皆で綴る物語   作:ゾネサー

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最終章 物語の終わり
汗を流してすっきりと


 界皇との試合からしばらく経った日の昼休み。その日図書委員として過ごしていた初瀬は受付として座りながら本を読んでいた。

 図書室を利用する生徒はなにも本を読む者ばかりではなく、勉強をする者もいた。その多くは受験を控える3年生、そして試験期間が終わった今では少し珍しく数名の野球部員も見受けられる。目的は違えど、静かな空間を共有している時間が初瀬は好きだった。なんとなく周りを見渡すと友人同士で集まり何かの作業をしているグループが目に入った。初瀬はそれをずっと眺めることはせず穏やかな微笑を浮かべると、この空間に浸るように本に視線を落とした。

 

「締め切りが迫ってるにゃ……。猫の手も借りたいにゃー!」

 

 そんな空間を引き裂くような声が自習スペースから聞こえてくる。

 

「呼ばれた気がするのだ。ちょっと行ってくるのだ」

 

「……あおい。頼んできたのは君の方だろう」

 

「にゃふん……。だって覚えることがいっぱいでちょーきついのだ」

 

「一つ一つ覚える必要はないさ。そうなる道理を理解すれば自ずと頭に入ってくるよ」

 

「むむぅ……頑張ってみるのだ。早速ここの説明を頼むのだ」

 

「お安い御用さ」

 

 本にしおりを挟んだ初瀬はざわつく生徒を横目に自習スペースへと向かっていく。するとそこでは予想通りの人物が予想通り頭を抱えていた。

 

「……中野さん。興奮すると周りが見えなくなるのは知っていますが、図書室では静かにお願いします。それが続くとまた能見先輩に怒られてしまいますよ……?」

 

「ひいっ……!? こ、今後はこのようなことがないように精一杯気をつける所存ですにゃ……!」

 

「混乱しすぎです……」

 

(あの説教の効き目はかなりあったみたいですね……。こうして中野さんを嗜めるのも久しぶりな気がします)

 

「今日はどうしたんですか?」

 

「それが大会中は記事が更新できないから、その分次の記事は増量するって宣言しちゃってたのをすっかり忘れてたんだにゃ! おかげでピンチだにゃ……」

 

「ああ……なるほど、そういうことですか」

 

(無理もないかもしれませんね。大会中、色々なことがありましたから……あっ)

 

「それなら今回の大会のことを書くのはどうでしょうか?」

 

「さすが初瀬にゃ! 実はワタシもそう思って取り掛かってたんだけど……人手が足りないんだにゃ〜」

 

 中野は言い終えるや否や期待の眼差しを初瀬に向けた。勿論初瀬もそれに気づいた。眼差しだけでなく、その意味もすぐに。

 

「構いませんよ。お手伝いします」

 

「ホントかにゃ!? いや〜、助かるんだにゃ」

 

 初瀬は迷わず協力を申し出た。以前中野が話してくれた締め切りへの拘りを覚えていたこともその理由の一つだったが、なによりも困っている友人の頼みだったからだ。

 二人は分担して作業を進めていく。時に集中し、時に相談しながら。初瀬はふと中野の顔を見つめる。いつもの調子の良い彼女とは違い真剣そのもの、それでいて楽しそうに見えた。そんな中野に目を細めていると顔を上げた彼女と目があった。不思議そうに何か相談したいのかと聞いてくる彼女に初瀬は恥ずかしそうになんでもないと答えるのだった。

 

「後は……そうだにゃ。この3回戦の後、大会がどうなったのかを補足として入れておいた方がいいかにゃ」

 

「ここまで読んでくれた人は確かに気になるところかもしれませんね」

 

 協力して作業を進めた甲斐もあって順調に記事が仕上がってきた頃、初瀬はテレビを通して見た決勝戦のことを記事にまとめるためにも、その全容をまず思い出していた。

 

(準決勝を5-2で制した界皇。あの身も凍りつくような打線が……まさかあそこまで抑えられるなんて思いませんでした。それだけでも凄く驚いたのに、あの7回の出来事は……それ以上に印象的でした)

 

 決勝戦、界皇対帝陽。奇しくも去年の秋大会準決勝と同じカードになった試合は帝陽が3人のピッチャーからそれぞれ1点ずつ奪い、さらに6回の裏終了時点で界皇打線は得点を上げられずにいた。

 7回の表、界皇はここで外野に下げていたエース鎌部を再びマウンドに上げる。2アウトランナー一塁・二塁で乾を打席に迎え、カウントは3ボール2ストライク。投球と同時にランナーが走り出す中、バッテリーはインハイを厳しく攻めたストレートで勝負に出た。フォークが頭にあり低めを意識していた乾は一瞬虚を突かれながらも、バットを振り切る。放たれた打球は外野深くまで飛ばされるも、レナが掴み取りレフトフライ。最後は力で押し切り、ピンチを凌いだ形になった。

 しかし帝陽バッテリーも頭を切り替え、7回の裏の界皇の攻撃は早くも2アウトランナー無し。9番の鎌部に打順が回る。監督に直談判してそのまま打席に立った鎌部の打球は意地で内野の頭を越えたようなセンター前ヒット。後1つアウトを取られたら即終了という状況から打線が繋がり、1点を返して尚も満塁という状況でレナに回した。そして2ボール2ストライクからアウトローに投じられたスライダーはストライクゾーンから外のボールゾーンに変化させようという乾の要求通りにはいかずフルカウントになるのを嫌って僅かに中に入り、振り切られたバットから放たれた打球が走者一掃のツーベースとなって、決勝戦……そして大会は幕を閉じた——。

 

(最終回の界皇は……とても追い込まれたチームには見えませんでした。不安や焦り、それはきっととてつもなく大きかったはずです。なのに誰一人迷いを見せませんでした)

 

 界皇の厚い自信に、一部始終を見ていた初瀬は圧倒されるばかりだった。それは見ていた時だけでなく、内容を纏めている今も強く心の中に残っていた。

 

「いやー、助かったにゃ。まさかこの量が昼休み中に終わるとは思わなかったんだにゃ。ありがとにゃ〜」

 

「どういたしまして。けどこれだけ早く終わったのは中野さんの書くペースがかなり速かったからだと思いますよ。私、ビックリしました……」

 

「初瀬に試合の状況を分かりやすく纏めてもらったからにゃ。おかげでスムーズに書けたんだにゃ」

 

「それは良かったです。幸い2回戦からはコーチャーとしてグラウンドの空気をより感じられましたから。…………」

 

(前に中野さんが言っていたようにスタメンだけでなく、ベンチも勝つために必要な役割があることは今回の大会で良く実感出来ました。ですが同時に、グラウンドを区切る白線が私には遠く感じられました。今回の大会……私以外はその白線を越えて、選手として皆さん戦っていましたから……)

 

 出番の長さに差こそあれ初瀬以外の部員は選手としてグラウンドに立ち、各々が練習の成果を出していた。特に同じ時期に入った部員らも活躍していたことが初瀬にとっては嬉しくもあり、そして取り残されたように感じられていた。

 

「……初瀬。練習の後、時間は空いてるかにゃ?」

 

「えっ? あ、はい。空いてますよ」

 

「そりゃ良かったにゃ。今日のお礼をしたかったからにゃ」

 

「お礼なんて……気にしなくても大丈夫ですよ」

 

「まあ、実はお礼も兼ねてワタシも行きたいんだにゃ。付き合って欲しいにゃ」

 

「あ……そういうことでしたら行きたいです!」

 

「決まりだにゃ。良いところに連れていってあげるにゃ!」

 

「い、良いところ……? どこですか?」

 

「ふふふ……百聞は一見にしかず。見てのお楽しみだにゃー」

 

 中野は妖しく笑うと連れていく場所の詳細は教えず、記事の原稿を纏めて教室へと帰っていった。

 

(あの小説のように歓楽街に……なんていうのは期待のしすぎですね。けど……)

 

 そんな中野の誘いに少し戸惑いを覚えた初瀬だったが、胸に抱いた期待感が身体に染み入るように段々と広がっていき、その時が来るのを楽しみに午後を過ごしたのだった。

 

「あ、そうだにゃ。制服には着替えず、そのまま来て欲しいにゃ」

 

「え……運動用のジャージで良いんですか?」

 

「動きやすい格好の方が都合がいいんだにゃ」

 

「わ、分かりました」

 

「じゃあお先に失礼するにゃー」

 

「お疲れ様でした」

 

「二人ともお疲れー! また明日!」

 

 練習が終わり、みんなが着替え始めたところで初瀬は中野に連れられて部室を後にしていた。

 

「皆さん、今日の練習は声が出ていましたね。少し敗戦のショックも和らいできたのかな……って感じがしました」

 

「それと……また同じような悔しさを味わわないためには、試合だけじゃなくまさに今頑張らないといけないって気づいたんだろうにゃ」

 

「中野さん……」

 

(……そっか。新入部員じゃない中野さんは夏の大会で……)

 

 話しながら並んで歩いていると、『鉄人』の暖簾が見えてくる。それを見た初瀬は以前のようにここで打ち上げをやるのかと一瞬思ったが、動きやすい格好をする必要が無いことにすぐ気づいた。その推測通り中野はそのまま『鉄人』を通り過ぎていく。

 

「特に近藤はそう思ったんだろうにゃ」

 

「近藤さん……確かに今日は特に声が出ていましたね。本人は何でもないとおっしゃっていましたが、先日までは凄い落ち込まれていたのに……」

 

「最後のバッターになってしまったからにゃ……。自分のせいで負けたと思い詰めてたんだろうにゃ」

 

「そんな。近藤さんだけに責任があるわけないのに……」

 

「その通りだにゃ。けど本人にとっては……そうじゃなかったんだろうにゃ」

 

「中野さん……?」

 

「……ワタシも……そうだったからにゃ」

 

(どういう……あっ!?)

 

「まさか、中野さんも……」

 

「あはは……そうだにゃ。夏の大会の最後のバッターはワタシだったんだにゃ」

 

 そう告げた中野は頬をかきながら笑った。レギュラーから外れた時でも見せなかった彼女の苦々しい笑いは初瀬にとって衝撃的だった。

 

「そう……だったんですね」

 

「しばらくは練習に来るたびにそのことが頭によぎって……全然練習に身が入らなかったにゃ。それでも9月になって、初瀬たちが来て……もうそのことは吹っ切れたと……自分では思ってたんだけどにゃ」

 

(吹っ切れたと思っていた……? ……もしかして……)

 

「中野さんが打撃スランプに陥ったのは……」

 

「多分……そういうことだったんだろうにゃ」

 

 中野は歩きながら天を仰いだ。彼女の青竹色の瞳に日没から間もない透明すぎるほどの青い空が映る。前に一度同じような青空を見て自分の好きなように塗りつぶせたらいいのになんて思ったことを思い出し、澄んだ空気にくすぐられるようにひっそり笑うと、視線を下ろして初瀬に向けた。

 

「だから近藤のことはそれとなく気にしてたんだけどにゃ。ワタシの出る幕はなかったみたいだにゃ」

 

「確かに新田さんが気に掛けてたようですが……」

 

「それと永井もにゃ。意外だったけど……新田じゃなく永井が先導して励ましていたみたいだったにゃ」

 

「永井さんですか……。大会を経て、なんだか堂々と物事を話すようになりましたよね」

 

「初瀬もそう思ったかにゃ。ワタシが遠くから三人の話を窺ってた時、近藤も永井を見て驚いていたように見えたにゃ。どんな話をしていたかは分からないけど……」

 

「今日の近藤さんの様子を見る限り……三人にしか分からない何かがあるのかもしれませんね」

 

「そうかもにゃ……ちょっと羨ましいんだにゃ」

 

 中野は寂しげな表情を浮かべたかと思うと、すぐに表情が切り替わった。せわしない顔の変化を初瀬は不思議そうに見ると、まるでいたずらを思いついた子供のような顔をした中野と目があった。

 

「……? どうしたんですか中野さ……わっ!?」

 

 すると途端に初瀬は手を掴まれ、走り出した中野に引っ張られた。急なことに体勢を崩すも、引っ張る中野の手が支えになり、二人は一緒に走り出した。

 

「ど、どうしたんですか……!?」

 

「いやー、急に走りたくなっちゃったにゃ。目的地までこのまま走るにゃ!」

 

「ええっ!?」

 

 満面の笑みを浮かべながら先を走る中野に初瀬は驚きながらもついていく。強い力で握られているわけではなかった。そんな手を初瀬は眼鏡のレンズの中央に捉えると、しっかり握り返した。中野の手のひらは硬く、そしてとても温かった。

 

「着いたにゃ!」

 

「ここは……」

 

 走り出して3分ほど経った頃、中野がもう一方の手で見えてきた目的地を指差した。指につられるようにその店の看板を見た初瀬はようやく彼女が連れてきたかった場所の名を理解する。

 

「バッティングセンター……」

 

「そうだにゃ! 初瀬は来たことあるかにゃ?」

 

「いえ、無いですね。どんなところかもよく分からないです……。中野さんは来たことがあるんですか?」

 

「一度だけあるにゃ。ささっ、入った入ったにゃ」

 

 握った手をそっと外した中野は初瀬の背中を両手で押すと、初瀬は押されるがままに入り口に近づいた。すると自動ドアが開き始め、初瀬は後ろにいる中野をチラッと見てから自分で足を踏み出して店の中に入っていった。

 

「わぁ……」

 

 すると視界に色々なものが飛び込んできた。ガラス張りの壁で区切られた空間。その中にある防球ネット越しに見えるゴムマットに勢いのあるボールが当たり、空振った男性が外にいる友人に「ドンマイドンマイ」と声をかけられている。別のケージでは一人で来ているのだろう男性がピッチングマシンから発射されたボールを次々と打ち返している。その他にも色んな客が、多種多様にバッティングセンターという空間を味わっていた。

 

「楽しそう……。こういう場所なんですね」

 

「だにゃ。初瀬もやってみるにゃ」

 

「はい! やってみたいです……!」

 

 知らない土地を探検する冒険家のように初瀬が周りを見渡している間に手際よくケージの中に入って高さと球速を設定した中野が出てくると、購入していたコインを初瀬に渡した。そのコインを受け取った初瀬は胸を高鳴らせてケージの中に入っていく。

 

(えっと……このバットを使うんですね。こちらの機械は……あ、ランプがついてる。中野さんがやっておいてくれたんですね。ここにコインを入れて……)

 

 ケージに入る前に他の客がどうやっているのかを見ていた初瀬はそれを参考にしてコインを入れた後、すぐにバッターボックスに入ってバットを構えた。するとガコンという音が響き、外から聞いているよりも大きく聞こえた音に彼女はビックリした。少しすると何かを巻くような音が継続的に聞こえてくる。初瀬はバットを構えたまま自分の入ったケージと同じ番号が記された場所にあるピッチングマシンからボールが来るのを待った。やがてボールが放たれたのだが、いまいちタイミングを掴めていなかった初瀬は思わずボールを見送ってしまった。

 

「速くないですか……?」

 

「にゃはは。人が投げてるわけじゃないから、いつ投げてくるかタイミングが掴みにくいんだと思うにゃ。よく見れば打てるはずにゃ!」

 

「わ、分かりました!」

 

(もう少し遅く設定した方が良かったかにゃ? ……いや、今の初瀬なら打てるはずにゃ)

 

 投げてくる瞬間に意識を強めた初瀬は1球空振った後、次に放たれたストレートにバットを掠らせていた。

 

「見るのに意識が向いてて、バットのトップが崩れてるにゃ〜」

 

「あ……そうでしたね。振り出すまではこのまま……」

 

(皆さん当然のようにやられていますが、バットを構えた体勢をそのまま維持するのは中々難しいんですよね……)

 

「……あともう一つアドバイスにゃ! バットを構えたら後は……『しっかり気合いを入れて打つ』! だにゃ!」

 

「気合い……ですか?」

 

「そうだにゃ。ワタシのメモにもそう書いてあるにゃ」

 

「……分かりました!」

 

(最初はトップを維持するのが正直、キツかったです。ですが今は少しは形になってきたんじゃないかと思います)

 

 さらに中野から受けた二つのアドバイス。後者のアドバイスを意外そうにしながらもそのアドバイスを受け入れた初瀬はバットを構え、トップの位置を維持したままボールに備えた。

 

(そうだ……トップだけじゃなかった。この体勢を維持するのは、目線をブレさせないためでもありました。そのために大事なのは下半身)

 

 初瀬は同じくボールに合わせるのが遅かった鈴木の提案によりバント特訓を始め、さらに逢坂と協力してやっていた片手キャッチの特訓や体幹トレーニングで下半身は以前より安定感を増し、ボールのスピードにも段々と目が慣れてきていた。そして紅白戦の最後の打席で養ってきた芯で捉える感覚をヒッティングで味わった。地道な積み重ねの末にその成果が徐々に出てきていた。

 

(沢山、練習してきたんです。絶対に……打ってみせます!)

 

 足りないピースはただ一つ。自分がやってきたことに対する自信だった。見極めたボールの軌道に気合いを乗せてバットが振り出されると、芯で捉えた打球は綺麗な放物線を描いた。

 

「打てた……」

 

「今のはセンター前ヒットだったにゃ。初ヒットどんな気分にゃ?」

 

「えっと……気持ち良いです……!」

 

 ボールを芯で捉えた感触の爽快さ、今まで築いてきた練習が実を結んだ達成感。色々なものを感じた初瀬は中野の問いに自然とそう答えていた。そんな彼女を見て中野は自分のことのように嬉しそうに笑った。

 

「……あの、中野さん」

 

「んー……何かにゃ?」

 

「ありがとうございます」

 

「……なんのことかにゃ。ワタシはただお礼に連れてきただけにゃ」

 

「ふふっ。そうでしたね」

 

「さーて、ワタシも打つかにゃ」

 

 初瀬に礼を伝えられた中野はとぼけたような表情で隣のケージへと入っていった。すると初球からタイミングを合わせてヒット性の当たりを放った。そんな中野に初瀬は驚かず、さすがだなと思っていた。負けじとバットを振る初瀬。隣のケージとは異なり続けてとはいかなかったが、こちらのケージからも心地よい金属音が断続的に響いていた。

 バッティングセンター内はうるさくはなかったが、機械の音やバットの金属音や応援の声などで静かな空間とは程遠かった。だがそんな空間を共有している時間を初瀬は好きになれそうだと感じていた——。

 

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