最大多数の生存こそ目指すべき勝利であると、彼らは言う。千代物です。千代さんは脇差の世話焼き対象外だったら面白いなあと。pixivにも投稿してます。

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反交換関係

 揺蕩う水のようだと、無量の水のようだと思った。無辺の海を、ひとの姿に押し込めたような。その刀は、そんな格好をしていた。

「千代金丸。ヤマト生まれの琉球育ちだ」

 

 千代金丸の依代が鍛刀された時、物吉貞宗は近侍を務めていた。彼がもたらす幸運はそういったものではないが、それでも幸運刀にあやかれば希少刀が現れるのではないかと審神者が言い出したのが理由だった。審神者は顕現した千代金丸に仮名を名乗ると、物吉に案内と教育係を頼んだ。

 

 戦いについてどう思うか、と大雑把にはそんな内容だった。刀剣男士は時間遡行軍と戦うために呼ばれたものだが、少なくともこの本丸では戦いを厭うものには遠征と内番に専念する選択肢が与えられる。それだけが理由ではないが、物吉は新入りにまずそう聞くことにしていた。

「そうだなあ。……生き残るが勝ちだ、とは思うな」

「ええ。生き残れば、勝ちです」

 気づけば物吉は考える前に同意していた。そういう言い回しを自分以外に聞いたのは、はじめてだった。

「おお。わかるか」

 生き残るが、勝ちだ。

 すべてのいきものが、時の前に朽ちるまで生き残れば、それが一番いい勝利というものだ。それが千代金丸の言う、理想の終わりだった。

 

 

 

 千代金丸は、内番四種(畑、馬、洗濯、手合せ。食事は本丸全体ではなく、掃除は本丸の浄化機能に任せている)を一通り割り当てられ、一度遠征に出たところで、いきなり隊長職に任ぜられた。

 困惑の目を向けられた物吉曰く、当面出撃する戦場は特殊な時空域のために一振りまでは認識阻害の術を掛けることが可能だとか。その対象を隊長職に据えるよう定められているらしく、こういった特殊時空域へ接続できる期間は新入りを隊長にするのが慣例なのだという。

 

 連隊戦に出るのは三部隊、千代金丸率いる第一部隊は全十戦のうち八戦目までを担当する。いくら隊長職は狙われぬと言っても、当たるを幸いといった風の薙刀まで避けてくれるわけではない。夜目が利かないのを差し引いても、千代金丸がまともに戦えるようになった頃にはもう審神者の求める分の夜光貝(そのような姿をしているだけで正体は霊的エネルギーの塊である)が集まろうかという頃になっていた。なお、彼の名誉のために言い添えておくと部隊員は戦意十分の極刀ばかりで、そこに混ざってまともに戦う(それも連戦)というのは並大抵のことではない。

 

 逃げろ、と言った。あの無名の刀たちにたとえ意思も心もなくとも、そこに在るというだけで生きるには十分で、戦いを憂うにも十分だった。これが刀として異色で異形なのも知っていた。それでも、千代金丸は傷も戦も嫌いだった。

 多くの敵は逃げなかった。それどころか、こちらの言葉も聞こえていないか、あるいは言語だと認識していないように一切の反応を見せなかった。

 

 それは、何戦目だったろう。千代金丸は半ば諦めを抱きつつ、自分へ向かってきた脇差に逃げろと言った。

 脇差は、一瞬戸惑ったように身を震わせて、一歩だけ後退った。そして千代金丸が動かないのを見て、身を翻して一目散に戦場を離れた。離れようと、した。

「逃すかよ」

 怯えるように身を引いた大蜘蛛の首を、轟と鋼色の嵐が薙いだ。死んでしまった脇差はその鋼を握る男を見ることさえなかっただろうが、それは黒い襟巻と溶けた金のような瞳が印象的な打刀だった。

「ああ……逃げられなかったか……」

 それが敵だとは分かっていたが、それでも千代金丸には我が身を切られるようだった。

 

 戦には勝っても死ぬことがあることを、負けても生き残ることもあることを、千代金丸は知っている。物吉貞宗も同田貫正国も知っている。それで問題は、どこに重きを置くかということだった。同田貫は戦いに勝つことを第一にして、生命は置いていくことができた。物吉は主人を生存させることを第一にして、それ以外はすべて捨てることができた。

 

 千代金丸は、命に優先順位をつける方法を川底に置いてきてしまっていた。

 

 

 

 本丸へ戻れば、赤黒い染みも鉄錆の匂いも、靴の裏に張り付いた肉片も、粉になるまで砕けた骨の欠片も、すべて綺麗さっぱり消えてしまう。まるで先の戦いがその相手ごと全部夢であったかのようで、千代金丸はそれが少し苦手だった。

「どうかしました?」

 白金色の髪の脇差の問いに、南の海色の髪をした刀はなんでもないと答えた。とてもなんでもないようには見えないさみしげな顔は物吉しか見ていない、はずだ。

「……ただ、戦いは嫌いだな、と」

 それでも戦わなければならないのも、承知していた。こんな自分まで駆り出されている時点で、もうそれ以外ではどうしようもないのだと。

 千代金丸は、宝刀で、守護の霊刀だった。一つ所に在れなかった、守り刀だった。敵も味方も彼にはさほどの意味はなく、ただ命が、魂持つものが、あるだけだ。

「連隊戦では折れませんよ」

 それは、事実だ。刀剣男士には強固な守護の術式が掛かっている。故意に重傷を押して出撃しなければ彼らが折れることはなく、連隊戦に至っては顕現が難しくなった段階で本丸へ強制転送される。そうすれば一筋の傷さえ残らない。

 けれどそれもこれもすべて、刀剣男士だけのことだ。

「俺たちは、な」

 優しいひとだ、と思った。刀というより、まるきり人のようだと。それはどうしようもなく辛くて苦しくて、おそらくは誰にとってもあまり良いことではないのだろうと物吉は思う。人のような身体も心も、炉から生まれる炎のこどもたちには少々刺激が強すぎた。物吉自身の単純で動かしようのない行動理念の有難さを実感する。

 

 

 

 流れる水の底から、世界を見ている。主人を斬れなかったあの日から、ずっと。大きく振りかぶって刃筋を立てて落とされて、それでも肉を切れなかったあのときから、自分は刀として異形のものになり果てたのを、千代金丸は知っている。

「千代金丸」は川の底からは引き上げられても、自分の魂の一つはまだそこにあるのだと彼には分かっていた。その隙間に入り込んだものは何百年もかけて、千代金丸から敵と味方を区別する術を奪っていった。

戦いは嫌いだ。誰にも死んで欲しくない。ただこの心が痛いだけのことだとしても、この鋼に血を纏わずにいられる方法があるのなら、その方が好ましいのは言うまでもなかった。

 

 

 

 第四部隊の札に、名前が増えていた。この本丸では第四部隊だけは他の三部隊とは少々違った意味を持つ。第四部隊はメンバーが固定されていて、そして()()()()()。遠征の専門家、ということだ。刀であれど武具でない、異色の部隊。その編成表に「千代金丸」の木札が増えていた。物吉貞宗はなんだかそうなることを知っていたような気がしたけれどそれでも、はちみつ色の瞳は並んだ札から離れなかった。

「どうした、物吉。行くぞ」

 動かない物吉に、墨色の装束の男が不思議そうに声をかける。今日の出陣先は江戸城下だ。余計なことを考える余裕はない。はちみつ色が一つ瞬いて、すぐに彼の顔にはいつもの微笑が浮かんだ。

「……ええ。あるじさまに、勝利を!」

 生き残れば、勝ちだ。

 幸運は有限だ。

 どんな地獄絵図の中からでも、自陣の生存者を最大化する。そのために敵を殲滅する。それが物吉貞宗の定める幸運だった。

 

 

 

 千代金丸は二人部屋だ。ただその相方は今一つ部屋に居着かないようで、日中は連隊戦前と同じく、彼だけが居ることが多い。そこに世話係は既に解かれたはずの貞宗の脇差がやって来るのも、連隊戦が始まる前と同じだった。

「千代金丸さん、いますか?」

 今日は草餅を貰って来ました、と草餅と湯呑みが二つずつに魔法瓶が載った小ぶりの盆を持った物吉が言う。

「おー。いるぞー」

 入れー、とやわらかな声がした。物吉の出陣か千代金丸の遠征がない限り、三時にはこうしておやつを持った物吉が千代金丸の元を訪れるのが、いつのまにかこの二振りの習慣になっていた。

 

 六十も七十も一つ所に住んでいるのだから、毎日でも会話の種が尽きるはずがない。今日の話題はもっぱら、篭手切江が脇差全振りを巻き込んで「ステージ」を実現しようとしていることについてだった。なお豊前江とのデュエットとは別のものである。肥前忠広は猛反対していたが、鯰尾藤四郎とにっかり青江(彼は極だ)が面白がって賛成に回ったので、まだまだ新入りの域を出ない彼の勝ち目は物吉が見る限りなさそうだった。ふんふんと聞いている千代金丸がどこまで理解しているのかは定かではないが、楽しそうなのは確かなのでそこに関してはお互い気にしていない。

 

 草餅は三口で消えて、お茶もすぐに尽きる。二杯目以降は千代金丸が用意するのも毎日のことだった。茉莉花が混ぜられているという不思議な風味のお茶の名前を、物吉は知らない。普段なら、名前どころか淹れ方まで覚えるだろう。それが大刀に対する脇差というものだった。けれど千代金丸に対しては、なぜかそんな気が起きなかった。

 

「千代金丸さん」

 物吉貞宗は幸運刀である。物吉記を由来と極められた彼は、勝利を運ぶが故に名づけられた物で、その無銘の鋼と同じくらいには、戦場と無縁ではいられない物だった。そして秋冬には戦をするこの国そのものに、思想とか観念とかそういうあやふやで強大なものに、ひとつの時代に、ひとが勝利することを助けた刀だった。神の脇差の名は彼が刀剣男士である以上、どうにもならないくらい根本の所に染みついたもので、だから彼はただ一振りのために在ることはできなかった。けれどそれでも、それは決して、彼に個の意思がないという意味ではない。

 

「ボクは、あなたが好きです」

 

 物吉は彼のための差し添えにはなれないけれど、彼の在り様はかなしいのと同じくらいに美しいと思った。優しいひとであり続けるためには、とても強くないといけないのを、物吉は知っている。

 

 千代金丸には、物吉貞宗がよく分からない。彼は誰が死ぬのも決して好きではない、のだと思う。戦いが好きだというわけでもないはずだ。それなのに率先して戦いに出るその在り方が、分からない。あの黒い打刀に懐いている風なのも不思議だったし、敵を悼むでもなく武功を誇るでもなくただ勝つために戦うその様が理解できなかった。

 ただこの、ふたりのおやつの時間は好きだった。

 

「うん。俺もだ」

 

 物吉貞宗はゼロサムゲームをしている。千代金丸はWIN-WINの解法を求めている。プレイヤーとして、彼らは同じテーブルに着くことさえしない。けれど、ただ二つのものとしてなら彼らは、よき友になれた。そしてそれならばきっと。ひとのように愛を謳うことも、できた。


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