――仕事が終わるまであと、5分を切った。いつもなら、やっとか。と一息つき、今日の晩飯の献立を考えたり、冷蔵庫に残っているものを思い出してスーパーに寄るかどうかを考える時間だ。しかし今日は、当然ながらそうはならなかった。仕事が終われば、せんぱいに話しかけなければいけない。そう決めていたから……。
そんな、緊張と圧迫感から、逆に時間が流れるのが怖かった。もう、今日はずっと働いていたかったとさえ思っていた――。
そして、終わりの時間になった。店の後片付けはもう数分前に終わらせた所だ。バタバタと、いつものようにみんなが更衣室に向っていく。普通、緊張が解かれ、一番だらけた姿を晒しているこのタイミングで、俺は一人緊張していた。それを悟られないようになるべく隠しながら、更衣室に入り、着替えを始めた。わずかに、女性側の更衣室から、せんぱいや山田の声が聞こえてきていた。普段は聞き流すそんな声も意識してしまう。あまり、遅く着替えると、せんぱいが先に帰ってしまうということも当然ながら気にして着替えるスピードを調節する。まあ、基本的にだらだらと着替えていても男の方が圧倒的に早く終わるのだが……。
なにやら、いつもとは違う雰囲気を感じてか、佐藤さんが不思議そうに俺を何度か見るも、察してくれたのか、何も言わずに先に休憩室に行った。
その内、着替え終え、俺も更衣室から出て休憩室に入る。そこでは佐藤さんがタバコをふかしていた。俺もおもむろに、イスに座る。こういうとき、タバコを吸っている人は間が持たないという事がないから良いなとふいに思った。
その内、わいわいと、賑やかそうに騒いでいた女子更衣室から、せんぱいを含めた女性メンバーが出てくる。せんぱいは、山田や伊波さんとあいさつを交わすと、一瞬こちらを見たときに俺と目が合った。せんぱいもどんな顔をして俺と向き合えばいいか、図りかねているのだろう。誤魔化すように、視線を散らした。
そうして、みんなで帰宅する。裏口から出ると、伊波さんなど他のメンバーは先に帰った。そう言えば、いつの日からだったか、今はもう、伊波さんとは一緒に帰っていない。
せんぱいが「じゃあね~」と手を振り、みんなを見送った。後には、せんぱいと俺と佐藤さんが残った。そして、扉から俺達を見る山田か……。
なんとなく、俺達のほうを見て、「じゃ、じゃあねっ!」と、誰にともなくせんぱいが言い、帰ろうとする。
――くぅ、今、せんぱいを止めないと……。
そんなことは頭では分かっていても、簡単には行動に移せない。……弱いな、俺は。
「ああ……種島」
急に手を上げて、佐藤さんがせんぱいを呼び止めた。俺は、なんだろうと見ていると、
「小鳥遊が、お前に話があると……」
左後ろにいた俺を、右手で指差して佐藤さんが言う。
「えっ!?」思わず、声が出た。
「何が、えっだよ、小鳥遊……お前、話あるんだろう?」
「ああ……そうですね、あります!」
この時、仕事が終わってから初めて俺はまともに話した気がする。
「かたなし君……なにか、あるの……?」
そう言いながらも、せんぱいにも思う所があるのだろう。少々身構えた様子の上目遣いをしていた。
「あの……とりあえず、一緒に帰りましょうか……?」
山田には陰になるように背を向け、帰り道を指差して少し小声で言った。
「あ…………う、うん」
せんぱいも、それに応じるように、恥ずかしがりながらも、俺の隣に移動した。
なんだか、俺とせんぱいが隣同士に立ち、カップルのような感じになっているなと自分でも思った。そんな光景に照れくさく、さっさと、せんぱいと二人で帰ろうと、早足で去るため、佐藤さんに「そ、それじゃあ、俺達はこれで……」と、手をあげ帰ろうとした。
「お前ら……初々しいカップルみたいだな……」
自分でも気付いていた恥ずかしいことを佐藤さんに言われ、思わずむせ返った俺だった。それを「大丈夫!? かたなし君?」と気遣うせんぱいと共に、早々にその場を早足で帰ったのであった――。
――横にせんぱいを据えて、暗がりの中、帰り道を歩いていた。お互いに相手のほうへチラチラと視線を向けているようで、たまにそっとせんぱいの方を盗み見ると、せんぱいと目が合ってしまい、慌てて視線をそらすハメになる。そんなことをもう、4回は繰り返しただろうか。お互い、聞きたい事があるはずだった。少なくとも俺にはあるし、その様子から、せんぱいも同じことを聞きたいのではないだろうか、おそらくは。
「あーっ、かたなし君、そう言えばね? 今日、葵ちゃんがねー……」
微妙な雰囲気に耐え切れなくなったのか、せんぱいは、何気ない話を始めた。山田が、店であんなことをした、こんなことをした、などと言った、うちの店のメンバーだったら大体はウケるであろう無難なネタだ。それを俺は、うんうんと、時々相槌を入れながら聞いていた。しばらく、そんな話をするうちに、お互いの間を取り巻く気まずさが、薄れていくのが分かった。それ自体は良いことだったと思うが、こんなことをしていては、一向に俺達は進展しない。帰り道も、残りわずかだ。俺は、せんぱいの話を笑いながら聞きながらも、いつ、踏み込むべきかを、常に考えていた。
「……かたなし君……わたしの話……聞いてるけど、なんだが上の空みたい……」
そんな時――。ふいに、せんぱいが立ち止まり言った。
「えっ!? ……いや、そんなことないですよ!?」
とっさに、誤魔化してしまう俺だった。せんぱいは、その純粋な瞳で俺の目を見つめる。俺はせんぱいに心の奥を覗かれてしまいそうな気がして、目をそらした。
「……どうして、目をそらすの? 本当は、何か言いたいことあるんじゃないの?」
「い、いえ…………あ、いや、そう……ですね、あ、あります。言いたいこと……」
一瞬また、否定しそうになったが、かえって丁度いいタイミングなのかもしれない。そう、思った。
「……えと……なにかな……?」
困惑した表情で聞いてくるせんぱい。
「えーっとですね……」
そうだ、いいタイミングだ。言ってしまおう。せんぱいは俺のことどう思ってるんですか? 好きなんですか? って。
「――あ、ごめん……かたなし君に言わせるなんて……ふぇあ、じゃないね……」
急にせんぱいがそんなことを口にすると、薄く笑って、俺を見上げ、
「わたしからだって……言うことは出来るのに……」
とポツリと言った。
……うん? これは……せんぱいは、変に負い目を感じているのか、自分から告白? するつもりなのかもしれない……そんな、男の俺が言うべきことなのに。
「え、えっとね!! わ、わたしはっ、かたなし君のこと――」
急に、吹っ切れたのか、さっきまでのモヤモヤした様子を払拭し、元気いっぱい、勢いいっぱいで何か言ってしまいそうになるせんぱい。
「ちょ! ちょっと、ちょっと待って! せんぱい! ストップ、ストップ!」
――せんぱいに先に言わせるわけには行かないっ……!
「す、好きですっ!! 俺、せんぱいのこと!!」
――言った。はっきり。声に出して。
そう、言った瞬間、俺の体はさながら、200m走を全速力で駆けた後の高揚感に似たような、胸の高鳴りと、熱が全身を包んだ。しかし、そんな一生に何度かしかない体内現象には気を止めている暇はなかった。
「うっ……っ……うう、うっ、うう、かたなしくーん! うわーん! かたなしくーん!」
そう、目の前でせんぱいが、ビービーと、泣き出してしまったからだ。
「……えーっと、せんぱい? その、涙は……どういう意味でのものですか?」
「……すん……ん……えっと、嬉しさが……半分以上だけど……あとの残りは……なんだろう……わかんないけど、不安……かな……」
涙目を手で擦りながら、答えるせんぱい。
――伊波さんの事……かな? やっぱり、せんぱいも気にしていたんだな……。それで……俺と同じく……店では気を張っていた訳か……。
「あ……これ、ハンカチどうぞ、せんぱい」
「あっ……ありがと」
とりあえず、ポケットからハンカチをせんぱいに渡すと、
「その……ちゃんと、けじめは付けたいと思っています……」
「……? そうだね……それでいいと思うよ……わたしも……」
俺の紺色のハンカチを使って涙を拭くせんぱい。その光景を見て、昔はよく泣いていたなずなが、そのハンカチで、涙を拭いていた情景を思い出した。
「えーーっと、それで、せんぱい? さっきの返事……せんぱいからは、何も聞いてないんですけど……?」
場の雰囲気から、大体分かるものの、ちゃんとした言葉で俺も聞いておきたかった。
「……あっ!? そ、そうだね! わ、わたしったら、自分の中だけで自己完結しちゃって……恥ずかしいっ……」
「あははは……いいですよ、俺も、せんぱいが嬉しいって言ってくれて、嬉しかったですし……」
「いやっ! ダメだよっ! かたなし君、こういうことは、ちゃんとはっきりしとかないとね!」
せんぱいは、すっかり生き生きした顔になると、そう強く言い、
「…………えっと……わたし、種島ぽぷらは……かたなし君のことが……大好きです!!」
最高の笑顔でそう言ってくれた。