オリ主ちゃんと主神さまの紆余曲折。

1 / 1
鍛治神に愛を求めるのは間違っているだろうか

 その少女が極東で奴隷市場に並べられていたころ、彼女は不人気商品の筆頭だった。

 性別が女で年が若い奴隷というのは市場では売れ筋の部類だったのだが、少女には他の奴隷に比べて明らかに劣る点が一つあった。顔の右半分を覆う、大きな黒々とした痣だ。

 まるで妖魔の類が取り憑いているかのような、不気味な色の痣。この痣が、ただでさえ小柄だった少女をことさらに病的に見せ、少女を買うかどうか検討した客は、大抵この痣を見て表情をしかめ、最後にはこう言い放った。

「こいつはいらない。別のを見せてくれ」

 一事が万事そんな調子だったから、少女は彼女の保有者である奴隷商の中年男にも、粗末に扱われていた。

「とんだ貧乏くじを引いちまった。売れない奴隷を抱え込むことになるとは」

 その当時、少女の周囲には少女のことを必要としない人ばかりが行き交っていた。少女を必要としない両親、少女を買いたくない客たち、少女を早く売っ払ってしまいたい奴隷商。彼らは一様に少女に無価値の烙印を押して、少女をどこかできるだけ遠くへやろうとしていた。彼らの少女を見る目はいつも厭悪に満ちていて、少女が近くにいることを理不尽な不幸だと受け止めているようですらあった。

 生まれたときからずっと、少女にはそれが「普通」だったから、ある日市場で少女を買おうという人物が現れたときは、彼女は本当に驚いた。

 いや、正しくはそれは「人物」ではない。奴隷商から少女を買った「彼」は、人間ではなかった。それどころか小人族(パルゥム)でもなかったし、エルフやドワーフや獣人でももちろんなかった。

 少女を買い付けたお客様は、神様だった。

 ――『神』。

 千年前突如として地上に降り立った不変不滅の超越存在(デウスデア)。世界各地の神話伝承に語られる、天界の住人。下界に暮らすヒューマンなどの下等存在とは隔絶した力を持つ、まさしく次元の違う存在だ。故郷の農村と奴隷市場しか世界を知らなかった少女にとっては、実在するという知識はあってもお伽話の登場人物のように実感のない存在でもあった。

 その神は、とても目立つ風貌をしていた。優に2M(メドル)を越す長身、がっしりとした体躯、ざんばらに伸びた髪は燃えるように赤く、右目は眼帯で覆われている。衣服は刀工が着るような簡素なものだが、決して不釣り合いではなく、むしろそうあるべき自然さを纏っていた。右手には素人目にも業物と分かる、立派なこしらえの刀剣を持っている。全身からは超越存在の証明たる神威が放たれ、それが市場にいた人間全てを圧倒していた。

 後に少女の主神となるその神は、真っ直ぐ少女の方に歩いてきて、言った。

「お前、おれと来い」

 差し伸べられた大きな手を少女はじっと見つめ、そして――。

 

 

 

★★★

 

 

 

 迷宮都市オラリオ。

 無限にモンスターを生み出す広大な地下世界「迷宮(ダンジョン)」の上に立てられた円形都市。

 ダンジョン内のモンスターを討伐することで入手できる魔石によって、莫大な富が生み出されるこの場所には、世界中から多種多様な人種が各々の野望を胸に集う。

 一族の復興を、まだ見ぬ冒険を、あるいは血湧き肉躍る戦いを。

 彼らは願望の成就のために神の恩寵を受け、派閥の仲間と力を合わせて困難に挑む。そして、神々はそんな彼らを慈しみ、庇護し、あるいは弄びながら、オラリオに君臨している。下界の子供に恩寵を授け、その力でもって「未知」を切り開かせるために。

 世界で最も野望と未知の渦巻く場所。それが、このオラリオなのである。

 

 

 

 そんなオラリオの一角、北西のメインストリート沿いに、小さな鍛冶屋が建っている。

 通称冒険者通りと呼ばれるこのストリートは、冒険者を取りまとめるギルドの本部が建っていることもあり、日夜多くの冒険者たちが足を運ぶ通りだ。

 その鍛冶屋の中では、ひとりの少女が武器の整備をしていた。

 小柄な体に、簡素な極東風の着物を纏い、作業用の襷をかけた少女。端正な顔には右目を覆うほどの大きな痣があり、ひときわ人目を引く風貌になっている。

 少女は素早くも丁寧な手つきで、東洋風のこしらえの刀剣を砥石で丁寧に研磨し、ダンジョンで受けた戦傷を修復していた。

「これでよし。ダリアさん、武器の整備終わりましたよ」

 作業を終えた少女は刀剣を鞘に収め、持ち主である女性冒険者に返却する。刀剣を受け取った冒険者は、代わりに少女に幾らかの金貨を差し出した。

「ありがとう。これ、代金だよ」

「はい、確かに。ダリアさんは、今日もこれからダンジョンですか?」

「ああ、今日は人数が集まったから、ちょっと18階層まで行こうかってことになってる」

「そんなところまで。流石に第二級冒険者ともなると、ダンジョンにも慣れたものですね」

「そういうイズミだって、レベル3だろう? 鍛治師にしとくには勿体ないねえ」

「いえいえ。私はこれが天職ですから」

「そうかい。それじゃ、そろそろ時間だから。また来るよ」

「はい、またのお越しを!」

 最後に元気よく挨拶をして、冒険者を見送る。カランカランと音を立てて閉じるドアを尻目に、少女は店舗の奥の工房に入り、作業の準備を始めた。今日も刀を打つのだ。

 鍛治師は鉄を打ち、刀を作るのが仕事。ただし、少女の目的は、ただの刀を量産することではなかった。

「今度こそ、主神さまを唸らせるような名刀を」

 多くの他の鍛治師とは違い、彼女は鍛治師としての成功や名声を求めているわけではない。彼女の目的は、自らの主神である鍛治神の眼鏡に叶うような至高の刀剣を打つことだ。

 鍛治神、アメノマヒトツ。極東の神話に登場する、製鉄と鍛治を司る男神。少女にとっては、自らの命を救ってくれ、生きる意味を与えてくれた恩神でもあった。その主神に、最高の刀剣を打つことで恩返しをしたい。それがこの少女、イズミのたった一つの願いだった。

 

 

 

 アメノマヒトツ・ファミリア唯一の団員であるイズミ・村正は、オラリオについ一年ほど前にやってきた移住者の一人だ。遠く故郷の極東から、主神と二人で野を越え山を越えて旅をしてきた。

 七年前、極東の島国で奴隷をやっていたイズミは、主神であるアメノマヒトツに買われ、眷属となった。眷属というのは、特定の神から「神の恩恵(ファルナ)」を与えられた人間のことで、恩寵の力によって普通の人間にはない能力を解放することができる。

 旅の途中、行く先々の国や都市で鍛冶場を借り、イズミは主神に鍛治師としての教えを受けた。鍛治の神である主神は弟子としてイズミを鍛え、さまざまな鍛治の知識を教え込んだ。一生懸命に研鑽を積んだイズミは、二度のランクアップを経て今やレベル3になっている。レベル2に昇格した際に「鍛治師」のスキルを獲得し、レベル3になった際には「妖魔刀匠(カースドスミス)」というレアスキルも発現した。今では一端の鍛治師である。

 オラリオに移住してからは、ファミリアの団長として商売に勤しんできたりもしたが、今のところこちらは芽が出ていない。地道な宣伝は続けているものの、なかなか顧客はつかず、派閥の経営はずっと火の車だ。おそらく、これは彼女のファミリアが扱っている商品の特殊性にも原因がある。

 アメノマヒトツ・ファミリアで扱う刀剣は、全てが「妖刀」である。「妖刀」とは、スキル「妖魔刀匠」によって作成することのできる特殊武器(スペリオルズ)の一種だ。妖刀属性を付与された武器は、使い手に合わせて性質を変化させるようになる。具体的には持ち主の意向に合わせて斬れ味を変えたり、持ち主の魔力の性質に合わせて魔力伝導率を変えたり、というようなことが起こる。慣れないうちは持ち主と妖刀が馴染まず、変なところで極端に斬れ味が鋭くなったり、逆に肝心なところで斬れ味が鈍ったりするピーキーな属性だ。

 性質の変化は長く使い込んだ妖刀ほど顕著で、その様が持ち主に忠誠を誓っているように見えることから、意思の宿る剣=妖刀と呼ばれるようになったと言われている。世界でも先例の少ないレアスキルであるので、妖刀属性については分かっていないことが多く、好んで使う冒険者は少ない。

 ただそれでも、懇意にしてくれる客は存在する。先程イズミが整備した刀の持ち主であるダリアは、その一人。レベル4の第二級冒険者である彼女は、「妖刀打ち」としてのイズミに一番最初に武器の依頼を出してきた人物だ。彼女が妖刀の良さを広めてくれたことで、アメノマヒトツ・ファミリアはいくらかの新しい顧客と、多くの潜在顧客を得ることができた。イズミにとってはオラリオで初めてのなんでも話せる友人で、気の置けない仲でもある。

 中堅規模の探索系ファミリアで団長を務めているという彼女は、イズミのような似非冒険者とは違い、完全に専業の冒険者だ。オラリオの地下にあるダンジョンに潜り、そこでモンスターを討伐したり、資源を回収することを生業にしている。文字通り命がけの稼業であり、だから彼女は迷宮攻略に使う道具には絶対に妥協をしない。そんな彼女が自らの命を託す主武装に私の妖刀を選んでくれたというのは、イズミにとって嬉しいことだった。

 決して生活に余裕があるわけではない。だがそれでも、親しい友人がいて、尊敬すべき主神がいて、夢中になれる仕事がある今の生活を、イズミはとても気に入っていた。こんな日々がずっと続けばいい。心の底からそう思えるほどに。

 

 

 

★★★

 

 

 

 アメノマヒトツ・ファミリアは、オラリオでも屈指の零細ファミリアである。

 派閥ランクは最低のFランク。イズミと主神がオラリオに着いてそろそろ一年になるが、未だに団員はイズミ一人だし、お得意様もそう多くないので収入は微々たるもの。なので、生産系ファミリアといえども、ダンジョンに潜る必要がある。刀を打つための素材の収集と、あとは単純に魔石稼ぎとして。イズミは一人で自分と主神の二人分の生活費のほかに、工房の維持費も稼ぐ必要があるため、鍛治ばかりに集中してはいられないのだ。

 サポーターを雇うにもお金はかかるため、イズミの迷宮攻略は基本ソロだ。イズミのレベルは3なので、ギルドの基準では適性階層は25階層から30階層になるのだが、戦闘経験の少なさを加味すると油断はできない。だから、イズミは基本的な狩場をレベル2の適正階層と言われている「中層」、その前半までに定めている。17階層に出現する「迷宮の孤王(モンスターレックス)」ゴライアスが討伐されたばかりなら、18階層の「迷宮の楽園(アンダーリゾート)」に足を踏み入れることもあるが、そこから先には進まないことにしていた。

 探索はせず、決まったルートを往復し、決まった狩場で同じモンスターを淡々と処理する。徹底して冒険はしないと決めているのだ。イズミは自分が本当に力を注ぐべきなのは鍛治であり、工房こそが自分の戦場であると考えている。迷宮で不用意にリスクを犯し、二度と槌が持てなくなったりしたら、それこそ死んでも死に切れない。

 この日も、イズミはいつもと同じようにダンジョンに向かった。武器も防具も手入れは万全。回復薬(ポーション)やアイテムの補充も完璧。多くの他の冒険者に紛れてダンジョンに入り、いつもの狩場を目指して進む。

 不意に飛び出してきたモンスターに対して自身の刀を構え、応戦する。

 ウサギ型のモンスター、「アルミラージ」。数は全部で三。小型の手斧を装備しているが、怖さはない。深層とは異なり、中層のモンスターの知性は低く、「技」と呼べるものを使うモンスターは出現しないからだ。

 一斉に飛びかかってくるアルミラージの挙動を読み、延長線上に刃を置いておく。それだけで、大体のアルミラージは対処が可能だ。レベル2の頃からずっと使っている愛剣「紫陽」がその斬れ味を発揮し、白兎の矮躯を両断する。

 イズミはそのまま流れるように後続の二体も斬り捨てた。ふうっ、と一息を吐き、残心。どうやら周囲からの追撃はない。ここまでが一つのルーティン。頭の中で戦闘状態を解除して、周辺警戒に切り替える。素早く魔石を回収して、次へ。こうして出来るだけ危険を回避しながら、手堅く魔石を収集していくのがいつものスタイルだ。

 もう一年近くも同じような狩りを続けている。ステイタスは毎日のように更新しているが、最近は目立った伸びは見られない。当然といえば当然だ。冒険者がステイタスを大きく伸ばすには、自らの能力が及ばない困難に立ち向かい、「偉業」を達成する必要がある。言い換えれば命を危険に晒す必要があるということだ。イズミのスタイルはステイタス上昇の条件とは正反対の超安全志向。これではステイタスなど伸びるわけもない。

 それでいい、とイズミは思っている。ステイタスを伸ばすことは重要じゃない。次々と未知を開拓し、迷宮を踏破していく探索系ファミリアのことを尊敬はするが、ああなりたいと憧憬は抱くことはない。イズミには他にすべきことがあるのだ。脳裏に浮かぶのは、幼いイズミの目の前で一心不乱に槌を振るう在りし日のアメノマヒトツの後ろ姿。あの背中に少しでも追いつくために。

「ふっ!!」

 鋭く呼気を吐き出しつつ、刃を振るう。相手はミノタウロス。牛頭の巨大な人型モンスター。逞しい筋肉の鎧に覆われた威容は、冒険者にとって分かりやすい脅威だ。特に、今日の個体はいつもより少しばかり身体が大きい。強化種なのかもしれない。右手には原始的な天然武器(ネイチャーウェポン)を携え、小柄なイズミを叩き潰そうと襲いかかってくる。

 イズミは下段に「紫陽」を構えつつ、身を低くして接近。力任せに振り回される棍棒をするりするりと回避しながら、下半身にダメージを蓄積していく。切り結ぶこと数分。やがて、痺れを切らしたミノタウロスが特攻をかましてくるのを見計らって、初めて上半身への攻撃を繰り出す。

 棍棒の叩き付けを躱してから、ステイタスを全開放しての跳躍。ぎょっとして目を見開くミノタウロスの首筋へ、一撃必殺の横薙ぎを見舞った。ずずん、と重い音を立てて崩れ落ちるミノタウロスの巨体。回収した魔石は予想通り通常のものよりも一回り大きかった。

 地味な狩りでも毎日続けていれば、こういうラッキーがある。今日はボーナスデーだ。ちょっと高い食材を奮発してもいいかもしれない。久しぶりに、主神さまの好物の魚介鍋を作って差し上げよう。そんなことを考えながら、イズミはほんの少しだけ軽い足取りでホームへの帰路に着いたのだった。

 

 

 

★★★

 

 

 

 ある夜、イズミは主神であるアメノマヒトツと共に、馬車に乗っていた。両名とも、普段は絶対に着ないような上等な衣装に身を包み、イズミは化粧まで施して着飾っている。一人と一柱がこれから向かうのは、ギルド所有の施設で行われるパーティ――『神の宴』である。

 『神の宴』とは、文字通りオラリオの神々が一箇所に集って飲めや歌えの大騒ぎをする催しのことである。有力ファミリアの主神がホストとなって神々に招待状を出し、集まったメンツでいつも通りの馬鹿話をして騒ぐ、というのが通例であり、娯楽好きの神々にとってはお楽しみの一つとなっている。

 ただ、イズミの主神アメノマヒトツは、オラリオに来てからの約一年間、一度たりとも『神の宴』に出席したことはなかった。鉄さえ打てればそれが娯楽になるという鍛治神にとっては、わざわざ着飾って馬鹿話をするだけの宴は、鍛治ができないときに暇つぶし程度のものであり、さしたる興味もなかったからだ。

 それが、今回に限って参加することになったのは、今回の宴のある特徴が関係していた。

 そもそも、『神の宴』とは神々の神々による神々のための催しであり、眷属の参加は基本的に認められていない。それなのにイズミがアメノマヒトツに同行しているのは、今回の宴の主催者である神アポロンの意向によるものだった。

 宴に参加する神は、自派閥の眷属一名を同伴すべし。それが、神アポロンの主催する今回の『神の宴』の参加条件だ。当然ながら異例の措置であり、前例はない。すなわち「未知」。天界を飛び出して地上に降り立つほどに娯楽に飢えている神々にとって、「未知」とは他の何物にも代えがたい魅力を持っている。神々が未知を求めるのは、人が食べ物を求めるのと同様の、本能とすら言えるかもしれない。未知の誘惑の力は強く、普段は宴には興味も示さないアメノマヒトツも、それには逆らえなかった。

 馬車の中で、心なしか興奮した様子のアメノマヒトツとは反対に、イズミの表情は暗かった。もともと対人能力の低いイズミは、人数の多い場所や人の注目を浴びることが得意ではない。夜の上品なパーティなどというのは、イズミにとってダンジョンよりもよほど危険な環境に思えていた。主神の勢いに押されて参加を了承してしまったが、パーティを乗り切る自信など皆無だった。

 大柄で興奮気味の男神と、小柄で憂鬱そうな少女。対照的な二人を乗せた馬車は、やがて会場に到着した。馬車から降りて会場へ入ると、すでにパーティは始まっていて、ありらこちらで着飾った美男美女たち――宴の主役である神々と、その眷属たちが思い思いに時間を過ごしている。

「さあ、ついてこいよ」

 そう言ってアメノマヒトツは、イズミの手を引っ張ってずんずんと進んでいく。会場を横切るように移動する2M超えの長身は周囲の注目を集め、イズミは身も竦むような思いで首を引っ込めながら歩いた。

「あの、主神さま、どちらへ?」

 イズミの疑問は、答えるまでもなく解決された。

 アメノマヒトツが向かった先には、ひとりの女神が立っていた。肩まで伸びた赤い髪と、右目を覆う眼帯。髪と同じ真っ赤なドレスに身を包み、多くの神々の視線を集めている。

「会えて光栄だ、へファイストス」

「こちらこそ。お噂はかねがね、アメノマヒトツ」

 主神の巨躯に臆することなく堂々と受け答えるさまには、しっかりとした自信が満ち溢れている。

 神へファイストス。オラリオ最大手の規模を誇る鍛治系ファミリア「へファイストス・ファミリア」の主神。多くの優秀な鍛治師を抱え、オラリオ中に武器を流通させている裏方の中心神物。要するに、大物中の大物だ。

 周囲の目もある中でいきなりそんな大物の前に引きずり出されて、ただでさえ緊張気味だったイズミは完全に萎縮してしまう。

「こいつはイズミ。おれの一番の眷属だ」

「知ってるわ。『妖魔刀匠』イズミ・村正でしょう。面白い剣を打つって有名だもの」

 神へファイストスに名前を知られている。

 イズミは思わぬ栄誉にどう反応していいか分からず、不器用に身体を固まらせる。

「こ、光栄です……」

 なんとかそれだけ返答して、イズミは一歩身を引く。どうやら主神さまは神へファイストスと話をしたいようだし、ここは自分の出る幕ではないと感じたのだ。

 それからアメノマヒトツは、しばらくへファイストスと話し込んでいた。出身の神話こそ違えども、互いに鍛治を司る神同士。共通の話題も多かったらしく、会話は大いに盛り上がっていた。話の流れは、主にアメノマヒトツが話題を振ってへファイストスが受け答えるというもの。打てば響くというのか、とんとん拍子で進む鍛治談義はとても軽快で小気味好く、二柱の間にはリラックスした雰囲気が流れていた。

 イズミは、口を挟まずにじっとその会話を聞いていた。一緒に旅した六年間でも見たことがないほど楽しそうな主神の様子に、邪魔をしてはいけないという気持ちが働いたのだ。

 それから、単に話についていけなかった、という理由もある。二柱の間で交わされる談義はあまりに高度だったために、鍛治師の端くれであるイズミにとっても理解できない部分が大半で、下手に合いの手でも挟もうものなら話の流れを断ち切ってしまいかねなかった。

 主神さまは私に鍛治を教えるときは、いつもセーブして話してくれていたんだな。イズミはつくづくそう思った。なにせ神と下界の存在では、大人と子供以上の圧倒的な隔たりがある。教える側はその壁を乗り越えて、自分の知識や技術を伝えなくてはならない。さぞ大変な作業だっただろう。 

 だがそれでも、超越存在と私たちの間の溝は容易には埋まらない。聞くところによると、へファイストス・ファミリアの最上級鍛治師であっても、同じ条件で鍛治神と腕くらべをした場合には明らかな差が出るという。鍛治のために他の全てを投げ捨てるような人でもそれなのだから、人が神に追いつくというのは夢物語なのかもしれない。もしかしたら神々からしてみれば、私たち下界の鍛治師が一生をかけて鍛える技術も、児戯程度のものなのかもしれないーー。

 そこでイズミは、思考を切った。ストレスの高い環境にいるせいか、考えることがネガティブになっていた。ぶんぶんと首を振って、気持ちを切り替えようとする。

「おい、イズミ」

 そこで、イズミはようやく目の前に立つ主神に気がついた。

「話は終わったぞ」

「もう、いいんですか?」

「ああ。ゴブニュにも挨拶をしておこうと思ったんだが、今日は来ていないらしいからな。イズミは、話したい相手はいないのか」

「私は、大丈夫です」

「そうか。なら、帰るとしよう」

 そう言ってすたすたと歩き出す主神に、イズミは小走りでついていくのだった。

 

 

 

★★★

 

 

 

 初めて自分で刀を打ったときのことを、イズミは今でも、瞼の裏側に鮮明に思い起こせるくらいよく覚えている。これまで何千という刀を打ってきたイズミだが、初めての記憶というのはやはり特別だった。

 灼熱の炎に煌々と照らされた工房に入ったときには、空気で肌が火傷するかと思うくらいに暑くて、びっくりした。だがそれ以上にイズミがびっくりしたのは、主神の表情だった。

 いつもは優しげな笑みを浮かべている整った容貌が、怖いくらいに真剣な表情をして炎をじっと見つめていた。ただでさえ大きい主神の体躯が、工房の中では殊更に大きく見えて、まるで巨人か何かのように思えた。

 主神が見守る中で、イズミは赤熱した鉄に初めて槌を振り下ろした。鉱床から跳ね返った槌の重みが両手に反響して、腕の骨がじんじんと痛んだ。

 熱くて、痛くて、主神さまはなんだか怖い。幼いイズミはそれだけで泣きそうになり、鍛治が嫌いになりかけた。だけど、もし私が鍛治を嫌いになってしまったら、主神さまは私のことを嫌いになってしまうかもしれない。そう思って、辛抱しながら槌を振り続けた。

 何度も何度も槌で鉄を叩いているうちに、イズミは時間を忘れて鍛治に没頭していた。相変わらず熱さも痛さも怖さもあったけれど、それらが初めに感じたほどの重大事ではないように思えてきていた。そうしてイズミが槌を振り終わったとき、鉄は刀の形になっていた。

 いつもアメノマヒトツが打っているものほど綺麗なものではない。比べることも憚られるような稚拙な出来だったが、それでも刀は刀だ。昨日まで元奴隷の無力な子供でしかなかった自分が、刀を打った。その衝撃はとても大きかった。

「うむ、いい刀だ」

 完成したばかりの刀を見て、アメノマヒトツはぽつり呟いた。

「私の教えを自分なりに活かそうとしたのだろう。しっかりと頭の中で教えを反復しながら、槌を振っている。イズミは、素直な性格なのだな」

 刀をじっと見つめながら、アメノマヒトツは言葉を連ねる。神の力を持たないはずの鍛治神は、たった一振りの刀からあまりにも多くのことを読み取り、イズミの内面を言い当てていった。

「そんな、刀を見ただけで、分かるんですか」

「もちろんだ。刀は嘘を吐かない。刀には、鍛治師の全てが現れるのだ」

「鍛治師の、全てが」

「そうだ。覚えておくといい、イズミよ。だからこそ鍛治師は、心に歪みを抱えたまま、刀を打ってはならない」

 主神の言葉を聴きながら、イズミは不思議な陶酔感に包まれていた。ああ、この主神(ひと)は今、刀を通して私という人間を見てくれているのか。醜い容貌や哀れな身の上ではなく、ただ一振りの刀から、身もふたもないほど容赦なく、私の内側を暴いている。これまで私の接してきたどの人間とも違う視点から、私という人間を認めてくれているのか。

 それはそれまで誰にも必要とされたことのなかったイズミにとって、紛れもなく救いの言葉だった。そのときのイズミの目には、鉄の塊に過ぎないものを熱心に見つめる主神の姿が何よりも尊く美しいものに見えていた。

 だから、イズミは願ったのだ。

 ――ああ、私は、この主神(ひと)の一番になりたい。

 

 

 

★★★

 

 

 

 イズミはその日、調子を崩していた。

 いつも通り午前の営業を終了し、店舗の片付けを終わらせてダンジョンに向かった後のこと。

 冒険者たちに混ざっていつもの狩場へと赴き、いつもの通りにモンスターを撃破して、魔石を回収する。習慣を丁寧になぞって、ルーティンを遂行しているつもりだった。

 しかし、どうにも違和感がある。身体のどこかに痛みがあるわけではなく、全体的に身体が重い、ような気がする。いつもより少しだけ「紫陽」の斬れ味が悪いような気がしたし、いつもより少しだけ回収した魔石が小さいような気もした。

 確固たる欠陥があるわけではなく、もっと茫漠とした、立ち込める靄のような不快さ。まるで悪霊(レイス)に纏わり憑かれているかのような、捉えどころのない不調に、イズミは頭を悩ませていた。

 飛びかかってくる虎型のモンスター「ライガーファング」に、すれ違いざま一太刀を浴びせ、すぐさま距離を取り直す。動きは決して悪くない。何千何万と繰り返し、体に刷り込んだ戦闘術は問題なく機能している。やはり、身体に問題はない。それなのに調子が悪く感じるということは、精神(こころ)に問題があるのだ。

 何が原因だろう? ほぼ無意識のうちに動作する身体から意識を切り離し、イズミは自身の内面に思考を巡らせる。悩みのタネは多い方ではない。すぐに心当たりは見つかった。

 そういえば最近、主神さまがあまりホームに戻ってこなくなった。迷子や誘拐とかいう話ではなく、イズミの主神であるアメノマヒトツは、もともとホームにはあまり帰らないのだ。オラリオに来たときに貯めていたお金を全て使って手に入れたアメノマヒトツ・ファミリアのホームには、工房がひとつしかない。だから、アメノマヒトツは色々と理由をつけて、他の鍛治系ファミリアにお邪魔をしては、工房を借りて鉄を打っている。

 零細鍛治ファミリアの涙ぐましい裏事情だが、アメノマヒトツ自身はそう気にしてもいないので、これ自体に問題はない。問題なのは、これまで色んなファミリアにお世話になっていたアメノマヒトツが、最近はひとつのファミリアに毎日のように通い詰めているということだった。

 イズミの脳裏に浮かぶのは、数日前開かれた「神の宴」で出会った一柱の女神。主神と同じ燃えるような赤髪と、右眼を覆う眼帯。普段は寡黙な主神が、興奮した子供のように話しかけていた相手。世界最高の鍛治系ファミリアの主神、神へファイストス。

「……?」

 何故だろう、思い出すだけでもやっとして、胸の奥が痒くなる。

 イズミは自分の内に湧く未知の感情を、完全に持て余していた。振り払うように、刀を振る。ライガーファングの頭部が、中央で真っ二つに割れる。本当に、なんなんだろう、これ。いつも通りの残心も忘れて、しばらくイズミはその場で立ち尽くしていた。

 

 

 

★★★

 

 

 

 イズミが奴隷になったのは、十歳のときのことだ。きっかけは、弟が生まれたことだった。

 イズミの両親は、もともとイズミのことを「黒痣」を持つ子供として忌み嫌っていた。「黒痣」とは、イズミの生まれた地域の言い伝えで、妖魔の類に魅入られたものが持つ、不幸を引き寄せる呪いだとされていたものだ。

 生まれつきイズミが痣を持っていたせいで、イズミの一家は村の中で孤立し、爪に火を灯すような苦しい生活を余儀なくされていた。

 そこに、新しく子供が生まれた。今度は、痣を持っていない普通の子供。しかも男の子だ。普通の農村であったイズミの村では、力仕事のできる男の子は将来の労働力として期待され、村ぐるみで大切に育てられる風習があった。

 両親は考えた。この子がいれば、また村の共同体に受け入れてもらうことも可能かもしれない。しかし、最も死亡率の高い乳児期を乗り切るには、どう考えても蓄えが足りない。元の生活に戻るためには、どうしてもお金を手に入れなければならない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 こうして両親はイズミの人身売買に踏み切り、奴隷商はイズミを引き取った。

 他の奴隷の子たちとともに「市場」に並べられたイズミは、他を押しのけて瞬く間に不人気商品の筆頭になった。性別が女で年が若い奴隷というのは「市場」では売れ筋の部類だったのだが、ここでもやはり痣が原因となって、イズミは客たちに避けられた。何を置いてもまず「長持ちするか否か」を優先する買い手たちは、イズミの痣を見て病気を連想したのだ。

 時が経つにつれ、イズミを引き取っていた奴隷商はイズミを乱暴に扱うようになっていった。一日の営業が終わると、売れ残ったイズミを散々に罵倒し、暴力を振るう。与えられる食糧もだんだんと粗末なものになっていった。

 当時、イズミを取り囲む全てのものが彼女の敵だった。

 突き放すように自分を奴隷商へ差し出す、両親の視線。右眼の痣を見て汚物でも見せられたかのような顔をする、「お客様」たち。そして、売れ残りの自分を迷惑そうに睨め付ける、強面の奴隷商。

 「お前は必要ない」という共通のメッセージを叩きつける、それら全てがイズミを傷つけ、苦痛を押し付けた。襲いかかる理不尽から、逃れるすべはなかった。ひたすらに耐えて耐えて、それでもどうしようもなくなったとき、イズミの精神はとうとう「順応」を選択した。

 「お前(わたし)は必要ない」という自分を蝕む呪いの言葉を、自然のこととして受け止める。それが普通なのだと、認めてしまう。

「わたしは必要ない」

「わたしは必要ない」

「わたしは必要ない」

 麻酔で痛みを誤魔化すように、何度も何度も自分に言い聞かせて。そうしていつからか、イズミは「痛み」を、感じなくなっていた。

 

 

 

★★★

 

 

 

 赤熱した鉄に、槌を振るう。脳裏に焼き付けた動作を、丁寧になぞる。全身で工房の熱気を感じながら、槌の重みを感じながら、「鉄」を「刀」へ転生させていく。初めて槌を握った日から、ずっと繰り返してきたことを、またひとつ積み上げいく。少しずつ、意識的にボルテージを上げて、自分と槌の境界が限りなく薄くなる鍛治師の境地――入神(トランス)状態――へと近づけていく。

 槌を、振るう。跳ね返った金属音が工房の中を飛び回り、火花が散る。瞬きも忘れて、だんだんぼやけてくる感覚に身を任せる――。

「ッ!!」

 そこで、イズミは唐突に振り上げていた槌を下ろした。張り詰めていた空気が緩み、集中が途切れる。曖昧になっていた境界が急にはっきりと浮かび上がり、イズミの意識は、槌から完全に切り離されていた。

 はあはあと、息を乱暴に吐き出して動悸を鎮めようとするが、昂ぶった神経はなかなか休まらない。

「まただ……」

 呆然と呟くイズミ。

 ここ数日、彼女は明らかに不調に陥っていた。ダンジョンでの挙動は精彩を欠き、工房でも鍛治師として真価を発揮できていない。いくら「いつも通り」を心がけても、今まさにそうなったように、意識に雑念が混じってルーティンが崩壊してしまう。

 何かが、彼女の「いつも通り」を阻害している。正体不明の違和感が彼女の頭の中で大きな範囲を占めて、余裕を奪い去ってしまっていた。

「もう一度、集中して」

 自分に言い聞かせるようにして、また槌を振り上げる。その表情は強張り、額には玉のような汗が滲んでいる。過剰なまでに心臓が高鳴って、その音が耳につく。五感が敏感になり過ぎている。濁流のような情報が頭に次から次へと流れ込んできて、集中を持続できない。

 それでも強引に、イズミは槌を振り続ける。

 今のイズミを突き動かしているのは、焦りの感情だ。何に対する焦りかは定かではない。イズミも自分で理解できていなかった。ただ無性に、恐ろしい。一時でも鉄を打てない自分を許容することができない。一度でもそれを許容してしまえば、主神とともに歩いてきたこの六年間が、泡沫のように消えてしまうような気がして、どうしても槌を手放すことができない。

 わずかに残った冷静な理性は、一度槌を置くべきだと訴えかけている。間を置いて、胸中を整理してからまた鉄に向き合えばいい。迷いを抱えたまま打ったところで、なまくらしかできないのだから、と。

 一方で、暴走する本能はその論理を押さえつけている。だめだ、槌を置くな。甘い誘惑に屈してはならない。一度でも「打てない自分」を認めてしまえば、お前はもう一生刀を打てなくなるぞ、と、脅迫じみた怒声を張り上げている。

 イズミは本能に従って、槌を振るう。

 衣摺れが煩わしくなって、服は脱ぎ捨ててしまった。上半身はさらしで胸を覆うだけの格好になって、また槌を振り上げる。火花が散って、イズミの素肌に火傷を作った。

 暗中模索。あてのない長い長い道のりを、ただ歩かされているような気分だった。どこに行くべきなのか、どうやったらそこへ行くことができるのか、基準になるものが何もなく、ただ足を止めないためだけに、歩いているような状況。

 イズミは槌を振るう。

 身体の軸がぶれ始めて、正しい振りが再現できなくなっている。時間の感覚が曖昧になっていた。鉄を打ち始めてから、どれほど経ったのだろう? 何時間、何日、あるいは何週間?

 レベル3の強靭な肉体が、悲鳴を上げ始めている。ダンジョンの中でさえ陥ったことのない、超過疲労状態。こき使い続けた肩や肘はもう故障寸前で、下半身もまともに姿勢を保てなくなっている。

 骨が軋む。肉が引き攣る。槌を握る手は皮が剥がれて、血が滴っている。

 それでも、イズミは槌を振るう。がむしゃらに、愚直なまでに槌を振るい続ける。

「ああああああああああ!!」

 膨れ上がる違和感を押さえつけ、言うことを聞かない身体に鞭を打ち、獣のような咆哮を上げて。

 そして、そして、そして。

 最後に一度、渾身の一打を振り下ろしたのを合図に、イズミの身体を動かしていた意思の力がぷつりと途切れる。

 顔の横から、地面がせり上がってくるような感覚。どさり、と、乱暴に放り捨てられた人形のように、イズミの身体は工房の床に崩れ落ちた。

 

 

 

★★★

 

 

 

 工房の壁に背中を預けて、イズミは床に座り込んでいた。

 身体は、指の先までぴくりとも動かせない。体力は完全に底を尽きて、心臓はただ生命維持のためだけに動いているような状態だった。当然ながら、槌を振るうことなどできるわけもない。

 槌を振るっているときにはさまざまな感情がぐるぐると渦を巻いていた頭の中が、いまは漂白されたように静かになっていた。

 鉱床の上。刀は、完成していた。何かに急き立てられるようにして打った、イズミの最新作。「妖魔刀匠」によって意思を吹き込まれた、生まれたばかりの妖刀。

 だが、いまのイズミには自分の作品の完成を喜ぶだけの余裕は残されていない。ぼうっとする頭のまま、イズミは夢とも現実ともつかないまどろみの中にいた。

「主神さまの、一番になる、か」

 ぽつりと、呟く。

「夢みたいなこと言ってたんだな、私」

 刀を打つことがこんなに苦しいと思う日が来るなんて、思ってもみなかった。自分で自分が何をしたいのかが分からない。主神に拾われてから、ずっとその背中だけを追いかけてきたつもりだった。いつも近くにいたから、その背中がどれほど遠くにあるか正しく理解できていなかった。

 追いつけると、思っていたのか。いつか主神さまと同じ領域に立てると。定命の人の身で、悠久を生きる超越存在と対等になれると、本当に思っていたのか。なんて、傲慢な。

 仕方ないだろう。私にはそれしかなかった。刀を打つことしか、できることがなかった。神さまにだって追いつけると思っていなければ、槌を振るい続けることなどできやしない。

『本当にそうか?』

 唐突に、聞き慣れた声が投げかけられた。イズミが俯けていた顔を上げると、鉱床の上に人影が一つ。

 小柄な体躯。さらしで胸部を隠したのみの装い。そして目元の痣。

 その人影は、どこからどう見てもイズミ本人だった。鉱床に足を組んで腰掛け、高い位置からイズミを見下している。

『あんたには本当に、鍛治(それ)しかなかったのか?』

「そんなの、当たり前だ」

 鍛治師でなければ、私は奴隷にしかなれない。他に何があるというんだ。

 投げやりに答えるイズミに、写し身の少女は追い討ちをかけるように言葉を投げかける。

『それは違う。鍛治師でなくとも、オラリオで冒険者をやることだってできたはずだ。あんたが鍛治師にこだわったのは、あんたの中に相応の理由があったからだ』

 相応の理由。私が刀を打つ、理由。

『そもそも、あんたはなんで刀なんか打っていたんだ?』

「……そんなの決まってる。主神さまに、恩を返すために」

『そりゃ変な話だ。恩を返すだって? あんたが刀を打つことが、なんで主神さまへの恩返しになる? アメノマヒトツさまが、一度でもそんなことを言ったことがあったか?』

「主神さまは、鍛治の神だ。いい刀を打つことと、それを鑑賞することを無上の喜びとされるお方だ。あの方に教わった鍛治の技術で、あの方が満足するような刀を打つことができれば、それが恩返しになるんだ」

『そうだな。あんたはずっと自分にそう言い聞かせて、刀を打ってきた。だけど、それは嘘だ』

「なんだって?」

『アタシには分かるよ。あんたは、怖かっただけさ。人に何かを求めて、それを拒まれることが。自分の価値を、面と向かって否定されるのが怖かった』

『鍛治っていうのは、あんたにとっての安全地帯だった。刀を打っていれば、とりあえず主神さまとの繋がりを保つことができる。刀を打っていれば、とりあえず友人(ダリア)はあんたを必要としてくれる。オラリオでは、刀さえ打っていれば、あんたはとりあえず自分の価値を否定されないで済んだわけだ』

『主神さまに恩を返すという、傍目には綺麗な目標があれば、人から拒まれる恐怖から逃げることも正当化できた。あんたにとって、実際に恩を返せるか否かはさして重要じゃなかった。鍛治師でい続けることができればそれでよかったのさ』

 違う、と叫びたかった。しかし、声は音になるまえに喉の奥でつっかえて消えた。

『だけど、神へファイストスに出会ったとき、あんたの中でその目標が崩れた。神の領域の深遠さを思い知り、自分には不可能だと悟ってしまったからだ。目標からは現実味が失われ、正当化の鍍金(メッキ)がはがれ始めた』

『あんたは焦った。鍛治師でいることを正当化できなくなれば、せっかく手に入れた安全地帯も台無しだ。だけど、あんたにはどうすることもできなかった。六年間も大事に抱え込んでいた目標だ。代わりなんてそう簡単には見つからない。目標を見失ったまま、とにかく鉄を打つしかなかった』

 イズミは、だんだん自分が追い詰められていっているのを感じていた。目の前の存在が語る言葉によって自分の「安全」が脅かされていることを、直感的に理解していた。

 反論をしなければならない。ありったけの論理を結集し、自分の偽物が語る言葉を、完膚なきまでに否定しなければならない。そうしなければ自分は、このままこの少女によって精神(こころ)を乗っ取られてしまうかもしれない。

 意を決して口を開こうとしたイズミの機先を制するように、少女が言う。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 イズミはその言葉にぎくりとして、開きかけていた口を閉ざしてしまう。

『覚えてねえわけねえよな? なにせ、あんたの大好きな主神さまが、一番最初にあんたに与えた教えだ』

『あんたがやったことは、まさにこれだ。心に歪みを抱えたまま、刀を打った。自分の中に渦巻く負の想念を、槌に込めて。そして、()()()()()()()()()。あんたは恐怖に屈し、主神さまの教えを犯したわけだ』

 イズミの建前は、今や完全に崩壊していた。写し身の少女――名無しの妖刀は、今までイズミが必死で塗り固めてきた欺瞞の殻を、言葉の拳で粉砕してしまったのだ。

 もはや論駁は不可能。イズミは自身の敗北を悟った。それと同時に、イズミの中で急激に湧き上がる感情の奔流があった。理性が歯止めをかける暇もなく、イズミは叩きつけるような言葉を吐き出した。

「何が悪い、何が悪い!? 誰にも迷惑をかけないやり方で、ほんの少しばかりの幸せを求めたことが、そんなに罪深いことなのか!!」

 子供の癇癪のように、無軌道に喚き散らす。興奮を露わにするイズミの対して、名無しの妖刀は凪のような静けさを保っている。

『悪かねえ。もちろん、何も悪かねえよ。そもそも、善か悪かなんて重要じゃないんだ。アタシはあんたを糾弾したいわけじゃない。アタシはただ、聞きたいことがあっただけだ』

 妖刀は、顔を上げたイズミの両眼を真正面から覗き込んで、真っ直ぐに問うた。

()()()()()()()()()()()()()。あんたが本当に、心の底から欲しかったものは何なんだ』

 はっと、イズミが息を飲んだ。その問いは、イズミの心のもっとも深い部分に、直接届いた。

 名無しの妖刀は、「妖魔刀匠」によって刀に吹き込まれたイズミの魂の欠片ーーいわば分霊のようなものだ。

 イズミは自分の中に、こんなにも真摯に自分の欲求と向き合える意思が存在していたことに、新鮮な驚きを感じていた。

『代替品で納得するなよ。粗悪品で満足するな。ほんの少しばかりの幸せを守って、もっと大きなものから逃げるんじゃねえ。本当はもっといいものを、もっと多くの幸せを手に入れられるのに、妥協して立ち止まるっていうのは、自ら死を受け入れるのと同じだぜ』

 それはイズミを追い込む言葉のようでもあり、励まし背中を押す言葉のようでもあった。

 イズミは考える。随分昔に自分の中で蓋をして、忘れてしまおうとしたものに、改めて焦点を当てる。何層にも積み重なった自己欺瞞の奥の奥。自分で自分の中に封じ込めてしまった、何よりも大切だったものに。

「私は」

 ずっと、愛が欲しかった。

 醜い痣や、哀れな身の上ではなく、鍛治師としての才能でもない、それら全部をひっくるめた「イズミ・村正」というひとりの人間を愛して欲しかった。アメノマヒトツさまに買われたとき、それが手に入るのかもしれないと思った。だけど、いざそれを自分から求めて、もし拒まれてしまったらどうしよう。そう考えると、どうしても言い出せなかった。せっかく「痛み」に鈍くなった精神(こころ)を、再び鉄火場に放り込む勇気が無かったのだ。

「私は愛が欲しかった」

『それを手に入れるために、あんたがすべきことは?』

「求めること。それが欲しいと口に出して、手を伸ばすこと」

『そうだな。上出来だ』

 妖刀はにやりと笑い、それにつられてイズミも笑った。

 すでに、イズミの中から恐怖は消えていた。身体は相変わらず重いままだが、戒めから解き放たれた精神は羽のように軽い。わずかな風を拾って、飛んでいけるような気さえした。

『もう、自分で自分を縛るなよ。あんたはどこにだっていける。応援してるぜ、〝アタシ〟』

 最後に妖刀はそう言って、イズミの意識は途切れた。

 

 

 

★★★

 

 

 

 イズミが目を覚ますと、白い天井がまず目に入った。清潔感のある内装。イズミには見覚えのない部屋だった。

 体を起こしてみる。寝かされていたのはふかふかのベッドだ。周囲には回復薬のにおいが漂っている。どうやらここは医務室のようだった。ギルドかどこかだろうか、と思って見渡してみると、部屋の入り口にかけられたタペストリーが目に入った。火山と二本の槌のエンブレム。神話においては火山の炎で鉄を打ったという、鍛治神へファイストスの紋章。ここは、へファイストス・ファミリアのホームらしい。

 いつのまに自分は、ここへ来たのだろう。頭の中を探ってみるが、工房で意識を失って以降の記憶はなかった。

 と、そこで唐突にドアが開き、大きな人影が入室してきた。真っ赤な神と右目の眼帯。イズミの主神、アメノマヒトツその神だ。

「イズミッ!起きたのか!」

 怒声のような大声が医務室を占領し、耳がキーンとなる。

「主神さま? なぜここに」

「なぜも何も、お前をここに運んだのはおれだ。工房で倒れているのを見つけたときは、肝を冷やしたぞ」

 どうやら心配をかけたうえに、主神の手を煩わせてしまったらしい。イズミは恐縮するが、アメノマヒトツはそのイズミ以上に沈痛な面持ちだった。

「レベル3の身体を動かなくなるまで酷使するとは、よほどの悩みを抱えていたのだろう。なぜ相談してくれなかったのだ。……いや、お前を責めるべきではないか」

 そう言うとアメノマヒトツはずんずんとイズミが寝かされているベッドの脇まで歩み寄り、がばっと勢いよく頭を下げた。

「ホームに一人ぼっちにしたりしてすまなかった。おれは主神失格だ」

 イズミは、言葉を返すことができなかった。目上の存在に頭を下げられるという経験が、今まで無かったのだ。ましてや主神は、自分を人生の窮地から救い出してくれた大恩神である。

「や、やめてください、主神さま。頭を上げて」

 イズミは慌てて、アメノマヒトツの肩を掴んで持ち上げようとする。アメノマヒトツは首だけ持ち上げて、「許してくれるのか」と問うてきた。

 そのとき、イズミの視線とアメノマヒトツの視線が、間近でぶつかった。

 イズミはアメノマヒトツの双眸を覗き込みながら思った。そういえば、主神さまの顔をこんなに間近で、真正面から見たのは初めてかもしれない。2M(メドル)超えの長身を持つ主神を見るとき、小柄なイズミはいつも首をうんと逸らして見上げるしかなかった。アメノマヒトツの顔をこんなに近くで覗き込む機会は、旅の間やオラリオに来てからも、今まで一度もなかったことだった。

 むくむくむく、と、イズミの中でにわかに悪戯心が湧き上がってきた。えいや、と掛け声をかけて、両手で主神のほおを挟んでみる。そのままこねこねとこねくり回して、主神さまの表情を弄ってみたり。

 怒った顔や、笑った顔や、思わず吹き出しそうな変な顔まで、次から次へと表情を変えていく。

 イズミは自分でも信じられないような不敬に内心どきどきしながら、それでも不思議と自然に振舞えていた。心が軽くて、なんだかふわふわする。今まで自分を縛っていたいろんな枷が外れて、大胆になれている自分が、新鮮で楽しい。

「い、いじゅみ……?」

「何ですか?」

「怒っておるのか?」

「まさか、そんなわけないです。ただちょっと、今日はわがままを言いたい気分なんです」

「わがままを」

「ええ。女の子にはあるんです。そういう日が」

 我ながらめちゃくちゃなことを言っているな、とイズミは可笑しくなりながら、外面はきりっと取り繕って、ポーカーフェイスを貫き通す。

「わかった。おれも覚悟はある。存分に言ってみろ!」

 今度はむんと胸を張り、堂々とした仁王立ちで宣言する。なんだろう。イズミは少し困惑していた。主神さまのキャラって、こんな感じだったっけ? 刀工の神らしくもっと威厳のある重厚な感じだったような気がするのだが。

 とはいえ、せっかく言ってみろとおっしゃっているのだから、ここは甘えねば損である。イズミは遠慮を彼方へ放り投げて突っ込むことにした。

「では、頭を撫でてください」

「む、そんなことでいいのか」

「そんなこととは余裕ですね。では、考え得る限り最高品質のなでなでを要求します」

「むむむ、最高品質のなでなで、だと?」

 おそるおそるイズミの頭に手をやって、ぎこちなく撫で始めるアメノマヒトツ。しかしやはり掌が大きすぎて、あとは力が強すぎて、ぐしゃぐしゃとした荒っぽい撫でになっている。髪は乱れて、どう見ても痛そうななでなでだった。それでもイズミはふにゃりと表情を緩め、幸せに浸っていた。

 イズミは、自分の性格の変化に驚いていた。私って、こんなに大胆だっただろうか。今まで、厳しい師匠としてしか見れなかった主神さまに、こんなにも自然に甘えることができている。

「イチャついてるところごめんなさい。頼まれていたもの、持ってきたわ」

 そのとき、部屋の扉が開いて、医務室にへファイストスが入ってきた。途端に、ここが他所のファミリアのホームだったことを思い出して真っ赤になるイズミ。主神は撫でる手を止めずに、へファイストスに笑顔を向ける。

「おお、仕上がったか!」

「ええ、ご要望には添えていると思うわ」

「苦労をかけたな」

「そう大変な作業でもなかったわよ。椿も手伝ってくれたし」

「うむ!彼女にも礼を言わねばならん」

 そう言って、アメノマヒトツがへファイストスの手から受け取ったのは、壮麗な仕立ての刀袋だ。そのまま慣れた手つきで紐を解き、中身を取り出すアメノマヒトツ。それは、一振りの刀だった。美麗な装飾が施された拵えで、芸術品のような出来栄えのなっている。しかし、一度刃を抜くと、それは冷徹な兵器としての側面を垣間見せる。

「さすがはへファイストスだ。おれではこう綺麗には作れん。任せて正解だったぞ!」

「あの、主神さま。それは?」

「ん?うむ、イズミよ」

そしてアメノマヒトツは、ずい、と刀をイズミの方に差し出して言う。

「誕生日ぷれぜんとである!」

「……え?」

「今使っている「紫陽」、あれもいい刀だが、ちと古いだろう。新しい刀を贈ろうと思ってな」

「で、でも、私は別に誕生日ではありませんが」

「何をいう。今日は我らがオラリオに来てちょうど一年だぞ。アメノマヒトツ・ファミリアの誕生日ではないか!」

 そう言われて、ようやくイズミは思い出した。ばっと視線を巡らせて、部屋の中にあったカレンダーを見つけ、今日の日付を確認する。たしかに今日は、自分と主神がこのオラリオのついてちょうど一年の日である。

 がはは、と豪快に笑うアメノマヒトツは実に楽しそうで、心の底から愉快に思っていることがはっきり分かった。

「はあ、それじゃ説明が足りてないわよ」

 そんなアメノマヒトツに、ため息をついて神へファイストスが補足する。

「実は、アメノマヒトツに頼まれていたのよ。あなたに刀を渡したいから装飾を請け負ってくれって。プレゼントなんだから武器じゃなくてアクセサリーとかにすればって言ったんだけど、どうしても自分の手で作ったものを渡したいって」

「で、では、主神さまが最近よくへファイストス・ファミリアにばかり顔を出していたのは」

「おれではこういう綺羅綺羅したものはうまく作れん。斬れ味を追求することしか能のない男だからな。ゆえに、へファイストスに依頼を出したのだ。おれの打った刀に拵えを施してはくれんか、とな」

「ドゲザ、だっけ? 急に地面に額を叩きつけるからびっくりしちゃったわよ」

「わはは、あれは極東の正式な礼儀の通し方なのだ。あれをしながら頼み事をすれば、まず通らないことはない」

 今度こそ、イズミはぎょっとしてしまった。ドゲザ、土下座のことか? 主神さまは、私への贈り物のために、他の神に平身低頭したというのか?

「なんで、そこまで」

「親が子への贈り物に最善を尽くすのは、当たり前ではないか」

 ふぐ、とイズミは声を詰まらせて、自分の中から湧き上がってくる衝動に耐えようとした。

 親子だと言ってくれた。最善を尽くすのは当たり前だと。主神さまが自分のために、他の神に土下座までしてくれた。私のことを思いやって、自らの信念を曲げてまで装飾を施してくれた。その全てが、イズミが自分には決して与えられることのないものだと思い込んでいたものだった。 

 すなわち愛だ。親が子を慈しむときの、無償の愛。愛はすでにあった。イズミはすでに愛を与えられていたのだ。アメノマヒトツは、イズミを愛していた。イズミが受け取ろうとしなかっただけで、それらはずっと、すでに与えられていたものだったのだ。

 イズミは両手で自分の顔を覆って、溢れ出てくるものをこらえようとした。しかし、目元から溢れた涙は、指の隙間をすり抜けてぼろぼろと床に落ちていく。

 ばたん、とドアが閉じる音がして、女神が医務室を辞去する。部屋に残されたのは、イズミとアメノマヒトツのふたりだけ。

「ど、どうしたというのだイズミよ!まさか、ちょいすが気に入らなかったのか? やはりちゃんと聞いてからぷれぜんとを選んだ方がよかったのかのう?」

 巨躯の男神は、急に泣き出した自身の眷属に、面白いほどおろおろと狼狽えている。刀を手に持ったまま全身をわちゃわちゃ動かして、それがとても滑稽だったから、イズミは思わず吹き出してしまった。

「ぶふっ!ふ、ふふふ、あっはははははは!!」

「い、イズミ……?」

「んふ、ふふ。大丈夫ですよ、主神さま。これは、悲しくて泣いているんじゃないんです。嬉しくて、あとは、ほっとしてしまって、泣いているんです」

 むむむ、と首を傾げて、よく分かっていなさそうな表情のアメノマヒトツ。そりゃそうだ、とイズミは思う。自分は愛されていないのだと思い込んでいたのも、勝手に距離をとって心を閉ざしていたのも、全部自分が原因で、自分が被害者なだけの、自分の問題なのだから、と。

「あーあ。なんか、全部バカみたいです。一から十まで、私の独り相撲だったってことじゃないですか」

「イズミ?」

「主神さま」

 そこでイズミは、アメノマヒトツの手から刀を受け取った。

「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

 それから、と。イズミは再び、主神の顔を両手で挟んで自分の前に固定する。

 今なら言える、とイズミは直感していた。心が風を受け止めたのだ。あとは、ふわりと宙に舞い上がるだけ。

 そして、花も綻ぶような笑顔で、イズミは言った。

 

「主神さま、大好きです」

 




ダンまちの原作知識がうろ覚えなので、間違っているところがあったら指摘してくれると嬉しいです。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。