「ふぅ~!」
俺は一人、広大な海原を見ながら声を出した。照りつける太陽。心地よい微風。北海道にしては暖かい日で、本当に絶好の海日和だった。そうやって、海独特の自然の風に顔を当てて目を細めていた時、
「かたなしく~ん!」
たったったっと、ビーチに笑顔を振り撒きながら俺の方に向って駆けて来るせんぱい。右手をいっぱいに上に伸ばして、その手を一心不乱にぱたぱたと振っている。俺は思った。せんぱいは本当に罪な子だと思う。だって、こんなに可愛いのに本人はそのことを全然分かってなくて……こうやって、今も不特定多数の人間に可愛さを振り撒いている。
――俺には見える。せんぱいの笑顔から発せられる『ぱあぁっ』と踊るピンクの花びらが。
「どう? かたなし君、このみず……」
「せんぱい! 可愛すぎです!!」
せんぱいの言葉を待たずに感想を言ってしまう俺。
「え~~? あ、ありがと! ……でも、見てる? ちゃんと、水着……」
「えっ? 水着?」
せんぱいの言葉を聞いて、よく、全身を見るとせんぱいは水着だった(当たり前だ。着替えていたんだから)ブルーのビキニで、上下とも紐で縛るタイプ。シンプルながら女性らしさを引き立てるデザインはせんぱいよく似合っていた。
「せんぱいによく似合っていると思いますよ」
「えへへ~~」せんぱいは照れくさそうに微笑んだ。
「あっ! 伊波ちゃん!」
ふと、せんぱいは後ろを振り向いてそう言う。俺もつられて後ろを見ると、伊波さんが微妙な顔をしながらこっちに向っている所だった。
「ど、どうかな? た、小鳥遊君……?」
そう言いながら、伊波さんはもじもじして髪を指でくるくる巻き付けて見せる。
伊波さんの水着はオレンジのワンピースで子供っぽいプリントが入っているようなものだった。
「こっ……子供っぽい水着だって言うのは分かってるの……でも、その、サ、サイズとか……合うの、あんまり、ないっていうか、買いに行っても流行のやつしかないとか、もう、なんか色々で……」
なんか、伊波さんはテンパリながら色々、言い訳を言っているようだった。だが、男の俺にはあまり意味はわからない。とりあえず……。
「似合ってると思いますよ、ええ」
と言っておいた。
伊波さんは照れているのか、挙動不審にその場を動き回っていた。
それからはしばらく、自由行動ということにした俺達は各自遊びまわっていた。
せんぱいはビーチで寝そべっている俺の前で伊波さんと一緒に水の掛け合いっこをしている。その光景はまるで、小学生の妹を相手する姉妹のようだった。「……ああ、せんぱい可愛いなぁ……」自然とそう口にしていた。照り付ける太陽、煌びやかに舞う水しぶき、そして、元気いっぱいのせんぱい。俺の目には今、せんぱいしか映っていない。海水を撒き散らすために元気いっぱいに手をバンザイするその姿が、俺の中でスローモーションのように遅く、鮮明に映し出されていた。
――そんな、無垢なるせんぱいの姿を見ていると、俺は自然と過去の先輩との想い出が脳裏に思い浮かんできた。
……せんぱい。出会ったのは、あの、冬の日。「バイトしませんか?」と、腰をつかまれ、振り向くと、そこにはせんぱいの姿が……いや、誰もいなかった。その後、目線を下に向けると、せんぱいが居たのだったか――。
最初は小学生くらいの子が、ふざけて遊んでいるのかと思った。あと、迷子なのかとも思った。けど、すぐにそうでないと気付く。あの時のせんぱいは可愛かった(今もだけど)俺は、前から小さい物好きだったけども、せんぱいにいたっては特別とも言ってもいいレベルで、俺の可愛い物ランクの順意表を大きく荒らしたほどの逸材だ。あの時ノリで、『バイトします!』なんて言ってしまったけども、今思えばあれは運命だったのかもしれない……いや、運命だったのだろう! せんぱいを俺と引き合わせるための……!!
ぼんやりと、そんなことを考えつつ、照り付ける紫外線を肌に浴びる。せんぱいと伊波さんの事を思い出し、前方に目を凝らすと、二人は泳いでいた。……よく、泳ぐ気になるなと思った。というのも北海道の海は結構冷たいのだ。北海道自体がそれほど暑くはないからである。しかし、ふたりは気持ちよさそうに泳いでいる。定期的に襲ってくる波を顔にかぶるのもお構いなしで「わ~~! つめたーい!」とか言いながら、楽しそうに泳いでいる。しばらくそうして、二人を見ていると、せんぱいと目が合った。すると、
「かたなしく~~ん!!」
と、せんぱいは大声で俺の名を呼んでくる。
だが、他のお客の手前、何も返さずに居ると、
「かたなしく~~ん!! 泳ぐと気持ち良いよ~! おいでよ~~!!」
と、さらに俺を呼んでくる。よほど、気持ち良いのだろう。
「おいでよ~~!」
と、更に少し、小さな声でせんぱいの左側にいる伊波さんも釣られるように言った。
しかたないか、と、俺は重い腰を上げると海に向って歩き、足先を波に浸した。
「冷たいが……まだ、行けるか……」
北海道にしては珍しく、気持ちのいい水温だった。そこで、調子に乗って腰くらいまで浸ってみる。
「うん、ちょっと、冷たいけど、これなら慣れればだいじょ――」
――ザバーーン!!
その時、大波が俺を飲み込んだ。
「ぐはあぁ!?」
アニメみたいにアホらしい声を上げてしまった。海水に顔をもみくちゃにされ、メガネが外れそうでやばかった。すぐさま、メガネを置いてきて、もう一度入る。
「ふうっ……これならもう、しんぱいな――」
――ざばばーん!!
「ごはあぁっ!?」
漫画みたいにバカらしい声を上げてしまった。なんか、一瞬、海の底を見て、なんか暗くて怖かった。あと、ワカメがいっぱいいた。そして、海はしょっぱかった……。
「あれーー? かたなし君!? もっと、入ってようよ? 気持ち良いよ!!」
敗戦を覚悟して海に背を向ける俺に対してせんぱいが引き止める。
「い、いえ、俺は……もう、無理です……心が折れましたから……!」
「そ、そんなぁ……、だって、やっと、波も高くなってきたんだし、これからだよ!? 面白いのは?」
……って、この人、波をかぶるのを面白がっているのか!!
「いえ……俺は……無理ですよ、せんぱい、この大波には勝てません! 俺はおっきな物は大の苦手なんです!」
――ザバババーン!!
「おべらばっ!?」
また大波を受けて、転倒する俺だったが、せんぱいは、
「ふはぁ! 気持ち良いねーー!」
楽しそうに波を受けていた。
――その後、早々に砂浜に非難した俺は、ビーチパラソルの日陰で、休んでいた。思ったよりも早くに着いたこともあり、まだ、時間は1時を少し過ぎた所で時間的にはまだ余裕があった。二人はまだ、楽しく泳いでいるようで、波とたわむれていた。
「…………」
日陰にいると、ちょうどいい涼しさで、思わず、眠くなってきた。まどろみの中を漂っていると、遠くから小さな声が聞こえてきたような気がしたが、眠気に負けて、起きる気になれない。
「――しく~ん……」
「――たなしく~ん……」
だんだん、大きくなる声。
……ああ、これはせんぱいの声だな。と、気付いたけども、やっぱり、まどろんでいた俺は起きようとはしなかった。
……だが、その時、事件は起きた。
――たったったったっ、どすっ!!
だんだん近づいてくる足音と、目の前と思われる付近での砂に足を取られて転倒したかのような鈍い音と同時に襲い掛かったのは、俺の顔面への弾力圧力攻撃……もとい、バーレーボール大の二つの柔らかな双璧……もとい、つまりは、おっぱいだった。せんぱいの胸が俺の顔面にのしかかっていたのである。
……な、なんだ……!? この、やわらかさは……!?
俺は、血の気数多に、一瞬にして目が覚めていた。先ほどまであった、まどろみなど、どこか遠くへ行ってしまった。梢姉さんによく、胸を押し付けられることはあったが、さすがに顔面へのこれほどの圧迫はなかったし、梢姉さんには悪いが、その心地良さは比べ物にはならなかった。とっさに上半身を上げ、せんぱいを見ると、
「……っと、ご、ごめーーん! かたなし君!! こ、ころんじゃった~~!!」
と言い、いきなり倒れて、俺にのしかかってしまった事をペコペコと謝っている。正座で懇願する時のように両手を合わせていた。
「だ、だいじょうぶ?? かたなしくん!?」
おろおろしながら、せんぱいが気を使う。
「い、いえ、いいんですよ……怪我も何もしてませんし……」
「……そう? ほんとにゴメンね?」
上目遣いで、あくせくしながらと聞いているせんぱい。
「そんな、ぜんぜん、怒ってませんよ! ……というか、何をそんなに慌てていたんですか? 俺に何か用事でも……?」
俺が聞くと、
「えっ? あ、忘れてた! えーっと……どこかな?」
せんぱいはそう言うと、辺りの砂地をきょろきょろと見始めた。
「……なにか、探しているんですか?」
「うん……さっきね? きれいな貝殻を見つけたの……!」
俺は、辺りを見回してみた。しばらく探していると丁度、俺の右手の死角になっていた場所にそれらしき物を見つける。
「もしかして、これですか? せんぱい?」
手にかざして、せんぱいに聞いて見ると、
「あーーっ! それそれ! それだよぉー!! どこにあったの!?」
せんぱいはまるで、親に欲しかったおもちゃをプレゼントされた子みたいな顔をして喜んだ。
「俺の手の陰にあったたみたいです」
その、貝殻はたしかに綺麗な貝殻だった。巻貝のような派手さは無かったけれど、ほどよい空色と、海の波のようなウエーブ上の柄がとても素敵だった。俺の手の甲を一回り小さくした位の大きさで、裏は綺麗なクリーム色だった。この貝殻をそっと、せんぱいに渡す。渡す時に一瞬、手が触れあう。そんな、ありがちなことになぜか、せんぱいの指の感触を感じ、少し意識してしまう。
「……こうやって、耳に当てるとね……妖精さんの声が聞こえる気がするの……」
そう言って、せんぱいは遠くを見るようにして貝殻を耳に当てた。せんぱいの言っていることは意味不明だったが、その、綺麗な貝殻を耳に当て、俺の目の前で正座をして、笑顔で遠くを見るせんぱいの姿こそ、妖精のように俺には見えた。
……可愛くて、……可愛くて、そして、先ほどのせんぱいの胸の感触、指の感触……それを思い出すと同時に、つい、目の前のせんぱいの胸に目が行ってしまう。白い綺麗な肌のふくらみと色鮮やかな青の布とのコントラスト。
うっとりと、しながら貝殻の音を聞き続けるせんぱいをずっと凝視していては、俺は何かに参ってしまいそうになった。
「……あ、そうだ、そろそろバーベキュー始めますから、伊波さん呼んできてください」
そう、この雰囲気を逸らすようにせんぱいに言った。せんぱいは「そうだったね!」と、我に返ったようにいつもの笑顔を見せると「じゃあ、呼んで来るね!」と、立ち上がり伊波さんの方へ向って走って行った。
――その時、俺は冷静を装ったが、内心では正直、先ほどのせんぱいの胸の柔らかな感触と、その後につい、直視しまったせんぱいのブルーのビキニで引き立った綺麗な胸のふくらみが脳裏に焼き付いて離れなかった。前を向いていても後ろを向いていても常にせんぱいの綺麗な白い谷間の映像が離れなかったのだ。俺は、せんぱいが思わず、置いていった綺麗な貝殻を拾いあげると、
「――せんぱいも……立派な、女性なんだな…………」
と、自然に口をついていた。
――ハッ!! な、なにを考えているんだ!? 俺は! せんぱいはミジンコ……せんぱいはマスコットのような存在……で、恋愛感情なんて無かったのに……。この、今の気持ちはなんなのだろう……。どうしようもなく、ドキドキして、せんぱいの顔が頭から離れない……。せんぱいのことしか、考えられない……。
間違えない。俺は、今、女性に目覚めている。そして、せんぱいに女性を感じている。
この時、俺の中で『せんぱい』という存在が、大きく変わった。今までとは違う。せんぱいへの、見方が、大きく変わった。そんな、出来事だったのだ……。