仁川麻子の高校生活   作:ぷよん

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あけましておめでとうございました(約1ヶ月遅れ)
麻雀シーン自体はそんなに長くないです。


15話 終焉

 麻子が淡々と3本場であることを告げて始まった東三局3本場。衣は対面にいる麻子に対し、完全に委縮してしまっているようであった。もっとも、訳のわからない捨て牌から直撃や責任払いをさせられたり、衣のそれをも上回る圧倒的な覇者のオーラをぶつけられたりしていたことを考えれば、それも致し方ないと言える。

 

衣手牌:{一四六九②⑦358東南西北}

 

「(ど、どうすればよいのだ……見えない、道筋が何も見えない……!)」

 

 泣きそうな表情を浮かべながら、衣は理牌を行っていた。その手牌は明らかにバラバラで輝きは無い。しかしそれも、衣の今までの行いから考えれば当然と言えた。輝きは失われたのではなく、自ら手放していたのだから。

 

 

 

ゆみ手牌:{三三七八①③赤⑤779西西白}

 

「(……今の天江は心が折れてしまっている。おそらくこの半荘の間は復帰することができないだろう。……だとすると、私と風越で、この化け物を何とかして止めないといけないことになる。……できるか……!?)」

 

 一方ゆみは、今の状況を正確に把握していた。点棒を持っている衣が狩られる側であり、ダントツの最下位である麻子が逆に衣を狩っている側である、と。そしてそれを止められなければ、自分達の優勝もあり得ない、ということも。

 

「(……こういう時、仁川の上家に位置していたのは不運といえるかもしれない。風越の、池田の位置ならば、足掻いて流れを変えるにはもってこいの位置だったのだが……いや、そもそも仁川が支配しているというのなら、この席替え後の着席順すら想定内だったのかもしれないな……)」

 

 そんなオカルトめいたことを考えながら、ゆみは{白}を切り出した。愚形であろうと最短ルートで聴牌し、和了る公算のようである。ある意味開き直ったその打ち筋は、麻子に対しては比較的効果的と言えるものではあった。

 

 

 

「御無礼、ツモりました。タンヤオ三暗刻赤赤。6000オールの3本場は6300オールです」

「っ……!」

 

 しかし麻子は、そんなゆみの考えをも易々と打ち砕いていく。確かに効果的ではあるものの、今の麻子に対しては、その程度では全く足らないのもまた事実であったのだ。さらに4本場。

 

 

 

「リーチです、()()()()

 

 

 

麻子河:{3四西9⑧横③} ドラ{①}

 

「っ!!!」

 

 明らかに衣を意識した発言に、当の衣は大きく肩を震わせた。中張牌を連打した、明らかに何かの作為が混じっているようなそんな河。対面に座る、卓を統べる魔王は一体何を考えているのか。ただ少なくとも、衣に振り込ませようとしている、ということだけは理解できていた。

 

衣手牌:{一一一七八④⑤⑥⑦6679} ツモ{8}

 

「(何を切ればいい……何を切れば衣は逃げ切れるのだ……)」

 

 聴牌したにもかかわらず、衣の思考は非常に消極的であった。しかしそれも、麻子から受けた事を考えれば致し方ないものではある。当然ながら、衣のこの思考も麻子がそうなるように仕向けたものではあるのだが……。

 

「(先刻から狙われているのは、色の引っ掛けや単騎溢れ等の変則的な牌。おそらく今回もそれを狙われている……事実、衣の手牌には{四}のスジである{一}が3枚もある。これが通れば3巡は凌げるという甘い蜜……だが衣はその手には乗らん! 逃げたら負けるというのはこの半荘が示しているではないか!)」

 

 そう考え、勇んで切ったのは{⑦}。前進し、リーチのオマケ付きである。普通なら間4軒で非常に危険な牌であるが、逆にこれなら通ると衣は踏んだのだ。

 

 

 

「御無礼。リーチ一発タンピンドラ1。12000の4本場は13200になります」

 

麻子手牌:{四伍六②③④⑤⑥44678}

 

 衣はほんの一瞬、意識を手放した。目の前の現実を受け入れるのを、頭が許容しなかったのである。普通に危険牌を避け、{一}等を切りながら回し打ちしていれば、最悪ツモられることはあったとしても振り込むことはなかっただろう。だが現実は、衣が暴牌をし、それを麻子が咎めた。経緯はどうあれ、実に真っ当な結果と言えた。そしてその真っ当な結果であったからこそ、衣はそれが受け入れ難かったのだ。

 

 

―――

 

 

「はえー……すっごいじょ……」

「つくづく麻子が敵に回っとらんでよかった思うよ……」

 

 清澄高校控室では、0点から9万点超、衣との点差で言えば約5万点まで点数を回復した麻子の強烈な快進撃に、喜びすら忘れてただ呆然としていた。もっとも、他の3校、特に龍門渕高校と違い、喜ばしい呆然であったのは幸いな点であろう。だが、その暴力的な嵐はあまりに強すぎた。故に味方であるはずの他のメンバーにも、少なからず畏怖の感情を抱かせていた。もっとも、麻子はそれを承知の上で御無礼を仕掛けていたのだが。

 

「確かに私は『後悔の無いように、全力で楽しんできなさい』とは言ったケド……まさかここまでのことになるとは思っていなかったわ……」

 

 あの久ですら、この状況を見てやや顔が引き攣っている。御無礼モードの恐ろしさをよくよく知っている久……と言うより部員からすれば、ここはまだ序章であることはよくよく理解していた。この状況に入ったならば、余程のことがない限り、標的にされた衣はトバされる。残り14万点など風前の灯火に等しい。

 

「(衣ちゃんは……喧嘩を売る相手を間違っちゃったよね、うん。頑張れ)」

 

 唯一麻子の境地に入り込みつつある咲は、内心冷静に今の状況を分析していた。そして無謀にも麻子に挑発を仕掛けて楯突いてしまった衣に合掌をしたのだった。

 

 

―――

 

 

『な、な、なんと清澄高校の仁川選手、七連続和了を決めました! 一時は0点だった点棒も気付けば9万点を超え、しかしその勢いはまだ止まるところを知らず! 他家は果たしてこの勢いを止めることができるのか! それとも仁川選手が龍門渕選手ですら達成できなかった八連荘を達成するのか! この大将戦の重要な局が始まります!』

 

 前代未聞の0点から始まった八連荘の成否がかかっているだけあり、司会の煽りにも力が入り、またそれに応じて会場のボルテージも上がっていく。しかしそんな観客席側と裏腹に、対局室内は限りなく冷えていた。その原因は言うまでもなく麻子である。

 

「(今頃観客席側は八連荘がどうとか言っているのだろう……だがそんなものどうだっていい。この仁川の暴走を止めないと、八連荘どころか16連荘だってされかねない!)」

「(清澄の……仁川。流石にそろそろ止めないとまずいし!)」

 

 先の状況を見据え、焦りを感じる華菜とゆみ。実は華菜も少し前から、明らかに麻子の様子が変わったことには気付いていた。しかし気付いていても、それに対応できるかはまた別の話である。まずは何とか聴牌と、形だけでも持ち込もうとしても、そもそも速度差が違いすぎてそれすら対応できないのだ。衣の支配時にも感じていたそれであるが、今の差はそれすら比較にならないものだった。

 

「「(せめて天江が復活さえしてくれれば……!)」」

 

 2人の思いは一致していた。よもや魔物と呼ばれた打ち手である、長野史上最強と呼ばれて名高い衣の復活に頼らなければならないとは。そんな状況に陥ったことは、やはり大会そのものも魔物であるということの証左でもあった。

 

 

 

「(よし、張った!)」

 

華菜手牌:{二三四④赤⑤⑥34赤57778} ドラ{西}

華菜 河:{東北白九①⑨} {八14}

 

 しかしそんな中、9巡目に華菜が奇跡的な聴牌を果たす。しかも{6}-{9}・{8}待ちと形も良好である。数巡もすればツモ和了りをすることだってできそうな、そんな気配が卓上には漂っていた。

 

 

「(池田が張ったか……表情に出やすいというのは本来麻雀においてはあまりよろしくないが、ことここに至っては有難い。あとはどうやって差し込むか……)」

 

 そしてゆみも、華菜の河と様子からそれを読み取った。

 

衣 手牌:{一一三四六七⑨⑨⑨1234}

ゆみ手牌:{七七九九②③③赤55南西發發}

 

 だがしかし、不幸にも手牌には、華菜に差し込むための牌が存在しない。それでもと必死の抵抗で、ゆみは{5}と危険牌を叩き切った。向聴数を下げてまでの露骨な差し込みではあるものの、この状況においては麻子VS他家の図式が完成していたため、ルールの範囲内で対抗している彼女を咎める者は誰もいなかった。

 

 

 

「御無礼、ツモです。清一三暗刻。8000オールの5本場は8500オールです」

 

麻子手牌:{2345666888999} ツモ{2}

麻子 河:{南北白中一9} {八①}

 

 

 

 そして麻子もまた、その1対3の図式をものともせず、見事に高額手を決めた。しかもその手は、狙いすましたかのように華菜の和了り牌のほとんどを奪い去っていた。これでは他家に華菜の和了り牌が無かったのも頷ける話である。

 

「(な、なんだしその手は!? あたしの和了り牌がほとんど消えてるじゃん!?)」

「(しかもその河で清一だと……!? まるで最初からこの和了りが決まっていたかのようではないか!)」

「(……逃げても撃たれ、歯向かっても返される、まるで賽の河原のようだ……)」

 

 華菜とゆみは驚愕の表情を隠せず、衣に至っては完全に心が折れ、最早戦意を完全に喪失していた。だが、それでも麻子が手を抜くことはない。狙った獲物は骨の髄までしゃぶりつくす。それは麻子が傀であった時の打ち筋そのものであった。

 

 

 

「御無礼、ロンです。タンピン三色赤2で18000の6本場は19800」

「御無礼、ツモりました。国士無双で16000オールの7本場は16700」

「御無礼、ロンです。純チャン二盃口ドラ2で24000の8本場は26400です」

「御無礼、ロン。チャンタ混一三暗刻白發で24000の9本場は26700です」

「御無礼、ツモりました。大三元で16000オールの10本場は17000オールです」

「御無礼、ロンです。タンピンイーペードラ2で18000の11本場は21300」

「御無礼、ツモ。チートイ赤1で3200オールの12本場は4400オール」

 

 

 

 気づけば積み棒は10本を超えていた。直撃の悉くは衣に当たり、ツモでは役満を2回も和了るという豪快さも見せていた。

 しかし派手さもここまで来れば、最早ただの公開処刑でしかない。その証拠に、八連荘であれほど沸き立っていた会場は、今やどよめきすら失われてまるでお通夜の如く静まり返っていた。

 しかしそれも無理はない話である。後半戦開始時は20万点を超えていた衣の点棒が、まるで東二局の意趣返しであるかのように丁度0点になっていたのだから。

 

「(もう……なにも……わからない……ころもは……なにをすればいい……)」

 

 極限まで追い詰められた衣の精神は既に限界を超えかけていた。そもそもが衣の挑発した結果である自業自得とはいえ、それでもここまで苛烈に責め立てられれば、余程の鉄の心でも持っていない限りは心が折れてしまうのも当然だろう。

 現にその結果として、衣の顔からは生気が抜けてしまっている。衣は、前年度の県大会覇者とは思えぬほどの鬱屈した、そして戦慄した表情を見せている。衣の心は後悔と恐怖で埋まっていたのである。そしてそれを引き起こしたのは、未だ涼しい顔を見せ続けている麻子であった。

 

「(……だが、ある意味でいいものを見せてもらったかもしれない。どんな時でも相手は絶対に侮ってはならない。そしてどんな状況でも諦めてはいけない)」

「(確かに圧倒的な点数の差、そして力の差があるのは事実だけど……それでも、まだ華菜ちゃんは諦めないし!)」

 

 それでも華菜とゆみは、最後の最後まで勝ちを諦めていなかった。何故なら目の前に、0点から20万点以上を稼ぎ出してトップに立つという奇跡を成し遂げている者がいるからだ。諦めたらそこで終わり。しかし諦めなければ可能性は0ではない。たとえそれがどれだけか細い糸であろうとも。そして意志と力があれば、それを手繰り寄せることもできるのだ、と。しかしそのような希望を持てているのは、麻子に直接狙われてはいなかった、というのが大きいだろう。

 

 

 

 東四局13本場。不思議とこの局は、手の進みが皆遅かった。華菜やゆみ、衣、そして麻子までである。じりじりとした進みの中で聴牌に一番乗りしたのは、最も意気消沈していた衣であった。

 

衣手牌:{一一一二二三四伍六八九九九}

 

「(このようなタイミングで役満の、それも九連宝灯の聴牌……これは希望の灯火なのか……? それとも……)」

 

 しかもよりによって、確定九連宝灯の聴牌である。もっとも、このような手になった以上、衣の河は明らかに染め手模様を描いていたため、振り込みには全く期待できなかったのだが。

 

「(よっしゃきたっ! これを清澄にブチ当てて、清澄高校から直撃を取り続けての大連荘を重ねれば、華菜ちゃんの逆転優勝だし!)」

 

華菜手牌:{2234466688} {發横發發}

 

 続いて聴牌したのは華菜。ゆみから{發}を喰い取ると、そのまま立て続けにキーとなる索子を重ね続け、見事確定緑一色聴牌までこぎつけたのである。惜しむらくは、こちらも清一形のため、振り込みには期待ができないところであったことである。

 

「(もうすぐ……もうすぐ、届く……!)」

 

ゆみ手牌:{一九⑨⑨9南西北北白發中中}

 

 そしてゆみも、奇しくも役満の二向聴までたどり着いていた。あと{1①東}を揃えれば役満なのだ。県大会で優勝し、全国出場、そして全国優勝を目指すため、諦めの心は微塵も持っていなかった。

 

 

 

「カン」

 

 そこに響いたのは、無慈悲にもこの大将戦の終焉を告げる魔王の声であった。晒したのは{①}。その瞬間である。対局している3人は、ここが室内であるにもかかわらず、星々が輝く美しい月夜にいるような幻視を覚えた。

 

「カン」

 

そのまま嶺上牌をツモると、麻子は続いて4枚の{1}を晒した。それに伴って、3人は同時に、花畑から飛び立つ白鳥の姿を認めた。しかしその光景はまだ止まらない。

 

「カン」

 

 続いて麻子は{⑤}を晒した。ここで初めて、3人は今自分がいる場所が、これまた白く美しい花に満ちた花畑であることを自覚した。

 

「カン」

 

 4回目の槓宣言。最後に晒されたのは{東}。麻子の自風牌である。強烈な風が花畑に降り注ぎ、白い花弁がまるで白鳥への祝福であるかのように舞い上がっていく。そしてその勢いは止まるところを知らず、3人の視界を白く染めていく。そしてやがて見えるもの全てが真っ白に染め上がった3人の目前には……

 

 

 

 

 

「御無礼、ツモりました。四槓子で16000の13本場は17300オール。天江さんのトビで終了です」

 

 

 

 

 

 {白}の門前裸単騎待ちで和了した麻子の姿があった。

 

 

―――

 

 

『……し、試合終了ー! さ、最後の最後で四暗刻四槓子という麻雀史上でもとんでもない大物手が飛び出しましたーーー! これにより龍門渕高校の天江選手がハコ割れ、最終得点377000点のスコアを叩き出した仁川選手擁する清澄高校が全国の切符を手にしましたーーー!!!』

 

 全員が役満狙いという大事件、そしてその結果、麻子が理論上でしかお目にかかれないような四暗刻四槓子という化け物手を和了り切ったことに、13本場開始時までお通夜ムードであった会場は再沸騰していた。

 

『……』

 

 そんな麻子の手を見た靖子は、解説をすることも忘れ、ただただその手を見つめていた。

 

『……藤田プロ?』

『……あ、あぁ、すまない。この手があまりに美しかったものだからな……つい見とれてしまっていた』

『た、確かに四暗刻四槓子なんて、すべての対局を合わせても出たことがあるかどうかの手ですからね……』

『いや、それだけではないんだ……』

『……と言いますと……?』

 

 司会に問いかけられた靖子は、一旦呼吸を落ち着けるために深呼吸をし、そして解説を続けた。

 

『今では古い役となったが、花鳥風月という役満があるんだ』

『花鳥風月……ですか』

『あぁ。{⑤}を花に、{1}を鳥に、自風牌または場風牌を風に、{①}を月に見立てた美しい役満だ。仁川の和了ったこの四暗刻四槓子の形が丁度それになっていてな……』

『……た、確かに、{⑤}、{1}、{東}、{①}の暗槓子があります! な、なんということでしょうか!!! 今、我々は一生に一度、いや、全麻雀史においても一度かもしれない奇跡の光景を目の当たりにしています!!!』

 

 思わず司会者は、麻子の作り上げた奇跡を思いっきり持ち上げてしまった。しかしそれも無理はない。司会者のみならず観客、そして控室にいる各校のメンバーですら、その奇跡の光景を前にして全ての言葉、感想を失い、ただモニター越しに映る奇跡から目を離せなくなっていたのだから。

 

『(……ここまで狙って作ったのだとすれば、仁川は今までの魔物と呼ばれる高校生など比にならないくらいの魔物……いや、魔王だ。普通に強い程度の高校生が立ち向かえる相手ではとてもないだろう。……思えば、あの時の私はよくあの程度で済んだものだ……)』

 

 改めて麻子の偉業を確認した靖子は、何とか口には出さなかったものの、麻子の魔王っぷりを再確認した。もし靖子がこれを口に出してしまえば、これから先当たる高校生は、皆戦う前から麻子の前に堕ちてしまう可能性があったからだ。もっとも、一文無しから逆転するだけでは飽き足らず、逆に衣のジャスト0点に加え、奇跡を幾重にも重ねたような役満を和了った時点で、どう足掻いても対局相手から悉く恐れ戦かれる運命は変わらないかもしれないが。

 

 

―――

 

 

「ありがとうございました」

 

 終了のブザーとともに、麻子は席を立ち、3人に一礼をした。その3人は、麻子の声でようやく大将戦が終わったことを認識した。

 

「……ありがとう。誰からどう見ても完敗ではあったが、実に充実していた。まだ打ち足りない気分だ。何なら今からでももう一局打ちたい気分だが……残念ながら今は許してくれなさそうだ。だから、もし機会があればもう一度打たせてくれ」

 

 最初に麻子のそれに返したのはゆみだった。何かを納得したような表情で再戦の申し込みをすると、麻子に右手を伸ばした。

 

「私でよろしければ」

 

 麻子もそれに対応して、同じく右手を差し出した。

 

「私達の分も背負って……なんて言うとプレッシャーになるだろうが……全国でも是非頑張ってくれ。東京には行けないが、長野から応援するぞ」

「ありがとうございます」

 

 出征する戦友に送るような言葉を投げたゆみは、ゆっくりと手を解くと、最初に対局室を後にした。その背中は、どこか晴れ晴れとしているようにも見えた。

 

「あたしも楽しかったよ」

 

 次に麻子に返事をしたのは華菜だった。だが、その言葉は麻子だけではなく、衣にも向けられたものだった。その言葉で、ようやく衣が現実へと戻ってきた。

 

「……楽し、かった……?」

「おかしいか? まぁ確かにアタシもいいトコはそんな無かったけど、それでもなにごともそーやって前向きに楽しんでいくのだよ!」

 

 それに、アタシだってちょっと足りなかっただけで全然やれたし、と負け惜しみのような台詞も残した華菜。だが実際、幾つかの場面では麻子に肉薄するような場面があったのもまた確かであった。もしかすれば、ほんの少し運命が狂っていれば、今ここでトップに立っていたのは華菜だったかもしれないのだ。それを考えれば、強ちただの負け惜しみという訳でもなさそうであった。

 

「来年は絶対勝つからな! 覚えてろし!」

 

 挑戦的な笑顔を浮かべながら、華菜は麻子に拳を突き出した。それに麻子もコツンと軽く拳を当て、いつものすまし顔から少しだけ口角を上げて返事をした。

 

「楽しみに待っています」

 

 まるで少年漫画の主人公とライバルのようなやり取りをした後、華菜もまた対局室を後にした。また、監視員も空気を読んだのか、あまり遅くならないようにとだけ告げ、先に対局室を出てしまった。そして残ったのは、ようやく呆然自失の状況から意識を戻した衣と、それを見つめる麻子だけとなった。少しの間沈黙が流れていたが、やがて衣の方から、自嘲的な表情を浮かべながら話しかけ始めた。

 

 

 

「……アサコは、全てお見通しだったのだな」

「……」

「……衣がまだまだ未熟なことも、そして実は弱いことも」

「……」

「……すまなかった。先にお前を、仲間を、勝負を冒涜するような真似をしたのは衣だ。そして弱いにもかかわらず傲慢な妄言を吐き続けたのも衣だ。だからアサコは、ここまで徹底的に衣を叩きのめしたのだな」

 

 まだ体が放心状態から戻り切っていないのか、椅子に座ったままではあったものの、それでも頭を下げた衣に対し、麻子は軽蔑的な表情を浮かべることもせず、むしろ微笑を浮かべながら口を開いた。

 

「……そこまでわかっているのなら、大丈夫でしょう。そこに貴女の仲間が待っていますよ」

 

 衣の独白を静かに聞いていた麻子は、一通り聞き終えると対局室の出口の方を向いた。つられて衣もそちらに視線を向けると、そこには透華をはじめとした龍門渕高校麻雀部一同が集っていた。

 

「……みんな……」

 

 透華は案の定目を吊り上げており、残る3人は困り顔のような笑顔を浮かべている。どうやらこれから透華の雷が衣に落ちることは確定のようである。だが衣は、そこから逃げようとはしなかった。

 

「こーろーもーーーーー!!!!!! だからあれ程言ったでしょう!!?!?! 相手を舐めた真似をするなと!!!!!!」

「痛い痛い痛いごめんなさい!!!!!!」

 

 こめかみの部分を透華にグリグリされるお仕置きの痛さに、衣は悶絶していた。だが少しして透華は手を離し、表情もいつものそれに戻した。

 

「まぁでも、ちゃんと悪い部分も理解しているみたいですし、私からこれ以上言うことはありませんわ」

「えっ……」

 

 てっきり今回の結果を詰められるとばかり思っており、その覚悟も決めていた衣にとっては、ある意味で不意打ちとも言える発言であった。

 

「それに、衣がそうなってしまったのは、何も衣だけが悪い訳でもありませんわ」

「ボク達も仲間として、友達として、家族として、もっとできることがあったはずだしね」

「友達……でもお前達は、トーカが衣のために集めた友達じゃないのか」

 

 一の発言に対し、衣は驚いたような表情を浮かべながらそう返した。そこに、丁度衣の背中の位置にいた純が、頬同士を摺り寄せるように後ろから抱き着いてきた。

 

「そんな水臭いこと言うんじゃねーよ。キッカケなんてそんな関係ねーだろ?」

「始まりはそうでも……私は衣や皆を、友達で家族だと思ってる」

「それじゃ、ダメなのかな?」

 

 次々と発せられる、仲間であり、友達であり、家族である皆からの言葉。その言葉に、衣の顔、そして涙腺は徐々に緩んでいった。

 

「う、ううん、ダメじゃない、ダメじゃない!!! 純も智紀も一もとーかも、皆皆友達で家族だっ!!!」

「そうですわ。何今更当たり前のことを言っていますの」

 

 呆れながらも返す透華の顔は、しかし笑顔であった。透華だけではない。純も智紀も一も、皆が揃って笑顔であった。

 

「っ、うっ、うわああああああああん!!!」

 

 そして遂に、衣の感情は決壊した。後悔、反省、謝罪、感謝、色んな感情が混ざり合った、ある意味で素の衣とでも言うべきものであった。

 

「こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛、こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛い゛い゛!!!」

「もう、そんな謝らなくても大丈夫だから、衣の気持ちはちゃんと伝わってるから、ね?」

「う゛ん゛、う゛ん゛、あ゛、あ゛り゛か゛と゛お゛お゛お゛お゛お!!!」

「こうやって見ると、本当に子どもみたいだな」

「こ゛ろ゛も゛は゛こ゛と゛も゛し゛ゃ゛な゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!!」

「でも、今まで子どもらしい所を見せられていなかったなら、丁度良かったのかも」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!!」

 

 室内に響く衣の号泣は、しかし負の感情だけではなく、正の感情も含まれていた。そしてその号泣とともに衣は生まれ変わった。今までの自分だけの世界という殻を破り、真の世界へと飛び出したのである。決して良いことばかりではない世界ではあるが、しかしこれだけの友達、家族がいれば、それすらも糧にして十分に成長していけるだろう。そして、それを見届けてから……なのかは定かではないが、いつの間にか麻子は対局室から姿を消していた。

 

 

―――

 

 

「お疲れ様っす、先輩」

「桃子か。……すまなかった」

「いや、先輩が謝ることはないっす。……あれは事故みたいなもんっすよ……清澄の先鋒以上のオーラを感じましたもん」

 

 鶴賀学園の控室……から離れた、とある階段。桃子は、そこに一人座っていたゆみを迎えにやってきた。表情はゆみを労わる色と、心配そうな色が混じっていた。

 

「それに、私はまだ来年もあるっすけど……」

 

 桃子はそう言ったきり、言い淀んだまま言葉が続かなかった。だが、桃子が何を言わんとしているかは、皆まで言わなくとも十分に理解できるものだった。

 

「まぁな……だが、それ自体は大した問題じゃない。大学の大会で結果でも残せばいいからな。……私が残念なのは、今の皆と、モモと一緒に、全国へ出場できなかったことだ」

「!」

 

 その言葉を聞いた桃子は、ほんのりと頬を赤らめた。そして目に涙を浮かべながら、ゆみの胸元へと飛び込んだ。ゆみに自分が求められた嬉しさ、大好きな皆と、ゆみと全国へ行けなかった悔しさ、色んな感情の混じり合った涙だった。顔をゆみに押し付けて声を殺しながら泣く桃子の頭を、ゆみは愛おしそうな表情で撫でていた。

 

「(ありゃあ……こりゃあしばらくは出辛いな……ワハハ)」

 

 そしてそんな2人を迎えに来た智美率いる3人は、しばらく物陰から2人を見守っていたという。

 

 

―――

 

 

 風越女子高校控室。そこの扉が勢いよく開かれた。入ってきたのは、チームの大将である華菜である。その表情は、吹っ切れたような堂々としたものであった。そして、普段の生意気な表情の一切を消した顔で、華菜は自身の上半身を90度折った。

 

「すいませんでした!」

 

 しんと静まり返る控室、そしてその中で一際鋭く華菜を睨み付ける貴子。部屋の中は、まるで時限爆弾の解体シーンのような緊張感が漂っていた。少しして、その沈黙を破ったのは、その空気を作り上げている張本人と言っても過言ではない人物、貴子であった。

 

「そうだな、最後のテメェが負けたからウチは負けた。いや、テメェだけじゃねぇ。お前らの力が足りなかったからウチは負けた。団体じゃこれで2年連続の敗退だ」

 

 厳しい口調で、貴子は現実を部員に突きつける。何をどう言い訳しようと、その事実は覆せないものであることは確かなのだ。それだけに、大将の華菜を含め、誰もそれに反論することはできなかった。悲痛な空気が漂う控室。だが、その直後の言葉で、その空気は一変することとなる。

 

「……で、この中で、負けてもいいやといい加減に打った奴はいるか?」

「!」

「そんな奴がいるんなら今すぐ表へ出ろ。その場で叩きのめしてやる。……だが、私の目が狂ってなけりゃ、そんな奴は一人もいなかった。確かに力不足で負けたことは事実だ、それは間違いねェ。だが、それでも諦めず、持てる限りの全力で打ったってんなら、ウチはまだまだ強くなれる。この悔しさを忘れるな! お前らのその無念は全て喰らい尽くせ! 次こそは風越女子高校麻雀部が全国で優勝し、日本で、いや、世界で最強であることを示せ! いいな!」

「「「っ、はいっ!!」」」

 

 荒々しい口調ではあるが、しかしその言葉の内容は最後まで健闘した皆を讃えるものであった。そして同時に、来年の大会に向けての激励でもあった。その熱い想いに、部員全員は心から出せる最大級の感情を込めた返事を返した。

 

「それと福路を含めた3年だが、インハイが終わったとしてもやることはたくさんあるからな。名門風越女子高校の名を背負っていくんだ、泥を塗るような真似は許さんからな! ……とはいえ、今日はお前らも色々と疲れただろう。だから、ホテルは連泊できるようにしておいた。親御さんの許可も取ってあるから心配するな。ゆっくり休んでこれからのための英気を養え、いいな」

 

 有無を言わさぬ口調で言い放つと、貴子はそのまま、未だ体を曲げ続けている華菜の方へと向かった。そして目の前で仁王立ちすると、また厳しい表情を浮かべて口を開いた。

 

「池田ァ! いつまでそのままでいるつもりだァ!? テメェはそんな恥ずかしい打ち方をしたってんのか、ア゛ァ゛!?」

「そ、そんなことはありませんっ!!」

 

 あまりの威迫に、華菜はまるでバネが元に戻るかのような勢いで体をまっすぐに戻した。その様子を見た貴子は、満足そうに微笑むと、それまでの勢いを一気に引っ込めた。

 

「よろしい。お前はあの絶望的な状況の中でも、最後まで勝利の可能性を諦めずに最善を尽くして打ち切ったんだ。胸を張れ、お前は間違いなく風越の大将だ」

「……はいっ!!!」

 

 特に華菜には厳しい貴子から出た、華菜を讃える最大限の言葉。その言葉に、華菜のみならず、美穂子、いや、他の部員全員も目に涙を浮かべた。

 

 

―――

 

 

「ただいま戻りました」

 

 長野の覇者となった清澄高校。その控室に戻ってきた麻子の視界には、笑顔で麻子を迎える部員の面々があった。

 

「お疲れ様、麻子! いやーやっぱ麻子はすげーな! 最後のやつは見てても圧倒されたぜ!」

「ありがとうございます」

 

 真っ先に声をかけたのは京太郎だった。実は控室で一番一喜一憂していたのは、誰を隠そう京太郎だったのだ。もっとも、京太郎は大将戦に限らず決勝戦全てでそんな感じではあったのだが……。京太郎に限らず男の子は、なんだかんだ強い主人公が相手を圧倒していく様が好きなのかもしれない。京太郎から見た決勝戦は、まさに5人を主人公としたヒーローものと言えたかもしれないため、京太郎が興奮していたのも頷けるものだった。

 

「おかえりなさい、お疲れ様、麻子ちゃん。……本当、楽しんでたわね」

「竹井さんの指示だったので、全力で楽しませていただきました」

 

 麻子が散々やらかしたことを思い出しながら、久が労いの言葉をかけた。麻子も全く悪びれる様子はないようである。

 

「一瞬0点になった時はどうなるかと思ったじぇ。でもそこから大逆転とはさっすがあさちゃんだじぇ!」

「ありがとうございます」

 

 優希もべた褒めの言葉を贈る。実際には0点になった時は流石に不安を隠しきれていなかったが、しかし逆にそこからのギャップが、優希からの麻子の評価をより上げていた。

 

「たぁいえ、なんぼ麻子ならしゃーなーとわかっとっても心臓にゃあ悪かったけぇなあ……今度からは一言先に言うてもらえるとありがたいでぇ」

「善処します」

 

 まこが眉を八の字に曲げながら、苦笑いといった表情でお願いをした。なお、善処するとは言ったが改善するとは一言も言っていないため、麻子はこれからもこういったことをやめるつもりはない。そのため残念ながら、まこと胃痛はこれからも長い付き合いになるだろう。

 

「お疲れさまでした。相変わらず奇想天外な打ち筋で理解ができませんが……しっかりと勝ち切るのは流石です」

「ありがとうございます」

 

 相変わらず和は麻子の打ち筋を全く理解できていないようだった。とはいえ、意図的な振り込みを続けて場を支配するなどという発想を理解できる方がおかしいとも言えるので、和のこの感覚は決して間違ってはいなかった。むしろ理解できてしまったら、デジタルの天使からオカルトの悪魔へと変貌してしまうかもしれない。

 

「お疲れ様、麻子ちゃん」

 

 そして最後に声をかけたのは咲であった。多くは決して語らない、むしろ他の誰よりも短い言葉ではあったが、咲の穏やかな笑顔が語らぬ部分の全てを物語っていた。

 

「お疲れさまでした、宮永さん」

 

 麻子もそれに対し、いつもの微笑みを浮かべながら短い返事で返す。麻子として生き始めてから、この中で最も付き合いが長いのは咲だった上、麻子は当然として咲も(人付き合い自体は苦手とはいえ)話の理解は非常に速い方であったため、こういったやり取りもある意味必然と言えた。まるで熟年夫婦のそれである。

 

「(負けるつもりはありませんでしたが、やはり皆さんの笑顔が見られるのは良いですね)」

 

 皆の顔を一通り眺めながら、麻子は心が温かくなるのを感じた。麻子は自身のその思考、感情に疑問を持たなかった。

 僅か数ヶ月という期間ではあったものの、しかしその数ヶ月は今までの数年間と同じくらい濃密なものであったのも確かであった。そしてその経験は、たとえ人鬼と呼ばれた者であっても、その姿を変えるに十分なものであったのだ。

 

「(しかし今はまだ県予選。まだまだ潰さなければいけない相手はたくさんいます。部の課題もまだまだ多い。これからどうしましょうか)」

 

 ……それでも、根っこの部分は変わっていないようだ。しかしそれでこそ傀であり、麻子である証拠とも言えた。

 




という訳で大会編は終わりです。思ったより長かったようなこんなもんなような。
対局中に一切の慈悲も容赦も持ち合わせていないのは元が元なので仕方ないね。
ですが対局が終われば優しさを見せる辺り、もう麻子さん人間でしょ(人間とは言ってない)

という訳で、『仁川麻子の人間化計画』は完結です。
ただ別に続きを書きたい欲が消えたわけではないので、
『仁川麻子の高校生活』として本編軸にある程度沿った続きを書く予定です。
ほのぼの日常編も書いていきたいんや……。

ただ新小説として作るか、あるいはタイトルを変えるだけにするかはまだ考え中です。
多分後者になると思います。その場合突然タイトルが変わってると思います。
中身は変わらないのでご安心いただければ……。

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