「その、女性って言うのがですね…………せ、せ、せせせ、せん、ぱ……」
緊張が、極度に達して、もう、逆に研ぎ澄まされたみたいに眠気がふっとんで、心臓がバクバクして、せんぱいの方に耳を傾けると、スー、スー、という規則正しく可愛らしい寝息が聞こえてきた。
せっかく、暗くて何でも言えそうな、この雰囲気に身を任せて意を決して、言って見たのだけど、どうやら徒労に終わったようだ。しかし、せんぱいは結局のところ、俺に何が言いたかったのだろう? ……やっぱり、せんぱいは、俺と伊波さんに上手く行ってほしいという事しか、思っていないのだろうか?
せんぱいの事を振り向かせるのには……まだまだ時間が必要そうだった……。
――チュン、チュン、と、鳥のさえずりが聞こえて、まどろみから目を覚ますと、窓から白い光が顔に当たる。もう、朝になっていた。
俺は、せんぱいが同じ部屋で寝ているという興奮からか、ぐっすり眠れなかったものの、せんぱいより、早くに目が覚めた。時計を見るとまだ8時前と、土曜の朝としてはまだ寝ていて良い時間だ。
せんぱいを見ると、布団の乱れはあるものの、昨日、可愛い寝息をたててから見た時の体勢と全く変わっていない。まあ、最も、昨日は暗くて、表情まではほとんど見えなかったのだが。
昨日は見えなかったその表情を、じっと、見つめる。スー、スー、という昨日と全く同じ寝息も聞こえる。
――可愛かった。まごうことなき可愛さだった。髪をといている姿が印象的で、別人のようだった。どうやら、昨日、電気を消した後にほどいたようである。
無造作に肩辺りまでに散ばる黒髪と、なずなのお子様用のパジャマの影響か、いつもより、更に2歳以上は若く見える。というか、もう犯罪レベルだった。犯罪レベルの可愛さだった。――って、俺はロリコンじゃないぞっ!!
ただ、せんぱいの事が好きな気持ちはもう、変わりようがない。ロリコンと他人から言われる事と、せんぱいを好きになる事、どちらかを選べというのならば、迷うことなく俺は、ロリコンと言われる道を選んでやろう――。
そんな、決心を、寝てるせんぱいを見ながら思った。
「……うん? かたなしく……」
自分でも、時間を忘れるほど、せんぱいの姿を観察していたら、急に子犬が目覚めたみたいに、ピクリと体を動かしてせんぱいが、目覚めた。
虚ろな表情と半開きの目で、上半身を起こす。可愛らしい見た目の割に大きな胸の膨らみが、なずなの子供っぽいパジャマとほどいた黒髪に、ひどくアンバランスだったが、それが返って魅力的に映った。
「あっ! お、起きました? せんぱい」
「うん……おはよー……かたなしくん……」
「おはようございます……」
せんぱいは、まだ、完全に起きていない様子で、舌足らずな声だった。可愛い。いや、そんなことは分かっていた。
――それから、しばらくして9時近くになった頃。
長居するのも悪いから。と、せんぱいは洗面台やら何処へやら、慌しく帰る準備をし始めていた。手持ち無沙汰になった俺は、昨日乾しておいたせんぱいの制服を一階まで、取りに行くことにした。
「乾いているな……」
干してあった、せんぱいのセーラー服を、触ってみて確認する。確認のためと言え、胸の辺りなんかにふれると、ちょっとドキドキした。
その後、俺は誰も近くに居ないことをキョロキョロと目をやり確認した後、そのせんぱいのセーラー服に顔面を押し付けてみた。
「…………」
その後、鼻を押し付けた状態で、鼻から空気を吸ってみる。
――思わず一生嗅いでいたくなるほど、良い匂いがした。微かな雨の匂いと、濃縮されたようなせんぱいの匂いが鼻腔をくすぐった。
――やばいっ! せんぱい、俺は……! せんぱいの制服に浮気してしまいそうです……!!
思えば、俺の顔はこの時、凄く赤面していたのかもしれない。
そうやって、時間を忘れて、せんぱいの制服に顔を埋めて恍惚としていた時、
「……お兄ちゃん……なにやってんの……?」
引きつったような上目づかいで、俺を見つめるなずなの姿があった――。
「い、いや! なずな! 誤解だ! そんなんじゃない! 決して、せんぱいの制服の匂いを嗅いでいたわけではないっ!!」
ものすごい、テンパッてる俺。
「……い、いやぁ、そんなに焦ったお兄ちゃん久々に見たよ~! そんなに顔も赤くしてぇ…………うん! いいと思うよ! たねしまさんで!」
なずなは、そんな事を一人で口にすると、勝手に納得したように、スキップするような足取りで、その場を去って行った。
「……え? ちょ、なずな! なんだよ? いいと思うって? ……おい! なずな! なずなぁーー!!」
――な、なんだったんだ。あの、言葉の意味は!? お、俺の妹がこんなに意味深な言葉を残していくわけがない……!!
「それじゃあ、わたし家に帰るね!」
制服に身を包んだせんぱいが、俺の部屋で言った。
「はい……別に、昼くらいまで居て、ご飯食べてってもいいですけど……」
「そんなぁ! 悪いよ! ただでさえ、昨日迷惑かけちゃったのに……これ以上かたなし君の家にお世話になれないよ……!」
「そうですか……」
気にしすぎじゃ? とも思うけど、せんぱいの立場だとたしかにそう思うのだろう。
「ま……また、機会があったら……ね? その時は、もう少しゆっくりしてくよっ!?」
しゅんとする俺を気遣ってか、せんぱいは、取り繕うようにそう言った。
「ええ、わかりました。じゃあ、次の機会はもっとゆっくりしていってくださいね?」
「うん! ……じゃあ、今日は帰るね?」
元気よくせんぱいがそう返事をし、俺の部屋を出て行こうとする。その時、俺は少し、さびしい気持ちを感じた。……好きになった人が、離れてしまうという、そんな、名残惜しさからだろうか……?
――そんな、気持ちに浸っていた時、そういえば、せんぱいに渡さなければならないものがあったことに気が付いた。
それを思い出した俺は、「せんぱいちょっと!」と、せんぱいを呼び止める。
「どしたの? かたなし君……」
ドアノブを回した手を離してせんぱいが言った。
「実は、せんぱいに渡しておく物があったんです」
俺は、机の一番上の引き出しを開けた。そして、そこにあった物をせんぱいに見せる。
「あっ……これ、あのときの貝殻……?」
「そうですよ。あの海に行った日、せんぱい、この貝殻持って行かずに慌てて走って行っちゃったじゃないですか……? ずっと、渡そうと思っていたんですが、機会がなくて……」
……本当は、せんぱいを意識してしまって、せんぱいとまともに話が出来なかったからなんだけどな……。
「わああぁ……! これ、欲しかったの! 本当はあの時、持って帰ろう! って思ってたんだけど……どっか、いっちゃったから諦めてたの……!」
せんぱいは、両手でその貝殻を持ち上げて、目をキラキラさせながら、見ている。
「やっぱ、綺麗だよね~? この貝殻……この空色の模様も、裏のアイスみたいな色も……」
クリーム色の裏はせんぱいにはバニラアイスの色に見えるようだ。
「そ、そんなに喜んでくれるとは、嬉しいです……」
「えっ? だって、これ、わたしすっごい気に入ってたんだよ~? ありがと! かたなし君、……えへへ」
せんぱいは、ニッコリと微笑んだ。そして、貝殻を両手にやさしく包み込むと、そのまま自分の胸に当てた。胸に手を当てるせんぱいからは聖母ような、神々しさを感じた。
――種島マリア……種島リア…………!? たねし・まりあ!!
「……綺麗です……せんぱい」
幻想世界にいっていた俺はつい、思ったことがそのまま口に出てしまう。
「……えっ!? ……あ、ああ、そうだよね? この、貝殻綺麗だよね??」
「あっ……! えっ? そ、そうですね!? 貝殻綺麗です! きれい、きれい!」
あ、危ない危ない……勢いだけで、せんぱいに告白してしまうところだった……。
その後、なぜか、お互いギクシャクしてしまって、でも、居心地は悪くない。そんな雰囲気が場を支配していたのだった――。
そして、お互い落ち着いた後。さて、と、言わんばかりにせんぱいが、
「……かたなし君! わたし……この貝殻、一生、大事にするね……?」
そう、元気よく最後に一言残すと、そのまま、笑顔で我が家を去って行ったのだった。