どれだけ殺しても憎い存在が居るとするならば、それは俺自身だ。
***
時は大正。
明治時代を経て文明が急速に発展した日本では、すでに侍などは過去の遺物。それに伴い、刀もまた大っぴらに携えて歩けなくなる時代へと移り変わった。
しかし、そんな中未だに刀を手に戦っている者達が居た。
彼らが斬るのは人ではなく、お天道様が沈んだ夜中に動き始める異形の化け物―――鬼。
人を喰らい、人智を超えた異能を用いることもある鬼に、少なくない人間が数百年も前から犠牲となっている。
そんな彼等を退治するために生まれた組織こそ、鬼の頚を斬り、殺すことのできる唯一の武器・日輪刀を携えた鬼殺隊だ。
「うん! 今日もまた鬼殺日和!」
彼、明松 燎太郎もまたその一員。
「赫灼の子」と呼ばれる所以でもある赤みがかった髪と瞳の色は、まさしく彼の内に宿る義勇の炎の如く赤く猛々しい。
さらに彼の情熱的な性格が、輪にかけて彼に炎を連想させるのだ。
「む! ご婦人、何かお困りの様子!」
「ちょっと荷物がね……」
「なるほど! では、俺が手伝います!」
「あらあら、ありがとうございます……」
困っている人を見かけたら助けずには居られない。
孤児だった彼を育てた人物が、そうした境遇の子供を引き取って面倒を看る寺の坊主であったことも、彼の人格形成に大いに関わっているだろう。
そうした彼が鬼によってもたらされる人間への被害を知れば、鬼殺隊の門を叩くのは必然だったと言える。
現に、一年中藤の花が狂い咲く藤襲山にて開かれた鬼殺隊の剣士を選別する「最終選別」において、鬼が解き放たれている山にて七日間彼は生き残った。それもこれも人を助けんとする彼の義勇心故に積み重ねた努力のおかげだろう。
しかし、もう一つ。彼がここまで情熱的になった理由が隣に立っていた。
「うむ! 自ら進んで世の為人の為に動く姿……天晴だ!」
「ありがとうございます、煉獄の兄貴!」
燃ゆる業火を連想させる髪を靡かせる男。
彼こそが、鬼殺隊屈指の実力者たる称号「柱」の内、「炎柱」の称号を冠する豪放磊落かつ漢の中の漢(※燎太郎談)、煉獄 杏寿郎だ。
「俺も煉獄の兄貴のように、より大勢の人々を助けられるよう邁進する所存です!」
「そうか! その意気なら俺の継子となれる日も遠くあるまい! やるぞ、明松少年!」
「はい! 煉獄の兄貴!」
「明松少年!」
「煉獄の兄貴!」
「明松少年!!」
「煉獄の兄貴!!」
公衆の面前で高潔な目標を掲げ、互いを鼓舞するように叫ぶ二人。周りから向けられる瞳は冷たいが、それを押し返すほどの熱量を彼等は発していた。
夏の昼下がりでもないのにも関わらず、陽炎が揺らめているような光景を、通りすがりの人々は幻視する。何の気になしに打ち水をする者も出てくる始末だ。
これほどまでに熱く燃える男の魂を叫び合う二人は、傍から見れば大層長い付き合いに思われるだろう。
ちなみに彼等、今日が初対面である。
***
初対面で燎太郎の人格形成に大きく関わった煉獄は、再三言うようではあるが「柱」だ。普段は階級が下の隊士とは別に、相応に強力な鬼を相手取る任務に臨んでいる。
しかし、柱にとって「十二鬼月」と呼ばれる鬼の首領・鬼舞辻 無惨直属の強力な鬼以外は、等しく木っ端に等しいものだ。
ならば、何故今回煉獄が特別階級の高くない燎太郎と共に任務に臨もうとしているのか―――それは、今回の相手が十二鬼月である可能性があるからだった。
柱になる条件の一つに「十二鬼月を討つ」と定められていることを裏に返せば、柱に等しい実力がなければ、十二鬼月討伐は困難とみなされている。
燎太郎は本来鎹烏の連絡により単独で任務に臨もうとしていたのだったが、それよりも早く十二鬼月の可能性を危惧した上層部が、あらかじめ煉獄を派遣しており、偶然途中で合流した形となった。
その途中、二人は意気投合。遼太郎は煉獄を兄貴と呼ぶまで慕うに至った。
この人望こそ柱の為せる御業。「そんなだから皆に嫌われるんですよ」と揶揄される者も居なくはないが、大半の柱は一癖二癖あるものの鬼殺を掲げる立派な者達である。
その中でも煉獄は特に人格者とされるため、このように部下に慕われるのは、当然と言えば当然の結果とは言えただろう。
閑話休題。
「煉獄の兄貴、質問いいですか!?」
「うむ、なんでも答えるぞ! 俺に答えられる範囲ならな!」
「ありがとうございます! それでは単刀直入に……今回の鬼はどういう相手でしょうか?」
情報共有は大切だ。柱が派遣された事実を考慮すれば、それ相応の鬼に関する情報が鬼殺隊にもたらされたことになる。
「いい質問だ! 前提として今回の鬼は危険な個体だ! だから俺があてがわれた! まずはそれを心に置いてくれ!」
「押忍!」
「そしてここからが本題だが、鬼に傷を負わされ撤退した隊士が『瞳に文字が刻まれているのを見た』と言っている! 瞳に文字が刻まれているのは十二鬼月の証! 生憎、暗がりだった故はっきりとは見えなかったらしいが、それでも以前派遣された隊士五人が帰ってこなかった! 今回帰って来た隊士も、応援に向かった七人の内の一人! 鬼殺隊だけでも大勢の被害が出ている!」
鬼殺隊は政府非公認の組織であり、構成員の総勢は数百人程度と、日本中の鬼から市井の人々を守るには余りにも少ない数だ。
その内の十一人となると、件の鬼にもたらされた鬼殺隊の被害がどれだけ甚大かは、燎太郎も否応なしに理解した。
「なんて鬼だ……許せない……!」
「全くだ! だからこそ、これ以上尊い命が犠牲になるのを防ぐべく、俺は来た!」
「煉獄の兄貴……!」
「案ずるな! どれだけ相手が強大であろうと、君のことは俺が守る! 後輩を守るのが先輩の役目だからな! 君は君がやれることを精一杯やることだけを考えているといい!」
「はい!」
柱ほど心強い味方は居ない。一人であれば少なからず不安を覚えていたであろう燎太郎も、煉獄の心強い言葉に武者震いする。
「それならば早速情報収集に参りましょう!」
「そうだな! では、夕暮れ時まで二手に分かれて聞き込みを行おう! 集合場所は……そうだ! あの店を目印にしよう! では!」
手短に集合場所と時刻を決めた煉獄は、疾風の如き速さでこの場から走り去っていってしまう。ただの移動でさえ、一般隊士と柱の間には隔絶した力の差が垣間見える。今の燎太郎はどれだけひいこら喘いで走ったところで、あれほど早く走れはしないだろう。
「凄い……あれが『柱』! 俺も頑張らなきゃな!」
目を爛々と輝かせる燎太郎は、煉獄に負けないと町を見渡し、鬼につながる手がかりを探さんと動き始めた。
「あのう……」
「!」
しかし、意気ごみ十分の彼の出鼻を挫く瞬間に話しかけてくる人影が……。
「どうかしたのかい、君?」
燎太郎に声をかけたのは小さな女の子であった。おどおどといじらしい姿を見せている少女に、怖がらせまいと燎太郎は満面の笑みを浮かべる。
その甲斐もあってか、若干ながら少女から警戒の色も失せた。
(―――痒いな)
徐に燎太郎は頬を掻く。
妙な痒みを覚えた彼は、少女に再度警戒心を抱かせぬよう注意を払いつつ、彼女の返答を催促する。
「俺に何か用があるのかい?」
煉獄と話していた時からは想像できない穏やかな声音。
その温もりに溢れた声色を聞いてか、金魚のようにパクパクと開いたり閉じたりを繰り返していた少女の口からようやく言葉が紡がれる。
「……鬼狩りさん?」
「ああ、そうだ。俺は、人にあだなす怪物……鬼を倒すのを生業としている男、明松 燎太郎だ。しかし、どうして鬼狩りの存在を?」
世間一般に鬼の存在は知られていない。主食が人である以上、人口密度の多い地域に住むと思われる鬼であるが、実際はその限りではない。人が多いということは、それだけ人目に付きやすいということだ。その帰結として、鬼殺隊に命を狙われる結果となる。
故に鬼は都市部よりは、そこから少し離れた郊外や山村部を根城にする傾向があった。
そのため、一部地域では鬼という存在について伝承されてはいるものの、多くの人間は鬼の存在を目にしないのが専らだ。
そうした鬼を退治する鬼狩りも知名度で言えばどっこいどっこいである。
ならば、なぜこの少女が鬼狩り―――鬼殺隊を知っているのだろうか。気になるのは当然のことだった。
「……こっち」
「ん!」
はっきりとした答えこそ出なかったが、別の方法で答えを導かんと少女は駆け出した。
彼女の足に追いつくのはそう難しくない話だ。さっさと追いついた燎太郎は、それから少女に歩幅を合わせて付いて行く間も、辺りを見渡して鬼へとつながりそうなものを逐一探す。
結果から言えば、それらしきものは発見できなかったが、代わりに見つけたものがあった。
「なんだここは? 道場か?」
「うん」
案内されてきたのは寂れた道場らしき建物。
建材の木材はところどころ傷んでおり、嵐が来たらそれだけで崩れ落ちそうな危うい雰囲気を漂わせている。
(―――痒い)
またもや仄かな痒みを覚えて肌を掻く燎太郎。道場に向ける視線は鋭いものと化す。
「どうしてここに?」
「鬼が出るの」
「鬼が? ……詳しく聞かせてはくれないか?」
鬼が出る。そう言われて黙っていられる鬼殺隊ではない。
詳細を把握するべく、体が小刻みに震えている少女の肩にそっと手を置いた燎太郎は、「安心してくれ」と柔和な笑みを浮かべて話を促す。
しばらくして、頭の中が整理された少女はぽつりぽつりと語り始めた。
鬼が出たのは少し前の出来事だった。
元々栄えている道場ではなかったが、孤児を見つけては引き取り面倒を看ている場所でもあったため、そこそこの人数が仲睦まじく暮らしていたという。
そこへ現れた鬼はこう言った。
「道場に人を連れてこい。そいつを喰うことでお前らを見逃してやる」と。
無論、口外すれば全員殺すと脅された。今、こうして説明しているのも本来なら自殺行為に等しい。
それでも燎太郎に少女が語ってくれたのは、偏に彼が鬼狩りであったから―――。
「お願い、鬼狩りさん……鬼を退治して……!」
「……ああ、承った! 心配無用だ! 俺ともう一人、鬼を倒すべく赴いた剣士が居る! 俺たちが君を脅かす鬼を退治してみせる!」
強く、強く少女の震える手を握り締める。
掌から伝わる熱は、猛々しく燃え盛る燎太郎の情熱そのものだ。彼の熱意をひしひしと感じ取ったのか、少女は安堵の表情を浮かべている。瞳は揺れ、目じりにはみるみるうちに大粒の涙が溜まっていく。
それが零れる寸前、取り出した手拭いで少女の涙を拭った燎太郎は、意を決した様子で道場を見上げた。
「待っていろ、悪鬼め……!」
燎太郎は拭い去れぬ痒みを覚えつつ、一先ずは情報共有のため、集合場所を目指した。
***
「どうぞ、鬼狩り様……」
「本当によろしいんですか? 夕餉をごちそうになってしまい……」
「ええ、もちろん。これから貴方方には鬼を退治してもらうのです。何もない道場ですが、せめてその時までに精をつけてもらいという私達の気遣い……どうぞお受け取り下さい」
「むむっ、そう言われると弱い……では、いただきましょう! ね、煉獄の兄貴!」
「ああ、そうだな!」
空が白み始めた時間帯。
燎太郎と煉獄は、鬼がやって来ると言われる道場で待ち伏せしていた。後は鬼が来るのを待つばかりだ。
しかし、本来は道場に住む者たちが食卓を囲む時間帯だったのだろう。道場内に運び込まれた夕餉は決して豪勢ではないものの、それでも炊き立てのさつまいもご飯と漬け物は二人の食欲を掻き立てるに十分であった。
道場に住む子供たちと食卓を囲んだ二人は、彼等の心遣いに感謝しつつ箸をとることにした。
煉獄に至っては、好物のさつまいもご飯を前にわっしょいわっしょいと興奮して、あっという間に茶碗を空にしてしまった。燎太郎も負けじと飯を掻き込み、これまたものの一分ほどで茶碗を空にした。
そんな二人の健啖な光景を目の当たりにした子供たちは、しばし呆気に取られていたものの、互いに見合った後、なにやら大急ぎで台所から急須と湯のみを持ってきたではないか。
「ど、どうぞ……粗茶ですが……」
「む! かたじけなし! では、いただこう! ありがとう!」
「は、はい……」
おどおどした様子で湯呑に茶を淹れた子供は、煉獄と燎太郎二人分を注ぐ。
「君たちの分はいいのか!?」
「あ、ええっと……」
「遠慮することもあるまい!」
「は、はい……じゃあ……」
煉獄の気迫に押され、流されるがまま全員の分の茶を注ぐ子供。
もちろん煉獄に悪意はないが、彼ほどの声量を真正面からぶつけられれば、気の弱い人間は委縮してしまうだろう。
はじめこそその気はなかった子供がいそいそと茶を注ぐ姿には、燎太郎も若干同情してしまう。
「むぅ……煉獄の兄貴。もしかすると、茶を人数分注ぐのも躊躇うほど貧窮していたのでは?」
「たった今俺も思い至ったところだ! そうだな、帰りの時に持ち合わせを全て置いていくことにしよう!」
「流石煉獄の兄貴! 太っ腹だ!」
「少しでも生活の足しになればよいのだが!」
柱の給料は普通の隊士と違い、もらえるだけもらえる。そうでなければ健啖家である煉獄が食費を賄うには、かなり切羽詰まった生活を強いられかねないだろう。
閑話休題。
(ん……痒いな……)
燎太郎は煉獄と話している間にも、ピリピリと痒くなる唇辺りを掻いていた。
どうにも道場に来てから痒みが収まらない。これは彼の体質の一つであり、特定の抗原に対して免疫が過剰に反応する疾患―――いわゆるアレルギー反応のようなものだった。
「明松少年!」
「はい、なんですか煉獄の兄貴!」
「茶が冷めてしまいそうだ! 折角熱い茶を注いでもらったからには、熱々のものをいただかなければ失礼に値する! 一足早く俺は頂くことにしよう!」
「なるほど! では、俺も……」
隣で煉獄が湯呑を傾ける姿を横目に、燎太郎もまた湯呑に口をつけようと近づける。
すると、ゆらゆらと上る湯気に触れた肌に強烈な痒みが走った。
(これは―――!)
ぞわぞわと粟立つ皮膚。直接目には見えぬものの、皮疹が起こっているであろう皮膚の違和感を覚えた燎太郎は、湯呑を顔から放し、すでに湯呑に口をつけてしまっていた煉獄に叫ぶ。
「ダメです、煉獄の兄貴! それを飲んだら……!!」
しかし、時すでに遅し。
豪快に喉を鳴らして茶を飲んでしまった煉獄は、一瞬見開いた瞳を燎太郎へと向けたが、次の瞬間には瞼が閉じられ、体が崩れ落ちてしまった。
その光景を目の当たりにし、燎太郎は確信する―――茶に混ざり込んでいた異物の正体を。
「薬……いや、毒か!?
煉獄が卒倒するほどに強力な睡眠効果を持った物質が茶に混入していた。
鬼に対しアレルギーを持つ燎太郎は、鬼に近しい場所に居ると掻痒感を覚えるのだ。それは鬼から分泌された毒にも言えること。
先ほど燎太郎は、僅かに茶から立ち上る湯気に混ざる鬼の毒に反応したのだった。
「どういう腹積もりだ!!」
湯呑を投げ捨てた燎太郎は、日輪刀を抜く。刀身は炎の如く紅蓮に染まっており、一見異様な色合いの刀を前にした子供たちは、あからさまに警戒した色を瞳に浮かべている。
まさか―――と嫌な予感が燎太郎の脳裏に過った。
「お前達が―――」
「本当にィ……いい子達なんだよゥ……」
「!!?」
背中に猛烈な掻痒感を覚え、反射的に刃を振るう。
だが、一瞬視界の端に窺えた影に切っ先は届かず、燎太郎は空を切った。無常に響く風切り音の合間、道場内をベタベタと這うような足音が反響する。
―――濃い。燎太郎は一瞬で確信した。
全身に覚える掻痒感からして、今この場に忍び込んだ鬼の強さは、これまで対峙した鬼とは比べ物にならないほどに堕ちた存在であると。
柄を握る掌には尋常ではない汗がにじみ出す。よもすれば日輪刀を滑り落としそうな量だ。
だが、臆するだけの人間ならば鬼殺隊にはなれていない。
咄嗟に振り返り、天井に張り付く人影を見据える。額から生えた角、長く伸びた爪、そして血走った赤い眼には「下陸」と文字が刻まれていた―――バッテン印の傷跡が残っていたが。
「なるほど……十二鬼月から堕ちた、と」
「言うな小僧ォ……」
下卑た笑みを浮かべる鬼は、くんと顎で指図する。
すると、それまで赫怒に滲んだ表情を浮かべていた燎太郎に引け腰になっていた子供が、懐から包丁や鎌を取り出し、その切っ先を燎太郎たちへと向けるではないか。
まるで鬼の手先のような振る舞いをする子供に、燎太郎の赫怒はさらに激しさを増す。
「貴様……脅して従わせているのか」
決して恐怖を拭いされてはいない子供が、それでも日用品を凶器として持ち出している姿を目にした燎太郎の声は怒りに震えている。
返答は来ない。だが、代わりに下卑た笑みは絶えず浮かべられている。
答えは―――それだけで十分だ。
「―――外道がっ!! 鬼畜の所業……赦し難し!! この明松燎太郎がお前を滅殺する!!」
「してみろォ……その前にィ……私のかわいい弟子を倒せたらの話だがなァ……」
「なんだと……!?」
「やれェ……お前達ィ……!!」
直後、道場内に轟く大声。
それらは凶器を手に燎太郎へと斬りかかって来る子供たちが発したものだった。恐怖と焦燥を浮かべた顔のまま迫りくる子供に、燎太郎は一瞬思考が止まる。
鬼は言った。弟子だと。
つまり、鬼はこの子供たちの師範であり、親代わりのような存在だったのか。
『お師様……お、俺は……』
『これで……これでよかった……』
『でもォ……!』
『お前に斬られるのなら……本望だ』
思い出したくない記憶が脳裏を過る。
そうこうしているうちにも子供たちは近づいてくる。
鬼であれば躊躇いなく頚を斬れるが、人間ならばそういう訳にはいかない。鬼殺隊の本懐は鬼を滅殺し、市井の人々を守ること。如何なることがあろうと、人間を傷つけてはならない。
(傷つけずに止めるには……!)
新米の剣士が無傷でことを収めるには、いかんせん人数が多い。
冷や汗が頬を伝う燎太郎。
だが、そんな彼の前に炎が―――否、炎の如き色合いの羽織が揺らめいた。
「むんっ!!!」
「なっ!?」
「きゃあ!?」
「ぐわッ!?」
爆ぜる轟音。おんぼろの床が踏み抜かれて轟いた音に燎太郎が呆気に取られている間、目にも止まらぬ速さで閃いた刃は、子供たちが携えていた凶器を手元から弾き、瞬く間に彼等を無力化した。
目にも止まらぬ早業。それを為したのは彼以外に居ない。
「煉獄の兄貴!」
「守ると言った手前うたた寝していたとは! よもやよもやだ!」
先ほどまでぐっすりと眠っていたはずにも拘わらず、この剣捌きだ。
武器を弾かれた子供も「こんなに早く起きるなんて……」と驚愕していた。本来、効果が切れて目が覚める時間が経っていなかったのだと推測できる。
「はめられました! 鬼が子供を脅して従わせていたんです!」
「成程! それを見抜けなかったとは……柱として不甲斐なし! 穴があったら入りたい!」
と言いつつも、煉獄の闘気は天井に張り付いている鬼へ向かっている。傍に立っているだけで肌がひりつく。心なしか周囲の温度が高まったような感覚さえ覚えるようだ。
「明松少年、鬼は俺に任せろ! 君は子供たちを頼む! くれぐれも傷つけぬようにな!」
「分かっています!」
煉獄に指示された燎太郎は、言われた通りに子供への対応に迫る。
武器を弾かれて手は痺れているはずだが、それでも子供はステゴロで二人へと襲い掛かろうとしていた。
殴りかかって来る子供に対し、燎太郎は細心の注意を払いつつ、次々に攻撃をいなし、あの手この手で気絶させていく。
だが、途中どこからか刀を持ち出してきた子供が刃を振るってきた。
それは間違いなく日輪刀。恐らくは、この町で行方不明になった鬼殺隊の所持品であったものだ。
振り下ろされる刃を受け止め、燎太郎は叫ぶ。
「どうして鬼の肩を持つ! 君たちは鬼を倒してほしいんじゃなかったのか!」
「師範は僕たちの恩人なんだ! お、鬼になったとしても……僕たちは師範の味方だ!」
「なに……!?」
鬼気迫る表情で刃を押し込んでくる子供に、燎太郎は一歩引いてしまった。
身体能力では燎太郎の方が上だ。それでも押し負けたのは、子供たちの気迫と沸き上がる罪悪感故だった。
「師範は身寄りのない僕たちを拾ってくれた人だ! 最初から鬼だった訳じゃない……そ、それでもある日突然鬼になって……人間を食べないと生きていけない師範のために、今度は僕たちが……」
「誑かされているだけだ! 鬼は私腹を肥やす為だったら平気で人の良心を利用する! いや、
「うるさい! なんと言われようと師範は殺させない! 鬼殺隊がなんだ! 鬼狩りがなんだ! 鬼だからって誰でも殺していいと思うなァ!」
涙を瞳に滲ませて叫ぶ子供に対し、燎太郎も食って掛かる。
恩人がある日鬼になり、人を喰わざるを得なくなった。その時、恩人に育てられた子供が鬼を助けようと奔走する。傍から聞けば師弟愛溢れる話であるが、その実人に語れば日の下を歩けない残忍な所業を行うに至っている。
どれだけ愛があろうと、燎太郎にはそれが受け入れられない。受けて入れてなるものかと己に言い聞かせる。
「良い子だァ……本当に良い子だァ……あの子たちはァ……」
煉獄と殺した鬼殺隊士が持っていた日輪刀で打ち合う鬼は、舌なめずりをしながら語を継ぐ。
「あの子たちのおかげで私が一時でも十二鬼月になれたァ……だが、次第に人間を多く喰えなくなってなァ……もう一度返り咲く為には、もっと厳選した人間を喰わなきゃあなぁ……!」
「……ふむ」
先ほどまでの熱さとは裏腹に、何か思うところがあるような声色の煉獄。
道場の師範であった鬼は、師範というだけあって体捌きに関しては並みの鬼とは一線を画している。
しかし、
全集中・炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天
真上に向かって振り上げられた刃が、鬼の携える日輪刀ごと、鬼の腕を斬り飛ばした。
「な、にぃ!?」
「君も鬼となる前は慈悲深い御仁だったんだろう……だが、今の君には払うべき敬意もかけるべき慈悲も見当たらない。君は……紛うことなき鬼だ」
「おのれェ!!」
煉獄の前から飛び退いた鬼は、予備の日輪刀を抜いて身構えた。
みるみるうちに肥大化していく鬼の体。人間をはるかに凌駕する力を発揮せんとする鬼であるが、彼に向けられる煉獄の瞳には哀れみが滲んでいた。
「もう弟子を巻き込むな。君にその資格はない」
「なにを!! 私が拾った!! 私が育てた!! ならば私が従えようと勝手ではないか!! 貴様に言われる筋合いはないィ!!」
「その血で薄汚れた背中では弟子を背負えまい。背負うべきではない」
憐憫の情を漂わせる。
一瞬閉じた瞼の裏に垣間見たのは、在りし日の父の背中。追いかけていた背中が突然なくなってしまう―――そんな経験を後進にさせる訳にはいかない。あの日から何度誓ったことだろうか。
あぁ、と深い息を吐いた煉獄は、改めて鬼を見据える。
「頼む。これ以上、君を慕う者達を惑わすな」
「お前にィ……言われる道理はないぃ!!」
聞く耳を持たない鬼は肥大化した体に任せて刀を振るう。
刹那、鋼が弾かれる甲高い音が鳴り響いた。
「!」
全集中・炎の呼吸 伍ノ型 炎虎
鬼の目に映ったのは、燎太郎が斬りかかって来た子供の日輪刀を、炎の虎が雄たけびを上げた姿を錯覚するような激しい斬撃で弾いた姿だ。そのまま峰打ちで次々に子供を気絶させていく光景を目の当たりにした鬼の目は、
「―――動くなァ!!」
「きゃあ!?」
最も近くに居た子供を手繰り寄せ、喉元に刃をあてがった。
刹那、静謐な様子を湛えていた煉獄に、一瞬にして赫怒の気が満ち満ちる。
「……已む無し!!」
「!?」
子供を―――弟子を人質にとった鬼は、瞬く間に視界から消え失せた煉獄の姿に困惑する。
「どこ……だ……?」
天地が裏返った。
いや、鬼の頚が斬り落とされ、床に転がったのだ。目にも止まらぬ速さで鬼に肉薄して頚を斬った煉獄はと言えば、崩れゆく鬼の体を目の当たりにして卒倒した子供の体を支えていた。
「おのれ……おのれ……おのれぇぇぇええぇぇ……!!」
頭も灰燼と化していく。日輪刀で頚を斬り落とされれば最期、再生する手段はない。
怨嗟の声を上げる鬼の視界もまた、色鮮やかな景色から白黒のもとへと移り代わり、聞こえる音も不鮮明になっていった。
最早声さえ発せぬほど体の大部分を失った鬼は、自分を殺した鬼殺の剣士を睨んだ。
だが、
「師範!」
「逝かないでぇ!」
「―――!」
消える今際に、はっきりと弟子の声が聞こえた。
今際の際、鬼の目には確かに涙が浮かんでいた。塵も残らず消え去った鬼の体であったが、その涙だけは現世に残り、思い出の同情の床に、小さな染みを―――彼が人としての心を取り戻した証を残していった。
そんな鬼の最期に、見ていた子供たちは涙を流す。
さめざめと、あるいはわんわんと泣き喚き。
しかし、ただ一つ言えることは誰一人として屠られた鬼を嘲笑したり軽蔑したりといった感情を抱いていなかったこと。
柱として数多くの経験を積んだ煉獄はともかく、日輪刀を鞘に納める燎太郎の顔には遣る瀬無さがにじみ出ていた。
「誰も……誰も救われちゃいない」
「……」
震えた手で柄を握りしめる燎太郎の肩に、煉獄は優しく手を置いた。
***
「俺の親代わりだった人が鬼でした」
鬼を討伐した帰り道、感情が高ぶっていた燎太郎に違和感を覚えた煉獄の問いに返された言葉だ。
「お師様は、身寄りのない子供を拾って育てる高尚なお坊さんだった……そんなお師様を俺は親同然に慕っていたんです。でも、ある時から日が出ている内は外に出なくなるようになって……」
「鬼にされていた。それが、君が戦いの最中に感情が高ぶった理由か」
「はい……」
「それで、君のお師様はどうした?」
「……俺が殺しました」
「皆仕方ないと言ってくれました」と苦虫を噛み潰したような顔で、燎太郎は語を継いだ。
「お師様は人を喰っているところを俺に見られて襲い掛かって来た……でも、今だから分かる! 本気じゃなかった! 俺に殺されようと手を抜いてた!」
「……」
「俺は……鬼が絶対悪だと思い込まなきゃおかしくなりそうだったんです……鬼は悪だ。殺さなきゃならない、って。そう意気込んだ矢先でこれです……俺はどうすればいいんですか……?」
くしゃくしゃになった顔で煉獄を見上げる燎太郎の顔は、恐らくお師様を殺した時と同じ悲嘆に歪んだものだった。
普段の活気あふれた姿も恐らく空元気を出しているものなのだろう。
これこそが彼の真実だ。大切な恩人が鬼となった際、情けをかけられつつ殺した少年の途方に暮れたような姿。気丈に振る舞いつつも、内心は拭っても拭い切れない自己嫌悪で汚れてしまっている。
鬼の大半は本能に従う化け物そのものだ。しかし、一部の鬼は僅かに理性を残していることもある。
はたして、仮に良心を保ったままの鬼を殺すことは正しいのだろうか?
燎太郎は、自身の胸に浮かび上がった問いに対し、鬼は殺さなければならない存在と言い聞かせるようにして鍛え、戦ってきた。
今更その考えを捨てようものなら、自分の信念の否定につながる。
信念なき刃に斬れるものなどない。
今の己の信念が揺らいでいる燎太郎の状態はよろしくない。
うんうんとひとしきり頷いた煉獄は、カッと刮目した後、うつむきがちの燎太郎の肩に手を置く。
「君は! 柱の日輪刀になんと文字が刻まれているか知っているか?」
「え? ……柱には日輪刀に文字が刻まれるんですか!」
「その通りだ! 悪鬼滅殺! これこそが柱全員に共通する信念であり、延いては鬼殺全隊士が行く着く信念!」
「悪鬼……滅殺」
「そう! 悪しき鬼を滅殺する! しかし、これはあくまで手段だ!」
「手段……?」
「鬼殺隊の本懐は鬼から人々を守ること! それが最も大切だ! 鬼を滅殺するのは二の次だ! 明松少年! 人を守れ! 守り抜け!」
煉獄の熱い咆哮は、熱を失いかけていた燎太郎の心に新たな火を灯した。
鬼を殺すのではない。人を守るのだ、と。
「鬼に情けをかけるのは必ずしも悪いことではない! しかし、優しくあるには悲しきかな、強さが必要だ! 君にはまだその強さが足りない! なればこそだ! まずは人を守るんだ! これからはそれを信念にするといい!」
「煉獄の兄貴……」
「心を燃やせ! どんなに思い悩もうと! 後悔に挫けそうになっても! 君がお師様に生かされた理由は必ずある!」
「!!」
生かされた理由。その言葉に、燎太郎の瞳に光が宿る。
自分がお師様を殺したのではなく、お師様が自分を生かした。そう聞こえる言葉は、今迄自分がお師様を殺したと己を責め立てていた燎太郎にとって救いの言葉だった。
数年間、ため込んでいた涙が滂沱のように溢れ出す。育手の下、どれだけ厳しい修行の中でも弱音一つ吐かなかった燎太郎が、久しく人に見せる弱弱しい姿だ。
「うっ……うっ……煉獄の兄貴……俺は……!」
「泣くのもいい。だが、時間は君に寄り添ってはくれない。行くぞ、明松少年! 俺が君という人間の黎明への水先案内人となろう!」
「っ……はい!!」
「明松少年! 俺は君を継子として迎え入れるぞ! 君を次代の柱となれる立派な剣士に育てて見せよう!」
「煉獄の兄貴!」
「明松少年!」
「煉獄の兄貴ィ!!」
「明松少年っ!!」
熱い叫び合いをかます二人は、上り行く朝日に向かって走り始める。
煉獄の言葉通り、彼の継子となった燎太郎が立派な剣士になれるかどうかは―――また別の機会の話だ。