「ありがとうございましたーー!!」
そう言って、家族連れのお客さんを見送る。
ワグナリアは今日もいつも通りそれなりの忙しさだった。わたし、種島ぽぷらはここで働いている。かたなし君や伊波ちゃん。葵ちゃんや、八千代さんと他にも色々な人達と楽しく働いている。わたしはそんな今の毎日がとても大好きだった。
「せんぱいは今日もかわいーなぁ!」
「わっ! かたなし君…」
裏に戻ると、急にかたなし君がそう言って、わたしの頭を撫でてくる。かたなし君の表情は恍惚とした笑顔で、その指の一本一本が心地よい細微な刺激を与えてくる。最初の頃は恥ずかしかったこのなでなでも、最近では慣れてしまって、恥ずかしさもあまりない。それどころか、撫でられてその気持ちよさにホッとするような自分さえ、心の奥に感じるときもあった。
不意を突いて撫でるかたなし君の技術もあって、つい、されるがままになってしまうのかもしれない。
昔から……かたなし君が居なかった頃から……ここのみんなは、わたしに優しくしてくれたけど……かたなし君が入ってからは、それ以上にみんなが優しい人になったと……そう思う。
「どうしたんですか? せんぱい……?」
考え込んだ表情をしていたからだろうか、ふと見上げるとかたなし君がわたしの方を心配そうな目で見ていた。
「……んーー? なんでもないよ! ちょっと、考え事してただけ……」
かたなし君と一緒にお皿を拭きながら横目で答える。
「なんですか? せんぱいが考え事だなんて、珍しいですね?」
「えーー! なにそれ? わたしを何だと思ってるのーー?」
わたしだって、考え事くらいするんだから!!
「何を考えていたんですか?」
「え、えっとね。かたなし君がここに来てから、なんだかみんな優しくなったなーーって!」
「えっ!? 俺来る前までは、皆さん、怖かったんですか?」
「んーん、そんなことないけど、かたなし君が来てからはもっと、みんな穏やかになったと思うな?」
そう、わたしが言うとかたなし君は、少し上を向いた後、こちらに笑顔を向け、
「それは、俺のお陰でみんながせんぱいの可愛さに気付いたってことですね!!」
と、言って親指を立てて見せた。
「んもう……かたなし君……」
子供の頃から、可愛い可愛いとは言われ慣れているけど、その頃はまだ本当に子供の頃で、最近ではそれほど、特に男の人には可愛いとは言われることは少なくなっていた。私自身、そう言われるのに男女として意識するようになってきていたというのもある。だからかたなし君に出会ってから、男の人に、というか、かたなし君に会う度に何度も可愛いと大きな声で言われることには内心ではくすぐったい思いがあった。
――かたなし君が、恋愛感情でわたしのことを可愛いと言っている訳ではないことはわたしも知っているし、わたしも年下の男の子は恋愛対象ではない……。
だけど、それでも、この歳になって『可愛い』と同世代の男の子に言われるのは、恥ずかしいような嬉しいような、何か不思議な気持ちを心に抱くのであった。
「それじゃあ、かたなし君、わたし休憩行ってくるね?」
「あ、はーい」
かたなし君の返事を聞き、休憩室に向った。
お茶を入れ、しばらくぼーっとして過ごしていると、制服に着替え終えた伊波ちゃんが更衣室から出てきた。
「あっ! 伊波ちゃん!! おはよーー!」
「おはよーー、種島さん、今日は忙しい?」
伊波ちゃんは、こちらも向くと、ぱあっと笑顔で、そう聞いた。
「んーー、今日はいつも通りかな? 普通だよーー!」
そう、わたしが言うと、伊波ちゃんは、「えへっ」っと微笑んでフロアに出て行った。わたしはそんな、伊波ちゃんを見てつい、伊波ちゃんのことをぼんやり考えてしまう。
伊波ちゃん……。かたなし君のことが好きな女の子……。男の人にはすごく恐がられているけど、女の子同士では、本当に良い子だ。ちょっとしたことで気が利いたり、相手の嫌がるようなことはしないし、言わない。そんな子。ここ以外の場所……例えば、学校とか、家とかでは、わたしが気を使う立場になることが多いんだけど、ここでは、伊波ちゃんがいるからわたしはいつもより、気を使わなくてもいい。そんな所があった。男の人を殴っちゃう癖は、男の人にとっては、大変なんだろうけど……本当にいい子なんだから、男の人にも分かってほしいって思う。でも、やっぱり、実際に殴られる立場から見れば、思ってるより大変なのかな……? まあ、男の子なんだから、それくらい我慢すれば……って思うんだけど……。
そうして、伊波ちゃんについて思い耽っている間に、休憩時間は無くなっていた。わたしは、ちょっと急いで、フロアに戻った。
いつも通り、お客さんを席に向い入れ、呼ばれたテーブルに注文を受け取りに行ったり、料理を運んだりして、働いていた。
「さっ! 今日もがんばろー!!」
一人、気合を入れお客様の元へ向う。
今でこそ、こうして慣れた様に仕事をこなせるまでになったが、入ったばかりの頃は、それほど忙しいわけでもないのに、少し仕事が重なっただけで焦って、ミスを連発したこともあった。オーダーミスや、料理を違うお客様に運んでしまったなどの基本的なミスも何度かした。あの時は、自分に自信が持てなくなったり、辞めようか、とも思ったけど、お店のみんなが励ましてくれたり、徐々に仕事を覚えてくると、自分で仕事を出来るという達成感も感じ始めて、仕事が楽しくなった。「同じことやってんだから、嫌でも仕事は覚える」と言ってくれたのは佐藤さんだったか。その後もたまにミスをすることもあったけど、今ではしっかり仕事も覚えて、お店の役に立てている、そんな自分が嬉しかった。
更には、こうして仕事をこなしながら、考え事も出来るほど余裕を持つことも出来る。特に今ではかたなし君や伊波ちゃんが一緒に働いてくれるので、余計に余裕を持って働けることが出来ていた。
「ご注文の品は全てお揃いでしょうか?」
そう言って、料理をお客様のテーブルに置き、お辞儀をして裏に戻ると、伊波ちゃんがそこで仕事をしていた。丁度、そろそろ時間的にお客様が少なくなってくる頃だ。少しくらい話をしても良いだろう。
――わたしは伊波ちゃんに少ししてあげたい事があった。それは、かたなし君と伊波ちゃんが上手く行ってほしい……。ということ。伊波ちゃんはほんとに良い子だし、かたなし君も良い人だと思う。そんな二人がくっつくのはわたしも嬉しい。二人は幸せになって欲しい。そう心から思うから。
「い、伊波ちゃん、どう、最近?」
早速、今の様子を確認しておこうと、当たり障りのないことを言ってみる。
「えっ? どうって? 何が?」
ポカンと、何のことか分からないような表情で伊波ちゃんが言う。
「その……かたなし君とのこと。最近、どうなの?」
目と鼻の先で仕事をしているかたなし君に聞こえないように、声量を落として、言った。
「えっ!? 小鳥遊君と? ……。え、えっと、最近は、あんまり、何もないかな……最近はほとんど殴ってないけど」
かたなし君の名前を出すとビクッと、大げさな反応をして、伊波ちゃんはおろおろしながら答えた。
「そっかぁ……」
殴ってないのは良い事だけど……進展はないのかぁ……。ていうか、殴ってないっていう事だって、普通の男女の中では当たり前の事だしね……。だから、実際には何も進展してないってことだよね……。
前に伊波ちゃんから、聞いた話では、はっきりは言ってないけど、ほとんどかたなし君本人に、告白みたいなことを言っちゃったって事だったし……。それで、その後をかたなし君の様子は言われて見れば……変だった気がする……。もしかして、かたなし君も割と伊波ちゃんに気があるんじゃ……? どうだろう。そうだったら、良いんだけどね。
「あっ! ……それじゃあ……」手を叩き、見上げてわたしは言った。
その時、わたしは一つ閃いたことがあった。進展しないのなら、させればいい。前みたいに二人をデートさせれば、また、何かあるだろう。そう思ったのだ。
「どうしたの? 種島さん?」
伊波ちゃんが不思議そうに聞いてくる。
「えっとね、伊波ちゃん! また……デートしたらどうかな!? かたなし君と!」
わたしがそう言うと、
「ええぇーー! で、でーと……また……!?」
赤面して素っとん狂な声を上げる伊波ちゃん。
「だって、何もしないで待ってたって、何も進展しないよ? かたなし君のこと好きなんでしょ!?」
「えっ……、でも、最近は全然、小鳥遊君のこと殴ってないから、嫌われてないと思うし……」
「何言ってるの!? 伊波ちゃん! それって、嫌われてないだけで、全然、前進してないじゃない!」
「う……た、たしかに……で、でも、デートの口実はどう付けるの?」
頭を抑えるようにして、伊波ちゃんが言う。
「うっ……それは……」
そこまで考えていなかったよ! デートの口実か……。う~~ん。
「そ、それがなかったら、やっぱり無理だよぉ! それに……は、恥ずかしいし……」
そう言って伊波ちゃんは恥ずかしがりながらもデートが出来ないことに安堵するようなそぶりを見せる。
「ダメだよ!! 伊波ちゃん! そんな消極的な気持ちだからダメなんだよ! もっと、勇気もって! かたなし君だって伊波ちゃんのこと、嫌いなわけないんだから!」
嫌いなわけない……多分。好きかどうかはわかんないけど……嫌いってことは……ない。
「そ、そうかな? それじゃあ、わ、わたし頑張ってみるよ!」
嫌いなわけないと言われたのが嬉しかったのか、伊波ちゃんはキラキラした目で言った。
「そうだよ! その意気だよ! 伊波ちゃん!」
「ありがとう、種島さん……で、でも、やっぱり、デートの口実は……」
「それは……」
そこで、詰まって困っていた時、丁度、お客様の接客をし終えたかたなし君がスタスタと歩いてくる。そして、躊躇なくわたしの前まで来ると、
「はあぁ~、せんぱい、撫でさせてくださいーー!」
と言いながら、わたしの頭を撫で始める。丁度、その時、お客様からの呼び出しがあり、女性客だったので伊波ちゃんが「わたし、行ってくるね」と対応に行った。
――ああーー、もう! さっきまでどう口実付けるか悩んでいたのに、全部忘れちゃったよ! ああ、もういいや、とりあえず、直接本人に聞いて見れば良いんだよ!
「かたなし君、あのね! お願いがあるの!!」
「えっ、なんですか、せんぱい?」
「そ、その、伊波ちゃんとまた、デートして欲しいの!! ……ダメ?」
「えっ? 伊波さんとデート……ってまたですか? う~ん、そうだなぁ……まあ、凄く嫌って訳ではないんですけど、何か、俺が行きたいような理由がないと、せっかくの休日ですしねぇ……家事とか済ませたいですし……」
わたしの頭から自分のあごに手を置いて、かたなし君が言う。
「そっかぁ……あ、そうだ! かたなし君、今どこか、行きたい所とかないの?」
わたしはかたなし君の顔を見上げて言った。
「行きたい所……ですか? そうですね……例えば、せんぱいは何処に行きたいんですか?」
「そうだねーー、やっぱり、もうだいぶ暑い季節になってきたから、プールとか海かなぁ……?」
「海ですか、そういや、俺、海はしばらく行ってなかったのでちょっと行きたいかも知れません」
「ホントーー? じゃあ、伊波ちゃんと行ってきなよ!」
やった! うまく行きそうだよ!
「そ、そうですね、まあ…………あ、じゃあ、せんぱいも一緒に来ませんか? その方か楽しそうですし」
かたなし君は、パッと名案を思い付いたかのように、満面の笑みを浮かべて言った。
えっ……。わたしも!? それって、デートの意味あるのかなぁ……。いや、でも。
その時、丁度良く戻ってきた伊波ちゃんを引っ張って誰もいない隅に行く。そこで、
「伊波ちゃん……、あのね? かたなし君がデートOKって言ってるんだけど……わたしも来て欲しいって言うの、どうする?」と伝える。
「あ、え、わ、私も種島さんが一緒のほうがいいなぁ……その方が、何かと安心できるし……」
伊波ちゃんは「二人きり」という状況でなくなったことにむしろ嬉しさを感じているようだった。
……うーん、本当はわたしが無理にでも二人きりにしなきゃいけなかったんだけど……でも、それがかたなし君の条件って言うなら……しかたないかな、わたしが二人の間を取り持つことも出来るしね……!
――そうして、後日、三人が一緒に海に行くことが決まった。この時はまだ、あの海に行った日を境に、彼ら三人の関係があれほど変化してしまうとは……この時の三人は全く予測しているはずもなかった。