員らは思わず落胆していた。
(あっさり……点が入っちゃったな)
多少受け取り方は違えど、皆そのような思いを抱いていた。
「……やられたわね」
「はい……」
「けど……これも全部受け入れるしかない」
「……! ……はい!」
ホームのカバーに入っていた倉敷が鈴木に声をかけると、その言葉に鈴木も表情を引き締めて返事をしていた。その様子を見ていた守備陣もバッテリーの気迫に呼応するかのように、「ツーアウト!」「ここで切りましょう!」と声を出していった。
(点をこうも簡単に取られたのは正直、悔しい。情けなさで心が焼かれるようだわ。……けど、自惚れるな。いつこの回の攻撃が一点で終わった? 2アウトランナー無しだろうと界皇はそこから貪欲に得点を狙ってくるに決まってる。アタシはまだ折れるわけにはいかない……!)
(全部受け入れて……そうですね。……3球で、というのはいくら界皇でも早打ちな気がするわ。何か原因が……。……! もし、原因があるとすれば……カーブを嫌って早めに勝負に出たのかもしれないわ)
そして7番バッターが右打席へと入ってくる。その表情は勝ち越し点を上げた界皇の勢いを示すかのように強気だった。
(このバッターはゴロ打ちが得意。一打席目もゴロで一、二塁間を抜きに来たわ。……もし、このバッターも早めに仕掛けてくるのなら)
そのバッターへの初球はインコース高めの7割ストレート。するとこのボールにバッターはバットを振り出した。
「ファール!」
(くっ!)
打球はストレートに押されるように後方へと打ち上がり、そのままファールとなった。
(今のは高さもコースもボール1個分外したボール……さすがにこれは打つのは難しいわ。……やはり……)
「ファール!」
2球目として投じられた低めに外されたチェンジアップにも手が出され、サード方向へのゴロが大きくフェアゾーンから逸れてファールとなった。
(しまった……続けてボール球を振ってしまったわ。落ち着け……こうなったら何が来ても対応出来るように……)
バットが短く持ち直されると3球目。インコース低めに7割ストレートが投じられるとこれも低めに外れ、バッターは振り出したバットを止める形で見送ってボールとなった。
(ここは……これでどうですか?)
(……分かったわ)
そして4球目。倉敷は振りかぶると腕を振り切り、投げる瞬間に指先に力を込め、精一杯のストレートを投じた。
(真ん中高め! ついにあの変化球が……あっ!?)
「ストライク! バッターアウト!」
(よし!)
真ん中高めに投じられた全力ストレートは高めに外れており、バッターがそれに気づいたのはバットを振った後だった。
(ボール球だけで三振が取れた……。こんなこともあるのね)
「鈴木、ナイスリード」
「倉敷先輩も……特に最後のボールは力強い、重いボールでした」
「不思議と力が湧いてきたわ。おかしいわよね。点取られたってのに……」
「……いえ、点を取られた後でもこんなボールが投げられるから……だから倉敷先輩は私たち、里ヶ浜のエースなんだと思います」
「……ありがと」
スリーアウトチェンジ。3回の表の界皇の攻撃は里ヶ浜から1点のリードを奪ったところで終了した。そして攻守交代。3回の裏の里ヶ浜の攻撃は1番打者の阿佐田から。
「……ボール!」
(やっぱり……最初に立った時とは別物なのだ。しかも外野が前に出てる……高めで攻めて、パワーの無いあおいをアウトに取ろうって算段なのだ)
真ん中高めに僅かに外れたストレートに手が出ず、1ボール0ストライク。阿佐田はこのピッチャーのストレートが先ほどの打席とは伸びもコントロールも段違いに感じられていた。
(これをゴロにして叩くのはちょいと厳しそうなのだ……。……けど、もしかしたら……)
(セーフティ! そうやって崩しに来るのは慣れてる!)
(さすが界皇! チャージが早くて助かる……のだっ!)
(なっ……!)
2球目としてアウトハイに投じられたストレートに阿佐田はバントの構えを取ると、すぐさまファーストとサード、それに続くようにピッチャーもチャージをかけた。するとピッチャーは自身から見て左側へと勢いよく放たれたボールに意表を突かれながらブレーキをかけてミットを伸ばす。
「相良!」
「えっ!」
(作戦成功なのだ!)
鋭くチャージをかけたファーストの代わりに一塁のカバーに向かっていた相良はファーストとピッチャーの間を抜けて自分の方に転がってきたボールに気づくと、慌てて方向転換してボールを収めた。
「あっと! これは一塁への競走になったぞ!」
(絶対にセーフにしてみせるのだ!)
(させない!)
阿佐田は一塁ベースを全力疾走で駆け抜け、相良はベースの側面に向かってスライディングで滑り込んでいた。そして阿佐田は勢いのついたスピードを走る足を段々と落ち着かせて止め、相良はベースに勢いを吸収させるようにしながら体勢に無理が生じないよう膝を曲げると、両者が同じタイミングで一塁審判へと目をやった。
「……セーフ!」
(う……セーフか!)
(ふぅ、危なかったのだ。セカンドに取らせたのに、中々シビアなタイミングだったのだ。けど、勝負はあおいの勝ちなのだ! あのピッチャーの速いストレートをプッシュで押し出すのはしょーじき、厳しかったのだ。けどあれくらいの勢いがあれば芯に当てるだけでプッシュと同じ感じになると見たのは間違いじゃなかったのだ!)
ギリギリではあったが勝負を制したことに阿佐田は自信満々の笑みを浮かべると、続く九十九にサインを送った。
「ファール!」
(うっ、これは転がすのも楽じゃないな……)
(送りバントとなると勢いを殺さなきゃなのだ。あのなんでもそつなくこなす九十九でも難しいのだ……!?)
(あたいはクイックがあんまり得意じゃない。けど、その分ストレートの勢いは落ちにくい……。送りバントはさせない! ストレートでねじ伏せる!)
サイン通り送りバントを試みた九十九だったが、ストレートの勢いに押されて転がったボールは一塁線を逸れてファールになってしまった。
(2ストライクにされるとまずいのだ。バントの構えをしてれば同じように力でバント失敗を狙ってくるはずなのだ……)
(む……分かった。ここはまずフェアゾーンに転がすぞ……)
「ランナー走った!」
(スチール!? いや、これは……バントエンドラン!)
再び投じられたストレートに九十九は必死に食らいつくと辛うじてボールを転がした。しかし勢いはさほど抑えきれず、ボールを捕ったファーストは二塁でのフォースアウトを狙おうとする。
「一塁に!」
(エンドランで先に走ってた分、さすがにうちの内野でも刺せない……!)
キャッチャーからの指示を受けてファーストはベースカバーに入ったピッチャーへボールを投げると、バッターランナーの九十九はアウトに取られた。
「1アウトランナー二塁! 里ヶ浜、チャンスを作りました! そしてここで打席には先ほどホームランを打った有原選手が入ります! おっと? ここで界皇はタイムを取りました!」
「……なにしにきたの、千秋」
「伝令に決まってるんですけど。内野は下り目に、外野も前に出ず定位置で……」
「ここはまずあのバッターを抑えることに注力しろってわけか……」
「そういうことなんですけど。あと、二塁ランナーにも注意……もしかすると走ってくる可能性はあるんですけど」
「確かにあたいはクイック上手くはねえが……」
「それとあの3番は1回戦でピッチアウトされたボールにスクイズを決めてるんですけど。それほどの技術があるから、ここはリスクを負ってもランナーを三塁に進めてくる可能性があるんですけど」
「……分かったよ。気をつける」
ベンチから北山監督の指示を伝令という形で鎌部が伝えると、それに発奮されたようにピッチャーの目つきが鋭くなった。
(先輩たちが作ってくれたチャンス……打つぞぉー! ……うっ!?)
「ストライク!」
(ギアがさらに上がったのだ……!? つばさでも振り遅れて……)
インハイに投じられたストレートに翼は初球からバットを振り出したが、そのタイミングは一打席目とは違って遅れ、さらにボールの下を振ってしまっていた。
(よし……今日一番のストレートだ!)
(ぜってぇ打たせねえ!)
(凄い気迫……私も負けない! ……!? 阿佐田先輩、そのサインは……!?)
(今の感じだとストレートに合わせきれてないのだ。でも、これならもしかするとなのだ)
(……確かに今なら決められるかも。……分かりました!)
阿佐田から出されたサインに翼は少し頭の中を整理してからヘルメットのつばを掴んで了承する。そしてセットポジションに入ったピッチャーに阿佐田がジリジリとリードを広げていくと、ピッチャーも目をやり、しばしの沈黙がグラウンドに流れる。
やがてその沈黙が破られる瞬間が訪れた。
「ランナー走った!」
(本当に走ってきた!)
(いや、これは……もう一度バントエンドラン!?)
アウトコース低めに投じられたストレートに翼はバントの構えを取ると、とにかく勢いを殺すことに集中してそのままバントをした。するとゴッ、という音と共にふわりと上がったボールが三塁線に放たれた。
(打ち上がってるけど……落ちる! これは決められた……。2アウトにしてでもランナーを三塁に進めて、4番勝負か!)
「一塁に!」
「バントエンドラン成功です! 今、サードがボールを拾って一塁へと——」
「……! い、いや……違います!」
「えっ?」
実浦アナウンサーが驚きの声を漏らす中、実況席からサードがボールを投げる瞬間の阿佐田の動きを見た大咲はその目を大きく見開いた。
(これは……里ヶ浜のトリックプレー!)
(もらったのだ!)
(なっ……三塁を蹴った!?)
後ろに下がっていたサードが地面へと落ちてコロコロと転がるボールを捕球し、一塁へと投げる瞬間、阿佐田は三塁ベースに対して膨らんで入るとそのままベースを蹴ってホームへと向かっていた。
(……しまった! バントエンドランじゃない! これは……スクイズだ!)
「バックホーム!」
「……! やらせるか!」
サードの送球は止まらず、既に一塁へとボールが投げられていた。するとすかさずファーストが打球に向かって前に出て、収めたボールをホームへと投げ返した。
(よし、ストライク送球だ!)
(うっ、送球が早いのだ! なんとか回り込むのだ……!)
ホームで構えていたキャッチャーに送球が届くとその手前まで来ていた阿佐田は頭から飛び込み、回り込むようにして滑り込んでホームベースへと手を伸ばした。
(ランナーを追うな。ここだ!)
するとキャッチャーが身体を反転させながらホームベースに叩き落とすようにミットを押さえ込み、阿佐田が伸ばした手にミットが触れた。
「……アウト!」
(うっ、間一髪間に合わなかったのだ……!)
(ギリギリだな……けど、そう簡単に点はやらないよ)
「先輩、ナイスプレーです! よく間に合いましたね」
「ああ……さっきの伝令であのバッターがスクイズしてくるかもしれないって頭に入ってたからな。とっさに身体が動いてくれたよ」
「な、なるほど……」
ファーストの好プレーに相良が嬉しそうに寄ってくると、ファーストは一塁ベースへとたどり着いた翼に聞こえないようにミットで口元を押さえながら相良にそのプレーが出来た理由を伝えた。
(うー、防がれちゃったか……)
(内野が下がってたからその分あおいはリードを広げやすかったし、サードもボールを拾うのに時間がかかったのだ。だからその隙をついてホームを突ける……狙いは悪くなかったはずなのだ。けど、界皇の守備はあおいの想定以上だったのだ……)
(もしランナーがワタシだったら……。くぅ……そんなこと言ってもしょうがないけど、こんな時に打撃スランプを嘆くことになるなんてにゃ。……その分、代走で出た時には存分に足でチームに貢献してやるにゃ!)
「有原選手はどうやら内野安打の記録のようです。ですが2アウトになってしまいました!」
(勝ち越し点を上げられた回の裏の攻撃……このまま簡単に倒れるわけにはいかない!)
(得点圏にランナーがいなくなったのは助かったぜ。このまま4番も抑える!)
4番の東雲が右打席へと入ると、ピッチャーは速球を連投した。その速球に東雲も振り遅れてしまっていたが、バットを短く持って食らいついていくと3ボール2ストライクになった。
(なんて速球。バットを振り切ることが出来ない……)
(また粘られたか。けどここまでストレートで押したんだ。最後はタイミングを外そう)
(分かった。スライダーを……アウトコース低めに!)
フルカウントからの8球目。バッテリーはアウトコース低めへのスライダーで勝負に打って出た。
(来た! ストレートはカットでとにかく当ててスライダーを叩く! このピッチャーのスライダーは神宮寺さんのように変化が大きいわけじゃない。ストレートとのギャップに惑わされなければ……打てる!)
(少し崩せたけど……粘られた!?)
——キィィィン。東雲は体勢を崩しながらもスライダーに食らいつき、腰を落とした状態で弾き返した。
「あっ!」
「アウト!」
しかしライナーが飛んだ位置は運悪くセンター真正面。難なくキャッチされてしまい、3アウトになってしまう。
「ナイスボール。良いコース来てたよ」
「ああ……投げ切れたし、空振りに取れると思ったんだがな」
「あのバッターはこの後も警戒が必要だね」
センターライナーに打ち取られた東雲は唇を噛むようにしてベンチへと戻っていく。
「東雲さん、当たりは良かったよ!」
「ええ……今は我慢の時間ね。粘り負けはしないわ。食らいついていくわよ」
「うん!」
塁に出ていた翼と共に東雲はベンチへと戻ると、帽子を力強く被った。二人とも里ヶ浜にとって良くない流れになりつつあることを肌で感じていた。しかし、そんな時こそ気持ちを強く持つ……単純だが、諦めないことが大事だということも分かっていた。
「さぁ、行こう!」
翼が腹から声を出すと、東雲だけでなく全員に声が届いた。この試合初めて回の終わりに界皇にリードを許した不安を皆、心に抱きながらも、前を歩く翼と東雲に引っ張られるようにグラウンドへと出ていくのだった——。
今年の投稿はこれにて終わりとなります。
去年から読み続けてくれている方も今年から読み始めてくれた方も、ご愛読頂きありがとうございます。来年もよろしくお願いします。
どうぞ良いお年をお迎えください!