「ほら、かたなし君! あ~ん!」
そう言って、せんぱいが口を開く。
「……本当にせんぱいは、子供みたいです」
せんぱいは両手が使えるんだから、俺に食べさせてもらう事も無いだろうに。そう思いつつも俺は、左手を使いせんぱいの小さな口に梨を入れる。そして、俺の指ごとペロペロ。
ここは、近くの病院。俺達はあの旅行の後、すぐさま病院に検査に行った。もう、あれから10日ほど経ち、俺は自由に外に出られるようになった。と言っても、右手はギプスを付け肩から提げている。せんぱいは、両足を骨折――比較的軽度だが――をしており、病院での生活を余儀なくされている。そのため、俺がほぼ毎日こうして、お見舞いに参じていると言った状況だ。
「かたなし君が食べさせてくれたから美味しいよ~!」
そんな、子供みたいな事を笑顔で言いながらシャリシャリ……梨をほお張る。
本当にせんぱいは子供っぽくなってしまった。……いや、むしろ今がせんぱいの本来の姿なのかもしれない。もし、俺の事を対等として見てくれている結果として、本来の自分をさらけ出してくれている――と、考えると実は喜んで良い事なのかもしれない。
――しかし、問題なのはこうして甘えられると、何も知らない他人には兄弟――勿論、俺が兄だ――に見えやしないか? とか、それならまだしも、俺がかなりの年下の女の子と、付き合っているように見えるとか、そんな不安があったりする。
「もう一個食べますか? せんぱい」
「うん! あっ、でも、かたなし君も食べたいでしょ? はい!」
急にそう言うと、せんぱいはベッドから身を乗り出し、梨につまようじを突き刺してから、それを俺に差し出す。
「……ああ、有難うございます」
そう言って、俺が手で取ろうとすると、
「ダメッ! 口であ~ん……って!」
なんで、そんな恥ずかしいこと……。まあ、いいか誰も見ていないし。そう思い、口を開け、梨を食べようとする――と、なぜかせんぱいはその手を少しずつ自分のほうに遠ざけて、食べさせようとしない。
「えっ……どうしたんですか?」
「ちゃんと、口で追ってよぉ」
小悪魔のような笑みを浮かべ、そんな風に言うせんぱい。
……何がしたいんだ? そんな事を思いつつも、顔をせんぱいの手に近づける。どんどん、自分の顔の方に梨を持っていくせんぱい。そして、せんぱいの顔の近くまで寄った時、
「ちゅ……」
っと、そんな風に急に体を前に傾けたせんぱいにキスされる。それと同時にせんぱいのパジャマから、ふんわりとせんぱい特有のいい匂いが鼻をくすぐった。
「えへへ……」
せんぱいは口を離すと、不意打ちみたいにキスしておいた割に恥ずかしそうに頬を赤くして目を逸らした。
もう、本当に可愛らしい。俺の好きになった人は本当に可愛い。
そんな俺の気持ちは言葉にするのも億劫で、俺からもせんぱいの唇を奪う事で、伝える事にした。
「んっ……んっ……」
せんぱいの口の中は、いつも甘い気がする。……ああ、そうか、さっき梨を食べたからか。この前、キスした時は……アイスクリームでも食べていたっけ? あの時も甘かった。
そんな事を思いながら俺は、自分よりも一回り小さいせんぱいの口を舐め回す。すると、せんぱいも必死になって俺の口を負けじとペロペロと舌を懸命に動かしてくる。それが子犬みたいで本当に可愛い。多分、怒るだろうから本人には言わないけど――。
そんな風に二人して、お互いの口を舐め回していた時――。
「種島さーん! お見舞いにきたよーー!!」
そう元気な声で部屋に入ってくる。この声は伊波さんか。
「あっ……もう! また、二人でそんなことしてぇ! 誰も見てないからって! 本当に、あなた達はぁ!」
そんな風に、伊波さんに怒られる。いつも通り。もう、何度も繰り返された光景だった。
――あれから、伊波さんとせんぱいは仲直りして前のように。いや、前よりずっと仲良くなっているように見える。そして、俺とも。
「小鳥遊くんも! そんな、人前でえっちなことしちゃダメじゃないっ!」
「えっ……すいません。伊波さん」
今では、俺の方が、彼女に怒られることが多いように思う。
――そうそう、そう言えば、最近、伊波さんの男嫌いもだいぶ良い兆しを見せていて、俺相手にはだいぶ、近づけるようになったし1秒位なら触れるようにもなった。まあ、他の男にはまだまだ近くには行けないけど、拳が出る事は少なくなって、相馬さんも殴られる回数が減ったって喜んでいたっけ。何が、原因なのかは分からないけど、まあ、伊波さんにとって良い傾向なんだから、あんまり詮索しない方がいいだろう。
「はい! 種島さん、今日はチョコチップクッキー焼いてきたよ~」
「わ~! やったぁー!!」
二人は笑い合って、とても楽しそうにクッキーを食べている。美味しい! と、せんぱいが、パクパクと食べている。
せんぱい、さっきも梨あんなに食べたのに……。まあ、いっか。伊波さんの焼いたクッキーは美味しいからな。
「俺も一つ貰いますよ~」
そう言って、返事も待たずにクッキーを口に放り込む。チョコと言っても甘すぎない、ビター気味のほろ苦さが、手作り特有の生地の甘さを引き立てて、市販の物とは違った美味しさがあった。
「さすが、伊波さん! 凄く美味しいです!」
「えへへ……ありがとー!」
照れながら頬をかく伊波さん。俺はそんな二人を見ながら、漠然と考える――。
――こうして、伊波さんと笑って話し合える日が来るとは正直、思ってなかった。せんぱいも俺も……伊波さんの事は、ずっと気にかけながら生きなきゃいけないと思っていた。それが、俺達が付き合う代償だと。犠牲だと……。
でも、今の光景がある。伊波さんとせんぱいと、そして俺。三人が笑い合って一つの部屋に居る……。
俺は、そんな二人に感謝していた。
伊波さん――俺達の事、分かってくれて有難う。
せんぱい――俺の事を好きになってくれて有難う。
そんな気持ちを込めて俺は二人に一言、言った。
「伊波さん、せんぱい……これからも、宜しくお願いします」
澄み渡る病院の一室、いつまでも二人は俺に笑顔を向けてくれていた。
了