ネロ帝が女のわけないだろ!いい加減にしてくださいお願いしますから!! 作:オールドファッション
ジャック・オー・ランタンさん、飛燕 執筆中さん、佐藤東沙さん、メイトリクスさん、ほやしおさん、ire-catさん、Tachyon107さん、たまごんさん誤字報告ありがとうございます!
その日、ルシウスは出来たばかりの公衆浴場に浸かり疲れを癒していた。公衆浴場の一番風呂など浴場技師ならではの贅沢だ。日々の激務で凝り固まった体に染み渡る。浴場の建設、新商品の開発、食の革命、演劇の脚本執筆。それに加えて最近はアイドルのプロデュース、ダンスと発声レッスン、曲と演出の考案、コラボイベントの催し。労働基準法って知ってる?ってくらいのブラックさで最早ティーカップに削った豆とお湯をぶち込んで提供されたコーヒーである。
イケニ族の集落で温泉街を作ってからというもの諸国からアイドルのプロデュース依頼が殺到し、時にはルシウスを拉致する国まであった。そういう国は大概ローマとイケニ族に攻め入られて土下座案件になる。畑から収穫でもしたかのような圧倒的物量戦と鬼神の如き戦いで山河を駆ける部族達による都市の制圧。そしてルシウスに感化された民衆による内部崩壊で国・即・滅!民衆の土下座コールで涙目になってる王族はわりと可哀想だった。
(おかしい。私好みの温泉街を作っただけなのに私以上に馬鹿受けしてる。とりあえず良さそうな温泉街つくってイケニ族の印象アップしとけばネロも悪いようにはしないだろうと高を括った結果がどうしてこうなった)
まあ、あのキャラ付けはただの悪戯心だったのでその罰が当たったのだろう。ママを泣かせた罪は重いぞルシウス。
風呂焚きの奴隷以外に周りに人もいないのでルシウスはタオルでくらげさん作ったり、広い浴場の中を泳いだり潜水して遊んだ。良い子のローマ人は真似しちゃいけない。
だがこのルシウス、だてに国家浴場技師という肩書きではないということなのか泳いでいてすぐに違和感を感じた。テルマエは薪を燃やした熱による三段ボイラー構造により水道管から湯を供給している。さらに湯を温めた熱は柱によって底を上げた床下と隙間を作った壁の間を抜けることで床暖房と室内を温めるハイポコースト構造。温暖差と湯の供給でテルマエには一定の水流が存在する。だがこの流れはどこかおかしい。
(水漏れか?いまは排水溝閉じてるからどこかに穴でも……ん?この展開どこかで?)
確信も大した期待もしていなかった。だがそれはたしかにあった。ルシウスがそれを見間違えるはずもない。ルシウスが長年夢見た光景、記憶に焼き付いた1ページ。
異国へワームホール。故郷へ通じる穴があった。
(飛べよおおおおおおお!!!)
ルシウスは迷いなく穴へ飛び込んだ。それがただの穴で溺死したとしても後悔はなかったろう。だって過労死寸前なんだもの。
掃除機顔負けの吸引力で引き込まれたルシウスはローマから存在を消した。ルシウスの霊圧が消えたことに一部の勘のいいローマ人が騒ぎ出しローマが大騒動になったのは想像に難くない。またネロに磔にされる前に逃げてとなりのペトロ!
一方その頃、ルシウスは水面から上がり必死に酸素を取り入れていた。思いの外この湯『深かった』。ボボボボボボボボッ!ボゥホゥ!ブオオオオバオウッバ!
立ち上る蒸気のせいで周りははっきりと見渡せないが、辺りは青々とした木々で囲まれ、頭の上には雨除けの屋根が張ってある。
呼吸によって運ばれる独特の土と緑の空気。それはどこか懐かしい。マイナスイオン……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、私のほうに。
そしてこの湯、無色透明で無味無臭、肌に優しく溶存物質は少なく感じる。ぺろ、これは……単純温泉!湯の効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、健康増進!肌に優しく子供や赤ん坊、外傷のある者や高齢者も入れる通称『家族の湯』である。アルカリ性単純温泉なら美肌効果もあったりする。
「やっ!やったぞッ!発動したぞッ!フ……フハ……フハハハハハハハハハ、戻ったぞ……」
ルシウスは確信した。ここは日本のどこかだ。ルシウスはついに長年の悲願であったタイムトラベルを習得したことへの喜びに震える。どこかにタイムマシンと青いたぬきはいないだろうか?
ふと、湯気の壁の向こうに人型の影が見える。たしか漫画で登場する日本の温泉は二話の温泉卵の回とさつきちゃんの温泉旅館のはずだ。見るところ影はニホンザルくらいの大きさで出るところは出ていない。つまりおまえはモンキー何だよおおお!
ということはここは二話の温泉地である。よく見ればあの温泉卵を吊るす装置があるではないか。
『温泉卵たべりゅ?』
ごめんな瑞鳳、わたし卵はハードボイルドって決めてんだ。
するとどこからか一陣の風が吹き、少年漫画的なご都合主義の煙は消えていった。怖くない、怖くないよとルシウスがム●ゴロウさんのような慈愛に満ちた顔で猿を待ち構えていると朧気だったその輪郭がはっきりし始める。
腰まで長く延びた白髪と両端に入った黒いメッシュ。愛らしくどこか子猫を彷彿とさせる顔つき。雪のように真っ白な柔肌。
真っ裸の幼女がそこに立っていた。ちなみにルシウスも真っ裸である。
瞬間、ルシウスの脳裏にバトル漫画並みのくそなが長考が刹那の時間で流れる。(注意!テルマエ・ロマエは浴場建設ほのぼのコメディ漫画である)
この幼女が誰とか何でこんな髪の色なのか疑問は置いて、この状況は非常にまずい。その年からおそらく保護者がどこかに潜んでいるだろうこの場所で幼女が叫んだりしたら秒速でお縄である。社会的立場が悪・即・斬だ。間違いなく零式で風穴だらけになる。
ルシウスの逃げ足が早いか、幼女の悲鳴が先か。普通の人間は逃走か対話へ流れるだろう。だがこの男、逆に幼女へと突貫した!
(逆に考えるんだ。気絶させて放置しとけばいいじゃない)
吐き気を催す邪悪とはこいつのことである。
「私の平穏を脅かす存在は誰であろうと容赦はしない!すまないが君を始末(気絶)させてもらう!」
巨木の皮を一瞬で桂剥きにする手刀が幼女の首を掠める。驚愕したのはルシウスだ。さっきの手刀は直撃必至コースだったはずだ。何者だこの幼女は?
気づけば幼女はルシウスの懐に入り込み拳を構えている。所詮は幼女パンチと見くびってけっこう呑気してたルシウスも、拳が一瞬巨大に見えるほどの圧力にはビビった!
「グパァ!!」
衝撃!痛み!
気づけばルシウスの体は宙を舞っていた。何が起きたか理解が追い付かないルシウスをよそにまるで何が破裂したような音が鳴り響く。ルシウスは、極限まで時が圧縮され意識のみがかろうじて捉える少女の残像を追いながらある感情に支配されていた。敵への惜しみ無き賞賛。一部の人間にはむしろご褒美です。私はノーマルなのでただの拷問だがな。
ルシウスは気がついた。少女の拳が音を置き去りにしたことに。
ルシウスの体が水切りのように水面を跳ねて岩にめり込む。うーん、これは破壊力、スピード共にAランクだった。たとえ恐るべき強さを持った者であっても、それが幼女であり大の大人がコテンパンにやられた事実にルシウスはわりと泣きそうになった。自業自得である。
「……ふ、だが わたしには勝ち負けは問題ではない」
「この南蛮人は何言ってるんですかね。というか日の本言葉お上手ですねぇ」
「幼女よ、私は悪いローマ人じゃないよ?だから警察だけは勘弁な。温泉卵あげるから」
お聞きください。先ほど幼女を襲おうとした男の言葉である。
「けいさつ?ろぉま?何ですかそれ?」
「おいおいおい、幼女なら犬のおまわりさんの歌くらい知っているだろう?もしくはこち亀とかコナンくんとか」
「あははは!意味わかんないですねぇ!私わらべ歌とか知りませんし」
ハイライトオフで笑う幼女にややドン引きしつつルシウスはお互いの行き違いに疑問を感じ始めた。嫌な汗がぶわっと溢れ出す。
「幼女よ、つかぬ事お聞きいたしますが……今何年でしょうか?」
「今年は"天文5年"ですが?」
「そっかー……」
天文といえばたしか足利氏族らが幅を利かせている室町幕府。まあ、応仁の乱以降から将軍家はすっかり落ち目になっていき守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭している。つまりルシウスの時代からおよそ1500年後の遥か未来、世に言う戦国時代真っ只中である。タイムトラベルは成功といえば成功なのだが…………。
「そこは現代日本でしょうがああああ!!!」
やはり今日もルシウスは絶望していた。
長尾虎千代にとってその南蛮人はなんか色々やばそうな男だった。
初対面にも関わらず裸で子供に突貫し、首に手刀を落とすような男だ。言動も支離滅裂でもうやばさの権化じゃないか。実際その通りなので申し開きもなく腹切である。
「私……古代ローマから来たって言ったら、笑う?」
縄でぐるぐる巻きにした男は自分は古代ローマ人であり、風呂の底に空いた穴を通ってこの時代についたのだと言った。やはり腹切させようか悩む虎千代。まあ、このままただ殺すのも面白くないので虎千代は話を聞くことにした。
「なるほど、るしうす殿は風呂場を作る職人だったのですね」
「そうだな。ちなみに発明家だったり料理人だったり脚本家だったりアイドルプロデューサーだったりするぞ」
「よくわからないけど忙しいのですね」
真偽は置いといて聞き物としてはそこそこ面白かった。読み物にすれば後世でわりと人気出そうな話ではある。実際にその通りになりそうなのが稲川●二の怪談並みに怖いとアラヤは思う。
話していくうちに不思議とルシウスという男に対する壁のような物がなくなっていく。初対面での悪印象がむしろ愛嬌にすら思える。この男は私と同じくらい狂っていて、何より心が強いと思った。
違いといえばこの男は誰からも愛されている。
『あははは!兄上、大丈夫ですか?軽く叩いただけなのですが!』
『……ち、父上!それがしはもう嫌です!虎千代の相手はしとうありません!』
なぜそうも弱いのか分からない。
『あははは!父上!虎千代は妖でございません!』
『ひっ……!?これじゃ、この顔じゃ!此奴め、叩こうが殴ろうが何をしようと笑うばかりで得体が知れぬ!』
なぜそうも恐れられるのか分からない。
『虎千代……、何という事でしょう……、そなたには父や兄が、何に怯えているのか分からぬのですね』
『あはははは! 姉上、虎千代にはわかりません!虎千代にはわかりません!』
どうしてそのように憐れむのか分からない。
分からない。分からない。分からない。虎千代には分からない。
言われるがままに仏門に入り五常の徳を積んだ。人というおおよその物は理解できた。それでも虎千代には人の心が分からなかった。だから模倣し、人らしいものを演じた。それでも人は虎千代を恐れ、互いの間に深い溝を生む。彼らと自分で何が違うのだろうと苦悩した。
だが、この変わった男であれば私の生涯における問いに答えを出せるだろうか。
「るしうす殿、人らしさとは何でしょうか」
「え、何それ深い。急にどうしたし」
「……」
「あ、まじめな感じですかお虎ちゃん。うーん……」
男は一考し、ただ自然な口調でこう言った。
「ば~~~~っかじゃねぇの。何それ、くだらねえなぁ」
そう言い終えると呆れた目で虎千代を見つめる。
「……何ですと?」
無表情な虎千代の拳に力がこもり、溢れ出す圧力で周りの木々がざわめいた。先ほどルシウスを殴り飛ばした以上の濃密な気配が辺りに充満するが、彼は顔色一つ変えずに喋り続けた。
「何が人らしいとかないだろ、そんなの。世の中いい人間もいれば悪い人間もいる。天使みたいな人間もいれば悪魔みたいな人間もいる。人間なんて多種多様、千差万別。様々な個性全部を引っくるめたのが人間性ってやつだろ、たぶんだけど」
「じゃあ、五常の徳を積んでも人の心が分からない者も人らしいと言えるのですか」
「五常?儒教の仁・義・礼・智・信ってやつ?あれはモラルだとかマナーの精神だろ。まあ人付き合いには必要かもしれないけど人付き合いが得意なやつが人間らしいのか?じゃあコミュ障は人外か?人の心が理解できたら人間なのか?それむしろエスパーだろ、気持ちなんて表面上のものをちょーっと察せる程度でいいんじゃねえの」
「じゃ、じゃあ!戦いに喜びを見出す鬼神の如き者も人らしいと言えるのですか!」
「そんなんローマにごまんといるわぁ!」
なぜか最後の言葉だけ異様な説得力があった。
「で、ですが!ですが!」
「偉大なる人間、最強の先人も言っている!競うな、持ち味をイカせッッ」
やや画風の変わったルシウスの雰囲気に虎千代はただ圧倒された。
今まで虎千代は人らしくあれ。人の心を理解せよと言われ続けた。しかしこの男はどうだ、自分らしくしていいのだと言っている。言い方はあれだが、彼は初めて虎千代という個人を肯定してくれた人であった。
不思議な感情が湧き上がる。陽だまりのように暖かで、なのに胸が張り裂けそうなほど辛い。手の甲に雫が落ちる。
「お、おい!泣くな幼女!今は絵面的にやばいからぁ!」
そう言われた瞬間、虎千代は自分がどういう表情をしているのか気づいた。それは虎千代がいままで理解できなかった感情の現れ。感情の結晶。
ああそうか、私は今泣いているのか。
その日、虎千代は今まで溜め込んだ分までたくさん涙を流した。それが嬉しさによるものか、悲しさによるものかは今は理解はできない。しかし今はそれでいい、彼女は若くまだいくらだって知る事ができるのだ。ちなみにルシウスは縄で縛られたまま温かい視線を送ってた。
夕暮れになってようやく虎千代が落ち着くと、隣にいたはずの男は消えていた。そこには温泉卵と固く結んだままの縄が落ちている。ルシウスの話が真実だとわかると、互いの間にある大きな隔たりを感じて無性に寂しくなったが虎千代は泣かなかった。
「湯に浸かっていれば、またどこかで会えますよね!るしうす殿!」
返事はない。だが湯は波紋を立て広がっていった。
やがて寺から家に戻された虎千代は前と変わらず人の心はわからず、より楽しんで武芸に打ち込むようになる。家の者たちは相変わらず虎千代を恐れたが、姉の綾だけは虎千代の成長を知っていた。
(恋を知ったのですね……虎千代)
虎千代は恋する少女となったことで、ある種の一般的な人間性を獲得したのだろう。いや、私たちとは在り方が異なるというだけで元々人間だったのだ。だが私たちが仮初めの人間を強要し、あの子はその在り方をいびつに歪めてしまった。ただ肯定してやれば良かっただけなのに。本来は私たち家族がすべきことを、その誰かが成したのだ。虎千代は前よりも鬼神のように荒々しく鋭く、だがその中にはたしかに温かみがある子になった。未だ虎千代を恐れる家人や男の父上には女の心などわからないだろう。
だが虎千代は否が応でも戦場に立たされることになるだろう。時代は争いを求め、争いは強者を求める。女の虎千代など戦場は求めてはいないのだ。
それはようやく芽生えた自分の中の女を殺し、無数の人を殺める修羅の道だ。女の幸せなど望むことはできない。ようやく色を知ったというのにあまりにも酷いことだ。
せめて、同じ女である私だけは虎千代の恋路を祈ってやろう。それが、私にできる初めての家族の役割なのだ。
それから綾は虎千代が老齢の住職の寺に預けられていたのを思い出し、『この生臭坊主がああああ!!!』と早とちりして寺の住職を磔にしたのはご愛嬌である。やはり聖職者は磔に限るのか。
虎千代は姉に化粧の仕方や美容法を教わり、温泉巡りを嗜む一方で大好きな塩と酒を控えるようになったことで健康優良となって美しさにも磨きがかかった。何より恋というものは女をより女らしくするというのか、どことなく愛らしくなられてからは家人にも人気が出始め、兄も今までお兄ちゃん子だった虎千代が素っ気なくなったもので逆に兄の方がシスコン気味になっている。
しまいには『虎千代!昔のように私を叩いておくれ!』と迫るようになって、毎回虎千代に『兄上、きもい』と言われて泣いたり妙に興奮するようになると父上も『家督虎千代にやるわ、だからパパ上って呼んでくれない?』と悪影響が移った。ルシウスに関わったせいでもう長尾家だめかもしれない。
というかタイムトラベルして日本の歴史を地味に変えてしまったルシウス。本来なら抑止力案件だがローマでの大騒動で疲れているアラヤは『ここの日本ぐだぐだ世界線だしいいかな、ぶっちゃけめんどい』と放置した。
なお後世において長尾虎千代、つまり長尾景虎は『女性説』が有名な人物である。その要因として中性的顔立ちや高い声など挙げられるが、一番の理由は生涯独身であったことがこの説を有力なものへ導いている。歴史家たちはまさか景虎の意中の相手が古代ローマ人だとは夢にも思っていないだろう。
長尾景虎はまるで誰かを探すように諸国の温泉を巡り続け、ある日を境にその旅を終えたという。