これは、私の終戦の話だ。戦後の世界で未だ終戦に至らない私が、戦争の終わりに向けて歩き出す話だ。
私たちは何を喪くして何を護ったのだろう。
私には、わからない。
2116年、地球、火星と外惑星連合間の戦争が終わった。
私はその喧騒を地球軌道上にあるUFE艦 デューカリオン内部で聞いていた。私のいた食堂は人でごった返していたけど、この時は大変な騒ぎだったと記憶している。私も友人のニーナと共に抱き合い、涙し、歓喜の声を上げたがとある人物の不在に気がついた。
伊奈帆がいない。
私はニーナと船内を隈なく探し回り、管制室に連絡までとったが成果は得られなかった。それでも私は探し続けた。声を出していないと、歩き続けていないと崩れてしまいそうだから。私はハンガーで待ち続けた。
それでも彼は、帰ってこなかった。
後で知ったことだが彼はその時、敵の首領と戦っていたのだ。戦闘は既に終了していけど、敵は最後まで諦めなかった。ここから遥か先、デブリが漂う無辺の闇の中で二人は熾烈な闘争を繰り広げていた。互いが互いを深く理解してなお埋められない隔たりが彼らにだけ見えていたのだろう。そこに私が入る余地などなかったのだ。彼らはただお互いだけを見ていて、私の場所など初めから、なかったのだ。
結局彼は敵と共に、その日失われた多くの命と共に、地球へと堕ちて行った。
私はその光景をデューカリオンのモニターで見、泣き崩れてしまった。室内に私の慟哭の声が響き渡り、気まずい雰囲気が充満する。
帰ってくると言ったのに、君の元へ帰ってくると言ったのに、あなたは約束を守らなかった。嘘つき嘘つきと私は言い続けた。気づけば泣き疲れて全てが遠くへと消えて行ってしまった。
一年後、地球火星両国の国交正常化のためにアルドノアの譲渡が行われた。
その時火星の女帝は言ったものだ。
わたし達は多くの不幸なすれ違いによって、多くの尊い命が失われるという事態を引き起こしてしまいました。古い考え、古い怨念の連鎖が引き起こしてしまった悲劇です。だからわたし達はそれを断ち切らなければなりません。過ちは正されるべきです。カインとアベルの頃より二つに分かたれた力はやがて大きな戦乱を巻き起こしてしまうのでしょう。だからこそわたし達は再び一つにならなくてはなりません。今は無理でも10年、100年と時を経て少しずつ世界をより良いものにしていくのです。未来にこの悲惨な出来事を伝えていき、再びこのような悲しみを増やさないよう努めて行かなくてはなりません。このアルドノア ドライブがその証です。これは石碑であり、わたし達が語り継いでいかなければならない大切なもの。会場にいらした皆さん。このことをぜひ自分の子、孫へと伝えていってください。わたし達の生きた軌跡には悲惨な戦争があったことを。血に塗れた醜い出来事があったことを。そして今こそ、わたし達は武器を捨て新しい世界を創り上げていくのです。この輝きが皆さんの希望の光となることを願って……
だとしたら伊奈帆の存在は古い出来事だったのだろうか。
より良い世界を創るための礎でしかなかったのだろうか。
私にはわからない。
戦争が終わってから私はどこか抜け殻だった。人々が喋る言葉がどこかフラットで、あまりにも中身がないように思えた。
戦争は終わった、これからはより良い世界が来る。皆はそう言った。君だってそのために戦ったんだろう、と。
違う。
私達はそれ以外に選択肢がなかったから戦ったんだ。ある空から巨大な質量の塊が落ちて来て私達の故郷をクレーターにしたから「仕方なく」戦ったんだ。
結果、戦争は終わった。
だけど敵はいなくなってはいない。皆は火星はもう敵ではなくて、これからは同胞だと騒いでいるけれど私にとっては違う。こんなことで全てが終わるわけじゃない。あの姫さま一人の演説だけで争いがなくなるならとっくの昔にそうなっているだろう。
皆は言う。これからの1日1日が賜物なのだと。けれど私は心の奥底ではそんな世界を信じきれずにいた。本当に私達は別の道を歩み続けているのだろうか。本当に戦争の足跡は去ったのだろうか。
なによりも私を苛んでいるのは、戦争が終わっても喪ったものは戻って来ないという、単純な事実だった。皆は許せという。憎んだって彼らが帰ってくるわけがないと。
わかってる。わかっているけどそんなことで納得しろなんてできるわけないじゃないか。私だって憎かったわけじゃない。火星人を全員殺したいなんて思ってもいないし、あの姫様のことだって嫌いになったわけじゃあないのだ。だけどこの喪った痛みは消えないし、治る気配もない。この苦痛を一生抱えて生きていくことなんて耐えられなかった。それも喪って寂寥に身を狂い悶えさせることなんてない、彼らと共に生きていくなんて。
だから私の戦争は終われないのだ。
彼らのそんな声を聞くうちに、全てが嫌になってしまって、私は社会から距離を置いて生きるようになった。定職につかず、日雇いの仕事をして実家で暮らす日々。戦争を経験した私はこの「ふつう」の世界を信じられずにいたのだ。いつしか引きこもりがちになっていった私。そんな私を見かねて両親は、私に定食屋の手伝いをさせた。私も疲れたのだ。いつまでも抱えきれない寂寥を抱えて生きていくことに。だから私は全てを忘れて「ふつう」の生活に戻ることにしたのだ。
結果的にはこれで良かったのだと思う。両親は戦後の抜け殻となった私を見て心配していたし、私も疲れきっていたからここに帰ってきたのだ。私は少しずつ社会に戻ってこれたし、昔の戦友達と話をすることも苦痛ではなくなった。
だけど時折こう思うのだ。
彼がいない。
私が働いていた定食屋は昔と風景が変わらず、遊びまわったあの風景が容易に思い起こされるのだ。その時ばかりは心にフッと穴が空いたような心地がしてしまう。同時に何処かがずきり、と痛みをよこしてくるのだ。いったいいつになったら私はこの痛みを消せるのだろう。私にはわからなかった。
転機はニーナの出産に立ち会ったことだ。
新しい命の誕生を祝うことができたのだ。病室でその小さな命を腕に抱えた時の気持ちを、なんと言っていいかわからない。だけどその時私は泣いてしまった。その子を抱えながらやっと私は理解した。私たちが守ったのは
一つの命が消えて新たな命が生まれた。私たちより前の世代はそれすら許されなかった。空から落ちてきた理不尽に対抗する術もなくただ死んでいく人々。だけど私たちにはそれがあった。カタフラクトを駆って私たちはそれを勝ち取ったのだ。そのためにあの戦いはあって、私たちはそれを守り続けるためにこれからも戦い続けなければならないのだと真に理解したのだ。全てこの子を守る未来を創るためなのだ。
私はニーナの手を握りありがとうと泣いた。ニーナも私の手を握り返してありがとうと言った。生きていてくれてありがとう。
そうして私の戦争は終わった。
そうこうしているうちに気がついたら二十歳になっていた。
ライエから連絡が来たのも二十歳の誕生日だった。彼女は終戦後音信不通となっていた。私も何度か連絡を取ろうとして挫折した記憶がある。その時私は、彼女がなぜ今になって顔を出したのかわからなかった。
場所は両親の定食屋だった。久しぶりの再会に私は歓喜した。
ライエはそんな私を見て肩を竦めこう言った。
「誕生日プレゼント。あまり嬉しくない内容だけど」
手渡されたバースデーカードは素っ気ないもので、内容もとある連絡先が記してあるだけだった。
私は去ろうとするライエを呼び止めた。
「これって…?」
「内容の意味を知っても驚かないでよ。できれば巻き込みたくなかったんだけど……ううん、気にしないで」
「わかった。けどニーナとかとは会わないの?連絡入れるよ?」
「ごめん、いまちょっと追われててね。ここにくるのも一苦労だったんだ。」
結局ライエの近況を聞くことはできなかった。会話の端々で察するにどこかの組織に属しているらしい。さすが傭兵の娘といったところか。戦後自堕落な生活を送って来た私とは根が違うらしい。
店を出た彼女に、送るよと追いかけたけど、外に出た時にはもうどこにもいなかった。
ぽつ。その時と私の頰に何かが触れる。その冷たい感触が雪だと告げていた。
そうか、もう5年になるのか。新芦原での冬が思い起こされる。みんな死んでしまって、戦争に参加して。あれからそんなに時間が経ったとのかと思う。ふと、伊奈帆は起助と会うことができたのだろうかと思った。彼の唯一の親友。私がなれなかった存在。伊奈帆があれほど固執した少年。そのことを思い出すとなんだか目頭が熱くなってきた。
夜は冷える。とりあえず店に入ろう。
食卓に座り、カードを眺める。まさかライエのものではないだろうが、端末を取り出してコールする。相手は一回ですぐに出た。
「もしもし、韻子?」
その声は──。
「伊奈帆⁈」
どこか遠く。私の中で止まっていた時間が、再び動き出し出したのを感じた。
2120年、界塚伊奈帆とスレイン・トロイヤードの二人は地球と火星に宣戦布告。
戦争の足音は、まだ止まない。