仁川麻子の高校生活   作:ぷよん

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本当に後編です。


5話 反攻

南二局 ドラ{⑨}

 

咲  手牌:{三八②②②赤⑤1119東北白}

睦月 手牌:{一三赤伍六③④⑤4679西西西}

純  手牌:{四九①⑦⑨1459東西北中}

美穂子手牌:{二三七②⑥2赤5南南北白發中}

 

「(んっ……)」

「(いける……!)」

 

 睦月は配牌を確認し、十分勝負手であることを確認した。もう、弱いからといって逃げ回ったりはしない。どのような結果になったとしても、きちんと敵の方を向いて戦う。遅くなったもののその覚悟を前局で決め、見事に一撃を放った睦月。そんな彼女に、配牌が応えているようであった。

 咲は一見いつも通りの配牌のように見えていたが、そこに違和感を覚えていた。どうも、この局に関しては嶺上牌が見えないのである。刻子が2個もあるのに嶺上牌が見えない。その理由はひとつしかなかった。

 

「(この{②}と{1}、もう誰かに持たれてる……そして、おそらく出ることがない……)」

 

 直感的にではあるものの、咲はこの局、もし和了るとすれば自分以外の誰かだろうと予想していた。無論それでもオリるつもりは毛頭ないし、可能な限りその予想を覆そうとはしていたが。

 

「(チッ……)」

「(あらら……)」

 

 一方、純と美穂子の配牌は惨憺たるものだった。両者とも搭子も対子も碌にない、文字通りのクズ手。和了に行っても高くなる見込みも薄い。一応美穂子はドラを持ってはいるものの、雀の涙レベルであることは明らかだった。まるで逃げ回っている者にふさわしい、逃げ回るための手とでも言わんばかりである。

 

 睦月が{9}を切って開局した南二局。純がツモったのは{七}であった。ここで純には、二つの選択肢が存在していた。ひとつは、九種九牌で流局させて仕切りなおすこと。もうひとつは、流さずに和了を目指すこと。純が選択したのは……{四}切りであった。

 

「(……ここで降りたら、本当に勝てない予感がする。オレだけじゃない、龍門渕が、だ。そもそもこの配牌も、今までオレ達がやってきたことを考えれば、流れ的には当然のことだ。だけど、ここで逃げたらオレは、オレ達はそれに屈したってことになる。それだけは、それだけは絶対に認めねぇ……! 何より、逃げずに立ち向かえばいいって、鶴賀の奴が教えてくれたんだ、もう背中を見せるつもりはねぇ!)」

 

 先ほどの睦月の和了に触発されたのか、純も逃げずに戦い抜く覚悟を決めた。狙いはあわよくば国士、駄目でもチャンタや三色、とにかく和了りに向けて動く心積もりでいた。

 

「(……私は、麻雀を見失っていたわ。麻雀の目的は和了らせないことじゃない。あくまでそれは、勝つために必要な手段。でも、今までの私はその手段と目的を履き違えていた。きっとこの配牌は、そんな私を叱るために与えたのよね……)」

 

 基本的に美穂子は、場を操るだけの観察眼はあれどデジタル打ちな方であり、配牌の意味を考えたりすることは普段なら無い。しかし、自分の今までの打ち方を振り返ったとき、目的を見失って無様な闘牌をしていたことに気付いた美穂子は、今の自分の置かれている境遇も相まってそのような思考に至った。それは自分への戒めでもあった。その心が通じたのかどうかはわからないが、美穂子の第一ツモは{四}。まだまだ茨の道ではあるが、早速面子がひとつ完成したのである。美穂子は打{北}としながら、改めて勝ちにいく決心を固めた。

 

 

―――

 

 

南二局 9巡目 ドラ{⑨}

 

咲  河:{白東北97伍} {①⑦}

睦月 河:{9一東發7八} {九⑧}

純  河:{四54⑥赤⑤七} {⑦一}

美穂子河:{北白中發2一} {⑥7}

 

睦月手牌:{三赤伍六③④⑤3456西西西} ツモ{四}

 

 睦月は{六}を切り、{3}-{6}(出和了りは{6}の片和了り)の聴牌をした。国士相手に{西}は切る機会がないと踏んだ睦月は、三色狙いで手を進めていた。そしてそれが成就し、聴牌までこぎつけることが出来たのである。出和了りなら三色赤1で7700、高目ツモなら4000オールの大物手である。

 

「(鶴賀の奴、聴牌までこぎつけたか……しかも高そうな雰囲気がするな)」

 

 純も当然それを感じ取っていた。場合によっては、最悪オリも考えていた。だが、それは最終手段、ギリギリまで自分の手を押し通す。その意思を持ってツモを取った。そのツモは、{3}であった。

 

「(ぐっ、なんつー所を持って来るんだ……!)」

 

 聴牌気配を察知している純にとって、この牌を通すのは非常に厳しいものであった。河からして、筒子全般に索子の下は非常に危険と言える。焦りを感じていた純であったが、ここで一度落ち着き、僅かな時間瞑目した。

 

「(落ち着け、読め、感じろ。……)」

 

 今まで行ったことがない、当たり牌を感じるという所業。流れを感じるということはできても、当たり牌まで感じることは今まで行ったことが無かった。が、ここでこの牌を通せるかどうか、通すためにはこの牌が当たりではないとわかっていないといけない。一段、いや、二、三段一気にステップアップした純は、今までにないほど集中していた。

 

「(……読めた!)」

 

 純は{3}を叩き切った。当たらない、いや、当たれない。この場に流れる空気、流れから、純はそこまで読み取った。勿論当たっているかどうかは、切ってみるまでわからないのは言うまでもない。もしかしたら読み違えて当たってしまうかもしれない。しかし、純は自分を信じた。どんな勝負においても、自分を信じられない者が勝てる道理はない。簡単ではあるが、しかし実際に行おうとするとそれは非常に難しい。だが、純は行った。やってのけたのである。勝ちに行く、その意思が篭った純の一打は、睦月の心を大きく震わせた。

 

「(っ、リーチをかけていれば和了れた牌……!)」

 

 {6}ならともかく、{3}では役無しになってしまうため和了ることが出来ない。睦月は内心で歯噛みした。だが、終わったことを嘆いても前には進めない。睦月は気持ちを切り替えた。前に進むため、和了るため、そして鶴賀が勝つために。

 

 同巡、美穂子も聴牌を果たした。{3}をツモったことによる聴牌。奇しくも睦月と同じくノベタンで片方は三色になる手牌である。睦月と違ったのは、こちらは役牌がついているため、どちらでも和了自体は拾えるという点であった。美穂子は何の躊躇いも無く、{七}を切って聴牌を取った。

 

「(鶴賀の津山さん、彼女は{④}をツモ切りする時、貴女から見て少し中央より左側を見ていた。となれば、その辺りに{④}に近い筒子があるということ。そしてその後に手出しした{六}の位置から考えれば、貴女にこの牌が当たる可能性は限りなく低い。龍門渕の井上さんは現物だから言うまでもない。清澄の宮永さんは、最後の手出しの{7}の時点で、どこを切ろうか悩みがあった。となれば、貴女はまだ一向聴。聴牌なら確定しているんだから、いろんなところに目移りする必要はないもの。だから張っていない相手には振り込みようがないわ)」

 

 両目を開いた美穂子の観察眼は凄まじいものがあった。一挙一動を感じ、読み、手牌の推理に当てる。その精度はプロも顔負けの高いものであった。その同巡、咲も{八}をツモ、{七}を切って三暗刻の聴牌を果たした。既に暗刻自体は3つ完成しており、{③}-{⑥}の出和了り出来る形である。

 

「(っ……!)」

 

 睦月がツモったのは{7}。もし三色に取っていなければツモ和了していた牌である。しかしそんな選択ができるのは、本当に未来が見えているような者でない限りは不可能と言えた。

 

「(あ、諦めるな……まだ和了れないと決まったわけじゃない……!)」

 

 睦月にかかるプレッシャーは相当なものである。全国レベルの強さを誇る美穂子と純に加え、1年生ながら長野の獲得点数を塗り替えた怪物である咲。そんな、睦月から見れば魑魅魍魎相手に打たなければならないのである。ひとつ間違えれば即死もあり得る状況で、プレッシャーを感じるなと言う方が無茶である。咲と美穂子の両者に現物である{7}を切り出すのでさえ、手が震えていた。しかしそれでも、瞳には確固たる意思が宿っていた。

 

「(っ、来たっ!)」

 

 一方、純も執念で聴牌まで辿り着いた。ツモったのは{發}であり、{南}待ちである。{南}自体は美穂子が3枚持っていたものの、暗槓でも槍槓が出来る役である。そのため、まだ和了り目が消えたというわけではなかった。

 

 

―――

 

 

『つ、遂に龍門渕の井上選手、国士無双を聴牌した! これで4人全員が聴牌したということになります!』

『……目つきが違う』

『……は?』

 

 靖子の言葉に、相方の男性司会者は少し間抜けな声を出して聞き返した。それに靖子は、いたって真剣な表情で答えた。

 

『鶴賀の津山が槍槓するまでは、どこか宮永に怯える3人と、その3人を狩りにかかる宮永、という図式ができていたはずなんだ。だから前半戦では早和了で協力して、なるべく宮永が動く局数を少なくするように局を回していた。そしてそれは、間違いなく槍槓までは続いていた。……だが今はどうだ』

 

 そこまで言い切った靖子は、一度息を大きく吐き、改めて真剣に解説室内にあるモニターを見つめた。

 

『誰もが真正面から、宮永だけじゃない、全員に勝負しに来ている。皆それを感じつつも受けている。ここにいる子達は、目の前の点棒以上に大切なものを賭けて打っているんだ。……これが先鋒戦というのが、そしてあと数局で終わってしまうのが実に名残惜しいよ』

 

 そう言った靖子の顔は、様々な感情が入り混じった、実に複雑な表情をしていた。

 

 

―――

 

 

 その同巡、美穂子がツモったのは{發}であった。

 

「(……何がどう入ったかはわからないけれど、井上さんが{發}で待っている可能性は否定しきれない。そもそも井上さんが手出しで切ったヤオチュウ牌は、{一中}の二つだけ。そして両方両端から切っている。いくらなんでもここで{發}は切れないわ)」

 

いくらなんでもこの状況で、{發}を切れる道理はない。もし切ったなら、それは暴牌だ。美穂子は三色を崩して{2}を切った。

 

「(全員に通る安牌なんてものはこの中にない。この{南}でさえ今は危険牌なのだから、オリきれるはずがない。なら、少なくとも津山さんには確実に通り、かつ宮永さんに当たってもドラが増えない{2}切りが一番良いはず)」

 

 三色は崩れたものの、それでも美穂子は出和了りで和了れる形は変わらない。続く咲は{2}をツモ切りした。そして、この南二局に終わりが訪れる。

 

「……つ、ツモ! 三色赤1、4000オールです!」

 

睦月手牌:{三四赤伍③④⑤3456西西西} ツモ{6}

 

 勝利の女神が微笑んだのは、最初に聴牌し、そして後悔の念にも押し潰されず、最後まで折れずに意思を貫き通した睦月であった。

 

「(負けたか……だが、何だか清々しいな)」

 

 結局聴牌してから一度もツモらせてもらうことなく和了られた純であったが、その顔はどこか満足そうであった。

 

 

―――

 

 

『先鋒戦終了―!! この激戦の先鋒戦は清澄高校が一歩リードの110100点でトップ通過しました! しかし下位3校は2位から4位まで1000点差の超接戦! さらにトップまでは全校16000点以内の僅差です! 勝負はまだまだわからない、この流れは次鋒戦へ続くことになりましたー!』

 

 流れを持っていかれたのか、あの後も咲はあと一歩の所で和了ることが出来なかった。代わりに純と美穂子が2回ずつ和了を拾い浮上、最終的な点数は1位清澄110100点、2位鶴賀97100点、3位龍門渕96500点、4位風越96200点となった。印象的であったのは、この後半戦が槍槓を除いて出和了りが一切なくツモ和了しかなかったことである。特に後半戦は咲の嶺上開花が無いにもかかわらず、誰からも出和了りが発生しなかったのである。

 

「……ふぅ、お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

「……お疲れ、様、でした……」

「お疲れさん。良い勝負だった。……久々だ、こんなにヒリヒリした勝負は。今日だけと言わず、また打とうぜ」

「はいっ!」

「えぇ、機会があれば是非」

 

 僅差ながら最終的に最下位であった純であったが、その表情は非常に晴れやかなものであった。咲と美穂子もまた、笑顔で純の申し出を受け入れた。ちなみにこの怪物3人相手に大健闘した睦月はというと、緊張の糸がぷっつりと切れたのか、今は椅子の背もたれに全力でもたれかかり、天を仰いでいた。精神をあまりに酷使しすぎた反動か、返事をしようにも気力すら残っていなかった。

 

 

―――

 

 

「咲ちゃん、お疲れ様だじぇ!」

「ありがとう、優希ちゃん。でも、やっぱり全国レベルは全然違ったよ。思ってたように牌が来ないし打てなかった。でも……全力で打てて、すっごい楽しかった!」

 

 清澄高校控え室。先鋒戦トップで帰ってきた咲を、皆は祝福しながら迎え入れた。

 

「それでも風越と龍門渕の2強相手にトップで帰ってくるのは流石よ、咲ちゃん」

「……いえ、そのお二人だけじゃないです。鶴賀の津山さん……もしかしたら、あの人が一番強かったかもしれないです」

 

 久の言葉に一点、咲は真剣な表情で言った。咲は睦月のことを認めていた。それどころか、先鋒戦で一番強いかもしれない相手とまで言ってのけた。それはあの場に直接いた者にしかわからない感情かもしれない。

 

「まぁ確かに、あの槍槓は見事の一言じゃったな。覚悟を決めた顔をしとった。敵ながら天晴れじゃっ思うたでぇ。今は地力がまだ不安定じゃけぇええけど、来年になるとわからんな」

 

 まこもその様子はしっかりと見ていたようで、咲と同じく一目置いていた。おそらく来年も当たることを見越し、どこまで伸びるかを恐れ、そして期待していた。

 

「でも、ともかくトップで帰ってきたんだからよかったじゃないか。本当お疲れさん」

「次は優希です。しっかり稼いできてくださいね」

「任されたじぇ! あ、京太郎は休憩中にもう1個のタコスを持ってくるように!」

「はいはい……」

 

 優希はそう言うと、タコス片手に対局室へと元気良く向かった。そして奥の椅子へ腰掛けた咲に、麻子がおもむろに近付き質問をした。

 

「ところで、前半戦後半戦双方、+5のスコアで終わらせたのは意図的だったのですか?」

 

 その質問に、咲は目を開き、少し驚いた顔をして答えた。

 

「えっ、そうだったの? 全然気にしてなかったよ」

「そうですか……」

 

 もしかしたら、±0は遺伝子レベルで刻み付けられているのかもしれない。あと咲には後でオーラの使い方を教えよう。あれでは麻雀外の所で大惨事が起こってしまう。麻子はそんなことを考えながら、持ち込んだチョコパイを頬張っていた。

 

 

―――

 

 

「お疲れ、睦月。大健闘じゃないか」

「あ、ありがとうございます、加治木先輩」

 

 鶴賀学園控え室。智美に肩を借りながら戻ってきた睦月も、また笑顔で迎え入れられた。

 

「いやー、あの化け物相手でほぼ原点なら十二分の戦果だぞ。もっと胸を張れ、ワハハ」

「おかげでもうクタクタですけどね……」

 

 その迎え入れられた睦月はというと、着くなりソファに飛び込み、そのままうつ伏せになった。どうやら先鋒戦後半戦の反動は結構大きかったらしい。

 

「そういえば次は妹尾先輩っすね。頑張ってくださいっす!」

「そ、そんな期待しないでよぉ~」

「ワハハ、だいじょーぶだいじょーぶ、かおりんなら何とかなるさ」

「雑!?」

 

 次鋒である佳織は、半ば無責任に笑う、部長であり幼馴染である智美に押し出されるように控え室を後にした。

 

 

―――

 

 

「ふぅ……いやぁ、やらかしたわ、マジすまん」

 

 龍門渕高校控え室。こちらでは戻ってきた純が大の字でソファに座ると、いつになく神妙な顔で謝った。

 

「純が素直に謝るだなんて、明日は槍でも降るんですの?」

「ひっでぇ言い草だな……まぁでも、清澄の宮永の力を、必要以上に過大に見てたってのは確かだな。無論油断できる相手じゃねーけど、だからってあんな逃げ回る必要はなかった。真正面から立ち向かえば、オレなら多分どうにかなってた」

 

 部長である透華のからかいに突っ込みつつ、純は前半戦の記憶を呼び覚ます。前半戦は自ら言った通り、とにかく鳴かせ、差し込み、差し込ませ、そして咲に和了られぬよう逃げ回っていた。その姿は、今思い起こすと純本人にとっては黒歴史となるくらいに恥ずかしいものであった。

 

「でも実際、清澄のあの先鋒の人は1回戦と2回戦でえっぐいスコア出してたからねー……純くんの気持ちもわかるかな」

 

 若干苦笑いといった様子で、チームメイトである一が純をフォローする。おそらくあの場にいたら、自分もそうなっていたであろうという確信があったからである。

 

「でもともきーが取り返してくれますから安心しなさい。そうでしょう?」

「変なプレッシャーかけるのはやめて……でも、大丈夫。秘策はある」

「秘策?」

「……まぁ、見てて」

 

 次鋒である沢村智紀は、普段の無表情面からは珍しく笑顔を湛えてみせた。そして意味深な発言を残し、控え室の一同に手を振り、対局室へと向かった。

 

 

―――

 

「キャプテン!」

 

 風越女子高校控え室。そこに戻ってきた美穂子は、顔を伏せたままであった。結果的には最下位とはいえ、あの清澄相手にほぼ原点を維持したのであるから十分健闘したとは言えた。

 だが、それをOGでありコーチである貴子が許さないことは明らかであった。それは控え室にいるメンバーも感じていたし、美穂子もまた理解していた。

 

「……福路、何か申し開きはあるか」

 

 鋭い目で美穂子を貫きながら、ドスの聞いた声で貴子が問う。周囲のメンバーの表情は、それはもう悲痛なものであった。その脅迫とも取れる質問に対し、美穂子は少し顔を上げ、真剣な表情で、座っている貴子に対してまっすぐな視線を向けて答えた。

 

「全力で殴ってください」

「キャプテン!?」

 

 メンバーからは、最早悲鳴に近い声が上がった。それを貴子は一睨みして止めると、改めて美穂子に向き合った。

 

「ほう、それは何故だ」

 

 目を細め、更に眼力を強める貴子。通常であればそれだけで漏らす子もいるかもしれないくらいのその視線に、しかし美穂子は目を逸らさずに答えた。

 

「私はこのインターハイ県大会予選という場において、あろうことか麻雀から逃げていました」

 

 キャプテンが発した、麻雀から逃げていたという言葉に、俄に周囲はざわつき始めた。しかしそのざわつきは、貴子が再度一睨みすることで止まった。

 

「……続けろ」

「はい。……私は、目的と手段を履き違えてしまった結果、麻雀を打っていませんでした。いかに和了らせないか、それだけを考え、麻雀という勝負から逃げていました。今までの私の麻雀の中でも、最も醜い麻雀でした。……自己満足だということもわかっています。ですが、けじめが欲しいんです。……それがないと、私には皆に顔向けできる権利がありません」

 

 気がつけば美穂子の瞳からは涙が流れていた。しかしそれでも、声を震わせることなく、美穂子は最後まで、自分の言葉を、本心を紡ぎきった。それを聞き終えた貴子は、すっと音もなく立ち上がると、美穂子に一言告げた。

 

「歯ァ食いしばれ」

 

 その直後、控え室に乾いた、大きな音が鳴り響いた。美穂子の左頬に貴子の右手が直撃したのだ。注文通りに全力で殴ったせいか、美穂子の体はふらついた。

 

「キャプテン……!!」

 

 涙声になりながら、美穂子の体を支えるために部員が集まろうとした。しかし、その動きは途中で止まった。いつもは険しい表情しかしていない貴子が、どこか神妙な顔になりながら、ふらつく美穂子の背中に手を伸ばし、抱きしめるように支えたからである。

 

「もし少しでも言い訳をするようだったら、その時点で私はお前を殴って糾弾するつもりだった。だが、自分で何をしたのかわかってて、ましてや自分から殴られた奴には、これ以上言うことはしない。それとな、確かにお前は逃げ回っていたが、それでも最後は自分の麻雀を確かに打ってた。天江以上の、龍門渕でさえ怯えて逃げ回っていた化物がいる中で、だ。しかもその中で、原点をほぼキープした状態で戻ってきた。コーチとして言うなら、お前の麻雀はなっていなかったと評価せざるを得んが……私個人として言うなら、お前はあの中でよく頑張ったと思うぞ」

 

 普段の貴子の様子からは想像もつかないほどの優しい言葉。それは貴子の本心だった。実際、今年の先鋒にいた化物である宮永咲の、圧倒的な、最早絶望と呼んでも差し支えない、見ている者でさえ心が容赦なく折れるようなオーラが、中継の画面越しでも尚、強烈に感じられたのである。昨年の天江衣でさえ、貴子はそのようなことを感じたことがなかったにもかかわらず、だ。そんな、直接対局していない自分でさえ心を折られかけた魔王と直接対峙して、心も折れず、点棒もほぼ減らさずに戻ってきた。最後は自分の麻雀を取り戻し、短い間ではあったものの十全の状況で麻雀を打ち切った。そんな美穂子を、貴子がこれ以上責められるはずもなかった。

 

「吉留ェ!!!」

「っ、は、はいっ!」

「福路が繋いだ点数、無駄にせずきっちり増やして帰って来い!!!」

「っ、はいっ!!」

 

 貴子に大声で呼ばれた、次鋒である吉留未春は、普段のおとなしい様子からは想像できないほどの、貴子の声に負けず劣らずの大きな声で力強く返事した。そして、キャプテンの、メンバーの、コーチの、麻雀部全員の意思を背負い、闘志を宿した目で対局室へと歩みを進めた。

 




ということで本当の本当に先鋒戦は終わりです。
睦月さんをもう少し焦点当てたいと思ってたら、まるで睦月さんが主人公みたいになってました。
本来は清澄視点では咲さんが主人公のお話のはずなんですが、書いていくうちにどう見ても魔王にしか見えなくなっていってました。こんなはずでは……。

そして久保コーチ、デレる。
一瞬の間であんなことになったレベルを相手にしてたと知れば仕方がないかもしれません。
美穂子を思いっきり殴ったのは、本人に望まれたからしただけです。

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