ピンポーン、と。間伸びした電子音がマンションに響いた後、
「いらっしゃい、穂乃果」
数秒して内からドアが開いた。
「ぅ絵里ちゃん!」
「久しぶりね、穂乃果。相変わらず元気そう」
髪を下ろしていた絵里は、微笑んで穂乃果を迎え入れた。
「お腹は減ってるかしら?」
「うん! 絵里ちゃんがご飯ご馳走してくれるって言うから、頑張って空かした!」
「何よそれ。変な子ね」
小さく笑った絵里はテーブルに穂乃果を促すとアイスティーを差し出す。
「今温めるから、ちょっと待っててね」
「はーい」
何やら鍋に火をつけた絵里は、
「今年の誕生日は、充実してたのかしら?」
そんな話を振る。
「うんっ! すっごく色々あったよ! 全部楽しかった!」
穂乃果も、まるで親に話すように今日一日の出来事を報告する。そして最後に、
「絵里ちゃん家で晩ご飯食べられたし!」
と締めくくった。
「まだ食べてないわよ」
呆れて笑った絵里は、鍋の中身をお皿に移す。
「──はい、どうぞ」
「わ、ありがとう絵里ちゃん!」
穂乃果はお皿の中身──赤茶色の具沢山の半液状の物体を見て、匂いを嗅ぐ。
「……ビーフシチュー?」
「惜しいけど違うわ。これは、ボルシチっていうのよ」
「ボルシチ! 知ってるロシア料理だ!」
「そうよ。よく知ってるじゃない」
「えへへ、だって絵里ちゃんが好きな食べ物だもん! 覚えちゃった!」
「──っ」
不意打ちの笑顔に、絵里は言葉に詰まる。
「……この子ってば、ホントにもう……」
「どうしたの?」
「ううん、穂乃果は変わらないわね」
「みんなそれ言う〜! 穂乃果だってもう大人なんだよっ」
一瞬でむくれた穂乃果に、絵里は微笑ましくなる。
「いいのよ、穂乃果はそのままでいてくれれば」
「むう〜……子供扱いは納得できないよぉ〜!」
「別に子供扱いしてる訳じゃないのよ? ただ、妹みたいで世話したくなっちゃうのよ」
「穂乃果だってお姉ちゃんなのに……」
「あら、昔『穂乃果のお姉ちゃんになって!』ってお願いしたのは誰かしら?」
「うっ……それはそうだけど……」
「ふふっ、冗談よ。ごめんなさい。──さあ、冷めないうちに食べて」
若干不満の残る表情だった穂乃果だったが、目の前で美味しそうに湯気を立てるボルシチの誘惑には勝てなかったのかスプーン片手に口に運ぶ。
「──美味しいっ!」
一瞬前の不満顔はどこへやら。輝かしい笑顔で感想を叫ぶ穂乃果。予想はしていたが、釣られて笑顔になる絵里。
「ボルシチは、パンと食べると美味しいのよ?」
「パンあるの⁉︎」
これは予想以上の食いつきっぷり。そういえば、昔からパンが好きな子だったと絵里は思い出す。
「ちょっと待っててね」
絵里はキッチンへ向かうと、普段は自分へのご褒美用にと置いてある高級パンを迷わず手に取った。
「はい、どうぞ」
「ありがとうっ!」
パンの値段など露知らず。穂乃果はパンにかぶりつく。
「パンも美味し〜!」
勢いを鈍らせる事なくボルシチとパンを交互に口に運ぶ穂乃果を眺めながら、絵里は微笑んでいた。
「あれ? 絵里ちゃん食べないの?」
一息ついてようやく絵里の手が止まっている事に気付いた穂乃果は、首を傾げる。
「美味しそうに食べる穂乃果を見てたら、それだけで満足しちゃったのよ」
「お腹空いてないの?」
「そうね、ちょっとは空いてるわ。でも、穂乃果を見てると他の事がどうでもよくなっちゃうのよね」
「う……それだと、穂乃果の食い意地が凄いみたいに聞こえる……」
「あら、間違ってないんじゃないかしら?」
絵里は悪戯っぽく笑うと、穂乃果の手元を見やる。穂乃果も釣られて視線を落とすと、散らばったパンのカス、カス、カス。
「…………」
黙ってパンカスを集めた穂乃果は、お皿の中に落とす。それを対面で見ていた絵里は、堪えきれず笑い声を漏らす。
「ごめんなさい、気にしなくていいわよ。沢山食べる穂乃果を見てるだけで、私は楽しいもの。──それに、」
「?」
絵里はウインクすると、
「今日は誕生日でしょう? 少しくらい遠慮せずにしたって、いいじゃない。特別な日なんだから」
「そ、そうかもだけど……」
明らかにベースが落ちて丁寧に食べ始めた穂乃果を見て、余計な事を言ったかもなと絵里は少し後悔。
「──おかわりは?」
「するっ!」
そんな事はない。穂乃果はやはり穂乃果だと、絵里は口元が綻ぶのを隠せなかった。