高坂穂乃果は店番をしていた。
大学を卒業し、実家で和菓子職人として修行を始めて一年とおよそ半年。未だ父親のレベルには達していない。それ故か厨房を一任される事は少なく、こうしてカウンターで店番をする事も多い。
元々快活な性格で、老舗和菓子屋の長女。裏表のない笑顔と変わらず元気な接客は評判もいい。
「…………」
だが、今の穂乃果はそんな評判など消し飛びそうな仏頂面だった。
幸いお客はいないが、いたらそもそもそんな顔しないが、不機嫌な空気をこれでもかと出していた。
その理由は、とても簡単。
「今日は穂乃果誕生日なのに……。どうして誕生日にもお店番しないといけないの……」
特別な日の雑な扱いに、不満だったからである。
父親は厨房へ引っ込み、母親は外出中、妹には「卒論を控えた大学生に店番させないでよ!」と怒られた。
結果、カウンターに頬杖をつきながら、ぶつくさと文句を垂れ続けていた。
まだ開店して間もないので、客足は無い。静かな店内に、呪詛のような文句が延々と響いていた。
──ガラガラガラ、と。
「!!!」
唐突に正面の扉が開き、穂乃果は慌てて姿勢を正す。その際に、
ゴッッッ、と右手をカウンターに強打した。
「こんにちは、穂乃果。お店番はあなたなんです──どうしたんですか……?」
身をよじって痛みに耐えていた穂乃果は、声の主へ視線をやり涙に滲んだ目を見開く。
「う、海未……ちゃん?」
「…………」
何となく状況を把握した海未は、小さくため息。
「気を抜いているから、そうなるんです。まったく……いつまで経っても、中身は成長しませんね」
正論すぎて何も言い返せなかった穂乃果は、
「……ところで海未ちゃんは、何しに?」
この数年間で会得した、『話題を逸らす』術を使う。
「わざわざお店に買いに来るのも珍しいよね。いつもうちの玄関に来るのに」
「今日はお客として来たんです。いつもいただいてばかりではいけませんから」
「大人になっても、相変わらず真面目だね〜」
「それは、お互い様でしょう?」
海未は小さく笑うと、
「穂乃果の不真面目さも、昔から変わりませんよ」
「酷いよ海未ちゃぁん!」
こう見えて和菓子職人なのに、と穂乃果はごちる。
「まだ見習いでしょう?」
「うっ……」
「細かな細工など苦手なモノは後回しでは?」
「うっ……」
「勝手なアレンジをしては叱られているのでは?」
「うっ……」
「あんこ飽きた、なんて言う和菓子職人なんて穂乃果くらいでは?」
「うっ……」
スラスラと並べられた予想が面白いくらいに図星だった穂乃果は、カウンターの奥で小さくなる。
「うむむむむ……こうなったら!」
穂乃果は急に顔を上げると、のれんをくぐって奥へ引っ込んでしまう。お客が来たらどうするつもりかと海未は思ったが、幸いにも穂乃果はすぐ戻ってきた。
「──はいっ! 海未ちゃん食べて!」
そして右手に持っていた和菓子を突き出す。
「これは……水羊羹ですか?」
白い半透明の求肥に包まれた、一口サイズの水羊羹。冷やされていたのか、冷房の効いた店内でも漏れ出す冷気が分かる。
「しかし、これは売り物では……?」
「昨日作って厨房に置いといたヤツだから、売り物じゃないよ。だから気にしないで!」
「そ、そうですか。では遠慮なく……」
海未は水羊羹をつまむと、口へ放り込み咀嚼。
「…………うん、やはり穂むらの和菓子は絶品ですね。とても素晴らしい出来です」
そんな賞賛を聞いた穂乃果は、
「ふっふっふ……」
怪しく笑い出す。
「……穂乃果?」
「かかったな海未ちゃん! ──その水羊羹、作ったのは穂乃果でしたっ!」
「えっ……?」
海未は大きく目を見開いて、自分の手元を見下ろす。
「おじさまが作ったのでは……ないのですか?」
「それは穂乃果が試作した水羊羹! まだコストとか値段とか決められてないから、売り物にはできないんだけどね。──うちに一口水羊羹なんて、無いでしょ?」
「それは……」
海未は通いつめ、完全に暗記している品揃えを脳内で確認するが、確かに今食べた和菓子は記憶に無い。
「……和菓子の舌に関しては、少し自信があったのですが……」
二十数年間、事あるごとに食べてきた穂むらの和菓子。どんな常連よりも舌が肥えている自信はあった。
「穂乃果だって少しは、成長してるんだよ!」
得意げにVサインをした穂乃果を、海未は悔しげに見つめる。
「いやっ……」
何か言いたげに口を開きかけたが、
「……そのようですね」
違いを見抜けなかったのは事実なので、大人しく認めた。
「──あぁ、忘れる所でした」
ふと、海未は何か思い出したように手を叩いた。
「?」
「今日は、あなたの誕生日でしたね、穂乃果。その為に来たんでした」
「そうだけど……今さらじゃない? もうずっと毎年の事でしょ?」
「いくつになっても、毎年うちへ来て賑やかに祝って去っていくあなたに言われたくはありません」
海未は一蹴。
「で、何々? プレゼント?」
「まあ、プレゼントと言えばそうかもしれません」
「え〜? 何なのもったいぶって」
「形に残るプレゼントは、大体あげ尽くした気がします。なので今年は、穂乃果ほどではないですが少し奇をてらったモノはどうかと思いまして」
結論を焦らす海未に、穂乃果はカウンターをバンバン叩く。
「もう子供じゃないんだから静かにして下さい!」
怒られた。
「せっかくの誕生日なのに、一日中店番ではあなたも退屈でしょう。──私が代わります」
「へっ?」
「私が穂乃果の代わりに、店番をすると言いました。……本当は、今すぐ出かけたいんじゃないですか?」
「そ、それは確かにそうだけど……でもいいの……?」
「私も穂乃果も、あの頃とは違います。お互いの道を進んでいます。──でも」
海未は優しく微笑むと、
「誕生日くらい、ワガママ言ってもいいんじゃないですか?」
「海未ちゃん……」
「さ、今日という日の時間は限られていますよ? ああ、業務内容には心配いりませんよ。何年ここに通ってると思ってるんですか?」
「──うん! 海未ちゃん、本当にありがとう!」
穂乃果はパッと顔を輝かせると、着ていた割烹着を脱いで海未へと放り投げる。
「──わぷ」
海未がそれをどかした時には、すでに穂乃果の姿はなかった。奥の方から、バタバタした音だけが聞こえてくる。
「…………」
相変わらずの行動力に、海未は今さらながら呆気に取られる。
「……穂乃果は、その方が『らしい』ですね」
苦笑した海未は、割烹着に袖を通した。
「いってきま〜す!」