――翌日のことだった。
その日も、もちろん、俺はワグナリアで働いていた。ほぼ毎日のように働いていると、なんだか、既に5年くらい居るんじゃないか、と思うくらいに、ここの仕事が手に付きつつあった。今日は平日だったこともあり、比較的暇だった。帰った客の席の片付けをしながらぼんやりとしていると、奥にいるせんぱいの姿を見つけた。せんぱいは俺と同じく、席の片付けをしていた。俺より慣れている仕事のはずなのに、手を抜かずに一生懸命な表情で、テーブルを拭いている。小さな体を使い、手をいっぱいに伸ばしてテーブルを拭く姿は、俺でなくても、つい見つめてしまうような、愛らしさがあった。
そんな、せんぱいをいつも通り眺めていると、いつもとは、違う点があることに気付いた。何か、ひものような物がせんぱいの首からかかっている。なんだろう? それにしても、せんぱいの後姿……ポニーテールに見え隠れする、うなじは綺麗だった。
「せんぱい? その、首からかけている物……なんですか?」
丁度、自分の仕事が終わったので、せんぱいに聞いてみた。
「……え? ああ、これ? えっとねぇ!」
せんぱいは、「良くぞ聞いてくれました!」というような、表情で言った。
「……なんですか?」
と、俺が言ったのだが、せんぱいは急に何か思いついたような顔をして、
「…………うん。やっぱ、かたなし君には内緒だよ~!!」
そう言って、教えるのをやめてしまった。
なんだ、なんだ? 気になるじゃないか! あの、首からぶら下げているもの……なんなんだぁ――!!
その後、せんぱいはトコトコと、他のテーブルの片付けに行ってしまった。
「……乙女とのコミュニケーションがなってませんねぇ、小鳥遊さん?」
憎たらしいそんな声が、後ろから聞こえたので、振り返るとそこには山田がいた。
「や、やまだ!? お前、見てたのか!」
――――仕事しろよ。
「ふふん! 小鳥遊さん、たねしまさんとせっかくいい雰囲気だったのに惜しかったですねぇ?」
「なに? 俺がせんぱいとそんな……雰囲気だなんて、誰から聞いたんだ? やまだ!」
俺が、そう言うと山田は驚いたように、
「へっ? ご存知なかったんですか? もう、お店の中で噂になってますよ? 小鳥遊さんがたねしまさんを見る目が、リアルになったって……」
なんて、得意げな表情で言った。
……リアルて。そうか、最近、せんぱいのこと撫でなくなったし、おおっぴらに可愛いとも言わなくなっていたからな……。俺がせんぱいのことを嫌いになったか、その逆かのどっちかだからな……。
「……所で誰がそんなことを?」
「相馬さんです!」
――やっぱりか。
「それより、小鳥遊さ~ん! 本当なんですか? 先日、たねしまさんを家に招き入れて、色々二人の仲が進展したとかしてないとか……」
うきうきしながら、山田が聞いてくる。
「し、進展なんてしてないよ! ていうか、それも相馬さんから聞いたのかよ!?」
「そ、そうです。一緒の部屋で、一夜を過ごしたんですよね……?」
……しかし、そんなまさか! いくら相馬さんでも、そんなことまで把握しているわけがない……もし、そこまで相馬さんが知っていたのだとすれば、俺の部屋に監視カメラが仕掛けられているとしか思えないぞ……!?
「おい……やまだ? 本当にそのことも相馬さんから、聞いたのか……?」
いつも山田を叱る時みたいに問いただしてみた。
「あっ、い、いえ、一緒の部屋っていうのは……その、なずなちゃんからで……」
なずなぁ――――!?
「ま、まさか、なずながそんな……」
「あっ、でも、違うんですよ。……なずなちゃんは、小鳥遊さんとたねしまさんが上手く行って欲しいって思って、皆さんに相談していたみたいなんです……」
なずなを庇うように、あくせくしながら山田が言った。
そうか……なずな、俺のためを思って…………いや、それでもダメだと思うケドネ。
「と、とにかく! せんぱいとは何も無かったよ! ちょっと、話してただけだ、それ以外なにもない!」
「そうですか……それは残念でしたねぇ……」
残念そうな言葉とは裏腹に山田はこちらを見ず、テーブルに体を突っ伏して足をバタバタして遊び始めた。
「ああ、残念だ…………って! やまだ! 何やってるんだ! 早く、仕事しろ!」
持っていた手帳で山田の尻をはたく。
「きゃん!」
すると、山田が急に可愛い声で鳴き、
「セクハラですーー! 小鳥遊さん、セクハラですーー! ついに、山田まで、射程圏内に入ったんですねー!?」
顔をほのかに紅く染めながら、そんなことを言い出した。
射程圏内ってなんだよ……俺の射程は、今も昔も、せんぱいだけだよ!
「うるさい、やまだ! 仕事量5倍に増やされたくなかったら黙れ!」
「ぐぅ……」
まさにぐぅの音も出ない山田であった。――いや、出ていた。
「……それにしても、あの首から付けていたアクセサリーみたいのはなんだったんだろう……?」
そんな、思わず口に出た俺の独り言に山田が、
「えっ? なんですか? アクセサリー?」妙に食いついてきた。
「な、なんでもないよ! お前みたいな女性らしさの欠片もないやつにそんなこと分からないだろ?」
「ひ、ひどいです! 小鳥遊さん! やまだだって、うら若き乙女なんですよ! アクセサリーの一つや二つよく、付けますよ!?」
「うら若き乙女って……そう、言う割にお前がアクセサリーなんて付けている所なんて見たことないけどな?」
「なっ!? そんなことないです! やまだも、たまに色々付けてますよっ!?」
反抗的に山田が言う。
「――――あーー、そうだな。そう言えば、山田は最高に似合っているアクセサリーをいつも付けていたな?」
「えっ? ……なんのことか分かりませんけど……そうでしょう? やまだも実は色々付けているんですよっ!!」
褒めたと勘違いされた山田は、うきうきして上機嫌になる。
「何を勘違いしている? やまだ、お前にお似合いっていうアクセサリーはその、制服にいつも付けている研修バッチだよ!!」
「ガーーン!! 山田あお・いき消沈です!」
――やまだあお・意気消沈!? 名前まで使った!?
……って、なにを山田と戯れているんだ……!? 仕事しよ、仕事……。
――はぁ……何はともあれ。俺がせんぱいのことを好きになってしまったことは、店のみんなにはバレている……? のかもしれない。しかし、せんぱいの耳にはなるべく入らないように……して欲しいところだな、と思った。
――それは、そうと、明日は珍しく、バイトが休みの日だった。久しぶりに家でゆっくり出来そうだ。最近は、バイト休みの日に、家事を片付けてしまうのが、恒例となりつつあるが、今回は、いつもよりゆっくり出来る理由があった。実は、昨日、なずなが何を思ったか、「お兄ちゃん、明日はなずなが家事とか全部やってあげるから、家でゆっくり過ごしてね♪」なんて、言ってくれたのだ。なずなめ、可愛いやつだ。そんな、なずなのご好意に乗っかり、明日は家でゆっくり休ませてもらおう。そう、画策していたのだ。
「おはよ~! 葵ちゃん! 今日も頑張ろうね!」
わたしは、いつもの通り店に入ると丁度、近くにいた葵ちゃんに挨拶した。
「あっ、たねしまさん! おはようございます。……そう言えば、たねしまさん、最近、小鳥遊さんとの調子はいかがですか?」
なんだか、今、一番の話題みたいな顔をして葵ちゃんが聞いてくる。
「えっ、かたなし君と? ……う~ん、あ、相変わらずだよ~? なんでー?」
なんで、最近、かたなし君との仲を聞かれることが多いのだろうか……?
「……そうですかぁ」
(……って、相馬さんにあんまり突っ込んで質問しちゃダメなんでしたっ! 山田一生の不覚!)
「なんで、そんなこと聞くの? 葵ちゃん」
「えっ? い、いや、変な意味は無いですよ? たねしまさん! ……や、山田は、ゴミ捨てに行ってきまーす!!」
わたしが、問いただすと葵ちゃんは、まるで聞いちゃいけなかったことのように、青ざめて(葵ちゃんだけに。……ププッ)焦った様子で、普段は滅多にやらないゴミ捨てに率先して行った。
「山田ストシューーット!!」
遠くから葵ちゃんの声が聞こえた。
――やまダストシュート……!?
まあ、何はともあれ、今日もお仕事頑張んないとね……!
先日から首にかけ始めた物を左手で握り存在を確かめ、わたしは持ち場についた。
――その日は、平日だったが、そこそこ忙しかった。たまにこういう日もある。“夏の北の大地海鮮フェア”が始まったばかりというのもあるのだと思う。
平日っていうのは、全く暇な日もあれば、変に忙しい日もあるので、かえって休日より面倒な場合もあったりした。
キッチンの方でも忙しいみたいで、相馬さんが一人で、てんてこ舞いだった。ちなみに、今日、佐藤さんは休みのようだ。
夜のピーク時を過ぎて、少し、落ち着いてきたかな? と思っていた時だった。6名様の団体のお客様が入ってきたと思ったら、その直後、更に4名のお客様が来店したのだ。
当然、料理の注文が重なり、この日の忙しさは、一気にピークに達し、休日でも忙しい日と同じくらいになった。休日ならフロアには2人以上で対応するから何とかなるのだけど、今日、フロアはわたし一人だった。いや、正確には葵ちゃんが居たんだけど、葵ちゃんはフロアには、出ず、裏で皿洗いばかりしている。みんなが、今日はそれに徹した方がいい、と言っていたからだ。少し前に杏子さんが、八千代さんを呼んでくれたけど、まだ、来るまでには時間がかかる。
どうやら、まだ、しばらくの間、わたしは一人、フロアで走り回らなくてはいけないようだった……。
――そんな、お仕事に集中しなくてはならない日、それだったのに私は…………。
6名様の団体客さんは、たまに来るような騒がしいタイプのお客さんで、ファミレスを居酒屋と勘違いしているような男女の団体だった。
来た時点で、そのタイプだろうか……と経験上思ったわたしは、他のお客さんの迷惑にならないよう一番奥の席に誘導した。その直感は残念ながら当たってしまった訳だけど、わたしの予想以上に騒がしいお客さんで、奥の席に座っている事が全く無意味なほどに店全体にその騒がしい声が聞こえていた。まあ、たまに来るお客さんだ。と思って、わたしを含め、ワグナリアのみんなは特にどうとは思っていなかったとは思うけど……。
もう、だいぶここの仕事も慣れている。そんな自分へのおごりもあったのかもしれない。わたしは、忙しいと思いながらも冷静に仕事をこなし、順々に仕事を処理していった。お客様から注文を取り、キッチンに行き、また、フロアに戻り……。少し暇になれば、帰ったお客差様の席の片付けと。いつも通りの仕事をテキパキとこなしていった。
途中、一つ先に出来たその例の団体客に料理とお酒を運んだ時、料理名を言いながらそれを置くわたしの声が、一人の客の笑い声に掻き消されて全く聞こえなかったほどに騒がしい団体だった。
そうして、大体の料理を運び終えた後は少し余裕が出来た。それを機にわたしは、気が付けば、最近気になって頭から離れないことを考え始めていた。その事とは、かたなし君との事だった――――。
先日、かたなし君の家にお世話になった時、かたなし君が言っていた、「他に気になりだした女性」……その言葉があの日から頭からついて離れなかった。……分からない。伊波さん以外で、かたなし君が気になる……誰だろう? おそらく、わたしの知らない人なのだろう。だって、思い当たる人が誰も居ない。“女性”と言っていたことからわたしである可能性は低いだろうし、わたしの知っている人でかたなし君と交流のある人なんて、八千代さんと杏子さんと美月さんくらいだろうか。その中で考えられるとしたら、八千代さんくらいだろうか? でも、八千代さんとなんて……。
……八千代さんとなんて――なんだろう? 付き合っているわけないと考えるのは勝手なイメージなのかもしれない。考えてみれば実は、隠れて付き合っているのかもしれない。付き合っていなくても、実はたまに二人で出掛けているとか、ありえないこともないのかもしれない。あの二人は、わざわざ誰かに自分の事を話すタイプではないし……。
――そんな、勝手にないだろうと決め付けていた、八千代さんという線が、実際にはもしかしたら……? というくらいに可能性が出てくると、わたしはなんだか心がソワソワした感じになり始めていた。例え、八千代さんでなくとも、かたなし君自身が、店のみんなには内緒で外では、同級生の子とかと付き合っているのかもしれない。遊んでいるのかもしれない……。
急に、そんな当たり前のことに気が付くと、かたなし君と知らない女の子が、楽しそうに制服で歩いている姿が頭に浮かんだ。そして、それを遠巻きに見つめるわたしの姿も……。