「おはよーございまーす」
「ん、おはよー」
清澄高校の朝。正門を通過してすぐ、久は下級生から挨拶をされた。それに対し久も挨拶を返す。久が生徒会長を引き継いでからよく見られる、いつもの朝の光景である。
「相変わらず人気者じゃのー」
「お、まこー、おはー」
そんな久に馴れ馴れしく呼びかけたのは、清澄高校2年生の染谷まこ。麻雀部の一員であり、また久の親友の一人とも言える人物である。まだ5人揃っていなかった昨年から既に麻雀部員として活動をしていた、麻雀部のお母さんとも言える存在である。故に二人の仲は非常に親密であった。
「聞いたでぇ、なんでも毎回±0で和了る1年がおるそうじゃのぉ。和が昨日の夜にメールで言うとったよ」
「あぁ、そうねぇ、中々、どころかすごく面白い子だったわ」
「へぇ、そうじゃったんか。昨日ヘルプが無けりゃあ生で見られたのに、仕方ないたぁいえつくづく惜しいことをしたもんじゃ」
「ただ……」
久はそこで、一度まことの会話を止めた。そして一息つくと、話を続けた。
「私としてはね、その±0の子……宮永咲ちゃんを、いとも容易く勝利へ導くアドバイスをした、もう一人の子も気になっているの」
「……へぇ、どがいな子なんじゃ?」
「それは今日麻雀部に来てくれればわかると思うわ。多分宮永さんと仁川さん、あ、もう一人の子のことね、今日も来てくれると思うから」
「そうか、なら楽しみに待っとこうか」
まこのその顔は、新しいことを知ってわくわくするような子どものような、純粋な顔をしていた。久の言うことが本当なら面白い打ち手が二人も増えるのだ、麻雀好きとしてはたまらないのだろう。そんな話をしていたときだった。
「おはようございます」
「あら、おはよう、仁川さん」
渦中の人物の一人、麻子が姿を現した。まさかの本人登場に、まこは柄にもなくテンションが上がっていた。ただ、まこのテンションが高くなったのは、決して麻子が現れたからだけではない。その麻子本人から漏れ出すオーラ、それにあてられたのも多分にあった。
「おはよう、わしゃ染谷まこ。これでも麻雀部の一員なんじゃ、よろしゅうな」
「仁川麻子です、よろしくお願いします」
「しかしなん言うか、オーラがすごいのぉ。近くにいるだけで、強さがようわかるよ」
昔から実家の雀荘でアルバイトをしたりしていた経験から、まこは麻雀の強者特有のオーラというものを感じていた。勿論麻子からである。
「その辺のまこのセンスはすごいわよね。直感と言うか。しかもはずしたことがほとんどないし」
「これでも数え切れんくらいのお客さんを相手してきたけぇ、強い人のオーラというもなぁようわかるんじゃ。麻子のオーラは今までの中でも、とびっきり強う感じとるけれど」
白い綺麗な歯をニッと見せながら、まこは自慢気にそう言った。
―――
その日の放課後。麻子と咲は、麻雀部への道を歩いていた。咲のことだから、てっきり図書室にでも行くのかと思っていた麻子は、少々意外だというような目で咲を見ていた。
「宮永さんは麻雀、もう大丈夫なのですか?」
「うん。昨日の麻子ちゃんのアドバイスのおかげで。それに、ちょっと目標もできちゃってね……」
「目標?」
「うん。……私にはお姉ちゃんがいるんだけど……」
道すがら、咲は家族環境のことを少しだけ麻子に話した。両親が今は別居していること、2歳上の姉、宮永照が今は東京にいること、そしてその姉が、次の夏のインターハイも、インターハイチャンピオンとして個人・団体の両方で出場することを。
「お姉ちゃんとは喧嘩別れしちゃって、もう何年もまともに話せていないけど……でも、麻雀を通してなら、話せる気がするんだ」
「……そうですか」
麻子の顔は優しいものだった。傀の時代ではほとんど浮かべなかった、温かいものだ。それに、麻子にはそういった人物に心当たりがあった。かくいう麻子本人も、どちらかと言えばそういった性質である。麻雀打ち同士は、麻雀を打つのが一番手っ取り早い会話の手段である。傀の時代からそれは当然のこととして、麻子の中に刻み込まれていた。だから咲の話していることに特に疑問を持つこともなく、すんなりと受け入れたのである。
「だから、麻雀部に入って打ちたい。そして、全国へ行かなきゃいけないんだ……!」
「……私も、お手伝いしても良いでしょうか?」
「え?」
お手伝い。まさか自分がそんな言葉を発するとは、と麻子は内心一人呟いた。何かの企みのために一時的にお手伝いをすることはあったとしても、このような形で純粋にお手伝いをしたい、なんてことはなかったからである。『こちらの世界』へ来てまだそれほど長くはないが、それでも確実に麻子は変わり始めていた。
「……勿論だよ。むしろ、麻子ちゃんも一緒に手伝ってくれるなら、とっても嬉しい!」
「ふふ、ありがとうございます」
一緒に目標を目指してくれる仲間がいる。そう考えただけで、咲にとっては嬉しいことであった。また麻子からしても、頼ってもらえるということに喜びを覚え、そしてそんな感情を抱いた自分自身に驚いていた。それから二人は笑顔を浮かべたまま、麻雀部の扉を開けたのであった。
―――
「あら、いらっしゃい、宮永さん、仁川さん」
「こんにちは。……今日はお願いがあって来ました」
お願い。その言葉に、中にいた麻雀部の面々は思わず期待の眼差しを二人に送る。そしてその期待に応えるかのように、咲は言葉を続けた。
「私たちを、麻雀部に入れてもらえませんか。皆と、もっと一緒に打ちたいんです。そして全国に行きたいんです!」
普段は寡黙な文学少女である咲からの言葉とは思えないような、熱い闘志を湛えた言葉だった。それに対し、麻雀部の面々が否と言うはずもなかった。
「こちらこそ、入ってくれるなら大歓迎よ! よろしくね、宮永さん、仁川さん……いえ、咲ちゃんに麻子ちゃん!」
久が名前で呼ぶのは、相手を対等な存在、そして仲間として認めた時である。実は意外と、久の中でのそのハードルは厳しい。あの和相手でさえ、入部から数日の間は原村さん呼びしていたほどである。こうして3日と経たずに名前で呼ばれること自体、異例中の異例と言えた。もっとも、そのことを理解しているのは、本人である久、そして付き合いの長いまこくらいなのであるが……。ともかく、これで正式に麻子と咲は麻雀部員として、仲間として活動することとなった。だが、ここで早速試練が訪れる。
「……ところで、今日は麻子ちゃんも打ってくれない?」
部長である久が、麻子に対して麻雀を打ってくれと頼んできたのだ。日常ではいざ知らず、卓上での麻子は全く以て容赦が無い。別段手加減するつもりは無かったので、勝てる勝てないの心配は一切していなかった。しかし手加減せずにぶっ飛ばした時、果たして彼女達はそれでも仲間と呼んでくれるのか。孤高の存在であったときは気にしなかった、仲間という存在。今の麻子はそれを失うのを恐れていた。
「(……いつから私は、精神がこんなに軟弱になったんでしょうかね……)」
そう自嘲する麻子。しかしそれは、麻子が仲間というものを知って間もないため、扱いに慣れていないだけである。だが麻子がそれを理解できるようになるのは、もうしばらく後となる。
「(……そもそもこういうのは私らしくなかったのかもしれません。それなら……)」
「……麻子ちゃん?」
「……すみません、大丈夫です。打ちましょう。面子はそちらで決めていただいて構いませんが……」
いっそのこと、と開き直った麻子は、一呼吸置いた後に抑えつけていた一気にオーラを全開にした。
「打つからには全力で打たせていただきます」
「「「「「「!!!」」」」」」
それは一瞬の出来事であった。麻子以外の6人は、風が吹いているわけでもないのに、凄まじい風圧を感じた。それも、立っているのも辛いような、勢力の強い大型台風の風圧である。それだけではない。ティーカップセットがカタカタと音を立てていたのである。当然地震が起こっているわけではない。ただ、そのオーラというオカルトパワーがあまりに高すぎたため、現実にも影響を及ぼしていたのだ。
「……こりゃあ、わしが出にゃあいけなさそうじゃのぉ……!」
「そうねぇ、私も久々に疼いてきたわ……!」
先輩二人に加えて超人的オーラを発する麻子の3人が囲む、他の1年生部員からすれば恐ろしいことこの上ない卓。優希や京太郎は勿論のこと、和でさえそこに入るのを躊躇っていたが、一人だけ例外がいた。そう、咲である。そこに咲は何食わぬ顔で入っていったのだ。……いや、何食わぬ顔ではない。むしろ、傍目から見ると、新しい玩具を買ってもらった子どものようなわくわくとした表情にさえ見えた。
「うわー……よくあんな卓に平然と入れるなぁ、咲は……」
「おっそろしすぎてチビりそうだじぇ……」
「オカルト、なんて、ありえません……」
残る1年生3人組は割と、どころではなくかなり引いていた。主に目の前の卓から発せられる異様な空気を作り出している3人、そしてそこに嬉々として飛び込む咲に。あのオカルト否定派でデジタル至高な考えを持つ和でさえ、オカルトの存在を認めなければいけないのでは、と考えるほどには圧されていた。そんな周囲の様子を気にすることなく、久はルールの確認を行っていた。
「ルールは半荘戦、赤ドラはなし、ウマなしの25000-30000返し。特に異論は無いかしら?」
「えぇ、問題ありません」
かくして、『清澄の黒い魔王』が、その実力を遺憾なく発揮することとなる。そして清澄高校麻雀部員にとって、忘れられない対局が始まろうとしていた。
次回、遂に麻子さんの対局初お披露目となります。