「あっちの1年中野球のこと考えてそうな子は?」
「つばさはねー。よく声かけてくれるよー!」
「……えっと。じゃ、じゃあ里ヶ浜ってどんな練習してるの?」
「打ったり走ったり守ったり投げたりだよー!」
「……そっか……」
(偵察ってバレてないのは助かったけど、細かい情報話してもらうのは無理かー)
秋乃と芹澤が初めて出会った日の翌日。この日も偵察に来た芹澤はそのことに気づいていない秋乃と茂みに潜みながら話し、情報を聞き出そうとしたが、早々に諦めていた。
「ていうか小麦、よくあたしが今日も来てるって分かったね」
「違うよー。ボール拾いに来たらまたむすびのこと見つけたんだよー」
「そうだったんだ。進んでボール拾うなんて偉いなー」
「えへへー。でもこうやってボール探すの探検みたいで楽しいんだよ」
「あー。分かるなー。昔こんな感じのところで秘密基地作ったりしたよ。生い茂ってて隙間とか無さそうなんだけど、奥の方にスペースが空いててさ。みんなで色々持ち寄ったなあ」
「いいなー。楽しそー!」
(素直だなあ小麦は。さっきはそれを利用して情報を……なんて思っちゃったけど)
話が弾む二人。その後も話を続けていると芹澤が通っているさきがけ女子高校のことを秋乃が知りたがった。屈託なく訪ねてくる彼女に芹澤は先ほど利用しようとしたことに心が痛み、代わりというわけではないがそれに答えていた。
昔からの友人たちと高校に入る前の春に甲子園を見に行き、凄く感動したこと。
今いる部はずっとあった訳ではなく、そのことがきっかけで高校に入ったら野球部を作ろうと皆で決めて出来た部であること。新しく作った野球部というところに秋乃が有原たちと同じだと言うと、芹澤はその言葉に少し困ったように笑いながら「そうだね」と答えた。
「最初は楽しかったんだ。でもね……続けていくうちに実力の差、みたいなのが出てきちゃってさ。夏はファーストの子が肉離れで離脱しちゃって結果的には出ることになったけど……前も今もあたしキャプテンなのに補欠なんだ。笑っちゃうでしょ?」
「笑わないよー。小麦ね。界皇との試合スタンドから見てたんだよ。むすびも、他のみんなも、最後まで頑張ってたのはおんなじだもん」
「……小麦はそういう風に言ってくれるんだ。ありがと」
秋乃の返答に少し肩の荷が降りた様子の芹澤。しかし彼女の顔は秋乃にはまだ悲しそうに見えていた。
「むすびは……野球好き? 小麦はね。みんなと頑張ってるうちに好きになって、もっともっと上手くなりたいなーってなったんだ」
「うん。好きだよ。大好き」
「そっかあ。良かった! あ、もうきゅーけー終わりだ! 急がなきゃ! また明日ねー!」
「また明日ー……って明日も来るかは分からないけどね」
(ありがとう小麦。励まそうとしてくれて……。でもね。好きなだけじゃどうにもならないことってあるんだ……)
野球が好きだという芹澤の返答に安心した秋乃は皆が次の練習の準備をし出したことに気づいてグラウンドに戻っていった。急いで走り出した彼女は芹澤の表情に陰りが残っていたのには気づけなかった。
さらにその日の翌日。結局芹澤は偵察に出向いていた。茂みの中から各選手の特徴やこなしている練習をノートに取っていると、いつものように秋乃がやってきた。彼女たちは談笑を交えながらボールを拾っていく。
「はい。これあたしが集めた分」
「ありがとー! ……あ、そうだ」
「どうしたのー? 何か忘れ物?」
「むすびも来るー? 一緒に練習しよ!」
「ええっ!? そりゃまずいってー。…………あたし他校の生徒だし」
「小麦は嬉しいよー?」
「あたしも嬉しいけど迷惑かけちゃ悪いしさ。それに……」
「……?」
「……や、なんでもない。ほら、行っておいで」
「う、うん……」
(下手っぴなあたしが少しでもチームの役に立つためにって、同じ新設の野球部の偵察に来てるけど。本当は練習で下手なとこが見られるのが嫌なのかも……。だって今誘われた時、練習させてもらえるわけないとか、そういうことより……小麦にあたしが下手なところ見られたくないってのが一番に来た……)
秋乃に練習に誘われて身体が強張った芹澤。拾ったボールを秋乃が持っていき、茂みに一人残った彼女はふと今そこにいることが怖くなった。
それから芹澤はしばらくひまわりグラウンドに来なくなった。
「むすびー。今日もいないのー?」
急に消息を絶ってしまった友人に寂しさを覚え、秋乃は繰り返し茂みを覗くようになった。そうして2週間が過ぎた頃、里ヶ浜は紅白戦を行おうとしていた。
「申し訳ありません。急な用事が入ってしまいまして……」
「大丈夫ですよ! 気にしないでください! いつも私たちに合わせてくれて、本当に感謝してます!」
「そう言って頂けると助かります」
電話を通して塚原と話す有原。やがてその会話の終わりを示すように、ピッという電子音が響いた。
「やっぱり来れないのね?」
「うん。そうみたい……どうしよっか」
「助っ人でも呼べれば良いけど……今から来てくれる人に心当たりはないわね」
「翼、ゆいさんに頼めないかな?」
「ゆいお姉ちゃんは今海外で武者修行してるんだー」
「あ、相変わらずスケールが大きい人だね……」
野球部は総勢17人。塚原が急用で来れなくなったことで紅白戦には1人足りず、彼女たちは困っていた。誰か助っ人を呼べないかと考えたが、この紅白戦を実践的な試合としたい彼女たちにとって誰でも良いというわけにはいかなかった。
(……あっ! そうだ!)
(秋乃さん?)
すると何かをひらめいた秋乃が一か八か動いてみた。
「むすびー! いるー!?」
「あ、小麦。よく分かったね。久しぶりー。元気だった?」
すると彼女が探した茂みの中に芹澤がいた。いつものようにノートを持っておらず、秋乃が来てくれたことを歓迎するように両手が振られる。
「元気だけど、むすびが会いに来てくれなかったからちょっと寂しかったよー」
「あはは……ごめんね。ちょっとあたしも練習で忙しかったからさ。今日も練習して……色々あってね。ちょっとヘコみ気味なんだ」
「しょんぼりなのー? 小麦でよかったらお話聞くよー」
「ありがと。じゃあお言葉に甘えちゃうね。……小麦はさ、他の人と一緒にノック受けてて、辛かったりすることない?」
「んー……無いよー。一人より、みんなと練習してる方が楽しい!」
「そっか……」
(小麦、守備上手いもんね……。こっから見てるだけでもすっごい良い動きしてるし)
「何があったのー? 誰かに酷いこと言われたの……?」
「言われてないよ。みんな優しいんだ。あたしがエラーしても、誰も責めたりしない」
「良かったー! じゃあどうしてー?」
「あたしなりにね。みんなと同じメニューこなしてるつもりなんだけどね。一向に上手くならなくて……みんなの役に立ちたいのに、立てない自分が……情けなくなっちゃったんだ」
「むすび……」
芹澤はここ2週間彼女なりに練習に打ち込んだが、それでも上手くなった手応えを得られなかった。励ましてくれる仲間の優しさが痛いほど身に染みていた。
そんな芹澤の話を聞いた秋乃は落ち込んでいる彼女を励ましたかったが、元々守備が得意な彼女には気の利いた言葉は浮かなかった。だから秋乃は今まで自分が見てきたことを伝えることにした。
「あのね。サードにまりあがいるでしょ?」
「んー……ああ、文学少女って感じの子か。ノック受けてるね。……おおー。上手く捌くなあ」
紅白戦を始める想定でノックを受けて身体を温める部員の中から秋乃は初瀬を指差した。それに釣られるように芹澤が初瀬を見ると、腰を落として構えていた彼女は足を動かしてゴロの正面に入り綺麗に捕球していた。さらにノーバウンドで投じた送球が逸れずにミットに収まる。一連の守備を見ていた芹澤は感嘆の吐息を漏らしていた。
「まりあはね。9月に小麦と一緒に入った新入部員なんだけど……最初はボールが全然捕れなくて苦労してたんだ」
「えー!? 嘘ー……だってあんなに上手いじゃん!」
「嘘じゃないよー。それでね。最初の練習の日から、終わった後に特訓をしてたんだ!」
「初日から!? 見かけによらず根性あるね……」
「それで捕れるようになったんだけど、でも少しで。まだギリギリのは捕れなかったし、正面に来てやっと捕れるかもだったの。だからね。特訓を続けて……ちょっとずつ、出来ることを増やしていって。今はすごいけど、すぐに上手くなった訳じゃなかったんだよ。バウンドさせない送球があんな風に投げられるようになったのも、11月に入ってやっと出来るようになったの」
「そうだったんだ。あんな上手い子も、すぐに成果が出たわけじゃなかったんだ。……そっか。うん……ありがとう! 元気出たよ!」
「本当に!? 良かったあ」
「……話は済んだようね」
「あっ。りょー!」
秋乃の伝えたいことがしっかり伝わった芹澤は少し勇気を分けてもらったような気がしていた。するとそこに様子を窺っていた東雲が現れる。
「わわっ。ガチオーラ半端ない子……!」
「……喧嘩を売っているのかしら」
「ご、ごめんなさい。あたし昔から正直なところが取り柄で……!」
「正直に言うべきでない時があるのを理解することね」
「気をつけます……」
「秋乃さんの様子がおかしいかと思えば、貴女が原因だったのね」
「えー。小麦、変だった?」
「最近、やけにここにボールを拾いにいきたがっていたのと……その頻度が、防球ネットを張り出した後も変わらなかったからよ」
「そっかあ……」
「それより貴女、名前は?」
「芹澤結です……」
「芹澤さん。貴女は秋乃さんから情報を引き出すのが目的で近づいたのではないでしょうね?」
「……最初はそのつもりでした。小麦は良い意味で素直でしたから。無理でしたけど、利用しようとしたことは反省してます。だって小麦は良い子で、あたしの話も笑わずに相談に乗ってくれて……。そんなに長く会っていたわけじゃないけど、大事な……友達だと思ってます」
「小麦もー!」
「そう。……それなら良いわ。ところで秋乃さん。さっき有原さんが電話した後、何か思いついてここに来たように見えたのだけれど」
「あっ! そうだったー! ねえ、むすびー! 試合手伝ってー!」
「良いけど……審判とか?」
「ファーストお願い! 一緒に試合しよ!」
「ええっ!? そりゃ、あたしは普段からファースト守ってるけど……」
(……本来なら他のチームの選手を交えた紅白戦というのは有り得ないけれど。試合をする機会を逃したくはないわね……)
「……私からもお願いするわ。貴女さえ良かったら、協力して欲しいの」
「そ、そんな。今のあたしには協力なんて言ってられるような実力なんて。あたしは下手っぴで……あ」
練習どころか紅白戦の参加をお願いされるとは
(……あたしはお世辞にも上手くはない。けど、断ることはない……のかな)
「……わ、分かりました。あたしで良かったら、喜んで!」
「本当に!? やったー!」
「感謝するわ。このままどうしようかと困っていたの」
(これで良かった……んだよね)
正直なところ芹澤は今の自分の実力に自信を持てていなかった。だが先ほどの秋乃との会話で、これも少しずつ上手くなるための経験と捉えることが出来た。そして向こうから誘ってくれたのに過ぎた謙虚で断ることはないという結論に至ったのだった。
こうして倉敷と野崎を先発とした紅白戦が始められた。
すると1回の表、立ち上がりのコントロールの乱れを突かれた野崎は1点を失い、尚も2アウトランナー三塁のピンチを迎えていた。これ以上点は上げまいとボールカウントが先行しても低めに集めていくと、低めに外れたストレートを振ってしまった逢坂の打球はさほど強くない勢いで一二塁間に転がっていった。
「あっ!?」
しかし逆シングルで取ろうとした芹澤は処理を焦って打球を弾いてしまった。
「任せて!」
だが良い位置にいた河北が弾いたボールを収めると一塁に走る野崎の少し先に送るようにボールを投げて逢坂をアウトに取り、次の失点は許さなかった。
「た、助かったあ……。いきなりごめんね」
「他のチームの試合にいきなり一人で参加させられたら、緊張するよね。というか私も絶対しちゃうし……。だからあまり気にしないで!」
「うう……ありがとう。実はさっきから緊張しっぱなしで」
ファーストの秋乃とは勿論敵のチームで知らない人ばかりに囲まれて緊張していた芹澤は河北にフォローしてもらって気持ちがほぐれていた。
裏の攻撃を立ち上がりからコントロール良く投げ込んだ倉敷が高めのボールも混ぜつつ要所要所で低めに投じたボールを打たせてゴロアウトを重ね三者凡退で抑えきる。すると次の回の野崎もコントロールはまだピシッとはしなかったが、鈴木がボールを先行させないよう大雑把に低めに集める形でストレート中心の配球でリードし、フライアウト1つ・三振2つの三者凡退で切って落とした。
2回の裏、先頭の東雲がヒットで出塁すると野崎が送りバントで進めて1アウトランナー二塁。得点圏にランナーを進められても慌てることなくバッターに集中した倉敷はストレートを散りばめて永井を追い込み、膝下へのチェンジアップで勝負に出た。体勢を崩されながらも遅いボールに食らいついてバットを振り切った永井だったが、バッテリーの目論見通り低めに僅かに外したボールを打たされた形になり、打球の伸びが足りずレフトフライに倒れた。
(追い込まれてから変化球も警戒したのは良かったけど、振らされちゃった。もっとボールの見極めを正確に出来るようにならないと……!)
「あ……芹澤さん。思い切って追い込まれる前に打ちにいっても良いかも。今日の倉敷先輩、いつも以上に厳しいところ突いてくるから」
「いつも……がどんな感じか分からないけど、そうなんだ! 狙ってみるね」
すると打順が芹澤へと回ってくる。急遽試合に参加した彼女にベンチから緊張をほぐすように声援が飛ばされ、芹澤はくすぐったいような表情を見せてから右打席へと入っていった。
(守備よりはまだバッティングの方が自信あるし、このチャンス打つぞー!)
声援に乗せられるように気合いを入れて芹澤がバットを構える。そんな彼女への初球はインハイへの7割ストレート。
「うわっ!?」
「ボール!」
(ビックリしたあ。じっとしてても当たらなかったっぽいけど、避けちゃった)
これが内に外れると芹澤は思わず大きく下がって見送った。大袈裟に避けたことを照れるように打席に入り直した彼女に次のボールが投じられる。
(遠いかな……?)
「ストライク!」
(えっ! うそ……入ってるんだ。さっきのドーナツ沢山食べそうな子が言ってた通り、凄いコントロール。確かに追い込まれたらヤバい!)
アウトコース低めに放たれた7割ストレートがストライクゾーンから離れたように見えた芹澤だったが、実際は9分割の外低めを通過してストライク。先ほど永井が言っていたことの意味を肌で感じると、アドバイス通り追い込まれる前に仕掛けることにした。
(このピッチャー、速い感じはしないし。あたしでも打てないことはない! 多分! チェンジアップは怖いけど、思い切って届きそうなところに来たら、ストレートのつもりで振る!)
(……さっき加奈ちゃんからアドバイスを受けていたわね。仕留めたチェンジアップは警戒されているかもしれないわ。倉敷先輩、ここは……)
(分かったわ。コースより低めに抑えることを意識して……)
1ボール1ストライクからの3球目。投じられたボールが真ん中低めへと向かっていく。
(届く! いけっ!)
迷わず芹澤が振り出したバットは真ん中低めギリギリに投じられた全力ストレートを力強く打ち返した。
「センター!」
(よっし! ちょっと振り遅れちゃったけど、打ち返せた!)
捉えられた打球はあっという間に二遊間を越えて外野までぐんぐん伸びていき、芹澤は手応えを感じていた。
(させないにゃ!)
(えっ!?)
フライと言うには低い弾道の打球を内野に背を向けながら中野が追っていく。すぐに自身に迫りそのまま越えてしまいそうな打球に中野はランニングキャッチを試みた。
「ととっ……!」
すると勢い余ってフェンスネットにぶつかってしまうが慣れたグラウンドということもあって頭には入っており、背中から倒れて衝撃を抑えると、ミットを上にあげた。
「アウト!」
(うっそー……今の捕る?)
(ふぅ……最近の永井のおかげでこういう打球を処理するのにも慣れてきたからにゃ)
(思ったよりパワーのあるバッターだったわね。情報が無かったから慎重に高さを抑えておいて良かったわ)
芹澤のセンターフライによりスリーアウトチェンジ。無失点に抑えた中野たちが盛り上がっている一方、得点できなかったチームもムードが下がることなく、戻ってきた芹澤のバッティングを讃えていた。
「どんまい! 惜しかったね。今のは中野さんを褒めるしかないよ」
「うー……そうだね」
「ほら! 一回打ち取られたくらいで落ち込んでる暇なんてないよ。まずは守備に集中しよ!」
「わ、分かった! 頑張るよ!」
(大人になったら美人になりそうな子、思ったよりぐいぐい引っ張ってくれるなあ。でも、その通りかも!)
河北にミットを手渡された芹澤は気合いを入れ直して守備についたのだった。
すると試合は投手戦の様相を呈してくる。コントロールが落ち着いてきた野崎はパームを交えながら時には厳しく、時には力のあるボールを大雑把に投じて得点を許さなかった。一方の倉敷はというと、低めの制球が中心ではあるが高めも含めた四隅を積極的に使ってバッターに的を絞らせなかった。
「ストライク! バッターアウト!」
(やられたあ……!)
芹澤の2打席目は追い込まれるまでに決めきれず、アウトローに投じられたチェンジアップにタイミングを外されて空振り三振に取られていた。
(やはり秋大会が始まる前と比べてチェンジアップの制球が良くなっている気がするわ)
近藤は大会前に投げてもらった時よりコースを狙えるようになっていることに頼もしさを覚える。最近ストレートだけでなく変化球の制球も拘って練習している倉敷もまだ成果の出ないカーブに対し、チェンジアップは成果が出始めていることを感じており、充足した感情を覚えていた。
(しまった……!)
「アウト!」
回は進み、6回の裏。先頭バッターとして打席に立った芹澤は今度はチェンジアップを見せ球にアウトハイを突いたストレートを打ち上げさせられてしまい、ファーストフライに倒れた。
(うう……結局ノーヒットか……)
すると7回の表、体力が辛くなってきてもまだ余力が残っている野崎は序盤のような三振は取れないものの、低めのストレートを打たせて取り2アウトランナー無しの場面を迎えていた。そして右打席に立った阿佐田に対しても真ん中低め外寄りにストレートを投じ、これに力負けした阿佐田の打球は一塁線へのゴロになった。
「あっ!」
これまで周りのフォローもあってエラーを記録せずにきた芹澤だったが、一塁ベース手前でバウンドする前に捕るかバウンドした後ベースの後ろで捕るかの判断が中途半端になり、ゴロをファールゾーンに弾いてしまった。慌ててベンチ近くまで転がったボールを自分で拾いにいくが、その隙を強かについた阿佐田は二塁まで到達していた。
「うう……ごめーん!」
「いえ。気にしないで下さい。私も夏大会で同じようにエラーしてしまったこともありますし……」
(大事なのはその後……)
(野崎さん。これで終わりという打球をエラーされても、動じていないわ。……頼もしくなったわね。タイムをかけようかと思ったけど、いらないわ)
すると次に右打席に立った有原に対し、鈴木は初球から甘く入れば長打の危険もあるインコースへのストレートを要求した。そのサインに迷わず頷いた野崎はボールを投じる。エラーの動揺が大きく出るであろう初球に狙いを絞っていた有原はこのボールにバットを振り出した。
「アウト!」
(詰まらされた……!)
厳しく投じられたストレートに詰まった打球は浅いレフトフライ。打ち取られた有原は悔しそうでもあり、野崎の気持ちを強くぶつけられたようで嬉しそうでもあった。
7回の裏、そのピッチングに鼓舞されるように先頭バッターの九十九が一塁線に鋭いゴロを放った。秋乃は駿足を飛ばして深い位置での捕球を目指す。すると辛うじて打球に追いつけそうだった。
(捕ったらすぐ一塁に投げなきゃ……あっ!?)
しかし送球の焦りから伸ばしたミットは打球を収めきれなかった。その場に落ちるように転がるボールを慌てて拾った秋乃は一塁に入った倉敷に合わせるが、九十九の足が勝りセーフの判定が上がった。
(小麦でもエラーしちゃうことあるんだ……)
「ごめん!」
「仕方ないわ。今のはギリギリのプレーだったもの。それより切り替えて」
「うん!」
(それに今のはあたしがスタミナを気にして、ストライクを取りにいってしまった。九十九にそこを狙われた……反省するべきところがあったのはあたしも同じ)
ノーアウトランナー一塁。1点差を追う彼女達にとっては是が非でも追いつきたいチャンスに右打席に立った河北はバントの構えを取った。
(前の紅白戦でも九十九先輩を送ろうとしたことがあったな。あの時は打ち上げて送れなかった。打球が上がっても上がらなくても、まずは勢いを殺して転がすことを考えるんだ!)
インハイに投じられた全力ストレートにも動じず河北は当てたポイントがバットの芯より内側ながらも、勢いを殺してピッチャー前に転がした。
(転がされた! 倉敷先輩が捕れるけど、勢いが殺されてる。これじゃあ足の速い九十九先輩は刺せない!)
「一塁に!」
「ふっ!」
「アウト!」
ファーストやサードに捕らせるような高い技術のあるバントではなかったが、九十九の足を考えれば勢いさえ抑えられればたとえピッチャーに処理されても二塁は間に合わないという河北の判断は正しかった。近藤の指示で倉敷はファーストに送球し、河北はアウトになるも送りバントが成功して1アウトランナー二塁になった。
「ナイスバント〜。絶妙だったじゃん」
「ありがと。絶対に追いつこうね!」
「もち!」
このチャンスに右打席に立ったのは新田。彼女に対して倉敷は今の球威を気にして慎重になり、2ボール1ストライクとボールが先行する。
(狙いは1つ……外の入ってるストレート)
投じられた4球目はアウトコース高めへのストレート。バットを出そうとした新田だったが、振り出す前に止めてこれを見送った。
「……ボール!」
(あっぶな! 今の狙って高めに外した感じ? 咲ったら誘ったな〜!)
(美奈子なら絶対振ると思ったのに……。でも倉敷先輩のコントロールなら、悪くない選択だったはず。次のバッターは東雲さん……これ以上のボール球は投げられないわ。アウトコース低めに7割ストレートを……)
(それしかないわね)
高めに外されたストレートを新田は我慢して見送り3ボール1ストライク。後が無くなったバッテリーはアウトローへのコントロール重視のストレートを選択した。
(待ってました!)
外に張っていた新田はストレートを捉えると、右方向にゴロで強く打ち返した。
(うっ……これは、ギリギリなのだ!)
打ち返される前にそれとなく一二塁間に寄っていた阿佐田だったが予想以上に鋭い打球に焦りを覚えながら飛びついた。
(げっ)
(ふぃー……寄ってなかったら絶対追いつけなかったのだ)
「アウト!」
際どい打球だったが、ここは阿佐田の守備が勝った。ミットの先で掴み取ったボールを取り出しながら立ち上がり、三塁の方をチラッと見てから一塁に送球が為されて新田はアウトに取られる。阿佐田は試合中なので少し迷ったが、折角の当たりを止められ唇を尖らせる新田を見て彼女を指差し言い放った。
「にたっち! 今のは辛かったのだ! ファミレスでこっそり仕込んだタバスコを味見した時くらい辛かったのだ!」
「へっ?」
(確かに咲相手にわたしも仕込んだことがあるけど、ノーダメージだったなあ……じゃなくて。どういうこと?)
「……阿佐田先輩なりの気遣いなんでしょう。捕られてしまったけど今の貴女の打球は良かったわよ」
「ホントに!?」
「ええ。少しずつ練習の成果は出ている。落ち込むことはないわ」
「べ、別に落ち込んでないし……」
「そういうことにしておくわ。それと……貴女が外に絞った意図は分かってるわよ」
「……!」
ネクストサークルから出てきた東雲は新田と会話を交わすと右打席に入り、地面をならす。今のセカンドゴロで三塁に進んだ九十九を視界に収めた彼女は肩から余計な力を抜くように息を吐き出すと、バットを構える。
(たとえ抜けなくても進塁打を放つ意識が芽生えたのは嬉しいわ。これで2アウトランナー三塁。二塁と違い浅いヒットでも、些細なミスで進塁しても同点。自ずとかかるプレッシャーは増しているわ)
(正念場ね)
(コントロールだけでは抑えきれないかもしれない。倉敷先輩、体力はきついでしょうけど……)
(……! ワインドアップポジション……)
ランナーは三塁にいるがホームスチールは無いと踏み、2アウトということも踏まえて倉敷は腕を振りかぶった。セットポジションと比べて時間のかかる投球動作に九十九がリードを広げていくのが右投げの彼女の目に入ったが、バッター勝負に意識を向けていた倉敷は意に介することなく足を踏み込んでボールを投げ込んだ。体力を振り絞って膝下に投じられた全力ストレートに東雲のバットが振り出される。
「ストライク!」
(速さ以上の凄みを感じるストレート……。体力はもうほとんど残っていないはず。倉敷先輩は……気力で投げている)
空振りした東雲は気を引き締め直してバットを構えた。すると次に投じられたインハイへの内に外された7割ストレート、アウトハイへの高めに外された7割ストレートにも引っ掛からずに見送り、2ボール1ストライクとなる。
(今の2球は遅いストレート。そろそろ速いストレートが来るかしら。……!?)
腕が振り切られて投じられた4球目はチェンジアップ。全力のストレートを警戒していた東雲は速いタイミングでバットを振り出してしまう。
「ストライク!」
(ボールが先行したカウントで変化球を……。今までの近藤さんならストレートをゾーンに要求していたはず。やられたわね……。追い込まれてしまったけど、瀬戸際に立っているのは相手も同じ。最後まで食らいつくわ)
東雲は意識を切り替えて打席の立ち位置を下げ、速球であっても見れる時間を増やし、チェンジアップを簡単に振らされないようにした。2つの空振りで追い込まれてもチャンスを託された身として強い気持ちを保つ東雲に、味方としては頼もしいが対峙するバッターとしては厄介だと倉敷は感じる。
(東雲さん相手にはフルカウントになる前に勝負にいきたいわ。倉敷先輩、ここでもう一度……全力のストレートを)
(そのサインを待っていたわ)
近藤なりのリードに倉敷はしっかり首を縦に振ると、投げ急がずに縫い目に指をかけながら次の一球への集中を高めていく。そして心が熱く、頭が冷静になった瞬間。投球姿勢に入り、腕を振り切ってボールを投じた。
(アウトロー!)
アウトコース低めに投じられた全力ストレートに対し、とっさに振り出されたバットが弾き返した打球が右方向にライナーとなって放たれる。
「とりゃー!」
そしてファーストの頭上を越えようかというライナーに秋乃は足首をバネのようにしならせて跳ね上がり、伸ばしたミットは鋭い打球を掴み取った。
「アウト!」
(やった……!)
ゲームセット。結局初回の1点が決勝点となり、1-0で試合の幕が閉じられた。苦しいピンチもあったが投げきり、無失点で抑えきれたことに倉敷は小さくガッツポーズを取って喜びを表現した。
(……参ったわね。追い込まれてあんなストレートを投げ込まれてしまったら、素直に流すので精一杯よ)
出来ることはやり尽くしたがそれでも崩せなかったことは東雲に自分の打力をもっと高めたいという気持ちを抱かせてはいたが、今は素直に投げきった倉敷への賞賛で一杯だった。
試合の終わりとして互いのチームが一列に並び、球審を務めた掛橋先生の「礼!」が響くと、互いに「ありがとうございました!」と言いながら頭を下げた。今日はこれで練習終了となり、解散したみんなはベンチへと戻り一度休憩を挟んでいく。
「お疲れ、近藤」
「お疲れ様でした! 最初から最後まで凄かったです……!」
「何言ってんの。アンタのリードがあったからでしょ。確かしばらくは逢坂とバッテリー組むのよね?」
「ええ。逢坂さんが登板する時はマスクを被るように言われてます」
「アイツのことも今日みたいに引っ張ってあげてね」
「はい!」
倉敷が今日の試合でバッテリーを組んだ近藤に話しかけた頃、野崎も鈴木に話しかけていた。
「和香さん。お疲れ様でした」
「お疲れ様。負けてしまったのは残念だけど、今日のピッチングは良かったわよ。特にストレートがいつもより伸びていたように感じたわ」
「本当ですか!? 嬉しいです」
(図書室で調べた限りでは、ストレートはフォーシームとも呼ばれていて……縫い目が最も通過して空気の流れを受けやすいフォーシームは揚力が働きやすい。ストレートがどうして浮くように感じるのかが分かったおかげで、投げる時にイメージしやすくなった気がします。高坂さんはこのことを伝えたかったのでしょうか……?)
結果として負けてしまったが、投球内容は悪くなかったと鈴木は感じていた。手応えが少なからずあった野崎はそのことをちゃんと言葉で伝えられ、嬉しさと安堵が混じったような笑みを浮かべた。
「小麦ー。最後凄かったね!」
「ありがとー。ねえ、むすびもこの後練習していく?」
「あれっ。確か今日はこれで練習終了だって……」
「自主練だよ〜」
「あー、そういうことかあ。でも結構疲れちゃったしなあ……。小麦は何の練習するつもりなの?」
「守備練習! りょーやつばさにノックしてもらうの!」
「えー? 小麦あんなに守備上手いのに?」
「今日エラーしちゃったから……」
「でも最後ファインプレーでミスを帳消しにしたじゃん。そんなに気にしなくても……」
「気にする。だって……もっと上手くなりたいもん」
「……! 小麦……」
グラウンドに戻っていく小麦の背中はそんなに距離があるはずないのに、芹澤の目には遠くにあるように映った。
(小麦……だけじゃない。みんなまで……。……なんであたしは気づかなかったんだろう。同じ新設校で勝ち残る里ヶ浜と一回戦負け続きのうちの違いを偵察に来たのに。実践的なのが多い気はするけど、普段の練習量はうちとそんなに変わらない。けど里ヶ浜は……みんな自主的に残って練習しているんだ。もっと……上手くなりたいから)
規定の練習が終わっても残って自主練をする里ヶ浜の面々。最初から全員がそうしていたわけではなかった。初瀬の特訓をきっかけに段々と残って練習する人が増え、今は全員が残って練習するようになったのだった。
(さっき試合前に聞いた小麦の話……あの時、気付くべきだったのかな。練習をこなしていたら次第に上手くなる、ってことだけじゃない。上手くなりたくて貪欲に練習したってことを……。そこまで頑張る理由は……)
「……あっ。むすびー! 一緒にやる?」
「うん!」
自主練に参加したいという芹澤をみんな快く受け入れ、ノックが再開された。するとしばらくしてから野手より長く休憩を取っていた倉敷や野崎もファーストとして合流する。
「ねえ、ちょっといい?」
「は、はいっ」
(わっ、雨の降る裏路地で子犬撫でてそうな人に話しかけられた。何の用だろう……?)
すると倉敷が芹澤に話しかけた。そのことに驚いたのは芹澤だけでないようで、ファーストを守る他の2人も興味深そうに聞き耳を立てていた。
「確かアンタ、さきがけ女子の子よね」
「そうです。キャプテンやってます!」
「聞きたいんだけどさ、秋大会の界皇との試合……初回に6失点した後。1点ずつしか取られなかったでしょ。あたしはあの打線が少しでも気持ちが乱れてたら抑え切れないことを知ってる……。気持ちが切れてもおかしくないのに、なんであそこまで戦い抜けたの?」
「……そのことですか。ん……小麦もいるし、いっか。それは前に界皇と同じくらいのチームと練習試合した時のことを繰り返さないようにしようって思ったからなんです」
「界皇レベルのチームと練習試合を……」
「あはは……といっても戦ったのは三軍なんですけど。そこと戦った時、打ち込まれちゃって凄い点差がつけられちゃったんです。しかもあたしがエラーしちゃって……その時、黄色いクルクルの人に凄いバカにされたのがきっかけかな」
(界皇と同じくらいのチームにいる黄色いクルクルの人……。も、もしかして……)
他の二人はまだピンと来ていない様子だったが、一緒に聞いていた野崎は黄色い髪でツインテールの先が巻いている人物がすぐに浮かんだ。
「向月の高坂さん……ですか?」
「およ? よく分かったねー。そうだよ。向月の三軍と試合してたんだ。さすがの向月でも三軍の試合相手には困ってるみたいでさ。あっちから来て試合申し込んできたんだ」
「アンタ達もやったのね……」
「えっ。小麦たちも……?」
「秋乃はまだいなかったわ。高坂は有原の握手もシカトするし、失礼なやつだったわね」
「そうですよね! あたしも試合始まる前に握手しようとしたら無視されました!」
(……確かに高坂さんはいささか失礼なところがあって、そこは悪いところかもしれません。ですが高坂さんは言われる側が何か悪いことをしていなければ、酷いことは言わないはずです……)
「その……もしかしたら、ですけど。先に向月に対して酷いことをしてしまったのではないでしょうか……?」
「ゆうき!?」
「……うん。その通りだよ。さっき言った通りエラーしたんだけど、あたし達は……ヘラヘラ笑ってたんだ。ボロボロに負けてたから諦めちゃってたんだよ」
「……その姿勢は良くないわね。どんな実力差があっても、諦める理由にはならないわ」
「はい……。今はあたしもその通りだと思います。こーさかって子に馬鹿にされた後、ちょうど三軍に調整のために降りてきたサウスポーの子に……あれ?」
「どうしたんですか?」
「いや、そういえばその子に似てるなーと思って」
「えっ……!?」
(もしかして……)
似ていると言われた野崎の頭にある人物がよぎる中、芹澤はその人物に言われたことを告げた。
「それでその人に『すみません! すみません! 椿ちゃんの失礼な物言いは本当に申し訳ないです……。けど、言った内容はその通りだと思います。勝負の場に出ているのにそんな態度を取られるのは試合と、そして名門向月のことを舐めているってことですよ』って言われてね……」
(少し引っ込み思案だけど、芯の強い
「突きつけられてさすがに目が覚めたよ。あたし達は努力が足りないのを認めたくなくて誤魔化してただけだったんだ。そんなんだから勝てるわけなんてなかったんだって。だからあたし達はあの大敗した練習試合からもっとトレーニングを積んで、最後まで諦めずに戦おうって思ったんだ」
「なるほどね。だから界皇相手にあれだけの点差がついても、気持ちを切らさずに全力を尽くせたのね」
「はいっ! 正直絶望的だったんですけど、諦めるのは界皇にも……勝つためにトレーニング頑張ってきたあたし達自身にも失礼かなって思ってガッツで戦いました! ……けど一回戦敗退が続いて、さすがに落ち込んだんです。キャプテンとしてあたしは選手じゃなく、チームを支える方に回った方が良いんじゃないかって。でも今日ここに来てよかった……」
「どうしてー?」
「小麦たちのおかげで気づけたんだ。好きって気持ちだけじゃどうにもならないことはあるけど……好きって気持ちが上手くなるための第一歩なんだって、そう思えたから!」
「そっか! 小麦もね。野球好き! だからもっともっと頑張る!」
「よーし! あたしも負けないぞー!」
こうして自主練は日が暮れるまで続けられた。ノックを弾いてしまうことの多い芹澤だったが、下手なところを見られるのが嫌だとはもう感じず、周りのプレーも参考にしてそのミスを一つずつ減らしていきたいと思ったのだった。
「みんなお疲れ! 芹澤さんも!」
「あ、キャプテンさん」
「キャプテンさんなんて……有原でいいよー」
「じゃあ有原さんもお疲れ様! 今日は色々ありがとね!」
「こちらこそありがとう! もう日が暮れちゃったけど大丈夫?」
「あ、大丈夫だよ。距離はあるけど電車で1時間くらいで帰れるから」
「そっか、良かった。それでね。相談なんだけど……今度うちと練習試合しない!?」
「大歓迎です! 練習試合してくれるところ少なくて困ってて……」
有原が期待を乗せるように両腕をくの字に曲げて近づき練習試合の申し込みをすると芹澤も願ったり叶ったりと迷わず受け入れた。それを聞いた秋乃は翠色の瞳を輝かせた。
「えっ! むすびのとこと試合するのー!?」
「うん。もっと色んな相手との対戦経験を積みたいって東雲さんと話してたんだ」
「やったー! むすびと試合、楽しみー!」
「あたしも! 試合までにたっくさん練習してくるからね!」
こうして里ヶ浜とさきがけ女子の練習試合が行われることが決まった。まだ日程は決まっていないが秋乃も芹澤もその日を楽しみにし、野球が好きな気持ちを競い合うように、彼女たちはそれぞれの場所で練習に励むのだった——。