秋も深まり、紅葉して綺麗に赤く染まった楓が今は落ち葉となって学校からひまわりグラウンドに向かう道を彩り出した。慣れ親しんだ道の変化を楽しむようにして通ってきた彼女たちは今日も練習に励む。少しずつでも上手い自分に変わっていくために。
「りょー!」
一塁線に鋭く放たれたゴロを左手に嵌めたミットを伸ばしてベースの後ろで掴み取った秋乃はそのままミットを押し出すようにしてグラブトスを行う。送球としては強くはなかったが近い距離で緩やかな軌道のボールを受け取ったピッチャーの東雲が一塁ベースを踏み、ノックと同時に走り出した中野をアウトにしていた。
「秋乃さん、良い動きだったわ。今みたいにバッターの足が速くて近い距離ですぐに送球が必要なら、グラブトスは最適と言っても良いわ。コントロールが難しいから無茶は禁物だけど、出来るに越したことはないわよ」
「えへへー。褒められちゃった」
「最近、特に気合いが入ってるわね」
「むすびのチームと試合出来るのが楽しみなんだよー。身体がボーッと燃えてて、やるぞーってなってるの!」
(個人的な理由もあるみたいだけど、練習試合が刺激になっているようで良かったわ)
やる気を出しているのは秋乃だけではなかった。大会が終わり、足りなかったものを埋めようと練習を重ねる彼女たち。しかしすぐに成果が出るようなものばかりでなく、遠く大きな目標を追いかけている状態だった。それが近い日に行われる練習試合で練習の成果を出し切り勝つという目先かつ明確な目標が生まれ、高い士気を保って練習に取り組めていた。
「咲ちゃん、今の良かったんじゃない!?」
「うん。高さも球速も完璧だったわ。このボールがずっと来たら無敵ね」
「無敵……!? アタシに相応しいわね。もう一球いくわよ!」
ピッチャーの練習を本格的に始めて1ヶ月が経った逢坂。最初は思うようにいかないことばかりだったが、近藤に協力してもらって投げ込みを続けていくうちに少しずつピッチングが改善されていくのが分かった。ミットに良いボールを投げ込むたびに得も言われぬ快感が押し寄せる。今の彼女はエースになるという目的だけでなく、ピッチャーそのものの魅力に惹かれていた。
「……そろそろ逢坂さんも変化球の練習を始めても良いかもしれないわね」
「えっ!?」
逢坂がストレートを30球ほど投げ込んだ頃。ショートバウンドで跳ね上がったカーブをミットに収めきれず、プロテクターに当てて前に落とした鈴木がボールを拾いながら、様子を見て言おうと思っていたことを提案した。
「投げても良いの!?」
「土台のストレートがしっかりするまではって話だったし、私も良いと思うわ。最初に比べたらだいぶ良くなったもの」
「やったー!」
「何を投げさせるのかは決まってるの?」
「いえ、まだですね」
「はーい! はいはーい! アタシ投げたかったボールがあるの! 可愛いアタシにピッタリの名前も考えてたんだから!」
「ちょ、ちょっと逢坂さん。勝手に決めちゃ……」
「……良いんじゃない。変化球は投げる本人とのフィーリングもあるから、とりあえず試してみれば」
「さっすが舞子先輩! 話が分かりますね!」
「へえ、そうなんですね……。そういうことなら、逢坂さんの感覚に合わせるのが良いのかも」
(サイドスローに相性の良いカーブやスライダーを試してもらおうと思っていたのだけれど……確かに倉敷先輩の言うことにも一理あるわね)
「そういうことなら……どんなボールが投げたいのかしら?」
「よくぞ聞いてくれました! アタシが投げたいのは……」
逢坂は一歩踏み出して言葉に合わせるように大仰な身振りをすると、最後は満面の笑顔にピースサインを添えて発表した。
「プリティボールよ!」
(プリティ……? そんな球種、あるわけない……わよね?)
「……いや、聞きたいのは命名した方じゃなく一般的なものよ」
(良かった。そうよね)
(アタシだったら絶対付けないネーミングね……)
改めて正式な球種を逢坂が伝えると、鈴木は少し不安げな表情になった。だが倉敷の言う通り兎にも角にも試してみようということになり、逢坂がそのボールを投げてみる。しかし思うような変化にならなかった。他のボールを試そうという話になるが、逢坂は諦めなかった。その熱意に負けて、模索が行われる。色々試していくうちにリリース時にストレートより手首を上方向に立てる方が投げやすいことが分かった。また握り方も工夫して少しずつ変えられていく。最終的に最初はボールの下側を支えていた親指を横側に持っていった。その際、僅かに人差し指と中指の位置にもズレが生まれる。そうしてようやく投げられたボールが予想以上の変化をし、彼女はこのボールをハイパープリティボールと名付けたのだった——。
各々が課題に向き合い、充実した練習の日々を過ごしていった。そしてさきがけ女子との練習試合を明日に迎えた土曜日。里ヶ浜は秋大会を終えてから初めて清城との練習試合を行っていた。彼女たちをひまわりグラウンドに招いて行われている試合は先発した野崎が初回の立ち上がりを突かれて神宮寺と牧野の連続タイムリーで2失点を喫していた。
(くっ……。してやられましたね)
「アウト!」
5回の表、追加点のチャンスを迎えていた清城だったがクロスファイヤーを見せ球に外低めに投げられたパームにスイングが泳いだ神宮寺がピッチャーゴロに倒れて攻撃が終了する。5回の裏、野崎のピッチングに応えようとする打線だったが、温存していた高速スライダーを中心としたリードに切り替えた牧野の機転と神宮寺の力投の前に得点を上げられず。試合は双方チャンスを作るも互いのピッチャーが粘りを見せて初回以降得点が入らずにいた。
(クロスファイヤーで仕留めるために、浅いカウントでは外に集めてくるはず……!)
(しまった。読まれた!?)
6回の表、鈴木のリードを読み切った牧野が外のストレートを流してライト線を抜くツーベースで出塁すると、次のバッターがセカンドゴロで倒れる隙に三塁へと進んだ。
(クロスファイヤー!)
1アウトランナー三塁のチャンスに右打席に入った7番バッターが内のストレートを弾き返す。
(だあっ。ホームラン打とうと思ったのに……)
(還れる!)
内のストレートに詰まらされながらも外野へと運んだフライは駿足の牧野には充分な飛距離があった。両投手の粘り合いの末、次の1点を手にしたのは清城。犠牲フライにより入った3点目の大きさは否応なく感じられた野崎だったが、気持ちを切り替えて後続を断ちこれ以上の点は許さず。しかし追加点の勢いは断ち切らせんとばかりに裏の攻撃を神宮寺が三者凡退で抑えきる。
(膝下……際どい! 手を出さなきゃ……!)
7回の表のマウンドに上がったのは倉敷。慣れないリリーフだったがコントロールが大きく乱れることもなく、先頭バッターをサードゴロに打ち取る。左の速球派の野崎との違いに戸惑うバッターはなんとか対応しようとバットには当てたが、厳しいコースを打ち返した打球は野手の届くところに飛んでいた。調子良く次のバッターをアウトハイに外したストレートを打たせてライトフライに抑えた倉敷はさらに左打席に迎えた2番バッターを早々に追い込んでいた。
(このままリズム良く裏の攻撃にいかせない。その方が神宮寺さんも抑えやすくなるはず……)
「ファール!」
しかし追い込まれてから短くバットを持ち直し外に踏み込んだ構えに変更したバッターが軽く振ったスイングで際どいボールをファールにしつ続け、粘りを見せていた。それならばとインハイに投じられた全力ストレートも対応され、バックネット方向へのファールとされる。
(その手はもう食わないよ。これとチェンジアップに気をつければ、バットに当たらないことはない。粘ってるうちに甘く入ろうもんならいただくよ……)
(……2アウト、ランナー無し。インハイのボールも振らせられた。貴重な実戦の機会……試してみましょうか)
(……! ……分かったわ。投げ込んでみせる)
2ボール2ストライクからの8球目。鈴木が両手を広げてからど真ん中にキャッチャーミットを構えると、倉敷は息をゆっくり吐き出し、意を決して投げ込んだ。
(甘い!)
真ん中付近に放たれたボールに振り出されたバットは空を切った。
(えっ……!?)
「アウト!」
(ふぅ……投げ込めたわ。今はコースも考えずにワンバウンドさせるのが精一杯ね)
投じられたカーブが縦に落ちるように曲がるとホームベースを過ぎたところでバウンドしたボールを鈴木はミットを下に向けるようにして押さえ込み、ボールを見失ったバッターの背にタッチして最後のアウトを取った。倉敷はまだストレートのようにとはいかないがひとまず思ったように制御出来たカーブに手応えを感じると、鈴木と言葉を交わさずにミットを重ねたのだった。
(来たっ。外のストレート!)
7回の裏、里ヶ浜最後の攻撃。最終回に来てもスタミナの残る神宮寺に2アウトランナー無しと追い込まれていたが、疲れによる微妙なコントロールのずれに苦労して3ボール1ストライク。右打席に立つ新田は思い切って外のストレートに絞ると、これが見事に的中した。捉えた打球は一二塁間に転がっていく。
「抜けたーっ!」
(よっしゃ……!)
勢いのあるゴロは飛びついたセカンドの先を抜けていき、ライト前へのヒットになった。ベンチから「ナイバッチー!」と揃えて飛ばされた掛け声に新田は拳を上げながら大きな達成感を味わっていた。
(外れてる……いや、入ってくる!)
(……! 反応された!?)
続いて右打席に入った永井に投じられた初球は外からバックドアで入ってくるシュート。これに反応した永井は見逃すことなくバットを振り切った。すると痛烈な打球音が響き渡る。
(嘘でしょお……。そんなに伸びる!?)
センターに向かって真っ直ぐと伸びていった打球は追いかける彼女の頭上を越えていき、バウンドしてすぐフェンスネットに当たった。衝撃が吸収されて転がる遠いボールにようやく追いついたセンターは二塁へと送球を行った。足の速くない永井だったが、定位置にいたセンターが処理するには時間がかかる打球だったこともありタッチプレーに持ち込まれずに二塁を陥れた。そして……
「加奈子ー! ナイバッチ!」
2アウトで迷わずスタートを切れた新田がホームに到達し、里ヶ浜は1点を返した。自分の走塁より永井のタイムリーを喜ぶように頭の上で両手を大きく振る新田に、永井は照れながら右手を振ったのだった。
「やはり易々と終わらせてはくれないようですね」
「うん。けど、まだ2点差あるよ。ランナーはあまり気にせず、バッター集中でいこう!」
「ええ。全力を尽くし、最後のアウトを奪い去りましょう」
ホームのカバーに入っていた神宮寺が牧野と僅かな時間言葉を交わすと、マウンドへと戻って汗を拭い帽子を被り直した彼女の目に怯えはなく、迎え撃つ側ではあるがまるで挑戦者のような不屈の精神を抱いていた。
鈴木の代打に送られた有原に投じられた初球はアウトコース真ん中へのストレート。これが外に外れると2球目として投じられたボールに有原はバットを振り出す。
「ファール!」
(しまった……! シュートを振らされちゃった……)
(追いかける側というのは打ち気が逸るもの。ボールが先行していれば尚更……。有原さんほどの好打者といえど、振ってくれると思っていましたよ)
ストライクゾーンからボールゾーンに変化していく膝下のシュートを振らされてしまい1ボール1ストライク。二塁ランナーはさほど意識せず、神宮寺は次の一球に力を込めてボールを投じた。
(うっ!)
「ストライク!」
「ナイスボール!」
神宮寺が投じた全力のストレートが決まったのは先ほどシュートが投げられたのと同じ膝下。振らされたことがよぎって迷いが生まれた有原はこれを見送ってしまい、ストライクのコールが上がった。
(やられた! 手を出せなかった……)
「どんまいよ翼ちゃん! 次に集中よ!」
(ここちゃん。……うん!)
(……牧野さん。焦らずいきましょう)
(……! ……分かったよ。小也香)
宇喜多の代打としてネクストサークルに座る逢坂から声をかけられた有原は集中した面持ちでバットを構え直した。彼女の顔つきや構えを見た神宮寺は一度牧野のサインに首を振る。その意図が伝わった牧野は別のサインに切り替えてミットを構えた。
「ファール!」
インハイに投じられたストレートは僅かに高かったが見逃す余裕はなく、有原がとっさにバットを振り出して放った打球は高く打ち上がったのちにバックネットに当たりファールとなった。
(まだストレートに力がある……さすが神宮寺さん)
(……今度こそ、仕留めよう)
(ええ。決めてみせましょう)
1ボール2ストライクから5球目が投じられた。外に投じられたボールに有原はバットを振り出す。
(……! スライダー! 届いてっ!)
投じられたのはスライダー。それに気づいた有原は食らいつくようにバットを伸ばす。
「ストライク! バッターアウト!」
しかし一見入っているが、その実ボールゾーンにまで変化した曲がりの大きいスライダーは有原のバットの先を通過し、バウンドするかしないかのスレスレで構えられた牧野のミットに収まった。最後は自身の決め球を理想的なコースに投げ切った神宮寺に軍配が上がり、ゲームセット。
「礼!」
「ありがとうございました!」
3対1で清城の勝利が宣言され、対面して並びあった両校の部員が互いの健闘を称え合うように大きな声で礼を発して練習試合は幕を閉じた。
そして大会を経て互いに積もる話もあるだろうということで、近くのアミューズメント施設で打ち上げが行われることになった。
「改めてお疲れ様。神宮寺さん」
「河北さんに有原さん。お疲れ様です」
目的地に向かう道中で河北と有原が小走りで神宮寺に近づき、話しかけた。それに気づいた神宮寺が止まって待つと、追いついた彼女たちと共に歩き始める。
「お疲れ! 最後はやられたよ! 今度やる時はリベンジするからね!」
「楽しみにしています」
「それにしても本当に凄かったよ。ベンチから見てても、前より凄みがあったっていうか……」
「そう見えましたか。……今回の大会河北さんとの約束を果たせなかったのは残念でしたが、向月と界皇と公式戦を行えたことは良かったと思っています」
「えっ! 清城の組み合わせ、大変なところだなって思ってたけど……」
「確かに大変でした。しかし彼女たちと真剣勝負を行ったことで、名門の高みがどれほどのものなのか。それを突きつけられたような気がしたのです」
「そっか。名門清城の復活が神宮寺さんが廃部寸前の野球部を復活させた理由だもんね……」
「ええ」
三人で話していると、着物を纏って千歳飴を手にしている小さな子供とすれ違った。
「里ヶ浜と初めて試合をした日がついこの前のようにも感じられます。しかし時が流れるのは早く、もうこんな時期です」
そんな子供を目で追った神宮寺は胸の奥に秘めた使命感をより強く感じていた。
「掲げた目標の高さはよく分かりました。ならばそこへ邁進するのみです」
「神宮寺さんらしいね」
「だね!」
彼女の決意を聞いて、二人は同じ感想を抱いていた。
「私たちも頑張らないとね! まずは明日の試合から!」
「明日は別の高校と試合をするのですね」
「うん! さきがけ女子とやるんだ。……あ、そうだ! 良かったら、清城のこと紹介するよ!」
「よろしいのですか? 確かに試合相手は不足しているのですが……」
「大丈夫だよ! あっちも試合するところ少なくて困ってるって言ってたし、それに前に明條のこと紹介してくれたお礼!」
「ではご厚意に甘えさせていただきます」
「分かった! 明日話を通しておくね」
そうして話しているうちにアミューズメント施設に辿り着いた。カラオケ・ボーリング・ゲームセンターなど複数の娯楽を備えており、それぞれが行きたい場所に分かれて行動することになった。
「……だから外に投げるとしても低めに外してゴロを打たせるのに使うのが有効だと思ったわ」
「なるほど……。確かに小也香のシュートはスライダーほどの変化はないし、バックドアで使うのは控えた方が良いのかも。アドバイスありがとうございます」
鈴木と牧野はゲームセンターに向かいながら、キャッチャーとして気づいた意見を交換しあっていた。
「……野崎さんの軸になるのはストレートですから、立ち上がりが悪いとどうしても狙われやすいと思うんです」
「そうね……。大会ではリリーフ中心の起用になったから、とにかく経験を積ませていきたいわ」
「それが良さそうですね。……あ、それとあの曲がりの大きいチェンジアップは緩急を使って空振りを狙える球で良いと思うんだけど、ストレートに絞りにくくなるシュートやカットボールみたいな球種があると相手はもっと嫌かも」
「……確かにね。ありがとう。考えてみるわ」
相手チームから見た情報というのは貴重で、お互いに耳を傾けてその言葉を真摯に受け止めていた。すると彼女たちの耳に楽しそうな音楽が聞こえてくる。
「花〜。ゲームセンターに来たことないって前に言ってたよね?」
「うん。私の地元、こういう所無かったから……」
「じゃあまずは直感的に出来るゲームから紹介するよお! ほら、こっちこっち!」
息抜きも兼ねているのだからたまには目一杯遊ぼうと友人が牧野を誘った。手を引かれ牧野たちが連れてこられたのは縦長のスクリーンに1〜25までの数字が始まるごとにランダムに配置され、それを小さい順にタッチしてそのタイムを競い合うものだった。
「うーん。どう……かな?」
「おー! 初めてにしては速い方だよお」
「ほんとに? やったぁ……!」
最後の数字に触れると掛かった時間が表示された。そのタイムに友人が目を見張ると、牧野は微笑みをこぼして無邪気に喜ぶ。次に友人が全体をぼんやりと見るようにして次々と押していき、さらに速いタイムを出していた。すると一緒に来たみんなで競い合う流れになる。隣にいた阿佐田が勝負の匂いを嗅ぎつけて飛び込んでいく中、抜きんでたタイムを出した彼女の動きを注視していた九十九は腑に落ちた様子だった。
「なるほど。周辺視野ですか」
「え?」
「周辺視野……ですか?」
「ええ。視野は中心視野と周辺視野に分けられるんです」
彼女がポツリと漏らした言葉に、我先にと挑戦しにいくみんなの様子を後ろから窺っていた河北と鈴木が反応した。初めて聞いたような反応をした後輩二人に九十九はどう説明したものかと思案する。
「……そうですね。では……視野というのは目を動かさずに見える範囲を指すのですが、彼女たちは数字を目で追っていますよね」
「ええと……確かに目で追ってますね」
「ですが、普通はそうするのではないのでしょうか?」
「ほとんどそうしているみたいですね。ただそれは……目を動かさずに見る一点を固視点と言うのですが、固視点を中心に約三十度の範囲が中心視野と呼ばれていて、この範囲で見ると解像度が高く細部まで判別しやすいからなのです」
「つまり判別しやすい範囲に数字を捉えるために目を動かしているわけですか」
「ええ。周辺視野は逆に解像度が低く大まかな動きの判別になるのですが、中心視野を除いた範囲を捉えているので……」
「そこで捉える力が優れていれば、目で一々追わなくても良いってことですか?」
「そういうことですね。実際、速いタイムを出された方は一点を見つめたまま目を動かしていませんでした」
(あの子はセンターの……。なるほどね。以前の試合で漏らしていた秘密というのはこのことだったのね)
九十九の話を聞いて清城のセンターに初見のスライダーに反応されてスリーベースヒットを打たれたことを思い出した鈴木はようやく合点がいったようだった。すると三人の前から歓声が上がった。
「うそ……私と同じタイム!?」
「ほほう。あおいと引き分けとはお主も中々やりおるのだ」
「悔しいなあ。これだけは自信あったのにぃ……。やりこんでた口ですか?」
「初めてやったのだ。結構面白かったのだ!」
「えっ……!」
(引き分けじゃない。初めてで同じなら、やりこんでた私の負けだ……)
競い合っていたみんなが上げた歓声は速いタイムを叩き出した阿佐田によるものだった。同タイムを出された女の子が悔しそうにする中、先ほどの九十九の話を聞き今の光景を見ていた河北は不意に閃いた。
「あっ! そっか……! あれってそういうことだったんだ!」
「あれ……ですか?」
「気がつくと打球が飛ぶところにいる阿佐田先輩が不思議で、前に聞いたことがありましたよね。確かその時の答えが……」
「ボールが投げられてからホームベースの方をぼんやり見ると、飛ぶ場所が分かる瞬間がある……でしたね。なるほど。今のを見るにあおいは周辺視野が優れているようですし、中心視野で判断している者より素早く判断を行えるというのは、言われてみれば道理な話ですね」
「そうですね……! 九十九先輩、周辺視野って鍛えられますか!?」
「ええ。勿論。動体視力のように眼の機能は鍛えられますよ」
「そうなんですね! やった……!」
他のみんなの挑戦が落ち着くと、彼女もそのゲームをやってみる。最初にやった牧野より遅いタイムに一瞬落ち込んだが、同時にそれは彼女のやる気にも繋がった。
(やっぱり。これじゃあぼんやりと見て守ろうとしても、出来ないはずだよね。でもそれなら鍛えよう! 同じように1〜25が書かれた紙を用意して、翼に協力してもらってランダムに並べてもらうんだ。目を動かさずに小さい順から判断する練習をやっていこう! 最初は今みたいに遅いだろうし、すぐに何とかなるものじゃないかもしれないけど……)
河北は神宮寺の横顔をチラッと見ると、拳を握り締めて顔を上げた。
(邁進するのみ! よぉーし……やるぞー!)
抱いていたモヤモヤは消え去り、河北は晴れやかな表情を浮かべたのだった。
そして翌日。何度か来ている芹澤の案内でさきがけ女子の部員がひまわりグラウンドへと到着した。再会に喜んで両手を振る秋乃に同様に嬉しかった芹澤も両手を振ると、ハッとした表情を浮かべてわざとらしく咳払いをして仕切り直し、キャプテンとしてみんなに号令をかけた。
「れ、礼っ!」
「よろしくお願いします!」
グラウンド入りする前に一列に並んださきがけ女子がややバラバラながらも元気よく挨拶をすると、里ヶ浜も挨拶を返して彼女たちを迎え入れたのだった。
「そっかあ。むすびはベンチなんだ……」
「うん。あたしなりに上手くなりたかったからさ。自主練とかやり始めたんだけど……みんなも一緒にやりだしちゃったんだよね。勿論嬉しかったけど」
一回戦負けが続いていた彼女たちは何かを変えなくてはいけないと感じ始めていた。そんな中でキャプテンである芹澤が始めた自主練に触発され、他の部員も自主練を始めるようになったのだった。
「ううー……そうなんだ」
「でもそのおかげか最近少しずつ上手くなってきてるって、あたしだけじゃなくてみんなもそう感じてきたんだ。だから……なんていうのかな。スタメンに選ばれなかったのは残念だけど、悔いは残さなかったよ」
「そっか。むすびがそう思うなら、小麦ももうしょんぼりしない!」
「そうそう。小麦は元気な方が似合ってるよ。けど、今日は勝って自信つけさせてもらうつもりだから! 覚悟してよ〜?」
「うん! 小麦たちも精一杯勝ちにいくよー!」
「望むところ! じゃ、またあとで!」
試合前に話をする秋乃と芹澤。相談を受けていたとはいえ今日の試合を楽しみにしていた分、芹澤がスタメンを外れたことを秋乃は残念そうにしていた。だが芹澤の気持ちを正直に伝えられ、秋乃も元気を入れ直した。そして互いに勝利への姿勢を見せると、背を向けてそれぞれのベンチへと戻っていったのだった。
「みんな、集まって! オーダー発表するよ!」
秋乃がベンチに戻ってくると有原がみんなに声をかけていた。全員が集合したことを確認した有原はオーダー表を広げ、それを読み上げる。
「1番ファースト、秋乃小麦!」
「はーい!」
(久しぶりの1番だ! むすびたちとの試合、気合い入れるぞー!)
「2番センター、中野綾香!」
「はいにゃ!」
(心臓がドキドキしてる……落ち着くにゃ。練習でしてきたことを出せばいいんだにゃ)
「3番ショートは私、有原翼です。そして4番……」
有原に期待の眼差しを送る者がいた。すると発表しようとした有原と目が合った。
「ピッチャー、逢坂ここ!」
「……! はい!」
(来たあ……希望通してもらえた! 翼ちゃんが昔から慣れてる3番を希望してたのもあるかもだけど、チームの4番を任せられると思ってくれなきゃ選ばないわ。エースで4番として活躍してやろうじゃない!)
「5番ライト、九十九伽奈!」
「はい」
(……! 伽奈先輩が後ろ……!?)
(秋大会では1番や2番での起用でしたが、5番ですか。足の速い秋乃さんや中野さんをそこに起用したことも踏まえると、より繋がる打線を模索しているのでしょうね。私はクリーンナップとしての仕事を果たせるよう尽力しましょう)
「6番セカンド、河北智恵!」
「は、はいっ!」
(翼とスタメンから二遊間を組むなんて久しぶりだな。でも練習では翼の動きにもついていけるように意識してやってきたんだ! 緊張はしちゃうけど……精一杯今出来ることをやろう!)
「7番レフト、岩城良美!」
「おう!」
(紅白戦以来の実戦だな。ウチは伽奈に比べると守備がまだまだだからな……紅白戦と同じく、この試合も守備を大事にしていくぞ!)
「8番キャッチャー、近藤咲!」
「はい……!」
(逢坂さんは初先発だし慣れないことも出てくるはず。私がしっかり支えになってみせるわ)
「9番サード、初瀬麻里安!」
「……はいっ!」
(……鼓動が身体に響いてくる。でも、不安のせいでは無い気がします。これは……期待、かもしれません)
「一塁コーチャーは宇喜多さんに、三塁コーチャーは倉敷先輩にお願いします」
「はいっ」
「分かったわ」
「逢坂さん。この試合、私はリリーフに回るわ。だから今日は後のことを気にせず投げてちょうだい」
「任せて! 龍ちゃんの出番無くしちゃうくらい頑張っちゃうんだから!」
東雲が逢坂に声をかけ終えると、キャプテンとして伝えるべきことを全て伝え終えた有原は頬を両手で軽く叩いた。表情が和らいだ有原は河北と東雲と肩を組むと、ベンチメンバーも含めた全員で円陣が作られる。
「みんな! 試合、楽しんでいこう!」
有原の言葉に全員がそれぞれの言葉で返事をした。言葉こそ十人十色だったが、混ざり合った返事は不思議と心地よく響いていた。
「みんな! ガッツでぶつかっていくよ!」
「おー!」
さきがけ女子も円陣を作っていた。芹澤の号令に合わせて腹の底から声を出した彼女たちは気合いの入った鋭い眼差しを里ヶ浜に向ける。
「プレイボール!」
こうして里ヶ浜とさきがけ女子の練習試合の幕が切って落とされたのだった。