厳しく練習を重ねた合宿も、なんだかんだで気がついてみればもう最終日となっていた。麻子の心の中には、今まで感じたことがなかった感情が芽生えていた。
「(楽しかった……純粋にそう思ったのは一体いつの頃だったでしょうか)」
麻子はそう自分に問いかけた。詳しい年数などは自分でも忘れてしまったため答えられなかったが、しかし少なくとも、鉄火場に入ってからはそういった感情が芽生えることなどなかったのは明らかであった。であれば、下手すれば10年以上はそういった感情を持っていなかったことになる。
「(……高校生活というのも悪くはないものですね)」
県予選を突破して、そしてまた皆で来よう。そう考えながら、麻子は皆と一緒に合宿所を後にしたのであった。
―――
合宿が終わってからも、麻子たち清澄麻雀部員は猛特訓を重ねた。ある日は特定の状況と目標を設定し、それを達成できるまで打ち終わりが出来ないクエスト方式だったり、ある日は麻子を交えて3人がかりで抑えこめるかどうか、ある日は純粋にトップを取りに行く等、様々なシチュエーションを取り入れながら雀力の向上に明け暮れていた。その中でも大きく伸びたと言えるのは、和、優希、そして咲の3人であった。
まず和は、エトペン人形を導入してからというもの、継続してイージーミスが激減した。これは久、まこ、麻子の見立て通りといえるだろう。また本人は否定しているものの、和が同卓すると麻子の『流れ論』を一切無効化することができるようになった。これについてはまだデータもそれほど取れていないこともあり、どこまでの範囲を無効化できるのかは不明瞭ではあるが、しかしアンチオカルト能力として強力なものであることには変わりないと3人は踏んでいた。
続いて優希。合宿前の課題としていた攻めと守りについては、麻子・久・和の3人と打つことにより劇的に改善。今では東場に限れば、部内でも獲得点数はトップクラスとなっていた。また、守りに関しては基礎から叩きなおしたこともあり、今では振り込みも0とまではいかないものの、少なくとも一般的な打ち手と比べればかなり低い値まで持ち込むことが出来た。
そして咲は、地力の強化もさることながら、合宿前辺りから時々、一度回り始めると麻子でも手を焼く程度の爆発力を見せるようになった。但し問題として、同じように打っていても爆発力に大きな差がある点が挙げられた。これについては麻子でも原因がわからず、とりあえず回数を重ねてデータを取るしかなかった。そんな時であった。いつもの部室で、麻子が深刻そうな顔をした咲から相談を受けたのは。
「あ、麻子ちゃん、ちょっといいかな」
「どうしましたか」
手招きされるがままに麻子は咲に連れられ、人気のない部室のテラスへと出た。
「あのね……麻子ちゃんでもどうにかできるかはわからないんだけど……」
「……大丈夫です。まずは話してみてください」
麻子は咲を安心させる言葉をかける。こういう時はまず、話したがっている本人を落ち着けなければならない。基本的には過去の麻雀の中で培った力であるが、麻子はそれを応用したのである。
「……その、私ね、麻雀を打ってて、時々抑えが利かないときがあるの」
「抑えが利かない……ですか。どういった時になるか、わかったりしますか」
「入部前に打った時があったでしょ? ……あの時は、勝つことも負けることも怖かったの。だから、自然と±0になるように打っちゃってた。それ以外の打ち方は打てなかったの。後は……こう、必死になった時とか……」
「……ふむ」
咲のこの申告により、麻子は何故咲の爆発力に差があるのかをある程度察した。そしてそれを確かめるため、ひとつの提案をした。
「宮永さん、私と二人麻雀を打ちましょう」
「ふぇっ!?」
突然の対局、それもあの麻子とサシでの勝負を挑まれたことに戸惑いを隠せない咲。もっとも、麻子としては別段二人麻雀にこだわる必要はなかった。しかし今からやることを考えれば、他の者を混ぜるのはあまりよろしくないと考えていた。麻子の予想が正しければ、あまりにも巻き添えが大きすぎるからだった。
―――
清澄高校麻雀部部室。そこで行われるは、部内トップ2である麻子と咲のタイマン勝負であり、10万点持ちでのデスマッチ、つまりどちらかがトビ終了になるまでの対局であった。基本的には2人が混ざって打つことはしばしばあれど、1VS1での勝負は今まで無かったため、部員という名のギャラリーも俄に沸き立っていた。但し麻子にとっては、自身の仮説が正しいかの検証であったのだが。
「それでは……立親は宮永さんですね。」
咲の起家から始まった対局。その始まりは特にいつもと変わりない雰囲気であった。少しの点棒をやりとりしつつ、局は進んでいく。そして南二局、つまり折り返しで咲が和了し、後半戦へ突入したとき、おもむろに麻子が口を開いた。
「ところで、宮永さんのお姉さんはどんな方だったのですか?」
麻子が姉の話題を切り出した直後であった。僅かながら、咲の纏う雰囲気が変化した。もっとも、この時点でそれに気付けたのは、仕掛けた張本人である麻子とオーラに敏感なまこの2人だけであったが。
「え? うーんとね……昔は、優しくて、強いお姉ちゃんだったよ。私に嶺上開花の役を教えてくれたのもお姉ちゃんだった」
昔を懐かしむような表情で語る咲。しかし、その表情に段々と陰りが見え始めた。
「でも……ある時に打った家族麻雀で、私が±0になるように打ってたのがバレて、お姉ちゃんを怒らせちゃったの。それからは段々と口も利いてくれなくなって……」
そして、陰りが見えると同時に、咲の周囲に入部の時と同じような、威圧感溢れる昏いオーラが集まってくる。こうなると、麻子とまこ以外の面子も違和感をはっきりと覚え始めた。
「……前に東京に行った時は、一言も口を利いてくれなかった。だけど、前も言ったけど、麻雀を通してなら話せると思う……だから……」
咲がそこで一度言葉を切る。そしてしばし瞑目し、開眼した。
「っ!?」
まこは直視してしまった。咲の瞳から、闇を纏った桃色の炎が飛び出したのを。
「強くならなきゃいけないんだ……」
そう言った咲は、自身の手を開いた。
「ツモ、タンピン三色赤1、18000」
―――
それからは、誰の目から見てもわかるくらいに、咲の火力は上昇していた。姉の話題の前後で何かがあったことは誰の目にも明白であった。
「ツモ、12300」
「ツモ、18600」
「ツモ、12900」
「ツモ、25200」
合宿前や合宿中でも稀に見せた大爆発の嵐。それが今、麻子一人の前に吹き付けていた。それまで一進一退の様相だった対局は、咲があっという間に点棒を回収し、今や麻子の点棒は22900点となっていた。
「ロン、4100」
しかし麻子も伊達に今まで麻雀打ちとして、そして人鬼と呼ばれてきた訳ではない。2600の5本場を咲から直撃すると、そこから一気に点棒を巻き上げた。
「ロン、12000」
「ロン、6100」
「ツモ、8300」
攻撃力が高くなった代わりに脇が甘くなったところを狙い撃ちし、麻子は一気に3連続和了を見せ、ひとまずは51400点まで回復した。しかし。
「……そうだよ、私は強くなくちゃいけない。そうじゃないと、お姉ちゃんと話すことなんて出来ないよ……」
一際咲の放つオーラが大きくなる。その圧はいつかの麻子を思い出させるようなほど大きかった。まるであの日の再現と言わんばかりに、咲の体からは感じられない風が吹き荒れ、それに反応してティーカップや周囲の細かな備品が音を立てて揺れている。
「カン、嶺上開花ツモ! 四暗刻は32900!」
麻子の流れを強引に断ち切るかのような、力業とも言える四暗刻のツモ。麻子はその捨て牌に注目した。
「(……索子に染めている私に対し、索子や字牌を構わず切っていますね。やはり……)」
まるで振込みなど考えていないかのような河。そもそも和了られる前に和了ればよい。そう主張しているかのようであった。
「ロン、5200」
「ツモ、16000!」
「ロン、3900」
「ロン、5800」
「ロン、8000」
「ツモ、12600!」
一進一退の攻防が続く。麻子は防御が更に薄くなった咲の捨て牌を狙い撃ちし、細かく出和了を重ねる。対する咲は一撃の重さで勝負していた。そして現在、麻子の点数は14800点となっている。和了回数では麻子の方が上だが、総得点では咲の方が上回っていた。このまま麻子が初の敗北を喫するのか、部員はいつの間にか無言のまま、固唾を呑んで見守っていた。
「ロン、5200」
「ロン、7700」
「ツモ、6100」
「ロン、12600」
しかしその後、麻子が4連続で和了を取る。これで点数は54900点まで回復した。更に麻子の勢いは止まらない。
「ツモ、12900」
「ロン、8900」
「ロン、19500」
追加でさらに3回和了し、6本場に突入していた。咲はなにやら焦ったような表情をしている。思うように和了れていないことが精神的にきているらしかった。
「っ……!」
「……」
しかし麻子の顔からも、いつものうっすらとした感情の読めない笑みが消えていた。それはすなわち、麻子もこれまでにないほど苦戦していることを意味していた。その証拠に、今回の対局においては、これだけの連荘をしているにもかかわらず、まだいつもの勝ち確定宣言である『御無礼』をただの一度も宣言していないのだ。つまり勝負はまだ、どちらが勝つかわからない状況なのである。
「ツモ、17800!」
咲が目から炎を迸らせながら、麻子に上がられるより早く和了を決めた。その手はまたも倍満クラスの大物手である。これでまた親が咲に移った。
「ま、まるで怪獣大決戦だじぇ……」
「なんか、麻雀ってよりボクシングを見てるみたいだな、これ……」
「ボクシングたぁ言いえて妙じゃのぉ。咲が間合いを詰めて戦うインファイターで、麻子がジャブとカウンターで決めるカウンターパンチャーってところじゃろうか」
京太郎の例えたボクシング、今の2人はまさにそれであった。お互いスタイルは違うものの真正面を向き合って殴り合っている。後はどちらの体力、そして精神力が切れるか、という勝負になりつつあった。そしてそういった勝負であれば、分があるのは麻子であった。
「ロン、5200」
「ロン、5800」
「ツモ、4200」
「ロン、12600」
「ロン、12900」
遂にここにきて、麻子が咲を逆転した。お互い大分体力を消耗していたが、それでも麻子にはまだ余裕があった。それに対して咲は焦りがミスを呼び、振込みに繋がり、更なる焦りに繋がる悪循環を導いていた。
「ロン、13200」
「ロン、13500」
麻子が更に満貫を2回直撃する。そして遂に勝負の命運が決まる時が来た。
「御無礼、ツモりました。嶺上開花、四暗刻。33800です」
まるで咲への意趣返しと言わんばかりの嶺上開花四暗刻。そして御無礼の一言。これにより、先ほどまであった咲からの昏い瘴気は雲散霧消した。その後の結末は、最早語るまでもない。こうして、二大巨頭の大戦は、麻子の勝利という形で終幕した。
―――
嵐が過ぎ去り、平穏が戻ってきた麻雀部の部室。そこで麻子は、消耗したエネルギーを回復すべく、お菓子をもっちもっちと頬張っていた。食欲はあってもこの体ではそれほどの量を食べることができず、エネルギーを補給するのも難しかったのだが、どうやらお菓子は別腹らしいことが最近わかったからである。その姿は、先ほどまでの鬼神と見紛うような姿ではなく、まるで小動物のような愛らしい姿となっていた。もっとも、本人は全く気付いていなかったが……。
対する咲は、御無礼から対局が終了するまでは、まるで抜け殻のような姿になっていたものの、それが終わるといつもの気弱な文学少女の姿へと戻っていた。但しその表情は怯えており、まずは落ち着けないと話も出来ない状態であった。そういった事情もあり、今は休憩時間と称して皆でお菓子タイムとしていた。
「……さて、一服もできましたし、本題に入りましょう」
ひとしきりお菓子を食べ終わった麻子が、ようやく落ち着いた咲に対して質問をした。
「宮永さん。先ほどの対局、抑えは利いていましたか?」
その質問に、咲はピクっと肩を震わせた。そして、搾り出すような声でそれに答えた。
「……ま、また、止められなかった……」
「……やはりそうでしたか」
回答を聞いた麻子は、どこか納得したような表情だった。そして自身の、限りなく正解に近い推論を披露し始めた。
おそらく咲は、一定以上の負の感情や強迫観念を抱くと、その感情に振り回されるがまま『麻雀を打たされる』ということ。そして一度その状態になってしまうと、対局が終わるまでそれは止められないこと。過去の話から、今までは±0の枷がかかっていたため大爆発するようなことはなかったが、その枷が外れた今は、その感情が強くなればなるほど攻撃的になっていくということ。そして何より、それを抑えるにあたっては、今のところは咲のメンタル面を強化するほかには手立てがないであろうこと。
これらの話を聞かされた一同であったが、ここで優希は疑問が浮かんだ。
「でも、相手があさちゃんだったからこうなったけど、普通の相手なら圧倒できるんじゃないか?」
その意見は、一見ごもっともと言えるものであった。しかしそれに対して麻子は首を横に振った。
「宮永さんのこの状態は、攻撃性が強くなればなるほど防御が低くなっていました。確かに普通の相手であれば圧倒できるでしょう。しかし今から私達が向かうところは全国です。全国には非常に強力な打ち手が何人もいるという話ですが、その打ち手が3人がかりで宮永さんを押さえ込んだらどうなるでしょうか」
「あっ……」
麻子レベルとまでは言わないものの、全国には強力な打ち手が何人もいるのは事実である。そしてそれらの打ち手がエースとして先鋒に出てくる可能性も十分に考えられる。その場で手を組んで咲をマークし続ける、という流れもあり得ない話ではないだろう。そうなった場合、咲はただただ薄い防御を晒し続けることになるのである。今回は2人での対局だったため、まだ和了るチャンスも比較的多かったものの、4人で打つとなると話は大きく変わってくる。麻子はその点を懸念していたのだ。
「……とは言っても、咲ちゃんが悪いわけではないのよね、これ」
「まあなあ。負の感情、強迫観念が引き起こす言うても、じゃけぇってそんなんを一切持つなっ言うのも無理な話じゃ」
久とまこも、どうしたものかと頭を悩ませていた。と、ここで和が何かに気付いたように言葉を発した。
「では、負の感情がそういったものを引き起こすなら、逆に正の感情で上書きしてしまえばよいのではないでしょうか」
「……なるほど、一理ありますね」
実は麻子は、この結論についても気付いていた。しかしそれを自分が言うべきだとは考えていなかった。皆に考えてもらい、どうすればよいのかに気付いて欲しかったのである。もっとも、何よりお前がそれを言うか、と言われかねないのも無くはなかったのであるが……。
「確かに私達の目標は全国優勝です。でも、それで麻雀を楽しめなくなったら本末転倒です。私達は麻雀が好きだから、楽しいから、こうやって集まって打っている。違いますか?」
「……うん、そうだね。その通りだよ!」
先ほどまでずっと暗い表情で黙っていた咲であったが、和のこの言葉によって、目を覚ましたかのように表情が明るくなった。何故、自分がここにいるのか。何故、自分が麻雀を打っているのか。確かに姉のこともあるのは確かだが、それ以上に麻雀が好きだから、楽しいから打っているのではないか。ある意味根本的なところではあったが、それ故に今まで気付けなかったその根源に、咲はようやく戻ることが出来たのだ。
「だから、肩肘張らずにもっと楽しめばいいんです。前に言っていたでしょう、麻雀の楽しさを思い出せたって」
「え? 咲ちゃんいつそんなこと話してたんだ?」
「えっ、ちょ、その話はっ!」
調子が戻ったかと思えば、その日の自分が言い放った台詞を思い出し、まるでその日の夕陽を思い出すかのように顔が赤くなっていた。
「恥ずかしがることはありませんよ……私もそれで、本当の楽しさに気付けたんですから」
優しい笑みを浮かべてそう言った和は、まだ椅子に座っている咲を優しく抱き寄せた。それはまるで、聖母のような姿であったと後に語られるほど、慈愛に溢れていた。
「あっ、わわっ!」
「あっつあつだじぇ」
「これが聖母ノドカ様か……」
「何言いよるんじゃ京太郎は……まあ言いたいこたぁわからのうもないけどな」
多少の冷やかしもあるにはあったが、しかしその2人を見る周りの目は優しいものであった。
ということで、咲さんが何故魔王じみた打ち方ができるかの理由でした。
打ち方が出来るかというよりは、そのように打たされていたのが正解です。
※実際の咲さんがこんな能力を持ってるかは知りません。多分ないです。